向井寛の情報(むかいひろし) 映画監督 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
向井 寛さんについて調べます
■名前・氏名 |
向井寛と関係のある人
仁科鳩美: 『潮ふきの女王』 : 監督向井寛、共演南ユキ・路サトミ、製作東映ビデオ、配給東映、1975年8月9日公開(成人映画・映倫番号 18449) - 主演 山本晋也: 或る密通(1967年、日本シネマ) ※向井寛・若松孝二と共同監督 小泉信彦: The Dreamers(清水淳・田上正和・橋本哲・山本圭右・嶋田陽一・京田誠一・小池浩道・藤田哲也・小室和幸・向井寛・楠瀬誠志郎・谷口守・小泉信彦)杉真理のサポートバンド 仁科鳩美: 『二十四時間の情事 絶叫』(『24時間の情事 絶叫』) : 監督向井寛、主演四光マリ子、製作東映ビデオ、配給東映、1975年11月8日公開(成人映画・映倫番号 18530) - 主演 谷口朱里: 同年8月に公開(9月公開とも)された『密戯』(監督向井寛)で主演する際に谷口 朱里と改名、以降、この名で定着する。しかしながら谷口は、同様に黎明期のおもな脚本家・監督として挙げた人物のうち、1965年という初期の時期に、向井寛の第3作『密戯』のほか、藤田潤一が岡野進の名で監督した第2作『情怨の女子大生』(同年11月公開)、あるいは福田晴一の成人映画転向第2作『寝がえり』(1966年5月3日公開)に主演しており、独立系成人映画の黎明期の女優であるといえる。 谷口朱里: 『女のいけにえ』 : 監督向井寛、製作・配給新東宝映画、1975年6月公開(成人映画・映倫番号 不明) - 主演 谷口朱里: 『密戯』 : 製作東一、企画朝倉大介、監督向井寛、共演三枝陽子、製作東京芸術映画、配給国映、1965年8月公開(9月公開とも、成人映画・映倫番号 14086) - 主演・「ユリ(コールガール)」役 武田五一: 自身の作品のみならず、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科や京都帝国大学(現・京都大学)に工学部建築学科を創立し向井寛三郎など多くの後進を育成した。 谷口朱里: 『近世毒婦伝 少女地獄責め』(『少女・地獄責め』) : 企画朝倉大介、脚本宮田雪、製作・監督向井寛、主演朝岡ゆり、製作JAA、配給国映、1971年3月27日審査・4月公開(成人映画・映倫番号 16745) 谷口朱里: 1970年代に入ってから、1971年(昭和46年)3月27日審査・4月公開の『近世毒婦伝 少女地獄責め』、1975年(昭和50年)6月公開の『女のいけにえ』という2作の向井寛監督作に出演した記録がある。 浅井忠: 安井曽太郎、梅原龍三郎、石井柏亭、津田青楓、向井寛三郎を輩出しており、画家としてだけではなく教育者としても優れた人物であった。 ポンサクレック=ウォンジョンカム: 2011年12月23日、地元タイにて向井寛史(日本)と対戦し、初回30秒過ぎに両者の頭がぶつかり向井から出血。 時任三郎: DOG×POLICE 純白の絆(2011年10月1日、東宝) - 向井寛 役 木俣尭喬: 『肉体女優 情痴日記』 : 製作・配給ミリオンフィルム、1970年2月28日審査・3月公開(成人映画・映倫番号 不明) - 監督(向井寛とも) 八重樫東: 2018年8月17日、後楽園ホールで元WBOアジア太平洋スーパーフライ級王者の向井寛史と対戦し、7回2分55秒TKO勝ちを収めた。 大和屋竺: 蛇と女奴隷(1976年) - 共同脚本(大和屋竺、佐藤日出夫、向井寛) 仁科鳩美: 『団地妻㊙モノくらべ』 : 監督向井寛、主演小杉ジュン、製作東映ビデオ、配給東映、1974年8月24日公開(成人映画・映倫番号 18127) - 出演 モロ師岡: Last Dance 離婚式(2001年、向井寛監督) 石井隆: 映画 『蛇と女奴隷』(1976年)監督:向井寛 滝田洋二郎: 向井寛、山本晋也、稲尾実、梅沢薫監督らの下で低予算ポルノ(ピンク映画)の助監督を務めた。 木俣尭喬: 『好色女子学生の交歓』(『女子学生の交歓』) : 主演加賀千姫、製作・配給ミリオンフィルム、1971年7月21日審査・公開(成人映画・映倫番号 16865) - 監督(向井寛とも) 佐藤寿保: 主にピンク映画を量産していた向井寛が主宰の獅子プロダクション出身で、滝田洋二郎らの助監督を務めた。 谷口朱里: 『かよい妻』 : 製作千葉実、監督向井寛、共演水城リカ、製作・配給日本シネマフイルム、1966年12月公開(成人映画・映倫番号 不明) - 主演、66分の上映用プリントをNFCが所蔵 伊海田弘: 『或る密通』 : 監督向井寛・山本晋也・若松孝二、共演岡田美子、製作・配給日本シネマフイルム、1967年4月15日公開(オムニバス、成人映画・映倫番号 14900) - 「二階堂浩」名義で主演・新郎役(若松孝二篇『第三話 口紅』) 矢元照雄: のちに続編が向井寛と山下治の手によって3作目まで国映で作られた。 仁科鳩美: 『悪女性艶』(1974年)や『性市場』(1975年)で佐々木元(1939年 - )、『絶倫の壺』(1975年)で渡辺護(1931年 - 2013年)、『初夜絵草紙』(1975年)や『温泉特出し芸者』(1975年)で南雲孝(新藤孝衛、1932年 - )、『潮ふきの女王』(1975年)や『24時間の情事 絶叫』(1975年)で向井寛(1937年 - 2008年)、『若妻セックス乱行』(1976年)および『欲求夫人』(1976年)で本木荘二郎(1914年 - 1977年)、『女子学生SEXレポート 実地研究』(1975年)で中村幻児(1946年 - )と多くの監督の作品に出演・主演したが、東元薫作品がもっとも多く、俳優の久保新二の回想によれば、東元(梅沢)は「仁科鳩美にゾッコン」だったといい、「鳩美が主演でも、絡みはあっさりの撮り方」だったのは「男優が鳩美の肌をなめ回したりするのに嫉妬してた」のではないか、という表現で東元の演出について推察している。 白川和子: これとは別にスカウトもされ、1967年には向井寛が監督した映画『女子寮』に出演した。 瀬々敬久: 同学卒業後、1986年、向井寛主宰の獅子プロダクションに所属、同社や国映等でピンク映画の助監督を務め、1987年12月に公開された佐藤寿保監督、佐野和宏主演の『仮面の誘惑』でチーフ助監督を務める。 山咲千里: Last Dance -離婚式-(2001年、向井寛監督) 三上寛: ふるさと女探訪 桃色の谷間(1975年、東映 / 監督:向井寛) - 文造 |
向井寛の情報まとめ
向井 寛(むかい ひろし)さんの誕生日は1937年10月16日です。旧 満州出身の映画監督のようです。
映画、現在、離婚に関する情報もありますね。2008年に亡くなられているようです。
向井寛のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)向井 寛(むかい かん、1937年(昭和12年)10月16日 - 2008年(平成20年)6月9日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、実業家である。映画製作会社向井プロダクション、獅子プロダクションを主宰し、映画の製作とともに、滝田洋二郎をはじめ、多くの人材を輩出した。本名は向江 寛城(むかえ ひろき)、筆名の読み「 - ひろし」は誤り。映画プロデューサーとしては、向井 寛城とも名乗り、新東宝映画でのプロデュース作では伊能 龍(いのう りゅう)と名乗った。妻は女優の内田高子、長男はプロゴルファーの向江寛尚。 1937年(昭和12年)10月16日、関東州(現在の中華人民共和国、遼寧省)大連市に生まれる。第二次世界大戦後、日本に引き揚げる。 九州大学経済学部に進学、中退して映画界に進み、助監督として今井正、佐伯清、野村浩将、吉田功に師事した。1964年(昭和39年)、教育映画『二人の少年』で監督に昇進した。以降、200本を監督し、500本を製作した。 1965年の『肉』は、「ドキュメントタッチで女性の情念が的確に描かれている」と高い評価を得た。さらに同年に『砂利の女』、『密戯』と立て続けに撮り、ピンク映画界で確固たる地位を築く。また、映像感覚が優れており、特に1960年代に撮った作品は他のピンク映画界でも海外でダントツの人気を誇った。1966年の『続・情事の履歴書』、『餌』、『禁じられたテクニック』、などがヨーロッパの主要国で上映され、当時の金額で総計約10万ドルを稼いだ。 東映系の洋画配給会社・東映洋画は、アメリカのハードコア映画『ディープ・スロート』を輸入したが、ハードコア映画のため税関でズタズタにカットされ、元々短い映画が公開不能になった。このとき国内でオリジナルシーンを撮り足す編集を向井に頼んだ。結局『ディープ・スロート』は『ミス・ジョーンズの背徳』とくっつけ1975年(昭和50年)8月に公開したが、向井に大きな権限を与えた。これを機に向井は東映から500万円ポルノを大量に発注しユニバースプロを設立、これが後に獅子プロダクションへと移行し片岡修二や滝田洋二郎らを育てた。 1977年(昭和52年)、東映セントラルフィルムが設立されると向井はセントラル・アーツの黒澤満とともにプロデューサーとして活躍。山本晋也監督『生贄の女たち』(1978年(昭和53年))、『下落合焼とりムービー』(1979年(昭和54年))や若松孝二監督の『餌食』(1979年(昭和54年))などをプロデュース。不遇だったピンク映画出身監督に一般映画制作のチャンスを与える先例となった。 1980年(昭和55年)前後にはカン・パトリックほかの名義でアメリカ人女子留学生らを使ったポルノ映画も監督している。これらはすべて日本人スタッフで国内撮影されたが、配給会社はアメリカ映画として公開した。 獅子プロダクションの総帥として、最盛期には年50本以上のピンク映画をプロデュースし、多くの映画監督・カメラマンを育て上げた。主な弟子は滝田洋二郎、佐藤寿保、瀬々敬久、いまおかしんじ、田尻裕司。ちなみに当時のピンク映画界では、映画製作においてどんぶり勘定で済ませる人が多かった。しかし向井は、「映画製作で一番だめなのはお金のことを疎かにすること」と語っていた。 また女優の扱いに長けており、『肉』では内田高子の脇毛の魅力を引き出し、『餌』では当時“脱がないピンク女優”として知られた城山路子を籠落させた。加えて新人発掘でも手腕を発揮し、白川和子や山科ゆりを発掘して演技指導を行い、彼女たちはその後日活ロマンポルノで活躍した。 2008年(平成20年)6月9日、東京都内の病院で肝不全により死去した。満70歳没。 『二人の少年』 : 教育映画、1962年 / 1964年 - 監督 『地熱』 : 1963年 - 監督 ※ 東京都産業映画部門・金賞受賞 『肉』 : 1965年 - 監督 『砂利の女』 : 1965年 - 監督 『密戯』 : 1965年 - 監督 『続・情事の履歴書』 : 1966年 - 監督 『餌』 : 1966年 - 監督 『禁じられたテクニック』 : 1966年 - 監督 『女の媚態』 : 監督山本晋也、1967年 - プロデューサー 『ブルーフィルムの女』 : 1969年 - 監督 『肉布団』 : 1971年 - 監督 『ブルー・レポート/性姦地帯』 : 1973年 - 監督 『東京ディープスロート夫人』 : 1975年 - 監督 『蛇と女奴隷』 : 1976年 - 監督・脚本 『猟奇コレクター/変質者』 : 1976年 - 監督 『噫活弁大写真』 : 監督二川文太郎 / 稲垣浩、1976年 - 構成 『衝撃の世界死刑史』 : 1977年 - 監督 『生贄の女たち』 : 監督山本晋也、1978年 - プロデューサー 『餌食』 : 監督若松孝二、1979年 - 企画・エグゼクティヴプロデューサー 『おんな6丁目 蜜の味』 : 1982年 - 監督 『四畳半色の濡衣』 : 1983年 - 監督 『コードネーム348 女刑事サシバ』 : ビデオ映画、1990年 - 監督 『女仕置人ゼブラ 2 アクション編』 : ビデオ映画、1990年 - 監督 『女仕置人ゼブラ 1 セクシー編』 : ビデオ映画、1990年 - 監督 『ドロップ・アウト しなやかな女豹』 : ビデオ映画、1992年 - 監督 『スキャンダラス・ボディ』 : ビデオ映画、1993年 - 監督・プロデューサー 『スキャンダラス・ボディ2』 : ビデオ映画、1993年 - 監督・プロデューサー 『インモラル・淫らな関係』 : 監督神代辰巳、ビデオ映画、1995年 - プロデューサー 『SEXY COP 348 新・女刑事サシバ』 : ビデオ映画、1996年 - 監督 『夜光虫』 : ビデオ映画、1997年 - 監督 『当選』 : ビデオ映画、1997年 - 監督 『熟女V かまいたち39歳』 : 1997年 - 監督 『GOING WEST 西へ…』 : 1997年 - 監督 『故郷』 : 1999年 - 監督・脚本 『Last Dance -離婚式-』 : 2001年 - 監督 『同窓會』 : 2004年 - 監督・脚本 ※ 遺作 ^ 向井寛 - 日本映画監督協会公式サイト。 ^ 週刊実話2022年3月31日号・ピンク映画60周年「時代を彩った名女優&名監督たち」p50-55 ^ 杉作J太郎・植地毅(編著)『東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム』徳間書店、1999年、252-255頁。4-19-861016-9。 向井プロダクション 公式サイト[1] (アーカイブ) 向井寛 / 伊能龍 向井寛城 - 日本映画データベース 向江寛城 - 日本映画データベース 向井寛 - IMDb(英語) 日本の映画監督 日本の脚本家 日本の映画プロデューサー 20世紀日本の実業家 21世紀日本の実業家 ピンク映画監督 日本の引揚者 満洲国出身の人物 大連出身の人物 1937年生 2008年没 外部リンクがリンク切れになっている記事/2020年12月 プロジェクト人物伝項目
2024/11/17 07:05更新
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mukai hiroshi
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