大槻ケンヂの情報(おおつきけんじ) ミュージシャン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
大槻 ケンヂさんについて調べます
■名前・氏名 |
大槻ケンヂと関係のある人
羽海野チカ: 神菜、頭をよくしてあげよう(大槻ケンヂ) 竹若元博: 筋肉少女帯の大槻ケンヂとはバッファローがホストを務めた深夜番組『超ねんてん博物館』で念願の共演が実現している。 膳場貴子: 大槻ケンヂの熱狂的なファンである。 橘高文彦: I STAND HERE FOR YOU(大槻ケンヂソロアルバム) (1995年8月23日) 美甘子: 芸名の由来は、自身の敬愛する大槻ケンヂの小説『グミ・チョコレート・パイン』のヒロイン・山口美甘子から。 楠野一郎: 大槻ケンヂのオールナイトニッポン 蓑部雄崇: “月ノ美兎の1stアルバムに堀込泰行、大槻ケンヂ、いとうせいこう is the poet、長谷川白紙ら豪華作家陣”. 箕輪単志: ボーカルは、緊急募集された199名のファンである(当初、199名の中には冗談半分で応募した大槻ケンヂが含まれていたが、結局辞退している。 そうる透: 大槻ケンヂ 林あさ美: 1997年からはCBC『ミックスパイください』、TBSラジオ『大槻ケンヂとタマゴのキミっ』のレギュラーに抜擢され、ABC・テレビ朝日系『熱闘甲子園』キャスター、マクドナルド「てりたまバーガー」のCMにも出演。 若林忠宏: ゲスト:大槻ケンヂ、マギー。 範田紗々: マキタ学級大文化祭2008(2008年10月25日、新宿ロフトプラスワン) - 主催:マキタ学級 共演:マキタスポーツ、杉作J太郎、大槻ケンヂ 他 小林香菜: ちなみに大槻ケンヂはこれらのキャッチコピーを絶賛している。 上柳昌彦: 当時、水曜日深夜は『大槻ケンヂのオールナイトニッポン』(1部)、『伊集院光のオールナイトニッポン』(2部)が編成されていたこともあり、深夜とは思えないほどの盛り上がる番組のラインナップが話題となり“バカばっかりの水曜日隊”と好意的に評されたこともある。 内田雄一郎: 2005年5月5日、「大槻ケンヂののほほん学校」にサプライズゲストとして登場。 濱田のり子: 偶像(アイドル)列伝〜オーケンの私はあなたが好きでした〜(2000年11月、学習研究社)※インタビュー - 大槻ケンヂ(著) 青木小明: 「もしサブカル界の売れないアイドルライターが大槻ケンヂの『サブカルで食う』を読んだら」(2012年5月15日)[7] 寺沢功一: 大槻ケンヂと橘高文彦「踊る赤ちゃん人間」 和月伸宏: また大槻ケンヂおよびその所属バンド筋肉少女帯のファンでもあり、作中にも影響が多く見られる。 ガリガリガリクソン: 他にもミュージシャンとの交友も深く、ファンキー末吉(元爆風スランプ)、大槻ケンヂ、BEAT CRUSADERS、ミドリカワ書房などと交友がある。 本城聡章: Mix Speaker's,Inc.のSeek、MoranのHitomi、えんそくのぶう、NoGoDの団長が大槻ケンヂからの影響を語っている。 青木美沙子: 大槻ケンヂ『ゴスロリ幻想劇場-大槻ケンヂ短篇集』表紙モデル(2005年12月、インデックス・コミュニケーションズ)ISBN 978-4757303515 山崎ハコ: 「ダレダレのブギ」 (作詞:大槻ケンヂ、作曲:山崎ハコ、編曲:萩田光雄) 椎名軽穂: よく似ていると言われる芸能人として、大槻ケンヂやロンドンブーツ1号2号の田村淳などの名を挙げている。 池田貴族: 途中で大槻ケンヂとのデュエットを挟み、最後の曲「天国なんか」ではバックコーラスとして千種高校の生徒160人が参加した。 美甘子: 他に尊敬している人は森田一義・植草甚一・大槻ケンヂ・諸葛孔明。 長田ノオト: 『ステーシー』(原作:大槻ケンヂ)(ぶんか社 1998年10月)/『ステーシー』文庫版(角川ホラー文庫 2001年) 清野茂樹: プロレス好きが高じて、1998年には大槻ケンヂを迎えた『プロレスワンダーランド』で日本民間放送連盟賞の優秀賞を受賞。 高木ブー: これに応え、筋肉少女帯ボーカルの大槻ケンヂも、恩返しとして高木が経営しているバーでのステージなどに自ら進んでゲスト出演するほか、『徹子の部屋』(テレビ朝日)出演時や著書などで感謝の意を述べている。 内田雄一郎: 筋肉少女帯の大槻ケンヂとは中学校からの付き合いである。 |
大槻ケンヂの情報まとめ
大槻 ケンヂ(おおつき けんじ)さんの誕生日は1966年2月6日です。東京出身のミュージシャンのようです。
人物、趣味/影響/エピソードなどについてまとめました。脱退、映画、家族、母親、父親、現在、趣味、ドラマ、病気、事件に関する情報もありますね。大槻ケンヂの現在の年齢は58歳のようです。
大槻ケンヂのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)大槻 ケンヂ(おおつき ケンヂ、1966年2月6日 -)は、日本のロックミュージシャン、作家、シンガーソングライター、俳優。本名は大槻 賢二(おおつき けんじ)。愛称は「オーケン」。 東京都中野区野方出身。有限会社オーケン企画所属。インディーズ時代に使っていた芸名は「おーつきモヨコ」「大槻モヨコ」など。身長178cm。血液型はB型。
1979年、内田の誕生日会での余興の延長線上として、友人数人とバンド「ドテチンズ」(別名:ザ・ドンズ)を結成。当初はエレクトーンを担当していた内田以外に楽器の演奏が出来るメンバーがおらず、大槻は健康器具の青竹を打ち鳴らしたりしていた。 1982年2月、内田と共にロックバンド「筋肉少女帯」を結成(当時のバンド名は「筋肉少年少女隊」)、大槻はボーカル・ベースに作詞を担当。ほぼ同時期、内田の高校の先輩であったケラ(現ケラリーノ・サンドロヴィッチ)がドテチンズの音源を聴いて面白がり、大槻と内田とケラの3人でカラオケユニット「空手バカボン」を結成、1983年にケラの主宰していたナゴムレコードからインディーズデビュー。 1988年、トイズファクトリーからアルバム「仏陀L」を発表しメジャーデビューした。 1995年、アルバム「ONLY YOU」をリリースして、ソロデビューした。 比較的初期からバンドのフロントマン兼宣伝塔として、ニッポン放送の深夜番組の『オールナイトニッポン』のパーソナリティーを始めとする様々なメディアに登場した レコード会社を数社移籍しつつ、ソロ活動や「UNDERGROUND SEARCHLIE」「1980年代の筋肉少女帯」といったユニット活動の後、1999年に筋肉少女帯を脱退、新バンド「特撮」を結成した。また、ソロ活動時に大槻のバックバンドを務めていた石塚BERA伯広(qyb、元筋肉少女帯、元SOFT BALLETサポート)や小畑ポンプ(すかんち)、佐藤研二(石窟寺院など、元マルコシアス・バンプ)と共にアングラロマンバンド「電車」を組んだ。 縁のあるミュージシャンやサブカル系のゲストを招いて新宿ロフトプラスワンにて行われるトークイベント「のほほん学校」も、1998年から定期的に行われている。 筋肉少女帯時代の一部のメンバーとは一時疎遠な関係であったが、イベントなどを通じ「仲直り」し、2006年7月に復帰。12月に筋肉少女帯復活ライブを行った。同年12月25日付で『大槻ケンヂと特撮ファンクラブ』より特撮のバンド活動休止が発表されるが、後に新しい所属事務所・オーケン企画より、活動休止ではなく、あくまで充電期間である、との説明が行われる。特撮としてのバンド活動は行われていないが、大槻ソロでの音源録音やライブでは、特撮メンバーと共に行われることがある。 1990年代前半から筋肉少女帯として活躍する傍ら文筆活動も始めている。小説に『新興宗教オモイデ教』『グミ・チョコレート・パイン』『ステーシー』などがある他、『オーケンののほほん日記』など多くのエッセイを著している。作家活動における文体は、昭和軽薄体を意識している。日本SF作家クラブの会員でもあるが、本人によれば幽霊部員状態が続いているという。 2007年、青春小説『グミ・チョコレート・パイン』が映画化された。 2011年4月1日から特撮としてのバンド活動も再開した。 2016年5月10日、声帯ポリープ切除手術を行い、退院したことを公表。 人物東京都立田柄高等学校出身(1期生)、日本デザイナー学院中退、2浪し東京国際大学へ進学後中退。 父、母、兄の4人家族。父は信用組合の理事で支店長をしていた。兄はTVカメラマンの大槻慎一(1964年 - 2012年10月)。父方の伯父は松竹を経てフリーとなった映画監督の大槻義一(おおつき よしかず、1927年7月26日 - 2011年12月)。特に両親は大槻のエッセイにも度々登場しており、その時々で面白おかしくエピソードが披瀝されている。大槻いわく父は「石橋を叩いても渡らない」几帳面な人間で、母は「イー加減」「アバウト」で大らかな人間である。筋肉少女帯が売れ出した頃、ライブに出かける際、母親に「ケンちゃんコロッケ揚げたてだから、食べていきなさい!」と呼び止められたり、父親からは仕事にあぶれても収入が得られるようにと賃貸アパート経営を勧められるなど、家人のおよそロックとはかけ離れた庶民臭さを嘆いている。 アーティスト名の表記を大槻ケンヂとしたのはKENZI&THE TRIPSのケンヂを真似たものである。 1970年代から80年代にかけてヒットしたサブカル誌「ビックリハウス」の常連投稿者(ハウサー)だった。当時の年齢は13歳。「ビッグムーン大槻」というペンネームで、「ジャパベン合衆国」というコーナーでは外務大臣の地位を得ていた。 「気弱な文学青年」という自己形容の通り、普段は穏やかでユーモラスだが、議論の際にはストレートな物言いを見せる一面もある。伊集院光のラジオ番組にゲストで呼ばれた際、当時伊集院が心酔していた催眠術に対して生放送中に疑問を呈し、当時の深夜放送界での盟友であった伊集院と数年間の絶縁関係に陥った(後に伊集院とは和解している)。また、「オタク」という言葉が確立する以前、『オールナイトニッポン』のパーソナリティ時代に、今で言うところのアニメオタク達を「アニマー」と名付けて批評したところ、リスナーから反論が寄せられる一幕もあった。 1990年代のバンドブームの最中を第一線で過ごした人物として、バンドブーム時代の追っかけギャル達の生態やヴィジュアル系と言われるバンド群に関して、小説やエッセイ、対談などで多く言及している。また自分自身(筋肉少女帯)を「Xは光、筋少は影」などとしてヴィジュアル系の元祖であることも自書やエッセイでほのめかしている。 26歳頃に、タイで食べたオムレツに入っていたマジックマッシュルームがきっかけで心的外傷後ストレス障害に悩まされる。森田療法による治療を受け、現在では克服したことを明かしている。 快獣ブースカのぬいぐるみを我が子と称して多数所持しており、寝食を共にするほど。特撮ではブースカをモデルにした「文豪ボースカ」という曲を制作、ライブのMCにもボースカ(ブースカ人形)を参加させている。 エッセイなどで臆面もなく「スケベー」と自認する。幼少時に水に濡れてスーツがテカテカになっていたウルトラセブンを観て性に目覚めたと語る。また、第39・40話「セブン暗殺計画」での夕日に照らされる十字架張りされたセブンに勃起したとも告白している。バンド結成以前は女性との縁も皆無で交際のきっかけさえ掴めずポルノ雑誌やビニ本、アダルトビデオで性欲を処理、バンドを結成してインディーズで話題になるまで全くモテなかったと言う。また初体験の相手はデビューしてから彼を取り巻きはじめた『ナゴムギャル』(ナゴムレコードファンの女の子)で、女性の方から接近してきたと主張している。女性遍歴を自著やトークなどにおいて赤裸々に語っており、性経験を題材にしたエッセイ『愛の履歴書』や『バンドマンの恋人になる方法』を著している。また、大槻は童貞時代の性に対する執着と妄想も、熱心に語ってきた。 「物品販売も大事」と悟り、バンド活動と共に販売促進に勤しむ面もある。 容姿を何度か大きく変えており、筋肉少女帯のメジャーデビュー直後までは黒髪を逆立ててメガネを着用していたが、アルバム『猫のテブクロ』の頃からはウェーブをかけた長髪を右へ流して後ろ髪は束ねることが多くなり、筋肉少女帯の活動休止と共に坊主頭にした。また、1988年の終わり頃から、デビルマンを真似たヒビ割れメイクをするようになり、以降の大槻のトレードマークになった。 当Wikipediaの記載を大槻ケンヂ当人は不本意と考え、一切参考にしてほしくないと思っている。 2021年のみうらじゅん賞を受賞した。みうらとはビックリハウスに投稿していた頃からの付き合いであり、とうに受賞しても良いはずであったが「忘れていた」ため、だいぶ年数が経ってからの受賞となった。 趣味/影響/エピソードサブカルチャーに関心があり、それらに関する多くの小説、エッセイの他に、曲の歌詞にも取り入れられている。 2013年8月には筋肉少女帯の大ファンであるプロレスラー入江茂弘の入場曲「タチムカウ-狂い咲く人間の証明-」を両国国技館で本人の入場に合わせてLiveパフォーマンスを行った。 特にUFOに関しては本人もマニアを自称するほど詳しく、一時期は心療内科の医師から「UFO禁止令」を出されたほどであったという。関連書籍も「百冊以上」読んできた識者とも言えるこだわりようだが、本人はUFOのみならず超常現象全体について「単純に「ある」「ない」だけで考えるのは馬鹿げている」「超常現象に関わった人々の人間ドラマ、その数奇さが面白い」という持論がある。 学生時代は昼食を抜いたり学校をサボったりして名画座や「黙壺子フィルムアーカイブ」に通い詰めたほどの映画好きであり、アート・シアター・ギルドやアメリカン・ニューシネマといった自身の作風ともリンクする陰鬱なものから、いわゆるB級映画やバカ映画までを幅広く見てきている。 特撮や漫画への愛着も深く、自身の創作においても特撮番組のテーマソングを歌ったり漫画を描いたりといった経験があるほか、エッセイでも言及が幾度もなされている。 プロレスや古武道を中心とした格闘技ファンでもあり、興行や大会などに足を運ぶ事もある。不安神経症を患ったことをきっかけに心身のリハビリとして実際に極真会館(大山派。当時)で空手を習っていた時期もあるが、上達はしなかったという。ただ、極真会館に在籍したままグローブ着用顔面殴打有りの新空手の試合にチャレンジするなどして、習い事としての格闘技のハードルを下げる活動を福昌堂の雑誌やムックで行った。 小学5年生から読書に目覚め、探偵小説やSFを読みふけって育った。この時から江戸川乱歩作品に精通しており、アルバム名や歌詞の中に作品のフレーズを多く引用している他、自らが乱歩に向けた手紙を歌詞の中に入れるなど、大の乱歩ファンとして知られている。自身のファンに向けて、乱歩の短編小説「二銭銅貨」で用いられた暗号を使用してメッセージを書いたことなどもある。作家業においても、エッセイでは怪人二十面相と明智小五郎に、明智の妻・文代、小林少年といった、乱歩の代表作『少年探偵団シリーズ』の人物関係などの考察や、それを基にした短編小説を発表している。過去には『世界・ふしぎ発見!』の乱歩特集でミステリーハンターとして出演した他、近年ではNHKの江戸川乱歩作品考察番組への出演(2005年)や、同局『名作平積み大作戦』にてプレゼン(2006年)を行ったりしている。 シャーロック・ホームズに没頭した時期もあり、ホームズが体得していた謎の東洋格闘技・バリツとは、当時のイギリスで教えられていた柔術を取り入れた護身術・バーティツなのではないかという仮説をエッセイ中で述べ、ホームズの子孫とモリアーティ教授の子孫がバリツを駆使して戦う短編小説の発表もしている。 他に文学関係では、中原中也や寺山修司などの影響も強く受けており、エッセイでは三島由紀夫、谷崎潤一郎、澁澤龍彦などの耽美的な作家にも言及している。特に中原に関しては、筋肉少女帯の「スラッシュ禅問答」「リルカの葬列」の歌詞の中に『サーカス』や『春日狂想』を引用したり、筋肉少女帯のアルバム『キラキラと輝くもの』に収録されている「サーチライト」では自ら「中也のパクリはもうやめたのかい?」と自虐的な表現として用いたことがある。 読書好きが嵩じて文筆業を始めた。小説においては星雲賞を二年連続で受賞、初の詩集に大塚英志が解説を寄稿、エッセイにおいては鹿島茂、坪内祐三、松岡正剛の賛をうけるなど、文芸の分野でもある程度の評価を得ている。 『林檎もぎれビーム! 』という歌を作詞作曲歌唱しているものの、シャクシャクという咀嚼音が嫌いなので中学生の頃から林檎は食べられない。 筒井康隆は自身の編纂したアンソロジー『人間みな病気』に「屋上」(『リンウッド・テラスの心霊フィルム』中の散文)を収録。後に同じく墜落死をテーマとした扱った短篇ホラー「二度死んだ少年の記録」(『最後の伝令』『驚愕の曠野(自選ホラー傑作集2)』所収)を発表している(作中冒頭で大槻についての言及があるほか、「ヒントは大槻くんからももらった」とも言っていた)。 アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のキャラクター・綾波レイのデザインは筋肉少女帯の「何処へでも行ける切手」の歌詞をイメージソースにしてデザインしたもの、とキャラクターデザインを担当した貞本義行がインタビューや自身が手がける漫画版『新世紀エヴァンゲリオン』の単行本2巻巻末で語っている。また、綾波レイの声・話し方のイメージは「福耳の子供」(『仏陀L』収録)のアウトロに収められた女性のモノローグを参考にした、と『スキゾ・エヴァンゲリオン』で本人がその影響を示唆する発言をしている。余談だが、当の漫画版2巻には綾波が単行本版『くるぐる使い』を読んでいるカットがある。 ビジュアルノベルというジャンル名の由来にもなったアダルトゲーム『雫』では、シナリオ担当の髙橋龍也が大槻の処女小説『新興宗教オモイデ教』を脚本を考える際の下敷きにしたと発言している。 荒木飛呂彦の長編漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』第4部「ダイヤモンドは砕けない」には、筋肉少女帯の曲の歌詞からの引用や、当時の大槻のルックスを参考にした敵キャラクター・音石明(スタンドはレッドホットチリペッパー)が登場している。小説雑誌「ジャンプノベル」第4号(1993年4月1日号)では、大槻と荒木の対談が実現している。 藤田和日郎の短編集「暁の歌」に収録されている「空に羽が…」では筋肉少女帯の「機械」から出典となっており、内容も同曲を漫画にしたような内容となっている。藤田の代表作「うしおととら」が2015年にアニメ化された際に筋肉少女帯は主題歌を担当している。 漫画家との関わりが多く、比較的著名なところでは山田花子や和月伸宏、平野耕太、奥瀬サキ、新井理恵、私屋カヲル、大岩ケンヂなどが影響を公言している。また『グミ・チョコレート・パイン』(佐佐木勝彦・清水沢亮)や『くるぐる使い』(大橋薫)、『ステーシー』(長田ノオト)などがコミカライズされており、オリジナル原作の漫画では『女王様ナナカ』(画:西炯子)がある。大槻自身が影響を受けた漫画家は楳図かずおで、『赤んぼ少女』を題材にした曲を作ったり、楳図がNHK「スタジオパークからこんにちは」に生出演した際は電話で楳図と対談した。この際に大槻は「最近の十代ってどう思います?」(当時は神戸連続児童殺傷事件の直後だった)と問い、楳図や大槻が作品で表現して来たグロテスクな世界が現実化しつつあるという懸念を共有した。 若手作家では滝本竜彦や遠藤徹、辻村深月などが影響を公言しており、また中沢健のデビュー作はグミ・チョコレート・パインにインスパイアを受けて書かれた童貞青春小説『初恋芸人』であった。大槻もその内容には感銘を受けて本の帯に推薦文を書いている。 影響を公言しているV系バンドえんそくのぶうとはお互いのトークイベントに招き合うなど親交があり、えんそくは筋肉少女帯カヴァーアルバム「僕の宗教へようこそ~Welcome to my religion~」をリリースしている。同作には最期の遠足のスピンオフにあたる内容となっている楽曲も収録されている。 メジャーデビューの際、アポロンに『文化放送のレコード室にあるの全部ダビングしていいから』と口説かれたと語る。 井上陽水と奥田民生を引き合わせた。井上から「君も含めて奥田とデーモン小暮を交えて飲みたい」と頼まれたことが始まり。 ミュージシャンとしての活動歴は長いが、スタジオの仕組みについては未だによくわかっていないことを2007年4月6日放送の『MUSIC JAPAN』第1回に筋肉少女帯で出演した際に自他共に認めた。橘高文彦がレコーディング作業をし、ボーカル録り以外完成していたとある曲をインストゥルメンタルにすることを他のメンバーと同意していたところ、大槻が詩の朗読を入れたいと言い出した。当時のスタジオは48チャンネル使え、更にもうひとつのスタジオとも繋いでいたため96チャンネル使えたが、今更収録するのも面倒臭かったため「スタジオで使えるチャンネルは限られていて、君の歌を入れる場所はない」と嘘をつき、大槻を納得させたことを明かした。 JASRACによる音楽独占管理が批判に上がる際、よく引き合いに出されるのが通称「オーケン事件」であった。自身が作詞した「高円寺心中」をエッセイに載せたところ、JASRACに歌詞の使用料を求められ、しかも印税として還元されなかったという話である。大槻本人が「使用料を徴収されたことはない。都市伝説だと思う」と公式に否定している。 冴島奈緒・結城ゆかり共演のアダルトビデオ「女教師の下着」(1989年4月24日、マドンナメイト)に生徒役で出演したことがある。絡みシーンはない。AV出演したことを宝島に掲載され、それが大槻ケンヂ本人であることを1989年6月28日の伊集院光のオールナイトニッポンにゲスト出演した際に告白している。 オールナイトニッポンのパーソナリティーを担当した際、当初はプレッシャーから放送前に毎回のようにブロン液を一気飲みしたり、飲酒して放送していたと後に告白している。 40代からギターを始めたが、それまで作曲は鼻歌とイメージをメンバーに聞いてもらいコードに起こしていた。 漫画家の箱ミネコとは同じ学校で、当時から面識があった。 小沢健二の13分間以上にも及ぶ「天使たちのシーン」をカバーしている。歌詞に対するリスペクトが溢れすぎ、原曲をとどめないシャウト多用のアレンジとなっている。 2024/06/14 15:32更新
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ootsuki kenji
大槻ケンヂと同じ誕生日2月6日生まれ、同じ東京出身の人
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