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渡辺康幸の情報 (わたなべやすゆき)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

渡辺康幸の情報(わたなべやすゆき) 陸上競技/長距離 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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渡辺 康幸さんについて調べます

■名前・氏名
渡辺 康幸
(読み:わたなべ やすゆき)
■職業
陸上競技
長距離
■渡辺康幸の誕生日・生年月日
1973年6月8日 (年齢51歳)
丑年(うし年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
千葉出身

(昭和48年)1973年生まれの人の年齢早見表

渡辺康幸と同じ1973年生まれの有名人・芸能人

渡辺康幸と同じ6月8日生まれの有名人・芸能人

渡辺康幸と同じ出身地千葉県生まれの有名人・芸能人


渡辺康幸と関係のある人

瀬古利彦: 武井隆次・櫛部静二・花田勝彦・渡辺康幸らを擁し第69回箱根駅伝総合優勝を果たした他、全日本大学駅伝4連覇など母校の躍進に貢献した。


高岡寿成: 1996年6月の日本選手権男子10000mでは残り200m時点で4位であったが、そこからエスビー食品勢の平塚潤・渡辺康幸をかわして2位に浮上すると、花田勝彦とのラストスパートを制し優勝。


武井隆次: 3年時の第69回では渡辺康幸が入学し、早大は総合優勝を果たす。


メクボ=モグス: 第38回大会では11位で襷を渡されると驚異的な走りで次々と抜いていきシード権の5位まで押し上げ、渡辺康幸が持っていた区間記録を20秒近く更新した。


竹澤健介: またこれは渡辺康幸の持っていた10000m日本人学生記録を12年ぶりに塗り替えるものであり、日本歴代9位(当時)となる記録であった。


竹澤健介: 小学生の頃テレビを通して早稲田大学・渡辺康幸の活躍を目の当たりにし、渡辺と、渡辺が着ていた早稲田大学の臙脂色のユニフォームに憧れ箱根駅伝を走りたくなったという。


北條愁子: 2008年3月、渡辺康幸(早稲田大学競走部監督(現・住友電工陸上部監督))と結婚。


大迫傑: 日本人としては1995年福岡大会の渡辺康幸以来となる16年ぶりの優勝となった。


ハイレ=ゲブレシラシエ: なお、この事件によりマチュカは失格となり、順位が繰り上がった渡辺康幸が銅メダルを獲得している。


竹澤健介: 2013年7月に住友電工へ入社し、2015年4月からは、住友電工陸上競技部監督に就任した大学時代の恩師である渡辺康幸から再び指導を受ける。


佐藤悠基: 1時間01分06秒を記録して渡辺康幸が持つ区間記録を更新、2年連続で区間新記録を樹立した。


渡辺康幸の情報まとめ

もしもしロボ

渡辺 康幸(わたなべ やすゆき)さんの誕生日は1973年6月8日です。千葉出身の陸上競技
長距離のようです。

もしもしロボ

卒業、引退、趣味、父親、テレビ、兄弟に関する情報もありますね。今年の情報もありました。渡辺康幸の現在の年齢は51歳のようです。

渡辺康幸のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

渡辺 康幸(わたなべ やすゆき、1973年6月8日 - )は、千葉県千葉市花見川区出身の日本の陸上競技元選手、現指導者・スポーツ解説者。専門は長距離走・駅伝競走・マラソン。住友電工陸上競技部監督。千葉市立畑小学校、千葉市立花園中学校、市立船橋高校、早稲田大学人間科学部卒業

市立船橋高校、早稲田大学のエースとして高校総体、全国高等学校駅伝競走大会、箱根駅伝などの大会で活躍を見せた。大学卒業以降は瀬古利彦の指導を受けて、日本代表として1992年世界ジュニア陸上競技選手権大会10000m3位、1995年世界陸上競技選手権イェーテボリ大会10000m12位、ユニバーシアード福岡大会10000m優勝の成績を収めた。1996年にエスビー食品へ入社しマラソンで世界を目指した。1996年アトランタオリンピックの10000mはアキレス腱の故障により出場ができなかった。度重なる怪我により2002年に現役を引退した。

その後は指導者へ転身し、当時低迷していた母校早稲田大学競走部長距離部門の育成に取り組み2004年に監督に就任した。2010年の第22回出雲全日本大学選抜駅伝競走、第42回全日本大学駅伝対校選手権大会、2011年の第87回東京箱根間往復大学駅伝競走を制した。2015年3月をもって早稲田大学競走部駅伝監督を退任、2015年4月からは住友電気工業陸上競技部監督を務めている。

1973年、千葉県八千代市に生まれ、1980年、千葉市花見川区へ転居。渡辺の祖父(公務員)は元800m栃木県記録保持者で、父(銀行員)も短距離走の選手という家庭に育った。1986年、千葉市立畑小学校を卒業後は千葉市立花園中学校に進学。父の勧めにより陸上部に入部した。中学校の陸上部の練習は厳しくなかったが走ることに楽しさを見出し、3年時に千葉県大会800m3位となった。また駅伝では千葉市大会で区間賞を獲得して優勝し、千葉市選抜チームとして出場した千葉県中学校駅伝大会でも区間賞を獲得した。 また幼少よりピアノも習い花園中学校の合唱祭ではピアノ伴奏も務めた(1996年アトランタオリンピックの日本選手団プロフィールより。趣味・特技:ピアノ)。

渡辺は県駅伝大会の結果により、箱根駅伝の強豪私立大学の附属校からのスカウトを受けて進学を考えていたが、その後市立船橋からの勧誘を受けた。監督の小出義雄が中学生の渡辺について「タイムは関係ないんですよ。大切なのはフォーム。康幸くんは大きな走りでねえ。こりゃあ絶対に伸びると思った」と高く評価しており、小出や渡辺敏彦が指導する陸上全国区の強豪校「市船」に憧れを抱いていた渡辺は、私立校への進学を勧める父親を説得し、市立船橋高校普通科の一般入試に合格して同校へ進学した。

市立船橋高校では渡辺敏彦監督指導の下、渡辺は陸上強豪校の厳しい練習を重ねた。朝練習からビルドアップ走と呼ばれる後半にかけて速度を上げるトレーニングの9km走が日課となった。放課の練習内容は曜日によって異なり、大きな高低差があるコースの20km走や、400m×20本のインターバル走、あるいはクロスカントリーコースを走る練習などを行なっていた。休養は日曜日のみであった。練習の成果はすぐに現れ、入学4ヵ月後の8月に初めての全国大会出場となる国民体育大会に出場し、少年男子B5000mで2位入賞の成績を残した。

渡辺は1989年の1年時から全国高等学校駅伝競走大会・都大路に3年連続出場した。1年時は準エース区間の3区8.1075kmを走った。この時のエース区間の1区では、後の早大・SB食品で同僚となる武井隆次(東京・國學院久我山3年)が区間賞の走りをした。2年時からは2年連続で各校のエースが集う花の1区・10.0kmを走った。NHKのテレビ中継でレースの解説を務めた宗茂が「彼は高校2年生にして、実業団2年目の選手に匹敵する走力の持ち主」と紹介するなど注目を集める中、堀尾典臣(鳥取・由良育英3年)や佐藤信之(愛知・中京3年)らを振り切り29分42秒で区間賞を獲得した。3年時は区間記録29分29秒の更新を狙って西京極競技場を先頭で飛び出し、前田了二(佐賀・白石3年)や磯松大輔(福岡・大牟田3年)ら2位以下に70m差をつけるなどハイペースで後続を振り落としつつ疾走した。7km過ぎで腹痛を起こし9kmからのラスト1kmは3分以上要したが、29分34秒を記録して区間賞を獲得し、チームも大牟田に次ぐ総合2位をマークした。1区の2年連続区間賞獲得は30年ぶり史上4人目となる快挙であった。また、都大路前の関東高校駅伝1区10kmでは高校生初の28分57秒を記録している。

2年時から高校長距離では無敵を誇り、1990・1991年の国民体育大会少年A10000mを連覇した。3年時には全国高等学校総合体育大会で1500m・5000mの2種目を制した。12月1日の中央大学記録会10000mにおいて28分35秒8を記録し、櫛部静二の従来記録を36秒更新する日本高校記録を樹立した。

さらに渡辺は1990年8月にプロヴディフで開催された世界ジュニア陸上競技選手権大会5000mに出場し、初めて日の丸のユニフォームを身にまとった。この時は緊張から来る腹痛により予選を途中棄権する結果に終わったが、世界の大舞台・世界の強さを自らの身で経験し、成長への大きなきっかけとした。1991年3月ボストンで開催された世界クロスカントリー選手権ジュニアでは優勝したイスマイル・キルイから31秒差、2位のハイレ・ゲブレセラシエから23秒差でゴールし、日本勢最高位の7位に入った。渡辺は10以上の大学・実業団からスカウトを受けたが、コーチを務める瀬古利彦の勧誘を受け、武井隆次・櫛部静二・花田勝彦ら強い選手と競争できる環境を求めて早稲田大学人間科学部に進学した。

1992年4月、早稲田大学に入学した。渡辺はエンジのユニフォームに袖を通して、1年春から活躍を見せた。同じ早稲田大学の2年先輩である三羽烏と呼ばれた武井隆次・櫛部静二・花田勝彦、1年後輩の小林雅幸の他に、山梨学院大学の留学生であるステファン・マヤカなど、渡辺の大学時代には優秀な長距離選手が揃っていた。特に同学年のマヤカとはトラック・駅伝の舞台を問わず熾烈な戦いを繰り広げた。渡辺は後に、関東学生陸上競技対校選手権大会5000m2連覇、10000m3連覇、日本学生陸上競技対校選手権大会5000m2連覇を飾るなど秀でた成績を残した。

大学1年時の1992年、渡辺は5月の関東学生陸上競技対校選手権大会10000mで武井に次ぐ2位に入り、9月11日の日本学生陸上競技対校選手権大会5000mで高岡寿成に次ぐ2位となった。9月18日の世界ジュニア陸上競技選手権大会10000mでは3位に入賞し銅メダルを獲得した。このレースでは2位でゴールしたケニアのジョセファト・マチュカ(英語版)が、優勝したハイレ・ゲブレセラシエをレース中に殴ったため失格となり、4位でゴールした渡辺が3位に繰り上がった。11月、渡辺は第24回全日本大学駅伝で初めてエンジの襷を胸に掛けて大学駅伝を走り、早稲田大学による全日本大学駅伝初優勝の一員となった。第69回箱根駅伝では花の2区・23.2kmに抜擢された。1区櫛部から襷を受けると先頭を守り、早稲田大学7年ぶりの往路優勝および8年ぶりの総合優勝に貢献した。早稲田大学は総合タイムの新記録を樹立した。

大学2年時の1993年、渡辺は8月にバッファローで開催されたユニバーシアード10000mに出場し銀メダルを獲得するなど活躍を見せた。全日本大学駅伝を連覇した後、第70回箱根駅伝に出場し1時間01分13秒を記録し、前年櫛部が記録した1区の従来の記録を上回る区間新記録を樹立した。駅伝とハーフマラソンの違いがあるものの、日本記録を上回る記録と言われた。だが、この時同じく1区を走った山梨学院大学の井幡政等も区間新記録の快走を見せ、井幡とわずか27秒差しか広げられず、その後2区で花田がマヤカに抜かれると、早稲田大学は連覇を逃し、山梨学院大学が総合タイムの記録を更新して優勝した。ちなみにこのとき出した1時間1分13秒は2007年に東海大学の佐藤悠基に抜かれるまで区間記録だった。

大学3年時の1994年、渡辺は夏にヨーロッパに遠征し、アスレティッシマで世界陸上競技選手権大会の10000m参加標準記録A28分10秒00をクリアした。ロンドングランプリで5000mの自己記録となる13分26秒53を記録した。遠征によってトラック種目での世界トップレベルとの力の差を実感し、マラソンで世界を目指すことを意識する。11月、渡辺は全日本大学駅伝に8区アンカーとして出場した。区間新記録を樹立する走りで粘る山梨学院大学の中村祐二を振り切り、早稲田大学の3連覇に貢献した。第71回箱根駅伝では2区を走り、マヤカを抑えて区間賞を獲得。初めての1時間06分台となる1時間06分48秒の区間新記録を樹立した。この大会では2区渡辺、3区小林正幹、4区小林雅幸と早稲田勢が3区間連続で区間記録を更新した。早稲田大学は往路新記録を樹立し2年ぶりの往路優勝を飾った。渡辺は箱根の後1000kmを走る距離練習を積み、1995年3月のびわ湖毎日マラソンでマラソンに挑戦する予定であったが、この年の多量の花粉飛散を原因とする花粉症に悩まされて気管支炎になり出場を断念した。

大学4年時の1995年、渡辺はインカレ、日本選手権の出場を経て、8月6日世界陸上競技選手権大会10000m予選2組に出場した。第2集団につけてレースを進め、終盤に追い上げて27分48分55の記録で6着となり、予選通過を果たした。この時の記録は瀬古が保持していた男子10000mの日本学生記録を更新するものであった。8月8日の10000m決勝ではハイレ・ゲブレセラシエが27分12秒95の大会新記録で2連覇を飾ったが、渡辺は27分53秒82の記録で12位となった。渡辺は、日本選手権から世界選手権の予選・決勝にかけて3戦連続で10000m27分台を記録した。9月2日福岡で開催された第18回ユニバーシアード10000mに出場した。雨の中、残り500mからスパートをかけマヤカを振り切り優勝、金メダルを獲得した。11月の第27回全日本大学駅伝対校選手権大会では中央大学との1分31秒という大差を逆転し、早稲田大学の全日本駅伝4連覇に貢献した。この秋、渡辺はアトランタオリンピックのマラソン日本代表選出と瀬古が持つ大学生初マラソン記録更新を目標として、月間走行距離900kmの練習を積んでいた。

1996年の第72回箱根駅伝を競走部主将として迎えた。2区を走る渡辺は先頭から37秒差の9番手で1区梅木蔵雄の襷を受け取り、2.4kmまでに8人を交わして先頭に立った。最初の5kmを14分05秒で通過するハイペースで終盤まで押し切り、2分04秒まで差を広げた。5区では小林雅幸が区間新記録を樹立して早稲田大学は往路優勝を飾った。渡辺の箱根駅伝総合優勝は大学1年時第69回大会の1度に止まる。渡辺の2年時、早稲田大学は武井・櫛部・花田・小林正幹・渡辺・小林雅幸と、10000mの自己記録28分台を持つ選手を6人揃えて「ビッグ6」と呼ばれ、実業団と互角に戦えるチームと言われた。一方で、その他の選手との力の差があったことや、箱根駅伝特有の5区、6区の適性にあった選手を揃えていなかったことから、8人で走る全日本大学駅伝では4連覇を達成した一方、10人の選手を必要とする箱根駅伝では5区、6区でチームは毎年ブレーキとなり大学1年時しか総合優勝を達成できなかった(唯一、総合優勝を果たした第69回大会でも6区で一度山梨学院大学に逆転を許している)。

箱根駅伝後の1月5日、渡辺は東京国際マラソンへ向けて練習を再開した。渡辺は左太もも裏に筋膜炎を起こしながらも練習を続行していたが肉離れを起こし、2月12日に東京国際マラソンの出場辞退を発表した。この後3月のびわ湖毎日マラソンに目標を切り替えて奄美大島で合宿を積み、アトランタオリンピック日本代表を目指した。3月3日、初マラソンのびわ湖毎日マラソンでは先頭集団につけて進んだが、35km過ぎから遅れはじめて2時間12分39秒の記録で7位に終わった。渡辺は10社以上の実業団から勧誘を受けたが、ヱスビー食品に入社した。

1996年ヱスビー食品に入社した渡辺は、トラック種目で1996年アトランタオリンピック日本代表を目指すことになった。6月、同オリンピック選考大会になる日本陸上競技選手権大会10000mでは、高岡寿成がエスビー勢の平塚潤、渡辺、花田勝彦らに競り勝ち、渡辺はラスト勝負で高岡・花田らに僅かに及ばなかったものの3位に入り、男子長距離トラックの10000m日本代表に選出された。しかし、日本選手権時に左足のアキレス腱を痛めた。アトランタオリンピックの10000m予選を迎えて左足の状態は悪化しており、アキレス腱に強い痛みが起きていた。このために直前で出場を回避した。この故障が長引いて、レースに出られない状態が続いた。

1998年1月のニューイヤー駅伝の最終7区では区間新記録を樹立する走りで追い上げた。先頭を行く旭化成には届かなかったが、エスビー食品は準優勝を飾った。4月、兵庫リレーカーニバル10000mに出場し日本歴代6位となる27分46秒39を記録するなど、この年渡辺はアキレス腱の故障を抱えながらも練習を積んでいた。夏にマラソンへ向けて距離練習に挑んでいたが、9月の合宿期間中に左太ももの故障を再発。12月、福岡国際マラソンに出場し30kmまで先頭集団につけレースを進めたが、左太ももを痛めて34km過ぎで無念の途中棄権となった。2000年シドニーオリンピックには故障再発のために、マラソン・長距離トラックの国内選考会へ出場ができなかった。アトランタオリンピックで棄権して以降、渡辺は心無い批判を受けることもあり苦しんでいた。2002年夏、渡辺に故障が再発、7年間で7度という慢性的なアキレス腱の故障によって2002年9月9日に引退を発表した。

2003年4月から母校・早稲田大学へ出向し、競走部コーチとして指導に当たった。早稲田大学体育会各部は1990年代後半から奥島孝康早稲田大学総長が指揮を執り、組織的な指導・管理、スポーツ医科学や設備の整備が進められていた。駅伝についても大学創立125周年にあたる2007年に向けて強化が進められており、この時期に渡辺の駅伝監督への昇格話が持ち上がった。2004年1月の第80回箱根駅伝で早稲田大学が16位に沈んでいたために状況の困難さを理解する瀬古やOBらから渡辺は引き止められたが、苦戦する母校の復活と1年間指導した選手を思って2004年4月に駅伝監督に就任した。渡辺は、競走部の後輩で箱根駅伝の5区・6区経験者でもある相楽豊をコーチとして迎えた。また、選手の食事面・身体面のケアのために栄養士とトレーナーを新たに招いた。

早稲田大学は大学間の獲得競争激化のために優秀な高校生の確保に苦慮していたが、2005年に入学した高校総体5000m日本人3位の竹澤健介の活躍と時期を同じくして、選手権大会のトラック種目・駅伝大会の成績が向上した。以後高校総体日本人1-3位の選手や高校駅伝優勝校の選手が入学した。またこの時期に早稲田大学は所沢キャンパスの陸上競技場を改修、所沢市にある競走部合宿所も新築され2007年に竣工している。

渡辺は就任当初練習の強化による方針の失敗で故障者の増加を招いて苦しんだが、合宿所で選手と寝食を共にしながら選手が継続的な練習が行なえるように方針を変更し効果を上げた。量だけを求める練習を良しとせず、現実的な動機付けと目標設定を重視した。選手を陸上競技に縛り付けず、メリハリが効いた自己管理を求めた。渡辺はチーム全体の底上げに成功し、2006年10月の第83回箱根駅伝予選会で早稲田大学を予選1位通過に導いた。20kmのコースを走る予選会ではレースの前半を抑える作戦を指示し、12人中10人の選手を50位以内でゴールさせている。

2007年の第83回箱根駅伝では6位となり、早稲田大学は5年ぶりのシード権を獲得した。2005年から指導した竹澤健介は世界陸上競技選手権大会と北京オリンピックに日本代表として出場した。2008年の第84回箱根駅伝では竹澤が故障に苦しむ状況に陥りながらも、早稲田実業高校時代から指導していた駒野亮太が5区で今井正人の区間記録に迫る走りを見せるなどチームが力を発揮した。早稲田大学は1996年以来となる12年ぶりの往路優勝を飾り、シード権を逃していたチームは渡辺の監督就任から4年目にして箱根駅伝の優勝争いに加わった。2009年の第85回箱根駅伝では後半勝負を狙った東洋大学に逆転を許している。

2010年1月の第86回箱根駅伝で7位に終わった後、10月の第22回出雲全日本大学選抜駅伝競走では監督として初めてとなる男子大学三大駅伝の、そして自らの現役時代に果たせなかった出雲路での優勝を飾った。続く11月の第42回全日本大学対校駅伝選手権大会も制した。2011年の第87回箱根駅伝では柏原竜二擁する東洋大学に往路優勝を譲ったものの、逆転して押し切る采配を振って優勝を飾り、男子大学駅伝三冠を達成した。三冠は1990年の大東文化大学、2000年の順天堂大学に続いて10年ぶり3校目の快挙であった。この年は例年と異なり、全日本大学駅伝後の11月から200キロを走らせる距離練習を組んで箱根に備えた。早稲田大学は主力選手を故障で欠いたが1区から先頭を奪い、5区で逆転されながらも食い下がった流れを復路につなげて再逆転するなど、要所に配した4年生を中心に締める活躍を見せて東洋大学の追撃を振り切った。

2015年3月、任期満了をもって競走部駅伝監督を退任、2015年4月からは早稲田大学駅伝監督時代に指導した竹澤健介が所属する住友電工陸上部監督に就任した。

渡辺は瀬古利彦の指導を仰いだが、瀬古のライバルである中山竹通のマラソンの走りに憧れて目標としていた。終盤にラストスパートをかけて抜き去る瀬古の走りとは異なった、レース序盤から先頭を突っ走り最後まで力で押し切る走りであった。瀬古の指示であっても自らが違うと考えることには意見を述べ、競技者としての気持ちの強さを備えていた。小出義雄や宗茂によると渡辺は、腰の位置が高くて足が長くバネが効いて大きなストライドで走るタイプであり、高い能力は衆目の一致するところであった。

高校の恩師である渡辺敏昭は渡辺について、技術面の指導は必要がなく全く行なわなかったとしている。全日本大学駅伝で並走した中村祐二が渡辺の走りについて「ズバッ、ズバッって。あんなに地面をける音が響くとは思わなかった」と語るなど、スパート時のキック力の強さが知られており、ヱスビー食品陸上競技部の専属トレーナーは、体重移動の速さとエネルギー効率の良さを指摘した。大学入学後の渡辺のふくらはぎの状態は極めて硬い状態であった。

瀬古利彦は渡辺を世界へと飛躍させた人物である。苦難の時期も力となり、渡辺の教え子の海外遠征を手助けするなど、渡辺が敬慕する恩師にあたる。渡辺の入学と入れ違いに市立船橋高校を去った小出義雄からはその磊落な人柄と指導から影響を受けた。ソウルオリンピック男子10000m日本代表であり競走部コーチ・駅伝監督として指導に当たった遠藤司もまた渡辺に影響を与えた人物である。先輩である武井隆次・櫛部静二・花田勝彦と渡辺は選手から指導者へと互いに立場を変え、選手権大会や大学駅伝に教え子を送り出している。大学時代のライバルであった真也加ステファンは親友であり、2024年1月2日に公開されたサッポロビールの箱根駅伝用オリジナルCM「第100回箱根駅伝 100回。その先へ篇」に、第71回大会の名シーンと合わせて共演している。

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日本陸上競技連盟八十年史編集委員会編『日本陸上競技連盟八十年史』日本陸上競技連盟、2005年10月、204頁頁。 

渡辺康幸『自ら育つ力 早稲田大学駅伝チーム復活への道』日本能率協会マネジメントセンター、2008年12月、222頁頁。ISBN 978-4-8207-1731-7。 

『箱根駅伝 襷の記憶』ベースボール・マガジン社、2008年1月、178頁頁。ISBN 978-4-583-61507-3。 

『陸上競技マガジン2010年4月号増刊 記録集計号2009』ベースボール・マガジン社、2010年3月、386頁頁。 

『自ら育つ力 早稲田駅伝チーム復活への道』(日本能率協会マネジメントセンター、2008/12、ISBN 978-4-8207-1731-7)

『ランニング・スタート・バイブル』(日本文芸社、2011/10、ISBN 978-4-537-20931-0)

『駅伝流 早稲田はいかに人材を育て最強の組織となったか?(文春新書)』(文藝春秋、2011/11、ISBN 978-4-16-660833-1)

『「総合力」で勝つチーム術 早稲田駅伝チームに学ぶマネジメント』(日本能率協会マネジメントセンター、2011/11、ISBN 978-4-8207-1826-0)

『復活から常勝へ 早稲田大学駅伝チームの“自ら育つ力”』(新潮文庫)』(新潮社、2011/11、ISBN 978-4-10-135741-6)

『箱根から世界へ』(ベースボール・マガジン社、2014/11、ISBN 978-4-583-10777-6)

『箱根のメンタル 箱根駅伝から僕たちが学んだこと』宝島社、2019/11、ISBN 978-4-800-29976-5)

『監督と大学駅伝』(生島淳(著)、日刊スポーツ出版社、2008/12、第2章で「渡辺康幸監督 箱根のスターは早稲田復活の狼煙をあげられるか?」を掲載、ISBN 978-4-8172-0260-4)

『陸上競技マガジン増刊 大学駅伝決算号 2011年3月号』ベースボール・マガジン社、2011年2月、130頁頁。JANコード 4910093060316。 

『箱根駅伝 (幻冬舎新書) 』(幻冬舎、2011/11、第八章で「早稲田大学 渡辺康幸監督 一問一答」を掲載、ISBN 978-4-344-98236-9)

千葉県出身の人物一覧

箱根駅伝の人物一覧

日本陸上競技選手権大会の記録一覧

渡辺康幸 - ワールドアスレティックスのプロフィール(英語)

世界を見据えた快走…渡辺康幸(上)

「教え子のメダル」次の夢…渡辺康幸(下)

50 林博幸

51 久保正礼

52 藤井忠彦

53 岩本松雄

54 山本正澄

55 南館正行

56 南館正行

57 渡辺国昭

58 渡辺国昭

59 岩下察男

60 若松軍蔵

61 若松軍蔵

62 礒端克明

63 藤田国夫

64 中川衞

65 吉武鉄翁

66 伊藤保

67 頭島幸司

68 犬塚時吉

69 古賀丈雄

70 服部誠

71 福田浩二

72 伊藤国光

73 瀬古利彦

74 小山英士

75 西村義弘

76 吉冨悟

77 米村雅幸

78 工藤一良

79 坂口泰

80 西本一也

81 大庭幸治

82 工藤康弘

83 平山征志

84 池田克美

85 仲村明

86 吉田祐嗣

87 巽博和

88 秋山武史

89 武井隆次

90 渡辺康幸

91 渡辺康幸

92 小林雅幸

93 ダニエル・ジェンガ

94 ダニエル・ジェンガ

95 ジュリアス・ギタヒ (27:48)*

96 ジュリアス・ギタヒ

97 ジェームス・ワイナイナ

98 ジェームス・ワイナイナ

99 ジェームス・ワイナイナ

00 サムエル・カビル

01 サムエル・カビル

02 サムエル・ワンジル

03 サムエル・ワンジル

04 ジョン・カリウキ

05 ジョセフ・ギタウ

06 ミカ・ジェル

07 ビダン・カロキ

08 上野渉

09 大迫傑

10 西池和人

11 久保田和真

12 西山雄介

13 廣末卓

14 下史典

15 關颯人

16 名取燎太

17 中谷雄飛

18 白鳥哲汰

19 佐藤一世 (28:48)**

20 鶴川正也

21 森下翔太

22 長嶋幸宝

23 折田壮太 (28:48)**

*は現行区間記録 **は日本人最高記録

1区

2区

3区

4区

5区

6区

7区

20 山下馬之助*

21 河野謙三

22 畠山勇三*

23 畠山勇三*

24 林譲二郎*

25 藤巻伝之亟*

26 藤巻伝之亟*

27 窪田武夫*

28 辻久人*

29 横川隆範*

30 小山勝太*

31 高橋謙二

32 佐藤昇*

33 朝倉充*

34 村上昇

35 中村清

36 朝倉充

37 村上昇

38 常松喬*

39 金兼道*

40 郷野喜一*

41 中止

42 中止

43 伊藤彦一

44 中止

45 中止

46 中止

47 後藤秀夫

48 浅倉茂

49 島村和男

50 浅井正

51 浅井正

52 沼野正

53 三浦達郎*

54 三浦達郎

55 岩本建生

56 山内二郎*

57 酒井邦郎

58 愛敬実

59 栗原正視

60 田中光城*

61 安部喜代志*

62 猿渡武嗣*

63 木原了*

64 大山賢明*

65 大川賢明

66 井上俊*

67 上原敏彦

68 吉田義数

69 尾堂博

70 伊沢徹男

71 古賀丈雄

72 鞭馬講二*

73 松田進*

74 宮田将美

75 片山茂

76 和田誠一

77 石井隆士*

78 西弘美*

79 照井典勝

80 石川海次

81 三橋稔

82 吉田富男

83 佐藤和也*

84 植松誠

85 中西浩

86 岡部邦彦

87 池田克美

88 実井謙二郎

89 三浦武彦

90 谷川義秀

91 武井隆次*

92 武井隆次*

93 櫛部静二*

94 渡辺康幸*

95 中村祐二

96 ビズネ・ヤエ・トゥーラ

97 梅木蔵雄

98 湯浅竜雄

99 東勝博

00 徳本一善

01 野村佳史

02 入船満

03 内田直将

04 鷲見知彦

05 丸山敬三

06 木原真佐人

07 佐藤悠基*

08 佐藤直樹

09 矢澤曜

10 北條尚

11 大迫傑

12 大迫傑

13 田口雅也

14 山中秀仁

15 中村匠吾

16 久保田和真

17 服部弾馬

18 西山和弥

19 西山和弥

20 米満怜

21 鎌田航生

22 吉居大和(1:00:40)**

23 富田峻平

24 篠原倖太朗

*は区間新、**は現行区間記録

1区

2区

3区

4区

5区

6区

7区

8区

9区

10区

20 下村広次*

21 高見将三

22 三村二郎

23 細川曽一

24 岡田英夫

25 前田喜太平

26 中川英男*

27 窪田正克*

28 渋井福太郎

29 間島信貞*

30 岩本哲一郎

31 田中定次郎*

32 今岡悟郎*

33 中井賢二*

34 鈴木勇*

35 星野順

36 栗本仁

37 大森伊三治*

38 鈴木勇*

39 高瀬敏夫

40 勝亦清政

41 中止

42 中止

43 徳山英雄

44 中止

45 中止

46 中止

47 浜部憲一

48 加藤勝明

49 相沢末男

50 菊地由紀男

51 南木慎吾*

52 南木慎吾

53 菊池健吉*

54 菊地直志

55 桜谷嘉彦*

56 岸国雄*

57 岸国雄*

58 古閑俊明

59 二宮隆明*

60 武内修一郎*

61 船井照夫*

62 岩下察男*

63 岩下察男*

64 高口徹*

65 土谷和夫

66 澤木啓祐*

67 深田清次

68 井上俊

69 井上俊

70 高野義治*

71 蜂谷英明*

72 小沢欽一*

73 古賀丈雄

74 服部誠

75 服部誠

76 荒野吉之

77 山本吉光

78 成田道彦

79 瀬古利彦*

80 瀬古利彦*

81 阿部文明

82 大塚正美

83 大塚正美*

84 米重修一

85 渋谷俊浩

86 大八木弘明

87 只隈伸也

88 楜沢俊明

89 ジョセフ・オツオリ

90 ジョセフ・オツオリ

91 ジョセフ・オツオリ

92 本川一美

93 ステファン・マヤカ

94 ステファン・マヤカ*

95 渡辺康幸*

96 渡辺康幸

97 中村祐二

98 梅木蔵雄

99 三代直樹*

00 坪田智夫

01 ジョン・カーニー

02 オンベチェ・モカンバ/原田正彦

03 藤原正和

04 三行幸一

05 オンベチェ・モカンバ

06 メクボ・ジョブ・モグス

07 竹澤健介

08 メクボ・ジョブ・モグス*

09 メクボ・ジョブ・モグス*

10 ギタウ・ダニエル

11 村澤明伸

12 出岐雄大

13 ガンドゥ・ベンジャミン

14 高田康暉

15 服部勇馬

16 服部勇馬

17 鈴木健吾

18 森田歩希/ドミニク・ニャイロ

19 パトリック・ワンブィ

20 相澤晃*

21 イエゴン・ヴィンセント(1:05:49)**

22 田澤廉

23 吉居大和

23 黒田朝日

*は区間新、**は現行区間記録

1区

2区

3区

4区

5区

6区

7区

8区

9区

10区

70 小沼力

71 小沼力

72 喜多秀喜

73 森下茂樹

74 大久保初男

75 菊池一成

76 和田誠一

77 松田光香

78 照井典勝

79 小川聡

80 大塚正美

81 丸山雅清

82 岡俊博

83 岡俊博

84 植松誠

85 松園勉

86 只隈伸也

87 西村明雄

88.1 岡本和浩

88.11 J・オツオリ

89 谷川義秀

90 許績勝

91 安川毅

92 花田勝彦

93 渡辺康幸

94 S.マヤカ

95 小林雅幸

96 B.トゥーラ

97 高津智一

98 細川道隆

99 永田宏一郎

00 永田宏一郎

01 A.バイ

02 三行幸一

03 A.バイ

04 佐藤慎悟

05 T.S.キメリ

06 高橋優太

07 G.ダニエル

08 大西智也

09 K.ジュグナ

10 設楽啓太

11 田村優宝

12 田口雅也

13 中村匠吾

14 村山謙太

15 服部勇馬

16 服部弾馬

17 相澤晃

18 石井優樹

19 荻久保寛也

20 三浦龍司

21 佐藤条二

22 ピーター・ワンジル (26:58)*

23 赤津勇進

24 平島龍斗

*は現行区間記録

1区

2区

3区

4区

5区

6区

7区

8区

70 石倉義隆

71 田中弘一

72 小沼力

73 石倉義隆

74 毛利奉文

75 喜多秀喜

76 山本吉光

77 石井隆士

78 山岡秀樹

88.11 別府健至

89 J.オツオリ

90 J.オツオリ

91 J.オツオリ

92 S.マヤカ

93 花田勝彦

94 渡辺康幸

95 渡辺康幸

96 小林雅幸

97 S.ワチーラ

98 藤田敦史

99 神屋伸行

00 高橋謙介

01 D.カリウキ

02 O.モカンバ

03 O.モカンバ

04 O.モカンバ

05 M.J.モグス

06 M.J.モグス

07 M.J.モグス(55:32)*

08 O.コスマス

09 G.ダニエル

10 N.ベンジャミン

11 柏原竜二

12 N.ベンジャミン

13 D.M.キトニー

14 大六野秀畝

15 D.ニャイロ

16 D.ニャイロ

17 D.ニャイロ

18 相澤晃

19 L.ムセンビ

20 田澤廉

21 伊地知賢造

22 花尾恭輔

23 山川拓馬

24 山川拓馬

*は現行区間記録

1区

2区

3区

4区

5区

6区

7区

8区

89 ジョセフ・オツオリ

90 板橋弘行

91 本川一美

92 本川一美

93 渡辺康幸

94 小林雅幸

95 小林雅幸

96 帯刀秀幸

97 藤田幸則

98 渡邉聡,前田貴史

99 古田哲弘

00 板山学

01 奥田真一郎

02 下里和義

03 内田直将

04 村上康則

05 佐藤悠基

06 杉本将友

07 出口和也

08 松本葵

09 林和貴

10 福士優太朗

11 鎧坂哲哉

12 田中秀幸

13 八木沢元樹

14 中止

15 潰滝大記

16 田村和希

17 田村和希

18 鈴木塁人

19 岸本大紀

20 中止

21 木付琳

22 佐藤圭汰(15:27)*

23 佐藤圭汰,黒田朝日

24 吉田響

1区

2区

3区

4区

5区

6区

1957 室矢芳隆

58 藤本義人

59 杉崎隆志

60 斉藤健也※2月開催

60 作田誠一※12月開催

1961 玉分秀毅

62 代本丈春

63 高橋美紀

64 大谷治男

65 西本克巳

1966 中城幸夫

67 片山勝

68 藤沢修

69 中城幸夫

1970 黒木章

71 内野幸吉

72 佐藤市雄

1973 磯端克明

74 本間修

75 松田強

76 松田強

77 弓削裕

78 弓削裕

79 児玉泰介

80 児玉泰介

81 佐藤市雄

82 佐藤市雄

83 工藤一良/佐藤市雄

84 金井豊

85 金井豊

1986 新宅雅也

1988 井手健二

1989 西政幸

90 藤野圭太

91 浦田春生

92 藤野圭太

93 谷口浩美

94 浦田春生

95 岩倉和也

96 佐保希

97 佐藤信之

98 渡辺康幸

99 川嶋伸次※全長86.4㌔

2000 佐藤信之※全長86.4㌔

2001 坪田智夫

02 ジェームス・ドゥング

03 ジェームス・ドゥング

04 前田和之

05 堀口貴史

06 磯松大輔

07 井川重史

08 藤原正和

09 池上誠悟

10 小野裕幸

11 熊本剛

12 高林祐介

13 松宮隆行

14 渡邉竜二

15 早川翼

16 野口拓也

17 野口拓也

18 早川翼

19 古賀淳紫

20 鎧坂哲哉

21 浦野雄平

22 土方英和

23 服部勇馬

24 市田孝(48:05)*

*は現行区間の区間記録

井上悟

伊藤喜剛

伊東浩司

小坂田淳

小野友誠

早田俊幸

高尾憲司

渡辺康幸

斎藤嘉彦

苅部俊二

山崎一彦

鈴木久嗣

簡優好

朝原宣治

室伏広治

溝口和洋

中村祐二

徳永大輔

倉林俊彰

池島大介

今村文男

八嶋あつみ

志水見千子

高橋千恵美

片岡純子

鈴木博美

木村泰子

盛山玲世

五十嵐美紀

小松ゆかり

朝原宣治

土江寛裕

伊東浩司

馬塚貴弘

大森盛一

花田勝彦

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2024/11/15 20:23更新

watanabe yasuyuki


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白鳥 敏夫(しらとり としお)
1887年6月8日生まれの有名人 千葉出身

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中村 翫之助 〈4代目〉(なかむら かんのすけ)
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杉咲 侑果(すぎさき ゆうか)
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杉咲 侑果(すぎさき ゆうか、1982年6月8日 - )とはクイーンズアベニューに所属する日本の女優である、千葉県出身、血液型はB型、身長164cm。 ウルトラマンネクサス 松永葉月役 ナオミ (テ…

奥田 健誠(おくだ けんせい)
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 奥田 健誠(おくだ けんせい、2000年6月8日 - )は、千葉県松戸市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。くふうハヤテベンチャーズ…


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渡部 絵美(わたなべ えみ)
1959年8月27日生まれの有名人 東京出身

渡部 絵美(わたなべ えみ、本名:渡部・キャスリン・絵美、1959年8月27日 - )は、1970年代に活躍した日本の元フィギュアスケート選手(女子シングル)、タレント。現在はタレント兼プロフィギュア…


渡辺 莉奈(わたなべ りな)
2009年2月7日生まれの有名人 福岡出身

日向坂46(ひなたざかフォーティーシックス、Hinatazaka46)は、日本の女性アイドルグループである。秋元康のプロデュースにより、2015年11月30日に結成。2019年2月11日までは、けやき…

渡辺 裕之_(アナウンサー)(わたなべ ひろゆき)
1966年2月1日生まれの有名人 埼玉出身

渡辺 裕之(わたなべ ひろゆき、1966年2月1日 - )は、NHKの元アナウンサー。 旧浦和市出身。埼玉県立浦和高等学校を経て早稲田大学卒業後、1989年入局。 旧浦和市、本人曰く「NHKまで歩…

渡辺 茂_(作曲家)(わたなべ しげる)
1912年2月1日生まれの有名人 東京出身

渡辺茂(わたなべ しげる、1912年2月1日 - 2002年8月2日)は、日本の童謡の作曲家、教育者。「たきび」「ふしぎなポケット」の作曲で知られる。作詞家としてのペンネームに戸塚一郎、野中十三夫。 …

渡辺 茂_(システム工学者)(わたなべ しげる)
1918年8月12日生まれの有名人 兵庫出身

渡辺茂(わたなべ しげる、1918年8月12日-1992年3月10日)は、日本のシステム工学者。 兵庫県出身。東京帝国大学工学部卒。海軍技術大尉。1950年「歯車に関する研究」で東京大学工学博士。東…

渡辺 直樹_(ミュージシャン)(わたなべ なおき)
1956年10月13日生まれの有名人 神奈川出身

渡辺 直樹(わたなべ なおき、1956年10月13日 - )は、日本の作曲家・編曲家・ベーシスト。 神奈川県生まれ。兄はザ・ワイルドワンズの渡辺茂樹、妹は歌手の南翔子。15歳で伊丹幸雄のバックバンド…


渡邊 直樹_(編集者)(わたなべ なおき)
1951年11月5日生まれの有名人 東京出身

渡邊 直樹(わたなべ なおき、1951年(昭和26年) - )は、日本の雑誌編集者。国際宗教研究所顧問。元大正大学文学部表現文化学科客員教授。 東京都出身。 1964年に東京教育大学附属小学校(現・…

渡辺 武_(経営者)(わたなべ たけし)
1948年6月14日生まれの有名人 静岡出身

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渡辺 武_(官僚)(わたなべ たけし)
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渡辺 武(わたなべ たけし、渡邊 武、1906年(明治39年)2月15日 - 2010年(平成22年)8月23日)は、日本の官僚。初代財務官。初代アジア開発銀行総裁。公共信託アジア・コミュニティ・トラ…

渡辺 明_(モトクロス)(わたなべ あきら)
1954年10月21日生まれの有名人 栃木出身

渡辺 明(わたなべ あきら、Akira Watanabe、1954年 - )は、栃木県宇都宮市出身のモーターサイクル・モトクロスレーサー。日本人として唯一のモトクロス世界選手権チャンピオン。 その後…

渡辺 明_(棋士)(わたなべ あきら)
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渡辺 明(わたなべ あきら、1984年4月23日 - )は、将棋棋士。タイトル通算獲得数は、羽生善治、大山康晴、中原誠に次ぎ歴代4位で、永世竜王・永世棋王の資格を保持。所司和晴七段門下。棋士番号235…


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渡辺 文雄(渡邉 文雄、わたなべ ふみお、1929年1月8日 - 2020年3月7日)は、日本の政治家。位階は従三位。元栃木県知事(在任期間は1984年12月9日 - 2000年12月8日)。 栃木…

渡辺 文雄_(俳優)(わたなべ ふみお)
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渡辺 文雄(わたなべ ふみお、1929年10月31日 - 2004年8月4日)は、日本の俳優、タレント、エッセイスト。東京府東京市神田区東松下町(現:東京都千代田区神田東松下町)生まれ。 旧制第二東…

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