内田康哉の情報(うちだこうさい) 外交官 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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内田康哉と関係のある人
土倉冨士雄: 叔父 内田康哉(外交官、明治・大正・昭和の外務大臣、南満州鉄道総裁、従一位勲一等 伯爵) 加藤友三郎: 外務大臣の内田康哉が内閣総理大臣臨時兼任として加藤友三郎内閣を差配し、後任の内閣総理大臣が任命されるまで政権を運営した。 小村寿太郎: 11月17日から内田康哉とともに北京会議に臨んだ小村であったが、対する清国側全権は慶親王奕劻、瞿鴻禨(中国語版)、袁世凱であった。 小村寿太郎: 12月9日、慶親王は新任の内田康哉駐清公使と会談し、ロシア側提示の協約案と慶親王による修正案とを内示して日本側の意向を求めた。 木村俊夫: 内田康哉 十河信二: 十河は事変拡大に消極的だった内田康哉満鉄総裁と本庄繁関東軍司令官の会談を設け、内田を急進的な事変拡大派に転向させることに成功する。 清沢洌: 満州国単独承認問題、国際連盟における満州問題の討議、引き続くリットン調査団派遣を巡って国内世論は沸騰していたが、「国を焦土と化しても」日本の主張を貫徹する、と答弁した外相内田康哉、スタンドプレーに終始し意味のある成果を引き出せなかった国際連盟首席全権松岡洋右をそれぞれ批判した「内田外相に問ふ」「松岡全権に与ふ」は、この時期の代表的評論である。 広田弘毅: これは前任者の内田康哉の人選によるものである。 林董: 一時外相も臨時の形で兼ねたが、外交は内田康哉が担っていた。 加藤友三郎: そのため、外相・内田康哉が内閣総理大臣を臨時兼任したものの、その8日後に関東大震災が発生し、日本は「首相不在」という異常事態の中でこの大災害を迎えることとなった。 床次竹二郎: この姿勢は山縣有朋の不満を買うことになり、内田康哉外相・中橋徳五郎文相とともに山縣に非難され、のちには更迭まで求められるようになる。 西園寺公望: 原首相と内田康哉外相が協議し、首席全権として西園寺を派遣する方針を決めた。 原敬: 法務大臣は原が当面兼任し、外務大臣は西園寺が珍田捨巳駐英大使の名を挙げたものの、原は官僚時代の同僚であった元駐露大使内田康哉を選んだ、また文部大臣候補であった元田肇は内務大臣を望んで文相を拒否したため、中橋徳五郎をこれに変えた。 樋口季一郎: 歴史家の秦邦彦はゴールデンブックをユダヤ人に貢献した者の名が記される本だとした上で、雑誌『正論』1989年9月号に、先の二人に加えバルフォア宣言を支持した内田康哉元外相と戦後に親イスラエル運動をした手島郁郎の計4人の名が記されていると述べている。 伊集院彦吉: 伊集院は自らの政治的失敗を認め、公使の辞職を上申したが、「貴官ノ進退ハ時局ニ容易ナラサル関係ヲ有スル」という内田康哉外相の裁定によって却下された。 小山松吉: 二松学舎の学僕(学費免除の住み込み学生)を経て、獨逸学協会学校(現在の獨協大学)専修科を卒業し、法曹会雑誌編集委員、内田康哉内閣総理大臣の奏請により懲戒裁判所検事、大審院検事などを経て1924年(大正13年)に検事総長となり、1932年(昭和7年)に司法大臣に就任するまでの8年間これを勤めた。 白鳥敏夫: 有田は白鳥と谷を海外赴任させて調停する案を考えたが、白鳥は省内の革新派の影響力を背景に、有田にも海外赴任させるよう内田康哉外相に迫った。 山本権兵衛: 加藤友三郎首相の急死に伴い内田康哉外務大臣が内閣総理大臣を臨時兼任していたところ、関東大震災発生翌日の1923年(大正12年)9月2日、約9年の時を経て加藤と同じく海軍出身の山本に再度の組閣が命じられた。 倉成正: 内田康哉 小村寿太郎: 桂は、小村の外相留任を希望していたが、原敬を中心とする与党の立憲政友会は、桂の影響力が新内閣に残るのを嫌い、後継外相に内田康哉を迎えた。 松岡洋右: さらに国際協調派から満洲国承認の強硬派に転じた内田康哉外相の「焦土演説」に押し切られ、政府は報告書正式提出の直前(9月15日)に満洲国を正式承認するなど、政策の選択肢が限定される状況であった。 |
内田康哉の情報まとめ
内田 康哉(うちだ こうさい)さんの誕生日は1865年9月29日です。熊本出身の外交官のようです。
現在、卒業、脱退、事件、結婚、趣味、解散に関する情報もありますね。1936年に亡くなられているようです。
内田康哉のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)内田 康哉(うちだ こうさい / やすや、1865年9月29日〈慶応元年8月10日〉- 1936年〈昭和11年〉3月12日)は、日本の外交官、政治家。栄典は従一位勲一等伯爵。 明治・大正・昭和の3代にわたって外務大臣を務めた唯一の人物。戦前の日本を代表する外政家だが、その外交姿勢は時期によって揺れがあり、単純ではない。通算外相在職期間7年5か月は、現在に至るまで最長である。 熊本藩医・内田玄真と熊本士族黒田五左衛門長女ミカの子として肥後国八代郡竜北(現・熊本県八代郡氷川町)に生まれる。八代郡鏡町にあった名和童山の新川義塾などで学んだ後、同志社英学校に入学するも2年後に退学。東京帝国大学法科卒業後に外務省に入省し、ロンドン公使館勤務、清国北京公使館勤務中に一時、臨時代理公使・オーストリア公使兼スイス公使・アメリカ大使・ロシア大使などを歴任し、第4次伊藤内閣の外務次官を務めた。 第2次西園寺内閣、原内閣、高橋内閣、加藤友三郎内閣に於いて外務大臣を務める。特に原内閣以降、パリ講和会議やワシントン会議の時期の外相として、ヴェルサイユ体制、ワシントン体制の構築に関与し、後述のように1928年の不戦条約成立にも関係するなど、第一次世界大戦後の国際協調体制を創設した一人であった。これらについて内田は「四国条約の締結といい、支那関係の原則の決定といい、全てこれらは世界における恒久平和の樹立に対する一般人類の真摯なる要求の発露に外ならない。単に各国政府の一時的政策と認むるべきではない」と演説している。 ただし、清国山東省の元帝国ドイツ領での日本の権益を主張したヴェルサイユ条約の山東条項(156 - 158条) は山東問題を引き起こし、日清関係は、1922年の山東懸案解決に関する条約が締結されるまで解決を見なかった。 原敬暗殺(1921年)、加藤友三郎急逝(1923年)の現職首相の死去の際、どちらの内閣でも外務大臣を務めていた内田が、宮中席次において内閣総理大臣の次席であった為、皇室儀制令の規定に則った慣例によって「内閣総理大臣臨時代理」を務めた。なお、2度目の首相臨時代理の際には後任の山本権兵衛の組閣前に関東大震災が発生したため、第2次山本内閣発足までの2日間、日本の行政トップとして震災対策の指揮を執った。緊急時の臨時の首相を二度も行ったのは、西園寺公望(臨時代行と臨時兼任の二度)と内田だけである。西園寺は後年に正式な首相になっているが、内田はなっていない。 1925年(大正14年)、枢密顧問官に就任した。1928年(昭和3年)には全権として不戦条約に調印したが、国内での批准にあたって「人民ノ名ニ於テ」文言を巡る混乱が生じ、枢密顧問官を辞任した。1930年(昭和5年)4月11日に貴族院議員に就任する。 1931年(昭和6年)に南満洲鉄道(満鉄)総裁に就任した。当時の満鉄は張学良政権との関係が悪化しており、外交官としての経歴を買われての就任であった。同年9月の満洲事変には不拡大方針で臨んだが、満鉄理事で事変拡大派の十河信二の斡旋によって関東軍司令官・本庄繁と面会したのを機に、急進的な拡大派に転向する。1932年(昭和7年)4月、犬養内閣によって江口定條満鉄副総裁(民政党系の人物で軍部に批判的だった)が突然罷免された際には罷免に抗議して辞表を提出したが、内田の総裁留任を支持する軍部の説得により、最終的には満鉄総裁に留まる。同年5月に成立した斎藤内閣では7月に外務大臣に就任。国際連盟において満洲国の取り扱いが審議され、松岡洋右全権の交渉によって、主権を中華民国(蔣介石勢力)に潜在的に認めたまま日本の「勢力圏」とするという、日本に有利な調停案がまとまる。しかし内田はこの提案を一蹴し、日本は満洲国を国家承認、国連脱退に追い込まれる。1932年8月25日、衆議院で「国を焦土にしても満洲国の権益を譲らない」と答弁(焦土演説)。質問者の森恪は武断外交の推進者として知られるが、さしもの森も仰天し答弁を修正する意思がないか問うが内田は応じなかった。1920年代の国際協調の時代を代表する外政家である内田の急転向は、焦土外交として物議を醸した。当時の外交評論家清沢洌は「国が焦土となるのを避けるのが外交であろう」と批判、西園寺公望も、かつて自らの内閣で外相を務めた内田の変貌に驚愕し、落胆したという。 1936年(昭和11年)3月12日、二・二六事件の15日後に死去。70歳没。墓所は多磨霊園。 その生涯について、外交評論家で元タイ大使の岡崎久彦は「彼についての記録から彼の思想信念を知ることは難しい。おそらく特に哲学のない単なる有能な事務官僚だったのだろう。したがってその行動も時流とともに変わっていく。その意味で内田の意見は、時の国民意識の変化を代表しているといえる」と評している。なお、岡崎の祖父岡崎邦輔は立憲政友会の代議士で、大正時代当時は内田外相の内閣の与党にいた。 1899年に結婚した妻の政は、土倉庄三郎の次女。同志社女学校を卒業してアメリカへの留学経験(ブリンマーカレッジ1897年卒)もある政は英語に優れ、婚約していた頃は英文で文通したといわれる。 1890年(明治23年)7月29日 - 正七位 1892年(明治25年)9月26日 - 従六位 1895年(明治28年)12月10日 - 正六位 1897年(明治30年)12月20日 - 正五位 1901年(明治34年)1月31日 - 従四位 1906年(明治39年)3月20日 - 正四位 1909年(明治42年)4月30日 - 従三位 1912年(明治45年)5月10日 - 正三位 1921年(大正10年)5月20日 - 従二位 1932年(昭和7年)7月15日 - 正二位 1936年(昭和11年)3月12日 - 従一位 1894年(明治27年)8月31日 - 勲五等双光旭日章 1900年(明治33年)12月20日 - 勲三等瑞宝章 1902年(明治35年)
5月10日 - 明治三十三年従軍記章 1906年(明治39年)4月1日 - 勲一等旭日大綬章・明治三十七八年従軍記章 1907年(明治40年)11月4日 - 男爵 1911年(明治44年)8月24日 - 子爵 1912年(大正元年)8月1日 - 韓国併合記念章 1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章(大正) 1920年(大正9年)9月7日 - 伯爵・旭日桐花大綬章
1928年(昭和3年)11月10日 - 大礼記念章(昭和) 1931年(昭和6年)3月20日 - 帝都復興記念章 1896年(明治29年)12月17日 - 大清帝国:第二等第二双竜宝星 1901年(明治34年)10月4日 - スペイン王国:イサベル・ラ・カトリカ勲章(英語版)グランクロワ 1902年(明治35年)6月4日 - 大清帝国:頭等第三双竜宝星 1907年(明治40年)11月26日 - ローマ法王庁:ピーヌーフ第一等勲章 1909年(明治42年)11月2日 - オーストリア=ハンガリー帝国:レオポルド大綬章(英語版) 1913年(大正2年)2月17日 - フランス共和国:レジオンドヌール勲章グランクロア 1914年(大正3年)4月21日 - イタリア王国:聖マウリッツィオ・ラザロ第一等勲章 1919年(大正8年)10月18日 - ギリシャ:ソーヴール第一等勲章(フランス語版) 故郷の熊本県八代郡氷川町には『内田康哉先生生誕の地』という記念碑が建立されている。 『第六十三回帝国議会ニ於ケル内田外務大臣演説(昭和七年八月二十五日)』外務省、1932年。 NCID BA76540279。全国書誌番号:47007783。 『第六十四回帝国議会ニ於ケル内田外務大臣演説(昭和八年一月二十一日)』外務省、1933年。 NCID BA54144416。全国書誌番号:47007784。 内田康哉、荒木貞夫『非常時教本』趣味の教育普及会、1933年。全国書誌番号:47017414。 内田康哉伝記編纂委員会・鹿島平和研究所 編『内田康哉』鹿島研究所出版会、1969年1月。 NCID BN06971744。全国書誌番号:73007520。 小林道彦・高橋勝浩・奈良岡聰智・西田敏宏・森靖夫編 編『内田康哉関係資料集成』 第1巻(資料編1)、柏書房、2012年12月。ISBN 9784760141739。 NCID BB10885539。全国書誌番号:22186136。 小林道彦・高橋勝浩・奈良岡聰智・西田敏宏・森靖夫 編『内田康哉関係資料集成』 第2巻(資料編2)、柏書房、2012年12月。ISBN 9784760141746。 NCID BB10885539。全国書誌番号:22186137。 小林道彦・高橋勝浩・奈良岡聰智・西田敏宏・森靖夫 編『内田康哉関係資料集成』 第3巻(伝記編)、柏書房、2012年12月。ISBN 9784760141753。 NCID BB10885539。全国書誌番号:22186139。 ^ 震災から6日後の9月7日には治安維持法の前身となる勅令『治安維持の為にする罰則に関する件』が下された。 ^ 熊本教育振興会『肥後の人物ものがたり』熊本教育振興会事務局、1988、152-153頁。 ^ 『官報』号外、大正12年8月25日 ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、38頁。 ^ 大杉一雄『日中十五年戦争史』(中公新書、1996年)95頁 ^ 岡崎久彦「重光・東郷とその時代」PHP文庫、2003年、P63 ^ Who's Who - 同志社女子大学ウェブサイト ^ Bryn Mawr College Calendar, 1914 Bryn Mawr, PA: Bryn Mawr College、1914 ^ 「内田康哉」 アジア歴史資料センター Ref.A06051177000 ^ 『官報』第2127号「叙任及辞令」1890年8月1日。 ^ 『官報』第2776号「叙任及辞令」1892年9月27日。 ^ 『官報』第3737号「叙任及辞令」1895年12月11日。 ^ 『官報』第4343号「叙任及辞令」1897年12月21日。 ^ 『官報』第5272号「叙任及辞令」1901年2月1日。 ^ 『官報』第6815号「叙任及辞令」1906年3月22日。 ^ 『官報』第7752号「叙任及辞令」1909年5月1日。 ^ 『官報』第8666号「叙任及辞令」1912年5月11日。 ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。 ^ 『官報』第1670号「叙任及辞令」1932年7月25日。 ^ 『官報』第2759号「叙任及辞令」1936年3月16日。 ^ 『官報』第3354号「叙任及辞令」1894年9月1日。 ^ 『官報』第5243号「叙任及辞令」1900年12月21日。 ^ 『官報』第5598号「叙任及辞令」1902年3月6日。 ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。 ^ 『官報』第199号・付録「辞令」1913年4月1日。 ^ 『官報』第7307号、明治40年11月5日。 ^ 『官報』第8454号「叙任及辞令」1911年8月25日。 ^ 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重光葵 鈴木貫太郎 吉田茂 芦田均 岡崎勝男 岸信介 藤山愛一郎 小坂善太郎 大平正芳 椎名悦三郎 三木武夫 愛知揆一 福田赳夫 木村俊夫 宮澤喜一 鳩山威一郎 園田直 大来佐武郎 伊東正義 櫻内義雄 安倍晋太郎 倉成正 宇野宗佑 三塚博 中山太郎 渡辺美智雄 武藤嘉文 羽田孜 柿澤弘治 河野洋平 池田行彦 小渕恵三 高村正彦 田中眞紀子 小泉純一郎 川口順子 町村信孝 麻生太郎 高村正彦 中曽根弘文 岡田克也 前原誠司 松本剛明 玄葉光一郎 岸田文雄 河野太郎 茂木敏充 林芳正 上川陽子 岩屋毅 表 話 編 歴 後藤新平1906.11.13-1908.7.14 中村是公1908.12.19-1913.12.18 野村龍太郎1913.12.19-1914.7.15 中村雄次郎1914.7.15-1917.7.31 国沢新兵衛1917.7.31-1919.4.12 野村龍太郎1919.4.12-1921.5.31 早川千吉郎1921.5.31-1922.10.14 川村竹治1922.10.24-1924.6.22 安広伴一郎1924.6.22-1927.7.19 山本条太郎1927.7.19-1929.6.19 山本条太郎1929.6.20-1929.8.14 仙石貢1929.8.14-1931.6.13 内田康哉1931.6.13-1932.7.6 林博太郎1932.7.26-1935.8.2 松岡洋右1935.8.2-1939.3.24 大村卓一1939.3.24-1943.7.14 小日山直登1943.7.14-1945.4.11 山崎元幹1945.5.5-1945.9.30 表 話 編 歴 澤宣嘉1873(未赴任) 榎本武揚1874-1880 柳原前光1880-1883 花房義質1883-1887 西徳二郎1887-1897 林董1897-1900 小村壽太郎1900 珍田捨巳1900-1901 栗野慎一郎1901-1904 国交断絶(日露戦争) 本野一郎1906-1908 大使館昇格1908 本野一郎1908-1916 内田康哉1916-1918 国交断絶(ロマノフ朝の崩壊から日ソ基本条約締結まで、日本は反革命の白系ロシア人勢力を支援してソビエト連邦と対立) 田中都吉1925-1930 広田弘毅1930-1932 太田為吉1932-1936 重光葵1936-1938 東郷茂徳1938-1940 建川美次1940-1942 佐藤尚武1942-1946 国交断絶(第二次世界大戦末期から日ソ共同宣言まで) 門脇季光1957-1961 山田久就1961-1963 下田武三1963-1965 中川融1965-1970 新関欽哉1971-1973 重光晶1974-1978 魚本藤吉郎1978-1982 高島益郎1982-1984 鹿取泰衛1984-1987 武藤利昭1987-1990 枝村純郎1990-1991 枝村純郎1991-1994 渡辺幸治1994-1996 都甲岳洋1996-1999 丹波實1999-2002 野村一成2002-2006 齋藤泰雄2006-2009 河野雅治2009-2011 原田親仁2011-2015 上月豊久2015-2023 武藤顕2023- 表 話 編 歴 森有礼 1870–73(少弁務使→中弁務使→代理公使) 上野景範 1872(弁理公使) 吉田清成 1874–82 寺島宗則 1882–84 九鬼隆一 1884–88 陸奥宗光 1888–90 建野郷三 1891–94 栗野慎一郎 1894–96 星亨 1896–98 小村寿太郎 1898–1900 高平小五郎 1900–06 青木周蔵 1906–08 高平小五郎 1908–09 内田康哉 1909–11 珍田捨巳 1912–16 佐藤愛麿 1916–18 石井菊次郎 1918–19 幣原喜重郎 1919–22 埴原正直 1922–24 松平恆雄 1924–28 出淵勝次 1928–34 斎藤博 1934–39 堀内謙介 1938–40 野村吉三郎 1941 来栖三郎 1941 (閉 鎖 1941–52) 武内龍次 1951–52 武内龍次臨時代理大使 1952 新木栄吉 1952–53 井口貞夫 1954–56 谷正之 1956–57 朝海浩一郎 1957–63 武内龍次 1963–67 下田武三 1967–70 牛場信彦 1970–73 安川壮 1973–75 東郷文彦 1975–80 大河原良雄 1980–85 松永信雄 1985–89 村田良平 1989–92 栗山尚一 1992–95 斎藤邦彦 1995–99 柳井俊二 1999–2001 加藤良三 2001–08 藤崎一郎 2008–12 佐々江賢一郎 2012–18 杉山晋輔 2018–2021 冨田浩司 2021–2023 山田重夫 2023–現任 表 話 編 歴 鮫島尚信1880 井田譲1881-1883 蜂須賀茂韶1883-1887 戸田氏共1887-1890 渡辺洪基1890-1892 高平小五郎1895-1899 牧野伸顕1899-1906 内田康哉1907-1909 秋月左都夫1909-1913 佐藤愛麿1914-1916 三浦弥五郎1916-1918 本多熊太郎1918-1919 有吉明1921-1926 吉田伊三郎1927-1930 矢田七太郎1930-1933 堀田正昭1934-1936 天羽英二1937-1939 栗原正1940 三谷隆信1940-1942 阪本瑞男1942-1944 加瀬俊一1944-1945 閉鎖1945 再開1952 萩原徹1952-1955 萩原徹1956-1957 奥村勝蔵1957-1960 木村四郎七1960-1963 大江晃1963-1965 鶴岡千仭1966-1967 柿坪正義1967-1969 西山昭1969-1972 井川克一1972-1974 力石健次郎1974-1978 岡田晃1978-1983 西田誠哉1983-1984 吉田長雄1984-1987 松原進1987-1989 大嶋鋭男1989-1992 加藤千幸1992-1994 黒河内康1994-1996 村田光平1996-1999 國松孝次1999-2002 中村雄二2002-2005 阿部信泰2006-2008 小松一郎2008-2011 梅本和義2011-2012 前田隆平2013-2016 本田悦朗2016-2019 白石興二郎2019-2022 藤山美典2022- 表 話 編 歴 佐野常民1873 弁理公使 1873-1874 河瀬真孝1873 弁理公使 青木周蔵1875-1880 井田譲1880-1882 上野景範1882-1884 西園寺公望1885-1887 戸田氏共1887-1890 渡辺洪基1890-1892 大山綱介1892-1895 臨時代理公使 高平小五郎1896-1899 牧野伸顕1899-1906 大使館昇格1907 内田康哉1907-1909 秋月左都夫1910-1913 佐藤愛麿1914 引揚 オーストリア=ハンガリー帝国解体1918 在オーストリア公使が兼轄1921-1937 本多熊太郎1921-1924 赤塚正助1924-1926 大野守衛1927-1930 有田八郎1931-1932 松永直吉1933-1935 谷正之1936-1937 独墺合邦により公使館消滅1938 公使館開設 松宮順1938-1939 井上庚二郎1939-1940 大久保利隆1941-1943 森喬未赴任 引揚1944 再開1960 小川清四郎1960-1962 吉田健一郎1962-1964 大使館昇格1964 吉田健一郎1964-1966 八木正男1966-1968 卜部敏男1968-1969 上田常光1970-1973 都倉栄二1973-1975 齋木千九郎1957-1978 杉原真一1978-1981 角谷清1981-1983 和智一夫1983-1986 茂木良三1986-1989 関榮次1989-1992 堤功一1992-1995 田中義具1995-1997 久米邦貞1997-1998 糠沢和夫1998-2001 松本和朗2001-2003 稲川照芳2003-2006 鍋倉眞一2006-2009 伊藤哲雄2009-2012 山本忠通2012-2014 小菅淳一2014-2017 佐藤地2017-2020 大鷹正人2020-2024 小野日子2024- 表 話 編 歴 佐野常民1873 弁理公使 / 1873-1874 河瀬真孝1873 弁理公使 青木周蔵1875-1880 井田譲1880-1882 上野景範1882-1884 西園寺公望1885-1887 戸田氏共1887-1890 渡辺洪基1890-1892 大山綱介1892-1895 臨時代理公使 高平小五郎1896-1899 牧野伸顕1899-1906 大使館昇格1907 内田康哉1907-1909 秋月左都夫1910-1913 佐藤愛麿1914 第一次大戦中引揚 公使館開設 本多熊太郎1921-1924 赤塚正助1924-1926 大野守衛1927-1930 有田八郎1931-1932 松永直吉1933-1935 谷正之1936-1937 独墺合邦により総領事館に格下げ1938 山路章1938-1941 N/A 合邦解消、総領事館閉鎖1945 公使館開設 大野勝巳1955-1956 古内広雄1957 大使館昇格1957 古内広雄1957-1961 内田藤雄1961-1964 法眼晋作1965-1968 新関欽哉1968-1971 藤山楢一1971-1975 鹿取泰衛1975-1979 山戸徹1980-1983 宮沢泰1983-1985 村田良平1985-1987 矢田部厚彦1987-1989 長谷川和年1989-1992 小野寺龍二1992-1993 黒川剛1993-1996 高島有終1996-1999 伊集院明夫1999-2003 橋本宏2003-2006 梅津至2006-2007 田中映男2007-2010 岩谷滋雄2010-2013 竹歳誠2013-2016 小井沼紀芳2016-2019 水谷章2019-2022 水内龍太2022- 表 話 編 歴 青木周蔵1886-1889 岡部長職1889-1891 林董1891-1895 原敬1895-1896 小村寿太郎1896-1898 鳩山和夫1898 都筑馨六1898-1899 高平小五郎1899-1900 高平小五郎1900 浅田徳則1900 内田康哉1900-1901 珍田捨巳1901-1903 珍田捨巳1903-1906 内田康哉1906-1907 珍田捨巳1907-1908 石井菊次郎1908-1912 倉知鉄吉1912-1913 松井慶四郎1913-1915 幣原喜重郎1915-1919 埴原正直1919-1922 田中都吉1922-1923 松平恆雄1923-1924 出淵勝次1924-1928 吉田茂1928-1930 永井松三1930-1932 有田八郎1932-1933 重光葵1933-1936 堀内謙介1936-1938 沢田廉三1938-1939 谷正之1939-1940 松宮順1940 心得 大橋忠一1940 心得 大橋忠一1940-1941 山本熊一1941 心得 天羽英二1941 西春彦1941-1942 山本熊一1942 心得 山本熊一1942 松本俊一1942-1944 沢田廉三1944-1945 松本俊一1945 河相達夫1945 田尻愛義1945 松嶋鹿夫1945-1946 寺崎太郎1946-1947 岡崎勝男1947-1948 吉沢清次郎1948 岡崎勝男1948 太田一郎1948-1949 太田一郎1949-1951 井口貞夫1951-1952 渋沢信一1952 奥村勝蔵1952-1955 門脇季光1955-1957 大野勝巳1957-1958 山田久就1958-1960 武内龍次1960-1963 島重信1963-1964 黄田多喜夫1964-1965 下田武三1965-1967 牛場信彦1967-1970 森治樹1970-1972 法眼晋作1972-1974 東郷文彦1974-1975 佐藤正二1975-1977 有田圭輔1977-1979 高島益郎1979-1981 須之部量三1981-1983 松永信雄1983-1985 柳谷謙介1985-1987 村田良平1987-1989 栗山尚一1989-1991 小和田恆1991-1993 斎藤邦彦1993-1995 林貞行1995-1997 柳井俊二1997-1999 川島裕1999-2001 野上義二2001-2002 竹内行夫2002-2005 谷内正太郎2005-2008 薮中三十二2008-2010 佐々江賢一郎2010-2012 河相周夫2012-2013 齋木昭隆2013-2016 杉山晋輔2016-2018 秋葉剛男2018-2021 森健良2021-2023 岡野正敬2023- 表 話 編 歴 山田顕義1873-1874未赴任 柳原前光1874代理公使1874-1875 森有礼1875-1878 宍戸璣1879-1882 榎本武揚1882-1885 塩田三郎1885-1889 大鳥圭介1889-1894 林董1895-1897 矢野文雄1897-1899 西徳二郎1899-1901 小村壽太郎1900-1901 内田康哉1901-1906 林権助1906-1908 伊集院彦吉1908-1913 山座円次郎1913-1914 日置益1914-1916 林権助1916-1918 小幡酉吉1918-1923 芳澤謙吉1923-1929 佐分利貞男1929 重光葵1931-1932 有吉明1932-1935 大使館昇格1935 有吉明1935 有田八郎1936 川越茂1936-1938 阿部信行1940 本多熊太郎1940年-1941年 重光葵1942 谷正之1943-1945 南京政府解散 芳澤謙吉1952-1955 堀内謙介1955-1959 井口貞夫1959-1963 木村四郎七1963-1966 島津久大1966-1969 板垣修1969-1972 宇山厚1972 中華民国と断交、中華人民共和国と国交樹立 小川平四郎1973-1977 佐藤正二1977-1979 吉田健三1979-1981 鹿取泰衛1981-1984 中江要介1984-1987 中島敏次郎1987-1989 橋本恕1989-1992 國廣道彦1992-1995 佐藤嘉恭1995-1998 谷野作太郎1998-2001 阿南惟茂2001-2006 宮本雄二2006-2010 丹羽宇一郎2010-2012 西宮伸一2012未赴任 木寺昌人2012-2016年 横井裕2016-2020 垂秀夫2020-2023 金杉憲治2023- FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research IdRef この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。 明治時代の閣僚 大正時代の閣僚 昭和時代戦前の閣僚 日本の外務大臣 貴族院勅選議員 昭和時代の貴族院議員 在職中に死去した日本の貴族院議員 日本の枢密顧問官 在清国日本公使 戦前日本の大使 在アメリカ合衆国日本大使 在ロシア日本大使 オーストリア=ハンガリー帝国駐箚日本大使 東邦協会の人物 南満洲鉄道の人物 シベリア出兵の人物 日本の伯爵 日本の子爵 日本の男爵 土倉庄三郎家 同志社英学校出身の人物 旧制第一高等学校出身の人物 東京大学出身の人物 熊本県出身の人物 従一位受位者 勲一等旭日桐花大綬章受章者 勲一等旭日大綬章受章者 レジオンドヌール勲章グランクロワ受章者 聖マウリッツィオ・ラザロ勲章受章者 1865年生 1936年没 多磨霊園に埋葬されている人物 プロジェクト人物伝項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事 すべてのスタブ記事 日本の政治家関連のスタブ項目 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/21 22:29更新
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uchida kousai
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