西春彦の情報(にしはるひこ) 外交官 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
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東郷茂徳: 外相に就任した東郷は次官に西春彦、アメリカ局長に山本熊一(東亜局長兼任)、アメリカ課長に加瀬俊一(としかず)を迎えて対米交渉の布陣とし、また分裂する省内を引き締めるために枢軸派の大使1名に辞表提出を求め、その他課長2名・事務官1名を休職として統制を回復した。 赤瀬川原平: また、外交官の西春彦は父のいとこにあたる。 丸木俊: 1941年にはソ連公使・西春彦の子の家庭教師として半年間モスクワへ赴任。 東郷茂徳: だが、1960年(昭和35年)の日米安全保障条約改訂において、憲法第9条の精神を尊重することを重視して軍事的な同盟では平和がもたらされないと考える西春彦や石黒忠篤(東郷の親友、当時参議院議員)らと交渉の担当課長として日本の平和と安全のためには条約改訂は欠かせないとする東郷文彦らが激しく対立して、後に文彦が著書で暗に西を非難するという、東郷の遺志を継ぎたいと願う人達が対立するという事態も発生している。 東郷茂徳: 弁護人には同じ鹿児島県出身であり、最初の外務大臣時代の外務次官だった西春彦(後の駐英大使)と、アメリカ人弁護団唯一の日系人であるジョージ山岡らが付き、娘婿の東郷文彦が事務を担当した。 |
西春彦の情報まとめ
西 春彦(にし はるひこ)さんの誕生日は1893年4月29日です。鹿児島出身の外交官のようです。
現在、兄弟、卒業、事故、ドラマに関する情報もありますね。1986年に亡くなられているようです。
西春彦のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)西 春彦(にし はるひこ、1893年〈明治26年〉4月29日 - 1986年〈昭和61年〉9月20日)は、大正・昭和期の外交官。太平洋戦争開戦時の外務次官である。 鹿児島県加世田(現在の南さつま市)出身。遠縁の親戚には瀧廉太郎がいるという。また、赤瀬川原平の父は従兄弟にあたる。 鹿児島県立川辺中学校、一高を経て東京帝国大学独法科(のち東京大学法学部)卒業後、1918年、外務省に入る。ニューヨーク領事官補時代に同じくアメリカに駐在していた鹿児島県出身の外交官・東郷茂徳と出会い、敬意を持つようになる。東郷が欧亜局長に就くと、その部下となるが、東郷が交通事故で入院している間に重光葵の推薦で青島総領事就任が決まってしまう(以後、東郷と重光の関係が、微妙なものになったとされる)。当時の青島においては日本の領事裁判権が認められていたが、それを悪用する日本人も少なくはなかった。西はこうした日本人に対して厳しい態度で臨んだため、地元の中国人からは評判が良かったと言われている。その後、駐ソ連公使に転任。この駐ソ公使時代、家庭教師として西の子供に絵を教えていたのが赤松俊子(のちの丸木俊)である。 1941年、東條内閣の外務大臣となった東郷は西を日本に呼び戻し、外務次官に任じた。同郷である西を次官に据える事には外務省内でも「側近人事」との批判が強かったが、東郷は日米交渉という大事を前に信頼の置ける人物を必要としていた。だが、「ハル・ノート」の提出をきっかけに日米は開戦し、東郷も翌年の大東亜省設置問題で辞任したため、西も共に辞表を提出した。 戦後、公職追放となる中で、極東国際軍事裁判の被告人となった東郷の弁護人を務める。その後、1953年に駐オーストラリア大使、1955年には駐イギリス大使を務めて太平洋戦争で悪化した対日感情の緩和に努めた。ロンドンで開かれた日ソ国交回復交渉の下準備をしたのは西だと言われている。妻の実家が横浜のホテルニューグランドだった縁もあり、1945年10月、神奈川県商工経済会を母体とした横浜市復興会の副会長に選ばれているが、1958年の退官後、ニューグランドに入社。後に同社会長となっている。 だが、1960年に日米安全保障条約の改訂が問題となると、西は事前協議制や極東条項の問題を取り上げ、改訂案は日本の安全保障に寄与せず、却ってソ連や中国の軍拡の口実を与えるだけであるとして、石黒忠篤らと共に反対論を唱えた。これによって安保条約改正反対派は勢いづく事になるが、西はあくまでも改訂案に問題ありとして反対論を唱えただけであって、安保改定による日米関係改善を否定していたわけではなかった。しかし、結果的に安保闘争の激化によってアイゼンハワー大統領の訪日が中止になった事には忸怩たる思いをしたと言われている。また、このことで東郷の娘婿である東郷文彦からは強く非難された。 晩年まで核兵器廃絶運動に尽力する一方で、鈴木東民(読売争議の指導者で当時釜石市長)らと、東郷の著作と伝記編纂(後に萩原延壽による伝記の執筆と、遺著「時代の一面」の刊行に至った、原書房)に奔走した。また、日英協会理事長も務めていた 。 亡くなる2年前の1984年には、NHK大河ドラマ『山河燃ゆ』の登場人物として描かれた。演者は加藤和夫。同作は昭和史を扱ったことから、大河ドラマで初めて、放送当時存命の人物が登場した作品となった。 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章 勲二等旭日重光章(1965年) 『わたしの外交白書』文芸春秋新社 1963 『回想の日本外交』岩波新書 1965 ^ 弘道 昭和40年6月号 9頁 日本弘道会 ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
表 話 編 歴 鮫島尚信1870-1872 少弁務使 寺島宗則1872 大弁務使 / 1872-1873 上野景範1874-1879 森有礼1879-1884 河瀬真孝1884-1893 青木周蔵1894-1898 加藤高明1898-1900 林董1900-1905 大使館に昇格 林董1905-1906 小村壽太郎1906-1908 加藤高明1908-1913 井上勝之助1913-1916 珍田捨巳1916-1920 林権助1920-1925 松井慶四郎1925-1929 松平恆雄1929-1936 吉田茂1936-1939 重光葵1939-1941 大使交換中断1941 上村伸一1941-1942臨時代理大使 引揚1942 朝海浩一郎1951-1952 朝海浩一郎1952臨時代理大使 松本俊一1952-1955 西春彦1955-1958 大野勝巳1958-1964 島重信1964-1968 湯川盛夫1968-1972 森治樹1972-1975 加藤匡夫1977-1979 藤山楢一1979-1982 平原毅1982-1985 山崎敏夫1985-1988 千葉一夫1988-1990 北村汎1990-1994 藤井宏昭1994-1997 林貞行1997-2001 折田正樹2001-2004 野上義二2004-2008 海老原紳2008-2011 林景一2011-2016 鶴岡公二2016-2019 長嶺安政2019-2020 林肇2020- 表 話 編 歴 河相達夫1941-1942 閉鎖 西春彦1953-1955 鈴木九萬1955-1959 成田勝四郎1959-1961 太田三郎1961-1965 千葉皓1966-1967 甲斐文比古1967-1970 斎藤鎮男1970-1973 吉田健三1973-1976 大河原良雄1976-1980 黒田瑞夫1980-1982 柳谷謙介1982-1985 中島敏次郎1985-1987 柳健一1987-1990 深田宏1990-1992 長谷川和年1992-1996 佐藤行雄1996-1998 高橋雅二1998-2001 畠中篤2001-2003 大島賢三2003-2004 上田秀明2004-2007 小島高明2007-2010 佐藤重和2010-2012 秋元義孝2012-2015 草賀純男2015-2018 髙橋礼一郎2018-2021 山上信吾2020-2023 鈴木量博2023- 表 話 編 歴 松平恆雄1920-1923 広田弘毅1923-1926 堀田正昭1926-1931 松島肇1931-1932 東郷茂徳1932-1934 東郷茂徳1934-1937 井上庚二郎1937-1939 西春彦1939-1940 坂本瑞男1940-1942 安東義良1942 N/A 金山政英1957-1961 法眼晋作1961-1965 北原秀雄1965-1968 有田圭輔1968-1972 大和田渉1972-1975 橘正忠1975-1977 宮沢泰1977-1979 武藤利昭1979-1981 加藤吉弥1981-1984 西山健彦1984-1987 長谷川和年1987-1988 都甲岳洋1988-1990 兵藤長雄1990-1993 野村一成1993-1995 浦部和好1995-1997 西村六善1997-1999 東郷和彦1999-2001 欧州局に改編 東郷和彦2001 小町恭士2001 齋藤泰雄2001-2003 小松一郎2003-2005 原田親仁2005-2008 谷崎泰明2008-2010 小寺次郎2010-2012 上月豊久2012-2014 林肇2014-2017 正木靖2017-2020 宇山秀樹2020-2022 中込正志2022-2024 北川克郎2024- 表 話 編 歴 軍政開始1914 神尾光臣1914-1915 大谷喜久蔵1915-1917 民政移管1917 秋山雅之介1917-1922 中華民国に山東省返還1922 総領事館開設1922 森安三郎1922-1924 堀内謙介1924-1925 矢田部保吉1926-1927 藤田栄介1928 坂根準三1928- 川越茂1929- 藤田栄介-1931 川越茂1931-1932 坂根準三1932-1935 田尻愛義1935-1936 西春彦1936-1937 大鷹正次郎1937-1939 三浦義秋 高岡禎一郎1940-1941 高瀬真一1941-1944 喜多長雄1944-1945 武藤貞喜1945 中華民国が総領事館を接収1945 武藤貞喜1945-1946 閉鎖1946 日中国交正常化1972 再開2009 齋藤法雄2009-2011 平木塲弘人2011-2014 遠山茂2014-2018 中原邦之2017-2019 井川原賢2019-2023 斎藤憲二2023- ISNI VIAF 日本 CiNii Books CiNii Research IdRef 戦前日本の外交官 在イギリス日本大使 在オーストラリア日本大使 在青島日本総領事 東京裁判 公職追放者 勲二等旭日重光章受章者 東京大学出身の人物 旧制第一高等学校出身の人物 鹿児島県立川辺高等学校出身の人物 鹿児島県出身の人物 1893年生 1986年没 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/12/03 22:38更新
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nishi haruhiko
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