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立原道造の情報 (たちはらみちぞう)
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【12月4日】今日誕生日の芸能人・有名人

立原道造の情報(たちはらみちぞう) 詩人 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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立原 道造さんについて調べます

■名前・氏名
立原 道造
(読み:たちはら みちぞう)
■職業
詩人
■立原道造の誕生日・生年月日
1914年7月30日 (年齢1939年没)
寅年(とら年)、獅子座(しし座)
■出身地・都道府県
東京出身

立原道造と同じ1914年生まれの有名人・芸能人

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立原道造と関係のある人

石原吉郎: この時の選者は、鮎川信夫と谷川俊太郎で、詩風は立原道造の影響がなくなり、完全に自己流の詩に変わっていた。


寺田透: 神奈川一中から第一高等学校をへて東京帝国大学文学部仏文学科卒業、大学時代に、立原道造・杉浦明平とともに同人雑誌をやっていたが、立原が日本浪曼派に接近したことで絶交し、同人雑誌も終わりとなった。


井口朝生: 少年時代は堀辰雄や立原道造の作品を愛読した。


堀辰雄: この年の秋、一高生の立原道造が向島の堀宅を訪問し立原と知り合う。


高田三郎: 立原道造の詩による4つの歌曲


安藤元雄: 何となく落伍者になったと感じ、教会にも行かず、堀辰雄、立原道造、中原中也、萩原朔太郎などを乱読する。


飛鳥凛: 中原中也、立原道造 他「いのちの詩集」(SDP Bunko) - 表紙+巻頭グラビア


高木東六: 「浅き春に寄せて」(作詞: 立原道造


高木東六: 「夢見たものは」(作詞: 立原道造


林光: 混声合唱とピアノのための「花と鳥と木々の歌」(1998年 立原道造


小川和佑: 『立原道造 忘れがたみ』文京書房 1975。


小川和佑: 『立原道造研究』審美社 1969、増補版・文京書房 1977


岸田日出刀: 東京大学建築学科では建築意匠設計教育に長くかかわり、岸田研究室には前川國男、丹下健三、立原道造、浜口隆一、浅田孝らが在籍し巣立っていったほか、前川や丹下らをバックアップし育てた。


小川和佑: 『立原道造 詩の演技者』林道舎 1988


小川和佑: 『立原道造・愛の手紙』毎日新聞社 1978


浜口隆一: 同級生に丹下健三、大江宏ら、1学年上には立原道造、1学年下には立原道造と一高の同級生だった生田勉らが在籍した。


魚喃キリコ: 僕はひとりで夜がひろがる 立原道造詩集(2010年4月、パルコエンタテインメント事業部) - 立原道造詩集の挿絵。


小川洋子: 読書範囲が広がり、立原道造、川端康成、太宰治、谷崎潤一郎を愛読する。


堀辰雄: 登場人物「都築明」のモデルは立原道造も重ねられている。


財部鳥子: 立原道造の影響で詩作を開始。


小川国夫: 立原道造の脆さ - 初出 角川書店『立原道造全集』第4巻月報 昭和47年1月


郷原宏: 『立原道造 抒情の逆説』(花神社) 1980、新版・未來社 2022


安藤元雄: 日本近代文学館で「作家を肉筆で読む」のシリーズの一環として、「立原道造の手書き詩集」と題して講演。


安藤元雄: 芸林書房の「二十一世紀文庫」のため『立原道造詩集』を編集。


安藤元雄: 1952年(昭和27年、18歳)「星陵」復刊第一号に立原道造論「『鮎の歌』など」を発表。


小川和佑: 『立原道造論』五月書房 1972


安藤元雄: 6月、中京大学での四季派学会夏期大会に招かれ、「立原道造の新しい全集について」と題して講演。


大岡信: 同月『ユリイカ』に「立原道造論」発表。


石井歓: 草に寝て(1959年/立原道造


堀辰雄: 戦時下の不安な時代に、時流に安易に迎合しない堀の作風は、後進の世代の立原道造、中村真一郎、福永武彦、丸岡明などから支持され、彼らは堀の弟子のような存在として知られている。


立原道造の情報まとめ

もしもしロボ

立原 道造(たちはら みちぞう)さんの誕生日は1914年7月30日です。東京出身の詩人のようです。

もしもしロボ

卒業、現在、趣味に関する情報もありますね。1939年に亡くなられているようです。

立原道造のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

立原 道造(たちはら みちぞう、1914年〈大正3年〉7月30日 - 1939年〈昭和14年〉3月29日)は、昭和初期に活躍し、24歳8か月で急逝した日本の詩人。建築家としての足跡も残した。別筆名(旧制一高時代の短歌投稿時に使用)に、三木祥彦・山木祥彦がある。東京帝国大学工学部建築学科卒業、学位(当時は称号)は工学士(東京帝国大学)。東大建築学科在学中の3年間、同学科より辰野賞を連続受賞、詩作では1938年に中原中也賞を受賞。

東京都中央区に生まれた。東京府立三中で芥川以来の秀才と称された。一高在学中に三中の先輩でもある堀辰雄を知り、また室生犀星に師事。東大在学中の夏に、信濃追分に滞在、土地の旧家の孫娘に恋をする。詩誌「四季」に、追分での「村ぐらし」を載せる。立原は翌年も追分を訪れ、恋心は続いた。だがその翌年、娘は他家へ嫁いでしまった。この短い青春が終わると同時に体調を崩し、24歳で死去。

1914年(大正3年)、立原貞治郎、とめ夫妻の次男として日本橋区橘町(現:中央区東日本橋)に生まれる。家では荷造用木箱製造を営んでいた。1919年(大正8年)、貞治郎が亡くなり、5歳で立原家の家督を継ぐ。1927年(昭和2年)、13歳の折、北原白秋を訪問するなど、既に詩作への造詣を持っていた。同年、口語自由律短歌を『學友會誌』に発表、自選の歌集である『葛飾集』『両國閑吟集』、詩集『水晶簾』をまとめるなど13歳にして歌集を作り才能を発揮していた。東京府立第三中学(現東京都立両国高等学校・附属中学校)から第一高等学校理科甲類に天文学を志して進学した1931年(昭和6年)、短歌の倶楽部に入部した道造は『詩歌』に投稿するなど高校時代を通じて詩作を続け、『校友會雜誌』に物語「あひみてののちの」を掲載した。翌1932年(昭和7年)、自らの詩集である『こかげ』を創刊する一方、四行詩集『さふらん』編纂も手がけた。高校最後の年を迎えた1933年(昭和8年)、詩集『日曜日』『散歩詩集』を製作、翌年には東京帝国大学工学部建築学科に入学した。建築学科では1934年(昭和9年)から1937年(昭和12年)まで岸田日出刀の研究室に所属。丹下健三・浜口隆一が1学年下、生田勉が2学年下に在籍した。一高同期でもあった生田とは、特に親しく交わった。帝大在学中に建築の奨励賞である辰野賞を3度受賞した。大学卒業年次を迎えた1936年(昭和11年)、テオドール・シュトルム短篇集『林檎みのる頃』を訳出した。

翌1937年(昭和12年)に大学を卒業し、石本建築事務所に入所した道造は「豊田氏山荘」を設計。詩作の方面では物語「鮎の歌」を『文藝』に掲載し、詩集『ゆふすげびとの歌』を編んだ。さらに第一詩集『萱草に寄す』(1937年)、第二『曉と夕の詩』(1937年12月)と立て続けに出版し、建築と詩作の双方で活躍できる実力を示した。

1938年(昭和13年)、中原中也が没して半年ほどの頃『四季』第37号(昭和13年5月号)に「別離」という文章を発表。そこで中原の「汚れつちまつた悲しみに…」について、「僕はこの涙の淵の深さに反撥する」と言及する。同年11月、九州へ旅行するが、12月6日に長崎で発熱・喀血。12月26日に東京市中野区江古田の市立療養所へ入院。1939年(昭和14年)、第1回中原中也賞(現在の同名の賞とは異なる)を受賞したが、同年3月29日午前2時20分、結核のため24歳で没した。戒名は温恭院紫雲道範清信士。墓所は東京都台東区谷中の多寳(宝)院。

詩以外に短歌・俳句・物語・パステル画・スケッチ・建築設計図などを残した。道造の優しい詩風には今日でも共鳴する人は多く、文庫本の詩集もいくつか刊行されている。また存命中に今井慶明が立原の2つの詩を歌曲にして以来、柴田南雄、高木東六、高田三郎、別宮貞雄、三善晃などが作曲している。

1997年(平成9年)、文京区弥生に立原道造記念館が設立された。記念館は2011年2月20日に閉館。立原が構想した図面に基づき、2004年に「ヒアシンスハウス」がさいたま市の別所沼公園に竣工された。2012年2月、信濃デッサン館(現・KAITA EPITAPH 残照館)内に「立原道造記念展示室」が新設されたが、後に閉館。2021年現在、信濃デッサン館に保管されていた作品は閲覧不可能である。

父の立原貞治郎は婿養子で、千葉県東葛飾郡新川村大字平方の狼家の出。旧名、狼貞次郎。母の立原トメ(通称 光子)は桓武平氏の一家系 常陸平氏 大掾氏の一門 鹿島氏の庶流 立原氏。近い祖先には水戸藩の儒家で『大日本史』を編纂した立原翠軒、画家立原杏所がいるという(関東大震災時に家系図が焼失したため現在は確認が不可能だが、家紋は同じである)。

『優しき歌 I』『優しき歌 II』は、詩人の没後に複数人によって編纂されたもの。『I』は『II』の後に編まれたことに注意。

『優しき歌 II』は角川書店から1947年に『優しき歌』として出版された。詩人の生前の構想を、中村真一郎の証言によって堀辰雄が復元したものである。『優しき歌 I』は、第三次角川書店版全集(1971年 - 1973年)にあたって復元されたものである。『II』の出版後に発見された立原のメモに基づいている。

筑摩書房版『立原道造全集』(全5巻)では、「立原の死の時点で彼の作品が残されていた状態をなるべく正確に再現するように」(第一巻、p.582)という目的から、2種の『優しき歌』は採用されていない。

「わすれぐさによす」と読む。

SONATINE NO.1

はじめてのものに

またある夜に

わかれる昼に

のちのおもひに

夏花の歌

その一

その二

SONATINE NO.2

虹とひとと

夏の弔ひ

忘れてしまつて

I 或る風に寄せて

II やがて秋‥‥

III 小譚詩

IV 眠りの誘ひ

V 真冬の夜の雨に

VI 失はれた夜に

VII 溢れひたす闇に

VIII 眠りのほとりに

IX さまよひ

X 朝やけ

燕の歌

うたふやうにゆつくりと‥‥薊の花のすきな子に

I 憩らひ

II 虹の輪

III 窓下楽

IV 薄 明

V 民 謡

鳥啼くときに

甘たるく感傷的な歌ひとり林に‥‥

I ひとり林に‥‥

II 真冬のかたみに‥‥

浅き春に寄せて

序の歌

I 爽やかな五月に

II 落葉林で

III さびしき野辺

IV 夢のあと

V また落葉林で

VI 朝に

VII また昼に

VIII 午後に

IX 樹木の影に

X 夢見たものは……

最初の全集は、山本書店で1941年(昭和16年)から1943年(昭和18年)にかけ刊行。編者は堀辰雄。戦後は角川書店で3度刊行(1950-51年、1957-59年、1971-73年)。

決定版全集は、筑摩書房(全5巻 順に詩Ⅰ・詩Ⅱ・手記・建築図面・書簡)で、2006年(平成18年)より2010年(平成22年)にかけ刊行された。編集委員は中村稔・安藤元雄・宇佐美斉・鈴木博之。資料調査(原典照合・筆記具調査・制作年代推定など)は、故堀内達夫の後を継いだ宮本則子が、立原道造記念館等々の協力を得て行った。

なお、全集掲載の全図版約1500点は、立原道造記念会が、狩野耕一の助力を得て作成し、無償で筑摩書房に提供した。

立原道造詩碑(岩手県盛岡市愛宕山)

立原道造が生前、東京府立第三中学校(現在の東京都立両国高等学校・附属中学校)時代に東京市電(現在の東京都電車)の切符収集の趣味を持っており、自らコレクションした東京市電切符3,000枚が現存している。その切符などが「立原道造記念館」で、2010年3月から9月までの特別展覧会にて一般公開された。

立原道造をモデルとした青年を登場させた小説『菜穂子』を堀辰雄が執筆している。

ギリシャ神話のヒアシンサス伝説に心を寄せ、自らの詩集を風信子叢書と名付けていたことから、命日の3月29日は「風信子(ヒアシンス)忌」といわれる。

立原は日本橋の生家の三階に船室のような書斎を作り、そこから向島小梅町の堀辰雄の家にしばしば通ったということである。

立原蘭渓

立原翠軒

立原杏所

立原朴次郎

水戸部アサイ

津村信夫

杉浦明平

寺田透

中村真一郎

生田勉

^ 表題「優しき歌」は、1938年(昭和13年)夏、中村真一郎と加藤周一とレコードで聴いた音楽の題に基づく。ヴェルレーヌの詩にフォーレが作曲したもの。「ラ・ボヌ・シャンソン」。水沢遙子『立原道造覚書 夭折の詩人、その光と翳』不識書院、1996年 p.192

^ “立原道造略年譜”. 立原道造記念会. 2021年4月22日閲覧。

^ 神保光太郎「立原道造の生涯ー覚え書として」(『四季』立原道造追悼號(1939年7月))

^ 『立原道造と生田勉―建築へのメッセージ』 立原道造記念館(1998年3月)

^ 『東京帝国大学一覧 昭和12年度』、東京帝国大学、512頁、1937年8月5日。NDLJP:1446243/265。 

^ 岸田日出刀「立原道造君のことども」(『四季』立原道造追悼號(1939年7月))によれば、石本より「設計の堪能な人」を求められ、岸田が立原を推薦した。

^ 大塚英良『文学者掃苔録図書館』(原書房、2015年)142頁

^ 『国文学解釈と鑑賞』別冊立原道造特集(2001年5月)掲載「立原道造の詩による作曲一覧」

^ ヒアシンスハウス ヒアシンスハウスの会

^ 小山正孝「年譜 立原道造」『日本の詩歌24 丸山薫、田中冬二、立原道造、田中克己、蔵原伸二郎』中央公論社、1968年 p.421

^ “もりおか近郊自然歩道ガイドブック”. 盛岡市. 2022年11月8日閲覧。

^ 夭逝の詩人・立原道造 元祖“乙女系男子”は元祖鉄道オタク!? 産経新聞 2010年5月12日閲覧

^ 『新潮日本文学アルバム17 堀辰雄』(新潮社、1984年)

^ “Tachihara Michizo Memorial Museum”. www.tachihara.jp. 2021年1月11日閲覧。

^ 『私の現代詩入門 むずかしくない詩の話』思潮社、2005年、115頁。 

三つの抒情

立原 道造:作家別作品リスト - 青空文庫

立原道造記念館

日本詩人愛唱歌集-立原道造 - ウェイバックマシン(2019年3月30日アーカイブ分)

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2024/12/03 14:41更新

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