甲本ヒロトの情報(こうもとひろと) ミュージシャン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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甲本 ヒロトさんについて調べます
■名前・氏名 |
甲本ヒロトと関係のある人
西代洋: コンビ名の由来は、岩部が大ファンである甲本ヒロト作曲によるTHE HIGH-LOWSの曲名から取った。 北原雅彦: 星降る夜に feat. 甲本ヒロト 水道橋博士: 中学の同級生に甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ)、オウム真理教の中川智正がいる。 末広ゆい: 藤兵衛ドンと農民達(甲本ヒロト)「よろこびのうた」 岩部彰: ダルビッシュ有や甲本ヒロトのものまねをする。 梶原徹也: 初代ドラマーの英竜介の脱退後、甲本ヒロトに電話をしてオーディションを受けた。 大森うたえもん: コーラスには高校の後輩で親交の深いミュージシャンの甲本ヒロトが参加し、カップリングではTHE HIGH-LOWSの「千年メダル」のカバー曲が収録されている。 忌野清志郎: 9日、青山葬儀所でファンなどを対象にしたロック葬『忌野清志郎 AOYAMA ROCK'N ROLL SHOW』が行われ、弔問数は4万3000人に及び、竹中直人、甲本ヒロト、大竹しのぶらが弔辞を読んだ。 真島ヒロ: 真島昌利のファンでもあり、ペンネームに「真島」、甲本ヒロトの「ヒロ」、自身の作品の『FAIRY TAIL』は真島昌利が在籍していたバンド、THE BREAKERSの曲名である。 白根賢一: 高校生の頃から東京のモッズ・シーンに関わっており、当時、ザ・コーツに在籍していた甲本ヒロト、加藤ひさしと親交がある。 柳美里: Twitterでロックンロール好きを公言し、甲本ヒロト、チバユウスケ、マキシマムザ亮君らの音楽を特に好んで聴いている。 真島昌利: THE BLUE HEARTS結成前(THE BREAKERS時代)から、東京都渋谷区原宿の歩行者天国で、甲本ヒロトと河口純之助とでセッション・バンド(ラモーンズのコピー)をやったことがあり、面識はあった。 三宅伸治: スリーピースバンドMOJO CLUBでデビュー後、現在はソロ活動を中心に、忌野清志郎、仲井戸麗市、木村充揮、THE イナズマ戦隊、ゆず、甲本ヒロト、真島昌利、斉藤和義、ウルフルズ、石田長生、中村耕一等、 様々なアーティストと共演・共作し交流を深めながらライブ活動を精力的に行う。 山寺宏一: 甲本ヒロト 西代洋: ダルビッシュ有や甲本ヒロトのものまねをする。 松本人志: 芸人以外で交友があるのは中居正広、古舘伊知郎、甲本ヒロト、辰吉丈一郎、東国原英夫、高橋ジョージ、さだまさし、インタビューマン山下、おにぎりなど。 加藤ひさし: THE BLUE HEARTSの甲本ヒロト、真島昌利とは、お互い前身バンド時代から友人であった。 河口純之助: バンドのファンやスタッフを勧誘するなどして、甲本ヒロトと真島昌利の怒りを買ったとされている。 真島昌利: 1985年2月、ほぼ同時期にザ・コーツを解散していた甲本ヒロトが当時住んでいた東京都渋谷区笹塚の廃屋(工場跡)でのパーティーの際、バンド結成をもちかけTHE BLUE HEARTSを結成。 忌野清志郎: 日本語をはっきり明瞭に歌うというスタイルは、後に甲本ヒロト、真島昌利(共にザ・クロマニヨンズ)、どんと(BO GUMBOS)、水戸華之介(アンジー)、宮田和弥 (JUN SKY WALKER(S))、中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)、YO-KING(真心ブラザーズ)、宮本浩次(エレファントカシマシ)、トータス松本(ウルフルズ)、佐藤伸治(フィッシュマンズ)などの数多くのフォロワーを生む。 八嶋智人: 甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ)をヒーローとして崇めている。 忌野清志郎: ザ・クロマニヨンズ - 甲本ヒロトと真島昌利はTHE BLUE HEARTS、THE HIGH-LOWS、ザ・クロマニヨンズを通して清志郎のステージにゲスト参加するなど、交流を持っている。 水道橋博士: 中学校の同級生だった甲本ヒロトとは友人といえる間柄であり、家族同士の付き合いをしていると本人は言う。 萩原聖人: メンバーとは雑誌で対談を行ったことがあり、ボーカルの甲本ヒロトは萩原が主宰していた「アーリータイムリーズ」の公演に訪れたことがある。 北原雅彦: セットリスト(ゲスト:中村達也、奥田民生、チバユウスケ、キヨサク、TOSHI-LOW、ハナレグミ、甲本ヒロト、尾崎世界観、斎藤宏介、峯田和伸) 真島昌利: 「荒野はるかに」のイントロで口笛を吹くというアイディアを提案し実行するが、いくら吹いてもスースーと音を立てるのみに終わり、結局、甲本ヒロトが担当した。 花田裕之: 「夜のドライブ」 - 甲本ヒロト & ROCK'N' ROLL GYPSIES 甲本雅裕: 甲本ヒロトは実の兄であり、2004年に出演したポッカの「キレートレモン」のCMではザ・ハイロウズがCMソングを担当し、初めての兄弟共演を果たした。 和久井光司: MONOCHROME 80(写真集付オムニバスCD/あがた森魚、甲本ヒロト、野澤享司、森山公一、ほか参加) 松重豊: 大学入学のため上京した直後、下北沢の中華料理店「珉亭」でアルバイトとして働くことになるが、バンド活動のため上京していた甲本ヒロトも偶然同日にバイトを始めた仲。 |
甲本ヒロトの情報まとめ
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甲本 ヒロト(こうもと ひろと)さんの誕生日は1963年3月17日です。岡山出身のミュージシャンのようです。
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音楽、人物・エピソードなどについてまとめました。卒業、解散、父親、現在、テレビ、映画、母親、家族、趣味に関する情報もありますね。甲本ヒロトの現在の年齢は61歳のようです。
甲本ヒロトのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)甲本 ヒロト(こうもと ヒロト、本名:甲本 浩人〈こうもと ひろと〉、1963年〈昭和38年〉3月17日 - )は、日本のミュージシャン、シンガーソングライター、歌手。ラウンド・アバウト、ザ・コーツ、THE BLUE HEARTS、ヒューストンズ、THE HIGH-LOWSを経て、2006年よりザ・クロマニヨンズ、2019年よりブギ連のボーカリストを務める。 身長174 cm、血液型O型。既婚。俳優の甲本雅裕は実弟。 両親はクリーニング店を経営していた。岡山大学教育学部附属小学校・岡山大学教育学部附属中学校を経て、岡山県立岡山操山高等学校卒業。卒業間際の1980年、亀山哲彦らに誘われ、ラウンド・アバウトに加入し岡山で活動。ほどなく法政大学経済学部経済学科に進学し、上京。自ら奨学金を得、渋谷区幡ヶ谷四畳半14000円のアパートに住む。大学は2年の時に中退。 ラウンド・アバウトは1982年頃に解散し、ザ・コーツを結成するが、1984年に解散。 1985年、真島昌利らとTHE BLUE HEARTSを結成。1987年にシングル「リンダリンダ」で、メルダックからメジャー・デビューした。1994年、THE BLUE HEARTSは活動休止。1995年に解散を発表した。THE BLUE HEARTSが活動休止中(実際には解散状態)の1995年、ソロアルバムを制作し、ジャケットデザインやレコーディングも完了していたが、前所属事務所との契約上のトラブルにより未発表に終わった。真島と共に有限会社HAPPY SONGを設立。 1997年9月には、真島と共に資金を出して機材倉庫を改装して造られた、アトミック・ブギー・スタジオが完成。 1995年、真島に誘われTHE HIGH-LOWSを結成。10月25日、シングル「ミサイルマン」、アルバム「THE HIGH-LOWS」を同時発表。2005年に活動休止を発表。 2006年春、真島らとザ・クロマニヨンズを結成、7月23日を皮切りに大型ロック・フェスの出演とツアーを敢行した。9月20日にシングル「タリホー」を発表。同年7月には、ソロ・シングル「真夏のストレート/天国うまれ」を発表。ギターのみならず、ベースやドラムスなど、ほぼ全てのパートを一人で演奏。 2007年10月に急性疾患に罹り、予定していたライブを延期する事態となったがその後、復帰。 2017年7月にバイクで転倒し鎖骨、肋骨を骨折。予定していたライブを延期する事態となったがその後復帰し、アームホルダーで腕を吊りながらライブを行った。 2019年、内田勘太郎とブギ連を結成、6月26日にアルバム「ブギ連」を発表。 音楽中学生時代、セックス・ピストルズやマンフレッド・マンに衝撃を受け、「中学を卒業したら高校へは行かずに、上京してロックンローラーになりたい」と親に言うも、反対される。 シド・ヴィシャスの影響で元々はベーシストに憧れていたが、「誰にでも出来る」という理由でボーカリストになった。高校3年生の夏休みに、ボーカルが抜けた友人のバンド、ラウンド・アバウトに誘われて加入。これがバンド初体験だった。 THE BLUE HEARTS初期は荒削りな歌声だったが、アルバム「BUST WASTE HIP」以降、THE HIGH-LOWSまでは歌い方が変わっている。だが、ザ・クロマニヨンズからは再び、THE BLUE HEARTSの頃を彷彿させるような、がなり立てる歌い方をする曲もある。曲によっては、ギター、10穴ハーモニカ(H0HNER社製のSpecial 20を愛用)を演奏する。ハーモニカを始めるきっかけは、ドクター・フィールグッドのレコードを聴いて、自分でも出来そうな気がしたからという。 パンクやロックだけでなくブルースも好きで、インタビューや歌詞に、マディ・ウォーターズ、サニー・ボーイ・ウィリアムスン等のブルースシンガーの名前がよく出てくる。 最初に音楽を始めるきっかけとなったのは、岡山に大好きなシーナ&ザ・ロケッツがツアーで来た際、親に「不良が多いからダメだ」と言われ、ライブには行けなかったが諦めきれず、ライブ後にシーナ&ロケッツがラジオ番組に出ると聞いて放送局の裏口に父親と一緒に待ち伏せし、「サインをください」と駆け寄ったエピソードが有名。その際、鮎川誠とシーナに初めてラジオ局の中に連れて行ってもらいラジオ放送を見学後、鮎川に「僕、まだロック未体験ですけど、僕にもロックンロールが出来るような気がするんです」と発言。「大丈夫。きっと出来るよ!」と強く言われたことが、THE BLUE HEARTS結成のきっかけである。下北沢の老舗中華料理屋「珉亭」でバイトしていたのも、鮎川とシーナが下北沢に在住していたということからだった。さらに1995年のTHE HIGH-LOWS結成前夜には、「今、新しいことをしようって思っていて、だからもう一度、二人に会ってみたかった」と、ヒロトの希望により鮎川誠とシーナとの対談が初実現した喜びを音楽雑誌「PATI PATI ROCK'N'ROLL」の誌面で語っている。THE BLUE HEARTSの1stアルバムはシーナ&ザ・ロケッツの奈良敏博、浅田孟(ベース)がプロデュースに関わっている他、2014年のシーナ&ザ・ロケッツのオリジナル・アルバム『ROKKET RIDE』の発売に際しては「憧れです。シーナ&ザ・ロケッツに憧れない奴なんかいるのか? 全てのロックンロール小僧に勇気を!!」と祝福コメントを出している。 歌詞平易な言葉を使い、誰でも一度は心に思ったことがある心情を表現している。 バンド、年代によってテイストが微妙に変わっており、THE BLUE HEARTS初期〜中期では飾り気なくストレートな歌詞が人気を博し、THE BLUE HEARTS後期からTHE HIGH-LOWS、ザ・クロマニヨンズの現在に至るまで、初期からの平易な言葉遣いは一貫している。 バイク(「MONKEY」「ピストン」「49cc」「おれ今日バイク」)、釣り(「テトラポットの上」「ユウマヅメ」)、NBA(「フルコート」)、ルチャリブレ(「Born To Be Pooh」「メキシコの星」)など、好きなものをモチーフにした歌詞がある。 真島昌利との関係THE BLUE HEARTS結成以前は、甲本はザ・コーツ、真島はTHE BREAKERSと、別のバンドで活動していたが、その頃から顔見知りであった。 真島とはTHE BLUE HEARTSから、30年以上バンドを組み続けている。甲本のインタビューによれば、若い頃から、将来は親の世話になろうと思っていて、働く気の無かった自分を、真島が「お前はやれば出来る子なんだよ!」と、叱咤激励し続けてきたと語っている。また、上京して友達がなかなか出来なかった甲本にとって、誰より自分を理解してくれた真島を、「自分にとって特別な存在だから、彼の期待を裏切りたくない」と言っている。真島とはプライベートでの交流も盛んであり、休日には二人で中古レコード店を回ったりすることもある。2013年2月8日放送の「ミュージャック」(関西テレビ)で、真島と一緒に東京ディズニーランドに行った際、チップのグリーティングに割り込んで写真を撮ろうとして、チップに注意されたエピソードを披露した。また、外出先で偶然、真島と遭遇することも頻繁にあるという。かつて笹塚で同居していた頃、朝起きて映画館まで歩いて行くと、中から真島が出てきたことがあったり、レコード屋で遭遇したりするといい、一度ロンドンのポートベッロでばったり会ったことがある。 THE BLUE HEARTS結成直後、真島とバンドの今後について話し合いをしていたところ、突然、「『バッテンロボ丸』の再放送が観たい」と言って自分の部屋に戻ってしまった。これに真島は激怒し、甲本の部屋に突入するや否や、甲本が「ちょっと待って、この番組が終わってから」と言ったその時、真島がテレビのコンセントをブチッ!と抜き、甲本に「こんなもの(テレビ)があるからいけないんだ!」と言ってテレビを撤去し、隣に住んでいた山川のりをの部屋に持っていってしまった。普段は温厚な真島のあまりの激高ぶりにショックを受けた甲本は、信用を取り戻すため、「ブルーハーツのテーマ」「リンダリンダ」を制作した。特撮やアニメなどテレビの子供番組が大好きな甲本にとってはショックだったものの、他人と一緒に何かをやって行く時に大事な態度や考え方を学ぶ機会になった。 人物・エピソード安美錦の大ファンで親交があり、共に対談を行ったり、断髪式に出席したりする間柄。 作曲に関して本人は「常時スランプ」と2017年の安美錦との対談で語っており、1曲作ると「もう出てこないな」「出てこなかったらバイトするしかないな」と毎回思っていたという。 かつてライブ中に下半身を露出したりなど過激なパフォーマンスも行っていた。 好物はハムと豆。「ナッツ」ではなく「ビーンズ」が好きだという。 幼少時代のあだ名は「ボケ作」(小学校の担任教師が名づけた)。 子供の頃、桃太郎少年合唱団に所属していて賛美歌などを歌っていたといわれるが、過去の定期演奏会パンフレットや名簿、記念誌などに彼の名前は存在しない。 小学校の夏休みの宿題に爪楊枝を折って「歯の裏をほじれるツマようじ」として提出した。毎年、夏休みの宿題を提出していなかったヒロトは、参観日の日に母親に褒めてもらえると期待していたが、作品に気付いてもらえなかった。それを聞いた真島は、「他の人の作品の部品が転がってると思ったんじゃない?」と追い討ちをかけた。 高校時代は剣道部。 実家はクリーニング店「ドライ甲本」を経営していた(2013年現在は閉店)。父について、「父親はアイロンを握っている姿が一番カッコよかった」と語っている。また、店内には本人のポスターが飾られており両親が訪れたファンに接していた。 上京を志した時、父親を説得できなかったため激昂し殴りかかってしまい、泣きながら謝罪したと語っている。後に高校卒業後、大学進学を口実に上京した。 初めて買ったレコードは、西城秀樹『薔薇の鎖』。本当は、『激しい恋』を買うつもりが間違えた。 インタビューなどで雑誌に写真が出る時は、大抵、ロックTシャツを着ている。ファッション雑誌の表紙を何度か飾っている。 ザ・コーツ解散時に彼が住んでいた笹塚の廃家は、霊感の強い友人曰く、霊の通り道になっており、甲本も数々の心霊現象を体験している。 大学時代、自分の住んでいるアパートの部屋の前に「ちびっこ広場」と書いた看板を作って立てていた。 インディーズ時代、アルバイト先のラーメン屋「珉亭」で出前をしていた。同じ時期に俳優の松重豊もアルバイトしており、松重とは現在も交流がある。 甲本が周囲に薦めた事がきっかけで、バンドマンの間ではツアー中に兵庫から広島へ行く際、「ヌー」というラーメン屋に寄る事が定番となっている。しかし、実際の店名は「ヌー」ではなく「又一(またいち)」である。 1981年5月、日本テレビ系列で放送されていた「スター誕生!」の前説にラウンド・アバウトで出演。甲本が生まれて初めて作った曲「Jump'in Jap 3-3-7」を演奏した。 ローリング・ストーンズ、ザ・フーが訪日すると、スケジュールを空けて、出来る限りライブを観に行っている。 ソロでイベントに出演する際、セックス・ピストルズの「アナーキー・イン・ザ・U.K.」を自作の日本語の歌詞をつけて歌うことが多い。 2005年に弟の雅裕がテレビ出演した際、雅裕は「(私生活は)僕より謙虚ですよ」と語っていた。 浅草キッドの水道橋博士とは岡山大学教育学部附属中学校の同級生で、ミュージシャンと芸人になってから再会して家族ぐるみの付き合いをしている友人である。当時の呼び方は「こうもったん」「小野君」。甲本は中学の同級生がたけし軍団に入っていることを甲本の高校と大学の先輩である大森うたえもんから教えられるが後に実際に会うまでその人物が「小野君」だと判っていなかった。水道橋曰く、「ヒロトはいつもの自然体で答える。対して、僕はタメ口で喋っていてもぎこちない」。 2009年5月の忌野清志郎の葬儀には、清志郎の最期の姿がステージ衣装であったことに敬意を込めて革ジャン姿で現れ、弔辞を述べた。 SPレコードのコレクターで戦前のブルースとエルヴィス・プレスリーの1950年代の作品が多い。蓄音機を所有している。 中学1年生のときにラジオで流れていたマンフレッド・マンの「ドゥ・ワ・ディディ・ディディ」を聞いて涙し、その後の歌い方に影響を受けている。 年末年始はヒロトの家で両親と弟と過ごす。 趣味趣味でやっている覆面バンド「モンキー・アンクルズ」では、ベースを弾いている。 バイク好き(ハーレー・トライアンフ・ヤマハ・トリッカーに乗っている)。バイクを乗るきっかけとなったのは浮谷東次郎のがむしゃら1500キロという手記である。THE BLUE HEARTS時代から所有しているホンダ・モンキーZ50Zは現在も所有しているが現在は知人のバイク屋に置いてある。ザ・コーツ時代から乗っていたベスパはTHE BLUE HEARTS初期のライブMCで盗難されたと言っている。他にはヤマハ・SR400などにも乗っていた。 アニメ・特撮戦隊ヒーローモノも好き。特撮では上述の「バッテンロボ丸」騒動が有名。アニメでは、「タイムボカンシリーズ」(詳細後述)、「ドラえもん」、「いなかっぺ大将」を好む。『キン肉マン』も大好きで、「キン肉マン77の謎」の投稿超人コーナーに甲本が考案した超人「クアドロフェニア(名前はザ・フーのアルバム『四重人格(Quadrophenia)』から)」が掲載される。 プロレス・格闘技や映画が好き。同郷のプロレスラー田村潔司のジム「U-FILE CAMP」の創設期の会員(No.2)で、ジムに何度か通っていた。プロレス雑誌のKAMINOGEの表紙も飾っている。大食い番組が好き。 「ミュータント・タートルズ」や「ガンビー」などのフィギュアの収集をしている。 昆虫が好きで、ツツジコブハムシを飼育している。NHK教育テレビ「ギョギョッとサカナ★スター」に出演した際には甲本カブトと名乗り、司会のさかなクンと昆虫トークを繰り広げた。 タイムボカンシリーズの熱烈なファン。タイムボカンシリーズの再放送が見たいがために、バンドの練習に行きたくないと駄々をこねたことがあった。同シリーズの音楽担当である山本正之のファンでもあり、ザ・コーツ時代から親交を深めている。それが縁で山本のアルバムなどにコーラスとして参加するなどしている。 OVA「タイムボカン王道復古」に本名名義で声優として出演(「タイムパトロール隊オタスケマン」の三悪・オジャママンのコクピットメカ「オハヤシ星人」役。漫画家の奥谷かひろと共に、「オタスケマン」本編のように視聴者公募によって選ばれたという設定で)。 2000年には、「タイムボカン2000・怪盗きらめきマン」のエンディングテーマ「フララン ランデブー」(山本正之楽曲提供)を歌っている。 2005年に行われた「タイムボカン祭」にゲスト出演。 2009年上映の『ヤッターマン』の劇中歌『ヤッターキング2009』をクロマニヨンズとして担当。 2024/06/15 02:47更新
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koumoto hiroto
甲本ヒロトと同じ誕生日3月17日生まれ、同じ岡山出身の人
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りんごちゃん_(ものまねタレント) 藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手)
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