岡田茉莉子の情報(おかだまりこ) 女優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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岡田 茉莉子さんについて調べます
■名前・氏名 |
岡田茉莉子と関係のある人
葉山良二: 北島三郎・岡田茉莉子 特別公演『あばれ無法松』 日高真弓: 岡田茉莉子 小泉博: 同期には山本廉、岡田茉莉子がいた。 三橋達也: 近鉄金曜劇場 岡田茉莉子シリーズ「夫婦」(1965年、朝日放送) 堀尾雅彦: ヴェロニカの部屋 京都南座・岡田茉莉子 主演 西条美咲: 2010年5月、舞台『女優』で、岡田茉莉子とダブル主演。 田宮二郎: その序列は、若尾文子(大映の看板女優)がアタマ、2番目が加賀まりこ(松竹専属の女優、田宮より年下でありキャリアも後輩)、トメ(最後)が岡田茉莉子(東宝や松竹で活躍後、当時は独立系の映画を中心に出演)で、田宮はトメ前となっていた。 番匠義彰: 「花の咲く家」 - 1963年、松竹、出演:佐田啓二、岩下志麻、岡田茉莉子 寺西一浩: 舞台版『女優』全国公演(出演:岡田茉莉子、芦川よしみ、若原瞳、誠直也、八戸亮、本山華子、中原裕也、高嶺ふぶき、宮内洋 他)2010年5月 弓恵子: 岡田茉莉子シリーズ ある女の影(1965年2月5日) 田口計: 「岡田茉莉子シリーズ ある女の影」(1965年2月5日、TBS) 岡田時彦: 同年、長女鞠子(岡田茉莉子)が出生。 久松静児: 渡り鳥いつ帰る(1955年) 東京映画/出演:森繁久彌、田中絹代、高峰秀子、久慈あさみ、淡路恵子、岡田茉莉子 番匠義彰: 「渦」 - 1961年、松竹、出演:佐田啓二、岡田茉莉子 山本廉: 同期には他に小泉博、岡田茉莉子らがいる。 清村耕次: 近鉄金曜劇場 / 岡田茉莉子シリーズ 居留地の女(1965年、TBS) 遠藤太津朗: 「岡田茉莉子シリーズ 誰に告げん」(1965年3月19日) 沢本忠雄: 雪夫人絵図 - 共演:岡田茉莉子 芦川よしみ: 女優(2010年5月) - 共演:岡田茉莉子 成瀬巳喜男: また幸田文が原作の『流れる』では高峰のほか、田中絹代、杉村春子、山田五十鈴、岡田茉莉子、中北千枝子、そしてサイレント映画女優の大女優である栗島すみ子が共演を果たしている。 中村登: ^ 【神保町シアター】岡田茉莉子、岩下志麻、倍賞千恵子… 女優の都・松竹で “女性映画” の巨匠と称された映画監督・中村登の作品を5週間特集上映! 7月29日(土)より 小学館 2023年12月7日閲覧。 若原瞳: 女優(2010年) - 共演:岡田茉莉子、高嶺ふぶき 杉村春子: 気が強いことで有名だった岡田茉莉子の名前を冠した「岡田茉莉子シリーズ」が1965年2月~4月までTBS・金曜劇場枠で全13回放送され、この第3回『猫のいる家』(1965年2月19日放送)で、岡田自らが成瀬巳喜男監督『流れる』で共演した杉村との共演を希望した。 番匠義彰: 「橋」 - 1959年、松竹、出演:笠智衆、福田公子、岡田茉莉子 有吉ひとみ: 出演…草笛光子、岡田茉莉子、小林桂樹、中山麻里、市川中車 宮城千賀子: 顔 1957年 製作岸本吟一、監督大曽根辰夫、原作松本清張、脚本井手雅人、瀬川昌治、撮影石本秀雄、音楽黛敏郎、主演岡田茉莉子、大木実、笠智衆、森美樹 井上梅次: 雌が雄を喰い殺す かまきり(主演・岡田茉莉子、1967年)- 松竹 高瀬昌弘: 青い果実(1955/11/29 岡田茉莉子主演 青柳信雄監督 3rd) 吉田喜重: 1963年11月、岡田茉莉子との婚約を発表。 杉村春子: 父親の岡田時彦が小津安二郎の盟友だったことから、岡田茉莉子は小津映画にも出演し、小津から「お嬢さん」と呼ばれ、撮影が終わる度に小津によく遊びに連れて行ってもらった。 |
岡田茉莉子の情報まとめ
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岡田 茉莉子(おかだ まりこ)さんの誕生日は1933年1月11日です。東京出身の女優のようです。
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ギャラリー、エピソードなどについてまとめました。映画、卒業、結婚、現在、父親、ドラマ、引退、テレビ、子役、退社、事件に関する情報もありますね。
岡田茉莉子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)岡田 茉莉子(おかだ まりこ、1933年1月11日 - )は、日本の女優・映画プロデューサー。本名:吉田 鞠子(旧姓・田中)。父は戦前の無声映画で活躍した二枚目俳優・岡田時彦。母は宝塚歌劇団卒業生で男役を務めた田鶴園子。夫は映画監督の吉田喜重。 1933年、東京市渋谷区代々木に生まれたが、生後間もなく京都に移住。翌1934年、父が結核で死去し(このため岡田に父の記憶はない)、以後母は女手一つで茉莉子を育てることとなる。東京市大森区北千束に住む母の妹で、宝塚スターだった御幸市子のもとで暮らし、青葉幼稚園・赤松小学校に通う。少女時代は病弱なこともあって内向的な性格であった。 1938年、母の田鶴はダンス教師の資格をとり、上海で教えることになった。また、1940年に御幸が東宝映画計画部でプロデューサーをしていた山本紫朗と結婚したため、大阪市宗右衛門町の母の実家(藍問屋であった)に転居。1942年、祖父が死去し、母のいる上海へ渡った。租界の北四川路のアパートに暮らしたが、外国生活になじめなかった。このため1944年、単身帰国して品川区旗の台の御幸の嫁ぎ先に身を寄せ、旗台小学校に通った。小学校6年生の時に静岡市に集団疎開。 1945年、香蘭高等女学校に入学(受験のため叔母宅に戻った3月10日夜に東京大空襲に遭っている)。叔父の新潟転勤に従い、新潟市西堀前に転居。新潟市立高等女学校(学制改革後は新潟市立沼垂高等学校。現在の新潟市立万代高等学校)に転校した。新潟市も空襲にさらされ、命令に従い近所の人々と近郊の赤塚村に疎開。移転の2日後、8月15日の玉音放送を聞いた。 高校時代には演劇部に参加。新潟で女学生時代(現在の高校2年生にあたる)の秋、演劇部の友人と映画館でサイレント映画『瀧の白糸』(1933年版)を観て、帰宅後にその映画の話をすると母が泣き出したという。その時初めて、同作の主演俳優である岡田時彦が自分の父であることを知らされる。翌日、今度は自分の父を見るために一人で映画館へ脚を運んだ。高校卒業後、上京して叔母夫婦宅に同居。 1951年、叔父の山本のすすめもあり、東宝ニューフェイスの第3期として、小泉博らと共に東宝演技研究所に入所した。入所して20日後、成瀬巳喜男の監督映画『舞姫』の準主役に抜擢されて銀幕デビュー。 父親譲りのコケティッシュな美貌と艶のある演技力で瞬く間に頭角を現し、東宝映画の主演スターとなる。以後10年間ほどは月1本のペースで様々な映画に出演し、その中には原節子や高峰三枝子といった、伝説的女優たちとの共演作もある。 1957年3月にフリーとなり、同年9月に松竹と専属契約する。女性映画を得意とする松竹では数々のメロドラマに主演し、先に東宝から松竹に移籍していた有馬稲子と共に松竹の二枚看板として大活躍した。 1960年には父の盟友であった小津安二郎の監督映画『秋日和』に出演。以降1960年代は、小津や木下恵介など当時の日本を代表する名監督たちの作品に複数出演する。 1962年、「岡田茉莉子・映画出演100本記念作品」として自らプロデュースした主演映画『秋津温泉』がヒットし、多くの映画賞も獲得した。会社の意向で助監督に戻されていた吉田喜重を監督に起用した作品であった。『秋津温泉』の成功を機に女優引退も決意していたが、吉田に諫められて翻意(後述)。 1963年11月6日、吉田喜重との婚約を発表。1964年(昭和39年)6月21日、旧西ドイツのバイエルン州で吉田喜重と海外挙式した。仲人役は映画監督の木下惠介と女優の田中絹代。 1965年、松竹とは2本の本数契約とし、事実上のフリーとなった。1966年、吉田と独立プロ「現代映画社」を創立し、映画『女のみづうみ』を発表した。同年10月、東宝演芸部と年間4本の専属契約を結んで以後は、商業演劇を中心に活躍する。また、吉田監督作品では、先述の『秋津温泉』などを含めた11作品でヒロインを務めた。 テレビでは、2時間ドラマ『温泉若おかみの殺人推理』シリーズ(土曜ワイド劇場・テレビ朝日系列)に1996年から2019年までの23年間に渡り、大女将役を演じた。 2009年、自伝『女優 岡田茉莉子』を上梓。 ギャラリー
『アサヒグラフ』1951年7月25日号の表紙
![]() 『サンケイグラフ』1954年10月17日号より
![]() 1954年
![]() 1962年
![]() 吉田喜重と岡田(1963年)
エピソード『秋津温泉』と引退撤回24歳で松竹へ移籍後、藤原審爾の小説『秋津温泉』の新子役を演じてみたいと思い、松竹の上役に同作の映画化を提案。すると、「自分でプロデュースするならやってもいい」と告げられ、松竹の若手監督である吉田喜重に同作の脚本・監督を依頼した。遡ってデビューから間もない頃、女優業に自信が持てずに母に“辞めたい”と言ったことがあり、母から「何事も10年やってみなければ分からないわ」と助言された。この言葉を胸に、岡田は「とにかく10年は頑張ってみよう」との思いで女優業を続けてきたという。 『秋津温泉』が大成功を収めて数々の映画賞を受賞し、この時点で女優生活10年を迎え、本人も栄誉ある賞を受賞したことで女優引退を決意。本作の祝賀パーティー当日、出席した母に「この場を借りて女優を引退しようと思う」と告げて壇上に向かおうとした。ところがこの言葉をたまたま近くで聞いていた吉田からの説得を受け、一瞬にして翻意した。直後の壇上でのスピーチでは、「命あるかぎり女優を続けます」と発言した。 夫・吉田喜重との生活撮影中に吉田に惹かれ始めていたことから、『秋津温泉』の公開後からプライベートで彼と会うようになり、交際に発展。吉田が1963年の映画『嵐を呼ぶ十八人』を撮り終えた頃、彼からのプロポーズを受けて結婚。新婚旅行では約40日間にわたり、ヨーロッパ各国を巡った。当時はまだ同年4月の海外渡航自由化の直後で、貴重な海外挙式とヨーロッパ旅行となった。帰国後、夫婦で松竹を退社して独立プロ「現代映画社」を立ち上げた。以降女優業を続けながら吉田の映画製作を金銭的にも支え続けた。 仕事場での“強い女性”のイメージとは違い、結婚生活では控えめな性格である。幼少期から家事を手伝っていたため家事が好きになり、結婚後は家事を仕事の息抜きにすることもあった。吉田とはお互いに「自宅の玄関を入ったら仕事の話は一切しない」と決めて夫婦生活を送っていた。また、2019年頃のコロナ禍になるまで、夫婦で年に一度ヨーロッパ各地に旅行していた。家庭内では岡田はほとんどの場合聞き役を務めていたこともあり、2022年に夫が亡くなるまで夫婦喧嘩をしたことはない。 夫婦に子供はなかったが、岡田は「二人で製作した11本の映画が私にとっては子供のようなものです」と語っている。吉田の死後、岡田は「私にとって吉田は(仕事上の)父であり、恋人であり、師匠であり、友人であり、そして私を大女優に育ててくれた最高のパートナーでした」と評している。 気が強いとされる性格思ったことははっきりと口にする性格で知られる。若い頃は顔立ちが派手だったこともあり、1950年代前半の作品では奔放で気の強い女の役ばかりが与えられた。このことから22歳の頃、撮影所長室に一人で訪れて「自分のイメージをガラッと覆す作品に出演させて下さい!」と直談判し、それまでと異なる役柄にも挑戦するようになった。 過去に男尊女卑のしきたりが根強い映画界において、俳優と女優で態度を変えるスタッフに一喝したこともある。すると、その日を境にその撮影現場では、「姐御!お疲れ様でした!」と撮影所のスタッフ総出で見送られるようになったという。また、TBSのバラエティ番組『爆報! THE フライデー』(2013年9月27日放送)に出演時、「最近の若い女優さんについてどう思われますか?」という質問に、「あの方たちは女優じゃありません。ただのタレントさんです。」と発言している。 その他先述の通り幼少時より居候生活が長かったため、「母を表札のある家に住まわせたい」というのが念願であった。21歳の時(または23歳の時)、目黒区宮前町(現在の八雲)に一軒家を購入して長年の念願をかなえた。門には“岡田”と、本名の姓である“田中”の二つの表札を並べて掲げた。この家には岡田も結婚まで暮らしていたが、『週刊文春』の「新・家の履歴書」で岡田が語るところによると、「私の家」といえばこの八雲の家であると位置づけている。 東宝に入ってすぐのデビュー作「舞姫」で、宣伝部が経歴を書こうと父親の名前を尋ね、岡田時彦の娘とわかり大騒ぎとなった(それまで言っていなかった)。無声映画のフィルムしか残っていない父・岡田時彦の声を、近年、NHK放送技術研究所でレコードで聞いた。 父娘とも、芸名の名付け親は作家の谷崎潤一郎である。「お父さんの芸名を付けたのだから君の名前も私が付けましょう」と言って付けてくれたという。しかし新聞や雑誌で「茉莉子」の「茉」の文字が、下の横棒が長い「苿」と誤植されることが多かったという。その度に几帳面な谷崎から、岡田のもとに「君の名前の文字は上の棒が長いのです」と叱った手紙を頂戴したそうである。後年岡田は「私のせいじゃないのにね」と愉快に語っている。 1961年公開の『もず』(渋谷実監督)について、当初は杉村春子との母娘役での出演とされていたが、実際は淡島千景・有馬稲子が出演となった。これは有馬が所属していた「文芸プロダクションにんじんくらぶ」が『もず』の権利を保有していたためだという。この件は「もず事件」としてマスコミで喧伝された。 大の阪神タイガースファン(阪神ファン)としても有名。岡田は、「私は、判官びいきなので阪神ファン」と称している。 2024/06/26 15:42更新
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岡田茉莉子と同じ誕生日1月11日生まれ、同じ東京出身の人
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