南部陽一郎の情報(なんぶよういちろう) 物理学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
南部 陽一郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
南部陽一郎と関係のある人
益川敏英: 同時に受賞した南部陽一郎を非常に尊敬しており、「南部先生に(ノーベル賞を)とっていただいたことが一番うれしい。 山田洋次: 2016年には、ノーベル物理学賞受賞者の南部陽一郎に続いて2人目となる豊中市名誉市民に選出された。 武谷三男: この中には南部陽一郎もいた。南部は、武谷の三段階論に関し、自分を坂田武谷哲学の信徒と述べている(南部陽一郎『素粒子論の発展』)。 ピーター=ヒッグス: 1964年、素粒子の「質量の起源」を説明する電弱理論における対称性の破れ(南部陽一郎の対称性の自発的破れが原型)の理論を提出した。 湯川秀樹: 南部陽一郎が武谷方法論に影響され、データからモデルを創るという方法を取るようになるなど、多くの影響を与えた。 江崎玲於奈: さらに1998年に福井謙一が死去してから、2008年に南部陽一郎受賞が決まるまでは再び最高齡の日本人ノーベル賞受賞者となり、2015年に南部陽一郎が死去して以降は、三度最高齡の日本人ノーベル賞受賞者となった。 |
南部陽一郎の情報まとめ
南部 陽一郎(なんぶ よういちろう)さんの誕生日は1921年1月18日です。福井出身の物理学者のようです。
来歴、研究などについてまとめました。現在、父親、母親、卒業に関する情報もありますね。94歳で亡くなられているようです。
南部陽一郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)南部 陽一郎(なんぶ よういちろう、英語: Yoichiro Nambu、1921年1月18日 - 2015年7月5日)は、日系アメリカ人の理論物理学者。シカゴ大学名誉教授、大阪市立大学名誉教授・特別栄誉教授、大阪大学特別栄誉教授、立命館アジア太平洋大学アカデミック・アドバイザー。専門は素粒子理論。理学博士(東京大学・1952年)。 福井県福井市出身。自宅が大阪府豊中市にあり、シカゴに在住していた。1970年に日本からアメリカ合衆国へ帰化した。 日系アメリカ人(一世)の理論物理学者で1952年に渡米、1960年代に量子色力学と自発的対称性の破れの分野において先駆的な研究を行ったほか、弦理論の創始者のひとりとしても知られ、現在の素粒子物理学の基礎をなす様々な領域に多大な貢献をなした。特に、自発的対称性の破れの発見により、2008年にノーベル物理学賞を受賞した。シカゴ在住だったが、晩年は大阪府豊中市の自宅で暮らしていた。 来歴生い立ち日本の東京府東京市にて福井県出身の父親と福島県出身の母親の間に生まれた。2歳のとき、関東大震災に遭遇し、父の実家のある福井県福井市に転居した。旧制福井中学(現福井県立藤島高等学校)卒業。父の南部吉郎は立命館中学校の卒業生で、福井県内の高校で英語教師を務めていた。吉郎は昭和23年、福井県立丸岡高等学校で勤務中に福井震災を経験している。第一高等学校に補欠合格し、同校3年のとき湯川秀樹の評判に刺激されて理論物理学の研究を志し、東京帝国大学に進学した。1943年に課程を短縮されて2年半で卒業(繰り上げ卒業)した後、陸軍の召集を受けて宝塚市のレーダー研究所に配属された(階級は陸軍技術中尉)。 戦後の研究開始から渡米まで1945年終戦後に東京帝国大学の理学部物理学教室(物理学科)に嘱託で復帰し、同室の木庭二郎らと共に、朝永振一郎の研究グループに参加し朝永の方法を吸収しつつ、時々訪れ議論を展開した武谷三男からも影響を受けている。コペンハーゲン学派の自由な研究を持ち込んだ仁科芳雄の下に朝永はいた。 1950年、朝永振一郎の推薦で早川幸男、山口嘉夫、西島和彦、中野董夫と共に大阪市立大学理工学部に理論物理学のグループを立ち上げた。「大阪市大での3年間は年長の教授がおらず、学生が少ないため講義の負担も少なかったため、自由を満喫できた」と後に語っている。ここではベーテ=サルピーター(=南部)方程式の導出、K中間子の対発生の研究などの成果を上げた。 渡米とその後の活動1952年に再び朝永の推薦を受け、木下東一郎と共にプリンストン高等研究所に赴任した。プリンストンでは強い相互作用の飽和性やスピン軌道力の研究を計画していたが、難航した。翌年もプリンストンに籍を置きながら、春から秋にかけては湯川秀樹が残していた資金を元にカリフォルニア工科大学でγ-π productionの研究を行っている。1954年にゴールドバーガーの誘いを受けてシカゴ大学の核物理研究所に着任。同研究所には小柴昌俊らもいた。シカゴ大ではグリーン関数の表示法を研究したほか、ω中間子の存在を提唱している。 1970年にアメリカ合衆国の市民権を取得し、同国に帰化した。2011年現在、シカゴ大学物理科学部物理学科および同学部のエンリコ・フェルミ研究所においてハリー・プラット・ジャドソン殊勲名誉教授、大阪市立大学名誉教授、大阪市立大学特別栄誉教授、大阪大学特別栄誉教授、福井市名誉市民、豊中市名誉市民などの称号を持つ。大阪大学には研究室を持ち、年に幾度も来日して特別栄誉教授として研究を続けていた。晩年、自宅は米イリノイ州シカゴと大阪府豊中市にあった。 2008年にノーベル物理学賞を受賞。彼は江崎玲於奈より年上であるため、最年長の日本人受賞者となった。 2015年7月5日、急性心筋梗塞のため逝去。満94歳没(享年95)。 研究1960年代にクォークの持つ自由度としてのカラーチャージの導入(同時期にオスカー・W・グリーンバーグ(英語版)、韓茂栄(朝鮮語版、英語版)、南部陽一郎、宮本米二、堀尚一が独立して提唱)、自発的対称性の破れなど、素粒子の強い相互作用において先駆的な研究を行ったほか、弦理論の創始者の一人としても知られる。 1970年にハドロンの性質を記述する模型として弦理論(ひも理論)の提案を行った(同時期にレオナルド・サスキンド、ホルガー・ニールセンが独立に提唱)。しかし弦理論は、ハドロンの理論としては問題点があることが明らかになった。一方でゲージ理論としての量子色力学が確立していった時期でもあり、多くの研究者は弦理論から離れていった。弦理論はその後、ジョン・シュワルツらにより、ハドロンではなく重力を含む統一理論として研究が続けられた(超弦理論)。 2024/06/05 04:17更新
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nanbu youichirou
南部陽一郎と同じ誕生日1月18日生まれ、同じ福井出身の人
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