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魔裟斗の情報 (まさと)
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【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

魔裟斗の情報(まさと) 格闘家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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魔裟斗さんについて調べます

■名前・氏名
魔裟斗
(読み:まさと)
■職業
格闘家
■魔裟斗の誕生日・生年月日
1979年3月10日 (年齢45歳)
未年(ひつじ年)、魚座(うお座)
■出身地・都道府県
千葉出身

(昭和54年)1979年生まれの人の年齢早見表

魔裟斗と同じ1979年生まれの有名人・芸能人

魔裟斗と同じ3月10日生まれの有名人・芸能人

魔裟斗と同じ出身地千葉県生まれの有名人・芸能人


魔裟斗と関係のある人

宇野薫: 2003年12月15日、WOLF REVOLUTION meets LUZで魔裟斗と1Rキックボクシングルール、2R総合格闘技ルールのエキシビションマッチを行った。


福島善成: 2019年3月24日放送の『石橋貴明プレミアム』で、K-1チャンピオン・魔裟斗との腕相撲対決で勝利、巌流島に近いルールで行われた芸能人対抗格闘技戦「落とし合い決戦・奈落の陣」では優勝した。


小比類巻貴之: 5月30日、魔裟斗(当時:小林雅人)相手に、膝蹴りで3度ダウンを奪い3RTKO勝ち。


川尻達也: 試合後、リング上でのマイクアピールで「二人で格闘技界を盛り上げませんか?魔裟斗選手、僕にもガッツンガッツン面白い打ち合いが出来るんでよろしくお願いします」と魔裟斗に対戦を呼びかけた。


才賀紀左衛門: これに関し、解説者の魔裟斗や関根勤が才賀に対して苦言を呈した。


山本匠晃: 2009年3月30日から2010年3月28日まで、魔裟斗・枡田絵理奈(同期入社のアナウンサー)と共に、土・日曜版の初代キャスターを務めていた。


佐藤嘉洋: 2008年10月1日、K-1 WORLD MAX 2008 FINALのトーナメント準決勝で、以前から対戦を熱望していた魔裟斗と対戦。


ルスラン=カラエフ: また、この試合について解説を担当していた魔裟斗は「2人共ミドル級よりスピードが速かった」と評価していた。


アンディ=サワー: 2009年11月12日、大晦日での引退を表明している魔裟斗との試合が、谷川貞治K-1イベントプロデューサーより発表された。当初、魔裟斗は「今年のチャンピオンと引退試合をしたい」と語っており、世界王者のジョルジオ・ペトロシアンに魔裟斗は「大晦日空いてるかな?」「大晦日、日本で待ってるよ。


矢野武: 魔裟斗革命(アートポート)


アンディ=サワー: 2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜で魔裟斗の引退試合(3分5R延長1R、ロングスパッツ着用可のK-1特別ルール)の相手を務め、一進一退の攻防を見せ、4R序盤にダウンを喫するが、直後に猛反撃するが及ばず判定負け。


レミギウス=モリカビュチス: 2006年4月5日、K-1 WORLD MAX 2006 世界一決定トーナメント開幕戦のトーナメント1回戦で魔裟斗と対戦し、2RTKO負け。


平本蓮: その後、魔裟斗に関しては、「それは高校1年の頃の話。20歳を越えた頃から色々気付いてきて、魔裟斗をだんだん嫌いになった。シンプルに魔裟斗は見る目が無い。魔裟斗を崇める必要なんて無い。もうアイツのことはどうでもいい」、「現役時代に30歳近くになっても相手を、ブンブンうるせえハエがよぉ!とか言ってた魔裟斗に文句を言われたくない」「今の格闘技界はあんたの居場所じゃない」「自分がやってないのに今の選手に口出ししたりする『老害』」と言い放った。


村田諒太: 憧れのアスリートとして魔裟斗と室伏広治をあげている。


矢沢心: 夫はK-1選手の魔裟斗


アルバート=クラウス: 7月7日の準々決勝ではシャミール・ガイダルベコフに判定勝ちしたものの、準決勝で王者魔裟斗に判定負け。


村田諒太: 2005年にはキングスカップに出場、前年のアテネオリンピックミドル級銅メダリストでムエタイで魔裟斗に勝ったこともあるスリヤー・ソー・プルンチットに決勝で敗れ、銀メダルを獲得。


ルスラン=カラエフ: 魔裟斗から「ミドル級より速い」と評価されるスピードと異名通りの超高速の連打、バックハンドブロー、バックキック、バックスピンキックを得意とする。


千葉真一: 勝野洋・小堺一機・夏樹陽子らは花環を贈呈し、出席者に上記発起人ほか、太田昭宏・北島三郎・関根勤・高岡早紀・高橋和也、デヴィ・スカルノ、南部虎弾、ビリー・ブランクス、堀田眞三・魔裟斗・松木安太郎ら、多数の芸能人を含む、各界から約600人がお祝いに集った。


水島康貴: 年末の格闘技のイベントPRIDE、DYNAMITEを始め、格闘家魔裟斗、格闘家吉田秀彦引退試合のオープニング曲、美空ひばり追悼コンサートアレンジ、早乙女太一舞台音楽など大きなイベントでの迫力、スケール感のある音楽を担当。


佐藤嘉洋: しかし、ライバル視する魔裟斗がK-1 WORLD MAXを背負い体を張って戦う姿勢を見て、「これまでは勝てばいいと思ってやってきたが、KOも大事だなと思うようになってきた。


村田諒太: 村田が18歳の頃から魔裟斗がパンチのみのボクシングスパーリングをする際にスパーリング・パートナーとして招聘され拳を交えている。スパーリングでは村田に分があったものの、初めてスパーリングをした時は、当時ボクシングがK-1に人気を奪われていたことから「蹴りが無いパンチだけのスパーリングでは絶対に負けたくない」という意気込みに反して、既にK-1世界王者に輝いていた魔裟斗に劣勢を強いられた。ゴング格闘技で両者が対談した際に魔裟斗は「村田くんの素質の良さは当時から感じていた」と語っている。


渡辺久江: 魔裟斗と同じマネージメント会社所属となり、シルバーウルフで練習を積む。


青木真也: この試合は解説を行った須藤元気には「バチが当たった」、魔裟斗には「逃げてちゃ勝てないですよ」と酷評された。


ドゥエイン=ラドウィック: 2002年5月11日、K-1 WORLD MAX 2002 〜世界一決定戦〜の1回戦で魔裟斗と対戦し、0-3の判定負け。


秋山成勲: また、谷川貞治は格闘技専門誌等で「こちらはミルコ・クロコップや青木真也辺りと対戦してほしいとオファーしたが、秋山くんは自分よりも2階級も下で総合ルールの経験が一度も無い魔裟斗とK-1と総合のMIXルールで対戦したいと言ったり、高額なファイトマネーを要求したり、“強い相手と戦いたいからマッチメイク権を譲渡しろ”などと無理難題な要求をしてきた」と発言している。


武田幸三: 1回戦で小次郎、準決勝で安廣一哉に勝利するも、決勝で魔裟斗に判定負けし、準優勝に終わった。


安廣一哉: 一回戦第1試合勝者だった魔裟斗の左足首負傷によるドクターストップにより準決勝でアンディ・サワーと対戦し3-0の判定負けを喫した。


五味隆典: 2016年12月31日、KYOKUGEN 2016で魔裟斗とエキシビションマッチを行い、人生初のキックボクシングルールで対戦。


小比類巻貴之: 6月30日、K-1 WORLD MAX 2006 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜の準々決勝では魔裟斗と3度目の対戦。


魔裟斗の情報まとめ

もしもしロボ

魔裟斗(まさと)さんの誕生日は1979年3月10日です。千葉出身の格闘家のようです。

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来歴、戦績などについてまとめました。結婚、引退、現在に関する情報もありますね。魔裟斗の現在の年齢は45歳のようです。

魔裟斗のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

魔裟斗(まさと、1979年3月10日 - )は、日本の元キックボクサー、タレント、俳優、スポーツ解説者。千葉県柏市出身。日本人初のK-1 WORLD MAX世界王者。K-1 WORLD MAX 2003・2008世界王者。ISKAオリエンタル世界ウェルター級王者。

本名・旧リングネームは小林 雅人(こばやし まさと)。妻は女優・タレントの矢沢心。株式会社MASA・CHAEL所属。

所属ジムはシルバーウルフ。

2007年2月11日、女優・タレントの矢沢心と6年間の交際、5年間の同棲を経て入籍。翌2008年4月20日、都内のホテルで結婚披露宴を行った。

2012年6月22日、4年間の不妊治療を経て、第1子女児が誕生。

2014年9月27日、第2子女児が誕生。

2019年1月8日、第3子男児の誕生を報告。

来歴

千葉県柏市にて4700グラムで誕生した。小学校2年生の時に両親の都合で千葉県柏市から沖縄県へ引っ越す。小学校6年生の時に再び両親の都合により埼玉県朝霞市へ転居。小学6年次・中学校・高校時代を朝霞市で過ごす。埼玉栄高校へ進学するも中退。高校中退後は10種類余りの職を転々とした。

1994年、15歳でボクシングの名門ヨネクラボクシングジムへ入門。しかしプロテストをドタキャンし、そのままジムを去る。その後、キックボクシングへ転向、17歳で藤ジムへ入門した。

1997年3月23日、全日本キックボクシング連盟でのプロデビュー戦で竹原太と対戦し、1RKO勝ち。

1997年5月30日、小比類巻貴之と対戦し、膝蹴りの連打により3RKO負け。初黒星を喫した。共にデビュー2戦目同士で3回戦の前座扱いであったが、メイン、セミの試合のキャンセルが相次ぎ、繰上げでその日の興行のメインイベントになった。この試合を、『格闘技通信』(ベースボール・マガジン社)は急遽見開き2ページ、オールカラーで掲載した。魔裟斗は敗北したが、魔裟斗の入場シーンを1ページ丸々の一枚写真を使用するという異例の扱いであった。

2000年1月21日、全日本キックボクシング連盟主催『LEGEND-I』のダブルメインイベント(セミファイナル)でモハメッド・オワリ(ベルギー)と対戦予定であったが、魔裟斗が試合出場を拒否し「試合放棄」とされた。3月14日付けで藤ジムと全日本キックボクシング連盟に退会届を提出し、同連盟ウェルター級王座も返上、「シルバーウルフ」所属となった。その後しばらくは、総合格闘技団体・パンクラスの東京道場や新日本キックボクシング協会の伊原道場を間借りして練習を行う。魔裟斗は「自分のジムもなくて、いつ試合ができるかも分からないこの時期が一番つらかった」と語っている。

2000年7月26日、初の自主興行『Wolf Revolution』を開催し、メインイベントでクレイトン・コリヤーに1RKO勝ち。

2000年11月1日、K-1 WORLD MAXの前身に当たる興行『K-1 J・MAX』で、ムラッド・サリ(フランス)とISKAオリエンタル世界ウェルター級タイトルマッチを行い、2Rに左フックでKO勝ち。王座奪取成功。試合後、リング上でマイクを握った魔裟斗は「これからは僕の時代です」と宣言した。この試合は大きなターニングポイントになったと後に語っている。

2000年12月5日、タイで行われた『タイ国王生誕記念大会』でスリヤー・ソー・プルンチットと対戦し、判定負け。小比類巻貴之戦以来、3年6か月ぶりの敗戦となった。

2001年1月12日、Wolf Revolution 〜Second Wave〜にて1年前に対戦予定だったモハメッド・オワリを一方的に打ちのめして3RTKO勝ち。試合後、「俺が逃げたわけじゃないってことが証明できた」とコメントした。

2001年3月30日、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟主催『ODYSSEY-1』で伊藤隆の引退試合(エキシビションマッチ)の相手を務めた。

2002年2月11日、K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメントに出場。1回戦、準決勝共にKO勝ちで決勝に進出し、小比類巻貴之と対戦。判定勝ち。

2002年5月11日、K-1 WORLD MAX 2002 世界一決定戦の準決勝でアルバート・クラウス(オランダ)と対戦。2Rにクラウスの右ストレートでダウンを奪われ判定負け。

2002年10月11日、K-1 WORLD MAX 2002 世界王者対抗戦でアルバート・クラウスと対戦。引き分け。

2003年3月1日、K-1 WORLD MAX 2003 日本代表決定トーナメントに出場。トーナメント2連覇。

2003年7月5日、K-1 WORLD MAX 2003 世界一決定トーナメントの1回戦でマイク・ザンビディス(ギリシャ)と対戦。1R、わずかな隙を見せたザンビディスに跳び膝蹴りを見舞いダウンを奪うも、その後ザンビディスの反撃によりポイントを奪い返され、2-1の判定で辛勝。決勝戦で前年度王者アルバート・クラウスを2R、左フックでKOし、優勝を果たした。

2003年12月15日、『WOLF REVOLUTION meets LUZ』で宇野薫とエキシビションマッチを行った。1Rはキックボクシングルールであったが、2Rは総合格闘技ルールとなり、オープンフィンガーグローブでの戦いを披露した。

2004年7月7日、K-1 WORLD MAX 2004 世界一決定トーナメントでジャダンバ・ナラントンガラグ(モンゴル)、アルバート・クラウスをそれぞれ判定で下し、決勝戦でブアカーオ・ポー.プラムック(タイ)と対戦。連戦によるダメージが蓄積し、なおかつ片目が塞がった状態での戦いを強いられた。ブアカーオの攻撃に為す術もなく3Rにはフラフラの状態で戦っていたのにもかかわらず、3R終了時点判定1-0で延長R突入となり、延長Rで判定負け、準優勝となった。この判定は問題となり、大会終了後の7月9日に「3R終了時点の判定はミスジャッジングであり、不適格かつ不可解」であったとして、角田信朗を始めとした審判員の処分を発表した。また、3R終了時点でブアカーオが3-0の判定勝ちであったことを正式に認証することになったが、公式記録上の変更は行わなかった。

2004年12月31日、K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!で山本"KID"徳郁とK-1ルールで対戦。1R、山本にダウンを奪われた直後、ローキックが山本の金的を直撃し試合が中断する。山本自身「手足が震えた」というほどの致命的なダメージであった。そして5分の休憩の後、精彩を欠いた山本から2Rにダウンを奪い返し、判定勝ちを収めた。

2005年7月20日、K-1 WORLD MAX 2005 世界一決定トーナメント決勝戦の準々決勝でマイク・ザンビディスと対戦。ダウンを奪い判定勝ちしたが、自身の蹴りで左足腓骨を骨折し準決勝を棄権。

2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!で復帰。元プロボクサー大東旭と対戦し、2RTKO勝ち。

2006年6月30日、K-1 WORLD MAX 2006 世界一決定トーナメント決勝戦の準々決勝で小比類巻貴之と通算3度目の対戦。3Rにボディブローを効かせ、直後の左ストレートでダウンを奪い判定勝ち。準決勝でアンディ・サワー(オランダ)に3R終了間際にダウンを喫し判定で敗れ3位に終わる。

2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!において対戦予定だった元WBA世界スーパーフェザー級王者・チェ・ヨンス(韓国)が練習中に負傷したことにより、試合10日前に対戦相手がボクシング元日本ミドル級王者・鈴木悟に変更。結果は2RKO勝ち。

2007年10月3日、K-1 WORLD MAX 2007 世界一決定トーナメント決勝戦では、自ら指名した前年度王者ブアカーオ・ポー.プラムックと準々決勝で対戦。1Rに右ストレートでダウンを奪い、判定勝ち。準決勝ではアルトゥール・キシェンコ(ウクライナ)に2Rにカウンターの左フックでKO勝ち。決勝ではアンディ・サワーと対戦したが、2試合を戦ったダメージの蓄積に加え、サワーの猛攻で足が限界に達し、2R終了時に立ち上がることが出来ず、セコンドがタオルを投入しTKO負け。準優勝に終わった。

2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!で前年に対戦予定であったチェ・ヨンスと改めて対戦。3年続けて元プロボクサーとの対戦となった。1Rにダッキングに合わせたハイキックでダウンを奪うと、その後もパンチやローキックで攻め立てて3Rタオル投入によるTKO勝ち。

2008年10月1日、K-1 WORLD MAX 2008 FINALのトーナメント準決勝で、かねてから魔裟斗との対戦を熱望していた佐藤嘉洋と対戦。3Rに左フックでダウンを奪われるも判定勝ち。当時は「優勢選手に必ず10ポイントを付ける」というルールがあったにもかかわらず、優勢と判断された佐藤嘉洋に9ポイントしか付かなかったため、物議を醸した。続くアルトゥール・キシェンコとの決勝戦でも同様の判定が起こり、延長Rに判定勝ち。2度目のK-1 WORLD MAX世界王者となった。優勝直後にはリング上で「15年間やってきて、1つのことを頑張るといいことがあるって思ったね。皆も色々とあるだろうけど、途中で投げずに続ければ、結果はどうであれ、充実できると思う。はっきり言って俺は99%の努力と1%の才能でここまで来たけど、“継続は力なり”じゃないけど、ずっと続けたことが、このチャンピオンベルトにつながったと思います」とコメントした。

2009年3月22日、東京マラソン2009に出場し、3時間51分41秒で完走した。

2009年4月1日、記者会見を開き、2009年末を以って引退する旨を表明。「大晦日のDynamite!!で今年のトーナメント優勝者と戦いたい」「アンディ・サワーとは2度戦ってまだ勝っていないから、是非ともサワーに優勝してもらって挑戦したい。最後に俺がサワーに勝って終わるのは俺の運命」と発言した。

2009年4月21日、引退発表後の「初戦」として出場したK-1 WORLD MAX 2009 FINAL16で、かねてから魔裟斗が目を掛けていたHIROYAとエキシビションマッチを行った。

2009年7月13日、K-1 WORLD MAXでのラストマッチとなったK-1 WORLD MAX 2009 FINAL8にて、ファン投票で推薦された総合格闘家・川尻達也と対戦。試合決定直後から、川尻の打撃トレーナーも加わり激しい舌戦を繰り広げた。1Rに右ストレートでダウンを奪い、2Rにパンチのラッシュで追い込んだところで川尻陣営からタオルが投入されTKO勝ちを収めた。

2009年10月26日、K-1 WORLD MAX 2009 FINALにてジョルジオ・ペトロシアンが圧倒的な強さで優勝。その直後に魔裟斗はリング上でペトロシアンに対して「大晦日空いてるかな?」「大晦日、日本で待ってるよ。」と挑戦を表明した。しかし、その翌日、ペトロシアンが準決勝山本優弥戦の時点で既に右手の指を骨折していたことが発覚したため、対戦の正式決定には至らなかった。

2009年11月7日、「SILVERWOLF presents FINAL REVOLUTION 〜大宮司進 FINAL〜」で、所属ジムの同僚である大宮司進とエキシビションマッチ(K-1ルール・3分2R)で対戦した。

2009年11月12日、世界王者ジョルジオ・ペトロシアンの右手の指の骨折が完治しないため、準優勝者であり過去2戦2敗のアンディ・サワーとの大晦日での引退試合が決定した。

2009年12月31日、さいたまスーパーアリーナにて行われたDynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜でアンディ・サワーとK-1特別ルール(3分5R延長1R、サワーが希望するシュートボクシングのロングスパッツ着用可)で自身の引退試合を行った。4Rにカウンターの右フックでダウンを奪うもサワーも盛り返し、最終5Rまでもつれ込んだが3-0の判定勝ちを収め、現役を引退した。

その後

2012年5月16日、K-1のエグゼクティブプロデューサーに就任したが、同年12月31日、「主催者側と運営方針などについて考え方の違い」を理由に辞任した。

2014年11月3日にスタートした『K-1 WORLD GP JAPAN』でゲスト解説を務め、現在も継続出演している。

現役復帰

2015年12月31日、東日本大震災チャリティーイベント『NIPPONFIGHT』にて現役復帰試合を行った。相手は2004年の大晦日にK-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!で対戦した山本"KID"徳郁で、結果は判定勝ち。

2016年12月31日、『NIPPONFIGHT』にて一年振りに登場。元PRIDEライト級王者五味隆典とK-1特別ルール(3分5R KOのみの決着。判定決着が無いので、5R終了時点で引き分け)で対戦。5R終了まで行われ、ドローとなった。

戦績

キックボクシング 戦績
65 試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
56 勝 25 31 0 3 0
6 敗 2 4 0

勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
五味隆典 5R終了 ドロー KYOKUGEN 2016 2016年12月31日
山本"KID"徳郁 3R終了 判定3-0 KYOKUGEN 2015 2015年12月31日
アンディ・サワー 5R終了 判定3-0 Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜 2009年12月31日
川尻達也 2R 1:43 TKO(タオル投入) K-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINAL8 2009年7月13日
アルトゥール・キシェンコ 延長R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL【決勝】 2008年10月1日
佐藤嘉洋 延長R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL【準決勝】 2008年10月1日
ドラゴ 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL8【準々決勝】 2008年7月7日
ヴァージル・カラコダ 3R 0:22 KO(右フック) K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL16【1回戦】 2008年4月9日
チェ・ヨンス 3R 0:51 TKO(タオル投入) K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!! 2007年12月31日
× アンディ・サワー 2R終了時 TKO(タオル投入) K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜【決勝】 2007年10月3日
アルトゥール・キシェンコ 2R 0:41 KO(左フック) K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜【準決勝】 2007年10月3日
ブアカーオ・ポー.プラムック 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜【準々決勝】 2007年10月3日
J.Z.カルバン 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜【1回戦】 2007年6月28日
オーレ・ローセン 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2007 〜世界最終選抜〜 2007年4月4日
鈴木悟 2R 2:22 KO(右ローキック) K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! 2006年12月31日
× アンディ・サワー 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD MAX 2006 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜【準決勝】 2006年6月30日
小比類巻貴之 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2006 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜【準々決勝】 2006年6月30日
レミギウス・モリカビュチス 2R 1:56 TKO(タオル投入) K-1 WORLD MAX 2006 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜【1回戦】 2006年4月5日
イアン・シャファー 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2006 〜日本代表決定トーナメント〜【スーパーファイト】 2006年2月4日
大東旭 2R 1:58 TKO(3ノックダウン:右ローキック) K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! 2005年12月31日
マイク・ザンビディス 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2005 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜【準々決勝】 2005年7月20日
イム・チビン 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2005 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜【1回戦】 2005年5月4日
山本"KID"徳郁 3R終了 判定2-0 K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! 2004年12月31日
× ブアカーオ・ポー.プラムック 延長R終了 判定0-3 K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント〜【決勝】 2004年7月7日
アルバート・クラウス 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント〜【準決勝】 2004年7月7日
ジャダンバ・ナラントンガラグ 3R終了 判定2-0 K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント〜【準々決勝】 2004年7月7日
セルカン・イルマッツ 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜【1回戦】 2004年4月7日
ヴィンス・フィリップス 2R 0:15 KO(右ローキック) K-1 WORLD MAX 2003 〜世界王者対抗戦〜 2003年11月18日
アルバート・クラウス 2R 2:26 KO(左フック) K-1 WORLD MAX 2003 〜世界一決定トーナメント〜【決勝】 2003年7月5日
サゲッダーオ・ギャットプートン 2R 2:55 KO(2ノックダウン:右アッパー) K-1 WORLD MAX 2003 〜世界一決定トーナメント〜【準決勝】 2003年7月5日
マイク・ザンビディス 3R終了 判定2-1 K-1 WORLD MAX 2003 〜世界一決定トーナメント〜【1回戦】 2003年7月5日
武田幸三 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2003 〜日本代表決定トーナメント〜【決勝】 2003年3月1日
村浜武洋 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2003 〜日本代表決定トーナメント〜【準決勝】 2003年3月1日
須藤元気 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2003 〜日本代表決定トーナメント〜【1回戦】 2003年3月1日
アルバート・クラウス 5R終了 判定1-1 K-1 WORLD MAX 2002 〜世界王者対抗戦〜 2002年10月11日
メルヴィン・マーリー 2R 2:59 TKO(レフェリーストップ:右ローキック) Wolf Revolution 〜resurrection〜 2002年8月6日
× アルバート・クラウス 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD MAX 2002 〜世界一決定戦〜【準決勝】 2002年5月11日
ドゥエイン・ラドウィック 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2002 〜世界一決定戦〜【1回戦】 2002年5月11日
小比類巻貴之 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 〜日本代表決定トーナメント〜【決勝】 2002年2月11日
後藤龍治 3R 2:52 KO(2ノックダウン:左フック) K-1 WORLD MAX 〜日本代表決定トーナメント〜【準決勝】 2002年2月11日
村浜武洋 3R 0:30 KO(2ノックダウン:右ストレート) K-1 WORLD MAX 〜日本代表決定トーナメント〜【1回戦】 2002年2月11日
ノエル・ソアレス 3R 1:30 TKO(レフェリーストップ:フック連打) K-1 WORLD GP 2001 決勝戦【K-1 WORLD MAX スーパーファイト】 2001年12月8日
ベン・バートン 4R 1:10 KO Black List 010 meets Wolf Revolution 2001年8月23日
ゴラン・ダニロヴィック 2R 2:06 KO(ローキック) Wolf Revolution 〜Third Wave〜 2001年6月22日
パトリック・エリクソン 5R終了 判定3-0 K-1 BURNING 2001 〜火の国熊本初上陸〜 2001年4月15日
モハメッド・オワリ 3R 1:26 TKO(タオル投入) Wolf Revolution 〜Second Wave〜 2001年1月12日
× スリヤー・ソー・プルンチット 5R終了 判定 タイ国王生誕記念大会【スーパーウェルター級選手権】 2000年12月5日
ムラッド・サリ 2R 0:48 KO(左フック) K-1 J・MAX【ISKAオリエンタル世界ウェルター級タイトルマッチ】 2000年11月1日
クレイトン・コリヤー 1R 1:15 KO(左フック) Wolf Revolution 〜First Wave〜 2000年7月26日
メルチョー・メノー 4R 2:59 KO(3ノックダウン:ローキック) コロシアム2000 2000年5月26日
ゴーンナパー・ソー・チャルァームサッグ 2R 0:59 TKO(レフェリーストップ:左アッパー) サムローンスタジアム 2000年4月16日
"イーヴィル"エヴァル・デントン 5R終了 判定3-0 全日本キックボクシング連盟「WAVE-XIII」 1999年11月22日
ニック・ミッチ 5R終了 判定2-0 全日本キックボクシング連盟「WAVE-XII」 1999年10月8日
スティーブ・ミッチ 2R 2:15 TKO(ドクターストップ) 全日本キックボクシング連盟「WAVE-V」 1999年8月17日
マテオ・トレビジョン 5R終了 判定3-0 全日本キックボクシング連盟「WAVE-IV」 1999年7月13日
ジェームス・シャサー 5R終了 判定3-0 全日本キックボクシング連盟「WAVE-III」 1999年5月11日
千葉友治 3R 0:34 KO 全日本キックボクシング連盟「WAVE-II」 1999年3月17日
土井広之 5R終了 判定1-1 全日本キックボクシング連盟「WAVE-I」 1999年1月25日
アレキサンダー・フォカロルス 5R終了 判定3-0 シュートボクシング「GROUND ONE TOKYO」 1998年12月27日
嶋村哲昌 1R 2:32 KO(左フック) シュートボクシング「GROUND ZERO TOKYO」 1998年11月14日
坪井淳治 5R終了 判定3-0 全日本キックボクシング連盟 1998年10月16日
K・タカハシ 4R終了 判定3-0 全日本キック&MA日本キック合同興行「KICK CHAMPION'S NIGHT」 1998年9月19日
河野貴巳 3R終了 判定3-0 全日本キックボクシング連盟 1998年7月8日
千葉友治 3R終了 判定3-0 全日本キックボクシング連盟 1998年3月22日
× 小比類巻貴之 3R 2:52 KO(膝蹴り) 全日本キックボクシング連盟「KICK OVER-VI」 1997年5月30日
竹原太 1R KO 全日本キックボクシング連盟「KICK OVER-IV」 1997年3月23日

2024/06/23 15:42更新

masato


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