高見順の情報(たかみじゅん) 作家、詩人 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
高見 順さんについて調べます
■名前・氏名 |
高見順と関係のある人
安藤元雄: 高見順賞贈賞式のため上京する途中で交通が途絶、戸塚駅付近で停止した列車内に3時間ほど閉じ込められたのち、駅まで線路を歩き、バスを乗り継いで夜9時ごろ帰宅する。 井坂洋子: 1983年『GIGI』でH氏賞受賞、1995年『地上がまんべんなく明るんで』で高見順賞受賞、2003年『箱入豹』で藤村記念歴程賞を受賞、2011年『嵐の前』で鮎川信夫賞受賞、2017年『七月のひと房』で現代詩花椿賞受賞。 三木卓: 1967年に詩集『東京午前三時』でH氏賞) 1971年に詩集『わがキディ・ランド』で高見順賞受賞。 新井豊美: 1982年の詩集『河口まで』で地球賞、93年、『夜のくだもの』で高見順賞、2007年、『草花丘陵』で晩翠賞受賞。 塔和子: 1999年 - 第29回高見順賞を受賞。 中島敦: その岡本家の文学好きの息子・武夫(一高で高見順の同級生)と親交を結んだ縁で、のちに英米文学の翻訳者となる田中西二郎と知り合った。 高見恭子: 5歳の時の1965年8月4日、高見順の養女として高間家の籍に入り、「高間恭子」となった。父・高見順は同年8月17日に病死した。 横光利一: 1940年10月に菊池寛、高見順、林芙美子らと共に文芸銃後運動講演会のため、四国へ赴く。 島木健作: 高見順・中野重治・徳永直・林房雄らとともに、転向文学を代表する作家の1人。 瀬尾育生: 1996年、詩集『Deep purple』で第26回高見順賞を受賞。 新藤凉子: 1986年(昭和61年)、詩集『薔薇ふみ』で高見順賞受賞。 堀田善衛: 1950年、10月23日に品川駅でかっぱらいをして逮捕されたと報じられたが、『高見順日記』によると、酔った上でのいたずらだったらしい。 吉増剛造: 1970年(昭和45年) - 詩集『黄金詩篇』により第1回高見順賞受賞。 摩寿意善郎: 『日暦』の同人には高見順、渋川驍、新田潤などがいる。 小池昌代: 2000年、詩集『もっとも官能的な部屋』で第30回高見順賞受賞。 粒来哲蔵: 1960年詩集『舌のある風景』で第2回晩翠賞、1972年『詩集 孤島記』でH氏賞、1977年『望楼』で高見順賞、2002年『島幻記』で現代詩人賞、2012年『蛾を吐く』で第63回読売文学賞詩歌俳句賞受賞。 松浦寿輝: 毎日出版文化賞、高見順賞、読売文学賞選考委員。 大谷藤子: 1933年高見順、円地文子らと『日暦』を創刊。 安藤元雄: これにより第十一回高見順賞を受ける。 松村彦次郎: 第五回 宮沢賢治・高見順(1994) 松村彦次郎: 斉藤一也「劇評宮沢賢治・高見順の「詩を演ずる」松村彦次郎」賢治研究 第64号 46-47頁 宮沢賢治研究会 94年9月 磯田光一: 三島文学を近代日本の土着性の中でとらえ直そうとした『殉教の美学』、英文学と高見順や島木健作を対比させて転向の問題を論じた『比較転向論序説』、小林秀雄などを論じた『パトスの神話』、『吉本隆明論』など西欧化と日本の伝統の両面から広く時代背景をとらえた文芸評論を発表し続けた。 川崎洋: 1987年には詩集「ビスケットの空カン」で第17回高見順賞を、1998年には第36回藤村記念歴程賞を受賞した。 高貝弘也: 2009年『子葉声韻』で第39回高見順賞および第9回山本健吉文学賞受賞。 堤清二: 群青、わが黙示(思潮社、1992年)、第23回高見順賞受賞 豊田穣: 「仮面の人――小説・高見順」 大久保房男: しかし石原は西村賢太との対談にて、1957年10月『新潮』に発表した「完全な遊戯」について、高見順宅へ行った際、大久保が「あの小説は許せない」と言ったため口論になり、「君にはもう、一生『群像』で書かせない」と言われたと語っている。 川端康成: 川端が鹿児島で特攻の取材をしていた5月1日に、久米正雄、小林秀雄、中山義秀、高見順、大佛次郎ら、鎌倉在住の文士と共に、自分たちの蔵書を元に、貸本屋「鎌倉文庫」を八幡通りに開店した。 稲葉真弓: 没後の2015年に『連作・志摩 ひかりへの旅』で高見順賞および三好達治賞候補となった。 土橋治重: 『永遠の求道者高見順』社会思想社(現代教養文庫)1973 |
高見順の情報まとめ
高見 順(たかみ じゅん)さんの誕生日は1907年1月30日です。福井出身の作家、詩人のようです。
著書、音楽などについてまとめました。卒業、結婚、離婚、退社に関する情報もありますね。58歳で亡くなられているようです。
高見順のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)高見 順(たかみ じゅん、本名・高間芳雄、1907年1月30日 - 1965年8月17日)は、日本の小説家、詩人。出生に関わる暗い過去や、左翼からの転向体験を描き、第1回芥川賞候補となった『故旧忘れ得べき』で一躍注目を浴びた。その後も『如何なる星の下に』『いやな感じ』などで高い評価を受けた。詩人としても著名。日本近代文学館設立にも尽力し、初代理事長に就任。文化功労者(追贈)。 1907年、福井県知事阪本釤之助の非嫡出子として福井県坂井郡三国町(現坂井市三国町)平木に生まれる。母・高間古代(コヨ)は阪本が視察で三国を訪れた際に夜伽を務めた女性である。 1908年、母と共に上京する。実父と一度も会うことなく、東京市麻布飯倉にあった父の邸宅付近の陋屋に育つ。私生児としてしばしばいじめを受けた。阪本家からは毎月10円の手当てを受けていたが、それでは足りず、母が針仕事で生計を立てた。1924年、東京府立第一中学校卒業、第一高等学校文科甲類入学。一高社会思想研究会に入会する。1925年、ダダイスムの雑誌『廻転時代』を創刊する。1926年、校友会文芸部委員に就任する。1927年に一高を卒業、東京帝国大学文学部英文学科に入学する。同人雑誌『文芸交錯』創刊に参加、また1928年に左翼芸術同盟に参加し、機関紙『左翼芸術』に小説『秋から秋まで』を発表する。東大内の左翼系同人雑誌7誌が合同した『大学左派』創刊にも参加する。劇団制作座の仕事に従事し、劇団員だった石田愛子と知り合った。 1929年、『大学左派』の後身『十月』や『時代文化』の創刊に参加し、プロレタリア文学への道を進んだ。1930年に東大を卒業、研究社英和辞典臨時雇として勤務する。その後、コロムビア・レコード会社教育部に勤務する。雑誌『集団』創刊に参加、この頃、日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)に参加したと推定される。石田愛子と結婚する。 1933年、治安維持法違反の疑いで大森署に検挙されるが、「転向」を表明し、半年後に釈放された。妻・愛子は他の男性と失踪し、離婚した。雑誌『日暦』創刊に参加した。 1935年、饒舌体と呼ばれる手法で『故旧忘れ得べき』を『日暦』2月号-7月号に発表、第1回芥川賞候補となり、作家としての地位を確立した。水谷秋子と結婚する。 1936年、『人民文庫』の創刊に『日暦』同人とともに参加する。また、コロムビア・レコード会社を退社、文筆生活に入る。思想犯保護観察法が施行され、擬似転向者として再調査される。1938年、浅草五一郎アパート(曽我廼家五一郎が経営)に部屋を借りて浅草生活を始める。 1939年、『如何なる星の下に』を『文芸』1月号から1940年3月号にかけて発表、高い評価を受ける。 1941年、陸軍報道班員として徴用されビルマに派遣される。戦場にも出たが、鉄兜も帽子もなくしてしまい、心細さの挙句に鉢巻をしたが、「多少は心強くなった、鉄砲玉には何の効果もないだろうが、いくらかは安心感がある。戦場の心理とはおかしなものだ」と、戦後になって海音寺潮五郎に語っている。その後、1944年には中国大陸にも派遣され、南京における第3回大東亜文学者大会に出席している。1945年6月に日本文学報国会参加。 1950年、『胸より胸に』を『婦人公論』に発表する。 戦後は、『わが胸の底のここには』『あるリベラリスト』などの作品で私小説風に傷つきやすい精神を掘り下げた作品を次々と発表する。また晩年は、昭和という時代を描く『激流』『いやな感じ』『大いなる手の影』の連作を発表する。長編などでは他に『都に夜のある如く』『生命の樹』『今ひとたびの』などがある。 詩人としても活動し、『樹木派』『わが埋葬』、最晩年に『死の淵より』(度々再刊)などを発表する。永井荷風と並ぶ日記作家としても知られ、昭和史の資料ともなった『高見順日記』を著す(『敗戦日記』が度々再刊)。回想記に『昭和文学盛衰史』がある。 晩年に、近代文学の資料の散逸を防ぐため、日本近代文学館の建設に尽力したが、落成間近の1965年8月17日、食道がんのため放射線医学総合研究所病院で死去した。連作小説を構想中でもあった。58歳没。戒名は素雲院文憲全生居士。文化功労者が追贈された。勁草書房で「全集」「全日記」が刊行された。 著書『起承転々』改造社 1936年 『故旧忘れ得べき』人民社 1936年 のち角川文庫、新潮文庫 『女体』竹村書房 1936年 『虚実 小説集』竹村書房 1937年 『手袋』版画荘文庫 1937年 『描写のうしろに寝てゐられない』信正社 1937年 『流木』竹村書房 1937年 『昨日の黄昏 他九篇』新小説選集 春陽堂 1938年 『人間』竹村書房 1938年 『化粧』青木書店 1939年 『爪髪集』新選随筆感想叢書 第9 金星堂 1939年 『私の小説勉強』竹村書房 1939年 『文芸的雑談』昭森社 1940年 『愛恋風俗』時代社 1940 『如何なる星の下に』新潮社 1940年 のち文庫、角川文庫、講談社文芸文庫 『更生記』昭森社 1940年 『わが饒舌 評論随筆』富士出版社 1941年 『蘭印の印象』改造社 1941年 『ある晴れた日に』河出書房 1941年 『東京暮色』明石書房 1941年 『高見順文芸随感』河出書房 1942年 『諸民族』新潮社 1942年 『ビルマ記』協力出版社 1944年 『東橋新誌 前篇』六興出版部 1944年 『遠方の朱唇 創作集』新紀元社 1946年 『眼で見る愛情』南北書園 1946年 『今ひとたびの 高見順小説集』鎌倉文庫 1946年 のち角川文庫、河出文庫 『流れ藻』丹頂書房 1946年 『日曜と月曜』実業之日本社 1946年 『山の彼方の空遠く 短編集』新生活社(新生活叢書) 1946年 『仮面』青竜社 1947年 『霙降る背景』地光社 1947年 『恋愛年鑑 長篇』虹書房 1947年 『炎と共に』新潮社 1948年 『神聖受胎』永晃社 1948年 『文学者の運命』中央公論社 1948年 『真相』共立書房 1948年 『天の笛 長篇』六興出版社 1949年 『高見順叢書 全4 わが胸の底のここには』六興出版社 1949年-1950年 『インテリゲンチア』池田書店 1951年 『胸より胸に』黄土社書店 1951年 のち角川文庫 『拐帯者』北辰堂 1951年 『朝の波紋』朝日新聞社 1952年 のち角川文庫 『高見順詩集』中村真一郎編 河出書房(市民文庫) 1953年 『この神のへど』大日本雄弁会講談社 1954年 『一囘だけの招待』新潮社 1954年 『各駅停車』毎日新聞社 1954年 『私の文学観』社会思想研究会出版部(現代教養文庫) 1955年 『花自ら教あり』山田書店 1955年 『本日は晴天なり』東方社 1955年 『都に夜のある如く』文藝春秋新社 1955年 のち角川文庫、文春文庫 『罪多い女』角川小説新書 1955年 『駄目な夜』東方社(東方新書) 1955年 『二番線発車』東方社 1956年 『天使の時間』雲井書店 1956年 『湿原植物群落』三笠書房 1956年 『悪女礼讃』酒井書店 1956年 『ひと日わが心の郊外に』三笠書房 1957年 『愛と美と死 エッセイ集』宝文館 1957年 『対談現代文壇史』中央公論社 1957年 『人生の周辺』平凡社 1957年 『愛情列島』角川書店 1957年 『虹の橋』大日本雄弁会講談社 1958年 『エロスの招宴』新潮社 1958年 『昭和文学盛衰史』 文藝春秋新社(全2巻) 1958年 のち講談社、福武書店、角川文庫、文春文庫(全1巻) 『愛のために・青春のために』凡書房 1958年 『生命の樹』講談社 1958年 のち文春文庫(自身の浮気を描いた私小説) 『敗戦日記』文藝春秋新社 1959年 のち文庫、中公文庫 『三面鏡』中央公論社 1959年 『都会の雌雄』講談社 1959年 『完本・高見順日記 昭和二十一年篇』凡書房新社 1959年、「終戦日記」文春文庫 『遠い窓』中央公論社 1960年 『異性読本』角川書店 1960年 『文学的現代紀行』講談社 1961年 『ちょっと一服』朝日新聞社 1961年 『愛が扉をたたく時』講談社(ロマン・ブックス) 1962年 『いやな感じ』文藝春秋新社 1963年 のち角川文庫
『激流 第1部』岩波書店 1963年 『高見順日記』全8巻 勁草書房 1964年-1965年、のち新版+続編(全9巻) 『高見順文学全集』全6巻 講談社 1964年-1965年 『詩集 死の淵より』講談社 1964年 のち文庫、文芸文庫 『わが埋葬』思潮社 1965年 『高見順全集』全20巻 勁草書房 1970年-1974年 『三十五歳の詩人』中公文庫、1977年 『高見順詩集』思潮社・現代詩文庫 1977年 編著『眠られぬ夜のために 療友に贈る書』(編)四季社 1950年 『目撃者の証言』(編)青銅社 1952年 『文学に見る日本の川 隅田川』(編)日本週報社 1960年 音楽座光寺公明作曲「死の淵より」OP.19(Voice,Pf 1982年) 詩:高見順 木下牧子作曲「いつからか野に立つて」(4 Voices 2003年) 詩:高見順 2024/06/12 19:09更新
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takami jun
高見順と同じ誕生日1月30日生まれ、同じ福井出身の人
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