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大島信雄の情報 (おおしまのぶお)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月24日】今日誕生日の芸能人・有名人

大島信雄の情報(おおしまのぶお) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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もしもしロボ

大島 信雄さんについて調べます

■名前・氏名
大島 信雄
(読み:おおしま のぶお)
■職業
野球選手
■大島信雄の誕生日・生年月日
1921年10月2日 (年齢2005年没)
酉年(とり年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
愛知出身

大島信雄と同じ1921年生まれの有名人・芸能人

大島信雄と同じ10月2日生まれの有名人・芸能人

大島信雄と同じ出身地愛知県生まれの有名人・芸能人


大島信雄と関係のある人

片山博: 同年には発効した野球協約の作成にもかかわり、セは片山の他に大島信雄(名古屋)・千葉茂(巨人)、パが西本幸雄(大毎)・中谷信夫(南海)・浜崎真二(阪急)が選手会役員として参画し、プロ野球発展の一翼を担った。


今西練太郎: 若林忠志、宮武三郎、北井正雄、白木義一郎、大島信雄などが時折サイドスローやアンダースローで投げており、後年では平松政次がシュートのキレを出すためかサイドスローに腕を下げた投げ方もしていたようなので、今西もそのような投げ方をしていた可能性もある。


稲葉光雄: ^ 週刊ベースボール1973年6月25日号「特別対談 巨人を手玉にとるのがオレの生き甲斐 稲葉光雄(中日)~大島信雄(評論家)」p106-p109


田所善治郎: 全試合完封勝利でのセンバツ優勝は戦前の野口二郎、大島信雄に次ぐ史上3人目であった。


真田重蔵: 3戦は6失点と打ち込まれながらも完投してサヨナラ勝ち、逆に5戦は2-2で同点の9回2死まで投げるが右膝上肉離れを起こして降板、代わった大島信雄が味方の失策で決勝点を奪われ敗れる対照的な結果となった。


河村英文: 中日との日本シリーズでは5試合に登板し、第3戦では大島信雄に投げ勝ち完封勝利。


武末悉昌: 準々決勝で大島信雄投手の大塚産業を、準決勝で野村武史投手の豊岡物産を破って決勝に進出。


荒川昇治: 98勝もの勝ち星を挙げた真田重蔵・江田貢一・大島信雄ら投手陣との呼吸の合ったリードは当時のセ・リーグ随一とも評価される。


青田昇: 100本塁打:1950年11月3日、対松竹ロビンス20回戦(後楽園球場)、大島信雄から ※史上6人目


今西錬太郎: 若林忠志、宮武三郎、北井正雄、白木義一郎、大島信雄などが時折サイドスローやアンダースローで投げており、後年では平松政次がシュートのキレを出すためかサイドスローに腕を下げた投げ方もしていたようなので、今西もそのような投げ方をしていた可能性もある。


小西得郎: このとき鈴木龍二に頼み、社会人球界のスターだった大島信雄を入団させた。


宇野光雄: 卒業後の1946年には1年だけ母校・慶大の監督に就任して、戦後初のリーグでは5戦全勝で優勝を飾り、大島信雄・別当薫・加藤進を卒業生として送り出した。


神田武夫: 決勝では全試合を完封して勝ち上がってきた大島信雄投手の岐阜商業と対戦、両チーム無得点でむかえた8回裏に代打の高山泰夫にタイムリーヒットを打たれるなど2点を奪われて0-2で惜敗。


国枝利通: チームメイトにはエース投手の大島信雄がいた。


大島信雄の情報まとめ

もしもしロボ

大島 信雄(おおしま のぶお)さんの誕生日は1921年10月2日です。愛知出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

卒業、解散、引退、テレビ、現在に関する情報もありますね。2005年に亡くなられているようです。

大島信雄のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

大島 信雄(おおしま のぶお、1921年10月2日 - 2005年1月8日)は、愛知県一宮市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・解説者・評論家。

旧制岐阜商業学校では、1936年夏の選手権にエース・松井栄造の控え投手(1年生)としてベンチ入りし、登板機会こそなかったものの、全国制覇を経験。1937年春の選抜準々決勝の東邦商業戦でエース・野村清をリリーフする形で甲子園初登板を果たすが、2-7で敗戦。1938年の選抜も野村との投手2枚看板として出場し、準々決勝では旧制甲陽中学の別当薫と投げ合い、甲子園初先発を3-0の2安打完封勝利で飾るが、東邦商業との準決勝は野村をリリーフしたものの2-6で敗れた。同年の選手権では準決勝の甲陽中学戦で再び別当と投げ合い、不調の野村を3回1死満塁からロングリリーフ。後続を絶ち、3-1で勝利した。決勝では木村進一・保井浩一を擁する旧制平安中学と対戦し、先発した大島は1-0とリードして迎えた9回裏に自らが与えた二つの四球がきっかけで2点を奪われ逆転サヨナラ負けを喫して準優勝。野村が卒業し、エースとなった1939年の選抜も下関商業を1-0、平安中学を4-1、中京商業を延長13回の末に6-5で破って2季連続で決勝に進出したが、松本貞一・猪子利男を擁する東邦商業に春は3年連続で敗れ、夏春連続の準優勝に終わった。最上級生となった1940年の選抜に大島はエース兼4番打者として出場し、初戦(2回戦)の日新商業を10-0、準々決勝で島田商業を4-0、準決勝は福岡工業を9-0と、大島は無失点で勝ち進み、決勝では、準決勝で東邦商業を完封した京都商業の神田武夫投手との投げ合いを2-0の1安打完封で制して優勝。大島は4試合全てを完封勝利で飾った。春夏連覇を狙った同年の夏は予選の東海大会1回戦で中京商業に1-2で敗れ、甲子園出場を逃した。

卒業後の1941年に旧制慶應義塾大学へ進学。東京六大学リーグで投手として活躍を始めたが、戦争の激化に伴い、1943年4月に文部省が通達したリーグ解散令により、六大学各校野球部は活動停止に追い込まれることとなった。同年10月13日で行われた出陣学徒壮行早慶戦(最後の早慶戦と呼ばれた試合)で5番打者・右翼手として出場した。太平洋戦争終結後に再開したリーグ戦では、加藤進とバッテリーを組み、慶大のエース兼5番打者として1946年と1947年の春季リーグ戦2連覇に貢献した。東京六大学リーグ通算成績は26試合登板、18勝6敗。1947年秋に繰上げ卒業後、滋賀県の大塚産業に入社。1948年の都市対抗にエース投手として出場、初戦で中和クラブを破るが、武末悉昌・宮崎要・深見安博ら後に西鉄入りする選手たちを多数擁し、この大会で優勝する西日本鉄道に準々決勝で敗れた。翌1949年の大会にも連続出場したが、初戦の全藤倉との引き分け再試合で敗退。

1950年のセ・パ両リーグ分裂の際、大島は松竹ロビンスへ入団。既に29歳と遅いプロ入りであったが、20勝4敗、防御率2.03を記録。当時活躍していた藤本英雄を抑えて、セ・リーグ初代の最優秀防御率、最高勝率、新人王のタイトルに輝き、松竹のリーグ優勝にも貢献した。なお、29歳での新人王獲得は史上最年長であり、この記録は半世紀以上経った今日に至るまで破られていない。同年の毎日との第1回日本シリーズでは第1戦(神宮、松竹のホームゲーム扱い)に新人でありながら20勝の実績が買われて先発投手として登板、記念すべき日本シリーズ第1球を投じている。この試合では、この年に毎日へ移籍した大ベテラン・若林忠志(当時42歳)との“合計71歳対決”で延長12回を投げ合ったものの、2-3で惜敗し、シリーズ敗戦投手第1号となったが、第4戦(西宮)では再び若林と先発で投げ合って5-3で完投勝利。2勝3敗と王手をかけられた第6戦(大阪)では3回裏途中からロングリリーフとして登板。8回表途中から若林をリリーフした岐阜商業時代の先輩・野村と投手戦を繰り広げたが、延長11回裏に味方のエラーでサヨナラ負けを喫し、日本一を逃した。1951年も15勝13敗、防御率2.74(リーグ6位)の記録を残す。しかし、松竹のオーナーでもあった田村駒の業績悪化により、岩本義行・真田重男・江田貢一・荒川昇治・木村勉(いずれも大洋へ移籍)といった主力選手の放出が行われ、大島は名古屋ドラゴンズへ移籍した。

移籍後も1952年と1953年に12勝ずつを挙げ、4年連続2桁勝利を記録する。1954年は5勝に終わったものの、同年の西鉄との日本シリーズでは第3戦(平和台)に先発投手として登板。5イニングを投げ、2失点で敗戦投手となったが、第4戦では打力を買われて代打として起用され、第5戦と第6戦では5番打者・外野手として先発出場し、それぞれ2塁打を1本ずつ放った。チームは杉下茂の活躍もあり、球団初の日本一を達成した。翌1955年は2試合の登板のみで0勝に終わり、同年限りで引退

引退後は日本短波放送「プロ野球ナイトゲーム中継」(1956年 - 1959年)・毎日放送・東海ラジオ・東京12チャンネル・日本教育テレビ解説者、中日スポーツ評論家として活躍。その間に『ぼくらの野球・ルール入門』など、多くの少年野球向けの教本を世に出した。また、慶大の先輩である水原茂監督の下で古巣・中日の一軍投手コーチ(1969年 - 1971年)を務め、伊藤久敏・松本幸行・渋谷幸春を育てている。松本は「あの人がいなければ僕も渋谷も活躍できなかったと思いますよ。」と語っている。

1989年から1999年には自動車部品卸の名古屋山王サービス社長を務め、この間には母校・県岐阜商の指導も行った。

球界引退後も愛知の後輩であるイチロー(マリナーズ)見たさにセーフコ・フィールドまで足を運ぶなど、80歳を過ぎてもなお精力的に野球に関係する活動を行っていた。

2005年1月8日午後3時22分、肺炎のため、東京都目黒区内の病院にて死去。83歳没。

左腕から繰り出される速球や、縦に落ちるカーブを武器とした。

各年度の太字はリーグ最高

名古屋(名古屋ドラゴンズ)は、1954年に中日(中日ドラゴンズ)に球団名を変更

最優秀防御率:1回 (1950年)

最高勝率:1回 (1950年)

新人王 (1950年)

16 (1950年 - 1955年)

63 (1969年 - 1971年)

『ぼくらの野球 ルール入門』成美堂出版、2006年7月、ISBN 4-415-02799-7

^ 現在に至るまで日本シリーズ第一戦で新人投手ながら先発のマウンドに上がったのは大島と、1952年の大神武俊(南海)、2013年の則本昂大(楽天)の3人だけである。

^ プロ野球 サウスポーの美学、スコラマガジン、2012年、P44

^ 森岡浩「甲子園高校野球人名事典: 選手・監督から審判・解説者まで」東京堂出版、2004年7月1日、ISBN 4490106505、p51。

^ “大島信雄氏死去/元プロ野球松竹、中日投手”. yahooニュース. (2005年1月9日). https://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20050109000223 2020年2月24日閲覧。 

愛知県出身の人物一覧

慶應義塾大学の人物一覧

松竹ロビンスの選手一覧

中日ドラゴンズの選手一覧

出陣学徒壮行早慶戦

個人年度別成績 大島信雄 - NPB.jp 日本野球機構

1950 大島信雄

1951 松田清

1952 佐藤孝夫

1953 権藤正利

1954 広岡達朗

1955 西村一孔

1956 秋山登

1957 藤田元司

1958 長嶋茂雄

1959 桑田武

1960 堀本律雄

1961 権藤博

1962 城之内邦雄

1964 高橋重行

1966 堀内恒夫

1967 武上四郎

1968 高田繁

1969 田淵幸一

1970 谷沢健一

1971 関本四十四

1972 安田猛

1974 藤波行雄

1976 田尾安志

1977 斉藤明雄

1978 角三男

1979 藤沢公也

1980 岡田彰布

1981 原辰徳

1982 津田恒美

1983 槙原寛己

1984 小早川毅彦

1985 川端順

1986 長冨浩志

1987 荒井幸雄

1988 立浪和義

1989 笘篠賢治

1990 与田剛

1991 森田幸一

1992 久慈照嘉

1993 伊藤智仁

1994 藪恵市

1995 山内泰幸

1996 仁志敏久

1997 澤﨑俊和

1998 川上憲伸

1999 上原浩治

2000 金城龍彦

2001 赤星憲広

2002 石川雅規

2003 木佐貫洋

2004 川島亮

2005 青木宣親

2006 梵英心

2007 上園啓史

2008 山口鉄也

2009 松本哲也

2010 長野久義

2011 澤村拓一

2012 野村祐輔

2013 小川泰弘

2014 大瀬良大地

2015 山﨑康晃

2016 髙山俊

2017 京田陽太

2018 東克樹

2019 村上宗隆

2020 森下暢仁

2021 栗林良吏

2022 大勢

2023 村上頌樹

1950 大島信雄

1951 松田清

1952 藤村隆男

1953 大友工, 石川克彦

1954 杉下茂

1955 大友工

1956 堀内庄

1957 木戸美摸

1958 藤田元司

1959 藤田元司

1960 秋山登

1961 伊藤芳明

1962 小山正明

1963 山中巽

1964 石川緑

1965 山中巽

1966 堀内恒夫

1967 堀内恒夫

1968 島田源太郎

1969 高橋一三

1970 村山実

1971 坂井勝二

1972 堀内恒夫

1973 倉田誠

1974 松本幸行

1975 星野仙一

1976 加藤初

1977 新浦寿夫

1978 鈴木康二朗

1979 藤沢公也

1980 福士敬章

1981 江川卓

1982 都裕次郎

1983 津田恒美

1984 江川卓

1985 北別府学

1986 北別府学

1987 川端順

1988 小野和幸

1989 西本聖

1990 斎藤雅樹

1991 北別府学

1992 斎藤雅樹

1993 山本昌広

1994 紀藤真琴

1995 石井一久

1996 斎藤雅樹

1997 三浦大輔

1998 桑田真澄

1999 上原浩治

2000 工藤公康

2001 入来祐作

2002 上原浩治

2003 井川慶

2004 上原浩治

2005 安藤優也

2006 川上憲伸

2007 高橋尚成

2008 館山昌平

2009 D.ゴンザレス

2010 久保康友

2011 吉見一起

2012 杉内俊哉

2013 小川泰弘

2014 山井大介

2015 M.マイコラス

2016 野村祐輔

2017 薮田和樹

2018 大瀬良大地

2019 山口俊

2020 菅野智之

2021 青柳晃洋

2022 青柳晃洋

2023 東克樹

2024 菅野智之

1950 大島信雄

1951 松田清

1952 梶岡忠義

1953 大友工

1954 杉下茂

1955 別所毅彦

1956 渡辺省三

1957 金田正一

1958 金田正一

1959 村山実

1960 秋山登

1961 権藤博

1962 村山実

1963 柿本実

1964 G.バッキー

1965 金田正一

1966 堀内恒夫

1967 権藤正利

1968 外木場義郎

1969 江夏豊

1970 村山実

1971 藤本和宏

1972 安田猛

1973 安田猛

1974 関本四十四

1975 安仁屋宗八

1976 鈴木孝政

1977 新浦寿夫

1978 新浦寿夫

1979 平松政次

1980 松岡弘

1981 江川卓

1982 斉藤明夫

1983 福間納

1984 小林誠二

1985 小松辰雄

1986 北別府学

1987 桑田真澄

1988 大野豊

1989 斎藤雅樹

1990 斎藤雅樹

1991 佐々岡真司

1992 盛田幸妃

1993 山本昌広

1994 郭源治

1995 T.ブロス

1996 斎藤雅樹

1997 大野豊

1998 野口茂樹

1999 上原浩治

2000 石井一久

2001 野口茂樹

2002 桑田真澄

2003 井川慶

2004 上原浩治

2005 三浦大輔

2006 黒田博樹

2007 高橋尚成

2008 石川雅規

2009 チェン

2010 前田健太

2011 吉見一起

2012 前田健太

2013 前田健太

2014 菅野智之

2015 K.ジョンソン

2016 菅野智之

2017 菅野智之

2018 菅野智之

2019 大野雄大

2020 大野雄大

2021 柳裕也

2022 青柳晃洋

2023 村上頌樹

2024 髙橋宏斗

1950 大島信雄

1951 藤本英雄

1952 別所毅彦

1953 大友工

1954 杉下茂

1955 別所毅彦

1956 大友工

1957 義原武敏

1958 藤田元司

1959 義原武敏

1960 鈴木隆

1961 中村稔

1962 小山正明

1963 伊藤芳明

1964 村山実

1965 金田正一

1966 城之内邦雄

1967 金田正一

1968 金田正一

1969 堀内恒夫

1970 堀内恒夫

1971 堀内恒夫

1972 堀内恒夫

1973 高橋一三

1974 松本幸行

1975 外木場義郎

1976 堀内恒夫

1977 小林繁

1978 安田猛

1979 北別府学

1980 山根和夫

1981 江川卓

1982 小松辰雄

1983 江川卓

1984 山根和夫

1985 池田親興

1986 北別府学

1987 桑田真澄

1988 小野和幸

1989 斎藤雅樹

1990 槙原寛己

1991 佐々岡真司

1992 岡林洋一

1993 荒木大輔

1994 桑田真澄

1995 T.ブロス

1996 斎藤雅樹

1997 石井一久

1998 野村弘樹

1999 野口茂樹

2000 工藤公康

2001 石井一久

2002 上原浩治

2003 井川慶

2004 川上憲伸

2005 井川慶

2006 川上憲伸

2007 川上憲伸

2008 上原浩治

2009 D.ゴンザレス

2010 吉見一起

2011 チェン

2012 内海哲也

2013 内海哲也

2014 R.メッセンジャー

2015 石川雅規

2016 K.ジョンソン

2017 井納翔一

2018 大瀬良大地

2019 山口俊

2020 菅野智之

2021 奥川恭伸

2022 小川泰弘

2023 村上頌樹

2024 A.ジャクソン

1936春夏 牧野潔

1936秋 加藤智男

1937春 森井茂

1937秋 森井茂

1938春 松尾幸造

1938秋 森井茂

1939 松尾幸造

1940 村松幸雄

1941 森井茂

1942 河村章

1943 松尾幸造

1944 森井茂

1946 森井茂

1947 松尾幸造

1948 服部受弘

1949 服部受弘

1950 清水秀雄

1951 近藤貞雄

1952 大島信雄

1953 杉下茂

1954 石川克彦

1955 石川克彦

1956 杉下茂

1957 伊奈努

1958 中山俊丈

1959 伊奈努

1960 伊奈努

1961 板東英二

1962 柿本実

1963 河村保彦

1964 河村保彦

1965 柿本実

1966 山中巽

1967 小川健太郎

1968 小川健太郎

1969 小川健太郎

1970 小川健太郎

1971 伊藤久敏

1972 水谷寿伸

1973 稲葉光雄

1974 星野仙一

1975 松本幸行

1976 星野仙一

1977 松本幸行

1978 星野仙一

1979 星野仙一

1980 藤沢公也

1981 三沢淳

1982 小松辰雄

1983 小松辰雄

1984 鈴木孝政

1985 小松辰雄

1986 郭源治

1987 杉本正

1988 小松辰雄

1989 小野和幸

1990 西本聖

1991 小松辰雄

1992 郭源治

1993 今中慎二

1994 今中慎二

1995 今中慎二

1996 今中慎二

1997 山本昌

1998 山本昌

1999 川上憲伸

2000 野口茂樹

2001 山本昌

2002 山本昌

2003 川上憲伸

2004 川崎憲次郎

2005 川上憲伸

2006 川上憲伸

2007 川上憲伸

2008 川上憲伸

2009 浅尾拓也

2010 吉見一起

2011 M.ネルソン

2012 吉見一起

2013 吉見一起

2014 川上憲伸

2015 山井大介

2016 大野雄大

2017 大野雄大

2018 小笠原慎之介

2019 笠原祥太郎

2020 大野雄大

2021 福谷浩司

2022 大野雄大

2023 小笠原慎之介

2024 柳裕也

日本の野球選手

岐阜県立岐阜商業高等学校出身の野球選手

慶應義塾大学野球部の選手

松竹ロビンス及びその前身球団の選手

中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手

最優秀防御率 (NPB)

最高勝率 (野球)

セントラル・リーグ最優秀新人 (NPB)

NPBオールスターゲーム選出選手

野球解説者

ラジオNIKKEIの人物

日本の野球指導者

愛知県出身のスポーツ選手

1921年生

2005年没

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野球に関する記事

プロジェクト人物伝項目

ウィキデータにある日本野球機構選手識別子

2024/11/20 13:26更新

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大島信雄と同じ誕生日10月2日生まれ、同じ愛知出身の人

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1953年10月2日生まれの有名人 愛知出身

清水 美和(しみず よしかず、1953年 - 2012年4月10日)は、日本のジャーナリスト。東京新聞・中日新聞論説主幹。愛知県名古屋市出身。 1977年 京都大学経済学部卒業、中日新聞社(東京新聞…

鳥井 架南子(とりい かなこ)
1953年10月2日生まれの有名人 愛知出身

鳥井 架南子(とりい かなこ、1953年〈昭和28年〉10月2日 - 2024年〈令和6年〉8月6日)は、日本の小説家。1984年のデビュー時から1992年までは鳥井 加南子(読みは同じ)の表記を用い…

寺西 一浩(てらにし かずひろ)
1979年10月2日生まれの有名人 愛知出身

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赤川 美咲(あかがわ みさき)
1970年10月2日生まれの有名人 愛知出身

赤川 美咲(あかがわ みさき - )は、日本の声優、土地家屋調査士、行政書士。愛知県豊田市出身。愛知県立豊田高等学校を経て、名古屋文化短期大学卒。NTB所属。 朝までいっしょ!ラジオバイキング(ぎふ…

二宮 衣沙貴(にのみや いさき)
1998年10月2日生まれの有名人 愛知出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 二宮 衣沙貴(にのみや いさき、1998年10月2日 - )は、愛知県名古屋市守山区出身の日本のプロ野球選手(投手)。 名古屋市立苗…

小川 みこと(おがわ みこと)
1988年10月2日生まれの有名人 愛知出身

小川 みこと(おがわ みこと、1988年10月2日 - )は、愛知県名古屋市出身の日本のグラビアアイドル。2010年5月までは佐倉 みこと(さくら みこと)の名で活動していた。 スーパー耐久シリーズ…


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大島信雄と近い名前の人

大島 由香里_(タレント)(おおしま ゆかり)
1983年6月13日生まれの有名人 大阪出身

6月13日生まれwiki情報なし(2024/11/24 08:25時点)

大島 僚太(おおしま りょうた)
1993年1月23日生まれの有名人 静岡出身

大島 僚太(おおしま りょうた、1993年1月23日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身のプロサッカー選手。Jリーグ・川崎フロンターレ所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代…


大島 優子(おおしま ゆうこ)
1988年10月17日生まれの有名人 栃木出身

大島 優子(おおしま ゆうこ、1988年〈昭和63年〉10月17日 - )は、日本の女優で、女性アイドルグループ・AKB48の元メンバーである。栃木県下都賀郡壬生町出身、太田プロダクション所属。夫は俳…

大島 麻衣(おおしま まい)
1987年9月11日生まれの有名人 千葉出身

大島 麻衣(おおしま まい、1987年〈昭和62年〉9月11日 - )は、日本のタレント・歌手・YouTuber。東京都足立区出身で、千葉県野田市育ち。野田市立南部小学校、野田市立南部中学校、千葉県立…

大島 弘子(おおしま ひろこ)
1973年8月5日生まれの有名人 東京出身

大島 弘子(おおしま ひろこ、1973年8月5日 - )は日本の元タレント、元女優である。東京都出身。かつての所属先はビッグ・アップル→キティ・フィルム。 高校在学中にバラエティ番組『少女雑貨専門T…

大島 なぎさ(おおしま なぎさ)
1991年9月20日生まれの有名人 茨城出身

大島 なぎさ(おおしま なぎさ、1991年9月20日 - )は、日本の元モデル、元女優である。茨城県出身。ビーチウォーカーズ・マネージメント株式会社所属だった。血液型はO型。 『non-noモデルオー…

大島 さと子(おおしま さとこ)
1959年9月17日生まれの有名人 神奈川出身

大島 さと子(おおしま さとこ、1959年9月17日 - )は、日本の女優、タレント、司会者。旧芸名は大島 智子(読み方同じ)。 神奈川県川崎市高津区出身。所属事務所はキャストパワー。身長161cm…


大島 江里奈 (おおしま えりな )
1993年9月29日生まれの有名人 千葉出身

大島 江里奈(おおしま えりな 1993年9月29日 - )は、日本の女性ファッションモデル、タレント、及びアイドルである。 父が日本人、母がアメリカ人。姉妹が3人いる。 スターダストプロモーション…

大島 みづき(おおしま みづき)
1988年5月6日生まれの有名人 神奈川出身

大島 みづき(おおしま みづき、1988年5月6日 - )は日本のグラビアアイドル、アイドル歌手。 1988年5月6日、神奈川県に生まれる。 2006年3月、小泉瑠美(現長谷川瑠美)と「NO KI…

大島 涼花(おおしま りょうか)
【AKB48】
1998年10月21日生まれの有名人 神奈川出身

大島 涼花(おおしま りょうか、1998年〈平成10年〉10月21日 - )は、日本の女優であり、女性アイドルグループ・AKB48の元メンバー。神奈川県出身。所属事務所はMETEORA。 2011年…

大島 蓉子(おおしま ようこ)
1953年1月22日生まれの有名人 宮城出身

大島 蓉子(おおしま ようこ、本名:大場 陽子、1953年1月22日 - )は、日本の女優、タレント。宮城県古川市(現在の大崎市)出身。血液型はAB型。身長168.5cm。青年座映画放送所属。 宮城…

大島 美幸(おおしま みゆき)
1980年1月13日生まれの有名人 栃木出身

大島 美幸(おおしま みゆき、1980年(昭和55年)1月13日 - )は、日本のお笑いタレント、女優。森三中のボケ担当。身長166cm。戸籍名は鈴木 美幸(すずき みゆき)で、旧姓は大島。栃木県大田…


大島 康明(おおしま やすあき)
1981年9月1日生まれの有名人 兵庫出身

大島 康明(おおしま やすあき、1981年9月1日 - )は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF、FW。 2005年、徳島ヴォルティスのJリーグ初ゴールを決…

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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「大島信雄」を素材として二次利用しています。

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