財津和夫の情報(ざいつかずお) シンガー ソングライター 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
財津 和夫さんについて調べます
■名前・氏名 |
財津和夫と関係のある人
松本隆: 星空のドライブ(作曲:財津和夫) 姫野達也: アマチュア時代は、後に海援隊メンバーとなる、高校・大学の同窓である千葉和臣とともにライラックを結成していたが、財津和夫に誘われチューリップに加入。 小田和正: 財津和夫がゲスト出演(2003年8月9日、富士急ハイランド・コニファーフォレスト) 小田和正: 全国大会は赤い鳥、フォー・シンガーズ(財津和夫のいたグループ)ら強敵がいたが、小田曰く「寝ててもできるくらい」猛練習を重ね、自信をもって臨んだにもかかわらず、1位は赤い鳥、オフコースは2位だった。 木之内みどり: 作詞:松本隆/作曲:財津和夫/編曲:松任谷正隆 松本隆: 流星ナイト(作曲:財津和夫) 古川タク: 29.想い出に話しかけてみた / 財津和夫(2022年2月・3月放送) 木之内みどり: 作詞:松本隆/作曲:財津和夫/編曲:松任谷正隆 松本隆: レンガの小径(作曲:財津和夫) 城南海: 作詞:沢ちひろ/作曲:財津和夫/編曲:ただすけ 伊藤広規: 財津和夫 湯川れい子: Friends・Love・Believing~ぬくもりをありがとう(ヴォーカル:EPO、大友康平、大橋純子、サーカス、財津和夫、さだまさし、佐藤竹善、THE ALFEE、竹内まりや、谷村新司、中村耕一、松崎しげる、マリーン、南こうせつ、森山良子、山下達郎、ル・クプル、渡辺真知子) 富澤一誠: 『「照和」伝説:財津和夫・武田鉄矢と甲斐よしひろたち』(講談社、1982年3月) 八塩圭子: 最終電車2006心の旅(2006年12月28日、毎日放送) 財津和夫と近江鉄道本線の貴生川行き最終電車内でトーク 松本隆: December Morning(作曲:財津和夫) あべ静江: 作詞・作曲・編曲:財津和夫 酒井法子: 6月発売のスタジオ・アルバム『Blue Wind/NORIKO Part IV』では作曲家陣に尾崎の他浜田金吾、上田知華、南佳孝、財津和夫らを起用。 松本隆: 赤いポシェット(作曲:財津和夫) 松本隆: 水色の朝(作曲:財津和夫) 松本隆: 綺麗になったね(作曲:財津和夫) 姫野達也: 1975年の愛知県勤労会館でのコンサートで、財津和夫は姫野についてこんなエピソードを語っていた。 松本隆: ハロー・レディ(作曲:財津和夫) あべ静江: 作詞・作曲:財津和夫/編曲:馬飼野俊一 伊藤咲子: 作詞・作曲:財津和夫 川上未映子: 当時、プロデューサーに財津和夫がいたが、歌手として認められることはなかった。 あべ静江: 作詞・作曲:財津和夫 山口かおり: 作詞:三浦徳子 作曲:財津和夫 編曲:矢野誠 甲斐よしひろ: 1993年4月10日、福岡ドームのこけら落とし『ドリームライブ in 福岡ドーム』に、福岡出身のBIG4(他に井上陽水、財津和夫、武田鉄矢)の1人として、「甲斐よしひろand KAI FIVE」名にて出演。 是永巧一: 財津和夫 江原啓之: 財津和夫、イルカ、尾崎亜美らが出演し、デュエットも披露。 |
財津和夫の情報まとめ
財津 和夫(ざいつ かずお)さんの誕生日は1948年2月19日です。福岡出身のシンガー ソングライターのようです。
エピソード、ディスコグラフィなどについてまとめました。兄弟、母親、映画、父親、卒業、現在、テレビ、脱退、解散、ドラマ、結婚、引退、趣味に関する情報もありますね。財津和夫の現在の年齢は76歳のようです。
財津和夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)財津 和夫(ざいつ かずお、1948年〈昭和23年〉2月19日 - )は、日本のシンガーソングライター、作曲家、音楽プロデューサー、ラジオDJ、俳優。大阪芸術大学芸術学部演奏学科教授。血液型O型。福岡県福岡市出身。 ブリティッシュロックグループ「チューリップ」のリーダーで、和製ポール・マッカートニーと呼ばれる日本のメロディメーカーと評されている。 1948年(昭和23年)2月19日、5人兄弟の末っ子として生まれる。「和夫」という名前は、福岡の自宅の近くにあった昭和鉄工の「和」の字を採ったという。 両親は戦時中に日本統治時代の朝鮮で生活をしており、敗戦と共に福岡の親戚を頼って日本へ引き揚げ、福岡競輪場で食堂を営んでいた。食堂は、引き揚げ後に住んでいた地域が競輪場建設地となり、立ち退きの見返りに営業権を得たもので、母親が調理師免許を取って切り盛りした。両親の引き揚げ後に産まれた和夫は、兄弟の中で唯一の福岡生まれであった。長男と次男は財津が生まれる前に他界していたため、3人兄弟で育った。 子供のころから映画を観たりFENを聴いたりして、アメリカに憧れを持ち、その影響の延長で洋楽にはまって高校時代にビートルズに憧れるようになった。自宅は何度も立ち退きに遭い、小学生時代だけで3回も転校している。競輪場閉鎖に伴い、母親は家電メーカーの住み込み寮母となり、父親も用務員として働き、手狭なため兄たちは家を出て、親子3人で寮の四畳半で中学から高校卒業まで暮らした。 1963年、福岡県立香椎高校に入学。ブラスバンド同好会に入り、アルトホルンを担当。映画好きなことから映画同好会も立ち上げたが、こちらはすぐ自然消滅したという。在学中に上記のビートルズに憧れ、独学でギターを学んだ。1966年に高校を卒業するが、一年間浪人する形で受験勉強をした。翌年、西南学院大学法学部に合格して入学するが(のちに中退)、浪人中にビートルズをそれほど好きではなかった女子の友人にチケットを譲ってもらい、武道館コンサートを観るために上京し観賞していた。 大学に入学すると、吉田彰と共に和製ビートルズを目指して、1969年にチューリップの前身となる「ザ・フォーシンガーズ」を結成するが、業界からは認められなかった。1971年、バンド名を「チューリップ」に改名する。のちに海援隊や甲斐バンド、井上陽水などを生んだ福岡市の音楽喫茶「照和」でライブ活動を展開し、人気を博した。 メジャーデビューを目指し、福岡時代の旧知で、当時ビートルズのレコードを手がけた東芝音楽工業(後のEMIミュージック・ジャパン)のディレクターだった新田和長を頼って自らデモテープを売り込み、1972年に東芝音工よりシングル「魔法の黄色い靴」でレコードデビューを果たす。同年にアルバム『魔法の黄色い靴』を、翌年には2枚目のシングルとアルバムをリリースするも売れない日々が続いたが、3枚目のシングル「心の旅」(1973年。リードボーカルは姫野達也)が発売5ヵ月後にオリコンチャート第1位を獲得(チューリップとして、現在まで唯一のオリコン週間チャート1位獲得曲)。連日のようにテレビ音楽番組に出演するなど、一躍スターダムにのし上がる。 「夏色のおもいで」は、松本隆のプロとして最初期の曲(チューリップでメンバー以外が作詞した唯一の曲)であり、松本がこの曲の作詞で作曲家筒美京平に認められ、後の黄金コンビ結成のきっかけとなった。その後も財津自身がボーカルをとった「青春の影」(1974年)、「サボテンの花」(1975年)、「虹とスニーカーの頃」(1979年)などを次々と発表した。 チューリップとしての活動と平行してソロでの音楽活動も展開し、1978年にシングル「二人だけの夜」でソロデビューを果たしている。同年、NHK番組『みんなのうた』に採用された「切手のないおくりもの」は、のちに小学校の音楽科の授業で使用される歌集などにも掲載された。1979年には、2枚目のシングル「Wake Up」がテレビCMに起用されるなどヒットチャートを賑わせた。同時に、作曲家として木之内みどり、松田聖子、沢田知可子、藤井フミヤなど多くのアーティストに楽曲を提供した。 一方で、チューリップはメンバーの脱退・加入を繰り返し、1989年に解散した。 1976年、TBSドラマ『三男三女婿一匹』(宝井隆役)に準レギュラーとして出演。このきっかけは、多分あべ静江(当時チューリップと同じ事務所所属だった)が出ていたつながりだったのではないか、と自ら語っている。これ以降、俳優としても数多くの作品に出演する。 1984年、角川映画『メイン・テーマ』(御前崎渡役)、1986年、東宝映画『そろばんずく』(クライアント波野役)、1990年、松竹映画『つぐみ』(恭一の兄・高橋役)など、映画にも出演している。愛情物語では同郷出身で同じビートルズに影響を受けた鮎川誠と共演している(鮎川は久留米市出身)。 1986年には音楽番組『財津和夫のPOPS探偵団』(フジテレビ)で司会を担当。1975年からパーソナリティを務めたラジオ番組『財津和夫の人生ゲーム』(東海ラジオ)は1988年3月に終了するまで13年間続いた長寿番組になった。同番組は2001年に『財津和夫の人生ゲーム21〜心の旅〜』として再スタートした。 CM楽曲提供、ミュージカル音楽製作、エッセイ集執筆などの活動も精力的に行い、多彩な表現者としての一面も見せている。共栄火災海上保険のイメージキャラクターも務めている。1985年に同郷の女性と結婚し、一男一女がいる。長女の財津慶子は、2010年代前半の一時期、青二プロダクションに所属して声優活動を行っていた。 実在のアイドルだけでなくバーチャルアイドル(恋愛シミュレーションゲーム『ときめきメモリアル』のヒロイン・藤崎詩織)にも楽曲提供している。 エピソード自身の結婚について、結婚式もやってないし披露宴もしてないと話す。しかし、その時は何だそんなもんという気持ちだったが、若気の至りの一つだったとも語っている。 2008年、チューリップメンバーは、NHKの企画で『Tulip 青春のラストラン』に出演した。同番組は、35年間の歴史に終止符を打ったチューリップの軌跡をたどるものであった。 つのだ☆ひろとは上京して以来の友人。つのだは、たまたま見たデビュー前のチューリップに魅了され、プライベートで付き合うことになった。当時、財津がチューリップのメンバーと共同生活をしていた南青山のアパートにつのだはよく出入りをしていた。 一方、小田和正とは古い友人で、昔は2人でよくゴルフに行っていたという。出会いは1969年の「ライト・ミュージック・コンテスト」に共に出場したのがきっかけで、オフコースは自分の憧れだったと語っている。オフコースのファンクラブ「オフコース・ファミリー」の第1期(1973年)会員で、申し込んだのは発起人の3人のすぐ後の4番目だったが、係の人によって「キリのいい番号」として、会員番号10番となったという。 2016年9月8日、NHKの番組『ファミリーヒストリー』では、財津家は元々熊本阿蘇地方をルーツに持つ熊本藩の藩士であり、父は婿養子で、財津一郎とは遠い親戚であることがわかった。 2017年6月、大腸がんの罹患を告白。「チューリップ45周年ツアー」は4公演が中止となり、治療に専念することを明らかにした。 2018年9月、チューリップでのコンサートツアーで活動を再開。計27公演を完走した。 2020年9月、松田聖子に36年ぶり(松田作詞曲へは37年ぶり)に、「風に向かう一輪の花」を提供。 2021年2月7日、NHK BS1で放送された『ザ・ヒューマン「人生はひとつ でも一度じゃない〜財津和夫〜」』で「いろんな曲を作ってきて、なんかもう自分で新しいと感じるものはないなと。ずいぶん長いことやってきたので、これでもう、できなくなってもいいのかなって」と引退を考えていた矢先、故郷福岡の西鉄グランドホテルからの要請を引き受け、2019年より作詞講座を始めたのが転機となり、2020年12月、10年ぶり新曲「人生はひとつ でも一度じゃない」を完成させた。更に2020年12月人生初のオンラインライブを開催したことも明かしている。 2021年8月25日、吉田栄作が新曲として「人生はひとつ でも一度じゃない」(財津のカバー曲)を配信リリースした。 2020年2月26日、新型コロナウイルス感染拡大の影響で予定されていた姫野達也を迎えてのジョイントコンサート「財津和夫コンサート2020with姫野達也~All Izz Well~ 追加公演」、講演会などが中止、延期、振替公演、再延期を繰り返していた。しかし、感染が全国的に落ち着いた2021年10月1日よりコンサート「財津和夫コンサート2021 with 姫野達也~All Izz Well~」、講演会など本格的に活動を再開した。 2021年10月28日、故郷の福岡市民会館(振替公演)で行われた姫野とのジョイントコンサートの模様を2021年11月15日放送のニュースブリッジ北九州(NHK北九州)、2021年11月17日放送のロクいち!福岡(NHK福岡 / NHKプラスでは2021年11月17日19時から2021年11月24日19時まで見逃し配信)での特集コーナーとして財津本人がVTR出演した。 ディスコグラフィシングル
企画シングル
配信限定シングル
アルバム
参加作品
タイアップ
2024/06/17 10:07更新
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zaitsu kazuo
財津和夫と同じ誕生日2月19日生まれ、同じ福岡出身の人
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