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荻野貴司の情報 (おぎのたかし)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

荻野貴司の情報(おぎのたかし) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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荻野 貴司さんについて調べます

■名前・氏名
荻野 貴司
(読み:おぎの たかし)
■職業
野球選手
■荻野貴司の誕生日・生年月日
1985年10月21日 (年齢38歳)
丑年(うし年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
奈良出身

(昭和60年)1985年生まれの人の年齢早見表

荻野貴司と同じ1985年生まれの有名人・芸能人

荻野貴司と同じ10月21日生まれの有名人・芸能人

荻野貴司と同じ出身地奈良県生まれの有名人・芸能人


荻野貴司と関係のある人

磯山さやか: 投手は当時独身のルーキー荻野貴司で、左打席に西村徳文監督(ロッテ)が立った。


清田育宏: また、清田と同い年の右打ち外野手である荻野貴司が1位指名を受けたこともあってロッテへの入団にためらいはあったものの、1位と同等の年俸と背番号1を用意され無事入団にこぎつけた。


竹原直隆: 2010年に同じ右打ちの外野手の荻野貴司や清田育宏の加入や、新監督の西村徳文が前任のバレンタインと反対にスタメンを固定する方針を取ったことなどで出番が減少。


源田壮亮: レギュラーシーズン全体では前述の離脱に加え、死球や自打球の影響で欠場する試合もあり、119試合の出場に留まったものの打率.272、2本塁打、29打点、24盗塁を記録し、荻野貴司・和田康士朗・西川遥輝と並んで盗塁王を獲得。


渡辺正人: 2011年は遊撃手の荻野貴司の故障もあり、出場機会を増やす。


今江敏晃: 2010年はシーズン序盤は9番打者であったが、荻野貴司の故障後は2番に抜擢され、自己最多(リーグ3位)の犠打数を残した。


藤岡貴裕: さいたま市にあるロッテの新人寮へ入寮する際、1年前のドラフト1位伊志嶺翔大、2年前のドラフト1位荻野貴司が入った出世部屋に入ることが決まったが、活躍して早く退寮したいという想いから荷物は最低限のものだけしか持ってこなかったという。


井口資仁: 就任した2018年はリーグ2位のチーム盗塁数124、ホームランラグーンを設置した2019年はリーグ4位の75盗塁と減少したが、2020年はリーグ3位の87盗塁、2021年(107盗塁)と2022年(132盗塁)は2年連続でチーム盗塁数が100を超え、リーグトップとなり、2021年は荻野貴司と和田康士朗、2022年は髙部瑛斗が盗塁王に輝いた。


糸井嘉男: シーズン終了時35歳2か月での盗塁王獲得は当時の史上最年長記録であった(2021年に荻野貴司が36歳0か月で達成するまで)。


平野佳寿: 4月8日の対ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)では、4点リードの9回裏二死満塁で登板すると、荻野貴司を6球で凡退させたことによってNPB公式戦1286日ぶりのセーブを挙げた。


西川遥輝: 荻野貴司、和田康士朗、源田壮亮も同数で並び、プロ野球史上初の4選手による盗塁王獲得となった。


伊志嶺翔大: シーズン序盤は、主に左投手が先発の時にスタメンで出場するも荻野貴司の復帰後は守備固めでの出場が増える。


森本達幸: 荻野貴司(関西学院大学→トヨタ自動車→千葉ロッテマリーンズ)


宮西尚生: 1年先輩に清水誉、同期に荻野貴司、1学年後輩に岸敬祐がいる。


大谷智久: なお、同僚の荻野貴司はロッテから、中澤雅人は東京ヤクルトスワローズからそれぞれ1位指名を受けた。


金森栄治: ロッテ1期目は西岡剛・荻野貴司・清田育宏・岡田幸文らを指導してチームの日本一に貢献したが、2011年はチーム打率、得点はリーグ最下位に低迷した。


福田秀平: この年は和田康士朗、荻野貴司が揃って盗塁王を獲得し、さらにチーム2位の本塁打を放ったレオネス・マーティンがおり、若手の藤原恭大・山口航輝も出場機会を大幅に増やす外野手争いの中、一軍ではわずか4試合の出場、安打は1本のみだった。


早坂圭介: 2010年には、新人の荻野貴司がオープン戦から台頭。


髙濱卓也: 移籍後に迎えた2011年のレギュラーシーズンでは、西岡から正遊撃手の座を引き継いだ荻野貴司の故障離脱や、荻野の離脱後に遊撃手として起用された高口隆行・細谷圭の打撃の低調などを背景に、5月24日の対広島東洋カープ2回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)に「2番・遊撃手」としてスタメンで一軍公式戦にデビュー。


塀内久雄: その後は荻野貴司の離脱により2年ぶりに遊撃手としての先発出場もあったがスタメン定着には至らず、7月には出場選手登録を抹消された。


早坂圭介: 現役引退後に経営していたバーの開店当日にはロッテ在籍時のコーチ・福澤洋一や元同僚の今江年晶や福浦和也、唐川侑己、荻野貴司から開店祝いの花が届いた。


岡田幸文: 前年を上回る134試合に出場したものの、角中・荻野貴司・清田育宏・伊志嶺翔大・ルーキー加藤翔平ら他の外野手との兼ね合いもあり、スタメン落ちして途中で守備固めとして起用されるケースも少なくなく、2010年以来3年ぶりの規定打席未到達となり、打率も最終的に前年を下回った。


岸敬祐: 清水誉は2年先輩、荻野貴司・宮西尚生は1年先輩に当たる。


山岡泰輔: 7回1失点と好投するも勝敗は付かず、続く同26日のロッテ戦では1回裏の先頭打者・荻野貴司を1球で打ち取った後、2番打者・角中勝也へ2球目を投げたところで左脇腹の違和感を覚え、わずか3球で緊急降板。


岡大海: シーズン前半は、荻野貴司や角中勝也が怪我で不在の中で、髙部瑛斗と共に外野手の一角を担う。


根元俊一: 2011年は、西岡がミネソタ・ツインズに移籍したため、荻野貴司が遊撃手のレギュラーとなっていたが、5月に荻野が怪我で離脱すると出場機会が増加。


松陰寺太勇: TOKYO SPEAKEASY 千葉ロッテマリーンズ 荻野貴司選手と対談(TOKYO FM、2021年12月21 日)


南竜介: 2010年は荻野貴司や早坂圭介の負傷もあり、守備要員や中堅手としての先発出場で自己最多の57試合に出場した。


藤原恭大: 荻野貴司、清田育宏、角中勝也などの、新型コロナウイルスに感染した主力外野手が一軍に復帰しても一軍への帯同を続け、26試合に出場し、打率.260、3本塁打、10打点、4盗塁の成績を残し、コロナ禍のチームを支え、チーム4年ぶりのクライマックスシリーズ進出、13年ぶりの2位に貢献した。


和田康士朗: その起用法の中で前年を上回る24個の盗塁を決め、荻野貴司、西川遥輝(日本ハム)、源田壮亮(西武)の4人で盗塁王のタイトルを分け合った。


荻野貴司の情報まとめ

もしもしロボ

荻野 貴司(おぎの たかし)さんの誕生日は1985年10月21日です。奈良出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

選手としての特徴、人物などについてまとめました。結婚に関する情報もありますね。去年の情報もありました。荻野貴司の現在の年齢は38歳のようです。

荻野貴司のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

荻野 貴司(おぎの たかし、1985年10月21日 - )は、奈良県高市郡明日香村出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。

日本プロ野球における史上最年長盗塁王記録(36歳・2021年)保持者である。

小学校4年生(1995年)の時に「明日香フレッシュジュニアーズ」で野球を始める。中学時代は加治前竜一と共に橿原コンドルに在籍した。

郡山高では高校2年春(2002年)から遊撃手のレギュラーとなり、3年夏(2003年)の奈良大会では準優勝に終わった。

関西学院大学法学部に進学。野球部の同期には北海道日本ハムファイターズの宮西尚生がいた。大学1年秋(2004年)から遊撃手のレギュラーとして活躍、4年春(2007年)には17盗塁で23年ぶりとなるリーグ新記録を樹立した(2020年秋季リーグ終了時点でも破られてはいない)。最終的に関西学生リーグ通算80試合に出場し295打数98安打、打率.332、3本塁打、35打点、47盗塁、ベストナイン5度受賞の記録を残した。このように好成績を残したものの、最終的にプロ志望届は出さなかった。

2008年にはトヨタ自動車へ入社と同時に外野手に転向、オープン戦で1試合3本塁打を記録する。同年の第35回日本選手権で3番打者として出場、打率.409(長打率.682)の好成績でチームの連覇に貢献し社会人ベストナイン外野手部門を受賞した。社会人2年目の夏(2009年)に左膝の半月板を痛めるが、復帰後の都市対抗野球で活躍してプロのスカウトの注目を集めた。なお、トヨタ自動車時代のチームメイトには、荒波翔や中澤雅人、後にロッテでも同僚となる大谷智久がいる。

2009年のドラフト会議では複数球団から上位指名候補としてリストアップされ、千葉ロッテマリーンズより単独1位指名を受けた。11月30日に契約金1億円プラス出来高5000万円、年俸1500万円(金額は推定)で契約、背番号は4。

2010年は、春季キャンプから俊足をアピールし、球団では25年ぶりとなる新人外野手の開幕戦先発出場を果たす。開幕から46試合で25盗塁を記録し、3月26日の対北海道日本ハムファイターズ戦では逆転決勝弾となるプロ入り初本塁打を打つなどの活躍を見せた。だが、5月21日の対東京ヤクルトスワローズ戦で二盗を試みてスライディングした際に右膝を負傷した。精密検査の結果、全治2か月の右膝外側半月板損傷と診断された。同月26日に半月板の部分切除手術を受けたが、シーズン中の復帰は叶わなかった。オフの契約更改の席では西岡剛の移籍で空いた遊撃手へのコンバートについて「やってみたい気持ちがあるので、守れるなら守りたいですね」と前向きなコメントを残した。

2011年は、内野手登録となり、「2番・遊撃手」として開幕戦に先発出場した。だが5月13日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で右膝の違和感を訴え、17日に登録を抹消され、25日に右膝の手術を受けた。オールスターゲーム後の復帰を目指していたが、回復は思わしくなく8月25日にプロ入り後3度目となる右膝の手術を受けた。また、この年は鉄道車両の行き先看板を模したグッズが発売された。表面には「快足荻野二塁(盗塁)」裏面には「特急荻野本塁(三塁経由)」と書かれている。

2012年は、再び外野手登録となり、本人も「外野一本でやりたい」と宣言した。前年の教訓から開幕よりまず完治を優先し、春季キャンプでも一軍から外れて別メニュー調整を行った。開幕は二軍で迎え、4月21日のイースタン・リーグで約1年ぶりの実戦復帰を果たす。6月13日に一軍選手登録されると、同日の対広島東洋カープ戦の10回裏に代走として出場し二盗を決めた。翌日には復帰後初先発でシーズン初安打。8月1日の対日本ハム戦では2年ぶりの本塁打を記録した。8月17日の対日本ハム戦で2失策を記録し、同月20日に一軍登録抹消。二軍調整後、最短の10日間で一軍復帰。プロ入り後初めて怪我による離脱なくシーズン終了を迎えた。

2013年は、腰痛で開幕一軍を逃したものの5月上旬に復帰し、102試合に出場、打率.276、盗塁26個(成功率.897)の好成績を残した。

2014年は、5月6日のオリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)において、西勇輝から史上初となる初回先頭打者初球ランニング本塁打を記録した。6月22日の対中日ドラゴンズ戦で、本塁突入時に左肩関節窩を骨折。そのまま残りのシーズンを棒に振った。

2015年は、負傷等で2回の登録抹消を味わうなどして82試合の出場にとどまったが、初めてポストシーズン、クライマックスシリーズに出場し、初安打に盗塁も記録した。左翼手として35試合、中堅手として34試合に先発出場した。

2016年は、4月27日に左内腹斜筋肉離れを負傷し全治6週間、9月20日に右大腿二頭筋肉離れで二度の故障に悩まされた。最終的に71試合の出場にとどまり、前年よりも出場機会を減らす不本意なシーズンになってしまったが、盗塁は16個(成功率.889)を記録し、入団1年目から続いている連続2桁盗塁(7年連続)の記録はキープした。記録守備位置としては主に右翼手(31試合に先発出場)として起用されたが、中堅手としても10試合に先発起用された。シーズンオフの12月15日、「ケガがゼロになればいい」という理由で背番号を0に変更した。

2017年は、プロ入り後はじめて1年間怪我なくシーズンを終えた。前半戦は打撃不振で2度の二軍降格を味わったが、8月1日に一軍に昇格し、以降先発に定着。8月は月間打率.299と復調すると、9月・10月は月間打率.346、盗塁15、OPS.862を記録し、月間MVP候補に選出されるほどの活躍を見せた。最終的には103試合に出場し、安打(94本)、本塁打(5本)は自己最多、盗塁も自己最多タイの26個(成功率.897)を記録した。

2018年は、開幕戦から「1番・中堅手」に定着。5月31日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮球場)から6月7日の中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)にかけて7試合連続マルチ安打を記録するなど、好調を維持。監督推薦で初のオールスターゲーム出場選手にも選出された。しかし、7月9日の埼玉西武ライオンズ戦(メットライフドーム)において右手第二指基節を骨折。オールスターゲームも辞退となり、シーズン終了まで復帰することはできなかった。

2019年は、「グリップエンドの感覚が欲しい」という理由で、前年より8-9cm短くした、76-77cmの短尺バットの使用を始めたが、オープン戦で打率.059と打撃に苦しみ、開幕戦の先発を高卒ルーキーの藤原恭大に譲った。しかし、4月中旬から前年と同じ85cmのバットに戻し、バットを短くもつスタイルに変更すると打撃が復調。「1番・中堅手」に定着し、5月25日の福岡ソフトバンクホークス戦(ZOZOマリンスタジアム)で10個目の盗塁を記録。これで史上9人目の新人から10年連続2桁盗塁を達成した。球団では弘田澄男が達成して以来、2人目。6月7日の巨人戦(東京ドーム)から7月4日のオリックス戦(京セラ)にかけて20試合連続安打を記録するなど、前半戦をパ・リーグトップの打率.330で折り返す。前年、怪我のため出場できなかったオールスターゲームにも出場を果たした。8月12日の西武戦では、10年目にしてプロ入り初の規定打席に到達した。8月22日の楽天戦(東京ドーム)では史上77人目となる通算200盗塁を達成した。最終的には、125試合に出場し、打率.315(リーグ3位)、本塁打10本、盗塁28(同4位)、OPS.842(同10位)という成績を残した。二塁打35本、三塁打7本はいずれもリーグ1位を記録した。さらに、先頭打者本塁打を5本記録している。守備面でも補殺8はリーグ3位、失策はわずか1と、走攻守全てにおいてリーグトップクラスの成績を残し、プロ10年目で自身初のゴールデングラブ賞、ベストナインを初受賞した。10月31日には、5月31日に獲得した国内FA権を行使せず残留すると発表され、「まだまだ恩返しができていないと思っている。これからしっかり恩返しをしていきたいと思っています。」とコメントを残した。12月25日には3300万増の推定年俸7800万円で契約を更新した。

2020年は、6月19日のソフトバンクとの開幕戦(福岡PayPayドーム)に「3番・左翼手」で出場。翌20日の試合からは、開幕前の練習試合で骨折していた福田秀平に代わり、「1番・中堅手」として出場を続けた。7月14日の日本ハム戦(札幌ドーム)では、21試合目にしてシーズン10・11個目の盗塁を決め、新人から11年連続2桁盗塁を達成した。7月21日の西武戦(メットライフ)で4打数無安打に倒れるまで、1970年のアルトマンに並び球団タイ記録の、開幕から26試合連続出塁を記録し、打率.330、出塁率も4割を超えるなど、好調を維持していたが、翌22日の同対戦の試合中、走塁時に違和感を覚え交代した。都内の病院を受診した結果、「右大腿二頭筋の軽い筋損傷」との診断を受け、翌23日に出場選手登録を抹消された。当初は10日間で復帰する予定だったが、8月17日に二軍で実戦復帰した後も右足に違和感を覚え、一軍に上がることなく再び離脱。最終的に一軍に合流したのは離脱から2か月後の9月25日となった。しかし、復帰から約1週間後の10月4日には、角中勝也、藤岡裕大ら複数の主力選手とともに新型コロナウイルスに感染したことが判明。再び離脱を余儀なくされた。10月20日に再び一軍に復帰すると、16試合で打率.305、1本塁打、4打点の成績を残し、チーム13年ぶりの2位・4年ぶりのCS出場に貢献した。シーズンオフには、国内FA権の行使を熟考していることが報じられたが、12月4日に残留することが発表された。12月21日には、推定年俸8000万円の2年契約を結んだと発表された。

2021年は、3月26日のソフトバンクとの開幕戦(福岡PayPayドーム)に「1番・左翼手」で出場。6月22日ソフトバンク戦(ZOZOマリン)では25年ぶり史上4人目(ロッテ球団では初)となる新人から12年連続2桁盗塁を達成と、レギュラーシーズン最終戦となった10月30日の対北海道日本ハムファイターズ戦(ZOZOマリンスタジアム)で24個目の盗塁を決め、和田康士朗(ロッテ)、西川遥輝(日本ハム)、源田壮亮(西武)と共に自身初の盗塁王を獲得した。4人の選手が同時に盗塁王となったのはNPB史上初である。球団での盗塁王獲得は2006年に獲得した西岡剛以来15年ぶりで、36歳での盗塁王獲得は35歳で獲得した大石大二郎、糸井嘉男らを上回り史上最年長となった。また、安打数は自己最高の169安打を記録し、自身初の打撃タイトルである最多安打のタイトルを獲得した。最終的にプロ12年目にして自身初の全試合出場となる143試合に出場し、リーグ6位の打率.296、本塁打10本(うち先頭打者本塁打6本)、24盗塁を記録。守備では左翼、中堅を守り失策は0であった。これまで毎年のように怪我や不調に悩まされ続けていたが、この年は初めてシーズンを通して二軍落ちを経験することなく、1983年の福本豊(阪急)の最年長記録に並ぶ36歳にしてシーズンの全試合を1番打者として全うし、自身初の主要タイトルを2つも獲得するなど飛躍の年となった。12月2日に発表されたゴールデングラブ賞の外野手部門を、12球団の外野手でトップの得票数となる224票を集めて受賞した。ゴールデングラブ賞の受賞は2019年以来2年ぶり2度目となった。12月15日には2000万円増の推定年俸1億円で更改し、プロ12年目で初の大台を突破した。

2022年は、前年からの疲労蓄積によりキャンプから調子が上がらず、またキャンプ中の新型コロナウイルス感染や脇腹痛により、一軍合流は5月27日の阪神戦(ZOZOマリン)までずれ込んだ。一軍昇格後しばらくは打撃不振に陥るものの徐々に調子を取り戻し、1番レフトに定着。髙部瑛斗とともにチームのリードオフマンとして活躍を見せた(ファンからはこのコンビをおぎたかやおぎべぇなどと呼ばれている)。最終的には規定打席未到達(373打席)ながら打率.310、OPS.811、本塁打は5本の内3本が先頭打者本塁打を記録。さらに盗塁は15(成功率.833)を記録し、入団から13年連続の2桁盗塁となった。また、様々な節目を迎えたシーズンとなり、7月17日のソフトバンク戦(ZOZOマリン)で史上48人目の通算250盗塁、8月10日のソフトバンク戦(ZOZOマリン)で史上313人目の通算1000本安打、9月7日の西武戦(ベルーナドーム)で史上516人目の通算1000試合出場を達成した。12月12日には現状維持の推定年俸1億円で契約を更改した。

2023年は、オープン戦から15試合に出場。打率.302、2本塁打、OPS.813を記録し1番・右翼手で開幕スタメンを勝ち取るが、シーズンでは脚の怪我による2度の離脱もあり、50試合で打率.240、本塁打1、盗塁は1に留まり、プロ入りから継続していた入団からの連続2桁盗塁は13年で途切れた。しかし、レギュラーシーズンでの得点圏打率は3割(打点19)を超え、ポストシーズンでは、CSファーストステージ・ソフトバンクとの第1戦では先頭打者本塁打を放ち、1999年の日本シリーズ・秋山(ダイエー)の37歳6か月の記録を上回り、ポストシーズン最年長の先頭打者本塁打を記録するなど勝負強さを見せた。

選手としての特徴

打撃

バットを極端に短く持つがパンチ力もあり、またどのコースにも柔軟に対応する打撃を見せる。

走塁

50メートル走のタイムは本人曰く6秒を切るくらいとずば抜けて速いわけではないが、トップスピードに乗るのが極めて速い。「20メートル直線を走らせたら、日本で一番」と評するスカウトもいたほどで、右打者にもかかわらず一塁への到達タイムは3.57秒とNPB有数のスピードを誇る。その走力を活かし、2011年4月14日の楽天戦では無死満塁の状況で一塁から二塁へのタッチアップを決めた。

入団1年目から12年連続で2桁盗塁を記録(球団記録)。通算盗塁成功率は2021年シーズン終了時点で.824を記録している。

プロ入り当初、スライディングの技術に難があり、ベース付近から飛び込むように滑っていたことで膝へ負担がかかり故障につながった。

守備

大学まで遊撃手としてプレーしていたが、社会人時代に外野手に転向。そのため、プロ入り前までは外野手の経験が少なかったものの、プロでは2011年(2年目)以外は外野手としてプレーしている。

プロに入ってからは、外野の3ポジション全てでシーズンを通して出場した経験を持っている。そのうち、主に中堅手で出場していた2019年、中堅手と左翼手で出場していた2021年にはゴールデングラブ賞を受賞している。ただし、本人は右翼手が一番守りやすく、打球の判断がしやすいと語っている。

大学時代までは内野での送球に不安を抱えていたが、外野手に転向したことで「思い切り腕を振れるロングスローの場面があるので、自分の長所を生かせるようになったと思います。僕のスローイングは外野からのバックホームのようなロングの送球が一番伸びると思いますので」と語っている。

人物

4歳年上の兄・公一は毎日新聞記者。

2014年10月21日(荻野の誕生日)に、チームメイトである塀内久雄の紹介で知り合った会社員の女性と結婚。同年12月に日本国外で挙式を行なった。息子がいる。

ロッテには2014年まで同姓の荻野忠寛が在籍していたため、ニックネームは「タカシ」、スコアボード表記は荻野貴、背ネームはT.OGINOと区別されていた(忠寛は「OGINO」のまま)。しかし、忠寛の退団後の2015年以降もスコアボード表記と背ネームはそのままである。また、2017年に変更した背番号0は元々忠寛が着けていた背番号である。

同郷で同学年の小窪哲也とは小学校時代にライバルチームの選手として知り合い、中学進学後から共通の友人を通して仲良くなった。小窪は当時の荻野を「塾などにいって勉強を頑張っているイメージがあった。足は当時からすごく速かったですよ」と振り返っている。なお、小窪とは大学4年時の日本代表チームで初めてチームメイトになり、その後はプロ入り後の2021年に小窪が荻野の在籍するロッテに移籍し、長い時を経て再びチームメイトになった。

好きな食べ物は「かつ丼」。また、貝類も好物である。

千葉県佐倉市で「OGI FARM」というサツマイモ農園の公式アンバサダーを務めている。これは実家の畑で作っていたサツマイモが好物であり、そのサツマイモを通じてファンや地域の人と交流を深めたいという思いのもと設立されたもので、佐倉市内の農家と提携して運営を行っている。

2021年から2022年の登場曲に、嵐の楽曲を複数用いているが、これは嵐ファンである息子からのリクエストによるもの。2023年度はスーパー戦隊シリーズのテーマ曲を登場曲にしている。

2024/06/15 03:33更新

ogino takashi


荻野貴司と同じ誕生日10月21日生まれ、同じ奈良出身の人

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荻野 菜穂(おぎの なお、旧芸名:荻野なお、1985年3月25日 - )は、兵庫県出身のタレント、女優。一時期は「荻野なお」名義で活動していた。ヴィフ所属(ビッグアップル → ヒラタオフィス → マグ…

荻野 綾子(おぎの あやこ)
1987年9月17日生まれの有名人 石川出身

荻野 綾子(おぎの あやこ、1987年9月17日 - )は、日本の元タレント、リポーター。 現在は芸能界を引退。 学位はbachelor of economic(ハワイ州立ハワイ大学マノア校)。 …

荻野 由佳(おぎの ゆか)
1999年2月16日生まれの有名人 埼玉出身

荻野 由佳(おぎの ゆか、1999年〈平成11年〉2月16日 - )は、日本の女優。女性アイドルグループ・NGT48の元メンバー・元チームNⅢ副キャプテン。また、バイトAKBの元メンバー。埼玉県越谷市…

荻野目 洋子(おぎのめ ようこ)
1968年12月10日生まれの有名人 千葉出身

荻野目 洋子(おぎのめ ようこ、1968年12月10日 - )は、日本の歌手、女優。株式会社ライジングプロダクション所属。本名:辻野 洋子(つじの ようこ、旧姓:荻野目)。愛称は「荻野目ちゃん」。姉に…

荻野目 慶子(おぎのめ けいこ)
1964年9月4日生まれの有名人 埼玉出身

荻野目 慶子(おぎのめ けいこ、1964年9月4日 - )は、日本の女優である。COME TRUE所属。熊本県玉名市出身の母と栃木県出身の父のあいだに熊本県熊本市で生まれ、埼玉県比企郡嵐山町や千葉県柏…

荻野 心(おぎの こころ)
2005年6月7日生まれの有名人 愛知出身

荻野 心(おぎの こころ、2005年6月7日 - )は、愛知県出身の元女性アイドルグループPureGiメンバー、元Popteenレギュラーモデル9期生、キックボクシングトレーナー。 元PureGi…

荻野 可鈴(おぎの かりん)
【夢みるアドレセンス】
1995年10月12日生まれの有名人 山梨出身

荻野 可鈴(おぎの かりん、1995年10月12日 - )は、日本のファッションモデル、アイドル、女優、声優、タレント。女性アイドルグループ夢みるアドレセンスの元リーダー。 山梨県甲斐市出身。タンバ…

荻野 晴朗(おぎの せいろう)
1971年10月10日生まれの有名人 東京出身

荻野 晴朗(おぎの せいろう、1971年10月10日 - )は、日本の男性声優。東京都出身。賢プロダクション所属。東京声優・国際アカデミー講師で、アニメアフレコ実習を担当。 東京アナウンスアカデミ…

荻野利沙(おぎの りさ)
【SKE48】
1996年1月28日生まれの有名人 愛知出身

SKE48(エスケーイー フォーティーエイト)は、日本の女性アイドルグループ。名古屋市・栄に有する専用劇場を拠点として中京圏を中心に活動している。秋元康が総合プロデュースを手掛けるAKB48グループの…

荻野目 悠樹(おぎのめ ゆうき)
1965年2月2日生まれの有名人 東京出身

荻野目悠樹(おぎのめ ゆうき、1965年2月2日 -)は東京都出身の小説家。日本SF作家クラブ会員。日本推理作家協会会員。 デス・タイガー・ライジング 全4巻(ハヤカワ文庫、イラスト:久織ちまき)…

荻野 なお(おぎの なお)
1985年3月25日生まれの有名人 兵庫出身

荻野 菜穂(おぎの なお、旧芸名:荻野なお、1985年3月25日 - )は、兵庫県出身のタレント、女優。一時期は「荻野なお」名義で活動していた。ヴィフ所属(ビッグアップル → ヒラタオフィス → マグ…

荻野 吟子(おぎの ぎんこ)
1851年4月4日生まれの有名人 埼玉出身

荻野 吟子(おぎの ぎんこ〈戸籍上の本名:荻野ぎん〉、1851年4月4日〈嘉永4年3月3日〉 - 1913年〈大正2年〉6月23日)は、近代日本における最初の女性の医師である。女性運動家としても知られ…

荻野 幸和(おぎの ゆきかず)
1938年6月28日生まれの有名人 富山出身

6月28日生まれwiki情報なし(2024/06/13 16:22時点)

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荻野貴司
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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「荻野貴司」を素材として二次利用しています。

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