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杉内雅男の情報 (すぎうちまさお)
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【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

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杉内 雅男さんについて調べます

■名前・氏名
杉内 雅男
(読み:すぎうち まさお)
■職業
囲碁棋士
■杉内雅男の誕生日・生年月日
1920年10月20日 (年齢2017年没)
申年(さる年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
宮崎出身

杉内雅男と同じ1920年生まれの有名人・芸能人

杉内雅男と同じ10月20日生まれの有名人・芸能人

杉内雅男と同じ出身地宮崎県生まれの有名人・芸能人


杉内雅男と関係のある人

杉内寿子: 青年棋士の研究機関「敲玉会」に参加し、そのメンバーだった杉内雅男と1954年に結婚。


杉内寿子: 夫は杉内雅男九段。


宮下秀洋: 1957年早碁名人戦で坂田栄男に挑戦し、2-1でタイトル獲得、翌年は高川秀格の挑戦を2-0で退けて連覇、1959年に杉内雅男に2-1で敗れた。


半田道玄: 第1期十段戦では、1回戦から鯛中新、杉内雅男、木谷實、坂田栄男を破って決勝に進出し、橋本宇太郎との五番勝負では第1局に勝ったものの、その後3連敗で準優勝に終わった。


杉内寿子: 2024年4月11日、第51期天元戦予選において森田道博九段と対戦し、それまで夫の杉内雅男九段が持っていた公式戦対局の最年長記録97歳0カ月を1カ月更新したが、勝利はできず、夫が持つ最年長勝利記録は更新できなかった。


高川格: 第13期(1958年) 4-2 杉内雅男八段


小林光一: 1977年 第2期天元戦で杉内雅男九段を3-1で下し初のビッグタイトル天元戦優勝。


高川格: 第9期(1954年) 4-2 杉内雅男七段


坂田栄男: また同年、四強リーグ戦(読売夕刊、坂田・宮下秀洋・杉内雅男・藤沢秀行参加。


杉内寿子: 2017年11月21日より、夫である杉内雅男九段の97歳での死去に伴い日本棋院最年長現役棋士となる。杉内雅男九段が死去するまでは、夫婦で日本棋院の1番目と2番目の最年長現役棋士であった。


大平修三: 大平は、トーナメントでは、岩本薫、三輪芳郎、杉内雅男、藤沢朋斎、決勝で大竹英雄を破って、三度目の挑戦手合進出となった。


大竹英雄: 当時の院生師範は杉内雅男だった。


瀬越憲作: 門下に橋本宇太郎、杉内雅男、伊予本桃市、久井敬史、曺薫鉉ら。


坂田栄男: 同年第1期最高位戦のリーグ戦で杉内雅男七段と同率1位となり、前年度リーグ1位の坂田が最高位となる。


藤沢朋斎: 1948年に杉内雅男五段ら若手棋士9名と黎明会を結成、会員はその後12名、続いて囲碁新社メンバー(前田陳爾、坂田栄男、梶原武雄、山部俊郎ら8名)が日本棋院復帰すると合流した。


杉内雅男の情報まとめ

もしもしロボ

杉内 雅男(すぎうち まさお)さんの誕生日は1920年10月20日です。宮崎出身の囲碁棋士のようです。

もしもしロボ

兄弟、卒業、結婚、趣味、引退に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2017年に亡くなられているようです。

杉内雅男のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

杉内 雅男(すぎうち まさお、大正9年(1920年)10月20日 - 平成29年(2017年)11月21日)は、囲碁棋士。宮崎県出身、日本棋院所属、井上一郎五段門下。主な実績はタイトル獲得2回(日本棋院早碁名人戦優勝、囲碁選手権戦優勝)、本因坊挑戦2回など。常に囲碁一筋であることから「囲碁の神様」と呼ばれた。夫人は杉内寿子八段。

昭和12年(1937年)に入段してから平成29年(2017年)に死去するまでの現役棋士生活は80年を超え、97歳の最年長現役棋士(当時)として最終対局を打ったのは死去の19日前であった。90歳を超えても打ち分けに近い年間成績を維持し、死去した2017年にも2勝を挙げるなど、その実力は最後まで健在であった。

宮崎県都城市に6人兄弟の次男として生まれる。小学4、5年頃に父や叔父の見よう見まねで囲碁を覚え、地元の囲碁大会で活躍して神童と言われる。1933年に小学校を卒業すると、瀬越憲作に入門を依頼し、瀬越門下の井上一郎四段(当時)の内弟子として、日本棋院院生となる。1937年に入段。この頃、研究機関「青年研究会」に参加。1941年に教育召集で秋期大手合を休場。

1944年1月に召集されて北支に出征し、1946年12月に復員して囲碁界に復帰。青年棋士の研究機関「敲玉会」「黎明会」に参加。1947年、「囲碁研究」誌の若手トーナメントに優勝。1949年に呉清源・新鋭挑戦碁の三番碁に出場し、先二先の手合ながら黒番4目勝ちを収める。1950年の日本棋院と関西棋院による東西対抗戦では、鯛中新六段に敗れる。この頃の囲碁一筋の生活から「囲碁の神様」の渾名がついた。

1953年から院生師範を務める。遅刻・対局態度などに厳格な姿勢で臨んで院生たちから恐れられたが、多くの優れた棋士を送り出した。1954年に、敲玉会のメンバーだった女流棋士の本田寿子五段(当時)と結婚、戦後初の棋士同士の夫婦となり、夫婦合わせて十二段とも言われた。同年七段時に本因坊戦リーグで優勝して高川秀格本因坊への挑戦者となり、前田陳爾が「いわゆる力というものは杉内さんの方が強い」と評するなど下馬評では五分五分と言われたが2勝4敗で敗れる。高川は後に、この時が本因坊9連覇中の最大の危機と述べた。

1955年、呉清源との呉対新鋭八段戦の三番碁を打ち、1勝2敗となった。同年、第1期最高位戦リーグで、6勝2敗で坂田栄男と同率となるが、前年度順位により坂田が最高位となる。1959年の最高位戦リーグで九段に昇段。

1958年の本因坊戦リーグでは、木谷実、坂田栄男、杉内の3人が5勝2敗となり、同率決戦のトーナメントのくじ引きで不戦勝を引き当て、木谷に勝った坂田を破って挑戦者となった。高川秀格との挑戦手合も予想は五分五分と言われたが、再度2勝4敗で敗れる。1959年の日本棋院早碁名人戦で宮下秀洋早碁名人に挑戦して2勝1敗で勝ち、初タイトル獲得。関西棋院早碁名人戦優勝者の鯛中新との電報碁にも勝つ。翌年は藤沢朋斎に1勝2敗で敗れる。

1963年に囲碁選手権戦の決勝三番勝負で、院生師範時代の教え子である当時20歳の林海峰を2勝1敗で破って2つめのタイトル獲得。

1985年、65歳で第40期本因坊リーグ入り。

2004年、公式戦通算800勝を史上最年長(84歳)で達成。

2017年11月21日、現役棋士のまま、肺炎により東京都内の病院で死去。97歳没。11月2日の対・小山栄美戦が絶局となった。

生涯成績は883勝677敗、12ジゴ、2無勝負。勝率.566。

早碁名人戦 1959年

囲碁選手権 1963年

本因坊戦 挑戦者 1954年、1958年

日本棋院選手権 挑戦者 1955年、1956年

最高位決定戦 準優勝 1955年

天元戦 準優勝 1976年

NHK杯 準優勝 1982年

名人戦リーグ5期、本因坊戦リーグ7期

1972年から1978年まで日本棋院常務理事を務める。特に1974年から1975年の名人戦騒動では渉外理事として、名人戦の読売新聞から朝日新聞への移管と、読売新聞での棋聖戦創設を主導した。1978年から1984年まで副理事長、1984年から1986年には政務理事、1980年には大手合改正委員会委員長を務める。1992年、勲四等旭日小綬章受章。2004年、大倉喜七郎賞受賞。

古碁の研究でも知られ、特に本因坊秀和の碁を好んだ。

1954年の大手合の前田陳爾戦で八段昇段したが、この時には昇段点に達していたのに気付かず、次の岩本薫戦で白番ジゴとした時に計算して気付いた。

対局中に沈黙を保つことで知られ、1954年の本因坊戦の第5局では、二日間の内「電燈をつけてください」と言ったのが唯一の言葉だった。ただし検討ではよく喋ったという。

趣味はクラシック音楽鑑賞と読書で、特にマリア・カラスのファン。

2009年に関西棋院所属の窪内秀知が引退してから、日本における現役最年長棋士であった。杉内の死去により、夫人の杉内寿子(1927年生まれ)が日本における現役最年長棋士となった。寿子も長命で、夫の持っていた最年長現役棋士記録を2024年に更新している。

日本での最年長公式戦勝利記録(96歳10か月)を保持する(2017年8月24日、対・古庄勝子戦)。

プロ棋士の名に恥じない棋力を生涯にわたって維持し、90歳を超えてからも、毎年5勝から8勝の勝ち星(打ち分けに近い成績)を挙げ続けた。死去した2017年にも2勝していた。

健康面でも衰えを見せず、同じく90歳を超えてからも、日本棋院本院の6階にある対局室に、1階から階段で昇る体力を維持していた(2014年2月、杉内が93歳時の報道による)。

1800年代生まれの棋士(瀬越憲作など)、1900年代生まれの棋士(多数)、そして2000年代生まれの棋士(大西竜平)との対戦経験を持つ(将棋棋士では加藤一二三が同様の経験を持つ)。

『秀和 (日本囲碁大系14巻)』筑摩書房 1975年(主著者小堀啓爾、解説杉内)

『杉内雅男 (現代囲碁大系24巻)』講談社 1981年

『あなたならどう打つ(ゴ・スーパーブックス45)』日本棋院 1975年

^ “訃報杉内雅男さん97歳=現役最高齢棋士「囲碁の神様」”. 毎日新聞. (2017年11月22日). https://mainichi.jp/articles/20171123/k00/00m/040/050000c 2020年2月14日閲覧。 

^ “囲碁の史上最高齢棋士、杉内雅男九段が死去 97歳”. 朝日新聞. (2017年11月22日). オリジナルの2017年11月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171123055625/http://www.asahi.com/articles/ASKCQ5FQHKCQUCVL017.html 2017年11月22日閲覧。 

^ “囲碁の杉内雅男九段が死去 97歳、現役最高齢棋士”. 福井新聞 (2017年11月22日). 2017年11月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月23日閲覧。

^ 囲碁史探偵が行く ―昔と今 碁打ちの物語 福井正昭著 日本棋院

^ 秀格烏鷺うろばなし 高川秀格著 日本棋院

^ “囲碁の杉内雅男九段が死去 97歳、現役最高齢棋士”. 西日本新聞ニュース (2020年11月22日). 2020年12月23日閲覧。

^ “訃報 杉内雅男さん97歳=現役最高齢棋士「囲碁の神様」”. 毎日新聞 (2017年11月22日). 2017年11月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月23日閲覧。

^ “93歳杉内雅男先生は頭脳明晰バリバリ現役”. 日刊スポーツ (2014年4月5日). 2017年11月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月23日閲覧。

日本棋院の杉内雅男紹介

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日本

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日本の囲碁棋士

勲四等旭日小綬章受章者

宮崎県出身の人物

1920年生

2017年没

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2024/11/21 23:56更新

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