橋本武広の情報(はしもとたけひろ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
橋本 武広さんについて調べます
■名前・氏名 |
橋本武広と関係のある人
石井浩郎: チームメイトには住吉義則、橋本武広らがいた。 吉田篤史: 2003年4月、橋本武広との交換トレードで阪神タイガースへ移籍。 鷹野史寿: 初盗塁:2000年9月2日、対西武ライオンズ25回戦(西武ドーム)、7回表に二盗(投手:橋本武広、捕手:伊東勤) 大沢紀三男: 東農大時代の教え子には橋本武広がいる。 清川栄治: 438試合連続救援登板:1997年4月16日、対福岡ダイエーホークス2回戦(大阪ドーム)、7回表二死に2番手で救援登板、浜名千広に右中間に3点適時二塁打を浴び降板・1失点 ※プロ野球記録(当時、後に橋本武広・藤田宗一・五十嵐亮太・宮西尚生が更新) 住吉義則: 左腕エース橋本武広らを擁し1989年の都市対抗野球に出場。 水尾嘉孝: 1997年以降は中継ぎ投手として活躍し、同年は橋本武広(西武ライオンズ)とともにセ・パ両リーグ最多となる68試合に登板して1勝2敗2セーブ・防御率2.26の成績を残し、シーズンオフには年俸が2,200万円と大幅に増額された。 メルビン=ニエベス: 7月9日の対西武ライオンズ16回戦(札幌市円山球場)、この日も序盤で見逃し三振を喫したニエベスは、7回無死満塁のチャンスで初球のストライクを見逃した直後に代打・松中(その後、西武側が左腕の橋本武広を投入したため、代打の代打で大道典良が起用された)を送られたことに激怒し、試合途中で宿舎に帰ってしまう。 村田勝喜: 1993年オフ、秋山幸二・渡辺智男・内山智之3選手との交換トレードで、佐々木誠・橋本武広両選手と共に西武ライオンズに移籍した。 秋山幸二: 同年シーズンオフ渡辺智男、内山智之と共に、ダイエーの佐々木誠、村田勝喜、橋本武広との3対3の大型トレードが発表されダイエーに移籍した。 佐竹学: 1999年8月7日の西武ライオンズ戦では11回裏に橋本武広からサヨナラヒットを放った。 新谷博: 西崎幸広や橋本武広と並ぶ投手陣の最年長として迎えた1998年は、キャンプで早めの調整を進めたものの、シーズン当初は中継ぎとして起用され防御率も10点を超えていた。 森祇晶: 家庭的事情から新天地で気分一新してプレーさせるのが一番だと考えていた、ダイエーの本拠地に近い熊本県出身の秋山幸二を交換要員として交渉し、11月20日にダイエーとの間で秋山・渡辺智男・内山智之と佐々木・橋本武広・村田勝喜の3対3のトレードを成立させた。 渡辺智男: オフに佐々木誠、村田勝喜、橋本武広3選手との大型交換トレードで秋山幸二、内山智之両選手とともにダイエーに移籍した。 根本陸夫: シーズン終了後は秋山幸二・渡辺智男・内山智之と佐々木誠・村田勝喜・橋本武広の交換トレード「世紀のトレード」を敢行。 吉永幸一郎: 7月17日の西武ライオンズ戦では橋本武広からサヨナラ本塁打を放った。 内山智之: 1993年のシーズン終了後に、佐々木誠・村田勝喜・橋本武広との交換トレードで秋山幸二・渡辺智男両選手と共に福岡ダイエーホークスに移籍。 石山建一: 1985年から1994年までは監督を務め、1989年の第60回都市対抗野球大会では橋本武広・石井浩郎らを擁して初優勝した。 杉山賢人: 1997年は2年ぶりに勝ち星を挙げたがデニー友利、橋本武広、森慎二らが躍進する中、従来の活躍が出来なかったが、日本シリーズでは第2戦から3試合続けて登板し、全て無失点で切り抜けている。 |
橋本武広の情報まとめ
橋本 武広(はしもと たけひろ)さんの誕生日は1964年9月18日です。青森出身の野球選手のようです。
卒業、引退、テレビに関する情報もありますね。今年の情報もありました。橋本武広の現在の年齢は60歳のようです。
橋本武広のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 橋本 武広(はしもと たけひろ、1964年9月18日 - )は、青森県上北郡七戸町出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 七戸高時代は甲子園出場こそないものの、その非凡なセンスは青森県内で知れ渡っていた。3年次の1982年、春季東北大会県予選準々決勝では八戸西高を相手に延長10回まで無走者無失点、延長18回まで零封(0-0で再試合の末に敗退)という記録を作った。同年県大会はノーヒットノーランも達成して準決勝に進むが、木造高に敗退。 高校卒業後は、1983年に東京農業大学へ進学。東都大学リーグでは長く二部に低迷していたが、4年次の1986年春季で二部優勝、入替戦で日大を降し一部昇格に貢献。秋は関清和に2戦連続で投げ勝って2勝5敗、防御率1.95の成績を残すも最下位となって入替戦で敗れて引退。 大学卒業後は、1987年にプリンスホテルへ入社。同期に石井丈裕がいた。当初はレベルの高さに驚いてキャンプ中に大学卒業式で帰京時には地元に戻ってしまったが、石山建一監督に説得された。 1989年の都市対抗に出場しリリーフとして活躍。大昭和製紙北海道との決勝でも抑えとして起用され、チーム初優勝に大きく寄与した。この時のチームメートに石井浩郎、住吉義則がいた。 同年のドラフト3位で福岡ダイエーホークスに入団し、即戦力の先発投手として期待されたが、スタミナに課題があり中盤に打ち込まれ負けるケースが多く(ダイエー時代の勝敗は全て先発によるものだった)、3年目以降はアマチュア時代慣れ親しんだリリーフになったがこれといった実績を残せず、1993年オフに秋山幸二・渡辺智男・内山智之との交換トレードで佐々木誠・村田勝喜と共に西武ライオンズに移籍。 1994年、10月7日の対ダイエー戦(西武球場)で9回表に4番手で救援登板し、1回無失点で移籍後初セーブを挙げた。 1995年から主にワンポイントリリーフで7年連続50試合以上登板を果たした。同年4月11日の対千葉ロッテマリーンズ戦(西武球場)では4-4の同点の場面で9回二死に2番手で救援登板し、1/3回無失点に抑え、同回裏にサヨナラ勝ちしたため、移籍後2年目で初の勝利投手となった。この頃、東尾修監督は地味な中継ぎ役を黙々とこなす橋本を高く評価。 1997年にはリーグ優勝が確定的になった際「胴上げ投手は是非橋本に」と提案した。しかしこの年西武はサヨナラ勝ちでリーグ優勝を決め(勝利投手は森慎二)、また日本シリーズはヤクルトスワローズに敗れてしまい、橋本は胴上げ投手になれなかった。 1998年、9月8日の対オリックス・ブルーウェーブ戦(グリーンスタジアム神戸)で2-2の同点で迎えた9回途中から4番手で救援登板し、延長12回まで無失点に抑えた。延長12回無死の場面ではパ・リーグの投手として6年ぶりに打席に立つが、結果は木田優夫から三振に倒れた。同年にはリーグ連覇を達成し、優勝決定試合において橋本は9回から登板し、1回を無失点に抑え胴上げ投手になった。 2001年、5月5日の対日本ハムファイターズ戦(東京ドーム)で9回裏に2番手で救援登板、439試合連続救援登板し、438試合連続救援登板した清川栄治の記録を超えた。 2002年、監督が東尾から伊原春樹に代わったことにより起用順位が変わり、自身も不振から打ち込まれてしまい、5月27日にトム・エバンスとの交換トレードで阪神タイガースに移籍。9月22日の対広島東洋カープ戦(阪神甲子園球場)で9回表に4番手で救援登板し、1回無失点で移籍後初勝利を挙げたが、移籍先でも打ち込まれわずか15試合に終る。 2003年、4月22日には吉田篤史との交換トレードでロッテに移籍したが、衰えは隠せず成績不振もあり、同年10月13日に現役を引退。これで、橋本が続いていた連続試合救援登板記録は526試合でストップした。 引退後はJ SPORTS解説者の傍らで母校・東農大コーチを務め、2010年からは古巣・埼玉西武ライオンズに一軍投手コーチ(ブルペン担当)として復帰。 2011年からは二軍投手コーチを務めていた。 2013年10月17日に球団より翌年のコーチ契約を結ばないことが発表された。 2014年からはテレ朝チャンネル2、2015年からはフジテレビTWOの解説者として活動。 2020年からは三菱自動車岡崎硬式野球部のコーチに就任し、2023年まで務めた。 各年度の太字はリーグ最高 最多ホールド投手:1回 (1997年) 初登板・初先発登板:1990年4月30日、対日本ハムファイターズ6回戦、5回2/3を5失点で敗戦投手 初勝利・初先発勝利:1990年10月15日、対近鉄バファローズ26回戦、7回2/3を5安打1失点 初セーブ:1992年4月29日、対オリックス・ブルーウェーブ5回戦(グリーンスタジアム神戸)、10回裏一死に3番手で救援登板・完了、2/3回無失点 初打席:1998年9月8日、対オリックス・ブルーウェーブ19回戦(グリーンスタジアム神戸)、12回表に木田優夫から三振 500試合登板:2001年7月30日、対福岡ダイエーホークス16回戦(西武ドーム)、11回表一死に2番手で救援登板、1/3回無失点 ※史上70人目 オールスターゲーム出場:1回(2001年) 526試合連続救援登板(2008年4月25日に藤田宗一が記録更新) 16(1990年 - 1993年) 34(1994年 - 2002年途中、2003年 - 同年途中) 59(2002年途中 - 同年終了) 13(2003年途中 - 同年終了) 77(2010年 - 2013年) ^ 延長11回裏で捕手の中嶋聡がベースカバーに入る途中に足を負傷し、一塁手の髙木大成が捕手に、指名打者のドミンゴ・マルティネスが一塁手に回ったことで、西武の指名打者が解除されたため、橋本は8番・投手で延長12回の打席に立つこととなった。 ^ ベースボールマガジン2019年12月号 社会人野球大百科「石山建一の社会人野球革命」ベースボールマガジン社 ^ 「西武 ダイエー 3対3 大型トレード」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1993年(平成5年)11月17日付朝刊、21面(スポーツ面)。 ^ 『読売新聞』(縮刷・関東版) 1994年(平成6年)10月8日付朝刊、23面(スポーツ面)、西武対ダイエー25回戦の試合結果より。 ^ 『読売新聞』(縮刷・関東版) 1995年(平成7年)4月12日付朝刊、20面(スポーツ面)、西武対ロッテ1回戦の試合結果より。 ^ 「高木大久々マスク 橋本が気力の快投」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1998年(平成10年)9月9日付朝刊、17面(スポーツ面)。 ^ 「打席に投手6年ぶり」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1998年(平成10年)9月9日付朝刊、17面(スポーツ面)。 ^ 「西武・橋本武広投手が連続リリーフ登板プロ野球新記録」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2001年(平成13年)5月6日付朝刊、26面(スポーツ面)。 ^ 「阪神・エバンスと西武・橋本トレード」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2002年(平成14年)5月25日付朝刊、29面(スポーツ面)。 ^ 『読売新聞』(縮刷・関東版) 2002年(平成14年)9月23日付朝刊、25面(スポーツ面)、阪神対広島27回戦の試合結果より。 ^ 「橋本と吉田がトレード」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2003年(平成15年)4月23日付朝刊、16面(スポーツ面)。 ^ 「橋本武が引退」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2003年(平成15年)10月14日付夕刊、3面。 ^ 「流浪の左腕・藤田宗一が連続試合救援の新記録【2008年4月25日】」『週刊ベースボールONLINE』2018年4月25日。2024年6月29日閲覧。 ^ 「埼玉西武ライオンズコーチ来季契約について」『埼玉西武ライオンズ』2013年10月17日。2023年9月12日閲覧。 ^ 「イチロー4年連続首位打者 パ・リーグ全日程終了 最多勝は西口、小池」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1997年(平成9年)10月13日付夕刊、11面。 ^ 「ルーキー対決 酒井投げ勝つ ハム3連勝」『北海道新聞』(縮刷版) 1990年(平成2年)5月1日付朝刊、13面(スポーツ面)。 ^ 「ダイエー橋本武 初勝利」『北海道新聞』(縮刷版) 1990年(平成2年)10月16日付朝刊、17面(スポーツ面)。 ^ 「ダイエー連敗脱出 橋本、プロ入り初セーブ」『北海道新聞』(縮刷版) 1992年(平成4年)4月30日付朝刊、12面(スポーツ面)。 ^ 「西武・橋本が500試合登板」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2001年(平成13年)7月31日付朝刊、27面(スポーツ面)。 J SPORTS STADIUM(2004年 - 2009年) プロ野球完全中継 全力!ライオンズ(2014年 - ) 個人年度別成績 橋本武広 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan) 表 話 編 歴 1996 島崎毅 1997 橋本武広 1998 吉田修司 1999 藤井将雄 2000 藤田宗一 2001 吉田修司 2002 森慎二 2003 森慎二 2004 建山義紀 2005 菊地原毅 2006 武田久 2007 薮田安彦 2008 川﨑雄介 2009 攝津正 2010 B.ファルケンボーグ, 攝津正 2011 平野佳寿 2012 増井浩俊 2013 佐藤達也 2014 佐藤達也 2015 増田達至 2016 宮西尚生 2017 岩嵜翔 2018 宮西尚生 2019 宮西尚生 2020 L.モイネロ 2021 堀瑞輝 2022 平良海馬, 水上由伸 2023 L.ペルドモ 2024 河野竜生 表 話 編 歴 1位:元木大介(入団拒否) 2位:金沢健一 3位:橋本武広 4位:西俊児 5位:馬場敏史 6位:田代広之 日本の野球選手 東京農業大学硬式野球部の選手 プリンスホテル硬式野球部の選手 福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手 埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手 阪神タイガース及びその前身球団の選手 千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手 最優秀中継ぎ投手 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 野球解説者 日本の野球指導者 青森県出身のスポーツ選手 1964年生 存命人物 Pages using the JsonConfig extension 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/24 15:44更新
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