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内村光良の情報 (うちむらてるよし)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

内村光良の情報(うちむらてるよし) タレント 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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内村 光良さんについて調べます

■名前・氏名
内村 光良
(読み:うちむら てるよし)
■職業
タレント
■内村光良の誕生日・生年月日
1964年7月22日 (年齢59歳)
辰年(たつ年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
熊本出身

(昭和39年)1964年生まれの人の年齢早見表

内村光良と同じ1964年生まれの有名人・芸能人

内村光良と同じ7月22日生まれの有名人・芸能人

内村光良と同じ出身地熊本県生まれの有名人・芸能人


内村光良と関係のある人

佐藤めぐみ: 2006年、内村光良初監督映画『ピーナッツ』や、沢尻エリカと再び共演した『タイヨウのうた』を含め、数々の映画・ドラマに出演。


吉田正樹: ウッチャンナンチャンと親交が深く、内村光良とは、お笑い番組におけるコント志向の部分で意気投合しており、吉田プロデュース番組での単独起用が目立つ。


ウド鈴木: 内村光良を師匠、出川哲朗を隊長と呼び、どちらも相方の次に慕っている。


入江雅人: ピーナッツ(2005年、内村光良監督)


音尾琢真: 金メダル男(2016年10月22日公開、監督:内村光良、ショウゲート) - 田崎先生 役


南原清隆: 1984年、同級生だった内村光良と漫才の授業をきっかけにコンビを結成し、卒業後の1985年にマセキ芸能社に所属。


渡部篤郎: また、フジテレビのコント番組笑う犬において内村光良がミスターアンニュイという渡部篤郎をパロディー化したキャラクターを演じている。


谷田部俊: レッドシアター内のコーナー「ツッコミ選手権」では総合得点はあまり良くなかったものの内村光良から「芝居がうまい。


出川哲朗: 1987年2月、専門学校時代の同級生だった内村光良、南原清隆、入江雅人らと『Project team SHA.LA.LA.』(現・『劇団SHA・LA・LA』)を旗揚げ。


飯尾和樹: また、明石家さんま、内村光良(ウッチャンナンチャン)、さまぁ〜ず、とんねるずにも芸のアドバイスを受けたり、番組での共演でチャンスをもらったりなどで感謝を示している。


松野明美: その特異なキャラクターから、その後は逆に松野自身が内村光良(出身が同じ熊本県)、コロンブス、加藤めぐみなどにものまねされている。


川口春奈: 怒られ履歴書(2019年10月9日、フジテレビ) - 司会(内村光良と担当)


ちはる: 25年振りに内村光良とマモーミモーとして復活した。


原史奈: 愛称はハラフミ(名づけ親は内村光良)。


パッション屋良: 事務所の先輩に当たる内村光良にネタを披露したところ、「全部一緒じゃねーか!」と爆笑しながら評された。


南原清隆: 内村光良とともにお笑いコンビ「ウッチャンナンチャン」として活動しており、愛称は「ナンチャン」。


和久田麻由子: “内村光良、和久田アナへ「ご安静になさってください」と体調気遣う 一部で妊娠報道”.


栗原美和子: この番組では、ウッチャンナンチャンの内村光良が栗原に扮し物真似を披露。


ムロツヨシ: 金メダル男(2016年10月22日、内村光良監督・原作・脚本・主演) - 村田俊太郎 役


島田ゆかり: バラエティ番組『内村プロデュース』(テレビ朝日系)では、エキストラ出演でありながらその演技力を番組MCの内村光良に評価され、他の芸人たちを差し置いてポイントを獲得したことがある。


白島靖代: ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA.(1991年、日本テレビ) - 内村光良監督によるドラマコーナー「愛と青春の夏真っ盛り」ヒロイン役で出演


藤崎奈々子: 『東京LOVE』黒幕&愛人(2001年、ソニー・ミュージックエンタテインメント) - 内村光良とのデュエット


堀内健: 明石家さんま、ダウンタウン、内村光良(ウッチャンナンチャン)、爆笑問題などの先輩芸人の番組には不定期で出演し、ナインティナイン、有吉弘行、くりぃむしちゅーなどの後輩芸人の番組にも多々出演している。


大谷靖夫: ウルトラキャッツ(ジニー・リー、内村光良、大竹一樹、ウド鈴木)


岡野絵里: 『内村さまぁ〜ず』に出演した時、『この日限りのコンビ名』として内村光良に『パシンッ!ペロッ!』と名付けられ、これが現在のコンビ名『パシンペロン』の由来ともなっている。


矢野ペペ: 斉藤の泣き芸が内村光良のツボにはまり、芸歴2年目ながら初期の『内P』に花を添えた。


桑田佳祐: 内村光良(ウッチャンナンチャン)とは1989年にフジテレビ系バラエティ番組『夢で逢えたら』に出演して共に出会い、以降共演の機会が多く、メールでの交流もある。


三村マサカズ: 2006年1月、内村光良(ウッチャンナンチャン)監督の映画『ピーナッツ』に出演。


渡辺江里子: 以前は内村光良と公言していた。


大竹一樹: バラエティ番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』にてジニー・リー、内村光良、ウド鈴木とともにダンスユニットウルトラキャッツを結成。


内村光良の情報まとめ

もしもしロボ

内村 光良(うちむら てるよし)さんの誕生日は1964年7月22日です。熊本出身のタレントのようです。

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人物、芸風などについてまとめました。映画、テレビ、卒業、趣味、父親、現在、家族、結婚、ドラマ、引退に関する情報もありますね。内村光良の現在の年齢は59歳のようです。

内村光良のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

内村 光良(うちむら てるよし、1964年〈昭和39年〉7月22日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優、映画監督。

南原清隆とお笑いコンビ「ウッチャンナンチャン」を結成。

熊本県人吉市出身。愛称は「ウッチャン」。マセキ芸能社所属。妻は元テレビ朝日アナウンサーの徳永有美。

1964年(昭和39年)7月22日、熊本県球磨郡上村(現:あさぎり町)に生まれ、免田町立免田小学校(現・あさぎり町立免田小学校)に入学。小学4年生の時に熊本県人吉市の人吉市立西瀬小学校に転校し、人吉市立第二中学校、熊本県立人吉高等学校を卒業映画監督を志し横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)演劇科に第9期生として入学。南原清隆、出川哲朗、入江雅人らと出会う。

在学中の1984年、漫才の授業をきっかけに南原とコンビを結成。講師をしていた内海桂子・好江の勧めでマセキ芸能社に所属し、『お笑いスター誕生!!』に出演。「ショートコント」スタイルを確立するなど、コントを主体とした芸風で、とんねるず・ダウンタウン・B21スペシャルらと共に「お笑い第三世代」代表の一角としてバラエティ界をリードした。

『夢で逢えたら』への出演からスタジオコントにこだわるようになり、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』と合わせて様々なキャラクターを演じた。ドキュメント系バラティの『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』では内村の強い要望でコントライブのコーナーを設け、コントブーム終焉後も『笑う犬の生活』や『LIFE!〜人生に捧げるコント〜』に携わるなど、コントにかける情熱から「最もコントを愛する芸人」とも言われる。

1998年、ポケットビスケッツのメンバーとして『第49回NHK紅白歌合戦』に出場。

1999年、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』の企画「ドーバー海峡横断部」の遠泳リレーでドーバー海峡の横断に成功。後年、「人生で1番キツかった仕事」と語る。

『内村プロデュース』をはじめ、2000年代からピンでの活動が中心となり、『内村さまぁ〜ず』、『世界の果てまでイッテQ!』、『スクール革命!』などは10年以上続く。なお、『内村さまぁ〜ず』は2012年にDVDのリリース本数がギネス記録に認定され、以降も更新中である。

2006年に『ピーナッツ』で映画監督デビューし、2013年に『ボクたちの交換日記』、2016年に『金メダル男』を発表。

2017年からは『内村文化祭』と題した主催ライブを毎年行っている。

2017年から『NHK紅白歌合戦』の総合司会を4年連続で務める。

2019年2月11日、人吉市民栄誉賞を受賞。

人物

身体的特徴

色白で鼻が大きく、度々相方や他の芸人のネタにされる。肌は幼い頃から白く、小学校の頃の担任に「君は色が白いから歌舞伎役者になるといいよ」とアドバイスをもらったことがある。髪型は高校時代から変わっていない。靴のサイズは26.5cm

ジャッキー・チェンに似ていることから、ジャッキーに関する以下のエピソードがある。

出川哲朗には専門学校時代から「チェン」と呼ばれ続けている。

内村自身もジャッキーのファンで時折ものまねをしたりしているが、これが縁でジャッキー・チェン本人とは番組などを通じて幾度か共演しており、ジャッキー本人も似ていることを認めている。

『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』では、「ウッチー・チェン」として、デタラメな中国語と、内村のボディアクションが特徴であるコントを披露している。

ジャッキー主演の映画『ツイン・ドラゴン』は、雑誌広告でジャッキーが二役で双子を演じるポスターの片方を内村の顔写真に変え、「ジャッキーは、ウッチャンを見てこの映画を思いついた」というコピーを使用していた。

高校時代の自主制作映画で、ジャッキー並のアクションを演じたこともある。

活動初期はメガネを掛けていた。これは『お笑いスター誕生!!』出演時にスタッフから「(相方である南原と)顔が似ているからメリハリをつけるために掛けろ」と言われて掛けていたものである。

趣味・嗜好

小学生の頃に父親趣味で買った8ミリカメラや映写機に触れ、中学生の時に観た『街の灯』と『ロッキー』の影響で映画にのめり込み、監督を志すようになる。中学の文化祭では映画をモチーフにした劇を上演し、自ら脚本・演出・主演を務めた。高校時代には実家の酒屋のしごとを手伝った報酬で撮影用の機材を揃えて自主映画を制作・上映するようになり、横浜放送映画専門学院ではぴあフィルムフェスティバルに応募するも落選する。

特に影響を受けた映画として前述の『街の灯』、『ロッキー』に加えて、『卒業』、『小さな恋のメロディ』、『明日に向って撃て!』を不動のベスト5として上げる。他にも、ブルース・リーやジャッキー・チェンなど香港スターによるアクション映画、大林宣彦監督作品の尾道三部作について、随所で熱く語っているのが見られる。

『笑う犬』シリーズでの映画評論コント「ミル姉さん」でも映画への知識と情熱が遺憾なく発揮され、当時は雑誌連載のオファーが殺到した。しかし、当時山ほどレギュラーを抱えていた内村はミル姉さんの姿で「嬉しいけどこれだけで手一杯だから勘弁して…。」と呟いていた。

『燃えよドラゴン』は既に数え切れないほどの回数を観ているが、未だにテレビ放映されるとオンエアで観てしまう。リーのものまねも得意で、『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』の映画パロディでは「テルース・リー」として、『燃えよドラゴン』のパロディで『燃えてるドラゴン』、『ドラゴン怒りの鉄拳』のパロディで『ドラゴン怒りのせっけん』など、映画の予告編風のコントを披露していた。

『ウンナン世界征服宣言』の企画で、日本大学芸術学部の映画学科を目指すことになった。内村は一次試験を通過するも、二次試験の面接で求められた「完全に芸能人をやめて学業に専念する」条件が果たせず、進学は断念している。

好きなアーティストはサザンオールスターズ。『夢で逢えたら』で共演して以来、『ウンナンの気分は上々。』でのライブ出演の企画、『ウンナンのホントコ!』や映画『金メダル男』での曲の依頼、桑田佳祐の『白い恋人達』プロモーションビデオや『桑田佳祐の音楽寅さん』出演など、たびたび共演の機会がある。

    内村は桑田を「繊細な方」「あんなにスターなのに、全然スターに見えないというか、なにも飾らないし、本当に気さくな方」と評価しており、それを象徴するエピソードとして前述のライブ出演で桑田が興奮して内村を蹴り飛ばし、舞台から突き落とした事を「ずっと謝ろうと思っていた」と感じ、数年後に偶然再会し、初めて一緒に酒を交わした際に、内村に謝っていた事が語られている。なお、内村本人は謝られたことについて「そんなことをずっと気にしていられたなんて」と感じており、突き落とされた事をあまり気にしていなかった。

    桑田は自身のラジオで「ウッチャンは温かいよね。芸能の神をまつる紅白の神主はウッチャン」と『第69回NHK紅白歌合戦』で共演した際の内村の司会ぶりを高く評価していた。

    志穂美悦子の大ファンでファンレターを送ったことがある。また、『笑う犬』の時に志穂美本人から手紙と本人の手による「ミル姉さん」の油絵が届き「芸能界にいて良かった」と絶叫したことがある。

    Perfumeを気に入っており、舞台『エルダーソルジャーズ』では、Perfumeのコスプレをして振り付けを披露。その直後に行われた『世界の果てまでイッテQ』の企画でも、富士山登頂した際にレギュラーメンバーからDVDやCDなどを差し入れされて、富士山で「ポリリズム」の振り付けを披露した。

    『連続テレビ小説』のファンで、小学生の頃は『藍より青く』や『鳩子の海』を観るのが日課だった。『ゲゲゲの女房』以降の作品は、欠かさず観ている。以前から『連続テレビ小説』への出演を望んでおり、『なつぞら』でナレーションとして参加することとなった。また、『LIFE!〜人生に捧げるコント〜』では度々、『連続テレビ小説』のパロディコントを行っている。

    好きなアニメは『あしたのジョー』で、昔の営業のネタでよくモノマネをしていた。

    『銀河英雄伝説』の大ファンで、2007年7月14日放送の『SmaSTATION!!』にゲスト出演した際に、「実写で演じてみたいキャラクターは誰?」という質問に対し、他の出演者が適当に答える中で一人はっきりと「ヤン・ウェンリー」と答えた。また、『ウリナリ!!』では『銀英伝』を元ネタにした『銀河放浪伝説』というコントを作り、「ラインテルト」というキャラを演じている。共演の東野幸治は「ヒガシノイス」と言うキャラであった。OVA版でナレーションを務めた屋良有作を起用した上にOVA版の衣装を用意し、元ネタのラインハルトの声色とセリフを忠実にマネるという力の入れようだった。

    『欅坂46』のファンで、『紅白歌合戦』や自身のライブ『内村文化祭』などで度々ダンスを披露している。

    故郷・熊本をこよなく愛し、以前はたまに地元テレビへの出演や地元新聞社への寄稿を行っていた。人吉市限定情報誌『どぅぎゃん』に創刊号から毎年2回寄稿している。

    好きな食べ物はチャーハン・カツカレー・豆ご飯など。チャーハンには特に目がなく、番組でチャーハンが出てくると目を輝かせて喜ぶ。また、自分の作る料理の中で、唯一自画自賛できるメニューでもある。チャーハンが好きな理由として、「御飯と具、そして味の一体感とバランスが絶妙」と語る。またチャーハンと豆ご飯は自分にとってお袋の味とも、『世界の果てまでイッテQ!』で語っている。ただし、基本的に出された料理や楽屋に用意された弁当などに文句を言うことはなく、何でも美味しいと言ったり、微妙な味の違いがわからないことから、周囲から味オンチだと疑われている。

    好きな酒は焼酎。酒屋の息子であるものの20歳代の頃はほぼ酒が飲めず飲んでもビール1杯程度だったが、30歳代から徐々に飲めるようになる。

    20代の頃は1日90本ものたばこを吸うヘビースモーカーであったが、2011年を境に禁煙。しかし長年の喫煙がたたり、2014年現在の肺年齢は95歳。

    性格

    コントや番組上の演出以外では悪口を言わない、めったに怒らないなど、極めて温和な性格である。

      番組ですべった後輩に対し、収録後に怒ったりダメ出しをしないことから「優しさの鬼」といわれており、周りが悪口や批評を言っても「でも、~は良かったよね」と必ず良いところを見つける。一方で、同じ事務所の後輩には異常に厳しいとも言われている。

      番組の上で出川哲朗などに冷たく当たることもあるが、舞台裏で「バラエティとはいえ冷たく当たって本当にすまない」と謝ったことを出川に暴露されてしまった。

      ウド鈴木に対しては、『ウリナリ!!』の男子シンクロ挑戦部の企画の際に、練習の集合時間に遅れたうえに何度やっても上手く出来ないウドに対して、滅多に怒らない内村が「ちゃんとやれよ!」と怒鳴り、水面を手で叩いて激怒したことがある。しかし、練習後にはウドに対して「大人気なかった」と謝罪し、「じゃ、頑張ろう!」と笑顔で帰っていったという。

      以前は内向的な性格で付き合いが悪く、特に20代の頃は話しかける事すらままならない雰囲気だったことを当時を知る後輩たちに度々暴露されている。出川曰く『内村プロデュース』の頃から急に社交的になり、番組の打ち上げや芸人仲間との飲み会を楽しむようになったという。特にさまぁ〜ずなどとは定期的に飲みに行っている。そして当時、同じ関東のライバルであったヒロミとも仕事終わりなどにファミレスで一緒に食事していた。。

      プライベートでは、街中を歩いていても周囲にほとんど気付かれない。番組の収録前なども大御所とは思えないほどオーラがなく、出演者に気付かれないこともある。2021年現在も電車を利用していると発言しており、愛用のSuicaには常に5000円以上をチャージしてあるという。

      色々と悩むことはあっても最後は楽観的なところがあり、売れなかった時代や仕事が減った時期も「なんとかなる」と考えていた。

      家族

      2005年徳永有美と結婚。会見で内村は「(妻は)侍のような…」と表現し、2人の関係を「運命共同体」と語った。

      2009年に長女、2013年に長男が誕生。長女には甘くなってしまい、長男は色白で自分の姿を見ているようで、つい厳しくなってしまうという。

      放送作家を務める従兄の内村宏幸を「あんちゃん」と呼び、慕っている。専門学校時代は、横浜の大学に通っていた彼と同居していた。

      エピソード

      松本人志と仲が良い。『笑う犬』が日曜8時に移行する際に内村は、「それなら(かつて『ダウンタウンのごっつええ感じ』の枠に移動することを)松ちゃんに許可をもらわなきゃ」とわざわざ連絡を取った。「そんなこといちいち俺に聞かなくてもいいのに」と思った松本は、「ウッチャンはいい子すぎる」と著書で内村を評している。また、松本の結婚式には吉本興業の関係者以外は式場のホテルに入れなかったが、松本たっての希望で出席したほど。さらには2021年8月28日に生放送された『FNSラフ&ミュージック』にて生ブッキングのコーナーにて久しぶりに松本から電話が来て電話出演した。

      毎年の正月には知人に電話で新年のあいさつをしているらしく、松本がラジオ番組『放送室』で、自宅の留守電に内村から新年の挨拶のメッセージが残されていたエピソードを語っている。

      志村けんから「ずっとコントやったほうがいいよ」とアドバイスを受けたことが『笑う犬』に繋がるが、志村は泥酔していたため発言を覚えていなかった。

      東野幸治に対し、「笑福亭鶴瓶は憧れない」と漏らしたことを、東野が鶴瓶に告げ口してしまったことがある。内村はこれについて、「俺は冗談で言ったのよ。東野に笑って貰いたかった」としている。また、番組内でツッコミとして鶴瓶の頭部を思い切り叩いてしまったことを長年に渡り申し訳なく思っているという。

      『新ウンナンの気分は上々。』の企画で「バカルディ」を「さまぁ〜ず」、「海砂利水魚」を「くりぃむしちゅー」に改名させるが、それによって人生を変えてしまったことに責任を感じ、もう誰も変えようとは思わないと語っている。くりぃむしちゅーの改名に対しては直接のブレイクに繋がらなかったため、責任を感じて「戻してもいいよ?」と言ったこともあった。

      芸風

      憑依芸人

      芸風としては、素のキャラクターよりも、あるキャラクターを演じきって笑いを取る「憑依芸人」といわれるタイプで、素を前面に出す相方・南原とは対照的である。松本人志は内村を、「憑依芸人としてのキャラクターの引き出しが非常に多く、自分の場合は5、6パターンほどに集約されてしまうが、ウッチャンは全て確立出来ている」と評する。

      放送作家の高須光聖は「コントが大好きな芸人をイメージしてみると、真っ先に思い浮かぶのが内村光良で、2番目が松本人志である」と述べている。また、お笑い第三世代によるコント番組ブームが1990年代後期に終息した後も、内村は『笑う犬』『爆笑レッドシアター』『LIFE!〜人生に捧げるコント〜』などのコント番組を手がけ、「スタジオコント」にこだわっている。高須光聖は、「ダウンタウンの松本人志はテレビでコントをすることを諦めた。だけど内村はいまだにコントに挑戦している。」と芸に対する姿勢を評している。

      内村自身はスタジオコントについて「得意分野なので続けていきたい」「スタジオコントが一番好きなのかなと。『夢で逢えたら』とかあの空間が好きでしたね。お客さんがいなくて、スタッフの笑いを頼りにして。毎回やるたびに『俺、好きだわ』と思う」と語っている。

      また、個人でのネタ披露も度々行っており、2006年には『スティング松岡 危機一髪!』内で使用する漫談のネタを試すため、所属事務所の若手芸人ライブに紛れ込んで出演した また、2008年には『ウンナン極限ネタバトル! ザ・イロモネア 笑わせたら100万円』内のコーナー「ゴールドラッシュ」において、ピン芸人「ザ・テルヨシ」として漫談を行い、見事3週勝ち抜いて本選出場権を獲得、同年秋の本戦に出場したが、ファイナルチャレンジ(残り1人)で敗退した。その後、2009年春と2010年正月のスペシャルでは、ウド鈴木(ザ・ウド)と共にコンビ「ザ・テルヨシ&ウド」として出場するが、2回ともファイナルチャレンジ(残り1人)で敗退となった。しかし、2010年末のスペシャルでは本名で三村マサカズと共にコンビ「三内芸」として出場し、見事100万円を獲得した。

      アクション

      持ち前の運動神経の良さで、出演したコントでは時折難度の高いアクションを演じるほか、ドラマ映画に出演した際はスタントなしでアクションシーンを演じている。

      しかし、40歳を超えた頃から体力の低下が見られ、『世界の果てまでイッテQ!』の「祭りシリーズ」では、宮川大輔と手越祐也の足を引っ張ることもある。「世界で一番盛り上がるのは何祭り?SP〜丸太祭り」では、練習では一度も丸太渡りが成功しなかったため、お祭り男からの引退を考えていたが、本番では予選・準決勝と丸太渡りを成功させ、チームの優勝に貢献し引退を撤回した。また、50歳を過ぎてからもバック転や鉄棒の大車輪を成功させるなど、難度の高い技に意欲的に挑戦している。

      『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』でジャッキー・チェンの映画のパロディを行い、『プロジェクトA』の時計塔からの転落など危険なシーンをスタントなしで再現した。

      『ウンナン世界征服宣言』では「ギターを持って歌いながら(つまりは両手が塞がった状態で)、スキーでゲレンデを滑り降りる」コントを披露した。

      映画『七人のおたく』では、スタントなしで乱闘シーンを撮影し、壁を蹴って宙返りするなどのアクションを見せた。

      『ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!』の「役者バカデニーロさん」コーナーにて、露鳩出似郎ろばとでにろうというロバート・デ・ニーロに似たキャラになって、階段落ちの練習を行ったのち見事に成功させている。

      ドラマ『ぼくが地球を救う』では、毎回さまざまなパターンの「階段落ち」を披露。一歩間違えれば大怪我をするエスカレーターでの階段落ちも行った。

      『ウリナリ!!』で行ったミュージカル『ナトゥ』では、舞台演劇史上最大級の大階段落ちに挑戦し、見事に成功させた。

      コント「こける男」シリーズでは、つまづく・ぶつかる・滑る・転がる・飛ぶなど大小織り交ぜたあらゆる「こけ芸」を披露。セットを破壊しながら延々とこけ倒すのみの内容であったが、身体能力の高さを生かしたあまりに見事なこけっぷりと「痛い」リアクションに笑いとしての説得力があり、一部ではボディパフォーマンスの一種の完成型として評価する声もあった。

      テレビ朝日制作のドラマ「恋人はスナイパー」では共演の水野美紀とアクションシーンを数多く演じている。※ワイヤーアクション等もこなしている。

      2003年『第40回新春かくし芸大会』では、「THE DRUNKEN MAN〜果てしなき家路」という演目を一人で披露。酔っ払った男が家に帰るまでにさまざまなハプニングに見舞われるというもので、ノーカットの通し撮りで体を張ったアクションを多くこなした。その際、本番中にポールで腹部を強打し肋骨にヒビが入るというアクシデントに見舞われながらも、スタッフに気づかれることなく最後まで演じきり、撮影後のスタッフを驚かせた。

      『内村プロデュース』の中でもその身体能力が何度も発揮されている。

        「内村vsふかわ5番勝負」の際には、当時35歳という年齢、かつスーツを着たままという格好にもかかわらず50mを6秒8で走った(ふかわが6秒6台の好タイムを出したため、勝負には敗れる)。

        「レガッタをプロデュース」(36歳当時)の際には、背筋力200kgを計測した。

        劇団プロデョーヌの「真夏の世の夢」の公演(37歳当時)では、舞台上でバク宙を披露した。

        自身が監督を行っている映画『ピーナッツ』では、スタントマンやCG合成などの技術は一切使わず、バク転や宙返りをしながらボールをキャッチするというしなやかな動きを行っている。

        ドラマ『西遊記』の沙悟浄役では、非常に使うのが難しい古武術武具、釵(サイ)を使って巧みなバトルシーンを演じている。劇中宙返りもたびたび披露している。

        司会

        優しい雰囲気や安定感に定評がある。自分よりも共演者の持ち味を前面に押し出してフォローするスタイルで、少し埋もれているような人に焦点を当てるのが得意とされる。要所で声を張ってコント的な動きを見せる司会は劇場型とも言われる。

        芸人としてはタモリ以来2人目となる『紅白歌合戦』の総合司会を務め、視聴者を体現したようなコメントや内村ならではのパフォーマンスが評判を呼んだ。

        代表的なコントキャラクター

        コントのキャラクター

        コーナーのキャラクター

2024/06/12 09:00更新

uchimura teruyoshi



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内村 鑑三(うちむら かんぞう)
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内村 鑑三(うちむら かんぞう、1861年3月23日〈万延2年2月13日〉 - 1930年〈昭和5年〉3月28日)は、日本のキリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。福音主義信仰と時事社会批判に基づ…

内村 祐之(うちむら ゆうし)
1897年11月12日生まれの有名人 東京出身

内村 祐之(うちむら ゆうし、1897年11月12日 - 1980年9月17日)は、日本の医学者、精神科医。専攻は臨床精神医学、神経病理学。東京大学名誉教授、日本学士院会員。プロ野球コミッショナー。 …

内村 幹子(うちむら みきこ)
1923年12月9日生まれの有名人 福岡出身

12月9日生まれwiki情報なし(2024/06/15 07:46時点)

内村 月子(うちむら つきこ)
1949年5月18日生まれの有名人 岩手出身

内村 月子(うちむら つきこ、1949年5月18日 - )は、日本の漫画家。岩手県紫波郡紫波町出身。主に成人女性向けの漫画雑誌などで執筆していた。 1971年、講談社の少女向け雑誌『別冊少女フレン…

内村 颯太(うちむら そうた)
2003年3月7日生まれの有名人 埼玉出身

内村 颯太(うちむら そうた、2003年3月7日 - )は、日本の歌手、タレント、アイドル。ジュニア内男性アイドルグループ・少年忍者のメンバー。 埼玉県出身。SMILE-UP.(旧ジャニーズ事務所)…

内村 賢介(うちむら けんすけ)
1986年3月17日生まれの有名人 東京出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 内村 賢介(うちむら けんすけ、1986年3月17日 - )は、東京都大田区出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投両打。 愛称…

内村 かなめ(うちむら かなめ)
7月6日生まれの有名人 大阪出身

内村 かなめ(うちむら かなめ、7月6日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、同人作家。女性。大阪府出身、埼玉県在住。かなめあきらやとくながともこのペンネームでも活動している。 インコ系の小…

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内村光良
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