みうらじゅんの情報(みうらじゅん) イラストレーター、タレント 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
みうら じゅんさんについて調べます
■名前・氏名 |
みうらじゅんと関係のある人
新垣仁絵: 2009年6月5日、日本テレビ『スッキリ!!』の「トークッス」にSPEEDとして出演した際、「最近はまっていること」として、阿修羅像に興味を持ち、みうらじゅんによる「阿修羅ファンクラブ」に入会したことを挙げた。 相橋愛子: みうらじゅん&山田五郎『男同志3』(MONDO21) 萬光美代子: 2010年 週刊SPA「微妙な贅沢」のコーナーにみうらじゅん、山田五郎とともに美人秘書役として掲載。 渡辺麻恵: 2011年に『週刊SPA!』の「みうらじゅん×リリー・フランキーのグラビアン魂」に登場。 関根勤: みうらじゅんは関根を日本のスティーブ・マーティンと評している。 ケビン=ベーコン: 2000年には、『インビジブル』での演技が評価され、第7回みうらじゅん賞を受賞している。 久保井朝美: みうらじゅんの信越ゆるキャラ運動会(2011年11月7日からの毎週月曜日、連続5回に渡る放送) 松丸友紀: えいせい魂 シーズン1「みうらじゅんのゼッタイに出る授業」 - 学生 役 松本菜奈実: 年末の「グラビアン魂アワード2016」でみうらじゅん個別賞(ルノアールの絵画で賞)を受賞。 日下ちひろ: EZチャンネル「みうらじゅんの回文道場」 水樹たま: この記事を見て気に入ったみうらじゅんが、週刊SPA!で連載する「グラビアン魂」に水樹を起用し、みうらとともに連載を担当するリリー・フランキーも「今、イチ推し。 赤平大: えいせい魂・シーズン1「みうらじゅんのゼッタイに出る授業」(ナレーション) 岡本信人: 役者の活動以外には「野草を調理して食べる」という一風変わった趣味がみうらじゅんによって『ザ・会議室』で取り上げられ、その後10年ほど遅れて『ナニコレ珍百景』や『熱中時間』、「Begin Japanology」などにも取り上げられ、一躍有名になった。 沢地優佳: 2021年、2023年、『週刊spa!』「グラビアン魂」みうらじゅん大賞受賞。 矢野武: 全日本コール選手権 with みうらじゅん(ユニバーサルミュージック) 大槻ケンヂ: 2021年のみうらじゅん賞を受賞した。 ウィル=フェレル: ちなみに『俺たちフィギュアスケーター』はみうらじゅんにより「みうらじゅん賞」を受賞。 西興一朗: みうらじゅんの一切無い殺意 ~折野則雄の事件簿~(2006年、TLIP) - 丹下健太 役 泉晴紀: ^ みうらじゅん対談集『正論』コアマガジン 橋本愛実: 2014年12月25日、みうらじゅんが独断で選ぶ「輝け! 第17回みうらじゅん賞」を受賞する。 長島雄一: 2009年、みうらじゅん賞を受賞。 吉田拓郎: 』と同じ月に出ていることから、みうらじゅんは「これがメディアミックスの始まりでないか」と述べている。 羽佐間道夫: みうらじゅんDS(TBSチャンネル) 岸田あさみ: みうらじゅんの信越ゆるキャラ運動会(2011年11月7日からの毎週月曜日、連続5回に渡る放送) 糸井重里: この事務所に、当時美大生でスタッフの友人であったみうらじゅんが盛んに出入りするようになり、糸井がみうらを『ガロ』編集部に紹介。 小市眞琴: 尊敬する人物はみうらじゅん。 門嶋淳矢: 2021年 グラビア界の名誉と言われる「週刊SPA!グラビアン魂AWARD みうらじゅん大賞」を、2021/4/20号の沢地優佳のグラビアで受賞。 池田貴族: 最後のソロ・アルバム『MiYOU』においてプロデュースを担当したみうらじゅんやアルバムに参加したミュージシャンの松岡基樹とも交友があり、またアルバム収録曲「天国なんか」のバックコーラスには池田の友人として、タレントのいとうせいこうや作家の泉麻人のほか、女優の伊藤かずえや俳優の鶴見辰吾、声優の神谷明、プロレスラーの佐々木健介などが参加している。 小泉かな: 「みうらじゅん×リリーフランキーのグラビアン魂」週刊SPA!! グラビアン魂AWARD2020トロフィー受賞。 田口トモロヲ: 1994年にハリウッド俳優のチャールズ・ブロンソンの男気に憧れるあまり、漫画家のみうらじゅんとユニット「ブロンソンズ」を結成。 |
みうらじゅんの情報まとめ
みうら じゅん(みうら じゅん)さんの誕生日は1958年2月1日です。京都出身のイラストレーター、タレントのようです。
人物、主要活動履歴などについてまとめました。卒業、現在、父親、テレビ、映画、離婚、事件、趣味、姉妹、兄弟に関する情報もありますね。去年の情報もありました。みうらじゅんの現在の年齢は66歳のようです。
みうらじゅんのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)仏教伝道文化賞沼田奨励賞 みうら じゅん (本名:三浦 純、1958年2月1日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。 血液型:AB型、ニックネームはMJ、じゅんちゃん、みうらさん。 妻はシンガーソングライターのbird。 京都府京都市出身。東山高等学校、武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業。 職業については、エッセイスト、小説家、ミュージシャン、評論家、ラジオDJ、編集長、ライター、解説者など幅広い分野で活動しており、公表している職業は「イラストレーターなど」。 亡き祖父は『拓本による京の句碑』を出版した饗庭蘆穂(あいば あしほ) 。 小学生時代から仏像と怪獣が好きな少年で、京都や奈良の仏像をめぐる。仏像が好きすぎて仏教系の学校に入学したが、途中でエロに興味が出て仏像に飽きる。仏像が好きな理由は、怪獣のように見上げる迫力があったからだという。 高校一年生でカセットデビューしてオリジナルソングは全16巻450曲に及ぶ。 高校時代から絵描きを目指し、2浪後に武蔵野美術大学に入学する。在学中から、友人が糸井重里の事務所に勤めていたため、特に何をするでもなく入り浸り、糸井が「タダでイラストを仕上げる奴がいる」と紹介し、カットの仕事をもらっていた。 1980年に『ガロ』誌上でデビュー。『ガロ』に持込をしたのは、他に掲載させてくれる雑誌はないと周囲に言われ判断したためだが、それでも当時編集長の渡辺和博の判断で何度もボツになった。デビュー作の「うしの日」も、一旦はボツになったが、その後、渡辺と親交の深かった糸井の「載せてあげれば?」の一言で掲載された。初期の頃の画風は現在とは全く違い、デビュー前は和田誠を真似た絵だったので、ガロに持ち込みに行った時には渡辺和博に「和田誠って名前変えれば?」と言われた。それからひさうちみちおの絵を真似たり試行錯誤したことから、デビュー時は「ヘタクソなひさうちみちお」のような絵であった。 みうらとガロとの出会いは、小学生の頃に熱を出して学校を休んだ際、父親が貸本屋から希望してた『COM』と間違えて『ガロ』を借りてきてしまい、つげ義春の『ゲンセンカン主人』の温泉シーンで始まった(抜いた)と後年語っている。 1982年には講談社の発行する『週刊ヤングマガジン』のちばてつや賞で佳作を受賞する。以後、『ビックリハウス』や『宝島』などの各雑誌で、関西ネタや怪獣ネタのエッセイやイラストを執筆する。1986年に刊行された、糸井重里を「相談」役にすえた漫画集『見ぐるしいほど愛されたい』で、キャンプなものを題材とする現在のスタイルを確立した。本人曰く、漫画を描くのは大嫌いであるが、完成原稿を並べて俯瞰で見ることだけが楽しみで描いているという。一般的にゆるい絵柄で知られているが、それはカエルの絵などに限り、人物や仏像などは時間をかけて描くことが多い。 1980年代後半からテレビ・ラジオでの出演も増え、多彩な活動を見せ始め、1989年には『いかすバンド天国』に喜国雅彦(漫画家)、滝本淳助(写真家)らと「大島渚」(由来は同名の映画監督の大島渚より)という名のバンドを結成して出演し、『カリフォルニアの青いバカ』というオリジナル楽曲を披露した。 1991年ごろには女装に凝り、いとうせいこう、安斎肇と「バギナーズ」という「女装バンド」を結成した。「ナオミ」の名でボーカルとギターを担当(安斎は「キャンディ・O」、いとうは「マリエ」)。バギナーズは外タレという設定で「遂に来日」「日本上陸」等と謳っていた。 1994年にはハリウッド俳優のチャールズ・ブロンソンの男気に憧れるあまり、映画俳優の田口トモロヲとユニット「ブロンソンズ」を結成。1996年にはいとうせいこうと「The Rock'n Roll Sliders」を結成し、みうらが撮影した写真にいとうが突っ込みを入れるという「ザ・スライドショー」が初めて開催され、以後何度も開催される人気公演となる。 1996年には青林堂からみうら漫画のベスト選集『はんすう』が刊行された。渡辺和博が解説を書いているが、「初めてみうら先生のオフィスに玉稿をいただきにいった時は、非常に緊張した。みうら先生からは、卓越した漫画にたいする意見をいただいた」という、現実にまったく反するイヤミな内容が書かれている。 1997年に自由国民社の『現代用語の基礎知識』による新語・流行語大賞のトップテンに「マイブーム」(後述)が選出され表彰される。 2003年には自伝的コミック『アイデン&ティティ』が、田口トモロヲの初監督作品として映画化され再び脚光を浴びる。『シベリア超特急』が縁で交流のある水野晴郎が世話人を務める日本映画批評家大賞では2004年度に功労賞を受賞。「勝手に観光協会」などのコラムの他、エッセイ、小説など文章の世界でも活躍中である。 歌手birdとの不倫(後にみうらの子を出産)が発覚し、前夫人と2007年春に離婚した。birdとは2006年末から「パートナー」という形で共同生活をしていたが、第2子の妊娠をきっかけに2009年に入籍をした。 2008年には興福寺創建1300年記念『国宝 阿修羅展』(2009年に東京・福岡で開催)にともない発足する『阿修羅ファンクラブ』の会長となる。「阿修羅ファンクラブ」の公式ソング「愛の偶像(ラブ・アイドル)」(作曲:高見沢俊彦、作詞:みうらじゅん)は、高見沢のアルバム『Kaleidoscope』に収録。 テリー伊藤の司会を務めるNHKの視聴者参加番組『テレ遊びパフォー!』にて怪獣デザインマスターを名乗り、全国より怪獣デザインを公募、その中の一枚のデザインから『長髪大怪獣ゲハラ』のシナリオを執筆し、樋口真嗣制作総指揮の短編映画として完成するまでに携わった。 2018年10月4日 仏教伝道文化賞沼田奨励賞を受賞した。 2021年に、2015年に出版された『「ない仕事」の作り方』が本屋大賞発掘部門「超発掘本!」を受賞した。 人物仏教マニアとして長きにわたる仏像マニアとして知られ、いとうせいこうと各地の仏像を見て回る『見仏記』は、書籍やDVDでシリーズ化されている。最近では、その流れから仏教に通ずる人生観を語ることもある。 『般若心経』に使用される278の漢字を市街地の看板などで使用されている文字から収集(各文字を写真撮影することによる『写経』)した「アウトドア般若心経」を完成させ、2006年秋の「タモリ倶楽部」で発表した。 いずれは出家する計画もある。さきの番組内では、インドア派であるみうらが撮影のためには外出が必要であり、「アウトドア」行動をとることが自らへの修行と位置づけられるため、家から出ることそのものを『出家』と表現していた。 1992年、日本テレビで放送された番組にて「大日本仏像連合」というバンドを結成し、不空羂索観音のコスプレをしながら自身が作詞した楽曲である『君は千手観音』を歌唱した。 音楽性高校1年生になって、いくら仏像を熱く語ってもモテないということに気づき、モテてるのは誰だろう、と考えて吉田拓郎を知る。吉田拓郎の初エッセイ集『気ままな絵日記』を読み「吉田拓郎になろう」と決めた。400曲くらい歌を作ったが、ほとんど吉田拓郎のマネ。みうらの名前がひらがな表記なのも、吉田拓郎の初期の名義が「よしだたくろう」だったことに由来している。50代半ばにしてまだロン毛にしているのも、あの頃の拓郎さんを引きずっているからという。『気ままな絵日記』はバイブルといい、自身の文体は、どんな文豪より吉田拓郎の影響を受けていると話している。 吉田拓郎を通してボブ・ディランを知り、「人生の師匠」とまでリスペクトしており、ディラン関係のCDなどは(安売りの千円CDなどまで含めて)コンプリートに近くコレクションしている。「サングラスはボブ・ディラン、ロン毛は吉田拓郎と、考えて見たらボクは自分なんてものはなく、色んなものが合体してできあがっている」と話している。 ロックマニアでもあり、主にボブ・ディランやトム・ジョーンズなどのキャラの濃いアーティストを愛好。また、半自伝的な漫画作品『アイデン&ティティ』シリーズでは、ウディ・アレンの映画『ボギー!俺も男だ』のハンフリー・ボガートのように、ディランが「主人公にだけ見える助言役」として、登場している。 長髪(およびサングラス)がトレードマークだが、1980年代半ばの「トレンディ系コラムニスト・ブーム」の際は、その影響で短髪にしていた時代があった。1982年〜1983年頃はテクノカットにしていた。この際、糸井重里の「モッズヘアいいね」という言葉を聞き、どうやらモッズヘアと言えばテクノカットにしてくれると思い込み、高円寺の床屋へ行って「モッズヘアにして下さい」と注文し店内を凍りつかせた伝説がある。だが、「本来の自分とは何か」と考え直し、長髪・サングラスの現在のスタイルに戻した。本人自身「自分が短髪だった『イカ天』が始まる前の1980年代は、すごく嫌いな時代だった」と語る。2011年1月17日放送回のバラエティ番組『クイズ☆タレント名鑑』(TBS)のコーナーで、約20年ぶりにサングラスを外した素顔をテレビ番組で披露した。 その他サブカル関連ファミコンなど8bitCPU家庭用ゲーム機のマニアでもあり、「クソゲー」は自分が生んだ言葉だと自認。 お笑い評論家としての顔も持ち合わせている。 エロ写真スクラップ収集家としても知られ、自作のスクラップ本は460冊を超えている。スクラップブック作成にはコクヨの「ラ40」とヤマト糊(L字タイプ)を使用している。みうら曰く「やはりエロは本能だから強い」。 高校時代は「犬に似ているから」という理由で、ジョンというあだ名を付けられた。その後、長い間入院し退院して学校へ行ってみると、今度は「死にかけ」というあだ名を付けられた。 堀江しのぶのファンであった。「日本の夏は堀江しのぶである」と力説して応援していたが、堀江は1988年にスキルス性胃がんのため23歳の若さで他界。その際にも「ボー然とした、ただ。そして生まれて初めて芸能人の死に対して泣けてきた」との言葉を残している。 1979年の有楽町日劇で行われたゴジラ大全集(東宝特撮日替わり上映)の際、館外に陳列されていた全長2メートルほどのディスプレイ用ゴジラ2体を酒に酔った勢いで友人らで盗んだことがある。12年後の1991年に、名古屋で宣伝用ゴジラぬいぐるみの盗難事件が起きたのをきっかけに、このエピソード『ゴジラの運搬』を漫画化して犯行を自白し、自身が所持していた1体を東宝に返却。「名古屋の君も早く返した方がいいよ」とコメントした。 主要活動履歴マイブームマイブーム(my boom)はみうらによる造語である。「my」と「boom」を組み合わせた和製英語で「自分の中だけではやっている物や出来事」といった意味で使用される。みうらのマイブームのルーツは小学生時代にさかのぼる。小学校の社会科見学で奈良・京都の寺院を見学してから仏像に興味を持ちはじめ、寺院で配布されているパンフレットの仏像の写真を切り抜き仏像の感想を添えスクラップしていた。この仏像ブームがみうらの人生初のマイブームとなった。この言葉は「大ブーム」に語感が似ていることから思いついたという。 1994年に『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演した際に発言したのを機に、その語感の良さもあって一般に広まっていった。そして1997年に新語・流行語大賞で表彰された。同賞を受賞した言葉は、一般的にマスコミが多用する例はあるもののマスコミ外で流行したとは言い難いものがほとんどであり、その年限りの一過性に終わり死語と化すことも多い。その中で、「マイブーム」はマスコミ外でも広く使われており、受賞後も廃れることなく使用され続け、遂には2008年1月に発売された『広辞苑第六版』にも掲載されている珍しい例といえる(一方、2006年に彩図社より発売された『死語大全』にも掲載されており、みうら本人はダブル受賞だと喜んでいる)。 みうら自身はマイブームを、「自分だけのブームだけで終わらせず他人に広めること」としており、彼が注目した事柄は自身が出演する番組や著作などのかたちで面白おかしく紹介している。またそれらを世間に広める際は、みうらが考案した造語を用いる。またまったく流行らず埋もれてしまった“ナイブーム”もあったとのことである。後述される、カニパンブーム、地獄表ブーム、バックオブエイジーズブーム、シンスブーム、AMAブーム、しびんブーム、男キッスブーム、テープカッターブームはナイブームとしてタモリ倶楽部内で検証された。 仏像ブーム 牛ブーム 飛び出し坊やブーム エロスクラップ作り ムカエマ(ムカツク+絵馬)
いやげもの(嫌+土産物)
カスハガ(カス+絵葉書)
とんまつり(とんま+祭り)
ゆるキャラ(ゆるい+キャラクター) らくがお(落書き+顔)
奥村チヨ再評価
『シベリア超特急』(水野晴郎監督・脚本・主演)
男キッス
シンスブーム
カニパンブーム
地獄表ブーム
バック オブ エイジーズ ブーム
AMAブーム
しびんブーム
テープカッターブーム
「みうらじゅん大図鑑」(宣伝会議)より 1965年-1967年(7‐9歳)第1期怪獣ブーム 1966年(8歳)第1期カエルブーム 1967年‐1973年(9-15歳)漫画家ブーム 1968年‐1969年(10‐11. 歳)第一期仏像ブーム 1968年(10歳)第一期吉本新喜劇ブーム/第一期渚ゆう子ブーム/第一期奥村チヨブーム 1971年-1977(13-19歳)エッセイストブーム/映画評論家ブーム 1972年‐1974年(14‐16歳)フォークシンガーブーム 1972年(14歳)第一期ブロンソンブーム/イラストレーターブーム/落合恵子・おセンチ・ポエムブーム/ユースホステルブーム 1974年(16歳)旅人ブーム/プログレブーム(意味なく瞑想期) 1974年‐1979年(16‐21歳)ボブ・ディランブーム 1975年‐1979年(17‐21歳)谷ナオミブーム 1976年(18歳・一浪当時)エロスクラップブーム(現在まで続行中) 1978年(20歳・大学1年)第二期怪獣ブーム/第一期女装ブーム/万引きブーム 1979年(21歳・大学2年)ウシブーム/ブルック・シールズ(ロリコン)ブーム 1982年(24歳)ハニワブーム/高円寺インドブーム 1985年‐1993年(27‐35歳)バカレコ・バカグッズブーム 1985年(27歳)ふんころがしブーム/ホウロウ看板ブーム/ガスギターブーム 1986年‐1988年(28∼30歳)変読ブーム 1986年(28歳)関西仕事ブーム 1987年‐1988年(29‐30歳)ピーポくんブーム 1987年(29歳)帝銀事件ブーム 1988年‐1993年(30‐35歳)桂米朝ブーム 1989年(31歳)第二期吉本新喜劇ブーム/イカ天ブーム 1989年-1992年(31‐34歳)クソゲーブーム 1990年(32歳)第二期カエルブーム/松本清張(マッちゃん)ブーム 1990年-1993年(32-35歳)杖ブーム 1991年(33歳)第二期女装ブーム/エマニエル(坊やを含む)ブーム/第二期渚ゆう子ブーム/ヤング巨泉ブーム 1992年-1993年(34‐35歳)第二期仏像ブーム 1993年(35歳)カスハガブーム/らくがおブーム/第二期奥村チヨブーム/お笑い虎の穴ブーム/バカ本ブーム/仏画ブーム 1994年‐1997年(36‐39歳)第二期ブロンソンブーム 1995年(37歳)いやげ物ブーム/芭蕉ブーム 1996年(38歳)トノ&コミー(殿山泰司&田中小実昌)ブーム/エンケン(遠藤賢司)ブーム/ジョージ・ハリスンブーム/ロブスターブーム 1997年‐2000年(39‐42歳)大木こだま・ひびきブーム/とんまつりブーム 1997年(39歳)角兵衛獅子ブーム 1998年-1999年(40-41歳)崖っぷちブーム 1998年(40歳)IZUMIN(泉麻人)ブーム 1999年‐2000年(41‐42歳)青春ノイローゼブーム/ムカエマ(むかつく絵馬)ブーム 1999年(41歳)ミイラブーム 2000年(42歳)和フィギュアブーム/湾ブーム 2001年(43歳)親孝行ブーム 2002年(44歳)ゆるキャラブーム 2003年(45歳)金魚ブーム 2010年(52歳)地獄ブーム 2013年(55歳)尿瓶ブーム 2017年(59歳)SINCEブーム 造語一例マイブーム ゆるキャラ クソゲー バカ映画 DT(童貞のこと) 見仏 グレート余生 エナリスト 『シベ超』 いやげもの みうらじゅん賞「この人にはだれも賞を贈らないだろう」というみうらの独断で選定・贈呈される賞。雑誌『宝島』で1994年に開始され、1999年までの7年間連載されたのち、同誌のリニューアルによって掲載が終了した。5年間のブランクを経て、「リリー・フランキーが『自分もみうらじゅん賞が欲しい』と言ったため」という理由で2005年から復活した。
2024/06/15 15:32更新
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miura jun
みうらじゅんと同じ誕生日2月1日生まれ、同じ京都出身の人
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