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土本典昭の情報 (つちもとのりあき)
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【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

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土本 典昭さんについて調べます

■名前・氏名
土本 典昭
(読み:つちもと のりあき)
■職業
記録映像作家
■土本典昭の誕生日・生年月日
1928年12月11日 (年齢2008年没)
辰年(たつ年)、射手座(いて座)
■出身地・都道府県
岐阜出身

(昭和3年)1928年生まれの人の年齢早見表

土本典昭と同じ1928年生まれの有名人・芸能人

土本典昭と同じ12月11日生まれの有名人・芸能人

土本典昭と同じ出身地岐阜県生まれの有名人・芸能人


土本典昭と関係のある人

丸木位里: 1981年には土本典昭監督の映画『水俣の図・物語』(音楽・武満徹、詩・石牟礼道子)、1984年には前田憲二監督の映画『命どう宝 おきなわ戦の図』も公開されている。


島田賢一: ^ 吉川孝「水俣病における痛みの共有をめぐって―土本典昭の記録映画と現象学的倫理学の可能性」。


是枝裕和: ドキュメンタリー作家の小川紳介と土本典昭からの影響を強く受けており、「すごく尊敬していて、あの人ならこういうときどうするんだろうという僕なりの基準にしている人」と述べている。


勅使河原宏: 工作隊のメンバーには、後の共産党国会議員津金佑近や、映画監督の土本典昭などがいた。


牛山純一: またプロデューサーとして大島渚の「忘れられた皇軍」(1963年)、土本典昭の「水俣の子は生きている」(1965年)「市民戦争」(1966年)などを担当する。


本橋成一: 1985年 画家丸木位里・丸木俊のスライド集『ひろしまを見たひと』(監督・土本典昭)の作品を撮影。


丸木俊: 1981年には土本典昭監督、武満徹音楽、石牟礼道子詩による映画『水俣の図・物語』、1984年には前田憲二監督の映画『命どう宝 おきなわ戦の図』も公開されている。


三木稔: ある機関助士(1963年、土本典昭監督)


三木稔: 路上(1964年、土本典昭監督)


竹内良太: 土本典昭監督 追悼番組


塩田武史: 1969年、土本典昭監督『水俣 - 患者さんとその世界』の取材でスチール撮影を担当


野田真吉: 60年安保闘争の後は共産党からはなれ、1964年に「日本記録映画協会」から分派して「映像芸術の会」を結成(メンバーは、松本俊夫、土本典昭、黒木和雄、東陽一、小川紳介ら)。


島田賢一: 1973年、チッソ本社(東京)における患者の直接交渉を題材にした、土本典昭監督のドキュメンタリー映画『水俣一揆-一生を問う人々-』が公開。


鈴木一誌: 2011年、土本典昭との編著『全貌フレデリック・ワイズマン アメリカ合衆国を記録する』が刊行される。


鈴木一誌: 『全貌フレデリック・ワイズマン アメリカ合衆国を記録する』(岩波書店、2011年、土本典昭と共編著)


岩佐寿弥: 1959年に岩波映画に入社、小川紳介や土本典昭、黒木和雄らとともに映画研究会「青の会」を結成。


小川紳介: 1960年代初頭に東陽一・土本典昭らと映画研究グループ「青の会」を結成。


黒木和雄: プロデュースは土本典昭が担った。


黒木和雄: 土本典昭、小川紳介たち岩波映画製作所周辺の若手映画人たちと交遊し、そのリーダー格であった。


土本典昭の情報まとめ

もしもしロボ

土本 典昭(つちもと のりあき)さんの誕生日は1928年12月11日です。岐阜出身の記録映像作家のようです。

もしもしロボ

映画、テレビ、家族に関する情報もありますね。2008年に亡くなられているようです。

土本典昭のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

土本 典昭(つちもと のりあき、1928年12月11日 - 2008年6月24日)は、日本の記録映画作家、ルポルタージュ作家。

岐阜県土岐市生まれ。小学生で東京に移住し、麹町小学校を経て麻布中学校・高等学校に入学。中学時代は勤労奉仕に明け暮れ、「頭のてっぺんから足の先まで、本当に天皇のために命を捨てる青年として育てられた」が、終戦を機に「誰も本当のことを言ってくれなかった」という思いから、新聞記者あるいはジャーナリストを志す。早稲田大学文学部を学生運動のため除籍。在学中に日本共産党に入党し、1952年に山村工作隊の活動で逮捕される。山村工作隊では小河内ダム破壊を目指した小河内工作隊に所属し、共に活動した勅使河原宏とは終生友人であった。

1956年岩波映画製作所に入社し、ドキュメンタリー制作に携わる。1957年フリーになり、民放へも活動の場を広げ、1963年、国鉄のPR映画「ある機関助士」で監督デビュー。また、黒木和雄、小川紳介らと「青の会」を結成。

1965年に初めて訪れた水俣市で、水俣病患者の現状に衝撃を受ける。『ドキュメント 路上』『パルチザン前史』(1969年)などを経て、1971年『水俣 - 患者さんとその世界』発表以降は、水俣病問題に取り組み続け、同作を含む17本の連作を主として青林舎に拠って製作した。

また青林舎からは土本の助監督出身者として、小池征人、西山正啓、若月治、藤本幸久らがドキュメンタリー映画監督として巣立っている。

その後も晩年に至るまで積極的にドキュメンタリー映画を撮り続けてきたが、2008年6月24日に肺がんのため、千葉県南房総市の入院先の病院で死去。享年79。

葬儀は近親者のみの密葬で行われ、7月26日に東京都千代田区にある如水会館スターホールで「お別れの会」が開催された。

ノンフィクション作家の土本亜理子は実娘。

1965年、30分テレビ番組の水俣病特集のために訪れた水俣病患者多発地区の水俣市湯堂で患者家族から言われた「なして(フィルムに)撮るか」「撮ったって少しも体が良くならんばい、この子は。人を見せ物にして」という言葉が「茫然自失」となるほど深く突き刺さったという。その言葉は今まで撮り逃げしていたのではないかと自問し、魂の入った作品を制作することを決意させることとなる。その後、本格的に水俣に入り、家を借り現地の人々と生活を共にしながら撮影を行い、1971年「水俣 - 患者さんとその世界」を発表した。その後も水俣病やそれに関する作品を制作し続け、患者支援運動の関係者から「空気のようなカメラ。それが患者家族の外に向かって重く閉ざした扉の1つを開けた」と評された。

患者の遺影収集にも取り組んでいた。1996年に開催した「水俣・東京展」では、不知火海沿岸にある患者の遺族を一軒一軒尋ねて、約500人の遺影を集めた。

2021年9月23日、ユージン・スミスを題材にした映画『MINAMATA-ミナマタ-』が日本で全国公開。これに合わせて、土本の『水俣 - 患者さんとその世界』と『水俣一揆 - 一生を問う人々』が同月から全国6つの劇場で特別上映された。

1964年『ドキュメント 路上』

1968年『シベリヤ人の世界』(日本映画新社)

1969年『パルチザン前史』(小川プロ)

1971年『水俣 - 患者さんとその世界』(東プロ)

1973年『水俣一揆 - 一生を問う人々』(青林舎)

1973年『水俣レポートI 実録公調委』(東プロ)

1975年『不知火海』(青林舎)

1975年『医学としての水俣病』(青林舎)

1976年『水俣病-その20年-』(青林舎)

1980年『海とお月さまたち』(日本記録映画研究所)

1981年『水俣の図 物語』(青林舎)

1982年『原発切抜帖』(青林舎)

1984年『海盗り - 下北半島・浜関根』(青林舎)

1984年『はじけ鳳仙花 わが筑豊わが朝鮮』(幻燈社)

1987年『水俣病 その30年』(青林舎=シグロ)

1989年『よみがえれカレーズ』(記録社=シグロ)

1999年『回想 川本輝夫 ミナマタ 井戸を掘ったひと』

2003年『もうひとつのアフガニスタン カーブル日記 1985年』

2003年『在りし日のカーブル博物館1988年』

2004年『みなまた日記 甦える魂を訪ねて』

2005年『ひろしまのピカ』

映画は生きものの仕事である 私論・ドキュメンタリー映画』未來社、1974年6月[1]/新装版:2004年6月、ISBN 4624710096

『逆境のなかの記録』(附=シナリオ『医学としての水俣病』三部作・『不知火海』)未來社 1976年10月[2]/新装版:2004年7月、ISBN 462441022X

『わが映画発見の旅 不知火海水俣病元年の記録』筑摩書房、1979年5月[3]/日本図書センター、2000年11月、ISBN 4820559575

『水俣映画遍歴 記録なければ事実なし』新曜社、1988年5月[4] [5]

『されど、海 存亡のオホーツク』影書房、1995年8月、ISBN 4877142061

『映像で記録する 水俣-患者さんとその世界 講演会』中央大学人文科学研究所、1997年3月、[6]

『ドキュメンタリーの海へ 記録映画作家・土本典昭との対話』(石坂健治との共著)現代書館、2008年7月、ISBN 4768476724

『不敗のドキュメンタリー 水俣を撮りつづけて』岩波現代文庫、2019年1月、ISBN 9784006033118

土本亜理子「緩和ケア病棟のある診療所で過ごして――記録映画作家・土本典昭 最期の日々」(『世界』2008年11月、no.784, [7])

土本典昭フィルモグラフィ展2004実行委員会『ドキュメンタリーとは何か 土本典昭・記録映画作家の仕事』現代書館、2005年5月、ISBN 4768476783

ある機関助士(1963年)

    第18回文部省芸術祭文部大臣賞

    教育映画祭一般教養映画最高賞

    日本紹介映画コンクール銀賞

    キネマ旬報短編ベストテン第1位

    日本映画ブルーリボン賞教育文化映画

    毎日映画コンクール記録映画最高賞

    ベルリン映画青年文化賞

    ドキュメント路上(1964年)

      第19回文部省芸術祭奨励賞

      エジンバラ映画祭デイプロマ・オプ・メリット

      ヴェネツィア国際映画祭特別審査委会賞

      シベリア人の世界(1968年)

        毎日映画コンクール社会記録部門最高賞

        水俣 - 患者さんとその世界(1971年)

          第1回世界環境映画祭グランプリ

          マンハイム映画賞デュキヤット賞

          ベルン映画祭銀賞

          優秀映画鑑賞会年間第1位、映画評論第3位

          ロカルノ国際映画祭第3位

          ^ “土本典昭さん死去 記録映画で水俣病を追究”. 47NEWS. (2008年6月24日). https://web.archive.org/web/20130425211710/http://www.47news.jp/CN/200806/CN2008062401000516.html 2011年11月14日閲覧。 

          ^ NHK「あの人に会いたい」

          ^ 『熊本日日新聞』2008年6月25日

          ^ 映画『MINAMATA-ミナマタ-』公開記念 土本典昭監督作品特別上映

          土本典昭 - allcinema

          土本典昭 - KINENOTE

          土本典昭 - 日本映画データベース

          Noriaki Tsuchimoto - IMDb(英語)

          映画同人 シネ・アソシエ - ウェイバックマシン(2000年4月10日アーカイブ分) - 土本の制作会社

          土本典昭 - NHK人物録

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          CiNii Books

          CiNii Research

          IdRef

          日本の映像作家

          日本の映画監督

          ドキュメンタリー映画の監督

          日本共産党の人物

          麻布中学校・高等学校出身の人物

          岐阜県出身の人物

          肺癌で亡くなった人物

          1928年生

          2008年没

          プロジェクト人物伝項目

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2024/11/19 17:37更新

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