佐藤さとるの情報(さとうさとる) 児童文学作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
佐藤 さとるさんについて調べます
■名前・氏名 |
佐藤さとると関係のある人
末吉暁子: 編集者時代、佐藤さとるにすすめられて創作活動を開始。 長崎源之助: また、1947年に地元の小学校の教諭と「やまびこ子供会」をつくり、佐藤さとると知り合う。1949年に、佐藤さとると共に、平塚武二に師事。1950年には同人誌「豆の木」をいぬいとみこや神戸淳吉、佐藤さとるらとともに発行する。 古田足日: 水の上のタケル(1984年・偕成社)/ミゲル孫右衛門のまほう(1967年・理論社)/月の上のガラスの町(1984年・偕成社) - 佐藤宗子、谷口広樹、佐藤さとる 岡田淳: 2002年(平成14年)、日本の児童文学の発展に寄与した作家の1人に選ばれ、『作家が語る わたしの児童文学15人』(にっけん教育出版社)の中で、佐藤さとる、あまんきみこ、那須正幹、岩崎京子、舟崎克彦、さとうまきこ、末吉暁子、後藤竜二、上條さなえ、長崎源之助、丘修三、宮川ひろ、古田足日、松谷みよ子とともに「作家になるまで」「作家になってから」を語っている。 寺村輝夫: また別の童話執筆団体をたずねた際、当時まだ無名だった佐藤さとるの作品に感動、新潮社と争った末に掲載権を手に入れ、掲載しようとしたものの、担当雑誌が廃刊になり載せられなかった。 神宮輝夫: 『佐藤さとるファンタジー全集 全16巻』(復刊ドットコム)2010-2011 神戸淳吉: 1950年いぬいとみこ、佐藤さとるらと同人誌「豆の木」を創刊。 村上豊: 1982年に「かっぱどっくり」他で小学館絵画賞、1984年に「はかまだれ」で第7回絵本にっぽん賞、1998年に第46回菊池寛賞、2007年に佐藤さとるの「本朝奇談 天狗童子」で第21回赤い鳥さし絵賞を受賞。 武田美穂: スケートねこ(文:佐藤さとる、ポプラ社、1997年) いぬいとみこ: 1950年、日本児童文学者協会新人会に入り、佐藤さとる、長崎源之助、神戸淳吉らと同人誌『豆の木』を創刊。 宮下奈都: 幼い頃に読んだ本で、特に好きだったものは、佐藤さとる『だれも知らない小さな国』だという。 |
佐藤さとるの情報まとめ
佐藤 さとる(さとう さとる)さんの誕生日は1928年2月13日です。神奈川出身の児童文学作家のようです。
略歴、作風などについてまとめました。結婚、卒業に関する情報もありますね。88歳で亡くなられているようです。
佐藤さとるのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)佐藤 さとる(さとう さとる、本名:佐藤 暁(読み同じ)、1928年2月13日 - 2017年2月9日)は、日本の童話作家。本名名義による作品もある。既婚。日本文芸家協会会員。 父・佐藤完一は海軍軍人で、ミッドウェイ海戦で戦死。アララギ派の歌人でもあった。母は小学校教員。父方の叔父佐藤真樹は「コスモス」の歌人で、その娘は奥村晃作と結婚した。 10歳まで神奈川県横須賀市で育ち横浜に転居、以後横浜を拠点として創作活動を行う。2歳上の双子の姉から字を教わり、5歳の頃に初めて「イソップ物語」を読み、アンデルセンやグリムの童話にも夢中になった。 戦後、日本童話会に入会、童話創作を志す。1949年児童文学者後藤楢根の紹介で長崎源之助と出会い、長崎と一緒に平塚武二に師事。1950年、長崎、いぬいとみこや神戸淳吉らと、同人誌『豆の木』を創刊する。 実業之日本社で編集者生活を送った後、作家となった。「日本初のファンタジー小説」と謳われる『コロボックル物語』シリーズをはじめとするファンタジー的作品で知られる。 略歴(講談社『小さな人のむかしの話』他掲載・出版プロフィールより抜粋) 1928年 - 横須賀市に生まれる 1938年 - 横浜市へ転居 1945年 - 横浜第三中学校(現・神奈川県立横浜緑ヶ丘高等学校)を卒業し、海軍水路部(海上保安庁水路部の前身)へ入学するが、肺結核の疑いありと診断され旭川に疎開。 1946年 - 横浜に帰り、関東学院工業専門学校(旧制)建築科の補欠募集を受験、後期入学。日本童話会に入会、童話創作をはじめる。 1948年 - 当時雑誌編集者をしていた寺村輝夫が佐藤の作品を掲載しようとしたが、担当雑誌が廃刊になり載せられなかった 1949年 - 関東学院大学(旧工業専門学校)工学部建築科卒。横浜市役所入所、同年秋、中学校教師として転出。 1950年 - 同人誌『豆の木』に参加 1952年 - 広島図書株式会社の児童雑誌「ぎんのすず」編集部勤務。 1954年 - 実業之日本社に入社。「少女の友」編集担当(翌年教科書部へ)。 1959年 - 『だれも知らない小さな国』出版(毎日出版文化賞・国際アンデルセン賞国内賞受賞) 1963年 - 実業之日本社が、児童図書出版部を設立、同部に所属。社内原稿で引き受け手のない教育童話を書き、自ら編集(「机の上の運動会」)。 1965年 - 佐藤さとる公式サイトの年表によると「コロボックル物語第3作『星から落ちた小さな人』で産経児童出版文化賞を受賞」とあるが、同賞のリストによると「候補作」で受賞はしていない。 1967年 - 『おばあさんのひこうき』により児童福祉文化賞(厚生大臣賞)・野間児童文芸賞・第4回国際アンデルセン賞国内賞受賞 1970年 - 実業之日本社嘱託社員になり執筆に専念。 1983年 - 若手児童文学作家、画家、編集者らと同人誌「鬼ヶ島通信」を創刊。 1988年 - 巖谷小波文芸賞受賞(日本の児童文学界にファンタジーを根づかせた業績と諸作品) 2003年 - 同人誌「鬼ヶ島通信」が創刊20周年で第40号を発刊、記念交流会を開催。 2005年 - 神奈川県より第54回神奈川文化賞受賞(児童文学の普及発展に尽力) 2007年 - 「本朝奇談 天狗童子」で赤い鳥文学賞受賞(なお挿絵担当の村上豊も同作の挿絵で赤い鳥さし絵賞を受賞)。他にエクソンモービル児童文化賞受賞。 2010年 - 旭日小綬章 2017年2月9日 - 心不全により死去。88歳没。 作風児童向けの作品で知られるが、童話の中に現実性の高い状況をさりげなくちりばめる手法により、高く評価されている。 『わんぱく天国』では、自らの横須賀における子供時代の体験を元にしたと思われる、当時の詳細な遊び方の一部を紹介した。 画家は『コロボックル』をはじめとする、村上勉とのコンビが有名。 2024/06/17 15:25更新
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satou satoru
佐藤さとると同じ誕生日2月13日生まれ、同じ神奈川出身の人
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