井本隆の情報(いもとたかし) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
井本 隆さんについて調べます
■名前・氏名 |
井本隆と関係のある人
水沼四郎: 翌1980年の近鉄との日本シリーズも全7試合に先発、第3戦では9回に井本隆から決勝適時2塁打を放つ。 武上四郎: 「甲子園のアイドル」の入団は一大フィーバーを巻き起こした一方で、鈴木と西井らを放出し、ロッテから抑え投手の倉持明、近鉄からは2桁勝利3度の井本隆を獲得するなど出血を惜しまぬ思い切ったトレードを敢行。 鈴木康二朗: 1983年に井本隆との交換トレードで柳原隆弘とともに近鉄バファローズに移籍し、主にリリーフとして登板する。 久保康生: 打線が急失速、鈴木啓示、井本隆の左右両輪が精彩を欠いて最下位に沈んだチームにあって、42試合の登板で9勝8セーブを記録。 清俊彦: 1973年に清の投手成績も急降下し、自身の故障や太田幸司・井本隆など若手投手の台頭もあって徐々に出番が減るが、若手の梨田昌孝とバッテリーを組み、梨田に配球の妙を教えた。 土橋正幸: 松岡弘、井本隆、井原慎一朗の3ベテラン投手にファーム行きを命じ、6月15日から代行から正式に監督に昇格すると、一度、一軍ベンチに引き上げていた松岡に二度目のファーム行きを命じるなど、チームの体質改善に躍起となった。 柳原隆弘: 1982年オフに鈴木康二朗と共に井本隆との2対1の交換トレードで近鉄へ移籍。 加藤英司: 150本塁打:1977年5月29日、対近鉄バファローズ前期10回戦(島根県立浜山公園野球場)、5回裏に井本隆からソロ ※史上47人目 籠尾良雄: 当時の教え子に片田謙二、横山小次郎、有藤通世、浜村孝、山下司、井本隆がいる。 香川伸行: 1年目の1980年は、7月8日の近鉄戦(日生球場)で初出場し、4回裏から黒田正宏に代わってマスクを被り、5回表に回ってきた初打席では、ボールカウント0-3で井本隆から左翼席場外への特大の初打席初本塁打(史上14人目)を放った。 横山エミー: 多くの著名人や芸能人が通う六本木のゲイバーで出逢ったという元近鉄・井本隆との熱愛は、井本が妻帯者だったこともあり話題になった(後に井本がヤクルトへトレードされるきっかけにもなった)。 島谷金二: 1500安打:1982年6月21日、対近鉄バファローズ前期10回戦(藤井寺球場)、2回表に井本隆から左前安打 ※史上44人目 江藤慎一: 翌5日には野村から逆転の2号ソロ本塁打、14日の近鉄戦(後楽園)では井本隆から決勝の3号ソロ本塁打を放つ。 古屋英夫: 翌4月14日の対近鉄戦では三塁手としてスタメン起用されると三回のプロ初打席で太田幸司から安打を打ち、翌日には井本隆からプロでの初本塁打を記録している。 柳田豊: 鈴木啓示、井本隆、村田辰美らの投手陣やチャーリー・マニエル、羽田耕一、栗橋茂、佐々木恭介らの強力打撃陣と共に1979年・1980年のパ・リーグ連覇に貢献。翌1980年の広島との日本シリーズでも3試合に登板、第1戦では井本隆をリリーフし4回を無安打無失点の好投、自身の日本シリーズ初勝利を飾った。 古屋英夫: 初本塁打・初打点:1978年4月15日、対近鉄バファローズ前期2回戦(藤井寺球場)、6回表に井本隆から左越2ラン 香川伸行: 初打席・初安打・初本塁打・初打点:同上、5回表に井本隆から左越ソロ ※史上14人目の初打席本塁打 栗橋茂: 初出場:1974年4月10日、対ロッテオリオンズ前期1回戦(後楽園球場)、7回表に井本隆の代打として出場 後関昌彦: 初出場:1984年7月29日、対横浜大洋ホエールズ15回戦(明治神宮野球場)、5回裏に井本隆の代打で出場 高柳秀樹: 初安打:1979年5月12日、対近鉄バファローズ前期7回戦(日生球場)、6回表に黒田正宏の代打で出場、井本隆から 基満男: プロ野球通算3万号本塁打:1973年5月20日 対近鉄バファローズ前期9回戦(平和台球場)、7回裏に井本隆から左中間へ2ラン 金城致勲: 初本塁打・初打点:1979年4月9日、対近鉄バファローズ前期2回戦(日本生命球場)、8回表に井本隆から左越2ラン 鈴木葉留彦: しかし6回表タイロンの2本目となるソロ本塁打、スティーブ・オンティベロスの右中間上段へのソロ本塁打で同点に追いつき先発井本隆をKO、代わった2番手柳田豊から二死一、二塁で鈴木が右翼への3ラン本塁打で勝ち越した。 高代延博: 初打点:1979年4月24日、対近鉄バファローズ前期3回戦(後楽園球場)、4回裏に井本隆から 芝池博明: 10月20日の最終第4戦(藤井寺)でも井本隆をリリーフして好投するが、9回に福本豊に決勝本塁打を喫し敗戦、日本シリーズ出場はならなかった。 西本幸雄: 西本の教え子には阪急時代には米田哲也、梶本隆夫、足立光宏、森本潔、長池徳士、福本豊・山田久志・加藤秀司の「花の44年トリオ」、近鉄では鈴木啓示、佐々木恭介、梨田昌孝、羽田耕一、平野光泰、井本隆、栗橋茂、柳田豊などが挙げられる。 鈴木啓示: 現役後半の1980年頃から電光掲示板でのスピードガン表示が導入されたが、球速表示を気にして本来のピッチングスタイルを崩しがちだった同僚の井本隆と違い、直球勝負へのこだわりこそ残していたが、球速自体にはこだわりがなく、ピッチングスタイルを崩すこともなかった。 谷山高明: 伊野商業高時代は、同期に同じく投手の井本隆がいる。 梨田昌孝: 逆に井本隆は梨田を指名していた。 加藤秀司: 150本塁打:1977年5月29日、対近鉄バファローズ前期10回戦(島根県立浜山公園野球場)、5回裏に井本隆からソロ ※史上47人目 |
井本隆の情報まとめ
井本 隆(いもと たかし)さんの誕生日は1950年11月21日です。高知出身の野球選手のようです。
卒業、現在、離婚、引退に関する情報もありますね。2015年に亡くなられているようです。
井本隆のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 井本 隆(いもと たかし、1950年11月21日 - 2015年1月21日)は、高知県出身のプロ野球選手(投手)。 高知県高岡郡宇佐町(現・土佐市宇佐町)に生れる。伊野商業高では、1967年秋季四国大会県予選準決勝に進出、土佐高の萩野友康と投げ合うが1-2で惜敗。1968年夏の甲子園県予選でも準々決勝で高知工業高に延長10回敗退。高校の同期生に巨人や日本ハムでプレーした控え投手の谷山高明がいる。高校卒業後は、社会人野球の鐘淵化学に進み、速球投手として頭角を現す。1971年の都市対抗野球に出場し、1回戦では先発を任され好投、電電東北を降す。 1972年の都市対抗野球にも連続出場、同年の産業対抗では準優勝に貢献し敢闘賞を獲得した。 1972年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから3位指名され入団。 1973年から一軍初登板を果たす。 1974年には主に中継ぎとして一軍に定着。 1975年はシーズン後半から先発に回り4勝。その後は打者の内角をえぐる鋭いシュートボールを有効に使う強気のピッチングで主戦級として活躍。 1979年、1980年のパ・リーグ2連覇にはエースとして活躍。広島東洋カープとの2度の日本シリーズでは鈴木啓示を押しのけて第1戦に先発した。1979年の日本シリーズでは2勝(1敗)を挙げ敢闘賞に選出された。同僚の鈴木が自らの登板時の捕手に有田修三を指名するのとは対照的に(ただし、鈴木は梨田とコンビを組んだこともある)、井本は梨田昌孝を指名していた。 1980年には35試合登板でシーズン被本塁打が42本もあった。これは2019年現在も第2位のタイ記録である。 その後、タレント横山エミーとの不倫問題(エミーが妊娠するなどしたため、妻帯者であった井本は妻と離婚に至る)が週刊誌の紙面を賑わすことが多くなり、心機一転の意味もあり在京チームへの移籍を希望。 1982年オフに鈴木康二朗、柳原隆弘との交換トレードでヤクルトスワローズに移籍する。しかし、内角打ちの上手い巧打者や左打者が多かった当時のセ・リーグでは持ち球のシュートが通用せず、移籍1年目の1983年にはリーグワーストの14敗を喫している。 1984年限りで現役を引退。ヤクルト移籍を前後して正式に入籍した横山エミーとも離婚した。 引退後にKKベストセラーズから出版した著書「井本隆のプロ野球ぶったぎり」の中で、エミーと交際し始めた1981年のシーズン中はエミーとの性交渉に体力・気力を消耗し、野球どころではなかったと記している。また、近鉄時代にバッテリーを組んでいた梨田昌孝は、スピードガンの登場で本来のピッチングスタイルを崩した投手として井本の名前を挙げていた。 引退後は活動の拠点を東京に移し日音に入社・勤務(一時期役員待遇まで昇格歴あり)のかたわら、赤坂のクラブの支配人などをしていたことを公表していたが、2007年秋より少年野球「松戸ポニー」の総監督に就任したことが明らかになった。 2015年1月21日、膵がんのため千葉県松戸市の病院で死去。64歳没。 各年度の太字はリーグ最高 日本シリーズ敢闘賞:1回 (1979年) 月間MVP:1回 (1982年8月) パ・リーグプレーオフ優秀投手賞:1回 (1979年) パ・リーグプレーオフ優秀選手賞:1回 (1980年) 初登板:1973年4月14日、対阪急ブレーブス前期1回戦(阪急西宮球場)、7回裏に3番手で救援登板、1回無失点 初奪三振:1973年4月25日、対ロッテオリオンズ前期2回戦(川崎球場)、3回裏に山崎裕之から 初セーブ:1974年5月2日、対太平洋クラブライオンズ前期3回戦(平和台球場)、8回裏に2番手で救援登板・完了、2回無失点 初先発登板:1974年5月5日、対日本ハムファイターズ前期6回戦(藤井寺球場)、1回4失点で敗戦投手 初勝利・初先発勝利・初完投勝利:1974年8月16日、対日本ハムファイターズ後期6回戦(日生球場)、9回1失点 初完封勝利:1977年4月17日、対南海ホークス前期2回戦(藤井寺球場) 1000投球回:1980年9月13日、対阪急ブレーブス後期9回戦(日生球場)、5回表1死目に達成 オールスターゲーム出場:2回 (1979年、1980年) 12 (1973年 - 1982年) 21 (1983年 - 1984年) 井本隆のプロ野球ぶったぎり これでクビになったヤケクソ(1985年7月20日初版、KKベストブック) ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、66ページ ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年 ^ 【虎のソナタ】元猛牛・井本さんの「男くささ」必要や ^ 井本隆 近鉄のリーグ連覇に大きく貢献した右腕/プロ野球1980年代の名選手 ^ “井本隆 近鉄のリーグ連覇に大きく貢献した右腕/プロ野球1980年代の名選手”. 週刊ベースボールONLINE. (2018年12月14日). http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20181214-10 2020年2月19日閲覧。 ^ [1] ^ [2] ^ 元近鉄エース井本隆氏が死去 64歳すい臓がんでスポニチアネックス 2015年1月24日 2015年1月24日閲覧。 ^ 元近鉄エース井本氏が死去、64歳すい臓スポーツ報知 2015年1月24日 2015年1月24日閲覧。 ^ [3] 高知県出身の人物一覧 大阪近鉄バファローズの選手一覧 東京ヤクルトスワローズの選手一覧 個人年度別成績 井本隆 - NPB.jp 日本野球機構 表 話 編 歴 1953 簑原宏 1954 大下弘 1955 戸川一郎 1956 稲尾和久 1957 宮本敏雄 1958 藤田元司 1959 土屋正孝 1960 田宮謙次郎 1961 J.スタンカ 1962 吉田義男 1963 稲尾和久 1964 山内一弘 1965 森下整鎮 1966 渡辺泰輔 1967 足立光宏 1968 長池徳二 1969 長池徳二 1970 井石礼司 1971 山田久志 1972 足立光宏 1973 野村克也 1974 高木守道 1975 山本浩二 1976 柴田勲 1977 河埜和正 1978 足立光宏 1979 井本隆 1980 小川亨 1981 井上弘昭 1982 上川誠二 1983 西本聖 1984 山沖之彦 1985 石毛宏典 1986 達川光男 1987 篠塚利夫 1988 宇野勝 1989 新井宏昌 1990 岡崎郁 1991 川口和久 1992 岡林洋一 1993 清原和博 1994 清原和博 1995 小林宏 1996 仁志敏久 1997 松井稼頭央 1998 大塚光二 1999 川上憲伸 2000 城島健司 2001 T.ローズ 2002 A.カブレラ 2003 金本知憲 2004 井上一樹 2005 矢野輝弘 2006 川上憲伸 2007 ダルビッシュ有 2008 A.ラミレス 2009 髙橋信二 2010 和田一浩 2011 吉見一起 2012 稲葉篤紀 2013 長野久義 2014 R.メッセンジャー 2015 山田哲人 2016 B.エルドレッド 2017 宮﨑敏郎 2018 鈴木誠也 2019 亀井善行 2020 戸郷翔征 2021 山本由伸 2022 J.オスナ 2023 紅林弘太郎 2024 今宮健太 表 話 編 歴 1950 若林忠志 1951 江藤正 1952 大神武俊 1953 大神武俊 1954 西村貞朗 1955 柚木進 1956 川崎徳次 1957 稲尾和久 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 中西勝己 1961 J.スタンカ 1962 土橋正幸 1963 稲尾和久 1964 J.スタンカ 1965 杉浦忠 1966 渡辺泰輔 1967 米田哲也 1968 石井茂雄 1969 石井茂雄 1970 木樽正明 1971 足立光宏 1972 山田久志 1973 江本孟紀 1974 金田留広 1975 足立光宏 1976 山田久志 1977 山田久志 1978 山田久志 1979 井本隆 1980 井本隆 1981 高橋一三 1982 松沼博久 1983 松沼博久 1984 山田久志 1985 松沼博久 1986 東尾修 1987 東尾修 1988 渡辺久信 1989 阿波野秀幸 1990 渡辺久信 1991 工藤公康 1992 渡辺久信 1993 工藤公康 1994 渡辺久信 1995 佐藤義則 1996 星野伸之 1997 西口文也 1998 西口文也 1999 工藤公康 2000 若田部健一 2001 J.パウエル 2002 松坂大輔 2003 斉藤和巳 2004 石井貴 2005 清水直行 2006 ダルビッシュ有 2007 ダルビッシュ有 2008 涌井秀章 2009 武田勝 2010 成瀬善久 2011 和田毅 2012 吉川光夫 2013 則本昂大 2014 J.スタンリッジ 2015 武田翔太 2016 大谷翔平 2017 千賀滉大 2018 千賀滉大 2019 千賀滉大 2020 千賀滉大 2021 山本由伸 2022 山本由伸 2023 山本由伸 2024 有原航平 表 話 編 歴 1位:仲根正広 2位:有田修三 3位:井本隆 4位:吉田昌義(入団拒否) 5位:伊藤文比古(入団拒否) 6位:佐々木正行(入団拒否) 7位:高木孝治 VIAF 日本 日本の野球選手 高知県立伊野商業高等学校出身の人物 鐘淵化学硬式野球部及びその前身チームの選手 大阪近鉄バファローズ及びその前身球団の選手 東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手 NPBオールスターゲーム選出選手 日本の野球監督 少年野球指導者 高知県出身のスポーツ選手 膵癌で亡くなった人物 1950年生 2015年没 外部リンクがリンク切れになっている記事/2021年9月 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事
2024/11/24 22:14更新
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