かがみあきらの情報(1957年10月22日-1984年8月9日) 漫画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
かがみ あきらさんについて調べます
■名前・氏名 |
かがみあきらと関係のある人
かわすみひろし: 少年時代に美少女を描くかがみあきらの影響を受けて、漫画家を目指した。 大塚英志: 2004年12月、大塚英志は1984年8月に急死した友人の漫画家のかがみあきらの個人選集『ワインカラー物語―かがみあきら選集』(ニュータイプ100%コミックス:2004年)を企画・編集・監修して角川書店より刊行した。大塚は選集だけではなく、いつか『かがみあきら全集』を刊行したいと2004年に述べている。 大塚英志: その後、校条満から徳間書店に漫画の持ち込みに来た新人の対応を任せられるようになり、その一人だったかがみあきらと友人になった。 池上遼一: 星雲児-聖・少年戦士伝(1982 - 1984年連載、『週刊少年サンデー』、全6巻、小学館、あかねこか・出渕裕・かがみあきらが制作に参加、池上は製作総指揮も兼任) わかつきめぐみ: デビュー直後の一時期、かがみあきらに私淑し、初期の「トライアングル・プレイス」(1984年)から「So What?」(1986年-1989年)にかけて、絵柄やストーリーのテーマに影響が強く見られた。 増田晴彦: 大学を中退し上京した後は、かがみあきらのアシスタントを経て、『漫画ブリッコ』に掲載された『MCシスターの部屋』で商業誌デビューする。 大塚英志: 親友だったかがみあきらが亡くなったのと、編集者人生を賭けたマンガ雑誌『少年キャプテン』が失敗したことで、ヤケクソになった大塚英志は、86年頃から他社の中堅クラスの版元の漫画雑誌創刊に参加してはすぐに廃刊になるのを繰り返していた。 大塚英志: 一方、徳間書店の『少年キャプテン』はかがみあきら不在の状態で、1985年1月22日創刊した。しかし、看板作家のかがみあきらの不在や、自社で新人漫画家を育てようとしていた編集部と、大手出版社からベテラン漫画家を引き抜こうとしていた徳間書店上層部との方針の食い違い等が重なり、『少年キャプテン』は徐々に迷走していった。 大塚英志: 大塚は看板作家にかがみあきらを置く予定であり、かがみの才能があれば雑誌を成功させられると確信していた。 久美沙織: 『薔薇の冠 銀の庭』(1984年)挿絵はかがみあきら。 早坂未紀: 同じく徳間書店の美少女漫画誌『プチアップルパイ』などにも参加し、同時期に同誌で活躍したかがみあきらやあさりよしとお等とともに、1980年代前半を代表するSF美少女漫画家として知られる。 大塚英志: しかし、1984年8月9日にかがみあきらは自宅で急死してしまう。かがみあきらが亡くなったのは、白夜書房よりかがみの単行本『ワインカラー物語』が刊行されたのとほぼ同時期だった。大塚が白夜書房にかがみあきらの急死を連絡すると、直ちに『ワインカラー物語』の単行本を重版しようと提案されたことで、担当営業の藤脇邦夫と口論になり、大塚は白夜書房に対する忠誠心を失った。かがみあきらが亡くなった半年後、大塚は『漫画ブリッコ』紙上で会社に無許可で同紙の休刊を予告したため、社内で問題になり、『漫画ブリッコ』85年9月号にて編集人を降板した。 ゆうきまさみ: 出渕裕・火浦功・美樹本晴彦・かがみあきら・とり・みき・河森正治・米田裕といった面々が原田について熱く語る日々を過ごし、エッセイ漫画などの形で仕事としても昇華していた。 大塚英志: 特に、大塚英志は『漫画ブリッコ』にて友人でもある漫画家のかがみあきらの『ワインカラー物語』(「あぽ」名義、83年10月号~84年4月号連載)の連載を担当していた。『ワインカラー物語』は本筋のラブコメとは別に、かがみあきら本人と大塚英志がモデルの編集者キャラ「オーツカ某」の2人が毎回登場して、楽屋落ちのネタをやるのが定番のギャグだった。「オーツカ某」というキャラクターを作ったのはかがみあきらであり、そのキャラクターは『漫画ブリッコ』に掲載されている他の作家の漫画にも楽屋落ち的に登場していく事になっていった。 |
かがみあきらの情報まとめ
かがみ あきら(1957年10月22日 - 1984年8月9日)さんの誕生日は1957年10月22日です。
現在、卒業、退社に関する情報もありますね。1984年に亡くなられているようです。
かがみあきらのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)かがみ あきら(1957年〈昭和32年〉10月22日 - 1984年〈昭和59年〉8月8日)は、日本の漫画家。男性。本名:鏡味 晃。かがみ♬あきらという表記も存在していたが、一般的には「かがみあきら」と表記する。他にあぽおよび山田栄子というペンネームも使用していた。 1980年代前半に精力的に活動しコアな人気を得ていた漫画家であるが、若くして亡くなったこともあり、プロとしての実働期間はわずか2年半足らずだった。 本名をかな表記した「かがみあきら」でSF系作品を発表する一方、“弟”というふれこみで別人を装って「あぽ」の筆名を併用しつつ、『漫画ブリッコ』等の雑誌でも活躍、当時の「美少女・ロリコン漫画」ブームの中で異彩を放つ作品を執筆していた。ただし、どちらの名義でも、現在で言う成人向け漫画に相当する作品は発表していない。 1957年、愛知県名古屋市に生まれる。1975年、市立名古屋商業高校を卒業。同年、獨協大学法学部に入学し、埼玉県草加市に転居する。1979年1月、作品を『ぶ〜け』(集英社)に投稿。 1981年2月、石森プロ入社。これが契機となって、メカニック・デザイナーの出渕裕を始め、アニメや漫画業界の関係者との交流が生まれるようになる。1982年、『カリオストロの城大事典』(ラポート)に掲載された「クラリスメモリー未来編」で商業デビュー。なお、実質上の商業デビューはその前の『アニメディア1982年7月号』(翌年2月号まで連載)の「鏡味 晃のファンジックコラム」。同年12月、漫画連載の決定に伴って石森プロを退社。プロデビューは石ノ森章太郎からの推薦がきっかけである。 1983年、雑誌『コペル21』にて、初の連載作品「ワンダートレック」を連載開始。それと前後して、各誌に漫画やイラスト等を発表。1984年2月、『鏡の国のリトル』を刊行。同年8月、白夜書房より単行本『ワインカラー物語』(あぽ名義 ISBN 4-938256-61-4)発行。これが生前に発行された最後の単行本となる。7月頃より体調を崩し、8月9日午後、マンションの自室で亡くなっているのが発見される。享年26。戒名、鏡誉晃彩紫雲居士。 最期については『漫画ブリッコ』1984年10月号掲載の編集長大塚英志による追悼コメントによれば、1984年8月9日午後、高田馬場のマンションの自室に関係者がドアのカギを壊して入ったところ、既に亡くなっており、死後2日ほど経過していたとされる。現在でいうところの孤独死であるが、詳細な死因については公表されていない。やって来る仕事をほとんど断らなかったことが仇となっての過労死とも、眠気覚ましのためにシャワーを浴びたが、身体を拭かずに冷房をかけたままの部屋で居眠りしてしまったことが原因での凍死とも言われるが、いずれにしてもオーバーワークの状態で体調を崩していたとされる。あぽ名義の日記漫画『月刊あぽすとろふぃ』最終回においても、「仕事が無いと不安なのでつい入れてしまう」と記している。なお、6月30日の時点で体調不良を友人で作家の佐野邦彦に伝えていた。 1985年、ラポートより『さよならカーマイン』発行(雑誌69159-51)。表題作の他、最初期作品の「故郷を求めて」や「クラリスメモリー未来編」、未完となった連載『はいぱぁ あくてぃぶ』などが収録された。 1985年から1986年にかけて、同人誌として遺作集『かがみあきらコレクション』『かがみあきらコレクション2』が発行されている(編集・発行は青柳 誠)。 1994年、没後10年を記念して、うたたねひろゆきらによる追悼本『かがみのくに』が頒布された。 2004年12月、角川書店より『ワインカラー物語―かがみあきら選集』(ISBN 978-4048538213)刊行。 2004年から2005年、コミック新現実 Vol.1,2,3,5 にて、かがみあきらの特集が行われた。 漫画家として一本立ちする前には石森プロに籍を置いたことがあり、出渕裕、ゆうきまさみ、美樹本晴彦などとも親交があった。河森正治とも交流があり、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』のメカデザインにも協力し「プロトカルチャーの食器」等の小道具デザインを手がけた。また、『さよならカーマイン』に掲載された解説によれば、日本サンライズのアニメ作品の企画にも携わっており、『レディキッド&ベビィボウイ』掲載のインタビュー記事では富野由悠季が、かがみを評価していた旨の発言を行っている。ただし、具体的にどの程度関わったのかはいまだ明かされていない。かがみの個人誌『NOCTURNE』によると、サンライズと接触する以前より、出渕からの個人的発注を受けて『戦闘メカ ザブングル』のホッグのデザインに協力していた様である。また、かがみの最後のアシスタントだった大屋正宏は、『重戦機エルガイム』第一話のザコメカをかがみがデザインしたと発言している。ただし、他の証言が全く見られないため憶測の域を出ない。この他に『銀河漂流バイファム』に登場する「デュラッヘ」の頭部と同じ画稿も残されているが、こちらも実際にサンライズに提出された物なのかは不明である。 ビデオやオーディオ機器に強い興味を抱いていた。洋楽、特にロックなどに造詣が深く、Yesのファンでもあった。そのため、後期の作品群にはキャラクターの衣服や背景の一部などに「Yes Lonely heart」の書き込みがなされていた。『はいぱぁ あくてぃぶ』第2回の扉絵は『究極』のジャケットが元になっている。他、『レディキッド&ベビィボウイ』の主人公・ボウイの自称がデヴィッドだったりと(つまり併せて「デヴィッド・ボウイ」)、洋楽ネタが散見している。夭逝を報じた『漫画ブリッコ』1984年10月号に掲載されたエッセイ漫画『月刊あぽすとろふぃ』でも、多忙の中でハワード・ジョーンズのコンサートを観覧したことが描かれている。 また当時、ゆうきや出渕裕らと同様に原田知世のファンでもあった。 人気を博していたとはいえ、美少女・ロリコン漫画としては特異な作風であったため、成人向け漫画で影響を受けた漫画家はそれほど多くない。逆に少女漫画ではデビュー当時のわかつきめぐみが私淑しており、『トライアングル・プレイス』などの初期作品で絵柄やストーリーに強い影響が見られる。 2011年現在、かがみあきら(あぽ名義も含む)の単行本は、角川書店刊「ワインカラー物語―かがみあきら選集」(ISBN 978-4048538213)を除き、絶版・入手困難となっている。以下は主な作品の参考リスト。 特撮雑誌『宇宙船』1983年秋号(Vol.16)にて特撮についてのイラストコラムを描いた。特に『時をかける少女』の原田知世と『Xボンバー』のラミアを推していた。 島本和彦の自伝的作品『アオイホノオ』の156話(単行本27巻に収録)にかがみの話題が出てくる(本人の姿は出ない)。1983年7月頃の話で、かがみも島本も高田馬場に住んでいた。 石ノ森章太郎 増田晴彦 田中雅人 ^ 厳密には「クラリス・メモリー どこが未来かわからんけどとにかく 未来編」。 ^ コミックの表紙における表記は「レディ❤キッド&ベビィ★ボウイ」 ^ かがみあきら SOCKETS人物データベース ^ 『comic新現実』 vol.1、角川書店、2004年9月29日、34頁。 ^ 『comic新現実』 vol.2、角川書店、371頁。 『さよならカーマイン』巻末資料「作品リスト」 『ワンダートレック』「かがみ あきら作品リスト」 『かがみあきらコレクション』 VIAF 日本 日本の漫画家 石森プロの人物 名古屋市出身の人物 1957年生 1984年没 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/20 11:16更新
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