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樺美智子の情報 (かんばみちこ)
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樺 美智子さんについて調べます

■名前・氏名
樺 美智子
(読み:かんば みちこ)
■職業
学生運動犠牲者
■樺美智子の誕生日・生年月日
1937年11月8日 (年齢22歳没)
丑年(うし年)、蠍座(さそり座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和12年)1937年生まれの人の年齢早見表

樺美智子と同じ1937年生まれの有名人・芸能人

樺美智子と同じ11月8日生まれの有名人・芸能人

樺美智子と同じ出身地東京都生まれの有名人・芸能人


樺美智子と関係のある人

利根川進: 1960年6月15日に樺美智子の死の後には、京都から上京。


ドワイト=アイゼンハワー: さらに6月15日には警官隊が国会議事堂正門前でデモ隊と衝突し、デモに参加していた大学生の樺美智子が圧死するという事件が発生した上、銃撃などによりアイゼンハワーの身に危害が加えられる可能性も出てきたという情報すら入ってきたため、最終的に日本側よりアメリカに訪日を止めるよう要請し、訪問を取りやめた。


柏村信雄: さらに国会構内への突入を図った17000人と機動隊が激突し、樺美智子が死亡する。


江刺昭子: 『樺美智子 聖少女伝説』文藝春秋、2010


岸信介: さらに6月15日には、自由民主党からの支援を受けたヤクザと右翼団体がデモ隊を襲撃して多くの重傷者を出し、国会構内では警官隊とデモ隊の衝突により、学生で共産活動家の樺美智子が圧死する事故が発生。


八木田宜子: 駒場時代は樺美智子の同級生で、安保反対運動に参加していた。


井手峻: 2年次の1960年には安保闘争のデモに1回だけ参加し、その日は樺美智子が亡くなった一番激しい日であった。


島碩弥: 混乱の中で樺美智子が撲殺された現場から、数十メートルの至近距離であった。


岸信介: 岸側近の小川半次は、岸が大野への禅譲を匂わせながら池田が後継となったことへの憤激が犯行動機であるとするが、荒牧自身は、樺美智子とその父親樺俊雄への同情が動機であり、美智子の死亡後に俊雄とも面会し、「岸に反省をうながす意味でやった」と供述して岸への殺意や大野との背後関係は否定している。


加藤登紀子: その4日後に樺美智子の訃報にショックを受け、翌朝に事件をニュース原稿にし校内放送した。


二階俊博: 大学で最も衝撃的だったエピソードとして、大衆文化に関する授業を受けていた樺俊雄の娘である樺美智子が安保闘争のデモで圧死したことをあげている。


杉村春子: 衆議院南通用門で樺美智子が惨死したのはその数時間後だった。


鷹匠訓子: 芸名「白樺美智子」を用いた。


樺美智子の情報まとめ

もしもしロボ

樺 美智子(かんば みちこ)さんの誕生日は1937年11月8日です。東京出身の学生運動犠牲者のようです。

もしもしロボ

エピソード、死亡事件に対する見解・評価などについてまとめました。卒業、現在、事件、家族に関する情報もありますね。22歳で亡くなられているようです。

樺美智子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

樺 美智子(かんば みちこ、1937年〈昭和12年〉11月8日 - 1960年〈昭和35年〉6月15日)は、日本の学生運動家。安保闘争で死亡した東京大学の女子学生である。

曽祖父は鳥取県出身の数学者樺正董、父は社会学者の樺俊雄。

1937年(昭和12年)に東京都北多摩郡武蔵野町(現・武蔵野市)の学者の家系に生まれた。2人の兄がいる。中学から父の神戸大学赴任にともない兵庫県芦屋市に移る。

芦屋市立山手中学校、兵庫県立神戸高等学校を卒業後、一浪して東京の研数学館(お茶の水校)へ通ったが、授業に満足できず、6月に紅露外語予備校に移ったが、午前中だけの授業に飽き足らず、2学期から駿台予備学校に移る。1957年(昭和32年)に東京大学文科二類(現在の文科三類)に入学。同級生には歴史学者の長崎暢子や経済企画審議官の加藤雅などがいる。

1957年11月の誕生日に日本共産党に入党した。その後共産主義者同盟(ブント)の活動家(書記局員)として1960年(昭和35年)の安保闘争に参加する。高木正幸は樺がブント創設以来の活動家であったことを自著で紹介している。76名が検挙された1960年1月26日の全学連羽田空港占拠事件の時に東京大学文学部自治会副委員長として参加し検挙され拘置所に入った事があるが、この時は不起訴処分となっていた。 その後も、主流派である共産同系の全学連は、過激な行動を繰り返し、「国会請願デモ(国会乱入未遂)事件」(4月26日)、「首相官邸乱入事件」(5月20日、6月3日)等を引き起こした。

改定安保条約批准承認成立やアイゼンハワー米国大統領訪日を目前に控えた同年6月15日のデモで全学連主流派が「安保決戦の日」と叫んで、衆議院南通用門から国会構内に乱入して警官隊と衝突した際に死亡した。22歳没。死亡当日は、淡いクリーム色のカーディガンに白のブラウス、濃紺のスラックス姿だった。墓所は多磨霊園(21区2種32側14番)。

エピソード

樺は学者を目指して徳川慶喜に関する卒論に取り組んでおり、事件当日には所属していた国史研究室の先輩にあたる伊藤隆(当時修士2回生)と、「卒論の準備は進んでいるか」「今日を最後にするからデモに行かせてほしい」「じゃあ、それが終わったら卒論について話をしよう」という会話を交わしていた。

母・光子による遺稿集『人しれず微笑まん』(1960年)と書簡集『友へ―樺美智子の手紙』がある。また雑誌『マドモアゼル』が生前の樺美智子に最後のインタビューを行った。光子は、デモに向かう美智子に対して「警官を憎んではいけない。自分たちよりも条件の悪い、貧しい育ちの青年が多い。その人たちを敵と思ってはいけない」と諭したと、鶴見俊輔が元『朝日ジャーナル』編集部員である村上義雄のインタビューで語っている。

死亡事件に対する見解・評価

警察病院の検死では死因は胸部圧迫及び頭部内出血となっている。これについて警察側は転倒が原因の圧死と主張し、学生側は機動隊の暴行による死亡と主張した。この事件はラジオでも実況中継され樺美智子の死は多くの人に衝撃を与えることとなったが、1960年6月17日に在京マスメディア7社は共同宣言を発表し、その中で学生らのデモを「暴力」であるとして「暴力を排除し議会主義を守らなければならない」と述べた。

樺の死因について山本夏彦はコラムで以下のように述べている。中略した部分は山崎博昭の死因について触れた部分である。

当時、全学連主流派と対立していた日本共産党は、樺の死に際して「樺美智子さん(共産主義者同盟の指導分子)の死は、官憲の虐殺という側面とトロツキスト樺さんへの批判を混同してはいけない。樺さんの死には全学連主流派の冒険主義にも責任がある」と述べ、政府・警察と全学連側の行動の双方を非難した。

日中友好協会幹部であった橋爪利次は中国側に対して、「日本海をこえた日本での問題の評価は、私たちが決める問題です。特に樺さんは、本人やご家族に取っては気毒な結果になったが運動の破壊となる過激分子のなかでおこった問題であって、民族英雄とはいえない…」と抗議した。

保阪正康によると、樺の死に対し中国からカンパが寄せられた(当時の日本円で約1,000万円)が、日本共産党が全額手中に収め、「これは前衛政党に送られたもの」と主張した。もめた挙句に救援会が作られたが、樺の霊前に供えられた香典はわずかに5万円であったという 。これに対し、日本共産党は「わが党はこういう香典のあつかいはまったくやっていない」、「恥ずべきデマ」と否定している。

松本健一によれば、右翼活動家、歌人でもある影山正治は日米安保に反対する立場から樺の死について、「樺美智子さんの死に対しては、心から哀悼の言葉を述べたい。私は彼女こそ日本のためになくなった愛国者だと思う。こういう人が私達右翼陣営から出なかったことを残念に思う」と評した 。当時科学技術庁長官であった中曽根康弘は、閣議で「本日以降、社会情勢は一変するであろう。死とか血とかを見ることは日本人には非常なショックを与える。死んだ女子学生と同年の娘を持つ父兄も異常に影響されるだろう」と演説している。

石原慎太郎は樺の死について雑誌『展望』に寄稿した際、「自分で自分を踏み殺した女子学生」と表現したところ、その論旨にいかにも共鳴したといっていた編集者が、この言い回しだけはどうしても抵抗を感じると言い出した。石原は譲らずに通したが、出来上がった雑誌にはこの部分が削除されていたことを回想している。

なお、いくつかの文献では、樺が活動家であったことを記述せず、単に「女子学生」「女子東大生」としか記していない。

2024/06/24 23:09更新

kanba michiko


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