岡崎久彦の情報(おかざきひさひこ) 外交官 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
岡崎 久彦さんについて調べます
■名前・氏名 |
岡崎久彦と関係のある人
小島朋之: (稲垣武・西岡力・渡辺利夫・岡崎久彦・田久保忠衛) 『アジアは油断大敵! 北朝鮮、香港、中国…動乱のシナリオを読む』 (PHP研究所、1997年) 大木浩: 岡崎久彦(駐タイ大使、駐サウジアラビア大使、外交評論家) 板垣正: 三宅久之(代表発起人)、長谷川三千子、金美齢、津川雅彦、板垣正、鳥居泰彦、大原康男、中西輝政、岡崎久彦、西鋭夫、小田村四郎、加瀬英明、百田尚樹、日下公人、平川祐弘、小林正、小堀桂一郎、福田逸、佐々淳行、すぎやまこういち、百地章、石平、渡部昇一、竹本忠雄、山本學、田母神俊雄、屋山太郎、奥田瑛二。 江畑謙介: 渡辺利夫、岡崎久彦、中嶋嶺雄、小島朋之との共著『「台湾問題」の先にある日本の危機:緊急提言田中真紀子外相に捧ぐ』(ビジネス社、2001年) 藤井厳喜: 1999年、岡崎久彦、安倍晋三、西村眞悟らの協力を得て、日米保守会議を創設。 森喜朗: ただし、岡崎久彦のように「ゴルフであと三ホール回ったから「資質」がないという。 金丸信: 外交官、外交評論家の岡崎久彦は「捕まった時に秘書や側近に罪を着せようとしなかった」という理由で金丸を評価しているという。 坂本多加雄: 岡崎久彦、北岡伸一『日本人の歴史観 黒船来航から集団的自衛権まで』文藝春秋〈文春新書〉、2015年9月。 内田康哉: その生涯について、外交評論家で元タイ大使の岡崎久彦は「彼についての記録から彼の思想信念を知ることは難しい。 秦郁彦: 昭和天皇が靖国神社に参拝しないようになった理由は「A級戦犯合祀」であると主張して、首相・三木武夫の「私的参拝発言」原因説を唱える岡崎久彦、渡部昇一、櫻井よしこらを『諸君!』誌上や産経新聞「正論」欄で批判している。 山本學: 三宅久之(代表発起人)、長谷川三千子、金美齢、津川雅彦、板垣正、鳥居泰彦、大原康男、中西輝政、岡崎久彦、西鋭夫、小田村四郎、加瀬英明、百田尚樹、日下公人、平川祐弘、小林正、小堀桂一郎、福田逸、佐々淳行、すぎやまこういち、百地章、石平、渡部昇一、竹本忠雄、山本學、田母神俊雄、屋山太郎、奥田瑛二。 西岡力: 渡辺利夫、岡崎久彦、小島朋之、田久保忠衛、稲垣武『アジアは油断大敵!―北朝鮮、香港、中国…動乱のシナリオを読む』(PHP研究所、1997年)ISBN 978-4569556796 加藤紘一: 1990~1991年の湾岸戦争時、米国ハワイで開かれたシンポジウムで「日本人を危険に曝すことはできない」旨を発言し、同席した岡崎久彦が聞き咎めて、休憩時間に注意した。 永井陽之助: 核時代の権力政治という状況への注目から、いわゆる非武装中立主義だけでなくタカ派に対しても批判的であり、1980年代前半の米ソが厳しい対立状態にあった「新冷戦」期には、岡崎久彦らを軍事力を行使可能な手段として過大視する「軍事的リアリスト」として批判、一方で軽武装・経済重視の戦後日本外交を「吉田ドクトリン」と名づけ高く評価し、岡崎との間に「政治的リアリスト―軍事的リアリスト」論争を展開した。 小島朋之: (渡辺利夫・江畑謙介・岡崎久彦・中嶋嶺雄)『「台湾問題」の先にある日本の危機――緊急提言田中真紀子外相に捧ぐ』(ビジネス社、2001年) 椎名素夫: 元駐タイ大使・外交評論家の岡崎久彦とは旧制高校(旧制府立高校)の同級生。 櫻田淳: 山崎正和・五百旗頭眞・岡崎久彦など親米現実主義者の系譜にあることを自負し、ジョセフ・ナイに倣ってタカ派でもハト派でもない、外交を重視する「フクロウ派」を自認している。 葉千栄: また岡崎久彦など、右派とみなされる人物の出演も多かった。 藍川由美: (岡崎久彦・蔡焜燦・遠藤浩一・藍川由美・福田逸・高島俊男・桶谷秀昭・稲田朋美・鷲尾英一郎・小堀桂一郎・笹原宏之・松本徹・市村真一・早川聞多・土田龍太郎)『今昔秀歌百撰』(特定非営利活動法人文字文化協會 2012年) 古森義久: 岡崎久彦との共著『アメリカン・ショック:日g圧本に残された時間は、あと2年!』(ビジネス社、2002年) |
岡崎久彦の情報まとめ
岡崎 久彦(おかざき ひさひこ)さんの誕生日は1930年4月8日です。旧 中国出身の外交官のようです。
卒業、事件、解散、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2014年に亡くなられているようです。
岡崎久彦のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)岡崎 久彦(おかざき ひさひこ、1930年〈昭和5年〉4月8日 - 2014年〈平成26年〉10月26日)は、日本の外交官、評論家。位階は従三位。サウジアラビアとタイ王国で特命全権大使を歴任し、また外務省で情報調査局長を務めた。祖父の岡崎邦輔は、陸奥宗光の従弟にあたる。 関東州・大連生まれ。白金小学校、旧制府立高等学校を経て、東京大学法学部入学。東大法学部在学中に外交官試験合格。大学を中退し、外務省に入省。八木秀次によれば、岡崎は卒業証書は小学校のものしか持っておらず、その後は大学まですべて「飛び級」だったという。岡崎邦輔は祖父。 外務省ではケンブリッジ大学での英語研修を皮切りに、在外で在フィリピン大使館、在フランス大使館、在米国大使館、在韓国大使館に駐在し、本省では国際連合局に勤務する。課長就任後は、調査企画部の分析課長、調査課長、調査室長、さらに調査企画部長、情報調査局長と、情報部門の幹部を歴任する。駐タイ大使を経て1992年に退官。外交評論家として活動する。 外務省在職中から執筆活動を行い、外務省の論客として知られた。1977年、長坂覚のペンネームで著した『隣の国で考えたこと』で日本エッセイストクラブ賞受賞。 1981年、『国家と情報』でサントリー学芸賞を受賞。1995年、第11回正論大賞受賞。“アングロサクソンとの協調こそが日本の国益とアジアの平和につながる”と一貫して主張。また、自ら本を出すなど気功に傾倒していた。また、祖父が陸奥宗光の従弟にあたる政党政治家ということから「陸奥宗光」などでは戦前デモクラシーに関しても多く取り上げている。 イラク戦争では、開戦前の2003年2月19日に採択した日本国際フォーラムの「イラク問題について米国の立場と行動を支持する声明」に名を連ねていた。3月19日の開戦後、米国をいち早く支持した小泉首相を絶賛し、「日本が唯一指針とすべき事は、評論家的な善悪是非の論ではなく、日本の国家と国民の安全と繁栄である。」と主張した。また、著書の中で「極東軍事裁判以来、歴史を論じる時には歴史的事件の当事者の善悪、責任を論じるのが習慣のようになっているが、そんなことばかりしていると是非の論争にこだわって歴史の真実を見失ってしまう恐れがある。歴史は流れであり、その流れの中で戦争も平和も起こる」と述べている。 安保騒動後に全日本学生自治会総連合(全学連)で反対運動をしていた人間と話した際「お前たちのような教育のある人間がどうしてああいうことをするんだ。大学に行っているインテリがどうして安保反対など言うんだ」と聞いて「あの時の雰囲気がわからない人に話してもわかりませんよ」と返され「雰囲気とは何だ。お前インテリだろう。雰囲気だけで動くのか」と問い詰めたことがあるという。 新しい歴史教科書をつくる会賛同者(のち日本教育再生機構顧問)、日本李登輝友の会副会長、歴史事実委員会会員を務める等の政治運動でも知られた。 「何十年の経験を誇るプロでも、一年間情勢の変化から目をそらしていると、その一年情勢をフォローしてきた駆け出しの現場の人間より判断が劣ることがある。」とする一方で、米英などのイラク戦争を支持した東大教授の田中明彦、北岡伸一の発言を受けて、「昔は重大な国際的国内的政治問題が起こると、新聞は社会面に東大の政治学の教授の意見を掲載し、国民は「ああ、そういうことなのか」と啓発されたものである。その後、東大法学部は長い間左傾して権威を失墜して、誰もその発言を顧みなくなっていたが、そういう時代も終わっている。本来なら、この二教授の発言でこの論争は決着している」とも述べている。 2012年秋の叙勲で瑞宝重光章受章。同年9月に行われた自由民主党総裁選挙の際は、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」発起人に名を連ねた。 核拡散防止条約調印後の1969年2月に、外務省の課長級(当時分析課長だった本人、国際資料室の鈴木孝、調査課長村田良平)が西ドイツ外務省のエゴン・バール政策企画部長、ペア・フィッシャー参事官、クラウス・ブレヒ参事官を箱根の旅館に招いて、核保有の可能性を探る非公式会合に参加。 2014年10月26日、東京都内の病院で死去。84歳没。死因は非公表。夫人によると敗血症から来る肺機能の低下が致命的だったという。叙従三位。岡崎が多く寄稿した産経新聞ではその訃報を10月28日付朝刊の一面に掲載し、五面掲載の評伝では文化部編集委員・桑原聡が「エレガントなサムライ」「教えを請いたくなるようなオーラがあった」と評した。墓所は和歌山市護念寺。 岡崎久彦の遺著『国際情勢判断・半世紀』巻末に略年譜が収録されている。 1930年 関東州・大連生まれ 1949年 府立高等学校卒業、東京大学法学部入学 1953年 ケンブリッジ大学経済学部入学 1954年 同卒業 1956年 同大学院経済学研究科修士課程修了 1952年 外交官試験に合格して外務省入省(欧米局第三課) 1953年 英語研修(ケンブリッジ大学) 1956年 国際協力局第一課 1958年 国際連合局政治課 1960年 在フィリピン大使館三等書記官 1962年 在フランス日本国大使館二等書記官 1965年 国際連合局政治課 1966年 大臣官房国際資料部資料課長 1967年 同分析課長 1969年 同調査課長 1971年 在米国大使館参事官 1973年 在大韓民国日本国大使館参事官 1976年 中近東アフリカ局外務参事官 1978年 防衛庁参事官(国際関係担当) 1981年 在アメリカ合衆国日本国大使館公使(ハーバード大学研究員) 1982年 調査企画部長 1984年 情報調査局長(初代)、駐サウジアラビア日本国特命全権大使(10月-) 1988年 駐タイ日本国特命大使 1992年 外務省退官 2002年 岡崎研究所創設 2007年 安倍晋三首相の日本の集団的自衛権保持の可能性について考える私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」有識者委員(4月- 会は2008年6月24日の最終報告書提出で解散するが2013年の第二次安倍内閣で再結成、この時も委員に就任) 村田良平(駐独大使、駐米大使、外務事務次官) 大木浩(環境大臣、環境庁長官、自民党参議院議員、ホノルル総領事) 松村正義(帝京大学教授、ニューヨーク領事) 岡崎研究所理事長、所長 博報堂特別顧問 千代田化工建設特別顧問 松下政経塾顧問 防衛法学会顧問 日本教育再生機構顧問 上野学園理事 國語問題協議會理事 国際経済政策調査会理事 日本財団評議員 博報児童教育振興会(現・博報堂教育財団)評議員 中東調査会評議員 日本国際フォーラム評議員 日本戦略研究フォーラム副理事長 国際生命情報科学会特別顧問 平河総合戦略研究所相談役 2006年8月24日の産経新聞朝刊「正論」欄に「遊就館から未熟な反米史観を廃せ」と題した記事を掲載。この記事で、遊就館の展示説明の論理性を求めている。主張の内容は遊就館の展示中にある、「アメリカが不況の脱却のために資源の乏しい日本を経済制裁により戦争に追い込み、これによりアメリカ経済は回復した」という旨の主張が不適切だというものである。また、この発言の影響から靖国神社は反米的な展示物の多数を一掃し、日本兵の手紙などに展示物を置き換えた。アメリカに関する記述以外(日中戦争・韓国・台湾植民地支配等)については記述内容を訂正しなかった(ただし、2012年の著書「二十一世紀をいかに生き抜くか」P162では、「支那事変の原因としてコミンテルンの反日工作しか記述がなかったので日本の北支工作を追加した」「たった四文字の追加ではあったが歴史の正しい認識に寄与したとひそかに自負している」と述べている)。 2006年8月25日の産経新聞記事によると、遊就館は同年4月より展示の当該部分の修正を検討し、7月から内容の見直し作業に入ったとしている。この動きについて岡崎は、「早急に良心的な対応をしていただき感動している」とコメントしている。 アメリカ下院国際関係委員会委員長であるヘンリー・ハイド(英語版)共和党議員も2006年9月14日の同委員会公聴会で遊就館の展示内容を日本を西洋帝国主義からの解放者のように教えるものとして批判している。ラントス筆頭委員は、日本国首相による靖国神社参拝の中止を求めた。同下院委員会(ハイド委員長)は前日の2006年9月13日にも、慰安婦問題対日決議を採択している。 西尾幹二は、委員長発言を「岡崎久彦が「正論」コラムで先走って書いたテーマとぴったり一致している。やっぱりアメリカの悪意ある対日非難に彼が口裏を合わせ、同一歩調をとっていたというのはただの憶測ではなく、ほぼ事実であったことがあらためて確認されたといってよいだろう」と「媚米反日」として批判している。 富田メモについて、「本物であるはずがない」「昭和史の基礎的な知識があれば(富田メモに)信憑性があると考えるはずがない」と主張している。死後に出版された回顧録では、1.昭和天皇は「ですます」調の言葉は使わない、2.昭和63年頃の証言だけで、その前の証言が何十年、一切ないのも不自然、3.千代の富士が連勝を続けていた昭和63年の七月場所か九月場所の頃、(相撲が大好きな昭和天皇が)「もう相撲はご覧になっていない」と宮内庁の人間に聞いたことから、あの頃の証言の記録は少し怪しい、ことを根拠として挙げている。 慰安婦問題に関するアメリカ下院での決議案に異を唱えている。慰安婦は売春婦であったが、性奴隷・性的搾取などは事実でないと考え、歴史事実委員会名義でワシントン・ポストに掲載された反論のための全面広告「THE FACTS」にも賛同者として名を連ねた。 2007年5月14日の産経新聞朝刊「正論」欄への寄稿において、「慰安婦制度が女性の尊厳を傷つける人権違反の行為であったことに謝罪するのが正しいというのが昨今の道徳的基準である」と述べた。 西尾幹二が『新しい歴史教科書』に記したアメリカ批判の文章を当人に無断で削り、親米色に替えたことはつとに知られる。『中央公論』『Voice』で岡崎は第二版で完成の域に達したのは自分の削除のおかげだ、というような自画自賛のことばを、海外にまで伝わるように列ねた。 小林よしのりは、岡崎の第二版『新しい歴史教科書』書きかえを厳しく批判し、その中でも、原爆投下が「日本のせい」というアメリカの言い分に近づけた内容に変質していることを指摘している。 西尾幹二は初版と第二版を対照し、岡崎の記述が「不自然なまでにアメリカの立場に立っている」という。 古来、軍事バランスなくして戦略はあり得ません。相手の方が明らかに強い時、同じ位で戦ってみなければどっちが勝つかわからない時、相手の方が明らかに弱い時、それぞれの場合で戦略戦術が異なってくるのは、子供でもわかる話です。 国際情勢判断というものは、客観的な事実の認識であって、そんなに伸び縮みがきくものではない。 日本をとりまく国際情勢の力関係を考えれば、ソ連と米国という二つの強大な力を持つ国の間にあって、しかも戦略的に高い重要性を有する日本のような国にとっては、生存と平和を維持するためだけでも、どちらかの力と協力し、他の力を抑止する以外に方法がない。 アメリカの世論というものは二十世紀の国際政治における与件と考えるべきものです。 私の戦略論は、日本が置かれている客観的な状況の中で、いかにして日本民族の安全と繁栄を維持するかということであって、それを考える側の個人的な経験や主観は、これとは全く無関係な話。 戦略が良ければ、戦術の失敗は挽回できますが、戦略が悪いと戦術的に成功すればするほど傷が深くなります。 全ての戦略の基礎には、良質の情報と正確な情勢判断があります。 米国と協力しようとしまいと、それは日本が自然権を行使できる自然体の国家となれば、自分で国益に基づいて判断することです。そして結論は日米同盟の維持となることは十分想定できます。それなのに、自分で自分の手を縛っておきながら、自らを責めず、よその国-日本の重要な同盟国-に恨み言を言い、楯ついてみせて主体性を求めるという惨めなことになっているのが現状です。 1980年という年を採って、この段階で、中国、韓国、日本のメディアをみても、現在のような歴史認識問題や過去の謝罪問題など出てきてはいない。 日米は一体となって交渉に当たるべきだ。(北朝鮮について)。 『緊張緩和外交』(日本国際問題研究所、1971年) 『隣の国で考えたこと』(長坂覚名義、日本経済新聞社、1977年/中公文庫、1983年)
『国家と情報――日本の外交戦略を求めて』(文藝春秋、1980年、新版2000年/文春文庫、1984年) 『戦略的思考とは何か』(中央公論社〈中公新書〉、1983年、改版2019年) 『情報・戦略論ノート』(PHP研究所、1984年/PHP文庫、1988年) 『米・中・ソの戦略構想と日本の羅針盤』(野田経済研究所、1985年) 『陸奥宗光 (上・下)』(PHP研究所、1987~1988年/PHP文庫、1990年) 『歴史と戦略について――情報・戦略論ノートPart2』(PHP研究所、1990年) 『繁栄と衰退と――オランダ史に日本が見える』(文藝春秋、1991年/文春文庫、1999年/土曜社、2016年) 『新しいアジアへの大戦略――日本発展のビジョン』(読売新聞社、1993年) 『国際情勢の見方』(新潮社、1994年) 『悔恨の世紀から希望の世紀へ』(PHP研究所、1994年) 『国際情勢判断――歴史の教訓・戦略の哲学』(PHP研究所、1996年) 『国家は誰が守るのか』(徳間書店、1997年) 『なぜ気功は効くのか』(海竜社、2000年/PHP文庫、2003年) シリーズ『外交官とその時代』(PHP研究所、1998~2002年/PHP文庫、2003年)
陸奥宗光 新装版2010年 幣原喜重郎 重光葵・東郷茂徳 吉田茂 『岡崎久彦自選集(1)アジアの中の日本』(徳間文庫 教養シリーズ、1998年) 『―(2)新「戦略的思考」 アングロ・サクソンとロシアの狭間で』(徳間文庫 教養シリーズ、1998年) 『自分の国を愛するということ――21世紀の日本の戦略的進路』(海竜社、1999年) 『情勢判断の鉄則――21世紀の世界と日本の選択』(PHP研究所、1999年) 『日本外交の分水嶺――日米韓体制が築くアジアの平和』(PHP研究所、2000年) 『日本は希望の新世紀を迎えられるか――悔恨の20世紀を越えて』(廣済堂出版、2000年) 『アジアにも半世紀の平和を――情報戦略論ノート1999‐2000』(PHP研究所、2001年) 『岡崎久彦の情報戦略のすべて』(PHP研究所、2002年) 『百年の遺産――日本の近代外交史73話』(産経新聞ニュースサービス、2002年/扶桑社文庫、2005年/改訂版・海竜社、2011年) 『日本外交の情報戦略』(PHP新書、2003年) 『どこで日本人の歴史観は歪んだのか』(海竜社、2003年) 『教養のすすめ――明治の知の巨人に学ぶ』(青春出版社、2005年) 『国家戦略からみた靖国問題――日本外交の正念場』(PHP新書、2005年) 『この国を守るための外交戦略』(PHP新書、2007年) 『台湾問題は日本問題』(海竜社、2008年) 『真の保守とは何か』(PHP新書、2010年) 『明治の外交力――陸奥宗光の『蹇蹇録』に学ぶ』(海竜社、2011年) 『二十一世紀をいかに生き抜くか――近代国際政治の潮流と日本』(PHP研究所、2012年) 『国際情勢判断 半世紀』(岡崎研究所編、育鵬社、2015年)- 遺著 (佐藤誠三郎・西村繁樹)『日米同盟と日本の戦略――アメリカを見誤ってはならない』(PHP研究所、1991年)ISBN 978-4569532295 (藤井昭彦・横田順子)『クーデターの政治学――政治の天才の国タイ』(中央公論社[中公新書]、1993年)ISBN 978-4121011497 (中嶋嶺雄)『日本にアジア戦略はあるのか――幻想の中国・有事の極東』(PHP研究所、1996年)ISBN 978-4569554181 (渡部昇一)『賢者は歴史に学ぶ――日本が「尊敬される国」となるために』(クレスト社、1997年/ザ・マサダ、2000年9月)ISBN 978-4877120528/ISBN 978-4883970353
(西岡力・渡辺利夫・小島朋之・田久保忠衛/取材構成・稲垣武)
(青木盛久)『人質-ペルー日本大使公邸の126日』(クレスト社、1997年9月)ISBN 978-4877120597 (長谷川慶太郎)『中国発の危機と日本――見えてきた中国の危うい未来』(徳間書店, 1998年)ISBN 978-4198608385 (ウィリアム・ペリー・小此木政夫・アレクサンドル・パノフ・朱建栄・康仁徳・ゴードン・フレーク)
(佐藤誠三郎)『日本の失敗と成功――近代160年の教訓』(扶桑社、2000年/扶桑社文庫、2003年)ISBN 978-4594029173/ISBN 978-4594041168 (渡部昇一)『国のつくり方――明治維新人物学』(致知出版社、2000年)ISBN 978-4884745929 (渡辺利夫・江畑謙介・中嶋嶺雄・小島朋之)
(渡部昇一・猪木正道・唐津一・西尾幹二・竹村健一・三浦朱門・西部邁・堺屋太一・加藤寛・田久保忠衛・曽野綾子・小堀桂一郎・石原慎太郎・上坂冬子)
(長谷川慶太郎・野口雅昭・達増拓也・柿沢弘治)『外務省の掟-徹底検証!外務省なんていらない』(ビジネス社、2001年10月)ISBN 978-4828409504 (阿川尚之)『対論・日本とアメリカ』(廣済堂出版、2002年)ISBN 978-4331508367 (古森義久)『アメリカン・ショック――日本に残された時間は、あと2年!』(ビジネス社、2002年)ISBN 978-4828409962 (安倍晋三)『この国を守る決意』(扶桑社、2004年)ISBN 978-4594043315 (渡部昇一)『明治の教訓 日本の気骨-明治維新人物学』(致知出版社、2005年7月)ISBN 978-4884747213 (上坂冬子・半藤一利・坂本多加雄・中西輝政・秦郁彦・伊原吉之助・御厨貴・松本健一・櫻田淳・小堀桂一郎・三浦朱門・入江隆則)
(船井幸雄)『気の力』(海竜社、2006年)ISBN 978-4759309331 (屋山太郎)『靖国問題と中国』(海竜社、2006年)ISBN 978-4759309386 (堺屋太一・渡部昇一・松田尚士)『こんな日本に誰がした』(2006年12月)ISBN 978-4594052850 (中西輝政)『国家の叡智――決断できないリーダーが国を過つ』(ビジネス社、2007年)ISBN 978-4828413655 (長谷川三千子)『【激論】日本の民主主義に将来はあるか』(海竜社、2012年) (岡崎久彦・蔡焜燦・遠藤浩一・藍川由美・福田逸・高島俊男・桶谷秀昭・稲田朋美・鷲尾英一郎・小堀桂一郎・笹原宏之・松本徹・市村真一・早川聞多・土田龍太郎)
(北岡伸一・坂本多加雄)『日本人の歴史観――黒船来航から集団的自衛権まで』(文春新書、2015年9月) 『歴史の教訓――日本外交・失敗の本質と21世紀の国家戦略』(PHP研究所、2005年)ISBN 978-4569643113 (猪口孝・粕谷一希・小島明)『文明としてのアメリカ(5)「アメリカの世紀」の盛衰』(日本経済新聞社、1984年)ISBN 978-4532093556 ハミルトン・フィッシュ『日米・開戦の悲劇――誰が第二次大戦を招いたのか』(PHP研究所、1985年/PHP文庫、1992年)ISBN 978-4569214870/ISBN 978-4569565163 ヘンリー・A・キッシンジャー『外交 (上・下)』(監訳・解説、日本経済新聞社、1996年)ISBN 978-4532161897/ISBN 978-4532161903 ^ “岡崎久彦プロフィール ”. 首相官邸ホームページ . 首相官邸 (2003年). 2019年12月29日閲覧。 ^ “外交評論家の岡崎久彦氏が死去 安倍首相のブレーン 第11回正論大賞受賞(1/2ページ)”. 産経ニュース. 産経新聞 (2014年10月27日). 2014年10月27日閲覧。 ^ 岡崎 2015, 第一部・第一章 岡崎家に生まれて. ^ 岡崎 2015, 岡崎久彦略年譜. ^ -第9回議事録 教育再生実行会議平成25年6月6日 ^ 岡崎研究所 ^ “外交評論家の岡崎久彦氏が死去 安倍首相のブレーン 第11回正論大賞受賞(2/2ページ)”. 産経ニュース. 産経新聞 (2014年10月27日). 2019年12月29日閲覧。 ^ 『産經新聞』2003年3月25日「正論」欄 ^ 『重光・東郷とその時代』PHP文庫、213ページ ^ 阿川尚之との対談「対論・日本とアメリカ」廣済堂出版、2002年、P245) ^ 『重光・東郷とその時代』(PHP研究所)単行本、176ページ ^ 米のイラク攻撃支持 勇気ある小泉発言 読売新聞『地球を読む』2003年3月30日付け ^ “発起人一覧”. 安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会. 2022年6月3日閲覧。 ^ 『国際情勢判断 半世紀』岡崎研究所編、育鵬社、2015年、P271 ^ 2014年11月27日官報 ^ 桑原聡 (2014年10月28日). “故岡崎久彦氏 「エレガントなサムライだった…」”. 産経新聞. https://www.sankei.com/article/20141028-6AERW34OQJNVXNLLGI75FG73RE/ 2017年7月16日閲覧。 ^ 『国際情勢判断 半世紀』岡崎研究所編、育鵬社、2015年、P277 ^ “【正論】遊就館から未熟な反米史観を廃せ”. 産経新聞. 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ISBN 978-4-594-07238-4 阿久津博康 (岡崎研究所主任研究員) 太田博(岡崎研究所2代目所長 岡崎の外務省時代の部下) 茂田宏(岡崎研究所3代目所長) 日本の小説家一覧 時代小説・歴史小説作家一覧 アメリカ合衆国下院121号決議 遊就館 靖国神社 歴史事実委員会 南京の真実 新しい歴史教科書をつくる会 教科書改善の会 産経新聞 正論 (雑誌) 安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会 安倍晋三 - 安倍晋太郎(晋三の父)が外務大臣を務めていた頃から関係があり、共著本もある。岡崎の訃報では「首相の外交ブレーン」と称された。没後刊行の「国際情勢判断 半世紀」には安倍が序文を寄稿している。 認定NPO法人 岡崎研究所 世界の論調批評(CANPAN 2012年3月30日終了) 世界潮流を読む 岡崎研究所論評集(Wedge) 表 話 編 歴 公使館開設 稲垣満次郎1897-1907 館長の階級が昇格 松方正作1907-1908 吉田作弥1908-1914 西源四郎1914-1920 政尾藤吉1920-1921 矢田長之助1921-1926 林久治郎1926-1928 矢田部保吉1928-1936 石射猪太郎1936-1937 村井倉松1937-1941 二見甚郷1941-1942 大使館に昇格 坪上貞二1942-1944 山本熊一1944-1946 大使館閉鎖 在外事務所開設 鈴木耕一1951-1952 在外事務所廃止 大使館再開 太田一郎1952-1956 渋沢信一1956-1959 大江晃1959-1963 島津久大1963-1964 粕谷孝夫1964-1967 関守三郎1967-1968 後宮虎郎1968-1972 藤崎萬里1972-1976 人見宏1976-1980 小木曽本雄1980-1983 橘正忠1983-1986 木内昭胤1986-1988 岡崎久彦1988-1992 藤井宏昭1992-1994 恩田宗1994-1996 太田博1996-1999 赤尾信敏1999-2001 時野谷敦2001-2005 小林秀明2005-2008 小町恭士2009-2010 小島誠二2010-2012 佐藤重和2012-2015 佐渡島志郎2015-2019 梨田和也2019-2024 大鷹正人2024- 表 話 編 歴 在エジプト大使が兼轄 土田豊1956-1958 昇格 在アラブ連合大使が兼轄 土田豊1958-1960 大使館開館1960 田村秀治臨時代理大使1960-1963 前田憲作1963-1965 溝口道郎臨時代理大使1965-1966 山中俊夫1966-1968 田村秀治1968-1971 高杉幹二1971-1974 鈴木干夫1974-1977 大口信夫1977-1979 中村輝彦1979-1982 武藤利昭1982-1984 移転 岡崎久彦1984-1988 渡辺幸治1988-1989 恩田宗1989-1992 太田博1992-1994 丹波實1994-1997 高野幸二郎1997-2000 大島正太郎2000-2001 阿部信泰2001-2003 齋藤泰雄2003-2006 中村滋2006-2009 遠藤茂2009-2012 小寺次郎2012-2015 奥田紀宏2015-2017 上村司2017-2021 岩井文男2020- 表 話 編 歴 在サウジアラビア大使が兼轄 田村秀治1970-1971 高杉幹二1971-1974 鈴木干夫1974-1977 大口信夫1977-1979 中村輝彦1979-1982 武藤利昭1982-1984 在サウジアラビア大使が兼轄 岡崎久彦1984-1988 渡辺幸治1988-1989 大使館兼勤駐在官事務所開設1976 臨時代理大使が常駐1976-1989 N/A 大使館実館開設1989 野口雅昭1989-1990 南北イエメン統一1990 在エジプト大使が兼轄 和田力1974-1976 魚本藤吉郎1976-1978 黒田瑞夫1978-1980 山崎敏夫1980-1982 中江要介1982-1984 在サウジアラビア大使が兼轄 岡崎久彦1984-1988 渡辺幸治1988-1989 大使館兼勤駐在官事務所開設1989 臨時代理大使が常駐1989-1990 N/A 南北イエメン統一に伴い大使館閉鎖1990(在アデン出張駐在官事務所としては引き続き1997年まで存続) 野口雅昭1990-1991 鰐淵和雄1991-1994 秋山進1994-1997 星彰1997-2001 大木正充2001-2003 石井祐一2003-2007 敏蔭正一2007-2010 難波充典2010-2012 林克好2012-2015 大使館閉鎖2015 大使館臨時事務所開設2015 林克好2015 大使館臨時事務所移転2015 林克好2015-2017 服部陽二2017-2020 東和広2020- 表 話 編 歴 堀内謙介:1934年 栗原正:1934年-1937年 米澤菊二:1937年-1939年 松宮順:1939年-1940年 高瀬真一:1940年-1941年 田尻愛義:1941年-1942年 山田芳太郎:1942年-1945年 岡崎勝男:1945年 尾形昭二:1945年-1946年 法華津孝太:1946年-1948年 松平康東:1948年-1949年 与謝野秀:1949年-1950年 松井明:1950年 太田一郎:1950年事務代理 土屋隼:1950年-1951年 宮崎章:1951年-1952年 柿坪正義:1952年 田中三男:1952年-1953年 林馨:1953年事務取扱 田村景一:1953年-1957年 近藤晋一:1957年-1961年 曾野明:1961年-1966年 新関欽哉:1966年-1969年 藤山楢一:1969年-1971年 和田力:1971年-1973年 黒田瑞夫:1973年-1976年 柳谷謙介:1976年-1978年 加賀美秀夫:1978年-1979年 天羽民雄:1979年-1981年 橋本恕:1981年-1983年 三宅和助:1983年-1984年 岡崎久彦:1984年 渡邊幸治:1984年-1986年 新井弘一:1986年-1988年 山下新太郎:1988年-1990年 佐藤行雄:1990年-1992年 鈴木勝也:1992年-1993年 渋谷治彦:1993年-1994年 高島有終:1994年-1996年 茂田宏:1996年-1997年 孫崎享:1997年-1999年 高野紀元:1999年-2001年 今井正:2001年-2002年 小島高明:2002年 中村滋:2002年-2005年 中村滋:2006年 竹内春久:2006年-2008年 小寺次郎:2008年-2010年 篠田研次:2010年-2012年 松富重夫:2012年-2014年 岡浩:2014年-2016年 鈴木哲:2016年-2017年 山上信吾:2017年-2018年 小沢仁:2018年-2020年 水越英明:2020年-2021年 山内弘志:2021年-2022年 新居雄介:2022年-2024年 石瀬素行:2024年- ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ イスラエル ベルギー アメリカ 日本 韓国 オランダ CiNii Books CiNii Research IdRef この項目は、外交官に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ政治)。 日本の外交官 日本の外交評論家 在イエメン日本大使 在サウジアラビア日本大使 在タイ日本大使 ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ出身の人物 新しい歴史教科書をつくる会の人物 松下政経塾の人物 日本会議の人物 日本財団の人物 東京大学出身の人物 旧制府立高等学校出身の人物 東京都立桜修館中等教育学校出身の人物 大連出身の人物 サントリー学芸賞受賞者 瑞宝重光章受章者 従三位受位者 1930年生 2014年没 出典のページ番号が要望されている記事 プロジェクト人物伝項目 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 KBR識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事 すべてのスタブ記事 外交官関連のスタブ項目 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/18 16:46更新
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