矢崎泰久の情報(やざきやすひさ) ジャーナリスト 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
矢崎 泰久さんについて調べます
■名前・氏名 |
矢崎泰久と関係のある人
小室等: 2002年 - 2007年まで、中山千夏、永六輔、矢崎泰久 と設立した「学校ごっこ」にて、月に1度「小室等的フォークの歴史」講座を日本青年館で開いた。 物集高見: 高量の妻の甥に矢崎泰久。 コウタ: 11月9日、矢崎泰久のラジオ版『話の特集』にゲストで呼ばれ収録。 山根二郎: 2019年4月元号制定は違憲であるとジャーナリストの矢崎泰久らと国を提訴。 山下勇三: 1969年、矢崎泰久の推薦により、日本のタウン誌第一号と呼ばれる「新宿プレイマップ」のアートディレクターとなる。 寺山修司: 矢崎泰久、和田誠、立木義浩、九條の寺山修司を語る座談会では、九條だけが知る寺山の様子(新婚の頃は食いしん坊、ポケットの中やハンドバッグの中を開けて覗く、好奇心の塊、おしゃべりだったなど)を話す場面も見られる。 妹尾河童: 社外で中山千夏、矢崎泰久らと組んで「革新自由連合」を結成し、政治運動をしたり、「河童が覗いた」シリーズ「ヨーロッパ」「ニッポン」「インド」など次々と出版、1977年(昭和52年)の銃刀法改正に伴う規制強化の際には、モデルガン愛好家協会の会長として戦い抜くなど、実にのびのびとやり、フジテレビは、彼を自由にさせ、その才能を活かさせた。 井上陽水: 1976年に『青空ふたり旅』として出版された五木寛之との対談をきっかけに、まず「話の特集」の矢崎泰久がベトナムに行く時の壮行麻雀大会に五木に連れて行かれ、そこで矢崎、ばばこういち、阿佐田哲也に会い、この後、長谷川和彦と知り合い、長谷川に近代麻雀に出ないかと誘われて田村光昭に会い、その繋がりで長門裕之、黒鉄ヒロシ、畑正憲らと知り合った。 永六輔: 2002年 - 2007年まで、校長が中山千夏、講師陣が永・矢崎泰久・小室等という私塾「学校ごっこ」にかかわった。 田原総一朗: 1975年、田原は矢崎泰久らと日本ジャーナリストクラブ (JIC) を立ち上げる。 寺山修司: 容疑を認めた寺山は2日後に釈放され、住居侵入罪で略式起訴され8000円の罰金刑を受けた(この時の身元引受人は矢崎泰久であった)。 和田誠: 1965年から1995年、矢崎泰久から声をかけられ、雑誌『話の特集』の創刊にかかわり、1995年の休刊までアート・ディレクターをつとめた。 矢吹申彦: ^ 矢崎泰久『「話の特集」と仲間たち』(話の特集)P.247 物集高量: 八重の甥である矢崎泰久夫婦と同居するが、泰久の新妻に手を出し、妻は実家に帰ったまま戻らなかった。 高平哲郎: 中平穂積、矢吹申彦、矢崎泰久、和田誠、来生えつこ、平野甲賀、片岡義男、瀬戸俊一、磯田秀人、奥成達、伊藤八十八、石川次郎、渡辺和博、渡辺貞夫、日野皓正、山下洋輔、内藤陳、タモリ、野田秀樹、森田芳光、山本容子、大岡玲、津野海太郎、坪内祐三 青島幸男: また、矢崎泰久は著書において「裏切り者」「議員になって途端に尊大になった」などと酷評している。 物集高量: 弟は矢崎寧之で、その息子はジャーナリストの矢崎泰久。 |
矢崎泰久の情報まとめ
矢崎 泰久(やざき やすひさ)さんの誕生日は1933年1月30日です。東京出身のジャーナリストのようです。
父親、テレビ、映画、事件に関する情報もありますね。去年の情報もありました。2022年に亡くなられているようです。
矢崎泰久のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)矢崎 泰久(やざき やすひさ、1933年1月30日 - 2022年12月30日 )は、日本の編集者。元『話の特集』の編集長、フリージャーナリスト。私塾「学校ごっこ」常任講師。別名、笠倉 泰久。 文藝春秋社社員で菊池寛の秘書役だった矢崎寧之(笠倉寧之)の息子として東京府に生まれる。幼名、祥夫(さちお)。国文学者物集高量は父方伯母八重の夫。やはり父方おばの佐藤碧子は菊池寛の秘書かつ愛人をつとめ、小磯なつ子の筆名で直木賞候補作家となった。父の義兄(佐藤碧子の夫)の石井英之助は六興出版社社長。弟は矢崎寧之の跡を継いで日本出版社代表となった矢崎泰夫。次男は元『週刊アスキー』副編集長で、Engadget日本語版の最後の編集長の矢崎飛鳥。義弟(妹の夫)に、文化放送社長の家根敏明。 小学校から高校までを成城学園で過ごす。早稲田大学政治経済学部政治学科中退。大学では山岳部だった。東松原で、父親の資金により「世田谷ボディビル」を経営して、会員となった深沢七郎と親しくなる。 日本経済新聞社記者や内外タイムス記者を経験。 犬丸徹三(帝国ホテル社長、日本ホテル協会会長)から、東京オリンピックにむけてホテルの客室に置く外国人観光者向けの雑誌の創刊について、泰久の父親が経営する日本社に依頼があり、まだ新聞記者だった泰久が編集長役をまかされ、1964年4月に『エルエル』のパイロット版を和田誠とともに作るが、スポンサーがつかず、創刊を断念。 1965年に12月に、やはり父親の経営する日本社から『話の特集』を創刊。1967年に邱永漢の出資により話の特集社を独立させた。デザイナー和田誠、放送作家永六輔、俳優伊丹十三など、他方面で活躍していた才能をイラストレーター、ライターとして雑誌に起用した。他に、「阿佐田哲也」等の筆名で執筆していた色川武大の、色川名義(本名)での再デビュー作『怪しい来客簿』を連載。また、雑誌の連載をとおして中山千夏とは意気投合し、二人のユニット「狭間組」を結成して著作活動などを行なった。『話の特集』は1995年休刊。 永六輔とは特に交流が深く、1970年代には、テレビ「遠くへ行きたい (テレビ番組)」、「中年御三家」(永、野坂昭如、小沢昭一)コンサートなどのプロデュースを担当した。1972年には、ATG映画「変奏曲」の製作を担当(監督は中平康、原作は五木寛之、共同製作は大木舜二、多賀祥介)。 1972年には、赤塚不二夫、長谷邦夫と雑誌『まんがNo.1』を、日本社からの刊行で発行する。 1975年、田原総一朗らと日本ジャーナリストクラブ(JIC)を立ち上げる。その資金集めのため、新宿コマ劇場にて「のんすとっぷ24時間」という討論会(司会:中山千夏)を行なった。なお、このイベントが田原が後に制作する『朝まで生テレビ!』の原型となった。 革新自由連合所属で中山千夏が参議院議員の時代には、公設第一秘書もやっており、1983年6月26日に行われた参議院議員選挙では、無党派市民連合候補として比例区から立候補したが落選している。 かつて『週刊金曜日』に連載を持ち、また"ラジオ版話の特集"としてエフエムさがみにもレギュラー出演している。 2002年から2007年まで、校長が中山千夏。講師陣が永六輔、矢崎、小室等という私塾「学校ごっこ」に係わった。 2006年11月19日、『週刊金曜日』主催で日比谷公会堂にて行われた「ちょっと待った! 教育基本法改悪 共謀罪 憲法改悪 緊急市民集会」に参加。皇室をテーマにした寸劇に出演し、「さる高貴なご一家」にて、明仁天皇が以前患った前立腺癌に対して矢崎が「あちらの生活も支障をきたしますね」と応じた。『週刊新潮』(12月7日号)は、寸劇の様子を「『陛下のガン』も笑いのネタにした『皇室中傷』芝居」と題して報じた。 矢崎は寸劇に出演した経緯について、予定されていた出演者が出られなくなったため代役を頼まれたと述べている。 上記事件の影響で収入が激減したことや所得税滞納分の支払いのため収入が差し押さえられたために破産宣告を受け、2008年8月20日より破産手続きが開始されている。 2019年3月27日、同年4月1日に新元号が発表されることに先立ち、国に対して元号制定の差し止めを求める訴訟を起こした。 2022年12月30日、急性白血病のため、東京都杉並区の自宅で死去した。89歳没。 麻雀好きでもあり、1982年の著書『あいつの麻雀』では麻雀仲間の雀力を批評。それに反発した面々が、矢崎に挑戦状を叩きつけ、「近代麻雀」雑誌の企画で、以下の16人のメンバーで麻雀を打った。結果は、矢崎は16人中2位で、挑戦者たちを「返り討ち」にした。 矢崎泰久、阿佐田哲也、阿刀田高、宝官正章(テレビディレクター)、筑紫哲也、山口はるみ、川田隆(麻雀プロ)、畑正憲、石田芳夫(囲碁棋士)、井上陽水、大西信行、狩野洋一(麻雀プロ)、北野英明(劇画家)、田村光昭(麻雀プロ)、長谷川和彦、ばばこういち 土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界 (TBSラジオ) 矢崎泰久 話の特集 (毎週土曜 22:30~23:00)(FMさがみ) 『情況のなかへ わがジャーナリズムへの執着』大和書房、1972 のち現代教養文庫 『青空が見えたこともあった』三一書房、1977 『編集後記』話の特集、1981 『あいつの麻雀』話の特集、1982 『情況のなかへ わがジャーナリズムへの執着』社会思想社、1993 『僕はこんな男たちに会ってきた』三一書房、1996 『変節の人 かつての同志が告発する青島幸男の正体』飛鳥新社、1997 『口きかん わが心の菊池寛』飛鳥新社、2003 『「話の特集」と仲間たち』新潮社、2005 『あの人がいた』街から舎 2011 『競馬狂想曲(ホースレース・カプリッチオ) 』飛鳥新社 2012 『人生は喜劇だ 知られざる作家の素顔』飛鳥新社 2013 『残されたもの、伝えられたこと : 60年代に蜂起した文革者烈伝』街から舎 2014 『句々快々 : 「話の特集句会」交遊録』本阿弥書店 2014 『精力舌論』(中山千夏との共著) 話の特集、1975 『狭間組見聞録 1 バラの花など唇に』(中山千夏との共著)話の特集、1978 『モンク・トーク』(中山千夏との共著)文藝春秋、1981 『湿った火薬 小説革自連』(中山千夏との共著)学陽書房、1984 『色川武大・阿佐田哲也の特集』(大滝譲司・中村とうよう・和田誠と共編) 話の特集(別冊話の特集)、1989 『寺山修司の特集』(坂梨由美子共編) 自由国民社(話の特集ライブラリー)1996 『永六輔の特集』(坂梨由美子共編)自由国民社(話の特集ライブラリー)1996 『岩城宏之の特集』(坂梨由美子共編)自由国民社(話の特集ライブラリー)1997 『赤塚不二夫の特集』(坂梨由美子共編)自由国民社(話の特集ライブラリー)1997 『生き方、六輔の。』(永六輔著、矢崎構成) 飛鳥新社、2002 のち新潮文庫 『老い方、六輔の。』(永六輔著、矢崎構成)飛鳥新社、2004 『僕はこうやってきた』(田原総一朗著、矢崎構成)中経出版、2004 『死に方、六輔の。』(永六輔著、矢崎構成)飛鳥新社、2005 『話の特集 2005 創刊40周年記念』(編著)WAVE出版、2005 『この日、集合。』(井上ひさし、永六輔、小沢昭一との共著) 金曜日、2006 『上を向いて歌おう 昭和歌謡の自分史』(永六輔著、矢崎聞き手) 飛鳥新社、2006 『バカまるだし』(永六輔との共著)講談社、2007 のち文庫 『ふたりの品格』永六輔共著 講談社 2008 のち文庫 『ふたりの秘密』永六輔共著 ソニー・マガジンズ 2009 「ははははハハハ」講談社文庫 『ぢぢ放談』永六輔共著 創出版 2010 『ぢぢ放談 激闘篇』永六輔共著 創出版 2013 『永六輔の伝言 : 僕が愛した「芸と反骨」』矢崎泰久編 集英社 2016(集英社新書) 『いりにこち』(中山千夏共著)琉球新報社 2018 ^ “矢崎泰久(ジャーナリスト/元「話の特集」編集長)逝去のお知らせ|ACCN|矢崎飛鳥|note”. note(ノート). 2022年12月30日閲覧。 ^ 中山千夏『芸能人の帽子』121頁。 ^ 中山千夏『芸能人の帽子』120頁。 ^ “Engadget日本版はなぜ終わったのか、最後の編集長・矢崎飛鳥氏に聞く(第3回) 編集スタッフの「次のフェーズ」はどうなるのか”. ITmedia NEWS (2022年5月24日). 2022年5月24日閲覧。 ^ 『「話の特集」と仲間たち』 ^ 『KAWADWE道の手帖 深沢七郎』(河出書房新社)P.59 ^ 矢崎泰久『「話の特集」と仲間たち』 ^ 『人生は喜劇だ』(飛鳥新社)P.70 ^ 田原総一朗『僕はこうやってきた』P.125 - 127 ^ “右翼抗議 皇室劇中止の舞台裏 タブーに挑戦 下品さで自滅”. 東京新聞. (2006年12月19日). オリジナルの2007年1月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070106100524/http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20061219/mng_____tokuho__000.shtml 2016年7月23日閲覧。 ^ 『週刊新潮』2008年9月11日号 ^ “「令和」に待った! 矢崎泰久さんら元号差し止め求め提訴”. 週刊金曜日オンライン (2019年4月15日). 2019年4月21日閲覧。 ^ 元「話の特集」編集長、矢崎泰久さん死去 89歳 ミニコミ誌草分け - 朝日新聞デジタル 2022年12月31日 ^ 「矢崎泰久さん死去、89歳 月刊誌「話の特集」元編集長、ジャーナリスト」『時事ドットコムニュース』2023年1月1日。2023年1月3日閲覧。 矢崎泰久Blog - ウェイバックマシン(2007年1月2日アーカイブ分)(閉鎖) 矢崎泰久氏 私の哲学 Vol72 (2017年10月) 矢崎泰久に関する記事一覧 - 介護ポストセブン この項目は、報道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:メディア)。 ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 オーストラリア オランダ CiNii Books CiNii Research Trove(オーストラリア)
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2024/11/21 22:12更新
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