團伊玖磨の情報(だんいくま) 作曲家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
團 伊玖磨さんについて調べます
■名前・氏名 |
團伊玖磨と関係のある人
團遥香: 祖父は、作曲家團伊玖磨。 三宅春恵: 1957年2月1 - 3日 神戸勤労者音楽協議会 團伊玖磨『夕鶴』つう(神戸国際会館) 岡田利規: 歌劇『夕鶴』(2021年10月、東京芸術劇場、作曲:團伊玖磨、台本:木下順二) 三宅春恵: 1955年5月14日 横浜勤労者音楽協議会、横浜市教育委員会 團伊玖磨『夕鶴』つう(神奈川県立音楽堂) 黛敏郎: 1953年、芥川也寸志、團伊玖磨と共に「3人の会」を結成する。 竹中郁: 大阪府立池田高等学校 作曲:團伊玖磨 団琢磨: 長男に作曲家の團伊玖磨。 芥川也寸志: その後、作曲係上等兵として團伊玖磨、奥村一、斎藤高順と共に終戦まで勤務。 まど・みちお: 1939年、「昆虫列車」に初出、1953年にNHKラジオで放送された(作曲:團伊玖磨)。 勝承夫: 長野市立川中島中学校 校歌 - 團伊玖磨作曲。 下総皖一: 門下に芸大で團伊玖磨、佐藤眞、芥川也寸志、松本民之助、山岸磨夫、個人教授で須田くにおらがいる。 三宅春恵: 1958年9月18 - 23日 姫路勤労者音楽協議会、和歌山勤労者音楽協議会、大津勤労者音楽協議会 團伊玖磨『夕鶴』つう(やまと会館[姫路]、[旧]和歌山市民会館、滋賀会館) 黒田長久: 『鳥の歌図鑑 ファーブルの心で鳥を歌う』作詞・作曲・挿絵 團伊玖磨監修 黒田奨学会 2009年 團遥香: 祖父の團伊玖磨と天皇家とは交流があり、遥香も5歳の時に祖父が主催するコンサートで天皇(明仁)・皇后に挨拶して、美智子皇后と握手をした思い出がある。 米良美一: うぐひす(1997年7月16日)- 1. さくら横ちょう(中田喜直) 2. AIYANの歌(山田耕筰) 3. 6つの子供の歌(團伊玖磨) 4. うぐいす(早坂文雄) 5. 日本の笛(深井史郎) 6. 4つの夕暮れの歌(林光) 7. さくら横ちょう(別宮貞雄) 高嶋秀武: 横須賀どぶ板通り商店街には、横須賀に所縁の有る有名人として王貞治、團伊玖磨、前田武彦などとともに手形のレリーフが埋め込まれている。 渡辺宙明: 東大在学中より團伊玖磨に、大学院在籍中より諸井三郎に師事し、習作をこのころより書く。 森岡賢一郎: 指揮を平井哲三郎、高階正光、ピアノをポール・ヴィノグラドフ、作曲を團伊玖磨にそれぞれ師事。 斉田正子: 新国立劇場では『魔笛』のパミーナ、『天守物語』、新国立劇場・二期会オペラ振興会共催公演『沈黙』『光』、神奈川県民ホールにて團伊玖磨のオペラ『ちゃんちき』、横浜シティオペラでは『魔笛』の夜の女王、『こうもり』のアデーレ、東京室内歌劇場では『霊媒』、パイジェッロ作曲『セビリアの理髪師』のロジーナ、シューベルト『女の平和』のイザベラで出演。 加山雄三: ソングライターとしてのペンネームは、加山が尊敬している團伊玖磨と山田耕筰を足して2で割った弾厚作(だんこうさく/ドン・コサック)であり、同名義で作曲(稀に作詞もある)している。 荻原井泉水: 東京都新島村立新島小学校校歌(1951年)團伊玖磨 大川隆子: 團伊玖磨『ちゃんちき』や三木稔『春琴抄』のヨーロッパ・ツアーにも参加。 釜洞祐子: 2001年(平成13年)ウズベキスタン・カザフスタン両国において、また翌年大阪国際フェスティバルにおいて團伊玖磨『夕鶴』主演(つう)。 江間章子: 花の街(作曲:團伊玖磨) まど・みちお: その翌年1953年、曲を聴いた佐藤義美が曲を気に入らず、團伊玖磨に再度曲をつけさせたものがNHKラジオの『うたのおばさん』で放送された。 木村威夫: 『雁』(1953年、豊田四郎監督、成沢昌茂脚本、森鷗外原作、團伊玖磨音楽)伊藤善朔との共同美術 荻原井泉水: 愛知県名古屋市立豊正中学校 團伊玖磨 芥川也寸志: このとき、もう一人の受賞者は團伊玖磨だった。 栗山昌良: 以来、ヴェルディ、プッチーニ、ビゼー、モーツァルト、ロッシーニ等の名作オペラや、團伊玖磨『夕鶴』、石桁眞礼生『卒塔婆小町』、黛敏郎『金閣寺』など日本オペラの上演にも力を注ぎ、多くの人材を育成し、まさに「日本オペラの牽引者」となった。 信時潔: 木下保の藝術~信時潔、團伊玖磨 歌曲集~ 日本伝統文化振興財団 |
團伊玖磨の情報まとめ
團 伊玖磨(だん いくま)さんの誕生日は1924年4月7日です。東京出身の作曲家のようです。
映画、事件、卒業、ドラマ、趣味、テレビに関する情報もありますね。今年の情報もありました。2001年に亡くなられているようです。
團伊玖磨のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)團 伊玖磨(だん いくま、1924年〈大正13年〉4月7日 - 2001年〈平成13年〉5月17日)は、日本の作曲家、エッセイスト。作曲家としてはオペラ、交響曲、歌曲などのいわゆるクラシック音楽のほか、童謡、映画音楽、放送音楽と幅広いジャンルの作曲を手がけた。「團伊玖摩」などは誤表記。東京出身。 1924年(大正13年)、実業家、学者、政治家であった男爵・團伊能の子として、東京市四谷の慶應義塾大学病院で生まれ、原宿(現:東京都渋谷区神宮前)で育つ。 7歳となった1931年(昭和6年)、青山師範学校附属小学校に入学し、ピアノを学び始めた。翌年3月、祖父・團琢磨が暗殺された(血盟団事件)ことで、幼心に物質的な栄達への疑問を抱くようになり、後に芸術を志す動機の一つとなった。当時、團という一字姓のため、しばしば「朝鮮人」「シナ人」と罵られたという。 12歳の時、作曲を志す息子の将来を案じた父伊能が伊玖磨を伴い山田耕筰を訪れ、耕筰に作曲の道が険しいことを説いてもらって断念させようとした。ところが、耕筰は、「やり給え、そして、やるからには、最も正統的な勉強を積んで、最も本格的にやり給え」と激励した。このことで、伊玖磨は作曲の道で生きていく決意を固めた。また、生涯耕筰を師と仰ぐことになった。 1937年(昭和12年)、13歳で青山学院中学部に入学。また、同年には東京市麻布区材木町(現:東京都港区六本木)に転居した。 太平洋戦争下の1942年(昭和17年)、東京音楽学校(現:東京芸術大学音楽学部)作曲部に入学。学校では下総皖一に和声学と対位法、橋本國彦に近代和声学と管弦楽法、細川碧に楽式論を学んだ。また、学外では山田耕筰に指導を受けた。 20歳になった1944年(昭和19年)、音楽学校に在籍のまま陸軍戸山学校軍楽隊に入隊した。音楽学校からの同期には芥川也寸志、梶原完、斎藤高順ら14人がいる。軍楽隊ではバスドラムを担当し、芥川とともに編曲も担当した。 翌1945年(昭和20年)、日本の敗戦を受けて復学して東京音楽学校を卒業し、諸井三郎に対位法、楽曲分析を学んだ。歌曲集『六つの子供の歌』、管弦楽付き独唱曲二つの抒情詩『村の歌』『小諸なる古城のほとり』を作曲した。 1946年(昭和21年):近衛秀麿に管弦楽法、指揮法を学ぶ。この年、『二つの抒情詩』(管弦楽付き独唱曲)で日本音楽連盟委嘱コンクールに入選。歌曲集『五つの断章』(北原白秋詩)を作曲。 1947年(昭和22年):歌曲『花の街』(江間章子詩)を作曲。東京音楽学校選科教官(1949年まで)。 1948年(昭和23年):NHK専属作曲家となる(1953年まで)。フェリス女学院短期大学音楽科助教授(1953年まで)。平和の鐘建立記念コンクールで交響詩『平和来』佳作入選。 1949年(昭和24年):木下順二作品の民話劇『夕鶴』の演劇付帯音楽を作曲。 1950年(昭和25年):『交響曲第1番イ調』を作曲。NHK創立25年記念管弦楽曲募集コンクールにて特選入賞。歌曲集『美濃びとに』(北原白秋詩)を作曲。 1952年(昭和27年):オペラ『夕鶴』大阪で初演。同作で毎日音楽賞、伊庭歌劇賞、山田耕筰作曲賞。北海道美幌農業高等学校校歌を作曲。 1953年(昭和28年):芥川也寸志、黛敏郎と「3人の会」を結成。 1954年(昭和29年):東宝映画専属音楽監督。 1955年(昭和30年):オペラ『聴耳頭巾』大阪で初演。 1957年(昭和31年):オペラ『夕鶴』スイス・チューリッヒ歌劇場でヨーロッパ初演。映画音楽『雪国』『メソポタミヤ』に対し、ブルーリボン賞。 1958年(昭和33年):オペラ『楊貴妃』(大佛次郎台本)を、藤原歌劇団創立25周年記念東京公演として初演。また慶應義塾創立百周年記念式典のために混声合唱と管弦楽のための『慶應義塾式典曲』(作詞:堀口大學)を作曲、NHK交響楽団を指揮初演(1968年再演)。 1959年(昭和34年):皇太子明仁親王と正田美智子の成婚を記念して『祝典行進曲』を作曲。 1960年(昭和35年):ニューヨーク・ハンター劇場にて歌劇『夕鶴』アメリカ初演・指揮。西ドイツキール歌劇場にて、歌劇『夕鶴』ドイツ初演。 1963年(昭和38年):『岬の墓』に対し、芸術祭文部大臣賞。 1964年(昭和39年):東京オリンピック開会式にて『オリンピック序曲』『祝典行進曲』、閉会式にて『祝典行進曲』を演奏。エッセイ『パイプのけむり』を雑誌『アサヒグラフ』にて連載開始。 1965年(昭和40年):『交響曲第5番』を作曲。 1966年(昭和41年):日本芸術院賞を受賞。 1968年(昭和43年):『パイプのけむり』『続パイプのけむり』で第19回読売文学賞(随筆・紀行)を受賞。『混声合唱組曲「筑後川」』を作曲。10月23日の告示により、鳥取県民歌制定委員会作詞、團伊玖磨作曲の鳥取県民歌『わきあがる力』が制定される。 1969年(昭和44年):歌劇『夕鶴』台北、マニラで演奏。 1972年(昭和47年):オペラ『ひかりごけ』(武田泰淳原作)初演(第15回大阪国際フェスティバル)。 1973年(昭和48年):日本芸術院会員に就任する。 1975年(昭和50年):オペラ『ちゃんちき』(水木洋子台本)東京で初演。 1976年(昭和51年):ソプラノ・ソロと管弦楽のための『長良川』(江間章子詩)を作曲。 1978年(昭和53年):合唱組曲『大阿蘇』(丸山豊詩)を作曲。 1982年(昭和57年):神奈川県横須賀市制75周年記念事業の一環として、合唱と管弦楽のための組曲『横須賀』(栗原一登詩)を委嘱され作曲。 1983年(昭和58年):ピアノ組曲『3つのノヴェレッテ』、合唱組曲『唐津』、独唱・混声合唱・オーボエ・ピアノのための組曲『木曽路』、子供の歌アルバム『道の子の歌』、ヴァイオリンとピアノのための『幻想曲第2番』等を作曲。 1985年(昭和60年):『交響曲第6番「HIROSHIMA」』を広島の平和コンサートで初演。 1994年(平成6年):オペラ『素戔嗚』初演(神奈川芸術フェスティバル)。 1997年(平成9年)9月3日:急性心筋梗塞を起こし、約1か月間入院。オペラ『建・TAKERU』初演(東京・新国立劇場杮落し公演)。 1999年(平成11年):文化功労者に列せられる。 2000年(平成12年)4月6日:妻の和子が急性心筋梗塞で急死。「DAN YEAR 2000」開催。 2001年(平成13年)5月17日:日本中国文化交流協会主催の親善旅行で中国旅行中に心不全を起こし、江蘇省蘇州市の病院で死去した。77歳没。戒名は「鳳響院殿常楽伊玖磨大居士」。墓所は東京都文京区にある護国寺。 商業主義に伴う宣伝を激しく嫌っていた。特にダイレクトメールは新字体による「団伊玖磨」の宛名書きで来る場合が多く、この表記による郵便物を(ダイレクトメールに限らず)一切開封せずに捨てていた。また、後年「僕の名前は團であって団ではないのだから、他人宛ての手紙は読んでは悪かろうと遠慮するからである」と捨てる理由を説明している。 たびたび訪中したが、團という字に中国語で卑猥な意味があるため、北京では「檀か段に直してください。團では困る」「あなたの名刺は、女の人には見せられません」と言われた。中国で野間宏の『真空地帯』が上映された際にも、「音楽 段伊玖磨」と直された。 先天色覚異常を持っており、小学生の頃に写生の時間に赤い花を緑に描いて教師から激しく叱責されたことがある。また東京音楽学校の入試に際して、担当の校医が美術学校の入試をも受け持っていたため、色覚異常の故に危うく落とされそうになったが、團の懇願で入学が許されたこともある。色覚異常者への差別に憤り、「日本色盲協会」の結成を考えたとも述べている。 犬嫌いであり、無駄に吠える犬には、それがたとえ友人の飼い犬でも容赦せず体罰を加えた。タロとジロを題材としたラジオドラマの音楽の仕事を断った旨を『パイプのけむり』で言及している。好きな動物は蛇で、自宅で飼育していた大蛇が息子の喉に咬みついて大怪我をさせたこともある。 戦後まもなく、太宰治の作品を愛読していたため、友人の北山冬一郎(詩人)の紹介で太宰に会う話が持ち上がった。しかし、ダンという苗字から檀一雄を連想した太宰が「ダンという名前なら大酒飲みだろう」と言ったところ、北山が「いや、実は一滴も飲めないんです」と答えたため、太宰が「酒も飲めない奴なんかに用はない」と断った。そのため、とうとう太宰に会うことができなかった。 エッセイ「パイプのけむり」は1964年に『アサヒグラフ』で連載を始め、2000年に同誌が休刊するまで連載を続けていた。最終回では「自分が死ぬのが先か雑誌が休刊するのが先か」どっちなのだろうと予想していたと書いている。結局、雑誌休刊の翌年に死去する。 團は生前九州を愛したが、それは父が福岡県の民放KBCの会長を務め、妹がブリヂストンの創業者一族に嫁いだこととも関係する。実はどちらも久留米市で産声を上げた企業であり、そのことが『筑後川』作曲につながっていったとも考えられる。2007年1月20日、團死亡の地・蘇州で、七回忌記念『筑後川』コンサートが開かれ、日本から参加したアマチュア合唱団員200人が、『筑後川』を歌い上げた。 愛煙家で、パイプを好んだ。1950年代、イギリスに留学していた團は、英語の勉強のために、当時ベストセラーだった『野生のエルザ』をはじめ、いくつかの書物の翻訳をしていた。その中には、パイプの修理に立ち寄ったダンヒル本店で見つけた、アルフレッド・H・ダンヒルの“The gentle art of smoking"(日本語タイトル『ダンヒルたばこ紳士』)がある。 映画『真空地帯』(1952年)では、日本映画で初めて磁気録音テープを用いた。 小説も著したことがある。『日向村物語』は映画『馬鹿が戦車でやって来る』などの「馬鹿シリーズ」の原案となり、この作品では團自身が原作者としてクレジットされる他にも映画音楽を担当している。 オペラ『聴耳頭巾』の自筆総譜は、いったん紛失したが、1978年2月に発見された。総譜の書かれた五線紙は、山田耕筰のネーム入りで、晩年の山田から團が譲り受けたものであった。 北海道美幌町に疎開していた音楽評論家の藁科雅美(毎日放送の音楽ディレクター、訳書『バーンスタイン物語』)が神奈川県鎌倉市に移住して、すぐ近所に住んでいた團に『美幌農業高校校歌』作曲を依頼した。その後、團は、東京で病に苦しんでいた武満徹(1953年『美幌町町歌』作曲)に自宅を提供して同県横須賀市に移住した。 1963年に八丈島に仕事場を建て、しばしば作曲のために長期滞在したが、そこでの趣味は京野菜の栽培。テレビでのインタビューでは「京野菜が栽培できる南限を探っている」と応えた。 自身作曲の童謡『ぞうさん』が低俗な歌詞をもって歌わされていたことに腹を立てていた。 祖父の團琢磨は三井合名会社理事長、男爵。父の團伊能も男爵であり、東京帝国大学文学部美術史学科助教授、参議院議員、プリンス自動車工業(現:日産自動車)社長、九州朝日放送会長を歴任。母の美智子は宮内省大膳頭を務めた上野季三郎の五女。妹の朗子はブリヂストンタイヤ(現:ブリヂストン)会長石橋幹一郎に嫁いだ。 最初の妻桑原瑛子(ソプラノ歌手)との間に生まれた長男團名保紀は西洋美術史家で群馬大学教授。2番目の妻である藤枝和子(ピアニスト)との間に生まれた二男團紀彦は建築家。叔父の團勝磨はウニの発生研究を大成した発生学者で、東京都立大学総長を務めた。團紀彦は、亡父が横須賀の書斎に残した楽譜、新しい交響曲の題材しようと書き入れをしていた北原白秋『邪宗門』(後述)文庫本など約2000点の資料を音楽評論家の西耕一らに託し、伊玖磨生誕100年の2024年にデジタルアーカイブとして公開される予定である。 孫の團遥香は女優・タレント。 團家 ここでは主要作品のみにとどめる。括弧内の人物は特に断りのない限り、作詞者を示す。 夕鶴(全幕/作:木下順二) 聴耳頭巾(3幕/作:木下順二) 楊貴妃(3幕5場/原作:大佛次郎) ひかりごけ(2幕/原作:武田泰淳) ちゃんちき(2幕4場/脚本:水木洋子) (第16回佐川吉男音楽賞を受賞) 素戔嗚(3幕4場/原作は記紀の日本神話、脚本:團伊玖磨) 建・TAKERU(3幕/原作は記紀の日本神話、脚本:團伊玖磨・小田健也) 交響曲第1番 イ調 交響曲第2番 変ロ調 交響曲第3番 交響曲第4番 交響曲第5番 交響曲第6番「HIROSHIMA」(エドマンド・チャールズ・ブランデン) 交響曲第7番「邪宗門」(未完)
交響詩『平和来』(後に『挽歌』と改名) ブルレスケ風交響曲 管弦楽組曲『シルクロード』 交響組曲『アラビア紀行』 序曲『東京オリンピック』 管弦楽のための「祝典序曲』 『日本からの手紙第1番』 『日本からの手紙第2番』 『日本からの手紙第3番』 『シンフォニエッタ』(小交響曲) ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア第1番 管弦楽のための『高梁川』 管弦楽のための『夜』 ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア第2番 交響幻想曲『万里長城』 管弦楽のための『飛天』 管弦楽のための『祝典曲』 管弦楽のための『飛天繚乱』 弦楽合奏曲「合奏協奏曲」 ヴァイオリンとピアノのためのファンタジア第1番 フルート三重奏曲 ベルリン・シンフォニーの12人のセロのための「夜」 ピアノ組曲「3つのノヴェレッテ」 ヴァイオリンとピアノのためのファンタジア第2番 12本のフルートのための「夕鶴」幻想曲 ヴァイオリンとピアノのためのファンタジア第3番 フルートとピアノのための「ソナタ」 2つのソロ・ヴァイオリンと弦楽合奏のための「古雅なるファンタジア」 フルート・オーケストラのための「NOCTURNE ET DANCE」 4本のファゴットのための「ソナタ」 ヴァイオリンとピアノのためのソナタ フルートとハープのための「羽衣」 篠笛とチェロのための「夜の対話」 ヴァイオリン・デュエット「Conguratulations for Mr. & Mrs. Toshiya Etoh」 ヴァイオリンとチェロのための対話 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番 トロンボーンとハープのための「Three Letters」 ソロ・ヴァイオリンとカルテットのための2章「黒」と「黄」(遺作) 六つの子供のうた(北原白秋) 五つの断章(北原白秋) 花の街(江間章子) わがうた(北山冬一郎) 萩原朔太郎に依る四つの詩 美濃びとに(北原白秋) 旅上(萩原朔太郎) はる(谷川俊太郎) 抒情歌(大木実) 三つの小唄(北原白秋) ジャン・コクトーに依る八つの詩(堀口大學訳) マレー乙女の歌へる(イヴァン・ゴル;堀口大學訳) 混声合唱曲「二つの碑銘」(1952年 原民喜、西田幾太郎) 混声合唱曲「岬の墓」(1963年 堀田善衛) 合唱組曲「風に生きる」(1957年/1964年 石浜恒夫) 混声合唱組曲「筑後川」(1968年 丸山豊) 混声合唱のための「ディヴェルティメント」(1968年 谷川俊太郎) 混声合唱「海を探しに行こう」(1969年 辻井喬) 混声合唱組曲「海上の道」(1973年 丸山豊) 合唱と管弦楽のための「北九州」(1977年 栗原一登、一般的に「合唱組曲『北九州』」と呼ばれることが多い) 混声合唱組曲「大阿蘇」(1978年 丸山豊) 合唱と管弦楽による交響詩「伊万里」(1978年 片岡繁雄) 混声合唱組曲「北の大地」(1979年 小野寺与吉) 合唱と管弦楽のための「横須賀」(1982年 栗原一登) 合唱と管弦楽のための「唐津」(1982年 栗原一登) 独唱、混声合唱、オーボエ、ピアノのための組曲「木曽路」(1983年 辻井喬) 混声合唱組曲「玄海」(1984年 丸山豊) 独唱・混声合唱・クラリネット・ピアノのための組曲「紀州路」(1984年 辻井喬) 女声合唱とピアノのための「燕の歌」(1985年 ガブリエーレ・ダヌンツィオ;上田敏訳) 独唱・混声合唱・フルート・ピアノのための組曲「長崎街道」(1986年 辻井喬) ソプラノ・ソロ、女声合唱、2台のピアノのための「巴里小曲集」(1987年 作詞:西條八十) 混声合唱組曲「筑後風土記」(1989年 栗原一登) 混声合唱組曲「川のほとりで」(1990年 江間章子) ブリヂストン・マーチ(1955年) 祝典行進曲(1959年) 行進曲『ビア・フェスティバル』(1962年) オリンピック序曲(1964年) キスカ・マーチ~東宝映画『太平洋奇跡の作戦 キスカ』より(1965年) 行進曲『青年』~東宝映画『戦場にながれる歌』より(1965年) JASDF March <航空自衛隊行進曲>(1968年) 若楠国体行進曲[序曲付き]~第31回国民体育大会佐賀県実行委員会制定(1974年) 行進曲『伸び行く佐賀』(1974年) 吹奏楽のための『奏鳴曲(ソナタ)』(1976年) 行進曲『べっぷ』~別大毎日マラソン25回記念 <マラソン行進曲>(1976年) ブラスオーケストラのための組曲「行列幻想」(1977年) 行進曲『海の若者(わこうど)』(1978年) 行進曲『京都府の歌』(1984年) 行進曲『マツダ』(1984年) 行進曲『希望』~全日本吹奏楽連盟創立50周年記念曲(1987年) パシフィック・フリート <太平洋艦隊>(1988年) 福岡国体行進曲(1990年) 新・祝典行進曲(1993年) 組曲「わが街に」より“前奏曲”(1994年) 機動隊行進曲『希望のあしおと』(1998年) March Tanabata(2000年) March “YOKOSUKA” ラジオ体操第2(3代目)(NHK) 大佛開眼(衣笠貞之助監督) 夫婦善哉(豊田四郎監督) 雪国(豊田四郎監督) ここに泉あり(今井正監督) 潜水艦イ-57降伏せず(松林宗恵監督) ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(松林宗恵監督) 太平洋の翼(松林宗恵監督) 世界大戦争(松林宗恵監督) 戦国群盗伝(1959年) その夜は忘れない(1962年) 憂愁平野 (1963年) 台所太平記(1963年) 太平洋奇跡の作戦 キスカ(丸山誠治監督) 馬鹿が戦車でやって来る(原作および音楽、山田洋次監督) おつかいありさん(関根栄一) ぞうさん(まど・みちお) やぎさんゆうびん(まど・みちお) カタツムリ(文部省唱歌) 『現代音楽に関する3人の意見』芥川也寸志, 黛敏郎との共著(中央公論社 1956年) 『朝の国 夜の国 世界音楽紀行』(中央公論社 1957年) 『エスカルゴの歌』(文化服装学院出版局 1964年)のち朝日文庫 『不心得12楽章 ぼくの女性へのアドバイス』(文化服装学院出版局 1964年) 『パイプのけむり』(朝日新聞社(1965年 - 2001年、全27巻)のち朝日文庫、小学館文庫 『ダンヒルたばこ紳士』(The Gentle Art of Smoking)(翻訳書、アルフレッド・H・ダンヒル著 朝日新聞社 1967年) 『かんゔぁせいしょん・たいむ 團伊玖磨音楽的対話集』(音楽之友社 1969年) 『九つの空』(朝日新聞社 1971年)のち朝日文庫 『毒ヘビは急がない』(対談集 読売新聞社 1973年)のち文春文庫 『さしたる用事はなけれども』(対談集 読売新聞社 1973年) 『僕のハロー・グッドバイ』(朝日新聞社 1973年) 『團さんの談話室 もっと自由でなくちゃ』(集英社 1974年) 『日本音楽の再発見』(講談社現代新書 1976年) 『舌の上の散歩道』(朝日新聞社 1976年)のち朝日文庫 『朝日小事典 オーケストラ』(朝日新聞社 1977年) 『好きな歌・嫌いな歌』(読売新聞社 1977年)のち文春文庫 『音楽の小径』(読売新聞社 1978年) 『八丈多与里』(朝日新聞社 1979年) 『宴のおもいで』(対談集 講談社 1983年) 『ひととしごととたべものと 團伊玖磨と語る17人』(味の素マイファミリーBooks 1983年) 『音楽の旅はるか』(全3巻 日本交通公社 1983年、1984年、1986年) 『追跡 ムソルグスキー『展覧会の絵』』(日本放送出版協会 1992年) 『NHK人間大学 日本人と西洋音楽-異文化との出会い-』(日本放送出版協会 1997年) 『私の日本音楽史』(NHKライブラリー 1999年) 講演CD『音楽と生活』(収録1989年 NHK 2000年) 『青空の音を聞いた 團伊玖磨自伝』(日本経済新聞社 2002年) 『日向村物語』 『陸軍軍楽隊始末記』 世界・わが心の旅「ウイーン 世紀末のジャポニズム」(2003年11月5日、NHK) 音楽のある風景(FM横浜) アメリカン・エキスプレス「アメリカン・エキスプレス・カード」(1984年、妻・和子と出演) 児玉清:映画「戦場にながれる歌」(『陸軍軍楽隊始末記』が原作)
女優団令子の芸名は、東宝の藤本真澄が團伊玖磨の苗字から採って命名した。藤本が「ンで終わる苗字は当たる。どんな苗字にしようか」と考えている時、たまたま團が入室してきたことによるという。 加山雄三が作曲をする時のペンネームである弾厚作は、團伊玖磨と山田耕筰に由来している。 ^ 700年前の祖先の團将監は宋人だったと伝わる。 ^ なお、琢磨は神尾家からの養子であるため、将監と琢磨・伊玖磨らの間に血縁関係は無い。 ^ 元内閣総理大臣の鳩山一郎・鳩山由紀夫も遠縁の親戚となった。 ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 541, 「特撮映画スタッフ名鑑」 ^ 野村宏平、冬門稔弐「4月7日」『ゴジラ365日』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、101頁。ISBN 978-4-8003-1074-3。 ^ 小林淳 2022, pp. 48–53, 「第一章 東宝空想特撮映画の開幕期を飾る楽音 [1954 - 1956] 三『白夫人の妖恋』」 ^ 『読売新聞』2001年5月18日付け死亡記事 ^ 團伊玖磨「故郷は東アジアの海と空」(『朝日新聞』1997年1月16日付) ^ 文庫版『続パイプのけむり』所収「穴」内pp.115-116 ^ 芥川也寸志『音楽の旅』(旺文社、1981年)p.24 ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、377頁。ISBN 4-00-022512-X。 ^ 昭和音楽大学オペラ情報センター ^ 昭和音楽大学オペラ情報センター ^ 昭和音楽大学オペラ情報センター ^ 『朝日新聞』朝刊1966年4月7日(東京本社発行)朝刊14頁 ^ 昭和音楽大学オペラ情報センター ^ 昭和音楽大学オペラ情報センター ^ 昭和音楽大学オペラ情報センター ^ 『どっこいパイプのけむり』所収「失踪」内pp.252-258 ^ 昭和音楽大学オペラ情報センター ^ 『さよならパイプのけむり』所収「今年の桜」内pp.270-276 ^ 文庫版『続パイプのけむり』所収「種子」内pp.21-22 ^ 文庫版『なおなおパイプのけむり』「ダイレクト・メイル」内p.224 ^ 文庫版『パイプのけむり』所収「色盲」内pp.43-47 ^ 『重ねて・パイプのけむり』所収「紛失」内pp.235~243 ^ 團伊玖磨さんが愛した八丈島の海と空を訪ねて 八丈島観光ポータルサイト内 ^ 『青空の音を聞いた 團伊玖磨自伝』ISBN 978-4-532-16420-1 ^ 小谷野『日本の有名一族』45-46頁 ^ 『昭和人名辞典 第1巻 東京編』633頁 ^ 佐藤『門閥』449-451頁 ^ 「團伊玖磨 幻の交響曲構想/題材文庫本にメモ書き」『読売新聞』朝刊2024年4月21日1面(2024年4月27日閲覧) ^ “【来る年・来る娘】團遥香”. SANSPO.COM (産業経済新聞社). (2011年1月4日). http://www.sanspo.com/geino/news/110104/gnj1101041006009-n1.htm 2017年3月16日閲覧。 ^ “麿は磨ちがい団ちがい ~ 團家の人々 ~”. はてなダイアリー. はてな (2001年5月17日). 2017年3月16日閲覧。 ^ “プレミアムカフェ 世界 わが心の旅 ウィーン(1)尾高忠明(2)團伊玖磨”. NHK (2021年9月8日). 2021年9月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月10日閲覧。 映画全史1983">『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸、東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5。 『昭和人名辞典 第1巻 東京編』 日本図書センター、1987年10月5日発行、ISBN 4-8205-0693-5 佐藤朝泰『門閥 旧華族階層の復権』立風書房、1987年4月10日第1刷発行、ISBN 4-651-70032-2 小谷野敦『日本の有名一族 近代エスタブリッシュメントの系図集』幻冬舎(幻冬舎新書)、2007年9月30日第1刷発行、ISBN 978-4-344-98055-6 小林淳『東宝空想特撮映画 轟く 1954-1984』アルファベータブックス〈叢書・20世紀の芸術と文学〉、2022年5月14日。ISBN 978-4-86598-094-3。 日本中国文化交流協会:設立に関わった。 團伊玖磨 (小惑星):小惑星番号17509番。1992年に関勉により発見され、團にちなみ命名された。 パイプのけむり (テレビ番組):エッセイ『パイプのけむり』を元にしたドラマ仕立てのトーク番組。 團伊玖磨ノート(2016年3月4日時点のアーカイブ) 團伊玖磨の団体歌 團伊玖磨 - 日本映画データベース 團伊玖磨 - allcinema 團伊玖磨 - KINENOTE 團伊玖磨 - IMDb(英語) 團伊玖磨 - NHK人物録 表 話 編 歴 1943: 島田墨仙 1948: 伊東深水 1951: 徳岡神泉 1953: 児玉希望 1954: 金島桂華 1955: 橋本明治 1956: 東山魁夷・山口華楊 1957: 杉山寧 1958: 森白甫・菅楯彦・望月春江 1959: 加藤栄三・森田沙伊 1960: 高山辰雄・池田遙邨・郷倉千靱 1961: 川崎小虎・岩田正巳・矢野橋村・西山英雄 1962: 榊原紫峰・小倉遊亀・三輪晁勢 1963: 奥田元宋・山田申吾 1964: 山本丘人 1965: 浜田観・麻田弁自 1966: 中村貞以・山本倉丘 1967: 上村松篁・佐藤太清 1968: 伊東万燿 1969: 三谷十糸子 1970: 寺島紫明 1971: 吉岡堅二 1972: 岩橋英遠 1973: 大山忠作 1974: 猪原大華 1975: 片岡球子 1976: 川本末雄 1977: 加藤東一 1978: 浦田正夫 1979: 松尾敏男 1980: 浜田台児 1981: 加倉井和夫 1982: 吉田善彦 1984: 福王寺法林 1985: 村山径 1986: 関主税 1987: 堂本元次 1988: 鈴木竹柏 1989: 佐藤圀夫 1990: 郷倉和子 1991: 稗田一穂 1992: 山岸純 1993: 岩沢重夫 1994: 白鳥映雪 1995: 上村淳之 1997: 中路融人 2000: 那波多目功一 2001: 福王寺一彦 2003: 岩倉寿 2004: 宇佐美江中 2005: 川崎春彦 2006: 福田千惠 2007: 土屋礼一 2008: 清水達三 2011: 山﨑隆夫 2013: 能島和明 2016: 後藤純男 2017: 西田俊英 2018: 田渕俊夫 2020: 村居正之 1942: 小磯良平 1943: 宮本三郎 1950: 鍋井克之 1951: 三宅克己・寺内万治郎 1952: 白滝幾之助・中山巍 1953: 石川寅治 1954: 小糸源太郎 1956: 鬼頭鍋三郎 1957: 鈴木千久馬・東郷青児 1958: 中野和高 1959: 木村荘八・小山敬三・林武 1960: 大久保作次郎・鈴木信太郎 1961: 新道繁・田崎広助 1962: 耳野卯三郎 1963: 田村一男・中村琢二 1964: 中川紀元・岡鹿之助 1965: 吉井淳二 1966: 池部鈞・井手宣通 1967: 島村三七雄 1968: 佐竹徳・服部正一郎 1969: 黒田重太郎・中村善策 1970: 小堀進・森田茂 1971: 高光一也 1972: 高田誠 1973: 野村守夫 1976: 岡田又三郎 1977: 伊藤清永 1979: 宮永岳彦 1980: 西山真一 1981: 楢原健三 1982: 菅野矢一 1984: 寺田竹雄 1985: 渡辺武夫 1986: 広瀬功 1988: 大内田茂士 1990: 鶴岡義雄 1991: 国領経郎 1992: 平松譲 1993: 藤本東一良 1994: 芝田米三 1995: 織田広喜 1996: 奥谷博 1997: 寺島竜一 1998: 中山忠彦 1999: 島田章三 2000: 庄司栄吉 2001: 絹谷幸二 2002: 清原啓一 2003: 塗師祥一郎 2004: 山本貞 2005: 寺坂公雄 2006: 村田省蔵 2007: 大津英敏 2008: 藤森兼明 2009: 藪野健 2010: 山本文彦 2012: 池口史子 2013: 佐藤哲 2015: 馬越陽子 2017: 根岸右司 2018: 湯山俊久 1943: 古賀忠雄 1950: 吉田三郎 1952: 加藤顕清 1953: 沢田正広 1954: 清水多嘉示 1955: 橋本朝秀 1957: 雨宮治郎 1958: 松田尚之 1961: 堀進二 1963: 中川清・大内青圃 1966: 円鍔勝三・藤野舜正 1968: 北村治禧 1970: 昼間弘 1971: 水船六洲 1972: 富永直樹 1973: 進藤武松 1974: 木下繁 1975: 分部順治 1977: 淀井敏夫 1979: 三坂耿一郎 1980: 佐藤助雄 1981: 野々村一男 1982: 伊藤五百亀 1985: 小森邦夫 1986: 高橋剛 1987: 中村博直 1988: 中村晋也 1990: 雨宮敬子 1991: 長江録弥 1992: 柴田鋼造 1994: 吉田鎮雄 1996: 橋本堅太郎 1997: 雨宮淳 1998: 川崎普照 1999: 山田良定 2002: 蛭田二郎 2003: 澄川喜一 2004: 山本真輔 2005: 能島征二 2006: 市村緑郎 2007: 瀬戸剛 2008: 神戸峰男 2009: 宮瀬富之 2012: 吉野毅 2016: 山田朝彦 2019: 池川直 1943: 吉田源十郎 1950: 小場恒吉 1951: 岩田藤七 1952: 山鹿清華 1953: 香取正彦 1954: 沼田一雅 山崎覚太郎・楠部弥一 1955: 杉浦非水・内藤春治 1956: 初代竜村平蔵・六代目清水六兵衛・三井義夫 1957: 宮之原謙 1958: 山室百世 1959: 三代目井上良斎・大須賀喬 1960: 各務鑛三・岸本景春 1961: 佐治賢使・皆川月華 1962: 蓮田修吾郎・山脇洋二 1963: 河村蜻山・番浦省吾・森野嘉光 1964: 辻光典 1965: 高橋節郎 1966: 帖佐美行 1967: 浅見隆三 1968: 北出塔次郎・安原喜明 1969: 般若侑弘 1970: 海野建夫 1971: 吉賀大眉 1973: 佐野猛夫 1980: 新開寛山 1981: 浅蔵五十吉 1982: 岩田久利 1983: 大久保婦久子 1984: 十三代目中里太郎右衛門 1985: 大樋年朗 1986: 折原久佐ヱ門 1988: 三谷吾一 1989: 藤田喬平 1990: 奥田小由女 1991: 青木竜山 1992: 永井鉄太郎 1993: 中井貞次 1994: 井波唯志 1996: 大塩正義 1997: 河合誓徳 1998: 今井政之 1999: 西本瑛泉 2000: 吉賀将夫 2001: 川尻一寛 2003: 大角勲 2004: 伊藤裕司 2006: 原益夫 2007: 森野泰明 2010: 武腰敏昭 2012: 宮田亮平 2013: 寺池静人 2016: 春山文典 2018: 三田村有純 2019: 並木恒延 1951: 川村驥山 1953: 辻本史邑 1955: 西川寧 1957: 鈴木翠軒 1960: 田中親美・松本芳翠 1961: 安東聖空・二代中村蘭台 1962: 炭山南木 1963: 山崎節堂 1964: 松井如流 1965: 日比野五鳳 1966: 青山杉雨 1967: 金子鷗亭 1968: 村上三島 1969: 田中塊堂 1970: 桑田笹舟 1971: 大石隆子・金田心象 1972: 広津雲仙 1973: 宮本竹径 1976: 木村知石 1977: 殿村藍田 1978: 上条信山 1981: 小坂奇石 1983: 杉岡華邨 1984: 小林斗盦 1985: 古谷蒼韻 1986: 浅見筧洞 1987: 今井凌雪 1989: 浅香鉄心 1990: 伊藤鳳雲 1991: 近藤摂南 1992: 成瀬映山 1993: 尾崎邑鵬 1994: 栗原蘆水 1995: 高木聖鶴 1996: 榎倉香邨 1997: 甫田鵄川 1998: 松下芝堂 1999: 日比野光鳳 2000: 梅原清山 2001: 津金孝邦 2002: 桑田三舟 2003: 井茂圭洞 2004: 新井光風 2005: 黒野清宇 2006: 劉蒼居 2007: 池田桂鳳 2008: 杭迫柏樹 2009: 小山やす子 2010: 樽本樹邨 2011: 黒田賢一 2012: 星弘道 2017: 高木聖雨 2018: 土橋靖子 2019: 真神巍堂 1950: 岸田日出刀 1952: 吉田五十八 1953: 村野藤吾 1957: 堀口捨己 1959: 中村順平 1961: 谷口吉郎 1962: 竹腰健造 1965: 前田健二郎 1966: 今井兼次 1967: 佐藤武夫 1968: 藤島亥治郎 1971: 海老原一郎 1974: 前川国男 1975: 吉村順三 1980: 白井晟一 1981: 大江宏 1982: 高橋靗一 1984: 芦原義信 1985: 西沢文隆 1987: 谷口吉生 1988: 池原義郎 1989: 内井昭蔵 1990: 阪田誠造 1991: 中村昌生 1992: 黒川紀章 1993: 安藤忠雄 1995: 柳沢孝彦 1996: 岡田新一 1999: 伊東豊雄 2000: 長谷川逸子 2001: 山本理顕 2003: 栗生明 2004: 宮本忠長 2006: 香山寿夫 2008: 鈴木了二 2010: 北川原温 2011: 古谷誠章 2013: 槇文彦 2015: 陶器二三雄 2020: 藤森照信 1950: 大仏次郎 1951: 小川未明 1952: 川端康成 1955: 坪田譲治 1956: 井伏鱒二 1957: 幸田文 1959: 井上靖 1960: 火野葦平 1961: 石川淳 1963: 獅子文六 1966: 中山義秀・永井竜男 1967: 伊藤整 1968: 網野菊 1969: 芹沢光治良 1972: 平林たい子・宇野千代 1973: 庄野潤三 1975: 中里恒子 1976: 司馬遼太郎・安岡章太郎 1977: 戸板康二・海音寺潮五郎 1979: 阿川弘之・遠藤周作・吉行淳之介 1980: 田中千禾夫 1981: 島尾敏雄 1982: 芝木好子・野口冨士男・小島信夫 1984: 河野多恵子 1986: 水上勉 1987: 三浦朱門・吉村昭 1988: 八木義徳 1989: 阪田寛夫 1993: 曽野綾子・石井桃子 1994: 竹西寛子 1995: 陳舜臣 1998: 大原富枝・堀田善衛 1999: 加賀乙彦 2000: 小川国夫・黒井千次・日野啓三 2001: 伊藤桂一 2003: 津村節子 2004: 中野孝次・富岡多恵子 2006: 辻井喬 2007: 三木卓 2009: 井上ひさし 2011: 山崎正和 2016: 辻原登 2017: 髙樹のぶ子 2019: 松浦寿輝 1942: 高村光太郎・川田順 1948: 折口信夫 1949: 半田良平 1951: 尾山篤二郎 1953: 三好達治・土屋文明・服部担風 1958: 川路柳虹 1964: 水原秋桜子 1971: 富安風生 1977: 宮柊二 1980: 佐藤佐太郎 1981: 飯田竜太 1983: 木俣修 1984: 中村草田男・中村汀女 1987: 山口誓子・上田三四二 1994: 那珂太郎 1995: 大岡信・清岡卓行 1997: 森澄雄 1998: 岡野弘彦・田村隆一 1999: 伊藤信吉 2003: 馬場あき子・まど・みちお・金子兜太 2005: 前登志夫 2015: 吉増剛造・鷹羽狩行 2016: 宇多喜代子 2019: 荒川洋治 1943: 野口米次郎 1950: 山内義雄 1951: 小林秀雄 1952: 日夏耿之介 1953: 石川欣一 1954: 小宮豊隆 1955: 鈴木信太郎 1956: 昇曙夢 1957: 折口信夫 1957: 和田芳恵 1958: 新関良三 1959: 吉田精一 1961: 河上徹太郎 1963: 福原麟太郎 1964: 亀井勝一郎 1966: 舟木重信・山本健吉 1967: 三宅周太郎・中村光夫 1969: 高橋健二 1971: 唐木順三 1973: 中村白葉 1976: 江藤淳 1977: 平野謙 1981: 福田恒存 1981: 生島遼一 1982: 佐伯彰一 1984: 磯田光一 1986: 富士川英郎 1990: 新庄嘉章 1991: 佐藤朔 1997: 高橋英夫 2000: 河竹登志夫 2001: 菅野昭正 2002: 高階秀爾 2010: 粟津則雄 2012: 三浦雅士 2017: 渡辺保 2018: 芳賀徹 1948: 野口兼資 1951: 観世華雪 1953: 桜間弓川 1954: 茂山弥五郎 1960: 近藤乾三 1961: 橋岡久太郎 1963: 後藤得三 1970: 六世野村万蔵 1975: 喜多実 1977: 三世茂山千作 1980: 宝生弥一 1983: 田中幾之助 1985: 梅若雅俊 1987: 四世野村万之丞 1988: 梅若恭行・観世元正 1990: 九世片山九郎右衛門・二世野村万作 1992: 八世観世銕之丞・宝生閑 1995: 二世金剛巌 1996: 二十二世金春惣右衛門 1999: 五十六世梅若六郎 2000: 粟谷菊生 2001: 近藤乾之助 2002: 関根祥六 2003: 友枝昭世 2005: 三世観世喜之 2006: 野村四郎 2007: 四世山本東次郎 2008: 一噌仙幸 2009: 九世観世銕之丞 2011: 山本孝 2013: 浅見真州 2014: 香川靖嗣 2015: 柿原崇志 2016: 高橋章 2017: 大槻文蔵 2019: 亀井忠雄 1951: 三代目中村時蔵 1952: 二代目市川猿之助 1953: 三代目市川寿海 1954: 三代目阪東寿三郎 1956: 三代目市川左団次 1962: 六代目中村歌右衛門 1966: 七代目尾上梅幸・八代目坂東三津五郎 1969: 十七代目中村勘三郎 1970: 二代目中村鴈治郎 1972: 十三代目片岡仁左衛門 1974: 八代目松本幸四郎 1975: 七代目中村芝翫 1981: 四代目中村雀右衛門 1982: 三代目實川延若 1984: 十七代目市村羽左衛門 1985: 二代目中村吉右衛門 1986: 二代目中村扇雀 1987: 五代目中村富十郎・七代目尾上菊五郎 1988: 片岡孝夫 1989: 十二代目市川団十郎 1990: 八代目中村福助 1991: 九代目坂東三津五郎 1993: 五代目中村松江 1996: 二代目中村又五郎 1999: 五代目中村勘九郎 2001: 六代目沢村田之助 2005: 九代目中村福助 2006: 十代目坂東三津五郎 2007: 五代目中村翫雀 2008: 五代目中村時蔵・五代目中村芝雀 2011: 三代目中村橋之助 2016: 五代目中村歌六・五代目坂東玉三郎 2017: 四代目市川左團次 2018: 三代目中村扇雀 2020: 十代目松本幸四郎 2021: 片岡孝太郎 1944: 二代目豊竹古靱太夫 1950: 四代目鶴沢清六 1963: 八代目竹本綱大夫 1968: 二代目野沢喜左衛門 1972: 六代目鶴沢寛治 1976: 十代目竹沢弥七 1997: 三代目吉田簑助 1998: 七代目竹本住大夫 2003: 九代目竹本綱大夫 2009: 豊竹咲大夫 2010: 三代目桐竹勘十郎 2011: 五代目野沢錦糸 2012: 二代目鶴沢藤蔵 2013: 六代目鶴沢燕三 2014: 吉田玉女 2018: 鶴澤清介 1948: 芝祐泰 1953: 三代目常磐津文字兵衛・初代中尾都山 1955: 山田抄太郎 1956: 三代目杵屋栄蔵 1957: 七代目芳村伊十郎 1959: 中能島欣一 1961: 十四代目杵屋六左衛門 1962: 安倍季巌 1968: 清元志寿太夫 1971: 五代目荻江露友 1972: 杵屋六一朗 1974: 中能島慶子 1980: 二代目上原真佐喜 1983: 三代目今藤長十郎 1987: 初代富山清琴 1990: 多忠麿 1991: 二代目青木鈴慕・清元栄三郎 1992: 三代目杵屋五三郎 1993: 四代目常磐津文字兵衛 1994: 山彦節子 1995: 山口五郎 1999: 十五代目杵屋喜三郎 2000: 東儀俊美 2002: 六代目山勢松韻 2002: 初代米川敏子 2003: 芝祐靖・東音宮田哲男 2004: 鶴沢清治・川瀬白秋・二代目富山清琴 2007: 唯是震一 2009: 七代目杵屋巳太郎・豊英秋 2010: 二代目今藤政太郎・五代目常磐津文字兵衛 2011: 二代目野坂操寿 2012: 山本邦山・笠置侃一 2013: 二代目米川文子 2014: 小野功竜 2015: 十二代目都一中・二代目米川敏子 2017: 鳥羽屋里長 2020: 杵屋勝国 1943: 井口基成 1948: 藤原義江 1961: 豊増昇 1965: 柳兼子 1966: 団伊玖磨 1967: 渡辺暁雄 1971: 園田高弘 1972: 小沢征爾 1975: 安川加寿子 1976: 朝比奈隆 1979: 江藤俊哉 1980: 武満徹 1986: 山田一雄 1989: 伊藤京子 1990: 三善晃 1991: 東敦子 1992: 若杉弘 1993: 堤剛 1994: 吉田雅夫 1996: 木村俊光 1999: 湯浅譲二 2002: 岩城宏之 2004: 前橋汀子 2005: 内田光子 2006: 畑中良輔 2007: 栗林義信 2009: 中村紘子 2010: 大野和士 2011: 栗山昌良 2013: 飯守泰次郎 2014: 野島稔 2017: 一柳慧 2019: 野平一郎 1952: 四代目井上八千代 1957: 二代目花柳寿輔 1963: 六代目藤間勘十郎 1965: 四代目藤間勘右衛門 1966: 八代目坂東三津五郎 1967: 吾妻徳穂 1979: 藤間藤子 1985: 森下洋子 1988: 二代目花柳寿楽 1989: 藤間友章 1990: 三代目花柳寿輔 1991: 十代目西川扇蔵 1992: 花柳寿南海 1997: 七代目藤間勘十郎 1999: 五代目井上八千代 2000: 藤間蘭景 2001: 五代目花柳芳次郎 2002: 二代目尾上菊之丞 2004: 二代目吾妻徳弥 2008: 藤間藤太郎 2015: 山村友五郎 2016: 二代目中村梅弥 2018: 三代目花柳寿楽 2019: 宮城能鳳 2020: 藤間蘭黄 2021: 西川箕乃助 1948: 杉村春子 1950: 伊藤熹朔 1955: 花柳章太郎 1956: 初代水谷八重子 1959: 小津安二郎 1980: 六代目市川染五郎 FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ 日本 チェコ 韓国 CiNii Books CiNii Research MusicBrainz SNAC IdRef 團伊玖磨 日本の男性作曲家 近現代の作曲家 日本のオペラ作曲家 日本の映画音楽の作曲家 合唱音楽の作曲家 吹奏楽の作曲家 20世紀日本の随筆家 読売文学賞受賞者 日本藝術院賞受賞者 日本藝術院会員 文化功労者 團家 日本におけるたばこの社会的受容関連人物 私の履歴書の登場人物 東京芸術大学出身の人物 青山学院中等部・高等部出身の人物 東京都区部出身の人物 1924年生 2001年没 ISBNマジックリンクを使用しているページ 雑多な内容を箇条書きした節のある記事 - 2013年1月-5月 2024/11/20 23:41更新
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dan ikuma
團伊玖磨と同じ誕生日4月7日生まれ、同じ東京出身の人
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