遠藤ミチロウの情報(えんどうみちろう) ミュージシャン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
遠藤 ミチロウさんについて調べます
■名前・氏名 |
遠藤ミチロウと関係のある人
大友良英: NHK・ETVでもたびたび放送されている通り、2011年、東日本大震災を受けて、遠藤ミチロウ、和合亮一らとともにプロジェクトFUKUSHIMA!を立ち上げ、フェスティバルFUKUSHIMA!の開催をはじめとした活動を毎年行っている。 早川義夫: 岡林信康、甲斐よしひろ、遠藤ミチロウ、桑田佳祐、佐久間正英など多くのアーティストにリスペクトされている。 友部正人: 参加者:谷川俊太郎、田口犬男、遠藤ミチロウ、石川浩司、知久寿焼、宮沢章夫、他 宮田岳: カバー・トリビュート・アルバム「ロマンチスト〜THE STALIN・遠藤ミチロウTribute Album〜」 /「負け犬」カバー参加(2010年12月1日) 岡本啓佑: カバー・トリビュート・アルバム「ロマンチスト〜THE STALIN・遠藤ミチロウTribute Album〜」 /「負け犬」カバー参加(2010年12月1日) 高橋和也: 1994年前後に元・ザ・スターリンの遠藤ミチロウとユニット「一本道」を組み、ライブ活動を行っていたことがある。遠藤ミチロウの「Just Like a Boy」は高橋がアメリカのアリゾナ州にあるホピ族の村から送った絵葉書をもとに生まれた歌である。 遠藤賢司: 遠藤ミチロウのトリビュートCD「青鬼赤鬼」に「午前0時」で参加。 戸川純: 2010年12月1日、『ロマンチスト〜THE STALIN・遠藤ミチロウTribute Album〜』に参加。 蛭子能収: 根本敬・山田花子・大槻ケンヂ・山野一・花くまゆうさく・福満しげゆき・巻上公一・水野しず・武内享・遠藤ミチロウ・柄本明 など数多くのアーティストに多大な影響を与え、1980年代のアングラ・サブカルチャー界を席巻した事でも知られている。 クハラカズユキ: 遠藤ミチロウ 安曇野めぐ留: 2017年5月27日公開映画「SHIDAMYOJIN-シダミョウジン-」(遠藤ミチロウ・小沢和史監督作品)。 澤竜次: カバー・トリビュート・アルバム「ロマンチスト〜THE STALIN・遠藤ミチロウTribute Album〜」 /「負け犬」カバー参加(2010年12月1日) 山崎春美: 遠藤ミチロウ(ザ・スターリン)(編曲) 山崎春美: その実態は吉祥寺マイナーのイベント「愛欲人民十時劇場」「剰余価値分解工場」に集った山崎春美、白石民夫、大里俊晴らの集団に高杉弾編集の自販機雑誌『HEAVEN』の編集者・ライターである隅田川乱一(美沢真之助)、山本土壺(山本勝之)、ロリータ順子(篠崎順子)が加わり、町田町蔵、工藤冬里、坂本龍一、佐藤薫、遠藤ミチロウ、細川周平、上野耕路、篠田昌已、武邑光裕、香山リカ、川島バナナなどの多彩なミュージシャンをゲストに巻き込んでいった不定形の即興音楽集団だった。 山崎春美: そして新宿ロフトにて「大里俊晴七回忌」として、遠藤ミチロウ、乾純、佐藤薫、工藤冬里、久下恵生、向島ゆり子、後飯塚僚、野々村文宏、香山リカなどかつてのメンバー・関係者が集ったライブ「SHINDACO~死んだ子の齢だけは数えておかねばならない」を開催。 山崎春美: 同年、北村昌士のSSE COMMUNICATIONSより、TACOの2枚のアルバムがカップリングでCD『タコ大全』としてリリースされたが、町田町蔵がゲストヴォーカルを務める曲「きらら」は差別用語に自主規制音が入り、また宮沢正一や遠藤ミチロウが参加した「赤い旅団」に至っては同じく自主規制として一切の情報が記載されない等、内容の不備があり、作品自体も山崎の許可を得ずにプレスされた海賊盤であった。 山崎春美: 1983年、坂本龍一、遠藤ミチロウ、町田町蔵、工藤冬里、上野耕路、宮沢正一、NON、川島バナナなど多彩なミュージシャンと山崎の歌詞とのコラボレーションによる1st.アルバム『タコ』 を発表。 遠藤賢司: フラワーカンパニーズ、曽我部恵一、小島麻由美、友部正人、ブロンソンズ(みうらじゅんと田口トモロヲによるユニット)、ホフディラン、ハイポジ、佐野史郎、遠藤ミチロウ、大槻ケンヂらが参加。 寺岡呼人: 現在も自身が主催するライブイベント『Golden Circle』を行っており、これまでにスペシャルゲストとして、仲井戸麗市、ムッシュかまやつ、木村充揮、矢野顕子、宮田和弥、忌野清志郎、遠藤ミチロウ、なぎら健壱、泉谷しげる、小田和正らを迎えている。 吉本隆明: また、パンク・バンド、スターリンの遠藤ミチロウは、吉本隆明に強い影響を受けており、彼を非常に尊敬している。 遠藤賢司: 「純音楽の道」、「男のブルース」、「幾つになっても甘かあネェ!」(PANTA、鈴木慶一、遠藤ミチロウもコーラス参加している)、「頑張れ日本」(2002年日韓共催W杯を記念して、武川雅寛のバイオリンをフィーチャーした新バージョン)、「ネコラ」(岸野雄一が擬音効果を担当、田口トモロヲがナレーションで参加している異色作)、「史上最長寿のロックンローラー」(1991年発表のものとは異なる新バージョン)などを収録。 小野誠彦: 1994年 - 遠藤ミチロウ 「空は銀鼠」 和合亮一: 遠藤ミチロウ、大友良英らとともに、NPO法人「プロジェクトFUKUSHIMA!」を立ち上げ、福島を盛り上げる活動をしている。 |
遠藤ミチロウの情報まとめ
遠藤 ミチロウ(えんどう みちろう)さんの誕生日は1950年11月15日です。福島出身のミュージシャンのようです。
人物、トリビアなどについてまとめました。解散、卒業、映画、現在、ドラマ、事故、結婚、離婚、再婚に関する情報もありますね。遠藤ミチロウの現在の年齢は73歳のようです。
遠藤ミチロウのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)遠藤 ミチロウ(えんどう ミチロウ、1950年11月15日 - 2019年4月25日)は、日本のロックミュージシャン。本名は遠藤 道郎(読み同じ)。 福島県二本松市出身。1980年代から1990年代に活動していたパンク・ロックバンド、ザ・スターリンの結成者でありヴォーカリスト。スターリン解散以降はソロ、アコースティックバンドで活動し、還暦を越えても精力的にライブ活動を行っていた。 11月15日 - 福島県二本松市に生まれる。少年時代を福島県で過ごし福島県立福島高等学校卒業後、山形大学人文学部へ進学。「東北地方のさらに奥である『北』へ行ってみたかった」というのが山形県へと向かった理由の1つであるらしい。高校2年までは全く勉強が出来ず,3年時に猛勉強して合格した。大学時代はイベンターとしてフォークシンガーのライブを企画したり、山形市の花小路という飲食店街でロック喫茶『ジェスロタル』を経営したりしていた。また旅行も好きだった模様で、ヒッチハイクで山形から九州まで行ったという逸話もある。 大学卒業後、ベトナムなど東南アジアを放浪。帰国後に東京へ上京し、友部正人のバックでベースを務めたり、一人弾き語りをするうちに当時住んでいたアパートの前の喫茶店で流れていたセックス・ピストルズ、パティ・スミスなどに感化され、アパートに住んでいた住人で【コケシドール】というバンドを結成する。 6月6日 - ドラムの乾純を固定メンバーとしてその後【バラシ】、【自閉体】を経てザ・スターリンを結成。演劇的とも呼べる派手なライブ活動で社会的なムーブメントを起こす。映像作家である石井聰亙とも交流があり、映画『爆裂都市 BURST CITY』にも【マッドスターリン】という役名でバンドとして出演している。映画の中で遠藤は臓物・豚の頭を客席に投げ込むなどのパフォーマンスを行い、当時のザ・スターリンの過激なステージングが疑似体験できる。また石井聰亙はザ・スターリンのPV、ラストライブビデオの監督も務めた。 7月1日 - 徳間音工(現在の徳間ジャパン)からシングル『ロマンチスト』、アルバム『STOP JAP』でメジャーデビュー。オリコン50位内に食い込み、バンドのスキャンダラス性と共に話題になる。 4月25日 - メジャーセカンドアルバム『虫』を発表。 5月2日 - 後楽園ホールにて超満員のライブを成功させる(その時のオーディエンス録音のテープを元に、ライブアルバム『絶望大快楽 LIVE at 後楽園ホール'83』(2005年)が発表されている)。 8月 -「ソノシートマガジン ING,O!」を創刊。 4月10日 - 自身初のソロアルバムである『ベトナム伝説』をカセットブック形式にてリリース。 2月 - ザ・スターリン解散。その後、ソロプロジェクトを始動。【Michiro,Get the Help!】というユニット名でG.N.P(グロテスク・ニュー・ポップ)をテーマにミニ・アルバム三部作を発表。 5月21日 - THE ROOSTERZのギタリスト下山淳と共に【ゲイノーブラザーズ】を結成し、アルバム『破産』を発表する。 【パラノイア・スター】や【ビデオ・スターリン】を結成し、並行して活動を行う。 7月5日 - 【パラノイア・スター】として制作したアルバム『TERMINAL』を発表する。 新生【スターリン】を結成し、アルファレコードとメジャー契約を果たす。 7月 - 西ベルリンのライブハウス、ポーランドのロック・フェスティバルにも出演。 【スターリン】解散。以後アコースティック・ソロの形態でソロ活動に入る。『お百度参りツアー』など、全国のライブハウスを転転とギター1本で廻るツアー活動も開始。バンドとはまた違った、自由でユニークなソロ活動を展開。ここで演奏を行った全国のライブハウスやバーを、書籍として「音泉Map 150」で紹介している。 元スターリンの安達親生(Ba)、元ザ・ファントムギフトのナポレオン山岸(Gt)、元Theピーズ、頭脳警察の後藤マスヒロ(後に元マリア観音の平野勇に交代)(Dr)とグランジサイケバンド【COMMENT ALLEZ-VOUS?】を結成、その後2年程活動する。 8月15日 - 戦後五十周年のこの年には今井寿らをゲストにザ・スターリンを復活させ(名義は【THE STALIN15】)、ON AIR EASTにて一夜限りのライブを行う。ザ・スターリンはその後、1996年元スターリンのベーシストである杉山晋太郎追悼ライブにて、2001年スターリンのトリビュートアルバム発売記念ライブにて復活している。 正月に奄美大島へ向かう飛行機内で当時BLANKEY JET CITYのドラマーであり、元ザ・スターリンのドラマーでもあった中村達也と邂逅し、奄美大島のライブでアンコールにてセッションを行う。これを機にそれまでソロとして活動を続けていた遠藤であったが、中村達也とのユニット【TOUCH-ME】を結成し、以降の複数のアコースティックバンド結成へとつながっていく。 石塚俊明とのユニット【NOTALIN'S】の活動がスタート。 上記のユニットにチェロの坂本弘道を迎えて、トリオバンドとして活動。 遠藤を信奉するthee michelle gun elephantのドラマーであったクハラカズユキとのバンド【M.J.Q】が始動。 東口トルエンズ、MOSTの山本久土が参加し、より音に厚みを持った<アコースティックスターリン>とも呼ばれる新たなサウンドを提示した。宮藤官九郎主催のイベント『グループ魂』への出演や、フジ・ロック・フェスティバルでの演奏も行う。映画『アイデン&ティティ』にも冒頭のインタビューシーンで登場。 自身の55歳になる11月15日の誕生日を最終日とした五日間連続ライブを敢行。その模様はDVD『Just Like a Boy』に収められている。 ハードコアバンドGAUZEのドラム・HIKOとのユニット【道HIKO】結成、【COMMENT ALLEZ-VOUS?】一夜限りの復活ライブを行う。 東北地方太平洋沖地震の影響で発生した福島第一原子力発電所事故によって被災した故郷である福島に対して、復興支援として「プロジェクトFUKUSHIMA!」を発足させる。 8月15日 - 「プロジェクトFUKUSHIMA!」のイベントとして、大友良英、和合亮一等と「8.15世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!」を開催。 11月15日、膵臓がんであることを公表。手術前の10月20日に直筆で書かれた遺言書は、2020年4月25日に公式サイトで公開された。 4月25日、膵臓がんを患い闘病を続けていたが、都内の病院にて逝去。 5月1日、各種メディアにて遠藤の死が正式に発表され、ダイアモンド☆ユカイ、田島貴男、高橋源一郎、香山リカ、吉本ばなななどが追悼のメッセージをTwitterなどのSNS上で配信した。5月22日と5月27日には、プロジェクトFUKUSHIMAでも縁のあるライブストリーミング・チャンネルDOMMUNEにて、10時間の追悼番組が配信された 人物ザ・スターリン時代、ライブなどで下半身を露出するなど過激で暴力的、破滅的なパフォーマンスを繰り返していたが、実際の遠藤は朴訥な東北訛りで気さくに話す、知的で温厚な人物であった。 デーモン閣下曰く「実際に会ったら、腰が低くてニコニコした良い人」。 スターリン時代のポップなパンク・ロックとハードコアの要素を交えた音楽性、暴力的かつセンセーショナルなパフォーマンスはザ・ジャームス(英語版)の影響を受けていると思われるが、本人は公式に否定しており、スターリンの音楽性の構築は初期のギタリストである金子あつしに負うところが多かったと述懐している。 スターリン時代に映画「爆裂都市」に陣内孝則率いる「バトルロッカーズ」のライバルバンド「マッドスターリン」のボーカル役として出演し、拡声器でのアジテーションや放尿、豚の生首を客席に投入する等のバンドのギグと同じように過激なパフォーマンスを繰り広げた。しかし、本人はこの時の自分の演技力の無さに愕然として、役者は二度とやらないようにしようと決めたという。 ザ・スターリン時代、同時期に活動していた忌野清志郎とメイクが似ていると言う事でよく間違われることを嫌がっていた。 明石家さんまに似ていると評判になり、本人と対談したり、ライブに花を贈った事もあった。 坂本龍一とは犬猿の仲で、お互い名指しで批判し合っている。その理由は、ラジオ番組でゲスト出演したデヴィッド・ボウイに対してザ・スターリンを中傷する発言をしたことや、対談で村上龍に対して「なぜ吉本隆明は遠藤を評価するのか」などと発言したことによる。しかし、2011年8月15日に開催された「8.15世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!」において共演を果たしている。 大槻ケンヂの著作の中で、2人で遠藤賢司のライブにゲスト出演した際に舞台裏で「大槻君、舞台に出たら、俺・遠藤、俺・ケンヂって言おうよ、これがホントの遠藤ケンジ」と嬉しそうに言われたという、駄洒落好きな面もある。 思想家の吉本隆明、元パンクロッカーで現在は小説家の町田康、コピーライターの糸井重里、グループ魂の宮藤官九郎らと交流がある。吉本隆明には強い影響を受けており、彼を非常に尊敬している。アコースティック・ギターを抱えて吉本宅を訪れ、対談はおろか、生演奏を行ったこともある。 ラーメンが大好物で、(インスタントは含まない)1日には必ず1杯ラーメンを食べることを心がけている。ツアーなどで各地を回る時は、必ず現地で有名なラーメンを食べてからライブに行く。そのためコンサート前後のブログやtwitterには必ずと言ってもいいほどラーメンの事も併記される。 トリビアグループ魂のメンバー港カヲルの母に、打ち上げで「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」を生演奏してあげたら、カヲルの母が鬱になってしまったということがあった。 タレントの千秋もスターリンのファンで、雑誌で遠藤の特集が組まれた際に、「結婚して私も遠藤になりました」というメッセージを送ったこともある。なお千秋はお笑いコンビ「ココリコ」の遠藤章造と結婚していたが、離婚を経てのちに一般男性と再婚している。 FLATBACKERやLOUDNESSに所属していた山田雅樹は、FLATBACKER時代の過激な歌詞に関して、遠藤の影響を受けている事を公言している。 元男闘呼組の高橋和也は、1994年前後に遠藤ミチロウとユニット「一本道」を組み、ライブ活動を行っていたことがある。遠藤ミチロウの「Just Like a Boy」は高橋がアメリカのアリゾナにあるホピ族の村から送った絵葉書をもとに生まれた歌である。 2024/06/14 10:51更新
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endou michirou
遠藤ミチロウと同じ誕生日11月15日生まれ、同じ福島出身の人
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