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梓みちよの情報 (あずさみちよ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

梓みちよの情報(あずさみちよ) 歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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もしもしロボ

梓 みちよさんについて調べます

■名前・氏名
梓 みちよ
(読み:あずさ みちよ)
■職業
歌手
■梓みちよの誕生日・生年月日
1943年6月4日 (年齢2020年没)
未年(ひつじ年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
福岡出身

(昭和18年)1943年生まれの人の年齢早見表

梓みちよと同じ1943年生まれの有名人・芸能人

梓みちよと同じ6月4日生まれの有名人・芸能人

梓みちよと同じ出身地福岡県生まれの有名人・芸能人


梓みちよと関係のある人

和田浩治: 私生活では酒豪として知られ、1971年に梓みちよと結婚したが、翌1972年にスピード離婚。


ヒデ夕樹: 1960年代前半より労音・民音や米軍キャンプのステージで活動したほか、日劇や京都劇場でザ・ピーナッツや梓みちよと共演したこともあった。


吉田拓郎: 70年代後半には、梓みちよに「メランコリー」(1976年9月発売)、キャンディーズに「やさしい悪魔」(1977年3月発売)、石野真子に「狼なんか怖くない」(1978年3月発売)を提供。


安井かずみ: 梓みちよ


川口真: 梓みちよ「風来坊」


田辺靖雄: 1963年、梓みちよとのデュエット「ヘイ・ポーラ」(ポールとポーラ(英語版)のカヴァー曲)が大ヒットし、『第14回NHK紅白歌合戦』に「雲に聞いておくれよ」で初出場。


新藤明夫: 梓みちよ


宮川泰: お嫁さん(梓みちよ


江美早苗: 梓みちよ


喜多条忠: 梓みちよ


金井克子: 「恋はボサノバ/いちごの片想い」1963.5(SAS-38)A面は梓みちよとの競作。B面はナンシー・シナトラのカバー(梓みちよ、中尾ミエ、ベニ・シスターズとの競作)。


萩田光雄: 1975年に布施明の「シクラメンのかほり」と、翌1976年に梓みちよの「メランコリー」で日本レコード大賞編曲賞を2年連続で受賞した。


芳村真理: 上記の八代、西城、未唯mieのほか、番組担当当時には梓みちよ、アン・ルイス、小柳ルミ子、高田みづえ、田原俊彦、近藤真彦、中森明菜、郷ひろみ、石野真子、布施明、薬丸裕英(元シブがき隊)らとも親しい関係にあった。


中村泰士: 梓みちよ


岩谷時子: 梓みちよ


砂田実: 梓みちよ


渡辺晋: 面倒見がいいことで知られ、中尾ミエや梓みちよも渡辺の家に住まわせていた時期があった他、学生タレントの学費や家の建築費等も事務所が負担した事もあったという。


萩田光雄: 梓みちよ


中村八大: 11月に発売した永との共作『こんにちは赤ちゃん』(歌:梓みちよ)で2度目のレコード大賞受賞。


大里洋吉: ナベプロではザ・ピーナッツ、ザ・ワイルドワンズ、梓みちよ、あいざき進也、岸部四郎、沢田研二、キャンディーズらのマネージャーを務めた。


森岡賢一郎: 梓みちよ


森川美穂: 一方で、梓みちよ、八神純子、岩崎宏美、大橋純子、沢田研二などの個性的で実力派といわれた歌手に憧れていた。


中尾ミエ: また「梓みちよとはデビュー当時、下宿先でもあった渡辺晋社長の自宅で取っ組み合いのケンカをよくしていた」と語ったことがある(梓自身も「当時から中尾とは仲は良くなかったが、互いに良きライバルでもあり歌手としての実力や才能を認めている」と語っている)。


森川美穂: 小さい頃は梓みちよや八神純子や沢田研二に憧れていた。特に、梓みちよの凛とした生き方をリスペクトしている。


安藤鶴夫: NHKのテレビ番組『夢であいましょう』にゲスト出演した際には、梓みちよが歌った『こんにちは赤ちゃん』を聞いて放送中に涙ぐみ絶句した。


水原恵理: 2020年2月9日にBSテレ東で放送された「緊急特番 ありがとう!梓みちよさん」で合田道人と司会を務めた際、番組中で自身の親戚のおば(詳細不明)が故人と友人だったという縁を明かすとともに、そのおばが梓から譲られたというステージ衣装やアクセサリーを持参。


安井かずみ: ヘイ・ポーラ(歌:田辺靖雄・梓みちよ、原詞と作曲:レイモンド・グレン・ヒルデブランド)


ジョーン=シェパード: アシスタント司会者としては江美早苗・梓みちよに次ぐ第3代。


石野真子: 20世紀の八重歯タレントとしては、小柳ルミ子、梓みちよ、国広富之、河合奈保子、芳本美代子、坂上香織、古くは美空ひばり、石原裕次郎なども挙げられる。


小柳ルミ子: 宝塚音楽学校卒業生の梓みちよと交流がある友人から紹介を得て、渡辺プロダクションへ歌手希望を願い出る。


梓みちよの情報まとめ

もしもしロボ

梓 みちよ(あずさ みちよ)さんの誕生日は1943年6月4日です。福岡出身の歌手のようです。

もしもしロボ

結婚、離婚、現在、事件、テレビに関する情報もありますね。2020年に亡くなられているようです。

梓みちよのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

梓 みちよ(あづさ みちよ、1943年6月4日 - 2020年1月29日)は、日本の歌手、女優。本名は林 美千代(はやし みちよ)。血液型はO型。株式会社アラベスク所属で株式会社プロダクション尾木と業務提携。

日本統治下の朝鮮釜山市生まれ。福岡県福岡市博多区出身。福岡女学院中学校・高等学校2年中退。宝塚音楽学校中退。1960年代から1970年代を中心にヒットを飛ばした。アメリカンポップスから歌謡曲まで幅広いレパートリーを持つ。

1960年、福岡女学院高校を2年で中退して宝塚音楽学校に入学。同校在学中に渡辺プロダクションのオーディションに応募し合格し、上京し契約する(同校は中退)。

約1年間のレッスンを経て、1962年に“ボサノバ娘”のキャッチフレーズでキングレコードより「ボッサ・ノバでキッス」でデビューし、歌手として本格的に活動を始める。

芸名の名付け親は渡辺プロダクション創業者の渡辺晋。「梓弓のようにしなやかで強くなって欲しい」の意味で名付けられたという。

1963年7月、『夢であいましょう』の今月の歌として発表された「こんにちは赤ちゃん」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)が大ヒットとなり、同年12月の第5回日本レコード大賞の大賞を受賞。また『第14回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たし、人気歌手としての地位を得た。また同曲は翌1964年3月の第36回選抜高校野球大会の開会式入場行進曲に採用された。更には1964年5月に東京都文京区の椿山荘で開かれた学習院初等科同窓会に招待されて、昭和天皇の御前でこの歌を披露した。明治時代以降において日本芸能界初の天覧歌謡曲となる。

しかしその後は、1969年の『第20回NHK紅白歌合戦』まで7年連続出場していた紅白歌合戦も翌1970年に落選、1973年まで4年間出演出来なかった。1971年に俳優の和田浩治と結婚したが、翌1972年に離婚している。

1974年には床に座り込んで歌う「二人でお酒を」(作詞・山上路夫、作曲・平尾昌晃)が久々に大ヒット。同曲で第5回日本歌謡大賞・放送音楽賞、同年末の第16回日本レコード大賞・大衆賞をそれぞれ受賞し、また『第25回NHK紅白歌合戦』にも5年ぶり8回目の復帰出場を果たし、イメージ・チェンジを成功させた。一方、1971年7月から1978年2月まで『新婚さんいらっしゃい!』(司会・桂三枝)の2代目アシスタントを務めていた。

1975年末の『第26回NHK紅白歌合戦』は、第二次世界大戦中に流行したドイツの歌謡曲「リリー・マルレーン」を日本語詞で歌唱。

1976年は「メランコリー」(作詞・喜多条忠、作曲・吉田拓郎)が翌1977年にかけてロングヒット。同曲で1976年末に第18回日本レコード大賞・編曲賞(編曲・萩田光雄)を受賞し、『第27回NHK紅白歌合戦』に3年連続で出演した。

1979年、レコード会社をCBS・ソニー(現在のソニー・ミュージックレーベルズ)に移籍。同年日本専売公社(現在の日本たばこ産業)「パートナー」のCMソングに採用された「よろしかったら」(作詞・阿木燿子、作曲・筒美京平)がスマッシュヒット。1982年、前年の1981年5月に37歳で死去したシンガーソングライター・大塚博堂の「トマトジュースで追いかえすのかい」(作詞・阿久悠、作曲・大塚博堂)をカバーした。

1992年には『第43回NHK紅白歌合戦』に16年ぶり11回目の紅白カムバック出場を果たし、同年6月に死去した作曲家・中村八大を偲んで「こんにちは赤ちゃん」を歌唱した。

持ち歌である「こんにちは赤ちゃん」を自身で封印し長年コンサートでは歌わなかった。その理由は「この歌は今、私にとって重すぎる」「いまさらこの歌は私には似合わない」などというものだったが、2002年の40周年記念コンサートでのアンコールの際に「初めて、心からこの歌の素晴らしさを理解することが出来た。こんな良い歌を今まで歌わなかったのか、情けない」と言い、封印を解き歌唱。2006年には、「この曲は私にとって世に出してもらうきっかけであり、一番の宝物だから、大切にしよう。40年かかって、そんな気持ちになれたから、アンコールの最後に、やっと歌えたんです」と明かした。以後はステージでも必ず歌うようになった。「こんにちは赤ちゃん」の封印を解いた理由について、梓自身は「米国で日系の一世、二世の方々の前で(「こんにちは赤ちゃん」を)歌った時に皆さんが涙を流しているのを見て後悔したから」とも語っていた。

晩年は「良い歌は古い歌でも後輩の歌でも関係なく歌っていきたい」とJポップ、歌謡曲からタンゴ、シャンソンなど幅広いジャンルの歌を歌った。

2020年2月3日、東京都内の自宅で1月末に死去していたことが公表された。所属事務所によると、出演番組の打ち合わせで1月29日に訪れたマネージャーが、ベッドの上で亡くなっていた梓を見付けたという。マネージャーは警察に通報したが、事件性はなく、その場で死亡が確認された。76歳没。死因は心不全だった。

2020年2月9日にBSテレ東で「緊急特番 ありがとう!梓みちよさん」が放送された。司会は合田道人と水原恵理。

『さんまのまんま』第69回(1986年10月6日)に出演した時、明石家さんまの失礼な言動に対し怒って、グラスのシャンパンをさんまに対して掛けた。後日謝罪し、さんまにブレスレットをプレゼントした。ちなみに、騒動後に出したシングルのタイトルは『シャンペンでこんや破産』であった。

2016年7月11日、同年7月7日に83歳で死去した「こんにちは赤ちゃん」の作詞家・永六輔の訃報を受け、梓は「突然の訃報にただ驚いております。最後にお会いしたのは2年前『夢であいましょう』のイベントで、その時は『こんにちは赤ちゃんのアンサーソングを作ろうよ』の話で盛り上がり、お元気な印象でした。私がデビュー間もない頃に永さん作詞、中村八大さん作曲の『こんにちは赤ちゃん』の曲を頂いた時『ママでもないのにどう歌えばいいんですか?』と泣きそうになりながら聞いた処『いいかい、女性はみんな母性本能があるんだ。胸に玉のようなかわいい赤ちゃんを抱いていると思って歌えばいいんだよ』とアドバイスを頂きました。その言葉が昨日のように思い出されます。永さんなしでは『梓みちよ』という歌手は誕生しませんでした。感謝の気持ちしかありません。有難う御座いました。ご冥福をお祈り申し上げます」と追悼のコメントを発表した。

STVの歌(1960年代)札幌テレビ放送イメージソング ※ソノシート

むかしのむかし(1960年代)北海道民のうた選定委員会 ※ソノシート

愛はルフラン/二人でお酒を/こんにちは赤ちゃん ※新婚さんいらっしゃい! 委託EP

Michiyo Azusa/梓みちよ第一集(1963年7月)

⇒紙ジャケット仕様CD化(2014年5月・ディスクユニオン)

こんにちは赤ちゃん/梓みちよ第二集(1964年1月)

⇒CD化(1989年5月・キング194A-16)

マイ・カップル(1964年1月)田辺靖雄・梓みちよ

⇒CD化(1989年6月・キング194A-25)

おかあさん/みちよのヒットパレードVol.3(1964年8月)

⇒CD化(1989年5月・キング194A-16)

二人はステディー/マイ・カップルVol.2(1964年9月)田辺靖雄・梓みちよ ⇒CD(1989年6月・キング194A-25)

みちよと歌おう / 梓みちよの抒情歌集(1965年)

梓みちよ デラックス(1968年)

退職願い―ナツコの結婚―(1970年)

⇒紙ジャケット仕様CD化(2014年5月・ディスクユニオン DSKA-008)

グラスにうつる愛の詩(1975年4月)

⇒CD化(1994年2月・キング)

オリジナル・コレクション(1977年12月)

女が男を語るとき(1979年12月)CBSソニー移籍

リラックス(1980年8月)

いま、親友(1981年11月)

夜会服で…(1982年11月)

⇒CD化(2013年2月・ソニーオーダーメイドファクトリー「夜会服で... + 耳飾り」2 in 1仕様)

耳飾り(1984年2月)

⇒CD化(2013年2月・ソニーオーダーメイドファクトリー「夜会服で... + 耳飾り」2 in 1仕様)

黄昏のモンテカルロ(1986年11月)CBSソニー《アポロン移籍再発(1987年6月)》

モスクワの仔猫(1997年4月)バンダイ・ミュージックエンタテインメント

渚のセニョリーナ(1967年)以下キング・レコード

二人でお酒を(1974年)

ベスト20(1974年)

ベスト20(1975年)

メランコリー(ゴールデン・スター・ベスト・アルバム)(1976年)

ゴールデン・スター・ベスト・アルバム(1977年)

ベスト(1979年)

ベスト・スター・ダブル・デラックス(1979年)2枚組LP

ベスト16

ベスト14

THE BEST  (1980年11月 28AH1098) CBS・ソニー

THE BEST  (1981年11月 28AH 1347) CBS・ソニー

全曲集(1988年)アポロン 〈The 25th Anniversary〉

ベスト・ヒッツ(1989年)キング・レコード

ベスト・ヒッツ・コレクション キング・レコード

GOLDEN J-POP/THE BEST (1998年11月)Sony Music Entertainment〈CBSソニー時代のベスト〉

梓みちよ ベストアルバム(2000年11月)渡辺音楽出版株式会社

梓みちよCD-BOX(2002年7月)〈キング・レコード時代1963-1978のCD5枚組BOX〉

ゴールデン☆ベスト 梓みちよ ニュー・シャンソン(2005年3月)Sony Music Direct〈CBSソニー時代の全シングルA面、アルバムからの2枚組ベスト〉

エッセンシャル・ベスト(2007年12月) Sony Music Direct 〈CBSソニー時代のベスト〉

決定版2010(2009年12月)キング・レコード

決定版2016(2015年12月)キング・レコード

梓みちよ ベスト50(2017年2月)キング・レコード CD3枚組

決定版2020(2019年12月)キング・レコード

梓みちよ オン・ステージ(1972年)1972/9/6 渋谷公会堂でのライブ

梓みちよ・リサイタル(1975年)1975/2/17 大阪フェスティバル・ホールでのライブ

たのしい、たのしいクリスマス(1963年11月)

⇒CD化(1991年11月・キングKICX-144)

おかあさんへプレゼント(1966年)

梓みちよ パフォーマンス(1983年)

夢であいましょう(1991年)全5巻VHS

歌の妖精(2001年)全7巻VHS

夢で逢いましょ(1962年、東宝)星野洋子 役

若い仲間たち うちら祇園の舞妓はん(1963年、東宝)牧ミチル 役

こんにちは赤ちゃん(1964年、東宝)主演・会田道代 役(主題歌も担当)

虹をつかむ恋人たち(1965年、東映)

てなもんや東海道(1966年、東宝)お染 役

ドリフターズですよ!全員突撃(1969年、東宝)人魚の風子 役

アッと驚く為五郎(1970年、松竹)

ぼうや(1963年4月15日 - 9月30日、日本テレビ

松本清張シリーズ 万葉翡翠(1966年3月、関西テレビ)主演

お嫁さん(1)(1966年6月 - 12月、フジテレビ)主演・山縣まち子 役(主題歌も担当)

夏に恋する女たち(1983年8月5日 - 9月30日、TBS)青山早苗 役

銀河テレビ小説 男の子育て日記(1987年6月8日 - 7月3日、NHK総合)

透明人間 第5話(1996年5月11日、日本テレビ

ビューティ7 第10話(2001年9月5日、日本テレビ)田浦せつ 役

水戸黄門 第39部 第11話「若妻の言えない秘密? -天草-」(2008年12月22日、TBS)お勢 役

新婚さんいらっしゃい!(1971年7月 - 1978年2月、朝日放送)アシスタント

11PM(1982年6月 - 1983年5月、日本テレビ)金曜アシスタント

知りすぎていた男(ドリス・デイ)

ヤンマーファミリーアワー 飛べ!孫悟空(タコ妖怪)

日本専売公社「パートナー」(たばこ)

キングコモディティ証券

梓みちよ 美の秘訣(2014年10月4日 - 12月27日、TBSラジオ)

FM25時 梓みちよ ミュージック・ラウンジ(エフエム東京)

対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある()はトリ等を務めた回数を表す。

曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。

出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

1962年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手。

大里洋吉 - 元マネージャー。現アミューズ会長。

^ テレビ番組などではその限りではなかった。

^ デュエット:田辺靖雄。

^ マイ・カップル名義。

^ 梓みちよ Tower Records Online

^ >梓 みちよ (あずさ みちよ) アラベスク

^ "歌手の梓みちよさん死去 76歳「こんにちは赤ちゃん」「二人でお酒を」". Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 3 February 2020. 2020年2月3日閲覧。

^ 亡き梓みちよさん 葛藤40年「赤ちゃん」封印解く 日刊スポーツ2019.2.3(2019.2.3 lastaccess)

^ さんまにシャンパンかけた 梓みちよ 2012年10月23日 日刊ゲンダイ

^ “【トピックス】朝日新聞連載「おお宝塚 学舎100年」(1)~(4) おお宝塚(1)「こんにちは 私の青春」 - スターファイル - 朝日新聞社”. astand.asahi.com(2013年7月17日). 2020年2月3日閲覧。

^ 週刊テレビ番組(東京ポスト)1985年8月23日号「芸名由来記」64頁

^ 『音楽CD検定公式ガイドブック(下)』CDジャーナル(編)289p

^ 和田浩治 結婚1年7カ月で梓みちよと泥沼離婚 2013年7月17日 日刊ゲンダイ

^ "名曲封印「バカだった。後悔した」…梓みちよさん悼む」". スポーツ報知. 報知新聞社. 4 February 2020. p. 1. 2020年2月4日閲覧。

^ “梓みちよさんが死去、76歳 「こんにちは赤ちゃん」などが大ヒット”. SANSPO.COM(サンスポ) (2020年2月3日). 2020年2月3日閲覧。

^ “「こんにちは赤ちゃん」梓みちよさん死去、76歳 先月末に自宅で亡くなっていた - 最新芸能ニュース一覧”. 楽天WOMAN(2020年2月3日). 2020年2月3日閲覧。

^ “梓みちよさん急死、76歳 「こんにちは赤ちゃん」「二人でお酒を」が大ヒット マネージャーが自宅で発見”. スポニチAnnex(2020年2月4日). 2020年2月6日閲覧。

^ 「永さんなしで梓みちよは誕生しなかった」悼む 2016年7月12日 日刊スポーツ

^ 朝日新聞デジタル「歌手の梓みちよさん死亡」(2020年2月3日)

^ “第25回 大里洋吉 氏 | Musicman”. 音楽業界総合情報サイト | Musicman. 2021年4月9日閲覧。

梓みちよ - NHK人物録

江美早苗 / 梓みちよ / ジョーン・シェパード / 片平なぎさ / 岡本夏生 / 渡辺美奈代 / 山瀬まみ / 井上咲楽

1959(1) 水原弘「黒い花びら」

1960(2) 松尾和子/和田弘とマヒナスターズ「誰よりも君を愛す」

1961(3) フランク永井「君恋し」

1962(4) 橋幸夫/吉永小百合「いつでも夢を」

1963(5) 梓みちよ「こんにちは赤ちゃん」

1964(6) 青山和子「愛と死をみつめて」

1965(7) 美空ひばり「柔」

1966(8) 橋幸夫「霧氷」

1967(9) ジャッキー吉川とブルー・コメッツ「ブルー・シャトウ」

1968(10) 黛ジュン「天使の誘惑」

1969(11) 佐良直美「いいじゃないの幸せならば」

1970(12) 菅原洋一「今日でお別れ」

1971(13) 尾崎紀世彦「また逢う日まで」

1972(14) ちあきなおみ「喝采」

1973(15) 五木ひろし「夜空」

1974(16) 森進一「襟裳岬」

1975(17) 布施明「シクラメンのかほり」

1976(18) 都はるみ「北の宿から」

1977(19) 沢田研二「勝手にしやがれ」

1978(20) ピンク・レディー「UFO」

1979(21) ジュディ・オング「魅せられて」

1980(22) 八代亜紀「雨の慕情」

1981(23) 寺尾聰「ルビーの指環」

1982(24) 細川たかし「北酒場」

1983(25) 細川たかし「矢切の渡し」

1984(26) 五木ひろし「長良川艶歌」

1985(27) 中森明菜「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」

1986(28) 中森明菜「DESIRE -情熱-」

1987(29) 近藤真彦「愚か者」

1988(30) 光GENJI「パラダイス銀河」

1989(31) Wink「淋しい熱帯魚」

1990(32) 堀内孝雄「恋唄綴り」・B.B.クィーンズ「おどるポンポコリン」

1991(33) 北島三郎「北の大地」・KAN「愛は勝つ」

1992(34) 大月みやこ「白い海峡」・米米CLUB「君がいるだけで」

1993(35) 香西かおり「無言坂」

1994(36) Mr.Children「innocent world」

1995(37) trf「Overnight Sensation 〜時代はあなたに委ねてる〜」

1996(38) 安室奈美恵「Don't wanna cry」

1997(39) 安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」

1998(40) globe「wanna Be A Dreammaker」

1999(41) GLAY「Winter,again」

2000(42) サザンオールスターズ「TSUNAMI」

2001(43) 浜崎あゆみ「Dearest」

2002(44) 浜崎あゆみ「Voyage」

2003(45) 浜崎あゆみ「No way to say」

2004(46) Mr.Children「Sign」

2005(47) 倖田來未「Butterfly」

2006(48) 氷川きよし「一剣」

2007(49) コブクロ「蕾」

2008(50) EXILE「Ti Amo」

2009(51) EXILE「Someday」

2010(52) EXILE「I Wish For You」

2011(53) AKB48「フライングゲット」

2012(54) AKB48「真夏のSounds good !」

2013(55) EXILE「EXILE PRIDE 〜こんな世界を愛するため〜」

2014(56) 三代目J Soul Brothers from EXILE TRIBE「R.Y.U.S.E.I.」

2015(57) 三代目J Soul Brothers from EXILE TRIBE「Unfair World」

2016(58) 西野カナ「あなたの好きなところ」

2017(59) 乃木坂46「インフルエンサー」

2018(60) 乃木坂46「シンクロニシティ」

2019(61) Foorin「パプリカ」

2020(62) LiSA「炎」

2021(63) Da-iCE「CITRUS」

2022(64) SEKAI NO OWARI「Habit」

2023(65) Mrs. GREEN APPLE「ケセラセラ」

第32回から第34回までは演歌・歌謡曲とポップス・ロックの2部門に分けて発表された。括弧内の数字は第○回を示す。

ISNI

VIAF

WorldCat

アメリカ

日本

MusicBrainz

日本の女性歌手

日本の女優

日本レコード大賞受賞者

NHK紅白歌合戦出演者

過去の渡辺プロ系列所属者

過去のプロダクション尾木所属者

キングレコードのアーティスト

ソニー・ミュージックレコーズのアーティスト

福岡女学院高等学校出身の人物

福岡市出身の人物

1943年生

2020年没

ウィキデータと異なるNHK人物録ID

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2024/11/19 22:37更新

azusa michiyo


梓みちよと同じ誕生日6月4日生まれ、同じ福岡出身の人

山本 元気(やまもと げんき)
1961年6月4日生まれの有名人 福岡出身

山本 元気(やまもと げんき、1977年8月2日 - )は、日本の男性キックボクサー。京都府出身。DTS GYM(旧DEION GYM)所属。 2000年1月28日、プロデビュー。 2000年4月…

赤木 悠真(あかぎ ゆうま)
1987年6月4日生まれの有名人 福岡出身

赤木 悠真(あかぎ ゆうま、1987年6月4日 - )は、日本の俳優、歌手。福岡県出身。たむらプロ所属。 身長:181cm。 特技はサッカー、和太鼓、タップダンス、車の外反検出・手直し、筑後弁。普…

漆原 輝(うるしばら ひかる)
1988年6月4日生まれの有名人 福岡出身

漆原 輝(うるしばら ひかる、1988年6月4日 - )は、NHKのアナウンサー。 香川県丸亀市出身。香川県立丸亀高等学校、早稲田大学人間科学部卒業。 身長は180cm。大学在学中は、ファッション…


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NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


梓みちよと近い名前の人

山本 梓(やまもと あずさ)
1981年4月24日生まれの有名人 千葉出身

山本 梓(やまもと あずさ、1981年4月24日 - )は、日本のタレント、元グラビアモデル。本名、梶原 梓(かじわら あずさ)。千葉県船橋市出身。トミーズアーティストカンパニー所属。夫は青年実業家の…

松本 梓(まつもと あずさ)
1977年8月1日生まれの有名人 出身

松本 梓(まつもと あずさ、本名:Azusa Matsumoto、1977年8月1日 - )は、かつて日本で活動していたタレント・アニメ作画家・演出家・Manga artist。 愛知県名古屋市出身…


滝島 梓(たきしま あずさ)
1972年1月14日生まれの有名人 出身

滝島 梓(たきしま あずさ、1972年1月14日 - )は、日本のタレント、女優。元シャイニングウィル、元オリオンズベルトに所属。生年は非公表だが、設定年齢が17歳だった電波子当時の実年齢は21歳であ…

神野 梓(じんの あずさ)
1998年9月9日生まれの有名人 出身

神野 梓(じんの あずさ、1998年9月9日 - )は日本の女性タレント、アングラーズアイドル・YouTuber・ダンサー。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出…

大倉 梓(おおくら あずさ)
1991年5月10日生まれの有名人 大阪出身

大倉 梓(おおくら あずさ、1991年(平成3年)5月10日 ‐ )は日本の女性タレント、ファッションモデル、女優。現在フリーで活動。大阪府出身。 2012年7月: 「呪報2405 ワタシが死ぬ理由…

梓 真悠子(あずさ まゆこ)
1976年7月26日生まれの有名人 東京出身

梓 真悠子(あずさ まゆこ、1976年7月26日 - )は、日本のタレント・女優・料理研究家。本名、佐藤 真悠子(さとう まゆこ)。旧姓、池端。神奈川県出身。 幼稚舎から大学まで慶應義塾に在籍し、1…

竹花 梓(たけはな あづさ)
1976年4月9日生まれの有名人 群馬出身

竹花 梓(たけはな あづさ、1976年4月9日 - 2012年12月9日)は日本のファッションモデル、女優。群馬県出身。 桜美林短期大学卒業。主にCM等のモデルとして日本だけでなくアジア各国で活動し…


小野寺 梓(おのでら あずさ)
8月8日生まれの有名人 秋田出身

小野寺 梓(おのでら あずさ、8月8日 - )は、日本のアイドル。女性アイドルグループ・真っ白なキャンバスのメンバー。秋田県出身。 2017年9月、真っ白なキャンバス結成時にオリジナルメンバーの一人…

南 梓(みなみ あずさ)
1990年12月28日生まれの有名人 愛知出身

南 梓(みなみ あずさ、1990年12月28日 - )は、日本の元タレント。ライブアイドル、モデル、レースクイーン等で活動した。 愛知県名古屋市出身。 2013年11月 名古屋美少女ファクトリー(…

渡辺 梓(わたなべ あずさ)
1969年2月20日生まれの有名人 静岡出身

渡辺 梓(わたなべ あずさ、1969年〈昭和44年〉2月20日 - )は、日本の女優。静岡県富士宮市出身。無名塾を経てフリー。 静岡県立富士高等学校卒業。 1987年、高校卒業後、仲代達矢主宰の無…

三根 梓(みね あずさ)
1991年12月21日生まれの有名人 佐賀出身

三根 梓(みね あずさ、1991年12月21日 - )は、日本の女優、元女性ファッションモデル。 佐賀県嬉野市出身。テンカラット所属。 小学3年生から高校3年生まで女子バレーボール部に10年間所属…

馬場園 梓(ばばぞの あづさ )
1981年3月1日生まれの有名人 大阪出身

アジアンは、かつて吉本興業で活動していた日本のお笑いコンビ。2002年に結成し、2021年6月に解散。『M-1グランプリ2005』ファイナリスト、『女芸人No.1決定戦 THE W 2017』第3位。…


武田 梓(たけだ あずさ)
1992年2月21日生まれの有名人 神奈川出身

武田 梓(たけだ あずさ、1992年2月21日 - )は、日本の女優、モデル。ファイブ☆エイト所属。神奈川県出身。 CS発!美少女箱(2004年 - 2005年、フジテレビ721・739) スーパー…

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