もしもし情報局 > 1992年 > 4月16日 > 野球選手

西川遥輝の情報 (にしかわはるき)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

西川遥輝の情報(にしかわはるき) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

西川 遥輝さんについて調べます

■名前・氏名
西川 遥輝
(読み:にしかわ はるき)
■職業
野球選手
■西川遥輝の誕生日・生年月日
1992年4月16日 (年齢32歳)
申年(さる年)、牡羊座(おひつじ座)
■出身地・都道府県
和歌山出身

(平成4年)1992年生まれの人の年齢早見表

西川遥輝と同じ1992年生まれの有名人・芸能人

西川遥輝と同じ4月16日生まれの有名人・芸能人

西川遥輝と同じ出身地和歌山県生まれの有名人・芸能人


西川遥輝と関係のある人

岩本輝: 1死3塁から西川遥輝・近藤健介を申告敬遠で立て続けに出塁させた挙句、中田翔にサヨナラ満塁本塁打を浴びたため、チームは8年連続で開幕戦に敗れた。


島田海吏: 楽天の西川遥輝を理想の選手として挙げており、島田も「バットをしっかり振れて、足も速くて、盗塁もできて、守備もどこでもこなせて、魅力が多い選手になりたいです」と語っている。


岡田俊哉: 高校の1学年先輩に坂口真規、1学年後輩に西川遥輝がいる。


島田誠: しかし、盗塁数に関しては十分タイトルを狙える数をこなしていたが同時期に福本、大石大二郎、西村徳文などのハイレベルな他チームのライバルの高い壁に阻まれ、最多盗塁のタイトル獲得はならず、日本ハムの盗塁タイトルは前身の球団を含めても1946年創設から2013年の陽岱鋼が獲得するまで現れなかった(日本人選手では翌年の2014年に西川遥輝が獲得)。


柳田悠岐: 4月22日の日本ハム戦では中田翔のライナーを捕球し一死、さらにホームへ強肩でストライク返球し、タッチアップした三塁走者の西川遥輝をアウトにして二死し、最後に盗塁を仕掛けた一塁走者の大谷翔平をアウトに仕留め、チーム15年ぶりの三重殺に貢献した。


和田康士朗: その起用法の中で前年を上回る24個の盗塁を決め、荻野貴司、西川遥輝(日本ハム)、源田壮亮(西武)の4人で盗塁王のタイトルを分け合った。


広瀬叔功: シーズン最多盗塁死は一度も記録せず、通算盗塁成功率82.9%(596盗塁、123盗塁死)は、通算盗塁数300以上の選手では西川遥輝に次ぐ歴代2位である。


菅野智之: NPBからMLBへのポスティング不成立は先月に同じくポスティング不成立となり日本ハムに残留した西川遥輝以来9人目10度目となった。


高井雄平: 同日には、日本ハムでも西川遥輝がアウトカウントを間違えて客席に投げ入れる珍プレーが確認された。


和田康士朗: 8月は月間で11盗塁(盗塁死0)を決め、シーズン16盗塁となり、2位の西川遥輝に3個差をつけてリーグトップに立った。


友永翔太: 首脳陣からは西川遥輝や中島卓也のような左打者を目指すよう勧められていたが、年俸の増額を勝ち取るほどの活躍に至らないまま、入団5年目に戦力外通告を受けた。


黒羽根利規: 続く西川遥輝の2点本塁打で移籍後初の得点を記録すると、9回表から試合終了まで捕手の守備に就いた。


森脇亮介: ストレートの最速はアマチュア時代に152km/h、プロ入り後は2019年7月26日の日本ハム戦、6回一死から西川遥輝への4球目で150km/hを計測している。


当銀秀崇: 2008年から2010年まで北海道日本ハムファイターズでスカウトを務め、西川遥輝を担当した。


源田壮亮: レギュラーシーズン全体では前述の離脱に加え、死球や自打球の影響で欠場する試合もあり、119試合の出場に留まったものの打率.272、2本塁打、29打点、24盗塁を記録し、荻野貴司・和田康士朗・西川遥輝と並んで盗塁王を獲得。


杉谷拳士: このシーズンは、終盤に離脱した田中賢介に代わって、二塁で西川遥輝と併用され、主に相手の先発が左のときに出場し58試合で打率.235、2本塁打12打点。


近藤健介: 手術後には、オールスターゲームへの出場を辞退し、補充選手として西川遥輝が出場した。


田中豊樹: オフには、西川遥輝と自主トレを共にした。


近藤健介: 2021年は、指名打者を中心に時折左翼手として起用されたが、大田泰示の不振と淺間大基の活躍の影響で西川遥輝が左翼に回り、指名打者では王柏融の活躍があったことで、右翼手としての出場が増えていった。


星野雄大: ジョシュ・ルーキの球を受け、西川遥輝に二塁打を打たれたが、1イニングを無失点に抑える好リードを見せた。


中田翔: 当時の参加選手は西川遥輝、城所龍磨で自主トレの様子などはYouTubeやインスタグラムなどに投稿されている。


秋吉亮: シーズンを通して一軍登板は僅か10試合に留まり、11月16日に球団は保留手続きを行わないこととしたと発表し、12月2日に西川遥輝、大田泰示とともに自由契約となった。


吉田正尚: シーズン終了後、球団との契約交渉を初めて代理人に委ねながら、翌年の1月4日から西川遥輝などと共に沖縄県内で自主トレーニングに臨んでいたため、契約更改を春季キャンプインの直前(同月22日)にまで持ち越した。


益田直也: 小学校の3学年下に西川遥輝、4学年下に山崎晃大朗がいる。


矢野謙次: ちなみに、日本ハムの現役時代に一番仲が良かったのは西川遥輝で、巨人からの移籍後最初に話しかけてくれたチームメイトだという。


大山暁史: 8月5日の対日本ハム戦(札幌ドーム)では、1点ビハインドの6回裏1死2・3塁の場面で登板すると、中島卓也を2球で捕ゴロ挟殺、西川遥輝を4球で自身へのゴロに打ち取って無失点で切り抜けて降板した。


弓削隼人: 初奪三振:同上、1回表に西川遥輝から見逃し三振


嘉弥真新也: 2023年11月17日、東京ヤクルトスワローズが西川遥輝と増田珠と共に基本的合意に至ったと発表した。


道端俊輔: 高校の2学年上には岡田俊哉、1学年上には西川遥輝らがいる。


中田翔: 自身の前の打者であった西川遥輝と近藤健介が立て続けに申告敬遠された後の本塁打だった。


西川遥輝の情報まとめ

もしもしロボ

西川 遥輝(にしかわ はるき)さんの誕生日は1992年4月16日です。和歌山出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

選手としての特徴、人物などについてまとめました。父親、引退、テレビに関する情報もありますね。去年の情報もありました。西川遥輝の現在の年齢は32歳のようです。

西川遥輝のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

西川 遥輝(にしかわ はるき、1992年4月16日 - )は、和歌山県那賀郡貴志川町(現:紀の川市)出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。

社会人まで野球をしていた父親の影響で、西貴志小学校1年から野球を始める。小学校時代の3学年先輩に益田直也、1学年後輩に山崎晃大朗がいた。貴志川中学校時代は打田タイガースに所属し、2年時に全国大会優勝を果たす。

智弁和歌山高校進学後は1年時の2008年春から「1番・遊撃手」に抜擢され、春季大会では早くも4本塁打を記録。第90回選手権大会には直前に手を怪我し、痛み止めを飲みながら主に「9番・三塁手」で出場。初打席でセーフティーバントを成功させ、準々決勝の常葉菊川戦では2打席連続で三塁打を打つなど、13打数6安打を記録した。

1年秋からは3番を任され、2年生になった翌2009年春には右翼手に転向。6月の明徳義塾高校との練習試合で負傷し、その影響で夏の和歌山大会は満足に出場できなかったが、チームは第91回選手権大会に出場した。2回戦の札幌第一高校戦で適時二塁打を打つなど12打数4安打を記録した。

3年生になった2010年にはそれまで苦しんだ故障から回復したが、第82回選抜大会では同大会の優勝校である興南高校に敗れ、2回戦敗退。第92回選手権大会では成田高校に敗れ、初戦敗退となった。高校通算13本塁打。

2010年10月28日に行われたドラフト会議では、内野手として北海道日本ハムファイターズから2位指名を受け、契約金6000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は26。

2011年は右肩を故障した影響で、イースタン・リーグの公式戦では指名打者に専念した。5月22日には二軍での活躍が認められ一軍へ昇格したが、試合に出場することなく5月24日に二軍へ降格。10月8日に行なわれたファーム日本選手権では、適時打を含む3安打を打ち優秀選手賞を受賞した。

2012年は春季キャンプから新監督の栗山英樹に期待され、オープン戦で好調を維持して開幕を一軍で迎えた。3月30日の埼玉西武ライオンズとの開幕戦で、ターメル・スレッジの代走としてプロ初出場を果たし、2日後の4月1日にプロ初盗塁を記録した。その後、二軍での再調整を経て故障したスレッジと入れ替わりで6月16日に再び一軍へ昇格した。6月18日の横浜DeNAベイスターズ戦にて小杉陽太からプロ初安打、6月27日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では美馬学からプロ初本塁打を記録した。その後は主に代打や指名打者として起用された。8月4日の楽天戦には、代打出場で逆転二塁打を打ってチームを勝利に導いた。正二塁手の田中賢介が離脱した翌日の8月30日には、二塁手で先発出場し、田中が抜けた穴を埋める働きを見せた。71試合に出場し、打率.239、2本塁打、13打点、7盗塁、14四球、出塁率.311を記録した。

2013年は開幕戦先発出場を勝ち取りそのまま二塁手のレギュラーに定着。しかし、6月3日のDeNA戦で左膝靭帯損傷と左脛骨骨挫傷を負い、2か月以上にわたり戦線離脱。その間に中島卓也が二塁手に定着したこともあり、復帰後は主に一塁手や左翼手として出場した。前年を上回る85試合に出場し、打率.278、2本塁打、26打点、リーグ6位となる22盗塁、31四球、出塁率.358を記録した。また、盗塁成功率では中島と共に9割を超えた。

2014年は開幕からしばらくは二塁手、主に2番打者を務めたが、3番打者がなかなか定着しないチーム事情により、交流戦頃からはそれまで1番打者だった陽岱鋼が3番に、空いた1番に西川が起用されることが多くなった。守備の面で苦戦を強いられ、中田翔の左膝の状態もあって一塁手や左翼手としても出場した。前年から二塁手の定位置を争っていた中島が二塁手に完全に定着したこともあって、後半戦は主に右翼手を務めた。最終的には自己最多となる143試合に出場し、打率.265、8本塁打、自己最多となる57打点、リーグ9位となる63四球、出塁率.343を記録し、盗塁ではリーグトップとなる43盗塁で自身初となる最多盗塁のタイトルを獲得した。最多盗塁を獲得したのは前年の陽岱鋼に続いて球団史上2人目で、日本人選手としては球団史上初の記録となった。また、シーズン三塁打13本はリーグ最多で、歴代6位を記録した。シーズンオフの11月20日、翌年から背番号をこの年限りで引退した金子誠らが着用した8に変更することが発表された。

2015年は、陽が故障で離脱していた前半戦では、主に1番打者を務めた。しかし、些細なミスが多く、シーズン中にはスタメン落ちや二軍調整も経験した。左翼手として出場した7月20日の楽天戦(札幌ドーム)には、6回表一死一塁の守備でギャビー・サンチェスが打った飛球を捕ると、捕ったボールを観客席へ投げ入れるというミスを犯している。アウトカウントを誤認したことによるもので、楽天の一塁走者ウィリー・モー・ペーニャには2つの安全進塁権が与えられたものの、先発投手のルイス・メンドーサが後続の打者を抑えたことから失点には至らなかった。陽が戦線に復帰した中盤戦以降は、陽が再び1番打者を務めたことから、主に9番打者として出場した。前年を下回るも125試合に出場し、打率.276、5本塁打、35打点、リーグ3位となる30盗塁、60四球、出塁率.368を記録した。シーズン終了後に開かれた第1回WBSCプレミア12に日本代表の第1次候補選手へ選出されたが、出場には至らなかった。11月15日には、翌年から背番号を7に変更することが発表された。契約更改後の記者会見では、2012年まで球団に在籍していた糸井嘉男が、途中から背番号を26から7に変更しており、その印象が強かったことから、球団に背番号変更を希望したと話した。なお、この年着用した背番号8は、捕手の近藤健介が着用することとなった。

2016年は、レギュラーシーズンの序盤は不調にあえぎ、2番打者や9番打者に回るも、セ・パ交流戦後から打撃のスタイルを一新。長打を捨てて単打と出塁に徹することで、「1番・左翼手」の定位置を掴み取り、打率・出塁率の大幅な上昇につながった。7月以降の公式戦では本塁打がなく、三塁打の本数も前半戦から大幅に減らしたものの、単打や二塁打の本数を増やす。138試合に出場し、キャリアハイでリーグ2位となる打率.314、5本塁打、43打点、リーグ3位となる41盗塁、同6位となる73四球、同4位となる出塁率.405を記録し、4年ぶりのリーグ優勝の原動力となった。クライマックスシリーズ突破を経て進出した広島東洋カープとの日本シリーズでは、同点で迎えた10月27日の第5戦(札幌ドーム)9回裏二死満塁の打席で、自身と同じ1992年生まれの中﨑翔太からサヨナラ本塁打を記録した。日本シリーズにおけるサヨナラ満塁本塁打は、1992年の第1戦12回裏に杉浦亨(ヤクルトスワローズ)が代打で記録して以来史上2人目で、スタメンに起用された選手や9回裏での記録としては初めてである。29日の第6戦(マツダスタジアム)では、1回表の第1打席に野村祐輔が投じた初球で三塁打を記録すると、4回表の第3打席でも2点三塁打を打ってチームのシリーズ制覇に貢献した。日本シリーズの1回表に1番打者が相手投手の初球で三塁打を記録した事例は史上初めてで、1人の選手が日本シリーズで1試合に2本の三塁打を打った事例は、2003年の第2戦で川﨑宗則(福岡ダイエーホークス)が記録して以来2人目である。これらの活躍から日本シリーズの優秀選手に選ばれた。オフにはパ・リーグの外野手部門でベストナインへの初選出を果たした。契約交渉では推定年俸1億円(3800万円増)で契約を更改した。

2017年は登録ポジションを内野手から外野手へ変更した。前年に続いて「1番・左翼手」として公式戦の開幕を迎えたが、シーズン途中からは読売ジャイアンツへFA移籍した陽岱鋼の後任として中堅手で起用された。チームが菊池雄星の前に1安打完封負けを喫した4月21日の対西武戦(メットライフドーム)では、1回表の第1打席に菊池からチーム唯一の安打を記録した。さらに、オールスターゲームには、故障を理由に出場を辞退したチームメイトの近藤(ファン投票パ・リーグ外野手部門3位)に代わる補充選手として初出場。7月14日の第1戦(ナゴヤドーム)では、5回裏の守備から出場すると、7回表の初打席で初安打を記録した。さらに、8回表の打席で右翼5階席に推定飛距離141mの本塁打を打ったことから、敢闘選手賞を受賞。この年から創設された「マイナビ賞」(オールスターゲーム2試合を通じて1名だけ選出される協賛社特別表彰)の受賞にも至った。138試合に出場し、リーグ4位となる打率.296、9本塁打、44打点、同4位となる69四球、同3位となる出塁率.378を記録し、盗塁では源田壮亮とシーズンを通して争った末に、39盗塁で盗塁王のタイトルを3年ぶりに獲得した。オフには2年連続となる外野手部門でのベストナインと、自身初となるゴールデングラブ賞を受賞した。

2018年は一軍公式戦の開幕から正中堅手に定着。6月1日の中日ドラゴンズ戦(札幌ドーム)2回裏の第2打席に中前安打で出塁すると、シーズン通算18個目の盗塁を二盗で記録したことによって、NPB史上75人目の一軍公式戦通算200盗塁を達成した(詳細後述)。シーズン序盤は1番打者を任されていたが、開幕から2番に入っていた大田泰示が故障で戦線を離脱した6月下旬以降は、大田に代わって2番を打つこともあった。140試合に出場し、打率.278、自己最多かつ初となる2桁本塁打の10本塁打、48打点、リーグ最多の96四球、同6位の出塁率.391を記録し、44盗塁で2年連続3度目となる盗塁王を獲得した。オフには2年連続2度目となるゴールデングラブ賞を受賞した。契約更改では推定年俸2億円となる2年総額4億円の複数年契約を結んだ。

2019年も中堅手のレギュラーとして142試合に出場し、リーグ10位となる打率.288、5本塁打、41打点、同6位となる19盗塁、同2位の93四球、同5位の出塁率.393を記録した。2014年シーズン以来、5年連続で記録していた30盗塁がこのシーズンで途切れた。守備では3年連続となるゴールデングラブ賞を受賞した。オフに現状維持の推定年俸2億円で契約を更改し、2020年から中田翔に代わりチームのキャプテンを務めることと、2020年のオフにポスティングシステムでのMLB挑戦を希望することを発表した。

2020年は新型コロナウイルスの影響で開幕が約3か月遅れた中、開幕2戦目となる6月20日の西武戦で4回表に松本航から右前安打を打ち、通算1000安打を達成。7月14日の千葉ロッテマリーンズ戦(札幌ドーム)では、1回裏に出塁した後、二盗を記録し、史上46人目となる通算250盗塁を達成した。この時点での通算盗塁成功率は.863で、通算250盗塁以上で成功率8割超えは、西川を含め5人しかいなかった。120試合中115試合に出場し、リーグ4位となる打率.306、5本塁打、39打点、同2位の42盗塁、リーグ最多の92四球、同4位の出塁率.430を記録した。オフには4年連続でゴールデングラブ賞を受賞した。西川のメジャーリーグ挑戦を球団が認め、12月3日にポスティング申請が行われた。

2021年1月3日の期限までにポスティング移籍での交渉が成立しなかったため、1月28日に4000万円増となる推定年俸2億4000万円で日本ハムに残留することが発表された。3・4月は出塁率.382と依然として出塁能力の高さを誇っていたが打率.208と打撃不振に苦しみ、さらに新型コロナウイルスに感染し4月30日に登録抹消となった。5月15日に一軍復帰し打撃不振に苦しみながらも出場を続け、8月27日の西武戦で通算300盗塁を達成した。20代での300盗塁到達は史上8人目となった。レギュラーシーズン最終戦となった10月30日の対千葉ロッテマリーンズ戦(ZOZOマリンスタジアム)の7回表に木村文紀の代走として出場し、24個目となる二盗を決め、自身4度目となる盗塁王のタイトルを獲得した。荻野貴司、和田康士朗、源田壮亮も同数で並び、プロ野球史上初の4選手による盗塁王獲得となった。しかし、11月16日に球団が保留手続きを行わないことを発表し、12月2日に大田泰示、秋吉亮と共に自由契約となった。

2021年12月22日に東北楽天ゴールデンイーグルスと契約したことが発表された。背番号は6、推定年俸は1億5500万円減となる8500万円。

2022年は、開幕戦である3月25日のロッテ戦で「1番・左翼手」先発出場。同27日のロッテ戦では佐々木朗希から逆転の2点三塁打を放つなど、この試合で3打点を記録した。30歳の誕生日である4月16日に開催された対ソフトバンク戦(北九州市民球場)では、9回に森唯斗から逆転本塁打を打ち、チームの勝利に貢献した。4月30日のソフトバンク戦では3点ビハインドの9回二死一・二塁の場面で起死回生の同点3点本塁打を放った。3・4月は打率.333、5本塁打、21打点、7盗塁を記録し、自身初の月間MVPに輝いた。しかしながら、5月になると打率が急降下し、月間打率.162と不振に苦しみ、6月も月間打率.184に沈んだ。5月27日のヤクルト戦から6月5日のDeNA戦まで41打席連続無安打を記録。また、盗塁数19、失敗数9とこれまでのシーズンと比べると自慢の走力も振るわず、苦しいシーズンを過ごした。その一方で守備は良く、5月19日までに8補殺を記録、最終的には外野手に限ればリーグ最多となる10補殺を記録した。しかし、5月以降打撃は大ブレーキとなり復調せず、同シーズンは108試合の出場で打率.218、7本塁打、37打点と低迷し、11月29日には1500万円ダウンの7000万円で契約を更改した。

2023年は開幕を二軍で迎える。4月11日に一軍へ昇格するが、打率.178と不振で5月28日に二軍へ降格した。7月6日に絶不調の島内宏明と入れ替えで一軍へ再昇格したが、ここでも結果を残せず8月11日に再び島内と入れ替わって二軍落ちとなり、そのままシーズンを終えた。このシーズンはわずか35試合の出場で打率.181、1本塁打、4打点、2盗塁と自己最低の成績に終わり、10月11日に戦力外通告を受けた。12球団合同トライアウトには参加しなかったが、11月17日にはヤクルトが背番号3を用意して獲得へ向けて調査していることが報じられた。

2023年11月17日、東京ヤクルトスワローズへの入団が発表された。背番号は3。推定年俸は前年より5400万円減となる1600万円と報じられている。

選手としての特徴

走塁

一塁到達時間が2013年にはバント安打で3秒57、内野安打で3秒97を記録する俊足の持ち主。50メートル5秒8。また、一定の長打力も兼ね備えていることから、併殺打数が少なく、2016年のシーズンには2009年の田中賢介以来となる「規定打席到達者のシーズン併殺打なし」を記録した。

日本ハム入団8年目の2018年6月1日に中日戦でNPB一軍公式戦通算200盗塁を記録し、盗塁死はわずか31で、盗塁成功率.868は歴代の200盗塁達成者75名の中で最も高かった(2位は鈴木尚広の.830)。西川自身は200盗塁を達成した直後に、「アウトになるなら、走らないほうが良い。(盗塁の成功数が増えるにつれて相手バッテリーからの)マークが厳しくなるのは仕方がないが、(相手バッテリーに)隙ができたら走れば良いので、盗塁成功率をもっと上げられる」と述べている。2022年シーズン終了時点で通算盗塁成功率.837を記録している。盗塁成功率が高いことから、2021年シーズンが始まる前に、すでに日本のプロ野球界で赤星式盗塁指標史上7位にランクインしていた。

2018年5月30日の巨人戦(東京ドーム)でも、3点リードの9回表一死から二塁走者として三塁への盗塁に成功。成功の直後に「西川選手通算200盗塁」というメッセージやアナウンスがドーム内で流されたが、「巨人の野手陣が西川の走塁に無関心だった」という公式記録員の判断で、このプレーは盗塁とみなされなかった。

打撃

打撃フォームは、一本足打法でタイミングを取るスタイル。追い込まれた場合にはミート中心のスイングに切り替える。2015年には、従来の一本足打法から、大きく上げた右足をもう一度上げてから下ろす一本足打法を導入していた。

選球眼が良く、14年から4年連続で60個以上の四球を記録している。

守備

俊足を生かした広い守備範囲が持ち味で、日本ハム時代は4年連続でゴールデン・グラブ賞を獲得している。肩は怪我の影響で他の選手と比べて弱いものの、打球判断や送球の正確さでカバーしている。

人物

端正な顔立ちから女性人気が高く、「ハルキスト」と呼ばれる熱狂的なファンも多い。

2016年6月にファイターズが実施したファン投票企画「彼氏にしたい選手No.1決定戦」では、中島卓也、大谷翔平に次いで3位にランクイン。大谷がMLBのロサンゼルス・エンゼルスへ移籍した2018年からは、ニッポンハムグループの「食とスポーツ応援アンバサダー」へ任命されるとともに、前年まで大谷が出演していたグループのテレビCMに登場している。

視野を広くするため、帽子の鍔は折らず真っ平らにしている。

2024/06/16 02:09更新

nishikawa haruki


西川遥輝と同じ誕生日4月16日生まれ、同じ和歌山出身の人

澤崎 憲一(さわざき のりかず)
1913年4月16日生まれの有名人 和歌山出身

4月16日生まれwiki情報なし(2024/06/17 19:40時点)

根田 淳弘(こんだ あつひろ)
1977年4月16日生まれの有名人 和歌山出身

根田 あつひろ(こんだ あつひろ、1977年4月16日 - )は、日本の元俳優。近畿大学文芸学部芸術学科卒業。キューブに所属していた。旧芸名は根田 淳弘(読み同じ)。 1998年、第11回「ジュノ…

西川 遙輝(にしかわ はるき)
1992年4月16日生まれの有名人 和歌山出身

4月16日生まれwiki情報なし(2024/06/10 02:15時点)

牧野 光則(まきの みつのり)
1988年4月16日生まれの有名人 和歌山出身

牧野 光則(まきの みつのり、1988年4月16日 - )は、将棋棋士。木下晃七段門下。棋士番号は279。和歌山県和歌山市出身。 第420手 △8七歩成まで持将棋 1999年秋、小学5年生にして…


TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


西川遥輝と近い名前の人

西川 潤_(俳優)(にしかわ じゅん)
1965年12月15日生まれの有名人 東京出身

12月15日生まれwiki情報なし(2024/06/11 19:55時点)

西川 瑞希(にしかわ みずき)
1992年11月16日生まれの有名人 東京出身

西川 瑞希(にしかわ みずき、1992年11月16日 - )は、日本のファッションモデルである。ファッション雑誌Popteenなどのモデルとして知られる。エイベックス・マネジメントに所属している。 …

西川 潤之(にしかわ じゅんじ)
1907年6月29日生まれの有名人 出身

西川 潤之(にしかわ じゅんじ、1907年6月29日 - 没年不詳)は、日本のサッカー選手。 東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校)を1926年に卒業。 法政大学に入学後はサッカー…

西川 周作(にしかわ しゅうさく)
1986年6月18日生まれの有名人 大分出身

西川 周作(にしかわ しゅうさく、1986年6月18日 - )は、大分県宇佐市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・浦和レッズ所属。ポジションはゴールキーパー。元日本代表。既婚 小学校3年生時にサッカ…

西川 ヘレン(にしかわ へれん)
1946年10月6日生まれの有名人 京都出身

西川 ヘレン(にしかわ ヘレン、Helen Nishikawa、旧姓:杉本、1946年10月6日 - )は、日本のタレント。京都府京都市出身。夫はお笑い芸人・西川きよし。子供には喜劇俳優・西川忠志、タ…

西川 かの子(にしかわ かのこ)
1974年7月27日生まれの有名人 大阪出身

西川 かの子(にしかわ かのこ、1974年7月27日 - )は、日本のタレント。吉本興業所属。西川きよし・西川ヘレン夫妻の長女。兄は俳優の西川忠志と西川弘志(弘志は引退)。 大阪府堺市堺区生まれで…

西川 史子(にしかわ あやこ)
1971年4月5日生まれの有名人 神奈川出身

西川 史子(にしかわ あやこ、1971年4月5日 - )は、日本の医師、タレント。1996年度ミス日本第28回フォトジェニック賞。ホリプロ所属。 神奈川県相模原市南区出身。湘南白百合学園幼稚園・小…

西川 京子(にしかわ きょうこ)
1945年10月2日生まれの有名人 東京出身

西川 京子(にしかわ きょうこ、1945年10月2日 - )は、日本の大学教授、政治家。元九州国際大学学長。自由民主党福岡県支部連合会顧問、「日本女性の会」副会長。 自由民主党所属の元衆議院議員(4…

西川 さち(にしかわ さち)
1987年1月4日生まれの有名人 奈良出身

西川 さち(にしかわ さち、旧名:西川 祥、1987年1月4日 - )は、奈良県出身の女性タレント・グラビアアイドルである。サプライズ所属(提携 Dig-est)。 奈良県立香芝高等学校を卒業し、…

西川 里美(にしかわ さとみ)
1985年8月25日生まれの有名人 愛知出身

西川 里美(にしかわ さとみ、1985年〈昭和60年〉8月25日 - )は、日本のタレント。愛知県出身。血液型はA型。かつてはスターダストプロモーション、スカイエイトプロモーションに所属していた。 …

西河 翔吾(にしかわ しょうご)
1983年7月1日生まれの有名人 広島出身

西河 翔吾(にしかわ しょうご、1983年7月1日 - )は、広島県広島市中区出身のサッカー選手(元プロサッカー選手、ディフェンダー)。 2017年に結婚。 2019年、FC琉球HP上では未婚とな…

西川 文野(にしかわ あやの)
1991年9月28日生まれの有名人 東京出身

西川 文野(にしかわ あやの、1991年9月28日 - )は、サンミュージックに所属するフリーアナウンサーで、元・文化放送アナウンサー。マイクネームは「西川 あやの」(読みは本名と同じ)で、文化放送へ…

西川 貴教(にしかわ たかのり)
1970年9月19日生まれの有名人 滋賀出身

西川 貴教(にしかわ たかのり、英:Takanori Nishikawa。略:TNNK。本名同じ、1970年〈昭和45年〉9月19日 - )は、日本の歌手、アーティスト、俳優。滋賀県彦根市生まれ、野洲…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
西川遥輝
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

りんごちゃん_(ものまねタレント) 藤井祐眞 吉成名高 平埜生成 五十嵐カノア 清原翔 大山健司 萩原利久 早瀬憩 浅野典子_(競泳選手)

グループ

AKB48 SUPER EIGHT アップアップガールズ(仮) アイドリング SUPER☆GiRLS HKT48 ハロプロ Ya-Ya-yah 爆笑問題 TOKIO 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「西川遥輝」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました