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石戸四六の情報 (いしどしろく)
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【11月23日】今日誕生日の芸能人・有名人

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石戸 四六さんについて調べます

■名前・氏名
石戸 四六
(読み:いしど しろく)
■職業
野球選手
■石戸四六の誕生日・生年月日
1941年6月4日 (年齢1980年没)
巳年(へび年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
秋田出身

(昭和16年)1941年生まれの人の年齢早見表

石戸四六と同じ1941年生まれの有名人・芸能人

石戸四六と同じ6月4日生まれの有名人・芸能人

石戸四六と同じ出身地秋田県生まれの有名人・芸能人


石戸四六と関係のある人

藤田平: 初打点:1966年5月13日、対サンケイアトムズ7回戦(明治神宮野球場)、4回表に石戸四六から右翼線へ決勝2点適時二塁打


大矢明彦: ベテランの石戸四六は「キャッチングがうまい。


今井務: この試合では石戸四六から4打数2安打を記録した。


赤根谷飛雄太郎: 赤根谷が育てた選手として嵯峨健四郎(東映フライヤーズ)、石戸四六(サンケイアトムズ)、佐々木吉郎(大洋ホエールズ)などがいる。


村田元一: 1965年、金田正一が巨人へ移籍し球団の経営権がサンケイへと移転すると村田は開幕投手を任される事となり、その後も佐藤進や石戸四六らとチームを支えていく事となるが、この年は僅か6勝に終わる。


広野翼: 2回戦(初戦)でエース石戸四六を擁する秋田商に完封勝ち。


板東英二: 2回戦(初戦)で秋田商の石戸四六に投げ勝ち完封勝利、17奪三振を記録した。


大坂雅彦: 2回戦(初戦)でエース石戸四六を擁する秋田商に完封勝ち。


益田昭雄: 2回戦では日本鉱業日立と対戦、石戸四六(日立製作所から補強)らと投げ合い完封勝利。


カールトン半田: ^ 週刊ベースボールONLINE 週べ60周年記念 ヤクルト・石戸四六が行方不明に?/週べ回顧


石岡康三: しかし1968年には石戸四六、河村保彦と共に先発の柱となり、初の2桁勝利となる10勝10敗を記録。


重松省三: 1966年6月5日の中日戦(札幌円山)で河村から代打本塁打、1967年10月11日のサンケイ戦(川崎)ではダブルヘッダー第1戦で佐藤進から代打サヨナラ本塁打、続く第2戦では1番として起用され、石戸四六から初回に先頭打者本塁打を放った。


相川進: サンケイの石戸四六から代打初打席初本塁打を記録する。


江尻亮: 10月27日に行われた最終戦のサンケイ戦(川崎)では石戸四六と投げ合うが、根来広光・小淵泰輔・別部捷夫に3本塁打を喫して敗戦。


大野守: 2回戦(初戦)でエース石戸四六を擁する秋田商に完封勝ち。


飯田徳治: 鈴木のほかには村田元一・佐藤進・石戸四六など投手陣は大活躍の一方で打線の援護が乏しく、主砲・豊田泰光は前半の24試合に出場したのみで夏場以降は完全に姿を消してしまった。


石戸四六の情報まとめ

もしもしロボ

石戸 四六(いしど しろく)さんの誕生日は1941年6月4日です。秋田出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

父親、引退、ドラマに関する情報もありますね。1980年に亡くなられているようです。

石戸四六のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

石戸 四六(いしど しろく、1941年6月4日 - 1980年8月2日)は、日本のプロ野球選手(投手)。秋田県大館市出身。

長男ではあるが、6月4日に生まれたことに因んで「四六」というユニークな名前が付けられた。“六四”ではないのは、父親によると「六四だと頭が重くて、下が軽いからフラフラするだろう。四六だと下が大きくて安定する。男が一生、フラフラ生きてどうするのだ」であるためという。秋田商業高校では、エースとして1957年秋季東北大会県予選決勝に進むが、金足農に完封負け。翌1958年夏の甲子園に出場。しかし初戦(2回戦)で板東英二を擁する徳島商と対戦し、自らのエラーもあり0-3で敗れた。

社会人野球の日立製作所に進み、1962年に日本鉱業日立の補強選手として都市対抗に出場。1回戦で倉敷レイヨンに完投勝利。2回戦では山陽特殊製鋼に0-1とリードされた4回からリリーフで登板。山陽の左腕エース益田昭雄と互いに無失点で投げ合い惜敗するが、好投手として注目を集める。

同年9月末に契約金500万円、初任給15万円で国鉄スワローズに入団する。大館市出身では初のプロ野球選手であった。入団契約後に契約金(支度金)を使って、東京有楽町の国鉄球団事務所からタクシーに乗り、途中運転手と温泉宿に1泊して大館の実家まで帰ったという逸話が残っている。ただし、ラジオ日本のアナウンサーだった島碩弥が生前の本人に直接確認したところによると、タクシーを使って大館の実家まで帰ったのは1年目のシーズンを終えたオフで、途中も栃木県内の温泉と福島県の飯坂温泉で合わせて2泊して帰ったという。

1965年には対大洋戦での桑田武の1安打のみに抑えた無四球完封勝利を含むチーム2位の8勝を挙げて、この頃から主力投手に加わる。同年は初の規定投球回(18位、防御率3.05)にも達した。

1966年からは4年連続二桁勝利を記録。

1967年からは3年連続でチーム最多勝を記録して、金田正一が去った後の弱体化したサンケイ(アトムズ)のエース格として、佐藤進・石岡康三らとチームを支えた。この間、別所毅彦が監督に就任した1968年にはペナントレース最終戦の対広島戦で勝利し、金田に次いで球団2人目の20勝を達成(防御率2.84はリーグ8位)。

1969年も16勝を挙げる。

1970年は体調を崩して一転して不調となり、3勝15敗に終わった。7月25日の対中日戦でチームの11連敗をストップする勝ち星を挙げたのがプロでの最後の勝利になり、また最後の意地でもあった。肝機能障害に慢性胃炎を併発していたこともあり現役を引退。節制が出来ない私生活と、ヤクルト球団との感情のもつれなども影響し、手足の何処にも故障が無いにもかかわらずユニフォームを脱ぐことを決意したという。

現役引退後は故郷に戻ってスナック『神宮』を開く。スナックの経営は順調であったが、寿司屋(『球寿司』)に事業の手を拡げて失敗し、失意の晩年を送る。失意の底であった1978年には、ヤクルトが初優勝して記念品として贈られたネクタイピンに涙を流して喜んだという。

1980年8月2日に肝硬変のため39歳で没した。

サイドハンドから繰り出す鋭いシュートを主武器に、スライダー・シンカー・ナックル等を自在に投げ分けた。

無類の酒好きで、いわゆる酒仙投手の異名を取った選手の一人でもある。試合が終わり宿舎に戻ると、ステテコ姿で日本酒を湯のみ茶碗で嗜むのが常であった。

打倒巨人に闘志を燃やし、巨人戦で勝利投手となった日には「幸せだ。俺はこの時の為に生きている。」と言って日本酒を飲み倒し、背広・ワイシャツ・下着の順番で脱いでゆき、最後はパンツ姿でぶっ倒れるまで飲んだという。

酒と博打にのめり込む余り、門限破り、朝帰りとなる事も数知れずである。20勝を挙げた翌年の1969年のキャンプでは朝帰りの際に怪しまれないようトレーニングウエアに着替えて宿舎に向かったところ、たまたま石戸のもとを見かけた別所監督に「一人で朝練習をしている」と勘違いされ、「若手の模範である」と褒められたという珍事も発生した。

岡本凱孝など国鉄~サンケイ時代の選手と親交があった国鉄番記者の三枝貢によると、石戸は故郷の大館にスナックを開いた際も「毎晩飲んでいる常連客の一人が自分自身である」という程酒を呑みつづけていたといい、これらの大量の飲酒が、結果的に石戸の肝機能障害および肝硬変の発症と39歳での早世につながる大きな原因になった。只し武上四郎によると、石戸は豪快な生き様とは対照に性格は繊細であったともいう、没後間もない1981年には秋田魁新報の吉田一雄らが追悼本を出版している。

なお、酒仙投手とはチームの主軸投手である「主戦投手」のうち、特に酒豪と讃えられた者を示す言葉として大和球士が考案した称号で戦前の西村幸生に始まり、戦後は大崎三男と石戸、その後は今井雄太郎へと受け継がれていった。

各年度の太字はリーグ最高

国鉄(国鉄スワローズ)は、1965年途中にサンケイ(サンケイスワローズ)に、1969年にアトムズに、1970年にヤクルト(ヤクルトアトムズ)に球団名を変更

初登板:1962年9月29日、対阪神タイガース24回戦(阪神甲子園球場)、10回裏に4番手で救援登板、1/3回無失点

オールスターゲーム出場:2回 (1968年、1969年)

63 (1962年)

49 (1963年 - 1966年)

20 (1967年 - 1970年)

^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、43ページ

^ 『引退 そのドラマ』58頁

^ シリーズ 時代を語る:[吉田一雄]石戸君の追悼本出版 - 秋田魁新報電子版、2016年10月17日。

^ 【球談徒然】型破りスター“酒仙投手”石戸四六 - スポーツ - ZAKZAK

^ 島碩弥『プロ野球とっておきの話』株式会社光文社、1984年9月10日、57-58頁。 

^ 【10月12日】1968年(昭43) 消化試合じゃない 石戸四六 ヨレヨレ完投で球団2人目快挙 - スポーツニッポン - ウェイバックマシン(2020年8月4日アーカイブ分)

^ 【球界高校人脈】「秋田高vs秋田商」は秋田の“早慶戦” - スポーツ - ZAKZAK

^ 猛虎人国記(13)~三重県~ 「酒仙投手」が残した功績 - スポニチ Sponichi Annex 野球

近藤唯之 『引退 そのドラマ』新潮社(新潮文庫)、1986年

吉田一雄 『白球の軌跡  巨人キラー石戸四六の全記録集』石戸四六投手を偲ぶ会、1981年10月

秋田県出身の人物一覧

東京ヤクルトスワローズの選手一覧

個人年度別成績 石戸四六 - NPB.jp 日本野球機構

1950 成田敬二

1951 田原基稔

1952 金田正一

1953 宮地惟友

1954 金田正一

1955 金田正一

1956 金田正一

1957 田所善治郎

1958 金田正一

1959 金田正一

1960 金田正一

1961 北川芳男

1962 金田正一

1963 金田正一

1964 金田正一

1965 村田元一

1966 渋谷誠司

1967 村田元一

1968 石戸四六

1969 河村保彦

1970 石岡康三

1971 松岡弘

1972 松岡弘

1973 松岡弘

1974 松岡弘

1975 松岡弘

1976 松岡弘

1977 松岡弘

1978 安田猛

1979 松岡弘

1980 鈴木康二朗

1981 松岡弘

1982 鈴木康二朗

1983 尾花高夫

1984 高野光

1985 梶間健一

1986 荒木大輔

1987 荒木大輔

1988 尾花高夫

1989 尾花高夫

1990 内藤尚行

1991 内藤尚行

1992 西村龍次

1993 西村龍次

1994 川崎憲次郎

1995 岡林洋一

1996 T.ブロス

1997 T.ブロス

1998 石井一久

1999 石井一久

2000 石井一久

2001 石井一久

2002 藤井秀悟

2003 K.ホッジス

2004 J.ベバリン

2005 石川雅規

2006 石川雅規

2007 石井一久

2008 石川雅規

2009 石川雅規

2010 石川雅規

2011 石川雅規

2012 石川雅規

2013 館山昌平

2014 小川泰弘

2015 小川泰弘

2016 小川泰弘

2017 石川雅規

2018 D.ブキャナン

2019 小川泰弘

2020 石川雅規

2021 小川泰弘

2022 小川泰弘

2023 小川泰弘

2024 サイスニード

日本の野球選手

秋田市立秋田商業高等学校出身の野球選手

日立製作所硬式野球部の選手

東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手

NPBオールスターゲーム選出選手

秋田県出身のスポーツ選手

1941年生

1980年没

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プロジェクト人物伝項目

ウィキデータにある日本野球機構選手識別子

2024/11/21 22:51更新

ishido shiroku


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