楠田浩之の情報(くすだひろし) 映画撮影技師 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
![もしもしロボ](../image/robo_message_s.png?)
楠田 浩之さんについて調べます
■名前・氏名 |
楠田浩之と関係のある人
楠田浩之の情報まとめ
![もしもしロボ](../image/robo_message_s.png)
楠田 浩之(くすだ ひろし)さんの誕生日は1918年4月14日です。東京出身の映画撮影技師のようです。
![もしもしロボ](../image/robo_message_s.png)
フィルモグラフィ、註などについてまとめました。現在、卒業、結婚、映画、テレビに関する情報もありますね。92歳で亡くなられているようです。
楠田浩之のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)楠田 浩之(くすだ ひろし、1916年4月14日 - 2008年9月13日)は、日本の撮影技師である。名の読み「ひろゆき」は誤りである。 1916年(大正5年)4月14日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。 旧制・京華中学校(現在の京華高等学校)を卒業する。1934年(昭和9年)、松竹蒲田撮影所に入社、撮影部に配属されて撮影助手となる。小原譲治、厚田雄春らに師事する。1936年(昭和11年)、撮影所が蒲田から新設の松竹大船撮影所に引越し、楠田も異動になる。 1943年(昭和18年)、技師に昇進し、木下恵介監督の第1作『花咲く港』で、木下とともに一本立ちする。また、翌1944年(昭和19年)に木下の妹の芳子(のちに脚本家として活動する)と結婚する。以降、1951年(昭和26年)の日本最初のカラーフィルムによる長篇劇映画『カルメン故郷に帰る』、『二十四の瞳』(1954年)、『野菊の如き君なりき』(1955年)など、キャリアのほとんどが木下作品で埋め尽くされる。 1959年(昭和34年)、木下恵介監督の『楢山節考』で芸術選奨を受賞する。 2008年(平成20年)9月13日、死去した。満92歳没。 息子にテレビプロデューサー、演出家の楠田泰之がいる。 フィルモグラフィ特筆以外はすべて松竹大船撮影所製作作品である。 『人生のお荷物』 : 監督五所平之助、撮影小原譲治、松竹蒲田撮影所、1935年 - 撮影助手 『朧夜の女』 : 監督五所平之助、撮影小原譲治、1936年 - 撮影補 『新道 前篇朱実の巻』 : 監督五所平之助、撮影小原譲治、1936年 - 撮影助手 『すみだ川』 : 監督井上金太郎、撮影厚田雄春、1942年 - 撮影補助 『花咲く港』 : 監督木下恵介、1943年 - 技師昇進第1作 『生きてゐる孫六』 : 監督木下恵介、1943年 『歓呼の町』 : 監督木下恵介、1944年 『大曾根家の朝』 : 監督木下恵介、1946年 『わが恋せし乙女』 : 監督木下恵介、1946年 『結婚』 : 監督木下恵介、1947年 『不死鳥』 : 監督木下恵介、1947年 『女』 : 監督木下恵介、1948年 『肖像』 : 監督木下恵介、1948年 『破戒』 : 監督木下恵介、松竹京都撮影所、1948年 『お嬢さん乾杯』 : 監督木下恵介、1949年 『新釈四谷怪談』 : 監督木下恵介、松竹京都撮影所、1949年 『破れ太鼓』 : 監督木下恵介、松竹京都撮影所、1949年 『婚約指環』 : 監督木下恵介、松竹大船撮影所・田中絹代プロダクション、1950年 『善魔』 : 監督木下恵介、1951年 『カルメン故郷に帰る』 : 監督木下恵介、1951年 『少年期』 : 監督木下恵介、1951年 『海の花火』 : 監督木下恵介、1951年 『カルメン純情す』 : 監督木下恵介、1952年 『日本の悲劇』 : 監督木下恵介、1953年 『女の園』 : 監督木下恵介、1954年 『二十四の瞳』 : 監督木下恵介、1954年 『ママ横むいてて』 : 監督堀内真直、1955年 『遠い雲』 : 監督木下恵介、1955年 『野菊の如き君なりき』 : 監督木下恵介、1955年 『子供の眼』 : 監督川頭義郎、1956年 『愛と智恵の輪』 : 監督川頭義郎、1956年 『夕やけ雲』 : 監督木下恵介、1956年 『涙』 : 監督川頭義郎、1956年 『壁あつき部屋』 : 監督小林正樹、新鋭プロダクション、1956年 『太陽とバラ』 : 監督木下恵介、1956年 『喜びも悲しみも幾歳月 第一部第二部』 : 監督木下恵介、1957年 『風前の灯』 : 監督木下恵介、1957年 『楢山節考』 : 監督木下恵介、1958年 『この天の虹』 : 監督木下恵介、1958年 『風花』 : 監督木下恵介、1959年 『惜春鳥』 : 監督木下恵介、1959年 『今日もまたかくてありなん』 : 監督木下恵介、1959年 『愛と希望の街』 : 監督大島渚、1959年 『春の夢』 : 監督木下恵介、1960年 『笛吹川』 : 監督木下恵介、1960年 『永遠の人』 : 監督木下恵介、1961年 『今年の恋』 : 監督木下恵介、1962年 『山河あり』 : 監督松山善三、1962年 『二人で歩いた幾春秋』 : 監督木下恵介、1962年 『歌え若人達』 : 監督木下恵介、1963年 『死闘の伝説』 : 監督木下恵介、1963年 『香華』 : 監督木下恵介、1964年 『なつかしき笛や太鼓』 : 監督木下恵介、東宝・宝塚映画・木下プロダクション、1967年 註^ 楠田浩之、『講談社 日本人名大辞典』、講談社、コトバンク、2010年2月26日閲覧。 ^ 楠田浩之、日本映画データベース、2010年2月26日閲覧。 2024/06/26 20:01更新
|
kusuda hiroshi
楠田浩之と同じ誕生日4月14日生まれ、同じ東京出身の人
TOPニュース
Hey! Say! JUMPの有岡大貴と松岡茉優が結婚を発表
NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に
King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表
平野紫耀、神宮寺勇太、岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。
元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕
楠田浩之と近い名前の人
話題のアホネイター
![楠田浩之](https://if2.info/geinou/logo/楠田浩之.gif)
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「楠田浩之」を素材として二次利用しています。