家永三郎の情報(いえながさぶろう) 歴史学者(日本史) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
家永 三郎さんについて調べます
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家永三郎と関係のある人
堀尾輝久: 堀尾の理論は、家永教科書裁判における原告家永三郎に勝訴をもたらした、東京地裁判決(1971年7月17日、通称杉本判決)に、理論的基礎を提供した。 植木枝盛: 戦後は家永三郎によって研究が進められた。 暉峻淑子: 左派の立場からマスコミで資本制批判、家永三郎教科書裁判支援などで発言してきた。 広岡守穂: 研究者としては日本政治思想史専攻としてスタートし、助手時代は同じく1978年に中央大学法学部に着任した家永三郎(東京教育大学名誉教授)の下で助手論文を執筆した。 松浦総三: 改造社の編集者を経て、家永三郎らと発行した「東京大空襲・戦災誌」で菊池寛賞。 武田清子: 武田清子 著、家永三郎教授東京教育大学退官記念論集刊行委員会 編『日本思想史の方法-宗教思想を軸に』三省堂、1979年6月。 宇多田ヒカル: 開高健、宮沢賢治、中上健次、芥川龍之介、川端康成、森鷗外、夏目漱石、三島由紀夫、稲垣足穂、谷崎潤一郎、埴谷雄高、大岡昇平、遠藤周作、ヘルマン・ヘッセ、オスカー・ワイルド、アン・クラーク・アモール、シェル・シルヴァスタイン、エドガー・アラン・ポー、エリ・ヴィーゼル、F・スコット・フィッツジェラルド、ジョージ・オーウェル、ダニエル・キイス、司馬遼太郎、アンリ・ベルクソン、ロアルド・ダール、田村隆一、J・D・サリンジャー、有吉佐和子、家永三郎、ゲーテ、中西進、白洲正子、エリザベット・バダンテール、中原中也など。 南原繁: 南原繁』 (家永三郎責任編集、日本図書センター、1994年) ISBN 4820571540 清沢洌: 『正木ひろし・清沢洌』家永三郎責任編集、日本図書センター〈日本平和論大系 12〉、1994年4月。 大江志乃夫: 『東京教育大学たたかいの記録 1962 - 1970年』(家永三郎、法政大学出版局) 1971 市川房枝: 鈴木安蔵、家永三郎、暉峻衆三、飯田清悦郎、樋口恵子、冠地俊生、内山正熊、松浦総三 ほか『占領と再生』 1巻、汐文社〈昭和の戦後史〉、1976年。 暉峻淑子: 『なぜ教科書裁判をたたかったのか ドキュメント戦後史』家永三郎共著 1994 岩波ブックレット 日高六郎: 家永三郎編『現代日本思想大系. 第3』(筑摩書房、1965年) 皆川達夫: 村川堅太郎、林健太郎、家永三郎、渡辺一夫、辻荘一(非常勤講師)などの講義を受ける。 村井資長: 会員には上智大学長ヨゼフ・ピタウ、評論家松浦総三、元ルーテル神学大学長岸千年、東京神学校校長尾山令仁、矯風会会頭谷川和子、参議院議員市川房枝、学者家永三郎、隅谷三喜男、映画監督岡本愛彦、作家吉原公一郎、牧師森山諭らが名を連ねた。 中井啓輔: 日本の戦後 第6回「くにのあゆみ 戦後教育の幕あき」(1977年、NHK特集) - 家永三郎 田中卓: なお、教科書の検定問題について、前年の1966年4月、当時教科書検定訴訟を起こしていた東京教育大学教授家永三郎と、日本テレビの番組「未来への行進」にて討論をした。 加藤陽子: 他方で、韓国史学会会長のキム・ドゥクジュンは、家永三郎と比較した上で、加藤の研究について、植民地の問題を十分に論じておらず、日本の侵略を正当化していると批判している。 武田清子: 家永三郎 著、武田清子 編『日本思想史に於ける否定の論理の発達』 10巻、新泉社〈叢書名著の復興〉、1969年9月。 |
家永三郎の情報まとめ
家永 三郎(いえなが さぶろう)さんの誕生日は1913年9月3日です。愛知出身の歴史学者(日本史)のようです。
父親、母親、結婚、卒業、事件に関する情報もありますね。2002年に亡くなられているようです。
家永三郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)家永 三郎(いえなが さぶろう、1913年9月3日 - 2002年11月29日)は、日本の歴史学者。専門は思想史(日本思想)。学位は文学博士(東京大学)。東京教育大学名誉教授。甥に歴史学者の家永遵嗣がいる。 1913年(大正2年)愛知県名古屋市生まれ。父親は後に陸軍少将となった家永直太郎。 母親は居藤千代 幼少期は陸軍将校だった父親の転勤に伴い大阪や九州で過ごし、父親が予備役入りした後、大正10年に東京に移った。 妻の家永美夜子は、社会学者で東北大学名誉教授の新明正道の長女であり、1944年11月に結婚し、1945年8月15日の終戦時は仙台へ疎開していた。 1934年 東京高等学校卒業。 1937年 東京帝国大学文学部国史学科卒業。 1948年6月11日 日本学士院より恩賜賞受賞。研究題目『上代倭絵全史』『上代倭絵年表』。授賞式では宮内府長官・文部大臣より祝辞を受けた 1950年 文学博士(東京大学:学位論文。 1938年10月31日 教学局日本文化大観編纂助手嘱託 1941年1月31日 教学局日本文化大観編纂助手解嘱 1943年3月20日 国民精神文化研究所教員研究科高等教員研究科修了 国民精神文化研究所の機関誌『国民精神文化』第九巻第二号によると、1月11日から3月20日までの課程修了者29人の1人。クラスの科目は、「皇国の道」(紀平正美)、「皇国哲理」(佐藤通次)、「国体と政治」(大串兎代夫)、「大東亜教育論」(伏見猛弥)など。なお、文部省発令事項の東京教育大学が作成した正規の年譜からは削除している。国民精神文化研究所の歴史部門責任者の東京高師の長老松本彦次郎に知られ、東京高師へ栄転。 1937年 東京帝大文学部史料編纂所嘱託。史料編纂所では大日本史料の校正を担当、上代思想史・芸術史に関する論文を執筆。 1941年 史料編纂所退官、旧制新潟高校専任講師。数か月後同教授。 1943年 帝国学士院嘱託、美濃部達吉の主宰する「帝室制度史」編纂事務にあたった。 1944年 東京高等師範学校教授。 1946年 文部省教科書編纂委員嘱託、歴史教科書「くにのあゆみ」執筆。 1949年 東京教育大学文学部史学科教授(新制大学制度に伴う大学組織変更に伴う)。
1977年 東京教育大学定年退官、中央大学法学部教授に就任。 1984年 中央大学定年退職。 東京教育大学では文学部の人事権の「民主化」と教授会の創設に尽力した。 教育二法の制定(1954年)などを「歴史教育の逆コース化」であるとして批判し、その反対運動に参加。 東大ポポロ事件を巡り、松川事件を取り上げる演劇を監視していた私服警官に暴行を加えた学生に対して大学自治を理由に無罪判決を下した1954年第一審判決を支持。 1959年 東京都教組勤務評価反対裁判に証人として出廷、東京教育大学への不法捜査に対しては警察庁に抗議をおこなった。 1963年 キャンパスの敷地の狭隘さを理由として三輪知雄学長により提案された東京教育大学の筑波移転計画を巡っては、教育学部、理学部、農学部、体育学部が賛成する一方で、家永をはじめとする文学部は人文科学の研究・教育にとっては史料が豊富にある東京に残ることが必須であると主張し強く反対。 1967年 長期にわたる議論を経ても合意に至らず、東京教育大学評議会は筑波における土地取得を開始。 1968年 筑波移転に反対する文学部自治会の所属学生が校舎と大学本部のある本館を占拠するなど紛争が激化。自治会学生たちは教授陣はすべて権力側であるとみなし、移転反対派の家永に対しても団交などで激しい罵声を浴びせた。 1969年 宮島竜興学長事務取扱(学長代行)が機動隊の入構を許可し学生を排除、家永はこれをクーデターであると批判。 1969年9月 文学部が授業を再開しようとしたところ学長は学生のキャンパス入構を拒否、学生による学長に対する提訴により執行停止。 1970年 同大学評議会は、文学部の教授・助教授・専任講師の人事権に制限を加え、筑波移転に賛同しない者の採用を停止。元文学部長の星野慎一、前文学部長の入江勇起男、および家永の3人の文学部教授の辞職を文学部教授会に要求したが、文学部教授会はこれを拒否した。家永は筑波移転問題を「反動文教政策」の一環であると述べており、教授陣による自治的な大学の運営体制から学長を中心とした中央集権的な運営に移管させること、政府および財界が大学への介入をもくろんでいたことが原因であると主張している。 1973年 筑波大学設置法が制定、筑波移転が正式決定。家永は筑波大学について「きわめて非民主的な、従来の国立大学とは全く異質」な大学であると述べている。筑波移転と改組に伴い文学部の学生募集が停止、家永の定年退官である1977年には同学部定員がほぼゼロとなっていた。 1955年 自身が執筆した高校歴史教科書「新日本史」の再訂版の検定合格条件を巡り文部省と対立。 1957年 第三版が検定不合格となり文部省に抗議書を提出した。 1963年 「新日本史」第五版が一旦検定不合格、翌1964年に条件付きで合格。この際に300余りの修正意見が付された。教科用図書検定制度に対する反対意見を強める。 1965年 教科書検定違憲訴訟を提起。 1967年 「新日本史」が再び不合格となると検定不合格の取り消しを求める訴訟を提起。 1978年に発足した反統一教会団体「原理運動を憂慮する会」の呼びかけ人に名を連ねる。 当初の専攻は日本古代思想史であり、特に仏教思想史研究で成果をあげたが、次第に研究領域を広げ、後半生では反権力的姿勢を強め、その立場からの社会的発言をおこなったほか、植木枝盛・美濃部達吉・津田左右吉・田辺元など、同様の傾向を持った近代思想家に対する共感を込めた研究や第二次世界大戦に関する反省からの思想史的アプローチを試みた論著を多く発表した。中でも『太平洋戦争』は広く読まれ、大きな影響力を持ったが、「朝鮮戦争」(アメリカの侵略による)と記す。 家永の活動は表現の自由を求める運動として海外において評価され、2001年に、日本の国会議員・大学教授83名のほか、中国、韓国、アメリカ、カナダ、EUの14名の閣僚・国会議員、ノーム・チョムスキーやハーバート・ビックス、ブルース・カミングス、ジョン・W・ダワー、イマニュエル・ウォーラステイン、鄭在貞等144名の学者によって、ノーベル平和賞候補者に推薦されるも、2002年に家永が死亡し実現しなかった。 家永の蔵書の大部分(約12,000点)は、遺族の希望に基づいて松永昌三らが整理し、天津市にある南開大学の日本研究所に寄贈された。また、家永が『植木枝盛研究』(岩波書店)等の執筆に際して蒐集した明治期の出版物を中心とする文献資料は、町田市立自由民権資料館に寄贈され、それぞれ「家永三郎文庫」と命名されている。 (2)仏教思想史論 (3)道徳思想史論 (4)近代思想史論 (5)思想家論1 (6)思想家論2 (7)思想家論3 (8)裁判批判 教科書検定論 (9)法史論 (10)学問の自由 大学自治論 (11)芸術思想史論 (12)評論1 十五年戦争 (13)評論2 裁判問題 (14)評論3 歴史教育・教科書裁判 (15)評論4 大学問題・時評 (16)自伝 全集にすると50巻にもなるため、高価すぎて売れないと岩波書店は判断し、代表作のみの出版とした。文庫・新書で版を重ねた「太平洋戦争」「戦争責任」「日本文化史」は最初から除外し、家永の了解を得て16巻にまとめた。その結果、恩賜賞の対象となった『上代倭絵全史』『上代倭絵年表』、『植木枝盛研究』や『津田左右吉の思想史的研究』は収載されなかった。16巻の著作目録は、すべてタイトルが掲載されている。16巻の『一歴史学者の歩み』は2003年に文庫本化された。 『日本思想史に於ける否定の理論の発達』(弘文堂、1935年) 『日本思想史に於ける宗教的自然観の展開』(斎藤書店、1942年) 『上代倭絵全史』(高桐書院、1946年)学士院恩賜賞受賞 『上代仏教思想史』(畝傍書房、1947年) 『新日本史』(冨山房、1947年) 『日本思想史の諸問題』(斎藤書店、1948年) 『新しい日本の歴史』(毎日新聞社、1950年) 『新国史概説』(富士書店、1950年) 『中世仏教思想史研究』(法藏館、1952年) 『新日本史』(三省堂、1952年 - 1994年) 『上宮聖徳法王帝説の研究』(三省堂、1953年) 『外来文化摂取史論:近代西洋文化摂取の思想的考察』(岩崎書店、1953年) 『歴史の危機に面して』(東京大学出版会、1954年) 『革命思想の先駆者:植木枝盛の人と思想』(岩波書店、1955年) 『日本の近代史学』(日本評論新社、1957年) 『植木枝盛研究』(岩波書店 1960年8月)ISBN 4000001590 『近代日本の思想家』(有信堂、1962年) 『大学の自由の歴史』(塙書房、1962年) 『司法権独立の歴史的考察』(日本評論新社、1962年) 『美濃部達吉の思想史的研究』(岩波書店、1964年) 『権力悪とのたたかい 正木ひろしの思想活動』(弘文堂、1964年) 『教科書検定:教育をゆがめる教育行政』(日本評論社、1965年) 『新講日本史』(三省堂、1967年7月) 『近代日本の争点』(毎日新聞社、1967年) 『日本近代憲法思想史研究』(岩波書店、1967年) 『太平洋戦争』(岩波書店、1968年) 『教育裁判と抵抗の思想』(三省堂、1969年) 『津田左右吉の思想史的研究』(岩波書店、1972年) 『田辺元の思想史的研究:戦争と哲学者』(法政大学出版局、1974年) 『検定不合格日本史』(三一書房、1974年) 『日本人の洋服観の変遷』(ドメス出版、1976年) 『東京教育大学文学部:栄光と受難の三十年』(現代史出版会/徳間書店、1978年2月) 『歴史と責任』(中央大学出版部、1979年) 『猿楽能の思想史的考察』(法政大学出版局、1980年4月) 『親鸞を語る』(三省堂、1980年6月) 『戦争と教育をめぐって』(法政大学出版局、1981年4月) 『「密室」検定の記録』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、1983年1月) 『刀差す身の情なさ―家永三郎論文創作集』 (中央大学出版部、1985年) 『戦争責任』(岩波書店、1985年7月)ISBN 4-00-001167-7 『太平洋戦争 第2版』(岩波書店、1986年11月)ISBN 4-00-004536-9 『日本思想史学の方法』(名著刊行会、1993年3月) 『真城子』(民衆社、1996年)ISBN 4-8383-0519-2 『一歴史学者の歩み』(岩波書店、2003年5月16日)ISBN 4006030797 『日本古典文学大系 日本書紀』(井上光貞、坂本太郎らとの共編) 『日本平和論体系』 『絵巻物文献目録』(1951年) 『明治前期の憲法構想』(福村出版、1967年) 『海南新誌・土陽雑誌・土陽新聞』(弘隆社、1983年6月) 『大津事件日誌』(平凡社、1989年2月)ISBN 4-582-80187-0 「戦後日本の裁判例に現われた法思想の動向」『法哲学年報(1969)』(1970年) 家永教科書裁判 歴史教科書問題 家永遵嗣(甥・学習院大学文学部史学科教授) 日本における検閲 ^ この父親について、『朝日新聞』は家永三郎が死去した際の追悼記事(2002年12月2日付。高橋庄太郎記者による署名記事)で「陸軍将官」と表記していたが、4日付けの訂正記事では「陸軍軍人」の誤りであったとしている。この追悼記事では「父親に先立たれた家永が、貧しい生活の中で学問に打ち込んだ」と書かれていたが、直太郎が死んだのは家永が35歳のときであり、史料編纂所に勤務して2年が経過していた。また、陸軍少将の恩給は直太郎が死ぬまで月額240円前後が支給されていた。このエピソードを紹介した秦郁彦は、「貧しい」とは言いかねるのではないかと指摘し、この「訂正」記事を「イメージ作りのための曲筆ではないか」と見ている。 ^ 『太平洋戦争』第2版では「朝鮮戦争開始、在日米軍基地、攻撃の拠点となる」との記載 ^ 教育勅語は1948年に国会本会議で排除・失効決議がされたが、1946年10月からGHQの意向によって公教育における教育勅語の奉読が禁止され始めていた。 ^ 『展望』1965年10月号 吉本隆明「わたしたちが山田宗睦の著書や、この著書におおげさな推薦の辞をよせている市民民主主義者や進歩主義者の心情から理解できるのは、じぶんたちがゆるく結んでいる連帯の人的なつながりや党派的なつながりが崩壊するのではないか、孤立しつつあるのではないかという深い危機感をかれらが抱きはじめているということだけである。そして、かれらの党派を崩壊させるような言葉をマスコミのなかでふりまいているようにみえる文学者、政治学者、経済学者を告発しよういうわけだ。」 ^ 博士論文. ^ 秦郁彦 『現代史の対決』 文春文庫 [は-7-7] ISBN 416745307X、208-209p ^ 「人間の記録 35巻 家永三郎」(日本図書センター 1997年) ^ 東京高等学校編『東京高等学校一覧 第17(昭和17年4月-18年3月)』東京高等学校、1942年、p.166 ^ 『東京帝国大学卒業生氏名録』東京帝国大学、1939年、p.341 ^ 恩賜賞・日本学士院賞・日本学士院エジンバラ公賞授賞一覧 第31回 (昭和16年) ~ 第40回 (昭和25年)(日本学士院) - ウェイバックマシン(2017年8月24日アーカイブ分) ^ 日本学士院紀要6巻2・3号 pp10 -12 ^ 家永三郎『主として文献に拠る上代倭絵の文化史的研究』 東京大学〈文学博士 報告番号不明〉、1950年。 NAID 500000491132。 ^ 秦郁彦『現代史の争点』 文藝春秋 ISBN 978-4163540603、149p ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 78頁。 ^ 本間てる子『秋田の母ちゃん統一協会とわたりあう』かもがわ出版、2003年。ISBN 4876997691 p103 ^ 家永三郎 『太平洋戦争』第2版(岩波書店、第1刷1986年、確認は第20刷2000年発行)p446 巻末の「牽引をかねた略年表」 ^ 家永三郎 『太平洋戦争』(岩波書店、1968年)巻末牽引 ^ Jonathan Watts(2002) Saburo Ienaga: One man's campaign against Japanese censorship. The Guardian, 3 December 2002 (ジョナサン・ワッツ(2002)家永三郎:ある男の日本の検閲制度への反対運動 2002年12月3日付ガーディアン紙) ^ 日本歴史学会編纂『日本歴史』2015年1月号、吉川弘文館 ^ 町田市立自由民権資料館(編)「「家永三郎文庫」史料目録(書籍・雑誌)」『自由民権:町田市立自由民権資料館紀要』第18号、2005年、46-73頁、ISSN 0913-8951。 ^ 『家永三郎集』16 pp.104-105 ^ 『家永三郎集』16 pp.108-123 ^ “「教科書裁判は「思想的作品」 歴史学者・家永三郎さんを悼む」”. 朝日新聞夕刊. (2002年12月10日). 2002-12-10 ^ 家永三郎 『戦争責任』 岩波現代文庫 S50 ISBN 4006030509、344-345p。この他、同書406pでは「中国の抑留は、受刑者の内面的反省を導き出した生産的なもの」という記述もある。 ^ 平川祐弘 『日本人に生まれて、まあよかった』 新潮新書 569 ISBN 978-4106105692、89p ^ 稲垣武 『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』 文春文庫 ISBN 4167365049、500p ^ 秦郁彦『現代史の争点』 文藝春秋 ISBN 978-4163540603、116p ^ 秦郁彦『現代史の争点』 文藝春秋 ISBN 978-4163540603、127p ^ 文藝春秋編 『「従軍慰安婦」 朝日新聞vs.文藝春秋』 文春新書 997 ISBN 978-4166609970、135-136p。当該部分の執筆は保阪正康。 ^ 室谷克実 『新・悪韓論 「ウリジナル」発生のメカニズム 渦中の首相も染まった史実無視の対日史観』 夕刊フジ 2015.04.23 ^ 高山正之 『変見自在 スーチー女史は善人か』 新潮文庫 [た-93-2] ISBN 978-4101345918、132-133p ^ 『諸君!』2003年3月号「46人に聞く まだ安全か、もう危険か 日本ナショナリズムの血圧を測る」 ^ 豊田有恒 『いい加減にしろ韓国 日本を嫉妬し、蔑む真の理由』 ノン・ブック 347 ISBN 4396103476、182p ^ 中央日報 2009年5月15日09時32分 「日本の良心」家永三郎氏、教科書歪曲と32年間闘争 [1] ^ 藤岡信勝 『汚辱の近現代史』 徳間文庫 [ふ-22-1] ISBN 4198915636、114-115p。この他奈良本辰也の名が挙げられているが、奈良本についてはこのような評は述べられていない。 ^ 林房雄 『大東亜戦争肯定論』 番町書房、1970年、606p ^ 林房雄 『大東亜戦争肯定論』 番町書房、1970年、606p ^ 竹内洋『革新幻想の戦後史』中央公論新社、2011年10月。ISBN 978-4-12-004300-0。 p326 ^ 秦郁彦『現代史の争点』 文藝春秋 ISBN 978-4163540603、112p ^ 秦郁彦 『現代史の争点』 文春文庫 [は-7-6] ISBN 4167453061、138-139p ^ 秦郁彦『現代史の争点』 文藝春秋 ISBN 978-4163540603、118p ^ 秦郁彦 『昭和史の謎を追う 下』 文春文庫 [は-7-5] ISBN 4167453053、441-445p ^ 秦郁彦『現代史の争点』 文藝春秋 ISBN 978-4163540603、120-121p ^ 秦郁彦『現代史の争点』 文藝春秋 ISBN 978-4163540603、147p ^ 『現代史の争点』(文藝春秋社1998) ^ 日垣隆 『現代日本の問題集』 講談社現代新書 1726 ISBN 406149726X、183p ^ 大倉山論集13号pp135-159,1978/3 ^ 歴史学研究391号pp60-65 ^ 兵頭高夫)1973, p. 162-168. ^ 『変節の知識人たち』(PHP研究所、1979年) ^ 『祖国再建⑦』諸君!2004年7月pp350-361, 『祖国再建・上』(青々企画、2006年)):家永教科書裁判に秘められた陥穽 ^ 稲垣武 『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』 文春文庫 [い-36-2] ISBN 4167365049、475-476p ^ 山住正己 『日本教育小史 近・現代』 岩波新書 黄版363 ISBN 4004203635、207-208p ^ 波多野澄雄 『国家と歴史 戦後日本の歴史問題』 中公新書 2137 ISBN 978-4121021373、131-132p ^ 家永三郎 『一歴史学者の歩み』 岩波現代文庫 S79 ISBN 4006030797、187-188p ^ 秦郁彦『現代史の争点』 文藝春秋 ISBN 978-4163540603、145p ^ 1993/03/18 読売新聞朝刊[2] ^ 家永三郎集(岩波書店) - ウェイバックマシン(2007年9月26日アーカイブ分) ^ 日本古書通信64(7)pp6-8 (1999.7) 木村時夫「津田左右吉博士小論-家永三郎氏の所説によせて-」『早稻田人文自然科學研究』第10巻、早稲田大学社会科学部学会、1973年2月、23-52頁、ISSN 0286-1275、NAID 120000793218。 兵頭高夫「家永三郎著「津田左右吉の思想史的研究」」『比較文學研究』第24号、すずさわ書店、1973年、162-168頁、ISSN 0437455X、NAID 40004693442、CRID 1523951029687123072。 (批判と反省)家永三郎「「関特演」の違法性」 - ウェイバックマシン(2010年1月1日アーカイブ分) 『家永三郎』 - コトバンク FAST ISNI VIAF WorldCat ノルウェー フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ ラトビア 日本 チェコ オーストラリア 韓国 オランダ ポーランド CiNii Books CiNii Research Trove(オーストラリア)
IdRef 日本思想史家 日本近現代思想史家 日本近現代史学者 日本の歴史学者 20世紀日本の歴史家 中央大学の教員 東京教育大学の教員 東京高等師範学校の教員 新潟大学の教員 国民精神文化研究所の人物 東京大学出身の人物 旧制東京高等学校出身の人物 歴史教科書問題 文学博士取得者 日本学士院賞受賞者 名古屋市出身の人物 1913年生 2002年没 ISBNマジックリンクを使用しているページ 2024/11/21 05:03更新
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ienaga saburou
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