倉本聰の情報(くらもとそう) 脚本家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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三倉茉奈: 2010年11月、舞台『オンディーヌを求めて』出演のため1ヶ月間倉本聰宅に泊まり込みで稽古を付けてもらっていたが、ある夜、稽古から帰ってきたら炊飯器にご飯が炊かれていた。佳奈曰く「その瞬間、血の気が引きました」とのことだったが、以後、倉本聰にはことあるごとに「俺のごはんを食べた」とニヤリと笑われるようになったとのこと。 三倉佳奈: 一方で、翌2010年の11月には倉本聰作・演出の二人芝居、富良野GROUP公演2010秋『オンディーヌを求めて』に揃って主演、日本の売れっ子女優・谷村めぐみ(佳奈)とニューヨークで演劇を学ぶ売れない女優・久米島愛(茉奈)を演じている。倉本聰が主宰する富良野GROUPの演劇作品に外部から主演女優を迎えるのは初のことであり、富良野の倉本邸に1ヵ月間滞在して稽古を積み公演に臨んだ。 山下澄人: 倉本聰の富良野塾第二期生。 平原綾香: フジテレビドラマ『優しい時間』の原作者の倉本聰が、平原が歌う「明日」を耳にしたことから主題歌に起用が決まった。このことがきっかけで、作詞:倉本聰、作曲:平原綾香というコラボレーションで「あの道で」という曲が完成した(Various Artists「MUSE'〜DREAMUSIC・Female Vocal Collection〜」に収録)。 山口百恵: 2008年に日本テレビ系で放送されたドラマ『ヒットメーカー 阿久悠物語』では、『スター誕生!』のテレビ予選で百恵に対して阿久が「青春ドラマの妹役のようなものならいいけれど、歌は諦めた方がいいかもしれない」と評したことで、「そのことに傷ついた百恵は作品の提供を阿久に求めなかった」と脚色されているが、あくまでもドラマ上での脚色で、阿久自身は著書『夢を食った男たち』で、前述のオーディションでのエピソードについて記した上で、自身も百恵のファンであることと、百恵の魅力についても倉本聰との対談を差し挟んで語っている。 太田稔彦: 大学時代は井上ひさしや倉本聰の戯曲を愛読した。 田中邦衛: 倉本聰は「(田中は介護)施設に入っていた」と語った。 野上龍雄: 倉本聰をテレビ局に紹介したのは野上という。 藤本美貴: 2013年分の球団オフィシャルガイドブックでは、倉本聰・原田雅彦・野々村芳和とともに「北海道ゆかりの著名人」として応援のコメントを出している。 橋田壽賀子: 一方で「一流の脚本家は、山田太一、倉本聰、向田邦子。 三倉佳奈: 舞台「オンディーヌを求めて」(2010年11月13日-15日 於・富良野演劇工場、11月20日-21日 於・森ノ宮ピロティホール、11月23日 於・淨るりシアター、11月27日-28日 於・ラフォーレミュージアム六本木、作・演出:倉本聰、富良野GROUP公演) - 谷村めぐみ 役(主演) 喜多麗子: 倉本聰脚本ドラマSP 町(2000年) - 脚本:倉本聰、演出:杉田成道 小市慢太郎: 倉本聰ドラマスペシャル 祇園囃子(2005年9月24日) 吉田紀子: 東京都立大泉高等学校の2年生の時に倉本聰脚本のテレビドラマや倉本著のエッセイに触れて脚本家という職業に興味が湧き、演劇学を学べる明治大学文学部文学科演劇学専攻に進学する。 小川輝晃: その後倉本聰主宰の富良野塾に加入、北海道へ転居するが、塾の方向性に馴染めず1年で退塾。 金子成人: 長崎県立佐世保南高等学校卒業後、サラリーマン生活を送りながらシナリオ研究所に入り、倉本聰に師事。 吉岡秀隆: 倉本聰がプロデュース『北の国から』の舞台・富良野市での挙式が話題になったが、2005年12月21日に離婚。 加東大介: 遺作は倉本聰脚本『6羽のかもめ』のマネージャ役。 中嶋朋子: 森のささやきが聞こえますか―倉本聰の仕事と点描画展「中嶋朋子朗読会」(2018年8月5日、とうほう・みんなの文化センター) 君塚良一: 倉本聰、山田太一、向田邦子などのシナリオライターが脚光を浴びているのを見て、テレビドラマの世界に関心を抱くようになった。 伊藤蘭: 倉本聰、山田太一、市川森一らの脚本作品に次々に出演する。 米倉斉加年: 1974 赤ひげ 山本周五郎 倉本聰 宇野重吉 布施博: 1984年、倉本聰脚本の『昨日、悲別で』での素朴な演技が注目される(以後、倉本の作品には常連起用された)。 神木隆之介: 2008年、倉本聰が脚本を手掛けたテレビドラマ『風のガーデン』においてサヴァン症候群を持つ白鳥岳役を演じた。 五月みどり: 1984年にテレビドラマ『昨日、悲別で』(日本テレビ)に主人公の母親役で出演、これは五月が徹子の部屋で最初の離婚による二人の子供とのつらい別れの話をする機会があり、それを自宅見ていて倉本聰が執筆中のドラマの主人公の母親役は「この人しかいない」と思って、直接オファーをもらい、涙を浮かべながら微笑んで、淡々とつらい体験を語る姿が印象的だったという。 清野菜名: 倉本聰が脚本を手掛ける2017年7月期のテレビ朝日系『やすらぎの郷』でプロデューサーの目に留まり、黒柳徹子の半生を描いた同年10月期のテレビ朝日系『トットちゃん!』で黒柳役に抜擢され、全国ネットの連続ドラマに初主演し 岩城滉一: しかし、その後はアニキと慕っていた松田優作らの支えで次第に更生し、1981年(昭和56年)からは倉本聰脚本のテレビドラマ『北の国から』(フジテレビ系)などの作品に出演。 金児憲史: 倉本聰ドラマスペシャル 祇園囃子(2005年9月24日) 萩原健一: 続いて日本テレビ系のテレビドラマ『傷だらけの天使』(1974-75年)、倉本聰脚本の『前略おふくろ様』(1975-76年)と連続してドラマ作品に主演し、後者は続編も制作された。 三倉佳奈: 舞台「マロース」(2011年1月15日 於・富良野演劇工場、作・演出:倉本聰、富良野GROUP公演) - ゲスト出演 |
倉本聰の情報まとめ
倉本 聰(くらもと そう)さんの誕生日は1934年12月31日です。東京出身の脚本家のようです。
卒業、テレビ、ドラマ、退社、家族、映画、引退、現在、離婚、事故に関する情報もありますね。今年の情報もありました。倉本聰の現在の年齢は89歳のようです。
倉本聰のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)倉本 聰(くらもと そう、1934年〈昭和9年〉12月31日 - )は、日本の脚本家、劇作家、演出家。本名は、山谷 馨(やまや かおる)。東京都渋谷区出身。妻は女優の平木久子(演劇集団 円所属)。父は俳人、日新書院取締役の山谷太郎。祖父は医学博士、日新医学社社長の山谷徳治郎。大伯父は衆議院議員の山谷虎三。 東京大学文学部美学科を卒業後、ニッポン放送を経てフリー。おもにテレビドラマの脚本家として活躍。東京から北海道へと居を移し、『前略おふくろ様』『北の国から』など多くのヒット作を生み出した。主宰した「富良野塾」にて26年間にわたり後進を指導。65歳で紫綬褒章、75歳で旭日小綬章を受章した。1977年(昭和52年)より富良野市に在住。 東京都渋谷区代々木生まれ。 父祖地は岡山県。分家した祖父の代で東京に進出し、家は代々医学雑誌の出版や新薬の販売を手がけてきた。異色の父・山谷太郎は自ら興した自然科学系の出版社を営む傍ら、水原秋桜子門下の俳人でもあった。母は太郎の後妻で、両親はともにクリスチャンだった。 戦時中は山形県上山市や岡山県浅口郡金光町 (現:浅口市 )に疎開。このうち、上山への疎開は政府が実施した学童集団疎開によるもので、都会育ちの倉本は大きなカルチャーショックを受けた。東京に帰りたいと考えた倉本は仮病を使って数か月後には東京に戻ることに成功した。この体験は、『北の国から』の最初の連続シリーズにおいて、純が東京に帰りたがって起こす行動のヒントにしたと記している。 また、金光へは1945年4月から1年間、一家6人で疎開していた。 東京学芸大学附属小金井小学校から麻布中学校・高等学校へ進学。中学時代より加藤道夫に私淑して演劇に夢中になり、2年続けて浪人。東京大学に合格後もほとんど学校に行かず、俳優座のスタジオ劇団「仲間」の文芸部に所属して戯曲を書き始めた。大学2年の時にデビュー作「鹿火」がラジオ(青森放送)で流れ、大学4年の時には新日本放送(現毎日放送)から依頼されたラジオドラマの脚本(牧逸馬原作「この太陽」)を執筆している。 1959年、ニッポン放送に入社。本当はフジテレビが第一志望だったが、この年はフジテレビ・ニッポン放送・文化放送の3局が合同で新卒採用を行っており、気がついたらニッポン放送に回されていたという。局では本名でディレクター・プロデューサーとして勤務する傍ら「倉本聰」のペンネームで脚本家としての活動を行う。『パパ起きて頂だい』(日本テレビ)が脚本家デビュー作。会社に内緒で脚本活動を行なっており、当時は夜10時に会社を出て帰宅してから脚本を書き午前4時頃に就寝、2時間ほどの睡眠で出社する毎日だった。 1963年にニッポン放送を退社。退社のいきさつについて倉本は、後にインタビューで「ニッポン放送には内緒でペンネームを使って脚本家をやっていた負い目から、ニッポン放送で担当していた番組には(脚本家同士として顔見知りである)若手の脚本家ではなくベテランの脚本家ばかり起用していたが、それを上司に咎められたうえ『最近倉本って若手が出てきたから一度会って来い』と命じられ、そろそろ潮時だと思った」と語っている。また他のインタビューでは「(2時間睡眠の生活を)2年も続けると「もたない」と思いました」と語っており、掛け持ちを続けるのは体力的にも限界だったことを示している。岡田茂の自伝では、倉本がニッポン放送のラジオのライターで一生終わりたくない、と東映に籍を置かせて欲しいと中島貞夫を介して岡田に頼んできたと書かれている。 その後、東京でフリーの脚本家となったが、NHK大河ドラマ『勝海舟』制作に際し、脚本家の演出関与の是非をめぐる問題がこじれたことで嫌気がさし、脚本を途中降板。1974年6月、取材を受けた週刊誌『ヤングレディ』の記事がNHKを攻撃する内容に変わっていたので、最終稿まで確認して記事は修正されたが、広告の見出しが「倉本聰氏、『勝海舟』を内部から爆弾発言」と修正されぬまま出てしまったことがきっかけだった。当時の制作局長には軽率を謝罪したが、20 - 30人からつるし上げられたという。その日に千歳空港へ飛び、そのまま北海道札幌市に転居。NHKとはこのあといったん和解して1979年に単発正月ドラマ『年の始めの』を書きおろしたが、演出姿勢に不満を漏らし再び絶縁となる。 1977年、富良野市に移住。 1981年、富良野を舞台にした家族ドラマ『北の国から』で話題を呼ぶ。他に歌志内市、上砂川町を舞台とした『昨日、悲別で』の脚本、富良野を舞台に父子の絆の断絶と再生を描く『優しい時間』の原作など、北海道を舞台とした数々のドラマでも有名。 1986年、監督・脚本を担当した映画『時計 Adieu l'Hiver』が公開される。 若手の俳優と脚本家を養成するために、1984年に、富良野市布礼別にて「富良野塾」を私財を投じて開設し、26年にわたって主宰した。塾生は受講料は無料で2年間共同生活をし、夏季は地元の農協や農家などの協力を得て畑仕事を手伝い塾生自らが生活費を稼ぎ出し、冬季は集中講義などの他、ふらの演劇工場で行われる演劇公演に向けた稽古をおこなうスタイルだった。年一回、原始の日(電気・水道・ガスに頼らない、いわゆる原始生活を体験する行事)を設けるなどのユニークな養成術で知られ、脚本家の友澤晃一(第1期)、吉田紀子(第2期)、田子明弘(第3期)、久松真一(第5期)、俳優の加藤久雅(第4期)、二階堂智(第6期)らを送り出した。また、富良野塾の活動を受け市民によって設立されたNPO法人・ふらの演劇工房にも深く関わり、同市に建てられた劇場・ふらの演劇工場にも大きく貢献している。2005年には、閉鎖された富良野プリンスホテルゴルフコースに植樹して、同地を自然の森に戻そうとするNPO法人・C・C・C富良野自然塾を開設し、その塾長に就任している。富良野塾は、倉本の体力の限界を理由として2010年3月末をもって閉塾することが2007年3月末の卒塾式で発表され、発表どおり2010年に26年の歴史に幕を閉じた。閉塾後は卒塾生を中心に再編された「富良野GROUP」にて全国公演の脚本・演出を手掛け、2016年の『屋根』全国公演を最後に演出から退き脚本に専念する意向を示した。 2010年4月、北海道教育大学旭川校で演劇講座を監修。 2017年の富良野GROUP特別公演『走る』を最後に演劇活動から引退を表明し、脚本制作に専念。3月7日の富良野演劇工場での大千秋楽公演後のカーテンコールに登壇して「今回で私は長い休息に入ろうと思います」と語り、「この演劇工場がある限り、富良野GROUPももう少し何らかの形で皆さんに感動を届けていく仕事をしたいと思っている」として稽古で指導に用いていた鞭を久保隆徳に託している。 2017年4月には、「テレビ局は若者向けのドラマばかり作っているから年寄りは見ても面白くない。だから、ゴールデンタイムに対抗する『シルバータイム』を作ろう」とテレビ局へ働きかけ、テレビ朝日が新設した帯ドラマ枠「帯ドラマ劇場」にて、テレビ全盛期を担った俳優・作家・ミュージシャンなどが入居する老人ホームを舞台に現在のテレビの在り方に対する批判も盛り込んだ『やすらぎの郷』を執筆した。 富良野演劇工場に隣接する民有地に、「北の国から」「倉本聰の人生」「富良野塾」「点描画」など6テーマを掲げた倉本聰の関連資料の展示施設「倉本聰ミュージアム-北の国から-」の開設が構想されている。 かつては山田太一・向田邦子と合わせて「シナリオライター御三家」と呼ばれた。 ペンネームの由来は、父祖地の岡山での本家の屋号「蔵本」に、妹の名前「聰子」から一字もらってつけた。 三度の飯よりもたばこ(ラーク・マイルド、パイプ)とコーヒーが好きなことで知られる。18歳の頃から喫煙を始めており、喫煙量は1日に60本から80本と語る。受動喫煙防止を目的に禁煙化の進む昨今の風潮を「禁煙差別」と称して批判しており、受動喫煙防止条例を制定した神奈川県や、生活環境条例により路上喫煙を禁止している東京都千代田区へは足を踏み入れないようにしている。 演劇では、脚本、演出をひとりでこなす。 お香を好んでおり、仕事中はお香を焚く。愛飲している酒の一つに、ジャックダニエルがある。 西田ひかるを好きな余り、愛犬に「西田」という名前をつけている。「メイサ」と名付けた愛犬もいる。 ライフワークとして、森の樹木を題材とした点描画を描いている。ドラマ脚本に携わる中でスタッフとイメージを共有するため劇中のシーンのイメージを絵コンテで描いたことを契機に絵にはまり、デッサンを学んだ後、「影の濃淡を点の密度や強さで出せないか」として点描画へと進む。徹底的な人物描写を得意とする脚本と同様に、樹木1本1本の個性や歴史に着目し、その心の声を独自の表現法により点描画で表す。「森のささやきが聞こえますか 倉本聰の仕事と点描画展」と題した個展を各地で開催している。 今の日本のドラマについては、「幼稚化の極みにある」「大人の鑑賞に堪えうるドラマが無くなった。その原因の一つは、役者がいなくなったこと。もう一つはシナリオが良くないこと」「原作を探す場合も、今の制作者は小説よりもマンガから話を探してくることが多くなった。プロデューサーたちに小説を読み込む能力がなくなり、マンガならばという発想になっている。幼稚な制作者が幼稚なドラマを作っている」と批判している。 『北の国から』終了については、「スタッフが高齢化した」とするフジテレビの説明を「おかしな理由だ。スタッフを替えればいい」と批判している。 西武鉄道グループオーナーの堤義明とは、麻布中学・高校時代の同級生である。2005年、堤が証券取引法違反に問われた東京地方裁判所公判においては、倉本自ら弁護側証人を申請し出廷した。また、こうした交友関係がもとになって、富良野自然塾などの事業の実現につながっている。 麻布中学・高校時代の同級生に銀座山野楽器の息子が居た縁で、山野楽器店にあった当時まだ高価だったテープレコーダーを自由に使う事が出来た。倉本は友人らと共にそのテープレコーダーを使って音声ドラマ(いわゆるラジオドラマと同じもの)を1本仕上げた。本人曰く「これが人生で最初に作ったドラマである」とのことである。 映画監督中島貞夫とは、東大在学中、ギリシア悲劇研究会にともに所属しており、中島の『くノ一忍法』(1964年)、『旗本やくざ』(1966年)など、初期監督作品の脚本を手がけている。 自身の母の晩年と死をモデルにしたドラマ『りんりんと』への出演がきっかけで、晩年の田中絹代と深い交流を持ち、この交流が『前略おふくろ様』のヒットにつながる。田中の死の直後に彼女が演じる「おふくろ様」の死を描いた『前略おふくろ様』の最終回が放映されて話題となった。 『前略おふくろ様』で主演を務めた萩原健一との出会いについて「目のさめる想いがした。そしてその想いは次第に僕の中で『勝海舟』の岡田以蔵に転化していく。彼と初めて出逢ったことが、僕の中の狂気を安心させ、そうして遂に平和温厚なNHKと衝突してしまう」と語っている。 札幌在住当時に手がけたドラマ『幻の町』に特別出演した北島三郎に頼み込んで、一時期付き人となり巡業に同行した。これはロケ地の小樽で地元民が北島に熱狂する姿を見て「この人気は何なんだ」と関心を持ったことがきっかけだった。巡業中、北島が観衆のどんなリクエストも歌うというコーナーで両者がお互いに遠慮も何もなくやり取りする模様に、自分が今まで庶民ではなく「上から目線」で批評家や業界などに気に入られるような作品を書こうとしていたのではないかという思いに駆られ、「俺は変わろう」と思った気がすると記している。 野沢尚、三谷幸喜と3人で仕事をした際(川、いつか海へ 6つの愛の物語)、企画会議中真剣に討論している倉本と野沢を、三谷が発言せず感心しながら聞いていたところ(三谷はこのような討論をしたことがなかったため)、倉本は三谷に向って「もっと主張しなさい、君は卑怯だ」と言ったことがある。 語尾を濁すような独自の口調で語られるモノローグ(ナレーション)を多用した脚本で著名(ただし、『前略おふくろ様』で初めて取り入れた手法であり、それ以前には用いていなかった)。 また、映像や音楽(BGM)まで想定した脚本を書くため、しばしば演出家や映画監督に脚本の改変を禁止することもある。もっとも、倉本自身は台本よりもよい表現方法をしてくれたときには「そっちの方がいい!そのように変えてください」と諸手を挙げて賛成するとしており、「語尾の一字一句も直すと怒ると変な噂を立てられたのは全く以て心外」と述べている。 『うちのホンカン』、『北の国から』の初期や、映画『ブルークリスマス』では、(未知の知的生命体のものとしての)UFOが登場する描写がある。また、『火の用心』の登場人物の一人が超能力を持つなどの描写がある。『北の国から』にUFOを出したことについて、倉本は移住当時北海道でUFOを目撃したという騒ぎがよくあったことと、科学で割りきれないものやメルヘンやファンタジーを大切にしたいという思いが背景にあったことを述べている。 脚本家の山田太一は、刺激を受けた同業者として向田邦子と田向正健、倉本の名を挙げた。また、倉本作品の魅力のひとつは「間がいい」点だと評している。 ゴールデンアロー賞(1976年、『前略おふくろ様』) 毎日芸術賞(1976年、『前略おふくろ様』) 昭和51年度(第27回)芸術選奨文部大臣賞(1976年、『前略おふくろ様』) 山本有三記念路傍の石文学賞(1982年、『北の国から』小説版) 山路ふみ子文化財団特別賞(1986年) 小学館文学賞(1987年、『北の国から '87初恋』小説版) 紫綬褒章(2000年) 第21回向田邦子賞(2002年、『北の国から 2002遺言』) 第56回北海道新聞文化賞特別賞(2002年) 旭日小綬章(2010年) 第55回ギャラクシー賞 放送批評懇談会55周年紀念賞(2018年) 『パパ起きて頂だい』(1959年、日本テレビ系) 『教授と次男坊』(1961年、日本テレビ系) 『現代っ子』(1963年、日本テレビ系) 『0戦はやと』(アニメ、1964年、フジテレビ系)※主題歌の作詞も担当。 『チコといっしょに』(1965年、日本テレビ系)※演出:矢追純一 『勝海舟』(1965年、毎日放送制作・NET系) 『青春とはなんだ』(1965年、日本テレビ系) 『千姫』(1966年、毎日放送制作・NET系) 『これが青春だ』(1966年、日本テレビ系) 『文五捕物絵図』(1967年、NHK) 『太陽野郎』(1967年、日本テレビ系) 『颱風とざくろ』(1969年、日本テレビ系)※演出:藤田繁矢(藤田敏八) 『わが青春のとき』(1970年、日本テレビ系) 『君は海を見たか』(1970年、日本テレビ系) 『砂の城』(1970年、NHK) 『2丁目3番地』(1971年、日本テレビ系) 東芝日曜劇場(TBS系)
第790回『風船のあがる時』(1972年、北海道放送)※昭和47年日本民間放送連盟賞 番組部門(テレビ娯楽) 優秀賞 第802回『平戸にて』(1972年、RKB毎日放送) 第828回『父(とん)ちゃん』(1972年) 第829回『田園交響楽』(1972年、北海道放送) 第848回『祇園花見小路』(1973年、中部日本放送)※昭和48年日本民間放送連盟賞 番組部門(テレビ娯楽) 最優秀賞 第877回『ばんえい』(1973年、北海道放送) 第888回『聖夜』(1973年、北海道放送) 第926回『りんりんと』(1974年、北海道放送) 第947回『ああ!新世界』(1975年、北海道放送) 『うちのホンカン』シリーズ(1975年 - 1981年、北海道放送) 第1000回『幻の町』(1976年、北海道放送) 第1040回『ひとり』(1976年、北海道放送) 第1092回『時計』(1977年、北海道放送) 第1131回『スパイスの秋』(1978年、北海道放送) 第1183回・第1184回『遠い絵本』(1979年、北海道放送) 第1460回『遅れてきたサンタ』(1984年、北海道放送) 『挽歌』(1971年、NHK) 『赤ひげ』(1972年、NHK) 『ぜんまい仕掛けの柱時計』(1972年、NHK)※昭和47年度(第27回)文化庁芸術祭賞 テレビ部門(ドラマの部) 優秀賞 火曜日の女『ガラス細工の家』(1973年、日本テレビ系) 『白い影』(1973年、TBS系) 『ぶらり信兵衛 道場破り』(1973年、フジテレビ系) 大河ドラマ『勝海舟』(1974年、NHK) 『6羽のかもめ』(1974年 - 1975年、フジテレビ系)※石川俊子名義。『勝海舟』でのNHKとの確執から、別人名義とした。 『あなただけ今晩は』(1975年、フジテレビ系) 『前略おふくろ様』(1975年 - 1976年、日本テレビ系) 『大都会 闘いの日々』(1976年、日本テレビ系) 『あにき』(1977年、TBS系) 『七人の刑事』第23話(1978年、TBS系) 『坂部ぎんさんを探して下さい』(1978年、読売テレビ制作・日本テレビ系) 『浮浪雲』(1978年、テレビ朝日系) 『年の始めの』(1979年、NHK大阪制作) 『たとえば、愛』(1979年、TBS系) 『祭が終ったとき』(1979年、テレビ朝日系) 『さよならお竜さん』(1980年、毎日放送制作・TBS系) 24時間テレビ スペシャルドラマ『機の音』(1980年、日本テレビ系) 『北の国から』(1981年 - 2002年、フジテレビ系) 『ガラスの知恵の輪』(1982年、毎日放送制作・TBS系) 『君は海を見たか』(1982年、フジテレビ系)※1970年放映(日本テレビ系)のリメイク作品 『波の盆』(1983年、日本テレビ系)※演出:実相寺昭雄 『昨日、悲別で』(1984年、日本テレビ系) 『ライスカレー』(1986年、フジテレビ系) 火曜サスペンス劇場『窓』(1987年、日本テレビ系) 『秋のシナリオ』(1987年、日本テレビ系) 『昭和大つごもり』(1987年、フジテレビ系)※『立体ドラマ5時間 1987年の大晦日』の一編 『ゴリラ・警視庁捜査第8班』第36話 - 第38話(1989年、テレビ朝日系)※脚本監修 『親父の一番長い日』(1989年、TBS系) 『失われた時の流れを』(1990年3月23日、フジテレビ系) 『火の用心』(1990年、日本テレビ系) シリーズ街『川は泣いている』(1990年、テレビ朝日系) 火曜サスペンス劇場『ガラス細工の家』(1991年、日本テレビ系) 『町』(1997年、フジテレビ系) 『もう呼ぶな、海!』(1999年、札幌テレビ制作・日本テレビ系) 衛星ドラマ劇場『玩具の神様』(1999年、NHK-BS2) 『川、いつか海へ 6つの愛の物語』第3話・第6話(2003年、NHK) 『あゝ離婚式』(2004年、フジテレビ系) 『優しい時間』(2005年、フジテレビ系) 『祇園囃子』(2005年、テレビ朝日系) 『拝啓、父上様』(2007年、フジテレビ系) 『風のガーデン』(2008年、フジテレビ系) 『歸國』(2010年、TBS系)※演劇作品のドラマ化 『學』(2012年、WOWOW) 『おやじの背中』第3話(2014年、TBS系) 『帯ドラマ劇場・やすらぎの郷』(2017年、テレビ朝日系) 『帯ドラマ劇場・やすらぎの刻〜道』(2019年 - 2020年、テレビ朝日系) 『現代っ子』(1963年、脚本)※弘田功治と共同 『月曜日のユカ』(1964年、日活)※斎藤耕一と共同 『くノ一忍法』(1964年、脚本) 『くノ一化粧』(1964年、脚本) 『北国の街』(1965年、日活) 『旗本やくざ』(1966年、東映)※中島貞夫と共同 『帰ってきた狼』(1966年、日活)※明日貢と共同 『涙になりたい』(1966年、日活)※石森史郎と共同 『涙くんさようなら』(1966年、日活)※明日貢と共同 『私、違っているかしら』(1966年、日活)※長広明と共同 『遥かなる慕情 星のフラメンコ』(1966年、日活) 『おゆきさん』(1966年、日活) 『北国の旅情』(1967年、日活)※山田信夫と共同 『陽のあたる坂道』(1967年、日活)※池田一朗と共同 『君が青春のとき』(1967年、日活)※山田信夫・加藤隆之助と共同 『ザ・スパイダースのゴーゴー・向う見ず作戦』(1967年、日活)※才賀明と共同 『ザ・スパイダースの大進撃』(1967年、日活)※伊奈洸と共同 『昭和元禄 TOKYO196X年』(1968年、脚本) 『青春の鐘』(1969年、日活) 『君は海を見たか』(1971年、大映、原作・脚本)※天知茂主演の映画版 『冬の華』(1978年、東映) 『ブルークリスマス』(1978年、東宝) 『駅 STATION』(1981年、東宝) 『時計 Adieu l'Hiver』(1986年、監督・脚本) 『海へ 〜See you〜』(1988年、脚本) 『海の沈黙』(2024年、原作・脚本) 『谷は眠っていた』(初演:1988年) 『今日、悲別で』(初演:1990年) 『ニングル』(初演:1993年) 『走る』(初演:1997年) 『屋根』(初演:2001年) 『オンディーヌを求めて』(初演:2001年) 『地球、光りなさい!』(初演:2002年) 『歸國』(初演:2009年) 『三井住友フィナンシャルグループ presents 森のラブレターII』(2010年、TBS系) 『あなただけ今晩は 星の世界の夕子』(立風書房、1975年) 『倉本聡テレビドラマ集』1・2(ぶっくまん、1976年-1977年) 『あにき』(冬樹社、1977年) 『ブルークリスマス : 倉本聡オリジナルシナリオ』青也書房、1978年11月10日。 『北の国から』前・後編(理論社、1981年) 『君は海を見たか』(理論社、1982年) 『わが青春のとき』(理論社、1982年) 『倉本聡コレクション』理論社 『北の国から 1983冬』(理論社、1983年) 『昨日、悲別で』(理論社、1984年) 『北の国から 1984夏』(理論社、1984年) 『ニングル』(理論社、1985年、新版2023年) 『ライスカレー』(理論社、1986年) 『時計 アデュー・リベール』(理論社、1986年) 『北の国から 1987初恋』(理論社、1987年) 『谷は眠っていた 富良野塾の記録』(理論社、1988年) 『海へ See you』(理論社、1988年) 『北の国から 1989帰郷』(理論社、1989年) 『失われた時の流れを scenario1990』(理論社、1990年) 『北の国から 1981-'89』(理論社、1990年) 『火の用心 scenario1990』(理論社、1990年) 『北の国から 1992巣立ち』(理論社、1992年) 『北の国から 1995秘密』(理論社、1995年) 『北の国から 1998時代』(理論社、1998年) 『玩具の神様 scenario1999』(理論社、2000年) 『ニングルの森 - 悠久なるものへ』(集英社、2002年)童話、黒田征太郎画 『北の国から 2002遺言』(理論社、2002年) 『優しい時間 scenario2005』(理論社、2005年) 『拝啓、父上様 scenario2006』(理論社、2006年) 『風のガーデン scenario2008』(理論社、2008年) 『風のガーデン貞三先生の花言葉365篇』(エフジー武蔵、2008年) 『歸國』(日本経済新聞出版社、2010年) 『獨白 2011年3月-『北の国から』ノーツ』(フラノ・クリエイティブ・シンジケート、2011年) 『倉本聰戯曲全集』全6巻(新日本出版社、2017-2018) 『やすらぎの郷』全3巻、双葉社、2017 『「北の国から」異聞 黑板五郎独占インタビュー!』講談社、2018 『やすらぎの刻(とき)~道~』全5巻、双葉社、2019-2020 『北の国から』3巻組、理論社、2021。集大成 『さらば、テレビジョン』(冬樹社、1978年、理論社、1991年)、第一エッセイ集 『新テレビ事情』(文藝春秋、1980年) 『北の人名録』(新潮社、1982年)、新潮文庫、2009年 『新・新テレビ事情』(文藝春秋、1983年) 『いつも音楽があった』(文藝春秋、1984年) 『冬眠の森 北の人名録PART2』(新潮社、1987年) 『左岸より 一九八〇年代のエッセイ集』(理論社、1991年) 『ゴールの情景 富良野風話』(理論社、1998年) 『富良野風話』(理論社、2000年) 『富良野塾序章』(エフジー武蔵、2003年) 『愚者の旅 わがドラマ放浪』(理論社、2002年) 『この国のアルバム 富良野風話』(理論社、2003年) 『北の動物園』扶桑社、2004年、扶桑社文庫、2010年 『失われた森厳 富良野風話』(理論社、2006年) 『疚しき沈黙 富良野風話』(理論社、2009年) 『ヒトに問う』双葉社、2013 『日本人として 富良野風話』財界研究所、2015 『昭和からの遺言』双葉社、2015 『見る前に跳んだ 私の履歴書』日本経済新聞出版社、2016 『昭和からの遺言 2 足裏の記憶』双葉社、2019 『テレビの国から』産経新聞出版、2019 『破れ星、流れた』幻冬舎、2022 『破れ星、燃えた』幻冬舎、2023 『倉本聰研究』北海学園「北海道から」編集室編、理論社、1992年 『倉本聰の世界 「北の国から」の作家 別冊 山と渓谷』山と渓谷社、1993年 『上流の思想・下流の思想 対談紀行』理論社、1994年 『森繁久彌 86才芸談義』聞き手、小学館文庫、1999年 『愚者の質問 対談集』林原博光(「富良野自然塾」副塾長)と聞き手、日本経済新聞出版社、2010年 『黒板五郎の流儀 「北の国から」エコロジカルライフ』エフジー武蔵、2012年 『倉本聰の姿勢』エフジー武蔵、2012年 『倉本聰ドラマ人生 聞き書き』北海道新聞社、2013 『愚者が訊く 対談集』林原博光と聞き手、双葉社、2014。双葉文庫、2018 『みんな子どもだった 倉本聰対談集』BS-TBS『みんな子どもだった』制作班 著。エフジー武蔵、2014 『愚者が訊く その2 対談集』林原博光と聞き手、双葉社、2018 『ドラマへの遺言』碓井広義共著、新潮新書、2019 『倉本聰の言葉 ドラマの中の名言』碓井広義編、新潮新書、2020 『『北の国から』黒板五郎の言葉』碓井広義編、幻冬舎、2021 『脚本力』聞き手碓井広義、幻冬舎新書、2022 いのちの響(TBS) NHK特集「倉本聰の森と老人〜北海道・富良野〜」(1985年6月9日、NHK)- 朗読・語り 三井住友フィナンシャルグループPresents「風がはこんできたもの〜音楽の原風景〜」(TBS、2011年1月31日〜2月3日) 『北の国から』放映30周年記念特別番組 今、五郎の生き方〜2011夏 倉本聰〜(BSフジ、2011年8月20日) みんな子どもだった(BS-TBS、2012年4月 - 2015年3月) イブアイしずおか(静岡放送、2016年11月17日) 倉本聰、富良野にて〜創〜(NHK-BS、2024年6月16日) 倉本聰・富良野からの風を(ニッポン放送) 倉本聰・「ニッポン人生録」(TBSラジオ) NHK BSプレミアム『裕次郎は死なない~心に刻まれた5つの物語~』(2017年6月17日放送)での配役
公益財団法人日本尊厳死協会顧問。 ^ 戸籍上は1935年1月1日。 ^ NHKとはこのトラブルから20年以上絶縁状態にあったが、1999年の『玩具の神様』で復帰した。 ^ この移住に際しては、向田邦子から「あんたバカなことおやめなさい。東京を離れたら仕事なンて来ないわよ」と説教されたという。倉本は当時を振り返って「仕事はもうどうでもよくなっていた」と述べている。 ^ このときの経験について後年、「もう二度と監督はやらない」と述べている。 ^ 倉本は日活の契約ライターだった時代にプロデューサーから「ナレーションと回想は卑怯な手法」と叩き込まれてそれを忠実に守っていた。山田太一が『それぞれの秋』(1973年)でナレーションを使っているのを見て「こんな手もありだな」と思い、導入することにしたという。その際、山下清の口調を模倣したことで「 - なわけで」といった文体が出ることになった。 ^ ただ、語尾については「語尾は性格を表現するので、語尾ほど大事なものはない」とも語っている。 ^ 倉本聰(2) 私の履歴書 - 日本経済新聞 ^ 斎藤明美『家の履歴書:文化人・芸術家篇』キネマ旬報社、2011年、149-158頁。 ^ 倉本聰・碓井広義『ドラマへの遺言』新潮社〈新潮新書〉、2019年。 ^ 『獨白 2011年3月』p142 ^ “【天風録】倉本聡さん - 中国新聞”. 中国新聞. (2010年5月1日). オリジナルの2010年5月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100514083706/http://www.chugoku-np.co.jp/Tenpu/Te201005010094.html 2023年5月21日閲覧。 } ^ 『獨白 2011年3月』p44、p129 ^ 『獨白 2011年3月』p130 ^ 『獨白 2011年3月』p129 ^ “倉本 聰さんが金光を訪れる 倉本 聰金光ファンの会”. 笠岡放送. 2014年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月6日閲覧。 ^ 倉本聰『見る前に跳んだ』日本経済新聞出版社、2016、43-44頁。 ^ "【放送事故伝説】レジェンド脚本家の神業で大事故を回避?". リアルライブ. REAL LIVE. 2 October 2022. 2022年10月2日閲覧。 ^ ペンネーム「倉本聰」が会社に内緒で脚本執筆していたころ - dot.・2012年12月22日 ^ 『東芝スーパーサウンドグラフィティ The History of the Radio』(ニッポン放送、1989年1月1日) ^ 『波瀾万丈の映画人生 岡田茂自伝』、角川書店、2004年、165-166頁 ^ 『愚者の旅』(理論社、2002年) ^ 「時代を駆ける:倉本聰:SOH KURAMOTO(1)」 『毎日新聞』 2009年11月16日、13版、5面。 ^ 『獨白 2011年3月』p14 ^ 『獨白 2011年3月』p186 - 187 ^ 「時代を駆ける:倉本聰:SOH KURAMOTO(5)」 『毎日新聞』 2009年11月24日、13版、9面。 ^ 「時代を駆ける:倉本聰:SOH KURAMOTO(2)」 『毎日新聞』 2009年11月17日、12版、9面。 ^ 渕沢貴子 (2016年1月12日). “倉本聰さん、舞台演出を引退意向「しんどくなってきた」”. 朝日新聞デジタル. http://www.asahi.com/articles/ASJ1D5RGDJ1DIIPE020.html 2016年5月31日閲覧。 ^ “脚本家倉本聡氏が演劇引退 17年1月舞台が最後”. 日刊スポーツ. (2016年11月17日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1739148.html 2016年11月17日閲覧。 ^ “倉本聰さん最後の舞台演出 全国公演「走る」富良野で幕 「長い休息」宣言”. 北海道新聞. (2017年3月9日). http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/dohoku/1-0376724.html 2017年4月5日閲覧。 ^ “「走る」大千秋楽公演(2017年3月7日)終演後のカーテンコールより 富良野GROUP主宰・倉本聰の挨拶”. 走る 2017. 倉本聰 界隈. 2017年4月5日閲覧。 ^ “テレ朝会長 中高年向け昼ドラ「少なくとも1年間は続ける」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2017年3月28日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/03/28/kiji/20170328s00041000154000c.html 2017年4月5日閲覧。 ^ 佐藤剛志 (2017年4月4日). “倉本聰×浅丘ルリ子 若者にこびない「昼ドラ」”. 朝日新聞デジタル. http://www.asahi.com/articles/ASK3P2PP2K3PUCVL004.html 2017年4月5日閲覧。 ^ “倉本聰さん展示 6テーマで 演劇工場隣に 富良野・施設整備へ基本構想案”. どうしん電子版 (北海道新聞). (2019年8月27日). https://www.hokkaido-np.co.jp/article/338380 2019年8月30日閲覧。 ^ “山田太一”. みんな子どもだった 倉本聰. BS-TBS. 2016年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月4日閲覧。 ^ 出典により「蔵元」とも ^ “嫌煙ヒステリーと禁煙ビジネスを斬る!”. iRONNA (産業経済新聞社). (2013年10月31日). https://ironna.jp/article/812 2020年12月25日閲覧。 ^ 倉本聰「タバコの表現削れと言われたら筆を折る」 ネットで「時代の変化が分かっていない!」と大バッシング ^ 喫煙シーン検閲「たばこ描けないなら作品書かぬ」と倉本聰氏 ^ 創作の源は「怒りのパッション」 脚本家・倉本聰が語る令和のメッセージ ^ “僕は煙草を吸う 倉本 聰(脚本家、演出家)”. 愛煙家通信. 喫煙文化研究会. 2020年10月11日閲覧。 ^ “質問・討論コーナー「北の国から元気を出す工夫」”. 北海道心臓協会 (2012年2月). 2022年5月17日閲覧。 ^ 『A-Studio』(TBSテレビ、2010年10月15日)内で二宮和也が証言 ^ “森のささやき点描画に 倉本聰さん徳島市で個展 15日から 「北の国から」の自然表現”. 徳島新聞. (2018年11月14日). https://www.topics.or.jp/articles/-/125374 2019年8月30日閲覧。 ^ “森のささやきが聞こえますか 倉本聰の仕事と点描画展” (PDF). Web東奥. 東奥日報社 (2019年4月25日). 2019年8月30日閲覧。 ^ 『週刊文春』2003年3月6日号掲載「連続告発企画 テレビが病んでいる4」pp.168-169 ^ 『倉本聰 テレビドラマ集-1 うちのホンカン』(バップ出版、1976年) ^ 『獨白 2011年3月』p10 - 13 ^ 『三谷幸喜のありふれた生活3 大河な日日』(朝日新聞社、2004年、100頁) ^ 『獨白 2011年3月』p51 - 52 ^ 『獨白 2011年3月』p265。 ^ 『獨白 2011年3月』pp224 - 229 ^ 別冊宝島『シナリオ入門』(宝島社、2004年) ^ 『逃げていく街』(新潮文庫、1998年) ^ “北海道新聞文化賞”. 北海道新聞社. 2023年12月15日閲覧。 ^ “春の叙勲、4021人”. 日本経済新聞 (2010年4月29日). 2023年4月7日閲覧。 ^ “倉本聰氏、ギャラクシー賞授賞式に車椅子で登壇「来週、手術」”. ORICON NEWS. oricon ME (2018年5月31日). 2023年5月15日閲覧。 ^ テレビドラマデータベース ^ “テレビ朝日、シニア世代向けに帯ドラマ枠を新設 第1弾は倉本聰氏オリジナル作品”. ORICON STYLE. (2016年6月30日). https://www.oricon.co.jp/news/2074293/full/ 2016年6月30日閲覧。 ^ 『映画『海の沈黙』公式サイト|11月22日(金) 全国ロードショー』。https://happinet-phantom.com/uminochinmoku/。2024年9月2日閲覧。 ^ “倉本聰の森と老人〜北海道・富良野〜”. NHK (2021年5月18日). 2021年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月22日閲覧。 ^ "倉本聰、富良野にて〜創〜". NHKオンデマンド. 2024年6月16日. 2024年6月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月23日閲覧。 羽佐間重彰 - ニッポン放送時代の上司。 さだまさし - 『北の国から』の音楽を担当。公私共に親交が深く、「先生」「まさし」と呼び合う仲。 長渕剛 - さだ同様、公私ともに親交が深い。 萩原健一 悲別ロマン座 麓郷 富良野塾 富良野GROUP 中島みゆき - 中島の著書『愛がすきです』の冒頭に寄稿文を書いている。その中で、「役者にセリフを長々と喋らせず沈黙を与え、シナリオにただ、こう書けばいい『中島みゆきの歌が流れる』。」そして最後に「みゆきにはきっと、神様がいるんだ」と締めくくっている。実際、『北の国から』のシナリオ本には、ただ、-中島みゆき-と書かれた行がいくつか存在する。 金子成人 高際和雄 山下澄人 - 小説家、劇作家、俳優。富良野塾二期生。芥川賞受賞作品『しんせかい』で倉本をモデルとした【先生】という人物を登場させた。 堤義明 - 麻布中高の同窓。堤が逮捕された際には再起を促すエールを送った。 中原伸之 - 麻布中高の同窓。 中島貞夫 - 東大の同窓で同じサークルに属していた。 倉本聰 界隈(公式サイト「倉本聰界隈に生きる人々による倉本聰の『今』を伝えるサイト」) 倉本聰・富良野group (FuranoGroup) - Facebook 倉本聰 - allcinema 倉本聰 - KINENOTE 倉本聰 - 日本映画データベース Sô Kuramoto - IMDb(英語) 倉本聰 - NHK人物録 表 話 編 歴 第1回
八代目松本幸四郎 間宮芳生 第2回
土門拳 第3回
小林正樹 安川加壽子 第4回
内村直也 八代目坂東三津五郎 第5回
新藤兼人 第6回
三島由紀夫 第7回
市川崑 第8回
滝沢修 岡田謙三 第9回
第10回
茂木草介 東山魁夷 岩田藤七 第11回
平野謙 棟方志功 第12回
山田洋次 第13回
白川義員 第14回
宇野重吉 第15回
第16回
山田五十鈴 第17回
倉本聰 第18回
森繁久彌 第19回
黒川紀章 第20回
飯沢匡 林忠彦 第21回
篠山紀信 前進座 第22回
篠田一士 若杉弘 越路吹雪 第23回
藤原新也 第24回
八代目松本幸四郎 林康子 第25回
朝比奈隆 三代目市川猿之助 磯崎新 第26回
佐々木昭一郎 山本安英 第27回
第28回
安藤忠雄 NHK交響楽団 第29回
深町幸男 第30回
吉田簑助 渥美清 第31回
木下順二 第32回
本多秋五 森光子 第33回
第34回
佐々木昭一郎 山田太一 第35回
松村禎三 橋田壽賀子 第36回
幸田弘子 横尾忠則 第37回
江成常夫 ひょうご舞台芸術「GHETTO」 第38回
小栗康平 黒柳徹子 馬場あき子 第39回
入沢康夫 五代目坂東玉三郎 宮崎駿 第40回
森澄雄 十三代目片岡仁左衛門 第41回
岡井隆 河野多惠子 高倉健 第42回
大島渚 吉永小百合 第43回
麻実れい 鷹羽狩行 第44回
小澤征爾 清岡卓行 第45回
七代目竹本住大夫 第46回
前登志夫 観世栄夫 沼尻竜典 第47回
三木卓 奈良岡朋子 西村朗 李禹煥 第48回
篠弘 司修 二代目中村吉右衛門 篠原有司男 第49回
野田秀樹 平岩弓枝 細江英公 森山良子 第50回
舟越桂 永井路子 七代目尾上菊五郎 石内都 第51回
隈研吾 関正人 辻原登 遠山慶子 金子兜太 第52回
大峯あきら 村上龍 森村泰昌 吉田都 加山雄三 第53回
菊畑茂久馬 津島佑子 豊竹咲大夫 坂茂 由紀さおり 第54回
辰野登恵子 谷村新司 テレビマンユニオン 十代目坂東三津五郎 荒木経惟 第55回
平幹二朗 青木野枝 佐伯一麦 永六輔 第56回
鍵和田秞子 隠崎隆一 船本芳雲 柳家小三治 松浦寿輝 第57回
桐竹勘十郎 庄司紗矢香 菅木志雄 宮城谷昌光 是枝裕和 第58回
河口龍夫 黒沢清 筒井康隆 堤剛 坂本冬美 第59回
遠藤利克 髙村薫 仲川恭司 山路和弘 熊川哲也 第60回
栗木京子 内藤礼 永井愛 宮本輝 大林宣彦 第61回
逢坂剛 草笛光子 佐藤俊介 塩田千春 今野勉 第62回
西澤徹夫 鵜山仁 鴻池朋子 高樹のぶ子 水原紫苑 「半沢直樹」 第63回
皆川博子 下谷洋子 高橋睦郎 三島喜美代 吉野直子 第64回
遠藤彰子 加藤健一 桐野夏生 永田和宏 表 話 編 歴 山田洋次(1977) 新藤兼人(1978) 馬場当(1979) 朝間義隆、山田洋次(1980) 倉本聰(1981) つかこうへい (1982) 高田宏治(1983) 伊丹十三(1984) 松田寛夫(1985) 神波史男(1986) 伊丹十三(1987) 市川森一(1988) 石堂淑朗、今村昌平(1989) 山田太一(1990) 岡本喜八(1991) 周防正行(1992) 山田洋次(1993) 古田求、深作欣二(1994) 新藤兼人(1995) 周防正行(1996) 三谷幸喜(1997) 鄭義信(1998) 岩間芳樹、降旗康男(1999) 黒澤明(2000) 宮藤官九郎(2001) 山田洋次、朝間義隆(2002) 筒井ともみ(2003) 矢口史靖(2004) 山崎貴、古沢良太(2005) 李相日(2006) 松尾スズキ(2007) 小山薫堂(2008) 西川美和(2009) 中島哲也(2010) 奥寺佐渡子(2011) 内田けんじ(2012) 渡辺謙作(2013) 土橋章宏(2014) 足立紳(2015) 新海誠(2016) 是枝裕和(2017) 是枝裕和(2018) 徳永友一(2019) 野木亜紀子(2020) 濱口竜介、大江崇允(2021) 向井康介(2022) 山崎貴(2023) 日本アカデミー賞 作品賞 監督賞 脚本賞 アニメーション作品賞 外国作品賞 主演男優賞 主演女優賞 助演男優賞 助演女優賞 音楽賞 表 話 編 歴 久板栄二郎(1946) 植草圭之助(1947) 伊丹万作(1948) 小津安二郎、野田高梧(1949) 新藤兼人(1950) 木下恵介(1951、1953) 黒澤明、橋本忍、小国英雄(1952) 木下惠介(1954) 八住利雄(1955) 橋本忍(1956、1958) 依田義賢(1957) 水木洋子(1959) 橋本忍(1960、1966) 松山善三(1961) 和田夏十(1962) 小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎、黒澤明(1963) 八木保太郎(1964) 鈴木尚之(1965) 山内久(1967) 今村昌平、長谷部慶次(1968) 田村孟(1969) 山田洋次、宮崎晃(1970) 佐々木守、大島渚(1971) 石森史郎(1972) 山田洋次、宮崎晃、朝間義隆(1973) 橋本忍、山田洋次(1974) 中島丈博(1975) 山田信夫(1976) 山田洋次、朝間義隆(1977) 新藤兼人(1978) 馬場当(1979) 田中陽造(1980) 倉本聰(1981) 古田求、野村芳太郎(1982) 大島渚/森田芳光(1983) 荒井晴彦、澤井信一郎(1984) 中上健次(1985) 内田裕也、高木功(1986) 伊丹十三(1987) 鎌田敏夫(1988) 松田寛夫(1989) 山田太一(1990) 三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ(1991) 丸山昇一(1992) 崔洋一、鄭義信/松山善三(1993) 田中陽造(1994) 橋口亮輔(1995) 周防正行(1996) 三谷幸喜(1997) 中島丈博(1998) 諏訪敦彦、三浦友和、渡辺真起子(1999) 山田洋次、朝間義隆、平松恵美子(2000) 宮藤官九郎(2001) 鄭義信(2002) 西川美和/深作健太、木田紀生(2003) 荒井晴彦(2004) 内田けんじ(2005) 加藤正人(2006) 渡辺あや(2007) 橋口亮輔(2008) 田中陽造(2009) 佐藤有記(2010) 新藤兼人(2011) ヤン・ヨンヒ(2012) 荒井晴彦(2013) 安藤桃子(2014) 原田眞人(2015) 向井康介(2016) 石井裕也(2017) 野尻克己(2018) 阪本順治(2019) 丸山昇一(2020) 𠮷田恵輔(2021) 早川千絵(2022) 阪本順治(2023) 括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月) 表 話 編 歴 八住利雄(1957) 橋本忍(1958) 和田夏十(1959) 橋本忍(1960、1966、1967) 水木洋子(1961、1964) 新藤兼人(1962) 今村昌平(1963) 熊井啓(1965) 田村孟/佐々木守/深尾道典/大島渚(1968) 田村孟(1969) 山田洋次/宮崎晃(1970) 大島渚/田村孟/佐々木守(1971) 神代辰巳(1972) 笠原和夫(1973) 橋本忍/山田洋次(1974) 中島丈博(1975) 田村孟(1976) 朝間義隆(1977) 新藤兼人(1978) 馬場当(1979) 田中陽造(1980) 倉本聰(1981) つかこうへい(1982) 森田芳光(1983、1986) 澤井信一郎/荒井晴彦(1984) 筒井ともみ(1985) 伊丹十三(1987) 荒井晴彦(1988) 依田義賢(1989) じんのひろあき(1990) 三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ(1991) 石井隆(1992) 崔洋一/鄭義信(1993) 田中陽造(1994) 新藤兼人(1995) 周防正行(1996) 三谷幸喜(1997) 鄭義信(1998) 鈴木智/高杉良/木下麦(1999) 阪本順治/宇野イサム(2000) 宮藤官九郎(2001) 山田洋次/朝間義隆(2002) 荒井晴彦(2003) 崔洋一/鄭義信(2004) 内田けんじ(2005) 西川美和(2006、2009) 周防正行(2007) 小山薫堂(2008) 吉田修一/李相日(2010) 荒井晴彦/阪本順治(2011) 内田けんじ(2012) 荒井晴彦(2013) 高田亮(2014) 橋口亮輔(2015) 庵野秀明(2016) 石井裕也(2017) 相澤虎之助/瀬々敬久(2018) 阪本順治(2019) 濱口竜介/野原位/黒沢清(2020) 濱口竜介/大江崇允(2021) 梶原阿貴(2022) 阪本順治(2023) FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 韓国 倉本聰 20世紀日本の脚本家 21世紀日本の脚本家 日本のテレビの脚本家 日本の映画の脚本家 ピラニア軍団 紫綬褒章受章者 旭日小綬章受章者 菊池寛賞受賞者 日本の舞台演出家 日本の映画監督 ニッポン放送の人物 日本尊厳死協会の人物 ラジオディレクター ラジオプロデューサー 富良野塾 北海道教育大学の教員 私の履歴書の登場人物 麻布中学校・高等学校出身の人物 東京大学出身の人物 東京都区部出身の人物 1935年生 存命人物 Pages using the JsonConfig extension ウィキデータにない公式ウェブサイト ウィキデータにあるallcinema人物識別子 ウィキデータにあるKINENOTE ID ウィキデータにあるJMDb人物と企業識別子 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事
2024/11/20 23:26更新
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