東浩紀の情報(あずまひろき) 批評家、作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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東浩紀の情報まとめ
東 浩紀(あずま ひろき)さんの誕生日は1971年5月9日です。東京出身の批評家、作家のようです。
経歴、活動などについてまとめました。兄弟、テレビ、卒業、結婚、現在、事件、映画に関する情報もありますね。去年の情報もありました。東浩紀の現在の年齢は53歳のようです。
東浩紀のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)東 浩紀(あずま ひろき、1971年5月9日 -)は、日本の批評家、哲学者、作家。株式会社ゲンロン創業者。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。学位は博士(学術)(東京大学・1999年)。 在学中の1993年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授などを経て、2015年より批評誌『ゲンロン』を主宰。著書に『存在論的、郵便的』(1998年)、『動物化するポストモダン』(2001年)、『一般意志2.0』(2011年)、『観光客の哲学』(2017年)、『訂正可能性の哲学』(2023年)など。 大学院では小林康夫に学ぶ。本人は「現代思想好きのオタク」を自認する。 2013年に早稲田大学教授を辞して以降、活動の主軸を自身が創業した株式会社ゲンロンに置き、書籍出版、イベント事業、スクール事業および放送プラットフォーム「シラス」の運営等様々な事業に携わっている。 小説家でもあり、特にSF作家である。日本SF作家クラブ会員だったが、2014年に脱会している。日本推理作家協会会員。 妻は小説家のほしおさなえ。岳父はミステリ評論家・翻訳家の小鷹信光。従兄弟はテレビプロデューサーの磯智明。娘がいる。 白ワインを好む。 経歴生い立ち (1971年~1999年)1971年、東京都三鷹市で生まれる。小学生時代に三鷹市中原から神奈川県横浜市青葉区に転居。三鷹市立東台小学校(現:鷹南学園三鷹市立東台小学校)、横浜市立みたけ台小学校を経て、筑波大学附属駒場中学校に入学。小学校低学年でカッパ・ノベルス、高学年からは小松左京を好んで読む。高校時代は、新潮文庫の海外文学を端から端まで読み、ドストエフスキーやカミュに親しむ。 1990年、筑波大学附属駒場高等学校卒業、東京大学文科Ⅰ類入学。教養課程(学部1~2年)では佐藤誠三郎のゼミに所属、『フォーリン・アフェアーズ』など英語圏の社会科学系論文に触れる。教養学部に進み、科学史・科学哲学を専攻。在学中の1993年4月、『批評空間』第1期第9号に「ソルジェニーツィン試論:確率の手触り」を掲載し、評論家としてデビュー。1994年3月、東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。1994年10月より5年間に渡り、『批評空間』にて「デリダ試論」を連載。1996年の『エヴァンゲリオン論』(『郵便的不安たち』所収)以来、オタク系サブカルチャーへの批評活動も行うようになる。 1996年、コロンビア大学の大学院入試に失敗し米国留学を断念。1998年、ほしおさなえと学生結婚。1999年3月、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程修了。博士(学術)。学位論文は「存在論的、郵便的:後期ジャック・デリダの思想と精神分析」。 ポストモダン研究 (1999年~2013年)博士号取得後、日本学術振興会特別研究員(PD、1999年3月 - 2002年3月)、慶應義塾大学文学部非常勤講師(2002年4月 - 2004年3月末)として大学に籍をおきつつ、2000年代以降の社会思想の潮流として、インターネット・情報社会・サブカルチャーに関心を寄せる。2000年3月、公式サイト「hirokiazuma.com」を開設。2001年11月、単著『動物化するポストモダン』を発表。「データベース消費」「動物化」といった概念を提起。2003年、経済産業研究所のリサーチアシスタントに就任し、「デジタル情報と財産権」に関する研究会に参加。2003年5月から2006年までスタンフォード日本センター(SJC)リサーチフェローを務める。 2003年4月国際大学グローバル・コミュニケーションセンター(GLOCOM)に主任研究員・助教授として就任。GLOCOMの東浩紀研究室にて「ised」(情報社会の倫理と設計についての学際的研究)を立ち上げ、情報社会に関する研究に取り組む。2004年9月、GLOCOM主幹研究員。11月、同教授に就任。2006年4月から6月までGLOCOM副所長。2004年4月から翌年3月まで、東京大学大学院情報学環・学際情報学府客員助教授を兼任。2006年7月末、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター教授・主幹研究員を退職。 2005年10月、東京工業大学世界文明センター人文学院特任教授となる。2007年4月からは特任教授を継続しつつ、東京工業大学世界文明センター人文学院ディレクターも兼務。2007年3月、それまでのエッセイや論考をまとめ、3つの論文集(東浩紀コレクション)を講談社「講談社BOX」から相次いで刊行。2009年1月、東京工業大学世界文明センターで開かれた公開シンポジウム「アーキテクチャと思考の場所」にて司会者を務める。 2010年4月、早稲田大学文学学術院講師(任期付き)に就任、同時に合同会社コンテクチュアズ(後の株式会社ゲンロン)を創立。代表取締役社長に就任。同年5月には、自身初となる長編SF小説『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社)で第23回三島由紀夫賞を受賞。同年10月には、合同会社コンテクチュアズより『思想地図β vol.1』 を刊行。翌2011年1月末、合同会社コンテクチュアズの代表に就任。 「ゲンロン」の創業 (2013年~)2012年4月、合同会社コンテクチュアズを株式会社ゲンロンに社名変更。2013年3月末、早稲田大学文学学術院教授を退職。2013年以降、活動の主軸を、自身が創業した株式会社ゲンロンにおく。2015年、批評誌『ゲンロン』を創刊、責任編集を務める。 2017年、『ゲンロン0―観光客の哲学』で第71回毎日出版文化賞受賞。2018年12月より、代表取締役を上田洋子に交代し、株式会社ゲンロンの代表を退く。2017年10月、あいちトリエンナーレ2019の企画アドバイザーに就任するが、2019年8月に辞任。2019年6月、映像配信プラットフォームを提供・運営する合同会社シラス設立、代表取締役就任。 活動1990年代『批評空間』第1期第9号(1993年4月)に「ソルジェニーツィン試論:確率の手触り」を掲載し、評論家としてデビュー。なお、この原稿は柄谷行人が当時教えていた法政大学での講義に潜り込んで参加した東が、直接手渡したものである。 1994年10月より5年間にわたって、柄谷行人・浅田彰が編集委員を務めた「批評空間」で「デリダ試論」を連載。 1997年、『新潮』にて文芸時評を行った。『早稲田文学〔第8次〕』4月号に、「座談会 思考の地盤沈下―なだれおちる90年代批評をめぐって」と題した、池田雄一、伊東貴之との鼎談が掲載される。同誌5月号にも再び同じメンバーでの鼎談が「座談会 思考の地盤沈下」と題して掲載された。8月16日にはTBSラジオ「スピークスピリッツ」に出演。元東京少年の笹野みちるが司会を務め、竹熊健太郎と対談。『Voice』10月号では、連載企画「世紀末の対話」の第4回に登場。「文芸批評の呪い」と題して福田和也と対談した。 1998年2月、同棲していたほしおさなえと共に長野オリンピックを観に長野へ行ったがチケットを持っておらず競技の観戦は叶わなかった。『批評空間』での連載は同年10月に『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』として新潮社から上梓された。発売から3週間で1万3千部と人文書としては異例の売れ行きを見せる。帯に浅田彰による自著『構造と力』が過去のものとなったことを自認した言葉が載る。2016年10月、杉田俊介はゲンロンカフェにて大澤聡がホスト役をつとめる討議シリーズ「論壇の現在地」に参加するにあたって、「東浩紀のデリダ論は「ゲーデル的な脱構築」と「郵便的な脱構築」の決定的な違いを論じた」と整理した。 1999年3月に発売された『批評空間』第2期第21号に東の参加した共同討議「いま批評の場所はどこにあるのか」が掲載される。鎌田哲哉、福田和也、浅田彰、柄谷行人と対談。3月29日、博士論文「存在論的、郵便的 : 後期ジャック・デリダの思想と精神分析」にて学位を授与される。1999年7月、複数の雑誌に掲載された論考等を集めた評論集『郵便的不安たち』を朝日新聞社から刊行。ポストモダン論からオタク文化などについて現代社会・文化・思想に関する幅広い発言・論考を展開。『存在論的、郵便的』で主題としたジャック・デリダのほかに、精神分析のジャック・ラカンを援用しつつ、独自の思考を展開している。1999年10月4日号の『AERA』では表紙を飾った。また『存在論的、郵便的』により1999年のサントリー学芸賞を受賞。第12回三島由紀夫賞候補にも選出されたが受賞は逃した(鈴木清剛『ロックンロールミシン』(河出書房新社、1998年6月)、堀江敏幸『おぱらばん』(青土社、1998年7月)が同時受賞)。1996年の『エヴァンゲリオン論』(『郵便的不安たち』所収)以来、一般にはオタク系サブカルチャーとの関わりの面からの注目度が高い。 2000年代2000年1月、ウェブマガジン『TINAMIX』を創刊。責任編集を務める(『TINAMIX』の更新は一年半継続した。2018年7月現在、アーカイブが公開されている)。同年3月、責任編集を辞任。公式サイト「hirokiazuma.com」を開設。5月、村上隆が企画して渋谷パルコで開催された「SUPER FLAT展」のコンセプトブック『スーパーフラット』に村上隆論を寄稿。村上の作品をジャック・デリダを援用しつつジャック・ラカンの「想像界」から「象徴界」への移行を軸として理論化し、「スーパーフラット」をポストモダンの最もラディカルな表現形態であると評価した。7月11日、批評プロジェクト「網状言論」を立ち上げる。新書館の雑誌『大航海』2000年8月号の1990年代特集で宮台真司と対談。同年11月、CD-ROM「『不過視なものの世界』appendix no.1」、「『不過視なものの世界』appendix no.2」、「不過視なものの世界」販売記念バッジを販売。2000年から2001年まで、『小説トリッパー』に「誤状況論」と題する時評を連載。またこの頃から東は、「批評空間」が大塚英志と宮台真司を無視・村上春樹を低く評価している点から1995年(オウム真理教事件・阪神大震災)以降の社会の決定的変化を無視していると判断し、デビューした雑誌でもある「批評空間」が「近くにいる他者の遠さに気がつく柔軟さ」を失っていると見なして距離を置いた。11月15日に発売された博報堂の雑誌『広告』2000年11・12月号には「存在論的、広告的」スペシャルとして、「東浩紀のすごいデカい話」が掲載され、そこで山形浩生、村上隆と対談している。 2001年9月16日、池袋のメトロポリタンプラザにてイベント「網状言論F」を開催。主催は株式会社多聞。 2002年の春から夏にかけて私的研究会「網状研究会」を数回開催。麻枝准『AIR』(2000年)と新海誠『ほしのこえ』(2002年2月2日公開)の比較発表などを行ったが反応は少なかったという。同年4月18日、柄谷行人は「子犬たちへの応答」とした文章をネット上に発表し、東、鎌田哲哉、大杉重男、千葉一幹ら、「批評空間や群像新人賞から出てきた」書き手について「全面的に私の言説の中で育ってきて、一人前になるために、そこから出ようとして、まず私にからみ攻撃する。しかし、それでは私に対する従属をますます認めることにしかならない」とし、彼らには「たんに、何か派手に有名になりたいという根性があるだけだ」と批判。さらに「この連中には文学的能力がない。もともと「批評の批評」しかやったことがないから、小説が読めない。教養がない。語学力もない。これらは致命的な欠陥で、彼らがまともな批評家になれるわけがない。(その点で、何はともあれ、私は福田和也を文芸批評家として認める。)」と続けた。同年9月1日、商業文芸誌『新現実』を角川書店より創刊。責任編集を務める。また、9月25日には大塚英志・斎藤環・前田真宏・大地丙太郎・藤島康介・由水桂との共著『「ほしのこえ」を聴け』がアニメージュ叢書第2弾として刊行された。 2003年、RIETI(独立行政法人経済産業研究所)において、「デジタル情報と財産権」に関する研究会に加わった。8月29日~30日には『ハイパーネットワーク2003別府湾会議』に国際大学GLOCOMの所属として参加。その他、荒野高志(インテック・ネットコア)、伊藤穰一(ネオテニー)、尾野徹(コアラ)、杉井鏡生(インフォメーション・コーディネーター)、関根千佳(ユーディット)、高木治夫(みあこネット)、中村伊知哉(スタンフォード日本センター)、丸田一(国際大学GLOCOM)、公文俊平(国際大学GLOCOM)、宇津宮孝一(大分大学)、会津泉(アジアネットワーク研究所 )らが発表を行った。2003年12月~2005年1月にかけてメールマガジン「波状言論」を発行・配信。 2004年、GLOCOMの東浩紀研究室にて「ised」(情報社会の倫理と設計についての学際的研究 Interdisciplinary Studies on Ethics and Design of Information Society)を立ち上げ、情報社会に関する研究に取り組んだ。またGLOCOMの機関誌『智場』の発信編集局長を務め、WinnyなどのP2P、SNS、Web2.0について特集、金子勇の講演レポートや梅田望夫と公文俊平の対談(司会鈴木健)を掲載するなど、新しいタイプの情報社会系批評誌を模索した。また、前述の麻枝准『AIR』など、美少女ゲームの物語性に着目した批評同人誌『美少女ゲームの臨界点』シリーズを刊行。この自主制作は後の出版社ゲンロンへ繋がっていくことになる。 2005年5月12日、ライトノベル作家の滝本竜彦とロフトプラスワンにてトークイベント「降りる自由と僕たちの未来」を開催。6月6日、午後1時半ごろ娘が生まれる。名前は『CLANNAD』のキャラクター「汐」と胎児用聴診器「心音ちゃん」から汐音とした。 2005年11月6日、ICC(NTTインターコミュニケーション・センター)にて、鈴木健、白田秀彰とトークイベント「ised@ICC:情報社会をオープンにする」を開催。 2006年、ライトノベル作家の桜坂洋、GLOCOM研究員の鈴木健との共同プロジェクトとして「GEET STATE」を開始。当初はGLOCOMにおけるisedの後継プロジェクトと位置づけられていたが、東のGLOCOM辞任を受けて個人ベースの共同プロジェクトとして開始された。このプロジェクトは、環境管理型権力が全面化した社会の未来予測(2045年の日本社会を舞台として設定)とエンターテインメントの両立を図ろうとするものである。 2007年1月、北田暁大との共著『東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム』を刊行。3月、『ゲーム的リアリズムの誕生』を刊行。また、それまでのエッセイや論考をまとめ、『文学環境論集 東浩紀コレクションL』、『情報環境論集―東浩紀コレクションS』、『批評の精神分析 東浩紀コレクションD』(DはDialoguesを指す。宮台真司、村上隆、大澤真幸、巽孝之、斎藤環、高木浩光、佐藤心、更科修一郎、元長柾木、福嶋亮大、稲葉振一郎、仲俣暁生との対談を収録)の3つの論文集を講談社「講談社BOX」から刊行した。 2008年2月9日、東京都文京区の千石空房にて宇野常寛と「決断主義トークラジオ Alive2 ビューティフル・ドリーマー」の公開収録を行う。同年、『東浩紀のゼロアカ道場』を講談社BOXにて開催。また、4月にはNHK出版から北田暁大と共編で、思想誌『思想地図』を刊行。同誌は、後に東自身が立ち上げる出版社ゲンロンに引き継がれ、以降、東の活動拠点となる。12月に発売されたムック本『アニメージュオリジナル vol.2』にて山本寛と対談。 2009年1月28日(水)、東京工業大学世界文明センターで開かれた公開シンポジウム「アーキテクチャと思考の場所」にて司会者を務める。登壇者は浅田彰、磯崎新、宇野常寛、濱野智史、宮台真司。春、新批評研究会を立ち上げる。「ゼロアカ道場」の第五次関門や第一期「思想地図」を経て新たな書き手候補のネットワークができつつあったことがきっかけであった。参加メンバーは東、宇野常寛、市川真人、藤村龍至、福嶋亮大、濱野智史、黒瀬陽平、西田亮介、浅子佳英、入江哲朗ら。この研究会がコンテクチュアズの母体となった。7月23日、自身のブログ『東浩紀の渦状言論 はてな避難版』に「『ニッポンの思想』と『ストリートの思想』」というエントリを投稿。佐々木敦『ニッポンの思想』(講談社、2009年7月)と毛利嘉孝『ストリートの思想』(NHK出版、2009年7月)を取り上げ「基本的には前者は東浩紀派(?)肯定の本、後者は否定の本」と整理した上で、「毛利氏の筆致には党派性は感じず、むしろすがすがしい気がしました。毛利氏とは確か数度お会いしたことがあるはずで、どこかで対話できたらよいな、と思います」と書いている。民主党政権誕生後の11月13日には「大竹まこと ゴールデンラジオ!」(文化放送)に出演。のちに「ぼくは政権交代の直後に、リベラルで知られる団塊世代の芸能人がMCを務める、あるラジオ番組に出演したことがある。民主党に懐疑的な意見を述べたときの、あのゴミでも見るかのような侮蔑の視線は忘れることができない。」と振り返っている。 2010年代『文學界』2010年1月号に堀江貴文との特別対談「日本をすっきりさせるために」が掲載される。勝間和代がツイッター上でデフレ脱却政策を求めて署名運動を行ったことに対して、「最近は若い人たちも含め、勝間さんのようなリフレ派に賛同する人が多いですね。やはり日本人は、2010年代になろうとする今も、国がなんとかしてくれるはずだと思っています。想像力が追いついていないんですかね。」と発言。2010年3月に東京工業大学世界文明センターの主催の国際シンポジウム「クール・ジャパノロジーの可能性」に出席。5日(金)は東、宮台真司(首都大学東京)、毛利嘉孝(東京藝術大学)がパネリストとして、大塚英志(神戸芸術工科大学)、ジョナサン・エイブル(ペンシルバニア州立大学)、ヘザー・ボーウェン=ストライク(ロヨラ大学)、シュテフィ・リヒター(ライプツィヒ大学)がコメンテーターとして、クッキ・チュー(シンガポール国立大学)がモデレーターとして参加。6日(土)は東、黒沢清(映画監督)、宮台真司(社会学者)、村上隆(現代美術家)、キース・ヴィンセント(比較文学者)が登壇した。シンポジウムの内容は同年8月に『日本的想像力の未来――クール・ジャパノロジーの可能性』 として書籍化されている。 2010年4月、浅子佳英、入江哲朗、李明喜らとともに合同会社コンテクチュアズ(出版社)およびコンテクチュアズ友の会を発足させた。友の会の特典としては、1年分の『bis』、新批評研究会の会報、公式キャラクター「むりゃかみゆう」のイラストが付いた会員証、会員限定のオフ会を予定していた。社名であるコンテクチュアズはコンテンツとアーキテクチャを合わせた言葉である。同年5月、『クォンタム・ファミリーズ』にて第23回三島由紀夫賞受賞。6月、「東浩紀とニコニコ生編集!~思想地図bis編集会議×新批評研究会~」を主宰。『新潮』7月号に千葉雅也、國分功一郎との鼎談が掲載される。8月28日、インターネットラジオ番組「八木たかおの荒野のコナイパー」第16回にゲスト出演。 2011年2月10日~11日、東京大学大学院総合文化研究科広域システム科学系で特別授業を行った。講義タイトルは「広域システム科学特別講義III」。ハンナ・アーレントやゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの説く「理性的な熟議」に対するカウンターとしての「動物的な「一般意志2.0」」 がニコニコ動画などのソーシャルメディアによって実現される可能性を説いた。 2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震発生(東日本大震災)。ショックを受け、新たな活動を模索するようになる。当初は批評家としての活動を中心としており、2009年には、「これからどのような人生を送ったとしても、ぼくの批評へのこの愛は変わることがないと思います」と述べていた。一方、震災後のデモの盛り上がりに反比例するかのように、政治やサブカルチャーやネットカルチャーへの期待を無くしていき、哲学へ回帰していく。 2012年に東が代表取締役社長兼編集長を務め、合同会社コンテクチュアズを株式会社ゲンロン(友の会は「ゲンロン友の会」)として改称改組した。ゲンロン社は思想誌・学術誌の『思想地図』などを刊行している出版社であるが、その他にも、ニコニコ動画・Ustreamの番組配信、トークイベントの開催、メールマガジン(Magalry(マガリー)東浩紀責任編集メールマガジン「ゲンロンサマリーズ」)など、出版外の活動も多い。同年2月24日、津田大介と共に第98回紀伊國屋サザンセミナー「政治をアップデートする―ツイッター、一般意志、未来社会」を開催。東自身は、ゲンロンを「役所や大学ではできない公益性の高いコンテンツを作る営利企業」と位置づけている。同年7月29日、Chim↑Pomとのトークイベントにて「福島第一原発観光地化計画」を提案。9月には同プロジェクトを立ち上げ、計画について週刊プレイボーイにて西中賢治のインタビューを受けた。 2015年3月2日、批評家の佐々木敦と共に「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾」を始動させた。東自身は批評再生塾のコンセプトを「いわば批評家養成ギプスmeetsゼロアカ」と説明している。3月22日には「今回の批評再生塾、おかげさまでたいへん好評。でもそれは大半が佐々木さんの力だと思う。ぼくの読者はネットでわーわー言うだけで、まず批評塾なんて来ない。金も出さない。ぼくにはそういう認識があったので、佐々木さんと組むことにした。佐々木さん、すごいですよ」と自身の読者について分析すると共に批評再生塾の盛り上がりをもたらしている佐々木敦を賞賛した。3月25日、小林よしのり、宮台真司をゲストに迎えてゲンロンカフェにて「日本を変えるにはテロしかないのか?」と題したトークイベントを行った。同年8月から10月にかけて社会学者の開沼博との往復書簡「脱福島論」を毎日新聞上で連載した。10月、小林よしのり、宮台真司との鼎談をまとめた『戦争する国の道徳 安保・沖縄・福島』を幻冬舎より刊行。11月5日、ゲンロンカフェにて『戦争する国の道徳』刊行記念トークイベントを共著者である小林、宮台を迎えて行った。11月11日、「民主主義ってどれだ?」と題したニコニコ生放送に出演。津田大介、奥田愛基、本間信和と語り合った。 2016年6月17日発売の『小説トリッパー』夏号にて「批評再生塾」が特集された。同特集内の佐々木敦との対談にて東は「じゃあこれから鈴木謙介や西田亮介が誰かを生み出すかというと、彼らはもう研究者や大学院生しか育てたいとは思っていないでしょう」と述べている。12月26日、J-WAVEの番組「JAM THE WORLD」(月曜担当ナビゲーター:津田大介)のワンコーナー「BREAKTHROUGH!」に出演。企画「月イチあずまんリターンズ」が放送され、そこで2016年の5大事件として、「世界各地でテロ」「アメリカ大統領選でトランプ氏が勝利」「イギリスが国民投票の結果、EUから離脱を決定」「参院選で与党が大勝」「障害者施設殺傷事件」を挙げた。 2017年5月27日、アンスティチュ・フランセ東京にて「第5回 哲学の夕べ -遊びについて-」に参加。石田英敬、ベルナール・スティグレールと共にラウンド・テーブルに登壇した。12月10日、「ゲンロンカフェ @ VOLVO STUDIO AOYAMA」第2回として國分功一郎と「いま哲学の場所はどこにあるのか」と題した対談を行った。18日にはJ-WAVEの番組「JAM THE WORLD」(月曜担当ナビゲーター:津田大介)のワンコーナー「BREAKTHROUGH!」に出演。企画「月イチあずまんフォーエバー!」が放送され、そこで2017年の5大事件として、「小池旋風の明と暗」「カタルーニャ独立の住民投票で賛成派圧勝」「座間9遺体事件」「ラスベガス銃乱射事件」「北朝鮮ミサイル問題」を挙げた。 2020年代2020年6月2日、新型コロナウイルス騒動の自粛ムードに違和感を覚え、かつてはtwitterでブロックするなど敵対関係にあった外山恒一と対談。 2021年5月9日、50歳を迎える。前日、40代最後に観賞した映画は『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』である。 2022年、SNSを辞める。「強くオススメする! 3年近く前にも一度やめてるんだけど、そのときよりもいっそう解放感が大きい。つまりそれだけ、SNS上で"なんとか警察"みたいな人が増えて、日々もめ事があり、それなりに名のあるいい年した人たちがののしり合う、という状況が加速したんだろう」と述べている。 2024/06/15 00:52更新
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azuma hiroki
東浩紀と同じ誕生日5月9日生まれ、同じ東京出身の人
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