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福盛和男の情報 (ふくもりかずお)
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【6月29日】今日誕生日の芸能人・有名人

福盛和男の情報(ふくもりかずお) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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福盛 和男さんについて調べます

■名前・氏名
福盛 和男
(読み:ふくもり かずお)
■職業
野球選手
■福盛和男の誕生日・生年月日
1976年8月4日 (年齢47歳)
辰年(たつ年)、獅子座(しし座)
■出身地・都道府県
宮崎出身

(昭和51年)1976年生まれの人の年齢早見表

福盛和男と同じ1976年生まれの有名人・芸能人

福盛和男と同じ8月4日生まれの有名人・芸能人

福盛和男と同じ出身地宮崎県生まれの有名人・芸能人


福盛和男と関係のある人

小倉恒: 2006年は開幕当時に抑えとして期待された小山伸一郎が不振であったため、代わって抑えを任されたものの結果は芳しくなく抑え投手の座は福盛和男に明け渡し中継ぎ投手に回った。


門倉健: 同年のシーズンオフ(10月17日)には福盛和男・矢野英司との2対2の交換トレードで宇高伸次と共に横浜ベイスターズへ移籍することが発表された。


森中聖雄: 2000年5月25日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(福岡ドーム)では0対0で迎えた9回裏の二死一・二塁のピンチで3番手投手として登板し高橋由伸を初球で一塁ゴロに打ち取ると、延長10回表に佐伯貴弘が岡島秀樹から左前に適時打を放ち、10回裏に登板した抑え・福盛和男がリードを守りきったことで同シーズン初勝利を「1球勝利投手」(当時プロ野球史上10人目)の記録で飾った。


野村克也: 後半戦開始間もなく福盛和男が離脱するものの小山伸一郎をリリーフエースとして起用、一場と岩隈が一軍に復帰したこともあり先発ローテーションを再編、それまで主に先発だった山村宏樹、有銘兼久、永井らをリリーフに転向させた。


草野大輔: 1994年夏の選手権宮崎大会では、後に楽天でチームメイトになる福盛和男擁する都城高校を決勝で下し、第76回全国高等学校野球選手権大会に出場した。


白崎浩之: 応援歌は横浜DeNA時代は福盛和男のCD版、オリックス時代は古木克明など移籍選手複数に使われた曲の流用。


三橋加奈子: 横浜ベイスターズの福盛和男のファンであったこともあり、球団のイメージソングを唄っていた『CoCo』に憧れていた。


ドミンゴ=グスマン: 福盛和男の移籍や小山伸一郎の出遅れなどから抑えに転向。


松崎伸吾: 当時のチームメイトでコンペに参加していた福盛和男が自身のブログで明かしたところによれば、「ドライバーでもアイアンでも飛距離が同じで、松崎が使って最も飛ばせたクラブがパターだった」とされる。


武藤孝司: 肩が完治した2003年も一軍出場はなく、当時機動力をもつ選手の不足に悩んでいた横浜とのトレード(門倉健、宇高伸次⇔福盛和男、矢野英司)の追加要員の可能性が出たが結局移籍せずシーズンオフには戦力外通告を受け、その後スカウトへの転身が発表された。


鈴木郁洋: 初安打:1998年10月11日、対横浜ベイスターズ28回戦(横浜スタジアム)、3回表に福盛和男から中堅へ二塁打


田中将大: これにより、田中は楽天から3人目のメジャー移籍選手(1人目は福盛和男、2人目は岩隈久志)となったが、楽天生え抜き選手だけなら田中が最初の選手となった。


中村武志: 1999年、4月6日の対横浜ベイスターズ戦では、6回一死満塁の打席で川村丈夫から、6月12日の対横浜戦では2回一死満塁の打席で福盛和男からそれぞれ満塁本塁打を放った。


青山浩二: 5月19日の昇格後は抑えを務めるが、7月からは日本球界に復帰した福盛和男が守護神で固定された。


小田幸平: 初安打:1999年4月9日、対横浜ベイスターズ1回戦(横浜スタジアム)、5回表に福盛和男から中前安打


細見和史: ベースボール・マガジン社が2003年に発行したプロ野球選手名鑑では、福盛和男の欄に細見の顔写真が間違って掲載されるミスが発生した。


後藤光尊: 2010年は、新監督の岡田彰布にシーズン前から3番を任命され、開幕2戦目の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では9回裏一死で福盛和男から同点本塁打を放ったが、3・4月は月間打率.265だった。


米正秀: ドラフト同期には福盛和男(3位)・多村仁(4位)・相川亮二(5位)がいる。


トニー=タラスコ: 初安打:同上、8回表に福盛和男から右前安打


藤井彰人: 2007年、福盛和男と並んで選手会の副会長に就任。


辻恭彦: 横浜時代に育成指導した選手には、万永・波留のほか、米正秀・紀田彰一・多村仁志・福盛和男・相川亮二らがおり、その後一軍で長く活躍した選手が多かった。


川岸強: 2010年は福盛和男、フアン・モリーヨの不調もあって、開幕から2年連続抑え投手に指名される。


山本由伸: 都城高校からのNPB入りは、1994年のドラフト会議での指名を経て横浜ベイスターズと契約した福盛和男以来22年ぶりだった。


徳元敏: その後はベテランの吉田豊彦が不調で二軍落ち、後半には抑えの福盛和男、ベテランの小倉恒が2度の二軍落ちするなどリリーフ陣に陰りが見えても1軍に昇格できず、僅か2試合の登板に終わり10月2日に球団から戦力外通告を受けた。


青山浩二: 2006年に福盛和男が挙げた21セーブを超える22セーブを挙げて球団記録を更新した。


石井義人: 8月27日、西口文也が9回まで無安打無四球を続けたものの、味方も無得点だったために延長へ突入し、10回表に安打を打たれて完全試合を逃した試合で、10回裏に福盛和男からサヨナラ適時打を放って西口に白星をつけた。


矢野英司: 2004年、門倉健・宇高伸次との交換トレードで福盛和男と共に大阪近鉄バファローズへ移籍。


木谷寿巳: ダブルプレーで試合が終了してしまうことで最後に登板予定だった福盛和男が登板できない可能性が出たとき、ダブルプレーが起き得ないようにわざとボークを取られる一幕を見せた。


福元英恵: 夫は横浜などで活躍した元プロ野球選手の福盛和男


小山伸一郎: 2007年は開幕から二軍生活が続いたが、7月25日、チームのストッパーである福盛和男が右肘の手術を受けるために7月24日を最後に戦線離脱したことを受け、翌日の西武戦に登板して念願のプロ初セーブを記録。


福盛和男の情報まとめ

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福盛 和男(ふくもり かずお)さんの誕生日は1976年8月4日です。宮崎出身の野球選手のようです。

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選手としての特徴・人物、詳細情報などについてまとめました。テレビ、結婚、現在、引退に関する情報もありますね。去年の情報もありました。福盛和男の現在の年齢は47歳のようです。

福盛和男のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

福盛 和男(ふくもり かずお、1976年8月4日 - )は、宮崎県北諸県郡高崎町(現:都城市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。妻は元フジテレビアナウンサーの福元英恵。息子は創成館エースとして甲子園に出場した福盛大和である。

小学4年生のときに野球を始める。巨人のキャンプ地である宮崎県出身のため、子供の頃から巨人ファンだった。 都城高等学校時代は全国大会に縁がなく、宮崎大会は3年連続で決勝戦で敗退したが(3年時の対戦相手は草野大輔を擁する延岡学園高校)、この年のドラフトでは九州ナンバーワン右腕と評価されていた。

1994年のドラフト会議で横浜ベイスターズから3位指名を受け、入団。当時横浜の監督だった近藤昭仁は1位の紀田彰一を競合で獲得できなかった場合、福盛を1位指名する予定でいた。

1995年は高卒新人ながらシーズン終了間近に一軍に昇格し、10月3日の対ヤクルトスワローズ戦でプロ初登板。10月7日対中日ドラゴンズ26回戦でプロ初先発マウンドに立った。しかし翌年は一軍では中継ぎ登板1試合に終わる。

1997年はチーム方針変更で実績よりその時好調な選手を起用することになり6月26日に通算2度目の先発マウンドに上がる。7月3日の中日ドラゴンズ戦でプロ初勝利を記録。その後も先発ローテーション投手としてチームの2位躍進に貢献した。

1998年は4月1日に右肘遊離軟骨の除去手術を受けた影響でシーズンの大半を棒に振ったが優勝間近に迫った9月に復帰して3試合に登板。チームはリーグ優勝し、西武との日本シリーズでもマウンドに上がった。

1999年は開幕当初は中継ぎであったが4月にリリーフで3勝を挙げる。5月から先発に回り、規定投球回には届かなかったが自己最多の9勝を記録した。

2000年はメジャー移籍した佐々木主浩の後釜として期待されたラファエル・ベタンコートが抑えに定着できなかったことから、前半戦の抑えを務めるも首脳陣の信頼を得るに至らず、後半戦からルーキーの木塚敦志にその座を奪われ8月からは先発として登板すると8月こそ勝ち星は得れなかったが9月10月で4勝1敗の成績を記録した。

2001年には登録名を「和男」から「福盛 一夫」へ変更。開幕ローテーションに加わったがわずか1か月で故障で離脱し、そのままシーズンを終えてしまい1勝に終わる。

2002年は、先発中継ぎ抑えと満遍なく登板したが便利屋的な立場だった。

2003年は登録名を「和男」へ戻す。自己最高の62試合に登板したが防御率は一軍定着後ワーストだった。オフに門倉健・宇高伸次との交換トレードで矢野英司と大阪近鉄バファローズへ移籍。

2004年1月にフジテレビアナウンサー(当時)の福元英恵と結婚(2005年6月には長男の大和が誕生している)。開幕当初抑えとして期待されたヘクター・カラスコが絶不調だったことからシーズン途中から抑え投手に指名されるが不安定で完全には定着できず、43試合で10セーブを挙げながらも防御率は5点台だった。オフに球団合併による選手分配ドラフトで近鉄から新規参入の東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。

2005年は初代クローザーに任命され4月13日の対福岡ソフトバンクホークス戦で球団初のセーブを記録し、その後もチームが大きく低迷する中で49試合に登板し、11セーブを記録した。

2006年も開幕当初は中継ぎだったが開幕時に抑えを務めた小山伸一郎が不調に陥り、代わってシーズン途中から抑えに回る。前半は26回連続無失点を記録するなど好調でオールスターゲームに初出場した。しかし後半に調子を落としセーブ失敗が続いたため中継ぎへ再転向した。徐々に調子が上向き9月22日西武戦で8回・9回を無失点に抑え久々のセーブを記録し、その後も2試合連続のリリーフ成功で見事に復活した。最終的にプロ入りでは2番目に多い50試合に登板して3敗10ホールド21セーブ・防御率2.17とキャリア最高成績を残した。オフにシーズン中から扁桃炎に悩まされていたため扁桃除去手術を受けている。

2007年は開幕から抑え投手として4・5月期のチームの好調を支えたが、6月に入り不安定な投球が続き交流戦ではリリーフ失敗が相次いだ。それでもオールスターゲームに選出され、本拠地・フルキャストスタジアム宮城での第2戦の9回に登板する予定だったが雨のため8回コールドとなり、投手陣では唯一登板なしに終わった。7月24日の西武ライオンズ戦で抑えに失敗するとその後遊離軟骨の除去手術とリハビリのためにまもなくチームを離脱した。これ以降は一度も昇格できず、34試合の登板に留まり4勝2敗17セーブでありながら防御率は4点台後半と安定感を欠いたシーズンとなった。この年「ベストファーザーin東北 スポーツ部門」受賞。なお、チームを離脱していたころから翌年の海外移籍も視野に入れていたことからアラン・ニーロを代理人として11月7日にFA権を行使。

12月13日にテキサス・レンジャーズと2年400万ドルの契約を結び、翌日本拠地レンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリントンで入団会見が行われた。福盛が楽天球団最初のメジャーリーグ移籍選手となった。

2008年3月31日の対シアトル・マリナーズ戦でメジャーデビューを果たすが1/3回2安打2四球3失点という成績に終わり、4月13日にマイナーへ降格した。再びメジャーに昇格するものの1試合登板して再びマイナーへ降格、5月11日にメジャー契約を解除された。マイナーでも1勝6敗2S防御率5.48で10月に椎間板ヘルニアの手術を受けた。

2009年は故障者リスト入りしたままマイナーでキャンプを迎え、6月に福盛自身が日本でのプレーを希望したため解雇された。MLB通算4試合登板 0勝0敗 防御率20.25。

2009年6月19日に古巣・楽天の入団テストを受け、合格。球団側の慰留を断ってメジャーリーグに挑戦したことから、監督の野村克也は福盛の獲得には消極的だったが、福盛が野村の宿泊するホテルに出向いて入団を直談判した。年俸は440万円であり、これは野球協約が定める参稼報酬の最低額でもあった。6月後半からの戦列復帰になったがクローザーとして、7勝1敗10S 防御率2.18の成績を挙げチームの2位躍進に貢献し、特にレギュラーシーズンに於けるセーブ失敗は僅か1回(その試合も最後まで投げて勝利投手になった)で、7勝のうち6勝は同点かビハインドの場面で登板し味方が勝ち越して白星が付いている(唯一の敗戦は同点時での登板)。しかし10月21日のクライマックスシリーズ第2ステージ北海道日本ハムファイターズとの初戦では、楽天が4点リードした9回裏に登板するがターメル・スレッジの逆転サヨナラ満塁本塁打も含め1/3回5失点と打ち込まれ責務を果たせなかった。それでもシーズン中の活躍を認められ年俸は実に4560万円アップの5000万円となった。アップ率は約1036%増となり、1995年のイチロー(当時オリックス・ブルーウェーブ)の900%増を抜いて史上最高のアップ率となった。これは2023年12月現在でも1位の記録である。

2010年は開幕から不調で2戦連続救援に失敗し3月28日に右肘違和感を訴え登録抹消。5月に右肘の手術を受けたが経過が思わしくなく、9月に現役引退を表明した。引退後はプロ野球界から身を引き都内で会社を経営する叔父の下で経営者の道を歩んでいる。

引退後はしばらく叔父の経営する携帯電話の販売・修理会社で、取締役を務め、2011年にはマスターズ甲子園2011に都城高校OBチームで出場した。県予選決勝では本塁打を放つ活躍もみせた、その後、害虫駆除会社を経て宮崎に帰郷。2014年10月より2016年6月まで宮崎放送にてラジオ番組『福盛和男の目指せ!アスリート』を担当していた。2015年よりテレビ宮崎の報道スタッフとして勤務(契約社員扱い)。構成、記者、ディレクターもこなす報道リポーターとして活動する。

選手としての特徴・人物

自身の投球について「甘いところで(球を)動かすのが僕の持ち味」と語るように打者心理を読み、打ち気の状況で微妙に球を変化させるスタイルが特徴。変化球はシュートとフォークを武器としている。

端正な顔立ちのイケメン選手として知られる。

詳細情報

年度別投手成績

年度 球団 登板 先発 完投 完封 無四球 勝利 敗戦 セ丨ブ ホ丨ルド 勝率 打者 投球回 被安打 被本塁打 与四球 敬遠 与死球 奪三振 暴投 ボ丨ク 失点 自責点 防御率 WHIP
1995 横浜 2 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 23 5.0 5 0 3 0 0 4 0 0 0 0 0.00 1.60
1996 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 4 1.0 2 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00 2.00
1997 25 10 0 0 0 4 4 0 -- .500 296 71.1 58 7 28 0 4 42 2 1 26 23 2.90 1.21
1998 3 3 0 0 0 1 2 0 -- .333 82 18.2 20 1 6 0 1 13 3 0 8 6 2.89 1.39
1999 30 19 1 0 1 9 9 0 -- .500 576 132.2 151 15 45 2 3 96 8 0 65 63 4.27 1.48
2000 40 8 0 0 0 6 6 10 -- .500 380 88.0 92 7 27 1 2 49 9 1 40 35 3.58 1.35
2001 5 5 0 0 0 1 2 0 -- .333 120 31.0 20 5 10 0 0 23 0 0 12 12 3.48 0.97
2002 33 2 0 0 0 2 3 2 -- .400 211 48.2 45 2 15 1 3 47 1 0 21 16 2.96 1.23
2003 62 0 0 0 0 1 3 1 -- .250 255 60.0 55 6 17 2 4 34 3 0 32 30 4.50 1.20
2004 近鉄 43 0 0 0 0 2 5 10 -- .286 218 48.2 53 5 24 4 3 27 0 0 29 28 5.18 1.58
2005 楽天 49 0 0 0 0 4 3 11 3 .571 286 63.0 75 5 24 7 2 36 4 0 26 25 3.57 1.57
2006 50 0 0 0 0 0 3 21 10 .000 253 58.0 50 2 27 4 3 55 7 0 18 14 2.17 1.33
2007 34 0 0 0 0 4 2 17 0 .667 167 36.0 44 1 17 2 2 33 1 0 20 19 4.75 1.69
2008 TEX 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 26 4.0 11 2 4 1 0 1 2 0 9 9 20.25 3.75
2009 楽天 35 0 0 0 0 7 1 10 4 .875 187 45.1 42 2 13 2 1 34 3 0 11 11 2.18 1.21
2010 2 0 0 0 0 0 2 0 0 .000 10 1.0 6 1 1 0 0 1 0 0 5 5 45.00 4.00
NPB:15年 414 48 1 0 1 41 45 82 17 .477 3068 708.1 718 59 257 25 28 495 41 2 313 287 3.65 1.38
MLB:1年 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 26 4.0 11 2 4 1 0 1 2 0 9 9 20.25 3.75

表彰

ベスト・ファーザー in 東北(2007年)

記録

初登板:1995年10月3日、対ヤクルトスワローズ25回戦(横浜スタジアム)、4回表に3番手で救援登板、2回無失点

初奪三振:同上、4回表にトーマス・オマリーから

初先発:1995年10月7日、対中日ドラゴンズ26回戦(ナゴヤ球場)、3回無失点

初勝利・初先発勝利:1997年7月3日、対中日ドラゴンズ14回戦(ナゴヤドーム)、6回無失点

初完投勝利:1999年5月2日、対ヤクルトスワローズ6回戦(明治神宮野球場)、9回2失点

初セーブ:2000年4月23日、対中日ドラゴンズ5回戦(ナゴヤドーム)、8回裏二死に3番手で救援登板・完了、1回1/3を無失点

初ホールド:2005年4月8日、対オリックス・バファローズ1回戦(大阪ドーム)、5回裏二死に3番手で救援登板、1/3回無失点

オールスターゲーム出場2回(2006年、2007年)

背番号

34(1995年 - 2000年)

37(2001年 - 2002年)

24(2003年)

15(2004年 - 2007年)

14(2008年)

62(2009年)

11(2010年)

2024/06/27 12:11更新

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