中本茂樹の情報(なかもとしげき) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
中本 茂樹さんについて調べます
■名前・氏名 |
中本茂樹と関係のある人
島貫省一: 1978年秋の明治神宮大会は、準決勝で3年中本茂樹投手に抑えられ優勝した同大に1-4で敗退。 後関昌彦: 初打点:1987年6月2日、読売ジャイアンツ7回戦(明治神宮野球場)、7回裏に中本茂樹の代打で出場、鹿取義隆から適時二塁打 銚子利夫: 初打席:同上、9回裏に中本茂樹の前に凡打 福王昭仁: 初安打:1988年6月7日、対ヤクルトスワローズ7回戦(郡山開成山球場)、中本茂樹から単打 中西清起: 東京都代表で出場した1981年の都市対抗では、日本生命の中本茂樹、電電中国の津田恒美(協和発酵から補強)に投げ勝ち準々決勝に進出。 野村謙二郎: 1989年4月9日の対阪神タイガース戦(広島市民球場)では代走として一軍で初出場し、同年5月4日の対ヤクルトスワローズ戦では6回裏に中本茂樹から一軍での初安打となる中前適時打を放つ。 松沼雅之: 同年の明治神宮野球大会では準決勝の東海大戦で原辰徳に本塁打を浴びるも延長11回を完投勝利して決勝に進出するが、エース中本茂樹を擁する同志社大に敗れ準優勝にとどまる。 金森栄治: 秋季では、岡田彰布の後の5番打者として9季ぶりのリーグ優勝に貢献するが、直後の明治神宮野球大会では準決勝で中本茂樹のいた同志社大に敗れる。 島田芳明: 同期のエース中本茂樹を擁し、関西六大学リーグでは1978年秋季リーグ、1979年秋季リーグの優勝に貢献。 大畑徹: 1年春に最優秀選手となり、秋の明治神宮大会では初戦で同大・中本茂樹と投げ合い、7-0(8回コールド)で完封勝利。 吉原孝介: 初盗塁:同上、9回表に二盗(投手:中本茂樹、捕手:古田敦也) 村岡耕一: 初打点:1985年4月22日、対ヤクルトスワローズ3回戦(明治神宮野球場)、9回表に中本茂樹から左前適時打 渡辺博之: 教え子に久野剛司・笹本信二・田尾安志・島田芳明・中本茂樹などがおり、田尾には中日入団前の際に「ただ飯、ただ飲みはするな。 片平哲也: 初本塁打:1987年10月11日、ヤクルトスワローズ戦(ナゴヤ球場)、6回に中本茂樹から左越ソロ |
中本茂樹の情報まとめ
中本 茂樹(なかもと しげき)さんの誕生日は1957年6月11日です。徳島出身の野球選手のようです。
卒業、引退に関する情報もありますね。中本茂樹の現在の年齢は67歳のようです。
中本茂樹のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 中本 茂樹(なかもと しげき、1957年6月11日 - )は、徳島県美馬市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 徳島商業高ではエースとして活躍。高校卒業後は、同志社大学へ進学し硬式野球部に入部。関西六大学野球リーグでは1978年秋季リーグ、1979年秋季リーグの優勝に貢献。1978年秋の明治神宮野球大会では準決勝で岡田彰布のいた早稲田大を、決勝で松沼雅之のいた東洋大を降し初優勝。1979年の第8回日米大学野球選手権大会日本代表に選出される。リーグ通算54試合に登板し31勝9敗、211奪三振、防御率1.49。記者クラブ賞2回、ベストナイン2回受賞。大学同期に島田芳明がいた。 大学卒業後は、社会人野球の日本生命に入団。1980年の日本選手権では準々決勝に進み、松下電器の長谷部優と投げ合うが、9回裏逆転サヨナラ負けを喫する。同年の世界アマチュア野球選手権(後のワールドカップ)日本代表に選出。優勝のかかったキューバとの対戦で先発に起用され、長谷部優、竹本由紀夫と無失点でつなぐが、竹本が本塁打を浴び0-1で惜敗、3位に終わった。1981年の都市対抗では、1回戦でリッカーの中西清起と投げ合うが敗退。 1982年オフに、ドラフト外でヤクルトスワローズに入団。 1984年には中継ぎ、抑えとして38試合に登板。その後も救援投手として活躍。 1988年は5月から先発として起用される。同年6月7日の巨人戦(郡山)でプロ初完投勝利を記録した。 1989年も先発投手として活躍する。 1990年には再び救援中心に戻る。 1992年限りで現役引退。 1995年、台湾プロ野球・俊国ベアーズの投手コーチに就任。 2004年には誠泰の投手コーチに就任し、同年退団。 2006年、巨人のアジア地域担当スカウトに就任。 2008年から2011年まで育成担当コーチ兼任。 初登板:1983年9月13日、対広島東洋カープ21回戦(明治神宮野球場)、5回表から3番手で救援登板、2回2失点 初勝利:1983年10月4日、対阪神タイガース21回戦(阪神甲子園球場)7回裏から2番手で救援登板・完了、2回無失点 ※9回表2死降雨コールド 初セーブ:1983年10月7日、対中日ドラゴンズ25回戦(明治神宮野球場)、8回表1死から2番手で救援登板・完了、1回2/3無失点 初完投勝利:1988年6月7日、対読売ジャイアンツ7回戦(郡山開成山球場)、9回2失点 20 (1983年 - 1992年) 73 (1993年 - 1994年、1996年 - 2002年) 71 (1995年) 83 (2003年) 75 (2004年) 115 (2008年 - 2010年) 104 (2011年 ) 徳島県出身の人物一覧 同志社大学の人物一覧 東京ヤクルトスワローズの選手一覧 個人年度別成績 中本茂樹 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan) 表 話 編 歴 宮井勝成 内田俊雄 宮崎康之 木下智裕 香坂英典 中本茂樹 二保茂則 向田佳元 井辺康二 三谷志郎 有賀佳弘 長井研介 市川和正 岡田彰布 小川淳司 谷真一 大石大二郎 高木豊 原辰徳 植村忠 熊野輝光 島貫省一 西川公紹 日本の野球選手 徳島県立徳島商業高等学校出身の野球選手 同志社大学体育会硬式野球部の選手 日米大学野球選手権大会日本代表選手 日本生命硬式野球部の選手 東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手 読売ジャイアンツ関連人物 日本の野球指導者 台湾の野球に関する人物 徳島県出身のスポーツ選手 1957年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目
2024/11/22 18:37更新
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nakamoto shigeki
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