もしもし情報局 > アニメ演出家 > 鹿児島県 > 長浜忠夫

長浜忠夫の情報 (ながはまただお)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【5月19日】今日誕生日の芸能人・有名人

長浜忠夫の情報 (ながはまただお) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、出身地]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

長浜 忠夫さんについて調べます

■名前・氏名
長浜 忠夫
(ながはま ただお)
■職業
アニメ演出家
■長浜忠夫の誕生日・生年月日
1932年9月26日
申年(さる)、天秤座(てんびん)
■出身地・都道府県
鹿児島出身

長浜忠夫と同じ年に生まれた芸能人(1932年生まれ)

長浜忠夫と同じ誕生日の人(9月26日)

長浜忠夫と同じ出身地の芸能人(鹿児島県生まれ)


TOPニュース

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕

嵐の松本潤が事務所を退所し独立を発表!本人メッセージもインスタに投稿

高橋一生飯豊まりえが結婚!「岸辺露伴は動かない」で共演

フジテレビの生田竜聖アナウンサーが再婚

元子役の若山耀人容疑者、殺人容疑で再逮捕

フィギュアスケートの宇野昌磨が引退会見!

落馬した吉田隼人騎手近況。藤井勘一郎元騎手がツーショット写真を公開

水原一平が歯の治療費930万円を…


長浜忠夫

もしもしロボ

長浜 忠夫(ながはま ただお)さんの誕生日は1932年9月26日です。鹿児島出身のアニメ演出家のようです。

もしもしロボ

人物・作風、参加作品などについてまとめました。テレビ、退社、ドラマ、映画に関する情報もありますね。去年の情報もありました。

長浜 忠夫(ながはま ただお、1932年〈昭和7年〉9月26日 - 1980年〈昭和55年〉11月4日)は、日本のアニメ監督、舞台演出家。鹿児島県鹿児島市出身。あおいあきらのペンネームで作詞も手がけた。

中学生時代から演劇部で活動。鹿児島放送劇団に所属し、演出を担当する。日本大学芸術学部演劇学科に進学。舞台芸術学院、キリン座、青年俳優クラブ、劇団民藝(宇野重吉に師事)で演劇を学びながら、演劇雑誌『テアトロ』編集部でアルバイトをする。

1960年代前半、人形劇団ひとみ座の演出部に所属していた頃、テレビの人形劇(NHK『ひょっこりひょうたん島』、TBSテレビ『伊賀の影丸』)の演出を担当。その後、ひとみ座の同期で『伊賀の影丸』の製作者でもあった藤岡豊が設立したアニメ制作会社東京ムービーのアニメ制作を担当していたAプロダクションへ入社する。

1965年、『オバケのQ太郎』(東京ムービー製作、Aプロダクション制作)で初めてアニメーションを演出する。また事実上の監督を務めたテレビアニメ『巨人の星』が大ヒットし、一世を風靡する。その後も『新・オバケのQ太郎』や『ど根性ガエル』の演出を手掛けるが、『侍ジャイアンツ』で一旦アニメに見切りをつけてAプロダクションを退社。日本記録映像社を設立して1年ほどCM制作などを行なっていた。

1975年に『勇者ライディーン』(東北新社企画、創映社制作)の監督でアニメ界に復帰する。途中降板した富野喜幸(現:富野由悠季)の後任として総監督に就任し、初めてロボットアニメを手掛けた。

1976年、東映制作のロボットアニメ『超電磁ロボ コン・バトラーV』の監督を引き受ける。『ライディーン』終了後、何とかそのままのチームで作品を続けたいと考えた長浜は『続・ライディーン』の企画をテレビ局に提案していたがなかなかOKが出なかった。そんなところにそれまで実写作品を手掛けていた東映本社がアニメにも進出しようと創映社(日本サンライズ)に制作を外注してきたため、『ライディーン』のメインスタッフの多くが本作にも参加することになった。続けて同じく東映の『超電磁マシーン ボルテスV』、『闘将ダイモス』を手掛ける。この3作品は、のちに「長浜ロマンロボットアニメ」と呼ばれるようになった。特に『ボルテスV』は海外でも放送されてフィリピンで大人気となり、45年以上の時を経て実写リメイクのテレビシリーズが2023年にフィリピン最大手の地上波テレビ局GMAネットワークで地上波放送された。

1979年、放送局は変わったものの前3作と同じ体制で制作された『未来ロボ ダルタニアス』で総監督を務めるが、『ベルサイユのばら』を監督するために途中降板して古巣の東京ムービーに復帰する。しかし、演出の方針の違いによる対立が原因でこちらも途中降板した。

フランスとの合作アニメ『宇宙伝説ユリシーズ31』の制作中、劇症肝炎の発症により急逝。これが遺作となった。

人物・作風

1960年代から70年代にかけての日本のアニメを語るとき、外すことのできない演出家。人形劇『ひょっこりひょうたん島』などで「声で人を引きこむ演出」を進歩させた後、その集大成としてテレビアニメ『巨人の星』を歴史的大ヒットに導いた。作風は幅広く、『巨人の星』、『侍ジャイアンツ』に代表されるスポ根もの、『新・オバケのQ太郎』『ど根性ガエル』に代表されるギャグもの、ロボットアニメの『長浜ロマンロボシリーズ』と、多種多様な作品を手掛けてヒットさせた。玩具や無敵のヒーローを必要とする本来の視聴者である子供に充分なアピールをした上で、それ以外の青年層・女性層という新たな視聴者層にも訴えかける作品作りを行い、新たなファン層を開拓してきた。また『機動戦士ガンダム』の知名度や影響力から、一般的には富野由悠季がロボットアニメの第一人者とされているが、ロボットアニメの存在感を高め、そのガンダムが世に出る道を切り開いた人物こそが長浜であった。

舞台演劇の理論を応用したケレン味溢れる演出による重厚なドラマや過剰なまでに熱い劇画風の映像演出は長浜節とも呼ばれる。作品に共通する要素は「ライバルキャラの存在とその対決に主眼を置いた派手な画面作り」「時代がかった大芝居」「大河ドラマ的な物語の構成」「引き裂かれた肉親間の情愛」。主人公のライバルに美形キャラを配したのが特徴。それまでは見るからに悪役というビジュアルで描かれることが多かった敵役を美形に描くことで多くの女性ファンを獲得し、黎明期のアニメ同人誌でも大人気となった。

舞台演劇出身の長浜の演出手法は、伝えたいテーマをはっきりと主張していくというもの。ストーリー運びもセリフ回しも、激しい激情をぶつけ合わせるというその演出作法は、まさに演劇的であり、また舞台の中でも人形劇出身であるせいか、オーバーアクション気味とも思える演技を求めた。演劇では演出を担当する一方、俳優としても舞台に立っていた。その自らも演技者であった経験が、大上段に構えてテーマを訴えかける作品づくりに影響していると見る説もある。「対立軸」を設け、ライバル同士、敵味方などの対立を構図やエフェクトなどの映像表現によって視聴者に誤解を与えないようはっきりと目に見えるかたちで画面に描き出す。ロボットアニメでは、血縁関係を絡めた愛憎劇を展開。またそれまでの勧善懲悪的なアニメ作品とは異なり、敵の内部にも対立構造が持ち込まれ、敵対する側にもいろいろな事情が設定された。そして「人間が同じ人間を差別することの是非」というテーマを投げかけた。それによって子供向けとされていたロボットアニメに年長の視聴者層を引きつけ、ファン層の拡大に大きな実績を挙げた。作品作りでこだわる部分はアングルやレイアウトなどの映像ではなく、ドラマ。監督作品では自らは絵コンテを描かず、映像寄りのパートはコンテマンやアニメーターを信頼して任せ、制作現場全体を包括的にコントロールすることに重きを置いていた。

録音(アフレコ)と音響効果には非常にこだわりを持っていた。そのこだわりから、『コン・バトラーV』からは音響監督にも長浜の名がクレジットされるようになった。劇伴や効果音の付け方への指示は細かく、作中で始終音を鳴らせ、それによって動きに迫力を生み出していた。また台本が届くと、まず自分一人で全てのキャラクターの声を演じてみた。ラッシュ映像の試写で男女問わずすべての配役になり切ってセリフを音読してアフレコをしてみて、声優がキャラクターになり切れるセリフか、あるいは演技と映像が合っているかをチェックし、口パクの形状やタイミングが合わないと映像にリテイクを出した。シナリオへのこだわりも強く、気に入るまで何度も書き直しをさせ、それが10稿までいったこともあった。声優にも徹底した要求をぶつけ、自ら役者の前で芝居の手本を見せることもあった。演技指導は厳しく、時に声優と衝突することもあった。また日本のテレビアニメでは予算やスケジュールの都合でアフレコに完成した絵が間に合わず、線撮り(彩色されてない原画、動画等をそのまま撮影したもの)も多い。絵を描く人間が取り仕切っている関係で「画作り」が優先されてしまうことから起きる弊害だが、映像作品とは映像と音とが結びついて初めて完成するものだと考える長浜は、それを絶対に許さなかった。

『巨人の星』でテレビ放映が漫画連載に追いつきそうになって原作に忠実なストーリー展開以外の要素で話を繋ぐ必要が生じると、原作を分析してそのイメージを数十倍に膨らませるような場面の再構成を行なったり、様々な創意工夫や実験的演出を試みたりした。時間の流れを構成し直して細かくカットを割る「時空の再編成」、瞳の中に合成された実写の炎、魔球が出ると異次元と化す背景など画面的にも様々な味つけをして、視聴者を飽きさせないようにした。その結果、登場人物の心理をじっくりと描写することになり、性格を掘り下げて「キャラを立てる」ことに成功した。また本作の途中からトレスマシンの導入により、キャラクターを荒々しい劇画タッチで描写することが可能になった。そして「龍虎の対決」「真剣勝負」という比喩を本当にそのまま絵にして、キャラクターを龍や虎、あるいは武士に変身させて怪獣映画やチャンバラ映画のような演出をするなど、稚拙にやればギャグになってしまうところを映像の迫力で抑え込み、作品のパワーに変えた。そして、『巨人の星』はテレビアニメの新時代を築くことになり、長浜はその方法論をロボットアニメにも導入した。

『コン・バトラーV』ではヨーヨーのチャンピオンを呼び(学生時代、スタジオに見学に来ていた佐藤元である)、『闘将ダイモス』では東映の鈴木武幸プロデューサーの提案で『仮面ライダー』の変身ポーズを考案したことで有名な殺陣師・高橋一俊にアクション演出を依頼した。そして彼らの動きを動画で撮影してそれを参考にアニメーターにアクションシーンを作画させた。反対に鈴木プロデューサーを通して東映のスーパー戦隊シリーズなどの特撮作品の方にも美形キャラの設定や巨大ロボットの合体、出渕裕によるデザインなどのアニメの手法が持ち込まれた。

長沼の演出手法は同業者にも影響を与えている。『巨人の星』から長浜作品に参加していた富野由悠季は、反発しながらも長浜の仕事に対する取り組み方に大いに刺激を受け、多大な影響を受けたと語っている。またアンチ長浜作品としてとらえられることが多い『機動戦士ガンダム』も、より進化した要素が導入されてはいるものの、長浜の方法論をベースにしている。吉川惣司は「真の意味でガンダムの出現を準備した人」と評している。出﨑統は『あしたのジョー』を制作するにあたり、長浜の『巨人の星』における演出(劇画調の荒々しいタッチ、バッティングシーンなどの強烈な人物の構図や動きなど)を取り入れようとした。

情熱家で自信家という性格はスポンサーからの絶大な信頼を得たが、その反面周囲のスタッフと見解の相違で衝突した事もあった。特に『ベルサイユのばら』での声優との演技を巡る対立は、長浜の途中降板にまで発展した。『侍ジャイアンツ』では、作画監督の大塚康生との演出論の食い違いが、大塚の実質的な降板に繋がっている。長浜とも交流のあった山崎敬之(東京ムービー文芸部所属)によると、長浜は「(東京)ムービーの天皇」の異名を取っていたという。

一方で、長浜はアニメファンをとても大切に扱った。ファンがスタジオを訪ねると歓待し、ファンクラブ設立への協力も惜しまなかった。当時はファンや視聴者の声は制作者側にはなかなか届かなかったが、長浜は「ファンの集い」のような交流の場を作ったり、自腹を切って近所の子供などを集めて試写会を開いたりして彼らの意見を取り入れていた。その延長で、自ら企画して声優イベントの走りのようなことも始めた。ファンレターには一人一人長文の返事を書いていた。アニメの感想だけでなく悩みごとを相談していたファンは相当数に上る。中にはメカニックデザイナーの出渕裕、アニメーターの内田順久、脚本家の塚本裕美子のようにプロのクリエイターになってしまった人間もいる。

参加作品

伊賀の影丸(1963-1964年) - 各話演出

ひょっこりひょうたん島(1964-1969年) - 人形演技監督

テラホークス ―地球奪還指令―(制作中止)

オバケのQ太郎(1965-1967年) - 各話演出・絵コンテ

パーマン(1967-1968年) - 各話演・出脚本

巨人の星(1968-1971年) - 構成(第1話-第85話)→演出(第86話-最終話)

珍豪ムチャ兵衛(1971年) - 各話演出

新オバケのQ太郎(1971-1972年) - 演出・脚本

ど根性ガエル(1972-1974年) - チーフディレクター(第81回-最終回)・各話演出(第9回-第80回)・絵コンテ

侍ジャイアンツ(1973-1974年) - 演出

勇者ライディーン(1975-1976年) - 総監督(第27話-最終話)・絵コンテ

超電磁ロボ コン・バトラーV(1976-1977年) - 総監督・音響監督

超電磁マシーン ボルテスV(1977-1978年) - 総監督・音響監督・声優

おれは鉄兵(1977-1978年) - 演出(シリーズ前半)

闘将ダイモス(1978-1979年) - 総監督・音響監督

未来ロボ ダルタニアス(1979-1980年) - 総演出・音響監督(第1話-第26話)

ベルサイユのばら(1979-1980年) - 総監督・録音演出(第1話-第13話)

ずっこけナイトドンデラマンチャ(1980年) - 監修

宇宙伝説ユリシーズ31(仏題:Ulysse 31)(仏:1981年、日:1988年) - 日仏合作作品の日本側チーフディレクター ※遺作

あおいあきら名義で行う。

父をもとめて

『超電磁マシーン ボルテスV』エンディング、発売:1977年(日本コロムビア)
作曲:小林亜星、編曲:高田弘、歌:水木一郎、こおろぎ'73

エリカのバラード

『闘将ダイモス』エンディング、発売:1978年(日本コロムビア)
作・編曲:菊池俊輔、歌:かおりくみこ、大倉正丈

剣人・男意気

『未来ロボ ダルタニアス』エンディング、発売:1979年(日本コロムビア)
作曲:小林亜星、編曲:高田弘、歌:こおろぎ'73

2024/05/19 00:57更新

nagahama tadao


長浜忠夫と同じ誕生日9月26日生まれ、同じ鹿児島出身の人

大久保 利通(おおくぼ としみち)
1830年9月26日 鹿児島

大久保 利通(おおくぼ としみち、文政13年8月10日〈1830年9月26日〉- 明治11年〈1878年〉5月14日)は、日本の政治家、武士(旧薩摩藩士)。幼名は正袈裟、通称は正助、一蔵、諱は利済、の…

枝元 賢造(えだもと けんぞう)
1932年9月26日 鹿児島

枝元 賢造(えだもと けんぞう、1933年4月28日 - 2004年6月22日)は、日本の実業家。サッポロビールの社長を務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立鶴丸高等学校を経て、1955年に東…


長浜忠夫と近い名前の人

長浜 満里子(ながはま まりこ)
1977年7月13日 青森

長浜 満里子(ながはま まりこ、1977年7月13日 - )は、日本の声優、舞台女優。日本芸術専門学校特別講師。青森県出身。劇団アルターエゴ所属。 三ツ矢雄二主宰のフリーアトム6期生。 声優にな…

長浜 幸子(ながはま さちこ)
1952年5月12日 東京

長浜 幸子(ながはま さちこ、1952年5月12日 - )は、日本の漫画家。女性。東京都足立区出身。血液型はB型。 21歳の時、『なかよし』(講談社)でデビュー。以後、1970年代は同誌をはじめとす…

永浜 いりあ(ながはま いりあ)
1981年6月19日 大阪

永浜 いりあ(ながはま いりあ:本名=文字違い、フリガナは同じ、1981年6月19日 - )は、日本のタレント、フィッシングナビゲーター。 1981年6月19日、大阪府に生まれる。 2002年、…

長浜 之人(ながはま ゆきひと)
1977年7月5日 沖縄

キャン×キャンは、ライジングプロダクション所属のお笑いコンビ。沖縄ロコスタ(ローカルスター)である。 ゆっきー( (1977-07-05) 1977年7月5日(46歳) - )ボケ担当 旧芸名、本…

長濱 慎(ながはま しん)
1985年9月6日 神奈川

長濱 慎(ながはま しん、1985年9月6日 - )は、日本の俳優、モデル。神奈川県出身。 かつてはBESIDE、オフィスジンギスに所属し、モデルとして活動していた。 2011年に『私のホストち…

長浜 博之(ながはま ひろゆき)
1946年9月19日 滋賀

長浜 博之(ながはま ひろゆき、1946年9月19日 - )は、日本の調教師。調教師引退まで日本中央競馬会栗東トレーニングセンターに所属していた。中京商業高等学校(現在の中京大学附属中京高等学校)、中…

長浜 博行(ながはま ひろゆき)
1958年10月20日 東京

長浜 博行(ながはま ひろゆき、1958年〈昭和33年〉10月20日 - )は、日本の政治家。参議院副議長(第33代)、参議院議員(3期)、立憲民主党千葉県連常任顧問。 環境大臣(第18代)、内閣府…

長濱 陸(ながはま りく)
1991年10月7日 沖縄

長濱 陸(ながはま りく、1991年10月7日 - )は、日本のプロボクサー。沖縄県那覇市出身。第41代OPBF東洋太平洋ウェルター級王者。石田ボクシングジムに所属、以前は角海老宝石ボクシングジム、白…

長濱 治(ながはま おさむ)
1941年4月24日

4月24日生まれ

安いカラオケ店

2024年最新カラオケ曲ランキング

『ミュージックジェネレーション』がカラオケランキングを発表

カラオケ夏の曲ランキング(好きな夏うた)

カラオケ店でPayPayや楽天Payなどのキャッシュレス決済は使えるのか

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
長浜忠夫
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

話題の芸能人・有名人

おまかせワード

維新政党・新風  2014年東京都知事選挙  トクマ  東京・生活者ネットワーク  細川護熙  2016年東京都知事選挙  特別区  結いの党  キー局  推薦 

グループ

まなみのりさ GALETTe E-girls さんみゅ~ BABYMETAL 放課後プリンセス palet フェアリーズ GEM 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「長浜忠夫」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました