梁田貞の情報(やなだただし) 作曲家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
梁田 貞さんについて調べます
■名前・氏名 |
梁田貞と関係のある人
中山晋平: 1912年(明治45年)、梁田貞らとともに東京音楽学校本科を卒業。 小松耕輔: 『日本歌曲全集 小松耕輔・本居長世・梁田貞・中山晋平』畑中良輔監修 音楽之友社 1993 時雨音羽: 「鉾をおさめて」「出船の港」『日本歌曲全集 小松耕輔・本居長世・梁田貞・中山晋平』音楽之友社、1993年(平成5年)所収 葛原しげる: 明治の終わりから全国の小学校に普及した『尋常小學唱歌』が堅苦しく、児童の心情や能力の発達段階に適さない等の批判が出ていたため小松耕輔、梁田貞と共に「大正幼年唱歌」(1915年~1919年)、続いて「大正少年唱歌」「昭和幼年唱歌」「大正少年唱歌」と順次刊行。 柳兼子: 東京府立第一高等女学校を経て、1912年に東京音楽学校本科(同級生に、原信子、梁田貞、中山晋平、杉山長谷夫。 楠木繁夫: 本科の声楽部に進み、「城ヶ島の雨」の作曲家・梁田貞に師事した。 青木存義: 『どんぐりころころ』(作曲:梁田貞) 北原白秋: 『城ヶ島の雨』は梁田貞が曲を付けて奥田良三が歌ってヒットし、行楽地としての城ヶ島の名を高め、城ヶ島には白秋記念館がある。 藤山一郎: しかしハイバリトンの声楽家として藤山を評価していたクラウス・プリングスハイムが退学に反対し、慶應義塾普通部時代から藤山をよく知る弘田龍太郎・大塚淳・梁田貞も学業成績の優秀さやアルバイトで得た収入をすべて母親に渡していることを理由に擁護に回った結果、今後のレコード吹き込み禁止と停学1か月の処分に落ち着いた。 |
梁田貞の情報まとめ
梁田 貞(やなだ ただし)さんの誕生日は1885年7月3日です。北海道出身の作曲家のようです。
卒業、現在、映画に関する情報もありますね。1959年に亡くなられているようです。
梁田貞のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)梁田 貞(やなだ ただし〈てい〉、1885年〈明治18年〉7月3日 - 1959年〈昭和34年〉5月9日)は教育者、作曲家。北海道札幌区(現・札幌市中央区)出身。 札幌区公立創成小学校、北海道庁立札幌中学校、札幌農学校予科を経て、1905年(明治38年)東京音楽学校(現:東京芸術大学)受験に失敗し、一時早稲田大学商科に在籍。中山晋平、牛山充らと音楽学校への受験勉強に勤しみ、1908年(明治41年)になって東京音楽学校予科に入学。声楽と作曲を学び、1912年(明治45年)同校本科声楽部卒業、1914年(大正3年)同校研究科声楽部修了、1918年(大正7年)同校研究科作曲部修了。大きな影響ないしは教科を受けたのは外国人教師であった。合唱の練習、コールユーブンゲンや、発声の勉強、コンコーネは、アウグスト・ユンケルに、作曲は、ハインリヒ・ヴェルクマイスターに、声楽は、ハンカ・シェルデルップ・ペツォルトにそれぞれ師事した。 音楽教員としては、研究科在学中の1912年から1949年まで東京府立第一中学校(のち日比谷高校)で教えたほか、東京府立第五中学校、成城尋常小学校、東京外国語学校、母校である東京音楽学校、成城学園、学習院、玉川学園、東京女子体操音楽学校、東京都港区新星中学校など多くの学校で教鞭を執った。 代表作に、『城ヶ島の雨』(作詞北原白秋)、『どんぐりころころ』(作詞青木存義)、『昼の夢』(作詞高安月郊)、『隅田川』(作詞小松耕輔)、『木の葉』、『お玉じゃくし』(以上 作詞吉丸一昌)、『羽衣』、『あられ』、『てふてふ』、『たんぽぽさいた』、『鬼が島』、『とんび』(以上 作詞葛原しげる)など、多くの作曲を遺している。その他にも旧制七高寮歌 『楠の葉末』、日本大学二代目校歌、大東文化大学学生歌、秋田高校校歌なども手がける。 その遺した作品は、童謡、唱歌から歌謡曲にまで広がり、現在でも広く親しまれている作品は多い。また東京府立一中在籍当時、その風貌から「ライオン」「ライオン先生」の異名で呼ばれていたが、同居していた府立高等学校では「カバ」の異名であった。梁田自身は前者がお気に入りだった。現在の日比谷高校の合唱祭における賞の一つ『梁田賞』は氏を讃えて制定されたもの。墓所は小平霊園(13-23-6)。 映画「音楽教師」(1961年)監督:今泉善珠。ロケ地は埼玉県立浦和第一女子高等学校。 岩崎呉夫『音楽の師 梁田貞 :人とその作品』東京音楽社、1977年。 NCID BN08083969 札幌市教育委員会 編『札幌人名事典』さっぽろ文庫66、札幌市、1993年。 NCID BN09676117 ^ ただし、『激浪猛威を振ふとも』(東京府立一中六十七回生編・発行、1995年5月31日)のp.262 には「さだし」と注意書きがふるってある。 ^ 『官報』(1914年3月28日)には掲載されていない。札幌市立資生館小学校にある胸像の台座に埋め込まれた「梁田貞先生年譜」によると、1914年(大正3年)7月修了。 ^ 『音楽の師』27頁、『札幌人名事典』313頁 ^ 『音楽の師』202頁、『札幌人名事典』313頁 ^ 『音楽の師』27頁 ^ 『音楽の師』46頁、『札幌人名事典』313頁 ^ 『音楽の師』62頁、『札幌人名事典』313頁 ^ 『音楽の師』65-66頁 ^ 『音楽の師』68-70頁 ^ “入学許可 東京音楽学校”. 官報. (1908年4月11日). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950781/9 ^ “卒業証書授与 東京音楽学校”. 官報. (1912年3月28日). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2951986/15 ^ “修了生氏名 研究科”. 東京音楽学校一覧. (1922年9月12日). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/941214/65 ^ “卒業証書授与 東京音楽学校”. 官報. (1918年3月28日). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2953806/6 ^ 『音楽の師』86-88頁 ^ 『音楽の師』174頁 ^ 『音楽の師』178頁 ^ 玉川豆知識 No.82 「城ケ島の雨」「どんぐりころころ」の作曲家梁田貞と小原國芳学校法人玉川学園 ^ 『私の履歴書 長岡實編』(日本経済新聞社2004年4月4日付「東京府立一中」) ^ 梁田先生をモデルとした映画「音楽教師」玉川大学教育博物館 ^ レファレンス協同データベース id1000071135 梁田貞の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research MusicBrainz 日本の男性作曲家 日本の中等教育の教員 東京芸術大学出身の人物 北海道札幌南高等学校出身の人物 小平霊園に埋葬されている人物 札幌市出身の人物 1885年生 1959年没 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事
2024/11/22 01:07更新
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yanada tadashi
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