木戸修の情報(きどおさむ) 格闘家/プロレス 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
木戸 修さんについて調べます
■名前・氏名 |
木戸修と関係のある人
エル・サムライ: 木戸修、西村とのユニットである「オサム軍団」を結成し、NOSAWA、MAZADA、TAKEMURAの東京愚連隊と対戦。 剛竜馬: 同年の「MSGシリーズ」では予選トーナメントで長州に敗れるも、敗者復活戦で木戸修を破って決勝リーグに進出。 マサ斉藤: 米良明久(ザ・グレート・カブキ)と武藤敬司が弔辞を述べ、通夜・告別式には長州力、坂口征二、天龍源一郎、木戸修、アニマル浜口、キラー・カーン、前田日明、蝶野正洋、佐々木健介・北斗晶夫妻、永田裕志、小島聡、西村修、古舘伊知郎らが参列した。 どさんこ室田: 神奈月祭2019において、木戸修に扮する神奈月とバトルロワイアル戦で対戦した。 木戸愛: 1989年12月26日、プロレスラーである木戸修の長女として神奈川県横須賀市にて出生。 木村健悟: 新日本プロレス創世期は、創設組の猪木派(山本小鉄、魁勝司、柴田勝久、木戸修、藤波辰巳とその後の入門組の浜田広秋、荒川真、藤原喜明、栗栖正伸ら)と合流組の坂口派(永源遥、木村、小沢正志、大城大五郎)の派閥があり、それによって選手の売り出し方に差が出ていた。 藤波辰爾: 1975年6月、初の海外修行で木戸修と共に西ドイツへ遠征、グスタル・カイザーのプロモーションで対戦したホースト・ホフマンには子供扱いされたという。 木村健悟: 1990年2月10日、東京ドームでの全日本プロレスとの対抗戦で木戸修と組み、ジャンボ鶴田&谷津嘉章と対戦。 きどゆういち: ※ どうも木戸修です。 谷津嘉章: これを受け谷津は全日本の一員として古巣・新日本のマットに上がり、鶴田との五輪コンビで、木村健悟&木戸修と対戦した。 木戸愛: 父はプロレスラーの木戸修。 飯塚高史: この後も野上との「J・J・JACKS」、山崎一夫・永田裕志・木戸修との「山崎隊」などユニットの形でチャンスを与えられるが生かすことは出来ず、「隠れた実力派」と称される中堅選手の位置に甘んじていた。 西村修: 月10日、全日本プロレス「武藤祭」にて木戸修、松田納とのユニット「オサム軍団」として参戦。 星野勘太郎: 1995年2月19日、両国国技館で木戸修戦を最後に現役を引退した。 カール=ゴッチ: 居住していたフロリダ州タンパにおいて、藤波辰巳、木戸修、藤原喜明、佐山聡、前田日明らプロレスラーを数多く育成する。同年1月8日、同じく後楽園ホールにおいて木戸修と対戦したエキシビション・マッチが、プロレスラーとして最後の試合である。 キラー・カーン: 1971年6月26日、鎌倉市大船駅前広場大会において、小沢正志のリングネームで木戸修を相手にデビュー(同年11月20日の栃木県大田原市大会での桜田一男戦でデビューしたともされるが、本人は自著で否定している)。 佐山聡: リング上では前田、藤原、高田、木戸修、山崎らとの日本人対決を軸に壮絶な試合を行ない、「UWFはプロレスではなくシューティング」自分達を「シューター」と称した。 アントニオ猪木: 訃報を聞いて弔問に訪れた人物には古舘伊知郎、舟橋慶一、坂口征二、木戸修、ケンドー・カシン、佐々木北斗夫妻、藤田、小川、高田、長州、藤波は家族などがおり、古館は自身の弔問の様子などをYouTubeで語った。 前田日明: 1985年12月6日、藤原、木戸修、高田伸彦、山崎一夫らと共に業務提携という形で新日本プロレスに復帰。 前田日明: IWGPタッグ王座(パートナーは第2代:木戸修、第5代:高田延彦) 寺西勇: 国際プロレスが新日本プロレスと対抗戦を始めた際の第一戦が寺西・アニマル浜口 vs. 長州力・木戸修戦であり、両団体とも何かあった時に対処できるシュートの強い選手を出してきている。 藤波辰爾: アントニオ猪木が日本プロレスを除名された翌日の1971年12月14日、木戸修と共に日本プロレスを退団し、夜逃げ同然で日本プロレス事務所の近くの猪木後援会事務所に身を寄せる。 中邑真輔: 同年8月29日、日本武道館における安田忠夫戦でデビュー、セコンドには当時引退をして中邑を指導していた木戸修が付いた。 |
木戸修の情報まとめ
木戸 修(きど おさむ)さんの誕生日は1950年2月2日です。神奈川出身の格闘家
プロレスのようです。
引退、家族、テレビ、事故、事件に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2023年に亡くなられているようです。
木戸修のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)木戸 修(きど おさむ、1950年2月2日 - 2023年12月11日)は、日本の男性プロレスラー。血液型A型。神奈川県川崎市出身。「いぶし銀」のプロレスラーと呼ばれた。長女にプロゴルファーの木戸愛がいる。 1968年10月、日本プロレスに入門し(入門の経緯は後述。)、1969年2月にプロレスデビュー。ユセフ・トルコの付き人を務める。アントニオ猪木が日本プロレスを除名された翌日である1971年12月14日に、藤波辰巳共々日本プロレスを退団し、1972年3月に新日本プロレスの旗揚げに参加し藤波と共に西ドイツ遠征に出る。その後、アメリカの「カール・ゴッチ道場」の門を叩き、ゴッチから直接レスリングの技術を学んだ。ゴッチは木戸のことを「息子」或いは「私の領域に一番近付いた男だね」と評している。 しかし、帰国後の新日本で木戸は地味なファイトスタイルや寡黙な性格が災いして前座試合の出場がメインとなり、デビュー当初はライバルと目されていた藤波とは差がついてしまった。 1984年の9月から第1次UWFに参加すると徐々に評価が高まり、木戸の職人肌のグラウンド・テクニックは「いぶし銀」と呼ばれるようになった。1985年に行なわれたUWF内の格闘技ロード公式リーグ戦では優勝する。 1985年12月に第1次UWFの崩壊に伴い新日本へ復帰すると、木戸もキド・クラッチや脇固めを駆使して活躍するようになる。1986年8月、前田日明とのタッグでIWGPタッグ王座を獲得した。 木戸の存在が改めてクローズアップされたのが1990年2月10日、東京ドームでの全日本プロレスとの対抗戦で木村健悟と組んでジャンボ鶴田・谷津嘉章組と闘い、鶴田を相手に渡り合った試合であり、1992年から始まった天龍源一郎率いるWARとの対抗戦においてであった。木戸も、天龍のパワー、打たれ強さに多くの実力者がシングルマッチで敗れるなど苦戦する中で関節技を主体とする木戸の存在が切り札としてクローズアップされる。 そしてWAR勢との5対5のタッグマッチに出場した木戸は脇固めやアキレス腱固めといった関節技で相手を苦しめ、天龍の右腕を破壊した。試合終了までほぼ行動不能に追い込む活躍を見せ、新日本勢の勝利に大きく貢献した。 2001年11月2日、横浜文化体育館で木戸の引退記念興行が行われ長州力とタッグを組み藤波・木村組と対戦。一旦は現役を引退した。この興行には関東各地の後援者のほか遠く札幌からも応援隊が駆けつけ、試合後の木戸の引退セレモニーではゴッチからのメッセージが代読されるなどした。木戸の姉や愛娘2人がリングで花束を渡すセレモニーも続き、控室での木戸のインタビューでは盛んに「家族」という言葉が発せられ、家族思いの優しい人柄が改めて確認できるものであった。 2005年9月11日、ビッグマウス所属選手としてビッグマウス・ラウドで復帰。2007年11月、ハッスルのハッスル軍コーチを務め、どハッスル!!(テレビ東京)に登場した。 2008年6月10日、全日本プロレスの「武藤祭」において西村修、松田納とのユニット「オサム軍団」として参戦。 2010年2月22日、IGFプロレスリング「アントニオ猪木50th Anniversaryスーパーレジェンドマッチ」に参戦、藤波辰爾と組み初代タイガーマスク、藤原喜明組と対戦(結果は15分引き分け)。これが木戸の現役最後の試合となった。 2020年2月28日のプロレスリング・マスターズ後楽園大会のリング上の師・アントニオ猪木に挨拶し、これが木戸の公的な最後の表舞台になった。坂口征二によると、木戸も2022年3月1日に日本武道館で行われた「新日本プロレス旗揚げ50周年セレモニー」に声を掛けたが参加しなかったという。 晩年は長くガンを患っており闘病中であったが2023年12月11日、木戸は容態が急変して横須賀市内の病院へ救急搬送されたあと、同日に死去した。73歳没。 カール・ゴッチ源流のサブミッションを武器に周りの状況がどんなに変わろうと、対戦相手が誰であろうと自身のスタイルを貫き通した。木戸のそのこだわりぶりは、ボディスラムやブレーンバスターなどの汎用的な技でさえあまり使用することはなかったほどでもあった。 第2代IWGPタッグ王座(パートナーは前田日明) 功労賞(2001年) 兄の木戸時夫も1963年、日本プロレスに入門したプロレスラーだった。時夫は練習中の事故で脊椎を損傷してしまい、志し半ばでリングを去った後に闘病生活を送っていたが1977年7月20日に亡くなった。闘病生活を送る兄を見守るうち、「叶えられなかった兄の夢を自分が叶える」と志すようになる。このことは、引退セレモニーの席まで木戸の口から明かされることはなかった。 日本プロレス時代は川崎市の実家から道場に通っていた。 「練習の虫」であり、コーチをしている時も千回単位のヒンズースクワットなどを無言で長時間に渡って淡々とやるために、現役の選手は「コーチがこれだけやるのだから」と精神的プレッシャーになったという。 1982年、プロレス誌「月刊ビッグレスラー」(立風書房)内のベストバウトを語るコーナーにて木戸は、試合を指定せずに「藤原(喜明)との試合は、タッグでもシングルでも兄が見て誉めてくれていた」と語った。 1984年、NHKの美術番組で木戸の描いた油絵が展示された。 ゴッチが木戸を認めるように、木戸もゴッチに対して心酔に近い感情を持っていた。第1次UWFに移籍した際も雑誌のインタビューで理由を「ゴッチさんに誘われたから」とコメントしていた。また第2次UWFへ新日より移籍する選手が続いた頃、記者に「木戸さんは行かないのか?」と聞かれた際に「ゴッチさんがいないから」(当時、佐山聡のスーパータイガージムに指導にいったことが原因でゴッチは第2次UWFの顧問から外れていた。)と移籍しない理由としてコメントしたことがのち週刊プロレスで紹介されている。 娘が2人いる。長女の木戸愛(めぐみ)は神奈川県で生まれ、東北高等学校ゴルフ部出身で2006年には全国高等学校ゴルフ選手権の優勝メンバーとなった。2008年にプロゴルファーとなり、2012年のサマンサタバサレディースでプロ初優勝を飾った。 ^ “元新日本プロレス木戸修さん死去73歳「キド・クラッチ」いぶし銀の活躍 娘はゴルファー木戸愛”. 日刊スポーツ (2023年12月14日). 2023年12月14日閲覧。 ^ 『週刊プロレスSPECIAL 日本プロレス事件史 vol.12』P8(2015年、ベースボール・マガジン社、ISBN 9784583623252) ^ 『週刊プロレスSPECIAL 日本プロレス事件史 vol.3』P44(2014年、ベースボール・マガジン社、ISBN 9784583622026) ^ “元プロレスラー木戸修さん死去 69年日本プロレスでデビュー、72年新日本旗揚げ参加/略歴”. 日刊スポーツ (2023年12月14日). 2024年8月6日閲覧。 ^ “木戸修さん 最後の表舞台は猪木さんとの〝再会〟”. 東京スポーツ (2023年12月14日). 2023年12月15日閲覧。 ^ “坂口征二氏が日本プロレス時代からの盟友・木戸修さんを追悼 「本当に真面目でマイペースな男だったね」”. 東京スポーツ (2023年12月14日). 2023年12月15日閲覧。 ^ 「元新日本プロレス木戸修さん死去73歳「キド・クラッチ」いぶし銀の活躍 娘はゴルファー木戸愛」『日刊スポーツNEWS』(日刊スポーツ新聞社)2023年12月14日。2023年12月14日閲覧。 表 話 編 歴 1 藤波辰巳&木村健吾 2 前田日明&木戸修 3 藤波辰巳&木村健吾 4 越中詩郎&武藤敬司 5 前田日明&高田伸彦 6 藤原喜明&山崎一夫 7 藤波辰巳&木村健吾 8 長州力&マサ斎藤 9 スーパー・ストロング・マシン&ジョージ高野 10 長州力&飯塚孝之 11 マサ斎藤&橋本真也 12 武藤敬司&蝶野正洋 13 馳浩&佐々木健介 14 スーパー・ストロング・マシン&ヒロ斎藤 15 馳浩&佐々木健介 16 リック・スタイナー&スコット・スタイナー 17 武藤敬司&馳浩 18 ビッグバン・ベイダー&クラッシャー・バンバン・ビガロ 19 リック・スタイナー&スコット・スタイナー 20 スコット・ノートン&トニー・ホーム 21 ホーク・ウォリアー&パワー・ウォリアー 22 スコット・ノートン&ヘラクレス・ヘルナンデス 23 ホーク・ウォリアー&パワー・ウォリアー 24 武藤敬司&馳浩 25 蝶野正洋&天山広吉 26 橋本真也&平田淳嗣 27 山崎一夫&飯塚高史 28 蝶野正洋&天山広吉 29 藤波辰爾&木村健悟 30 長州力&佐々木健介 31 中西学&小島聡 32 佐々木健介&山崎一夫 33 武藤敬司&蝶野正洋 34 蝶野正洋&天山広吉 35 天龍源一郎&越中詩郎 36 天山広吉&小島聡 37 佐々木健介&越中詩郎 38 後藤達俊&小原道由 39 中西学&永田裕志 40 天山広吉&小島聡 41 西村修&藤波辰爾 42 武藤敬司&太陽ケア 43 蝶野正洋&天山広吉 44 吉江豊&棚橋弘至 45 西村修&天山広吉 46 鈴木みのる&高山善廣 47 棚橋弘至&中邑真輔 48 蝶野正洋&天山広吉 49 中西学&大森隆男 50 ジャイアント・バーナード&トラヴィス・トムコ 51 真壁刀義&矢野通 52 ブラザー・レイ&ブラザー・ディーボン 53 ブルータス・マグナス&ダグ・ウィリアムズ 54 ブラザー・レイ&ブラザー・ディーボン 55 高橋裕二郎&内藤哲也 56 永田裕志&井上亘 57 ジャイアント・バーナード&カール・アンダーソン 58 天山広吉&小島聡 59 矢野通&飯塚高史 60 天山広吉&小島聡 61 ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr. 62 天山広吉&小島聡 63 ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr. 64 カール・アンダーソン&ドク・ギャローズ 65 後藤洋央紀&柴田勝頼 66 カール・アンダーソン&ドク・ギャローズ 67 マット・ターバン&マイケル・ベネット 68 カール・アンダーソン&ドク・ギャローズ 69 真壁刀義&本間朋晃 70 タマ・トンガ&タンガ・ロア 71 ジェイ・ブリスコ&マーク・ブリスコ 72 タマ・トンガ&タンガ・ロア 73 矢野通&石井智宏 74 天山広吉&小島聡 75 ハンソン&レイモンド・ロウ 76 タマ・トンガ&タンガ・ロア 77 ハンソン&レイモンド・ロウ 78 ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr. 79 EVIL&SANADA 80 マット・ジャクソン&ニック・ジャクソン 81 タマ・トンガ&タンガ・ロア 82 EVIL&SANADA 83 タマ・トンガ&タンガ・ロア 84 ジュース・ロビンソン&デビッド・フィンレー 85 タマ・トンガ&タンガ・ロア 86 棚橋弘至&飯伏幸太 87 タイチ&ザック・セイバーJr. 88 タマ・トンガ&タンガ・ロア 89 タイチ&ザック・セイバーJr. 90 内藤哲也&SANADA 91 タイチ&ザック・セイバーJr. 92 後藤洋央紀&YOSHI-HASHI 93 ジェフ・コブ&グレート-O-カーン 94 バッドラック・ファレ&チェーズ・オーエンズ 95 グレート-O-カーン&ジェフ・コブ 96 ダックス・ハーウッド&キャッシュ・ウィーラー 97 後藤洋央紀&YOSHI-HASHI 98 マーク・デイビス&カイル・フレッチャー 99 後藤洋央紀&YOSHI-HASHI 100 ヒクレオ&エル・ファンタズモ 101 KENTA&チェーズ・オーエンズ 102 後藤洋央紀&YOSHI-HASHI 103 KENTA&チェーズ・オーエンズ 104 マイキー・ニコルス&シェイン・ヘイスト 105 グレート-O-カーン&HENARE FAST ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research 日本のプロレスラー 日本プロレスに所属したプロレスラー 新日本プロレスに所属したプロレスラー UWFに所属したプロレスラー IGFに参戦した選手 ハッスルの人物 プロレス・トレーナー 神奈川県出身のスポーツ選手 川崎市出身の人物 1950年生 2023年没 癌で亡くなった人物 ISBNマジックリンクを使用しているページ FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事
2024/11/22 00:10更新
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kido osamu
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