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吾妻ひでおの情報 (あずまひでお)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

吾妻ひでおの情報(あずまひでお) 漫画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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吾妻 ひでおさんについて調べます

■名前・氏名
吾妻 ひでお
(読み:あずま ひでお)
■職業
漫画家
■吾妻ひでおの誕生日・生年月日
1950年2月6日
寅年(とら年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
北海道出身

(昭和25年)1950年生まれの人の年齢早見表

吾妻ひでおと同じ1950年生まれの有名人・芸能人

吾妻ひでおと同じ2月6日生まれの有名人・芸能人

吾妻ひでおと同じ出身地北海道生まれの有名人・芸能人


吾妻ひでおと関係のある人

中塚圭骸: また、漫画家・吾妻ひでおの熱烈なファンであるという。


とり・みき: 吾妻ひでおのファンとしても有名。


架空まさる: 吾妻ひでお - 『0点魔神』の頃はバリバリ影響を受けていた。


亀和田武: また同誌ではメジャー少年誌出身の吾妻ひでおに『不条理日記』の連載を依頼し、話題を集めた。


高橋留美子: 少年誌でSF的な作品を描こうとして編集者に何度も制止された経験を持つ吾妻ひでおは、当時この作品を読み「マンガが帰ってきた」と感動し、『週刊少年サンデー』の掲載号を3冊も買ったという。


松久由宇: 吾妻ひでお「SPECIAL初対談 吾妻ひでお×松久由宇」『ぶらっとバニー 完全版』 2巻、徳間書店〈RYU COMICS〉、2008年3月。


一ノ関圭: また非常に絵の上手い漫画家としても知られ、吾妻ひでおは『DEATH NOTE』での小畑健の絵について「幻の漫画家・一ノ関圭のような自在さはない」との感想を述べ、竹熊健太郎は「美術をテーマにした漫画で納得行く漫画内絵画を描けていたのは、俺の知る範囲では一ノ関圭が筆頭」と語るなど、その画力の高さは現在でも伝説となっている。


西田藍: 漫画では吾妻ひでお、高橋葉介、高野文子などを好きな作家として挙げている。特に吾妻ひでおは熱狂的なファンでありキャラのコスプレをしてサイン会に行くほど。


高橋葉介: 作品は、基本的に猟奇要素の強い幻想怪奇漫画が多いが、「明朗怪奇」(吾妻ひでお)とも言われ、シニカルなブラックジョーク、コメディ、冒険活劇など多岐にわたる。


早坂未紀: 吾妻ひでおの「ハイパードール」では、同じ秋田書店の『マイアニメ』で読者投稿コーナーを担当していたことから、同コーナーで使用していた早坂えむの名義でたびたび登場している。


七尾奈留: 影響を受けた人物としては吾妻ひでお、石田敦子、まりお金田など。


山本直樹: 大学時代は、萩尾望都、大島弓子、山岸凉子、吾妻ひでお、大友克洋などの作品に親しむ。


忠津陽子: 大和と松久由宇とは同じ漫画研究会に所属しており、その友人の吾妻ひでおとも北海道時代からの顔見知りであった。


杉作J太郎: チョコレート・デリンジャー(2017年、原作:吾妻ひでお


悟東あすか: 小学生の頃より吾妻ひでおに師事し、さいとうちほ、竹本泉、ささやななえなどのアシスタントとなる。


秋田貞夫: 1970年代になり少年誌の『週刊少年チャンピオン』が『ドカベン』(水島新司)、『バビル2世』(横山光輝)、『魔太郎がくる!!』(藤子不二雄Ⓐ)、『ブラック・ジャック』(手塚治虫)、『あばしり一家』『キューティーハニー』(永井豪)、『番長惑星』(石ノ森章太郎)、『恐怖新聞』(つのだじろう)、『ふたりと5人』(吾妻ひでお)、『百億の昼と千億の夜』(原作:光瀬龍、漫画:萩尾望都)、『がきデカ』(山上たつひこ)、『月とスッポン』(柳沢きみお)、『青い空を、白い雲がかけてった』(あすなひろし)、『750ライダー』(石井いさみ)、『エコエコアザラク』(古賀新一)、『ゆうひが丘の総理大臣』(望月あきら)、『マカロニほうれん荘』(鴨川つばめ)などの大人気作品に後押しされ、『週刊少年ジャンプ』(集英社)と競い合う形で、1977年には200万部を突破してトップに立ち、また、少女誌の『月刊プリンセス』は『悪魔の花嫁』(原作:池田悦子、作画:あしべゆうほ)、『イブの息子たち』(青池保子)、『王家の紋章』(細川智栄子芙〜みん)、『アンジェリク』(原作 セルジュ・ゴロン&アン・ゴロン、作画 木原敏江)、『オリンポスのポロン』(吾妻ひでお)、『エロイカより愛をこめて』(青池保子)などの大人気作品に後押しされて1977年に80万部を突破し、『なかよし』(講談社)、『りぼん』(集英社)、『別冊マーガレット』(集英社)、『別冊少女フレンド』(講談社)に次いで少女漫画雑誌全体では5番目にランクインするなど幅広いジャンルで一時代を築きあげることに成功したのであった。


悟東あすか: 吾妻ひでお


米澤嘉博: また、黎明期のコミックマーケットで活動していた漫画家・吾妻ひでおのファンとして1980年代前半ごろまで活動を行い、阿島俊名義で「大日本吾妻漫画振興会」を主宰し、同人誌『吾妻ひでおに花束を』を出版。


小林聡美: ザ・素ちゃんズ・ワールド-"ひでおと素子の愛の交換日記"から(原作:新井素子,吾妻ひでお、1986年10月13日-10月24日) - 新井素子


山本夜羽音: 自身にとって特別な漫画家として、吾妻ひでお、山本直樹、よしもとよしとも、南Q太、村上もとかの名前を挙げており、自身の絵柄については松苗あけみ、柴田昌弘、ひかわきょうこといった漫画家たちの「華のある絵柄」を基礎に、森山塔(山本直樹)や南Q太らの「乾いた絵柄」が加わったものだと認識していた。


米澤嘉博: 漫画のキャラクターデザインは吾妻ひでおである。


松久由宇: ^ 吾妻ひでお『地を這う魚


松本さゆき: 同年10月29日、講談社主催「ミスiD2017」で選考委員個人賞吾妻ひでお賞を受賞。


米澤嘉博: 元来は吾妻ひでおを評論する際の名前であった)。


竹本泉: その作風を端的に表現したものとして「エロとグロのない吾妻ひでお」という評もある。


笹公人: 『笹公人の念力短歌トレーニング』(扶桑社、2008年)ISBN 4594056318 イラストレーション:杉木ヤスコ、帯文&帯イラスト:吾妻ひでお、デザイン:中川まり(SINN graphic)。


田中雅人: 1984年、白泉社刊『コミコミ吾妻ひでお増刊』所収「いっこちゃん最後の日」でデビュー。


大塚英志: 1992年、大塚英志は太田出版より「太田COMICS芸術漫画叢書」というレーベルを立ち上げ、吾妻ひでおの漫画『夜の魚』、『定本 不条理日記』の二冊を刊行した。特に『夜の魚』のあとがき漫画『夜を歩く』は、後の吾妻ひでおの代表作『失踪日記』第一話になり、吾妻ひでおは大塚英志にこの原稿を宅配便で送ったその足で『失踪日記』で描かれた2度目の失踪に入った。


悟東あすか: 中学時代から吾妻ひでおの仕事場に出入りして漫画の描き方を学んだ。


板井れんたろう: 吾妻ひでお


吾妻ひでおの情報まとめ

もしもしロボ

吾妻 ひでお(あずま ひでお)さんの誕生日は1950年2月6日です。北海道出身の漫画家のようです。

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ロリコンブームとの関連、スター・システムなどについてまとめました。事件、離婚、再婚、卒業、結婚、テレビ、家族、ドラマに関する情報もありますね。亡くなられているようです。

吾妻ひでおのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

吾妻 ひでお(あづま ひでお、本名:吾妻 日出夫(読み同じ)、1950年〈昭和25年〉2月6日 - 2019年〈令和元年〉10月13日)は、日本の漫画家。

北海道・十勝郡浦幌町宝町出身。血液型はO型。

1969年、『月刊まんが王』(秋田書店)12月号掲載の『リングサイド・クレイジー』(吾妻日出夫名義)でデビュー。『週刊少年チャンピオン』で連載した『ふたりと5人』(1972年 - 1976年)のヒットで地位を確立する。以後、『不条理日記』、『ななこSOS』などSF・ナンセンス色の強い作風で人気をえる。1979年、日本初のロリコン同人誌『シベール』に同人作家として作品を発表する。

1985年ごろから低迷期に入り、自殺未遂事件や失踪事件を起こし、アルコール依存症治療のため精神病院に入院する。2005年に同時期の体験を描いた『失踪日記』を出版し、日本漫画家協会賞大賞や文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、イタリア・グラン・グイニージ賞を受賞し、日本の漫画家の作品として初めてイグナッツ賞にノミネートした。

幼少期は野山を元気に駆け回っていたが、5歳の頃に両親が離婚。父は後に再婚し、父と義母に育てられる。実母と引き離されたトラウマで後年まで閉所恐怖症に苦しむ。十二指腸潰瘍で入退院を繰り返していた。中学時代まで浦幌町で過ごした。本人曰く「あまり学校行ってないんでちょっと馬鹿です」とのこと。

石ノ森章太郎の『マンガ家入門』に触発され漫画家を志す。北海道浦幌高等学校在学中、『COM』主宰のマンガ愛好団体であるぐらこん北海道支部に参加。当時のぐらこん北海道支部には大和和紀や忠津陽子がいた。

1968年に高校を卒業し、漫画家志望の仲間たちと共に上京して凸版印刷に就職するが、1か月で退職。板井れんたろうのアシスタントに採用され、仕事のかたわら『週刊少年サンデー』(小学館)や『まんが王』(秋田書店)の読者欄などに無記名のカットやコママンガを描く。

1969年、『まんが王』12月号付録「プロレスなんでも百科」に「リングサイド・クレイジー」を発表。これが漫画家としてのデビュー作である。

1970年、『まんが王』で連載を獲得し独立(『二日酔いダンディー』)。当時の作品は、軽いタッチのギャグ漫画にもかかわらず全体のノリは不条理で、ところどころにSFのエッセンスをちりばめ、アメリカン・ニューシネマの影響も感じさせるという作風であった。このころ、ページ内の1コマを1コママンガとして完結させるという試みを多く行っている。同年、『週刊少年サンデー』で、初の週刊誌連載となる『ざ・色っぷる』を連載するが、6回で連載終了。

1972年、『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)で、ハレンチコメディ路線で売ろうとした編集者の阿久津邦彦の熱心な介入のもとで『ふたりと5人』を連載し、大きな人気を得る。巨根が「ピカー」と光る東大生の先輩は読者に強烈な印象を残した。しかしこれは吾妻にとって不本意な作品であり、後年のインタビュー等で「あれは編集部主導のもので、あまり乗り気でなかった。出力20%程度で執筆していた。」「あーホント、描きなおしたいね、今からでも(笑)。」等の発言をしている。吾妻曰く。編集者は「ハダカ」(エロ)ばかり要求し、ギャグとSFには無関心だった。吾妻は自分本来の資質とのギャップに悩む。吾妻は連載終了を編集部に再三申し入れたが、人気がなくなるまで受け入れられなかった。

1973年に『プレイコミック』(秋田書店)、1974年には『月刊プリンセス』(同)で連載を開始、青年漫画誌や少女漫画誌へ活動の場を広げる。この時期には週刊連載・月刊連載含め月産130ページの原稿を執筆していた。

私生活では1973年に結婚し、1980年に長女、1983年に長男をもうけている。妻は『ふたりと5人』連載初期までと、失踪後の執筆再開後に吾妻のアシスタントをつとめており、『うつうつひでお日記』などでは「アシスタントA」として登場、「アシスタントB」は長女、「アシスタントC」は長男である。妻は漫画家夫人による4コマ漫画を掲載する「奥様漫画」という企画に4コマ漫画2本を寄稿、商業誌デビュー。吾妻作品に先駆けて長男を漫画デビューさせた。

1976年に『ふたりと5人』が連載終了。『プレイコミック』連載の『やけくそ天使』、『チャンピオン』連載の『みだれモコ』『チョッキン』などに不条理・SFテイストを復活させはじめる。

1978年には『月刊OUT』(みのり書房)で初の特集記事「吾妻ひでおのメロウな世界」が組まれ、同年に創刊した『Peke』(同)などの漫画マニア向け新興誌に執筆する機会が増える。同年12月『別冊奇想天外No.6 SFマンガ大全集Part2』(奇想天外社)に執筆した『不条理日記』はSF小説のパロディをふんだんに用い、翌1979年の第18回日本SF大会の星雲賞コミック部門を受賞した。同年には自販機本『劇画アリス』(アリス出版)に『不条理日記』の続編を連載して、「不条理漫画」というジャンルの開拓者とみなされている。1979年から不条理・SF系の作品を収録した単行本が続々と刊行され、1980年には『ぱふ』『リュウ』で特集が組まれる。1981年には『奇想天外』臨時増刊として『吾妻ひでお大全集』が発売されるなどブームは最高潮に達した。その半面、1979年末までに一般少年・少女誌での連載がすべて終了、執筆の場は青年誌とマニア誌へ完全に移行した。この時期、大友克洋、いしかわじゅんとともに、SFマンガのニューウェーブ御三家と呼ばれた。

また1979年から沖由佳雄、蛭児神建らとともに日本初のロリコン同人誌『シベール』(無気力プロ)をコミックマーケットで販売。1980年からは川本耕次の依頼で自販機本『少女アリス』(アリス出版)に「純文学シリーズ」と題してロリコン漫画を発表する。これを嚆矢として、コミックマーケットではロリコン同人誌が大人気となる。当時、メジャー誌出身の漫画家が同人誌やエロ本に描くことはきわめて異例であった。メジャー誌出身の漫画家がポルノ誌に進出したことは周囲に衝撃を与え、吾妻は商業誌・同人誌ともに1980年代のロリコンブームの立役者とみなされている。

1977年から1979年にかけて『月刊プリンセス』(秋田書店)に連載された『オリンポスのポロン』は1982年に『おちゃ女神物語 コロコロポロン』としてアニメ化され、テレビアニメ放映と並行してコミカライズ版が『100てんコミック』に連載された。また1980年から1985年にかけて『ポップコーン』及び『ジャストコミック』に連載された『ななこSOS』も1983年にフジテレビ系列でアニメ化され、これが商業的には最も成功した作品となった。

1983年4月、『SF大会本』(虎馬書房刊)に発表した「冷たい汗」は、それまでのアニメ絵とは違った劇画的な絵で、その年のSF大会の様子を描いている。自分のホームグランドにすら違和感を覚え、声をかけられただけでギクリとしてしまう疲れ果てた作者の姿が描かれている。

1984年、連作『夜の魚』『笑わない魚』を『少年少女SFマンガ競作大全集』(東京三世社)に発表。「冷たい汗」の絵とも異なる暗い絵で、自分の生活をシュールリアリスティックに描いている。

この時期の吾妻の生活は、脚色を加えた上で『失踪日記』として作品化されている。

1980年代半ばから約8年にわたる沈黙期に入る。その間に2度長い失踪をしている。吾妻は従来より鬱病または躁鬱の傾向があったが、1990年代後半にはアルコール依存症となり入院している。

1990年代後半に再び漫画作品を発表し始める。ある出版社に持ち込みをしたとき、若い編集者は吾妻ひでおフォロワーの無名のマンガ家と思い、失礼な対応をしたという。

1989年11月 - 1990年2月。一日中酒を飲んでは寝るという生活を繰り返しているうちにうつが重くなり、山で首つり自殺をしようとしたが失敗。そのまま埼玉県入間市の雑木林でホームレス生活を始める。初めは食糧にも困っていたが、やがて毎日大量の廃棄の食物が捨てられるスーパーのゴミ捨て場を知り、失踪前より太るほどの食事にありつけることとなった。深夜に駅前でシケモクを拾っていたとき、警官に発見・保護された。

1992年4月 - 1992年8月ごろ、大塚英志に『夜の魚』(太田出版)のあとがき『夜を歩く』(『失踪日記』の最初のエピソード)を宅配便で送ったその足で再び失踪する(西東京市東伏見または小金井公園近辺において)。同年8月ごろ、アル中の上森さん(仮称)にスカウトされて東京ガスの孫受け会社で配管工として働きはじめる。肉体労働をしていると芸術活動がしたくなり、社内報に四コマ漫画を投稿し採用された。しかし仮名の「東」がメジャー誌で連載していたことがある漫画家だとは誰にも気付かれなかったという。当時の東京ガスの広報誌では、「東英夫」という仮名で、本人のイラストと共に「雑誌や広告のさし絵など20年近くも描いてきたという」と紹介されている。

翌年春、「上森さん」に譲られ乗っていた自転車が盗難車(譲られた時に上森さんに防犯登録のシールを削るように唆されたが、吾妻はその時酒に酔っていたため判断が付かず従ってしまった)だったため、警察の職務質問を受けた際に逮捕され、家族に連絡される。その後も半年間配管工の仕事を続けている。

1980年代半ばから盛んに飲酒し、「アル中」と自称していたが、吾妻の場合は2回の失踪を挟んだこともあって、一般的なアルコール依存症患者よりも症状の進行が遅かった。しかし1997年の暮れには手に震えが来るようになっており、1998年春までには重症のアルコール依存症、すなわち眠っている時以外は酒が手離せなくなるという「連続飲酒」状態になっていた。その状態が半年続き、しだいに奇行が多くなりまた自殺未遂なども行う様になり、同年12月25日、家族によって三鷹市の某病院に強制入院させられる。入院中は患者による自治会の役員に選出され、女性入院患者1人と共にレクレーション係を担当した。退院間際に自作の鉛筆デッサン画を中野ブロードウェイのまんだらけに買取に出した際はその買取金額の安さに「俺も落ちる所まで落ちたって感じ?」と逆にすがすがしい気分になったという。1999年春、3か月の治療プログラムを終了して退院。以後、断酒を続けた。

2005年3月、『失踪日記』を出版。1度目の失踪を描いた「夜を歩く」、2度目の失踪を描いた「街を歩く」、アルコール依存と治療の時期を描いた「アル中病棟」を収録している。出版とともに各メディアで話題となり、第34回日本漫画家協会賞大賞、第9回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、第10回手塚治虫文化賞マンガ大賞、第37回日本SF大会で星雲賞ノンフィクション部門を受賞した。なお、「漫画三賞」といわれる、日本漫画家協会賞大賞、文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、手塚治虫文化賞マンガ大賞を3賞とも受賞したのは、2007年時点で吾妻だけであった。

テーマの暗さにもかかわらずあっけらかんと描かれているが、吾妻は「自分を第三者の視点で見るのは、お笑いの基本ですからね」と片づけている。

『失踪日記』出版当時のインタビュー(『芸術新潮』2005年5月号)などで「仕事は来ないし、限界だし、自分を苦しめるだけなので、ギャグ漫画をやめる」と宣言、公式サイトには「今後は暗い漫画を描くつもり」と書いた。しかしその後も、雑誌連載、単行本のあとがき、公式サイトなどでギャグ要素の強い作品を発表し続けており、結局のところ、やめようとしてもやめられないとのことであるが、植田まさしのようなホームドラマを描いていきたいともしている。

2011年には明治大学博物館で展覧会が、2013年には西武百貨店池袋本店の西武ギャラリーで原画展が開かれた。

2012年、KAWADE夢ムック(編集:穴沢優子)で刊行された『吾妻ひでお〈総特集〉―美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』(河出書房新社)が、第43回日本SF大会で星雲賞ノンフィクション部門を受賞した。

2013年10月、アルコール依存症の入院経験を作品化した『失踪日記2 アル中病棟』を刊行。

2017年3月、食道癌が判明し、入院闘病中であることを、自らのツイッターで明かす。同年5月、手術を終え退院し、自宅療養中であると公表。食道を切除し胃を吊り上げる手術だった。

2019年10月13日、都内の病院で死去。69歳だった。

2019年11月30日、築地本願寺の第二伝道会館において「ファン葬」が行われ、長年にわたり吾妻と交友のあった人々が献花に訪れた。弔辞は萩尾望都などが務めた。

2020年、第40回日本SF大賞で功績賞を受賞。

ロリコンブームとの関連

吾妻ひでおが漫画界におけるロリコンブームの火付け役だったと主張する論客は、大塚英志をはじめ複数存在しており、吾妻が無視できない存在であることは間違いない。

エロ劇画誌の『劇画アリス』や自販機本の『少女アリス』(いずれもアリス出版刊)に作品を発表したことは、漫画の世界で表と裏の境界を低くする動きの始まりであり、また『少女アリス』に発表した「純文学シリーズ」は、後のロリコン漫画に直結する作品である。大塚英志は純文学シリーズを「最初の確信犯的な“ロリコンまんが”」と呼び、のちのロリコンまんがはこの再生産物にすぎないとまで述べている。

ちなみに、ロリコンブームの一躍を担った美少女コミック誌『レモンピープル』や『漫画ブリッコ』においては、吾妻とアシスタントたちが作った同人誌『シベール』の同人たちが多数起用されている(ただし『漫画ブリッコ』の編集者であった大塚英志は、単行本『夜の魚』に吾妻と『ブリッコ』では仕事依頼はしていないと記述している)。

純文学シリーズ

1979年冬には業界最大手の自販機本専門出版社・アリス出版の看板雑誌『少女アリス』の川本耕次編集長(三流劇画ブーム・ロリコンブームの仕掛け人)から吾妻のもとに「ロリコン(美少女)ものを描いてください。純文学みたいなやつ」という依頼があり、商業誌初のロリコン漫画「純文学シリーズ」を1980年1月頃から1980年9月まで連載する(1981年7月に奇想天外社から『陽射し』として単行本化された)。

この連作は吾妻が得意とするギャグやSFを離れ、叙情的に描かれた美少女のエロティシズムを明確なテーマとしており、後のロリコン漫画〜美少女コミックに直結する最重要作品群とみなされている。大塚英志は著書において、

と評価している。

また大塚はメジャー少年誌で活動していた吾妻が突如としてアリス出版の自販機本にロリコン漫画を発表したことを「漫画の世界で表と裏の境界を低くする動きの始まりであった」と評価している。そのため大塚は吾妻のことを

「まんが界の中にあった少年週刊誌を頂点とするヒエラルキーを最初に崩した一人」

「ぼくが師事したみなもと太郎の時代には、少年誌出身のまんが家がエロ雑誌に書くことは凋落を意味したが、わずか数年の後の吾妻ひでおの時代にはむしろそれは快挙となる」

「メジャー少年まんが誌のまんが家が自販機本というエロ本の中でも最底辺であるメディアに現役のまま登場するというのはあり得ないことでした。もちろんこういった壁はばかげたものでしかありません。そして吾妻ひでおはこの壁を最初に乗り越え無化していったまんが家だったのです」

と日本の漫画史におけるエポックメイキングな存在として位置づけている。

なお大塚が言うように、メジャー少年誌・少女誌で活動するプロの漫画家が、同人誌のみならず「最底辺のエロメディア」と呼ばれた自販機本に成人向け漫画を発表することは前代未聞のことであった(吾妻によれば、古巣の秋田書店から警告を受けていたが無視したという。このような経緯から吾妻ひでおは商業誌・同人誌ともにロリコン漫画の開拓者とみなされている。

『純文学シリーズ』は、吾妻ひでおが1980年1月頃から1980年9月まで自販機本『少女アリス』(アリス出版)に連載した一連の成人向け漫画作品の通称。いわゆるロリコン漫画のルーツとされる記念碑的作品群であり、おおこしたかのぶは「ロリコン漫画を文学的表現にまで高めた作品」「それはペダンチックなロリコンファンの趣向に合致し、ロリコンであることの後ろめたさへの免罪符の役割を果たした」と評している。

発表の場が自販機本になったのは、吾妻が海外SF小説を元ネタにしたマニアックなパロディ漫画『どーでもいんなーすぺーす』を連載していたニューウェーブ漫画雑誌『Peke』(みのり書房)の担当編集者であった川本耕次が自販機本出版専門のアリス出版に移籍したからで、自販機本に発表することに何らかの意図や目的があった訳ではないが、当時はメジャー少年誌出身の漫画家が成人向けの自販機本に、それも写真・文芸中心の非漫画誌『少女アリス』に執筆することは、それだけで「事件」であった。連載はアリス出版の分裂にともなう川本の退職(同社から派生した群雄社に移籍)とともに打ち切りとなるが、翌年7月の『少女アリス』廃刊にともない、吾妻は全8頁からなる短編『海から来た機械』を終刊号に寄稿している。

単行本はアリス出版から発行されず、1981年7月に奇想天外社から『陽射し』のタイトルで表題作含む「純文学シリーズ」8作品のほか『マンガ奇想天外 SFマンガ大全集』No.4(1981年1月)に掲載された「帰り道」と描き下ろしのイラスト集「妄想画廊」を加えて、漫画単行本としては大変珍しいB5判ハードカバーの装幀で単行本化された。

その後、同年7月26日に紀伊國屋書店新宿本店で行われた『陽差し』の刊行記念サイン会には多数のファンが集まり、時間内でサインが終わらず、会場を倉庫に変えて夜まで続行する事態となった。

スター・システム

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)出典検索: "吾妻ひでお" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年3月)

吾妻ひでおは手塚治虫的なスター・システムを使ったことでも知られている。ただし、彼の使うスター的キャラクターは変態的、あるいは病的であり、それが特徴でもある。以下に代表的なものを挙げる。

なお、三蔵、不気味、ナハハは吾妻ひでおの三大変態キャラとも言われる。これが総出演したのが「ひでお童話集」の「3人の王子」で、そこではこの順に「上の王子は変態性欲、次の王子は変態の上に変な顔、下の王子はなんだかわからないもの」と称されている。

2024/06/19 20:45更新

azuma hideo


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東 秀紀(あずま ひでき、1951年3月27日 - )は、作家、建築・都市史家。東京都立大学特任教授。英国王立都市計画家協会正会員。一級建築士資格所有。2001年日本建築学会文化賞を受賞。日本文藝家協…

東 浩紀(あずま ひろき)
1971年5月9日生まれの有名人 東京出身

東 浩紀(あずま ひろき、1971年5月9日 -)は、日本の批評家、哲学者、作家。株式会社ゲンロン創業者。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。学位は博士(学術)(東京大学・1999年)。 在学中…

東 博樹(あずま ひろき)
1966年7月10日生まれの有名人 京都出身

東 博樹(あずま ひろき、1966年7月10日 - )は、日本の元サッカー選手。 1966年7月10日、京都府出身。同志社大学卒業後、1989年に日本サッカーリーグのクラブチーム、松下電器(後のガ…

吾妻 ひな子(あづま ひなこ)
1924年8月21日生まれの有名人 鳥取出身

吾妻 ひな子(あづま ひなこ、1924年8月21日 - 1980年3月8日)は、上方の漫才師、漫談家。かつての女道楽を「おんな放談」という形にアレンジし、一世を風靡した。本名、杉森(旧姓・米沢)芙美子…

吾妻 徳穂 〈初代〉(あづま とくほ)
1909年2月15日生まれの有名人 東京出身

2月15日生まれwiki情報なし(2024/06/20 20:43時点)

吾妻 秀謙(あづま ひでのり)
1966年2月23日生まれの有名人 埼玉出身

吾妻 秀謙(あづま ひでのり、1966年2月23日 - )は、ミヤギテレビの元アナウンサー、元報道制作局アナウンス部長。 埼玉県出身。早稲田大学を卒業後、1989年にミヤギテレビに入社する。 趣…

吾妻 光良(あづま みつよし)
1956年2月29日生まれの有名人 東京出身

Sucheduled by the Budet 期間限定オフィシャルHP 吾妻 光良 (vo., g.) 牧 裕 (acoustic b.) 岡地 曙裕 (ds.) 早崎 詩生 (pf.) 冨田 芳…

吾妻 謙(あづま けん)
1969年4月21日生まれの有名人 埼玉出身

4月21日生まれwiki情報なし(2024/06/20 10:26時点)

吾妻 織衣(あずま おりえ)
1992年8月1日生まれの有名人 京都出身

8月1日生まれwiki情報なし(2024/06/20 21:03時点)

吾妻 徳穂 〈2代目〉(あづま とくほ)
1957年11月7日生まれの有名人 東京出身

11月7日生まれwiki情報なし(2024/06/20 18:01時点)

東 弘明(あずま ひろあき)
1992年2月20日生まれの有名人 滋賀出身

東 弘明(あずま ひろあき、1992年2月20日 - )は、滋賀県近江八幡市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 八日市南高等学校から、四国アイランドリーグplu…

東 広樹(あずま ひろき)
1982年4月28日生まれの有名人 京都出身

東 広樹(あずま ひろき、1982年4月28日 - )は、京都府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 主にサイドバックでプレー。 京都パープルサンガユース、阪南大学を経て、2005年に四国サッ…

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