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たてかべ和也の情報 (たてかべかずや)
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【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

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たてかべ 和也さんについて調べます

■名前・氏名
たてかべ 和也
(読み:たてかべ かずや)
■職業
俳優
■たてかべ和也の誕生日・生年月日
1934年7月25日 (年齢80歳没)
戌年(いぬ年)、獅子座(しし座)
■出身地・都道府県
北海道出身

(昭和9年)1934年生まれの人の年齢早見表

たてかべ和也と同じ1934年生まれの有名人・芸能人

たてかべ和也と同じ7月25日生まれの有名人・芸能人

たてかべ和也と同じ出身地北海道生まれの有名人・芸能人


たてかべ和也と関係のある人

成田剣: その後、たてかべ和也から名刺を貰い、「事務所に来ないか」と言ってくれたという。


田中康郎: 大学時代の同級生だったたてかべ和也と組み、劇団演劇座を結成。


長谷川俊介: たてかべ和也「座談会 たてかべ和也×ケンユウオフィス所属6人の声優たち」『一流の声優になる マニュアルのない職業就活ガイドシリーズ2』ゴマブックス、2009年1月30日、98-144頁。


橘U子: くじらとは肝付やたてかべ和也を通じ、長年親交がある。


小原乃梨子: 2005年、第14回日本映画批評家大賞で、『ドラえもん』(テレビ朝日版)のオリジナルレギュラー陣(大山のぶ代、野村道子、たてかべ和也、肝付兼太の4人)とともに田山力哉賞を受賞。


古澤融: その時、親友だった檀臣幸が、「最近、声優という割のいいバイトを始めたんだ」と言ってたのを思い出し、檀に泣きついたところ、たてかべ和也を紹介してくれたという。


高木渉: 見学を終えて帰り際に挨拶をしていたところ、その現場で出会ったキャスティングも携わっていたたてかべ和也に「君は、来週は来ないのか?」と言ってきて、当然見学は1日しか許されないだろうと思っていたため、「へえっ!? 来週も来ていいんですか?」と聞いていた。


矢口アサミ: 好きなアニメは『ドラえもん』で、初代・ジャイアン役のたてかべ和也に憧れていた。


肝付兼太: 2005年第14回日本映画批評家大賞で、『ドラえもん』(テレビ朝日版)のオリジナルレギュラー陣(大山のぶ代、小原乃梨子、野村道子、たてかべ和也の4人)とともに田山力哉賞を受賞。


肝付兼太: 『ドラえもん (テレビ朝日版第1期)』で共演したジャイアン役のたてかべ和也とは、50年以上の付き合いがあり特に仲が良かった。


小原乃梨子: ワンパク三人組(作詞・ばばすすむ、作曲・編曲:菊池俊輔、うた:小原乃梨子、肝付兼太、たてかべ和也


茶風林: たてかべ和也には声優業界で大変世話になったといい、本人は後に「足を向けて寝れない」と語っている。


和田ラヂヲ: たてかべ和也ほか『フリースタイル27 特集:ジャイアン・スピークス! たてかべ和也インタビュー』フリースタイル、2014年10月、ISBN 9784939138744


辻親八: その際に劇団時代からの先輩のたてかべ和也をゲストとして呼び、小学生だけでなくPTAからも喜ばれたことがある。


折笠愛: 悩みを感じ出していた時に舞台で共演していた緒方賢一と大山高男に勧められて、見に行っていたぷろだくしょんバオバブのマネージャー(当時)兼声優のたてかべ和也に「折笠いいねえ!」とぷろだくしょんバオバブに所属。


野村道子: 2005年、第14回日本映画批評家大賞で、『ドラえもん』(テレビ朝日版)の第1期レギュラー陣(大山のぶ代、小原乃梨子、たてかべ和也、肝付兼太の4人)とともに田山力哉賞を受賞。


水田わさび: 師匠である先代ジャイアン役のたてかべ和也に声をかけられ応募したオーディションでつかんだ初の大役で、内定の瞬間、感極まって号泣したという。


成田剣: 憧れたり尊敬する先輩はたてかべ和也と堀内賢雄を挙げている。


池田秀一: その後も俳優業と並行して洋画の吹き替えなどの仕事をいくつかしていたが、1970年代半ば、洋画のアテレコで一緒したたてかべ和也から紹介された小学校の先輩であった音響監督の松浦典良の勧めによりアニメ『無敵鋼人ダイターン3』に出演した。


古田信幸: 文学座を経て、当初は堀内賢雄と共に、たてかべ和也が代表を務めていたオフィス央に所属しており、1984年にはオフィス央と合併したぷろだくしょんバオバブに共に移籍した。


こおろぎさとみ: 事務所のマネージャーだったたてかべ和也からも「受かろうと思っているから駄目なんだよ。


小林沙苗: 当時ぷろだくしょんバオバブのマネージャーを務めていた声優のたてかべ和也がその東京公演を観覧した際、小林の演技力の高さを評価してスカウトしたことが、この業界へと入るきっかけとなった。


大山のぶ代: 2006年11月、第11回アニメーション神戸にて『ドラえもん』での功績が称えられ、レギュラー陣(小原乃梨子、野村道子、たてかべ和也、肝付兼太)と共に特別賞を受賞。


矢島晶子: 『アイドル伝説えり子』の田村えり子役のオーディションに受かり、声優の勉強をしていたある日、たてかべ和也に「矢島行くぞ」と言われ、機内版『ロジャー・ラビット』の収録スタジオへ連れて行かれた。


木村昴: 2005年4月15日よりテレビ朝日系テレビアニメ『ドラえもん』にて、たてかべ和也に代わりジャイアンこと剛田武の声を担当し、声優デビュー。


矢島晶子: そうして長島雄一(現:チョー)の娘役として舞台に立ち、長島を観に来ていたぷろだくしょんバオバブのマネージャー(当時)兼声優のたてかべ和也の目にかかりスカウトされた。


後藤邑子: 事務所の先輩だったたてかべ和也から、「声が悪目立ちするという欠点は、アニメでは武器にもなる」「毒は薬にもなる、それが声優の世界だ」と言ってもらい、「アニメだと目立つ声はひとつの武器なんだ、私の声もそうなり得るかもしれないんだ」と励みになった。


古澤徹: その時、親友だった檀臣幸が、「最近、声優という割のいいバイトを始めたんだ」と言ってたのを思い出し、檀に泣きついたところ、たてかべ和也を紹介してくれたという。


島津冴子: 同作で、三悪の声優である八奈見乗児、たてかべ和也、小原乃梨子から様々な指導を受けたという。


小原乃梨子: 2009年公開の実写映画版にアニメ版トンズラー役のたてかべ和也、アニメ版総監督の笹川ひろしの3人で実写版ドロンボーが経営するインチキ寿司屋の客として顔出しでカメオ出演している。


たてかべ和也の情報まとめ

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たてかべ 和也(たてかべ かずや)さんの誕生日は1934年7月25日です。北海道出身の俳優のようです。

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人物・特色、後任などについてまとめました。結婚、卒業、テレビ、ドラマ、映画、母親、趣味に関する情報もありますね。80歳で亡くなられているようです。

たてかべ和也のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

たてかべ 和也(たてかべ かずや、1934年〈昭和9年〉7月25日 - 2015年〈平成27年〉6月18日)は、日本の俳優、声優、マネージャー。設立時より死去するまでケンユウオフィス取締役を務めていた。北海道虻田郡喜茂別町出身、東京都世田谷区下北沢育ち。

1970年代までは本名の立壁 和也(読みは同じ)で活動。

北海道虻田郡喜茂別町で誕生。先祖は除虫菊の栽培をしていたという。父は胆振縦貫鉄道に勤めていたが、身体が弱く仕事を続けられないこともあり、1942年、小学2年生の時に東京都世田谷区下北沢に転居。そうではなかったら、北海道に在住していたかもしれないという。農協など、そういうところへ勤めて、結婚して、孫もできて、ストーブに当たりながら『ドラえもん』を見て、ジャイアンの声は当然誰かが演じているわけだから、「誰だよ、この憎たらしい声出してるのは」とそうだったかも知れないではないですかと語っていた。自身は一人っ子で、少年時代はのび太のようなタイプだったという。言葉に少し北海道訛りがあり、いじめを受ける。

戦時中の小学4年生の時は長野県松本市北東部にある浅間温泉に疎開していたが、その後、長野県塩尻市洗馬に疎開先を移った。その頃、夜ごと寝小便をするようになり、終戦の前後6ヵ月間続いていた。

疎開先から実家に帰った途端、寝小便は止まって、毎日、東京都世田谷区立代沢国民学校(現・世田谷区立代沢小学校)から帰ると野球に熱中。第1期生として東京教育大学附属駒場中学校(現・筑波大学附属駒場中学校)へ入学後も野球に熱中していた。

同高等学校時代に「人手が足りないから出てくれないか」と頼まれて演劇部の公演『アルト・ハイデルベルク』のユトナー博士役で参加。観客から大好評であり、「俺、ひょっとしたら俳優の素質があるのかも……」「芝居っておもしろいな」と、少し思ったという。しかし一方で何事にも縛られることが嫌いだったことから演劇部に入っていなかった。その後は、劇団民藝の『五稜郭血書』、『炎の人』、文学座の『華々しき一族』等々毎週のように東京中の芝居を見て歩いていた。どれを見てもただ感銘を受けており、「己の生きる道はこれしかない」と、演劇人への思い、俳優になる夢は日々募るばかりだったという。しかし芝居に特別興味があったわけではなかったという。高校卒業後、日本大学芸術学部演劇学科に進学。大学時代の同級生に小林清志がいる。

高校卒業後、「すぐにでもプロの劇団に飛び込んで研究生にしてもらおう」と考えていたが、両親の顔を見ていたところそれも言い出せなかったこと、サラリーマンになり、一人っ子のため、将来、両親の面倒を見るためという優しい気持ちだったこと、あまり勉強は好きではなく演劇学科だったらなんとなく遊べるような印象があったため同大学に進学したという。同大学進学後も勉強せず、ここでも『どん底』など数々の演劇公演に参加していた。この頃、プロデュースの仕事に興味を持ちはじめ、しばらく制作スタッフとしての勉強に力を入れていた。

同大学卒業後、テレビプロデューサーを目指して、北海道から九州まで、数々の放送会社の就職試験に落ちて日本テレビの大道具係をしていた。勤務のかたわら、大学時代の同級生だった田中康郎と組んで、劇団演劇座を結成し、『毒薬と老嬢』を北海道札幌市まで公演をしていた。その時に大学時代の同級生の小林から「俺たちの劇団に来ないか」と言われて、劇団泉座に入団。泉座は中華人民共和国の芝居を結構していたが、イデオロギー優先のものがほとんとで、『毛沢東語録』を読んで勉強するような、面白くない芝居ばかりだった。「やらないか」と言われたことから、「じゃあやってみるか」ぐらいの気持ちで舞台には立っていた。

テレビ放送開始後、洋画の吹き替えに出演して声優としての活動を始める。最初に吹き替えをしていた外画は「お金になるんだよ」というそれだけだったことから全然覚えていなかった。テレビドラマのデビューは『ダイヤル110番』。演劇集団未踏、東京俳優生活協同組合、河の会、江崎プロダクションに所属していた。

以前は本名で活動していたが、『タイムボカン』への出演を機に、子供にもわかりやすい「たてかべ和也」に改名したという。

事務所のマネージャーとちょっとしたボタンの掛け違いのようなことがあり、当初はズレを感じている程度かと思ったが、気が付くと、同じような疑問を感じている人物が周囲にもいた。その時、「じゃあ、俺たちでやろうか」ということになり、1979年、オフィス央という事務所を興し、社長職と声優を兼務していた。食べていけず、マネージャーのようなことをして、皆を売ろうとしていたが、結局は自分が売れてしまったりしており、役者をしながらマネージャーをするという気持ちはなかった。ところがタイムボカンシリーズ、『ドラえもん』もあったことからやらざるを得ないということもあり、皆を売りたかったからだという。その後、事務所のメンバーの反対を押し切ってのことで、一緒に来ていた連中は5年も頑張って来たことから、「このままやっていこう」と言ってくれた。しかし事務所に圧力がかかってくるようなこともあったため、「このままでは厳しい」と思い、合併を決断し、1984年ぷろだくしょんバオバブに吸収合併される。堀内賢雄を見出したのはこのオフィス央時代である。堀内がバオバブから独立し、ケンユウオフィスを立ち上げてからは、たてかべも同事務所に移籍し取締役も兼務していた。

2005年、第14回日本映画批評家大賞で、『ドラえもん』のレギュラー陣(大山のぶ代、小原乃梨子、野村道子、肝付兼太の4人)とともに田山力哉賞を受賞。さらに2006年11月、第11回アニメーション神戸で、同じくオリジナルレギュラー陣4人とともに特別賞を受賞。2007年3月には東京国際アニメフェア2007で、同じくオリジナルレギュラー陣4人と共に第3回功労賞を受賞。

2009年に、胃癌を患い胃を全摘出した。この際の治療でこだわったのは、レギュラーだった『ヤッターマン』のトンズラー役をやりきることだった。この癌までは大病が無く、一度も入院した経験もなかったため、「その手の事務仕事が苦手で、ストレスになってたかもしれない」と語っていたが、マネージャーが全てやってくれたという。

2015年6月18日午後1時49分、急性呼吸不全のため、東京都内で死去した。80歳没。たてかべは生涯独身で、親族と事務所関係者が最後を看取ったといわれる。2009年の胃の全摘出後は、癌の再発はなかったものの、晩年まで体調が優れず、老衰のような形で亡くなったという。レギュラーを務めていた『ベン10』のマックス・テニスン役がたてかべの最後の仕事であった。2015年6月19日放送の『ドラえもん』の冒頭にて追悼テロップが流れ故人を偲んだ。

たてかべの訃報に際して遺族やファン、テレビ朝日 や元相方の堀内の他、木村昴、水田わさび、神谷明、千葉繁、井上和彦などがツイッターやブログ、ウェブサイトなどでその死を悼み、藤子・F・不二雄ミュージアムの公式ブログでも追悼コメントが掲載された。

たてかべの通夜は6月23日に青山葬儀所で営まれ、木村や水田のほかに小原乃梨子・野村道子・肝付兼太・よこざわけい子・野沢雅子・かないみか・山寺宏一・戸田恵子ら約900人が参列。多数の声優や関係者からの供花が贈られた。前ドラえもん役の大山のぶ代は当時患っていた認知症の悪化もあり参列できなかった。その代わりにメッセージカードを寄せたが、封を開けずに棺に入れられたため内容は明らかにされていない。また、かないも自身のTwitterで母親の田上和枝も一緒に参列したことを語っている。通夜においては、葬儀委員長の堀内により挨拶が行われ、肝付が弔辞を寄せた。

たてかべの長年の盟友であった肝付は阪神タイガースファンだったたてかべに「阪神は優勝圏内にいますよ。優勝するといいですね」とV祈願をし、最後はスネ夫の声で「ジャイアーン、ジャイアンのくせになぜ先に逝っちゃうんだよ」と悲痛な声を挙げた。告別式は翌6月24日に同じ青山葬儀所にて営まれ、声優仲間など約600人が参列した。通夜に引き続いて肝付が弔辞を読み、「ドラえもんの26年は本当に楽しかったです。かべさんのおかげです」と感謝の言葉を述べ、スネ夫の声で「ジャイアーン!」と叫んで締めくくった。また、葬儀委員長の堀内も挨拶に立ち、公式サイトで「あなたの教えを忘れずに最後まで涙を見せずに見送らせていただきます。」と表明し、当初は涙をこらえていたが、最後にはたてかべの遺影に向かって「かべさーん、かべさーん」と声を震わせて叫び、「日本一の師匠でした」と涙ながらに感謝の言葉を述べた。遺体には愛用の帽子とジャイアンのトレードマークであるオレンジ色のTシャツが着せられ、出棺の際には事務所の意向で白い鳥を模した風船80個が飛ばされた。その後、遺体は品川区の桐ヶ谷斎場にて荼毘に付された。

この告別式は、最終所属先であったケンユウオフィスが葬儀主催を務めた。なお、たてかべは先述の癌治療を受けていたときの酒の席で「葬儀は内輪でやってくれればいいから」「偲ぶ会はどうだ?」と堀内に軽い口調で言ったが、「葬儀は盛大にやるから」と言われ「俺たちって何て楽観的なんだ」と大笑いしたと、存命時のインタビューで語っていた。

ケンユウオフィスは、たてかべの死後も「永劫所属」という扱いで、たてかべのプロフィールを残している。

人物・特色

声優としての代表作に、『ど根性ガエル』(第1作)の五利良イモ太郎〈ゴリライモ〉役、『はじめ人間ギャートルズ』のドテチン役、『ヤッターマン』のトンズラー役などのタイムボカンシリーズ、『ドラえもん』(テレビ朝日版第1期)の剛田武〈ジャイアン〉役などがあった。

声種はバリトン。

ゴリラのようないかつい役で知られていた。

たてかべ自身はジャイアンに限らず、傍若無人な役を演じるのは嬉しくて楽しかったという。

俳協時代は吹き替え以外にも、映りの仕事、ラジオの仕事があったが、どれも名前もない端役だった。映りの仕事は出番は少ないのに何日も拘束されたりもしていたが、吹き替えの仕事は嵐が来ても中止にならず、同じ端役なら吹き替えのほうがいい仕事だったという。

『ど根性ガエル』のゴリライモ役は、オーディションではなく、決め打ちで仕事が来ていたことからゴリライモ役を演じていたんではないかと語る。

タツノコプロのアニメに参加させてくれた際、初代社長の吉田竜夫に気に入ってくれて、プロデューサーに「これから、タツノコ作品にはたてかべさんを使う」と推薦してくれたこともあった。

『ベン10』ではマックス・テニスン役を演じていたが、『ベン10』はオーディションがあり、当初、日本側ではたてかべのようなのを起用するつもりはなかった。しかしオーディションで録音した声をアメリカに送り返さなくてはいけず、アメリカから、「このじいさん役の声は俺にしろ」と指名してきたことから、日本側はどうしようもなかったという。

趣味は野球観戦、読書。プロ野球では大の阪神タイガースファンである。『ヤットデタマン』の主役ロボの名前が「大巨人」になった際に激怒し、降板を示唆したことがあった。そのため、たてかべを引き留めるためにあえなく「大巨神」に名前を変えた、という逸話が残っている。

座右の銘は「元気、勇気、人気、時々呑気」。

対人関係

ぷろだくしょんバオバブに所属していた頃は、「合併が失敗だったとみんなが思ってしまうようなことになってはいけない」と思い、「『ドラえもん』だけはやめるわけにはいかないけど、ほかの仕事はやらなくていいから」と言われ、マネージャー業も務め、さらに常務取締役として矢島晶子、水谷優子、折笠愛、2005年以降ドラえもんの声を担当している水田わさびらを見出し、スカウト力にも長けていた。

特に矢島には、デビュー作から主演の『アイドル伝説えり子』を斡旋し、『クレヨンしんちゃん』も「園児の1人くらいは受かるかもしれない」とオーディションを斡旋した。矢島は「人材発掘して育てるのが好きだったようだ」と語っており、当時劇団青年座にいた水谷に至っては事務所が違うにもかかわらず薦めていたという。また、高木渉も一回だけの予定で見学に行った『ミスター味っ子』の収録現場で、たてかべから「来週は来ないのか?」「1日だけの見学で何がわかる。やる気があるなら最後まで来なさい」と言われ毎週見学に行くようになり、それが1年半の見学通いとなった。そこから高木はガヤを演らせてもらえるようになり、脇役でのデビューに繋がったという。

音響監督に「声が悪目立ちする」と評されていた後藤邑子には「声が悪目立ちするという欠点は、アニメでは武器にもなる。毒は薬にもなる」とアドバイスを送っている。

ジャイアン役

『ドラえもん』ではジャイアンこと剛田武役を1979年から2005年まで26年間担当した。ジャイアンの仕事が来たときは全然わかっておらず、「とにかく仕事が入った」というくらいだった。その時、「『ドラえもん』ってなんだ?」と思っており、藤子不二雄作品だったが、その人物も聞いたことがなかった。『オバケのQ太郎』は知っていたが、作者は無知だった。『ドラえもん』のキャスティングは、前述のゴリライモがあったからだと語る。

降板に際したインタビューでは、喜怒哀楽が激しく自分勝手なジャイアンを演じるためにエネルギーがいるため、1日20本の煙草を吸い、週6で酒を飲んで役に挑んでいたという。また、最後の収録を3か月後に控えて「最後の録音日に足掛け26年を振りどんな気持ちになるのか。もしかしたら、泣いてしまうかもしれません」と語り、次のジャイアン役には「ジャイアンと同じ性格では、生々しくなり彼の優しさや悲しさ嬉しさを表現できないので、気持ちが優しい人ならいいと思う」との希望を述べていた。

また、「ジャイアン役を継いでくれる人と酒を飲みたい」と考えていたが、後任となった木村昴が当時中学生であることを知ってがっかりしたものの、「あと5年は長生きして一緒に飲みたい」と語っていた。たてかべの念願が叶ったのは木村が20歳の誕生日を迎えてしばらくしてからであった。その間、木村が通っていた高校が偶然たてかべ宅と近かったこともあり、文化祭など学校でイベントが開催されるたびに足を運んでいたという。

『ドラえもん』映画シリーズの監督やチーフディレクターをつとめた芝山努によると、「声優陣はキャラクターを深く理解しているからこちらからは何も言わない。」と前置きしたうえでたてかべを例に出し、たてかべは「汚い言葉を使わないように」と意識していたらしく「バカヤロー!」や「クソッ」などの台詞をシナリオに入れると「ジャイアンはこんなこと言わない」とクレームが入ったとのこと。また、ジャイアンが空き地でたびたび歌っていた「おれはジャイアンさまだ!」の作詞も担当している。

後任

たてかべの高齢に伴う降板および死後、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。

後任 役名 概要作品 後任の初担当作品
石井康嗣 ビッグ・ハンド 『怪物くん』第2作 『CR怪物くん デーモンの剣』
辻親八 マックス・テニスン 『ベン10』 『ベン:10』
三宅健太 三悪の怪力男 「タイムボカンシリーズ」 『CRヤッターマン』

2024/06/13 06:30更新

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