西村繁男の情報(にしむらしげお) 編集者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
西村 繁男さんについて調べます
■名前・氏名 |
西村繁男と関係のある人
次原隆二: 少年リーダム 〜友情・努力・勝利の詩〜(2009年 - 2010年、原案:西村繁男「さらば、わが青春の「少年ジャンプ」」、『週刊コミックバンチ』連載) 高橋俊昌: 当時の編集長西村繁男の方針である硬派路線に反し、美少女を描けるまつもと泉、富沢順、萩原一至、黒岩よしひろ、冨樫義博などの作家を発掘した。 長野規: 西村繁男 梅本さちお: ^ 西村繁男『さらば、わが青春の『少年ジャンプ』』飛鳥新社、1994年5月30日、p9 寺沢武一: 異例の扱いであるが、当時の週刊少年ジャンプの編集長の西村繁男がSF好きという事で気に入られていたため、特例として許された(なお西村は、同時期において、同じく遅筆の江口寿史に対しては冷淡で、連載を打ち切っている)。 若菜正: 対抗派閥であった週刊少年ジャンプ第3代編集長・西村繁男の著書では、社内人事に大鉈を振った敵役として描かれている。 鳥嶋和彦: 第3代編集長である西村繁男の「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」に、その経緯が詳しく書かれている。 中井義則: 編集部内では稚拙な作品と評判が良くなかったが、当時の編集長・西村繁男は、低年齢向け漫画としての資質があることを見抜いており、担当の中野和雄と大阪まで出向いてスカウトした。 長野規: ^ 『さらば わが青春の少年ジャンプ』西村繁男(飛鳥新社 1994年)18-19頁 本宮ひろ志: この頃、ちばてつやのアシスタントを務めていた政岡の紹介で集英社の編集者であった西村繁男と知り合う。 梅本さちお: ^ 西村繁男『さらば、わが青春の『少年ジャンプ』』飛鳥新社、1994年5月30日、p8 陶山巌: 西村繁男 小室孝太郎: 一方、当時の副編集長であった西村繁男からは「手塚治虫の直系の弟子で、作風は高いレベルで完成されていたが、それ以上にはならなかった」と評されていた。 梅本さちお: ^ 西村繁男『さらば、わが青春の『少年ジャンプ』』飛鳥新社、1994年5月30日、p3、p11 小山ゆう: このころ、『週刊少年ジャンプ』の西村繁男編集長や本宮ひろ志に見込まれ、手塚賞の審査員を務めたが、引き抜きには応じなかった。 中島徳博: 編集者だった西村繁男が中島の才能を見抜き、自宅に出向きスカウトしたという。 長野規: 『少年ブック』時代からの部下で、後に第3代ジャンプ編集長となった西村繁男は「心情左翼行動右翼」と彼を評している。 ジョージ秋山: 『海人ゴンズイ』について元『週刊少年ジャンプ』編集長の西村繁男は、「話がすごく面白い人。 長野規: このアンケートによる掲載作品の選別と、編集プロパー集団(治外法権的な職能集団としてのジャンプ編集部)育成による強行軍的な雑誌編成方針は、西村繁男や1970年に入社した後藤広喜に引き継がれ、約600万部という出版史上空前絶後の記録を生み出すに至る。 角南攻: 『週刊少年ジャンプ』編集長を務めた西村繁男によると、目立ちたがりの人物であり、様々な作品にパーマ頭、ギョロ目、あごひげの濃い剃り跡など自身をモデルとしたキャラクターを登場させた。 三輪茂雄: 『粉がつくった世界』西村繁男絵 福音館書店 たくさんのふしぎ傑作集 1995 嶋田隆司: 編集部内では稚拙な作品と評判が良くなかったが、当時の編集長・西村繁男は、低年齢向け漫画としての資質があることを見抜いており、担当の中野和雄と大阪まで出向いてスカウトした。 奥田継夫: 『そんなことって、ある?』(西村繁男絵 、ンリード) 1981年 堀内末男: 西村繁男 鳥山明: 1980年から1990年代の『(週刊少年)ジャンプ』の全盛期を支えた立役者であり、当時編集長を務めた西村繁男は、「『週刊少年ジャンプ』発行部数600万部達成の快挙は、鳥山明の破壊的なパワーを借りて初めて実現し得たことは、誰も否定できないだろう」と評価している。 本宮ひろ志: 第3代編集長の西村繁男は異動の際、本宮の漫画を永続的に『少年ジャンプ』に掲載する旨の申し送りを行ったほどであるが、西村の退任後、結局『週刊ヤングジャンプ』他の集英社系青年誌に移籍することになる。 武論尊: 人に好かれる話術に長けていたのと、本宮が『武蔵』を連載する際の資料集めが丁寧だったことから、担当編集者であった西村繁男から指南を受け、漫画原作者への道を紹介される。 |
西村繁男の情報まとめ
西村 繁男(にしむら しげお)さんの誕生日は1937年5月31日です。東京出身の編集者のようです。
人物、漫画作品への登場などについてまとめました。卒業、退社、事件に関する情報もありますね。西村繁男の現在の年齢は87歳のようです。
西村繁男のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)西村 繁男(にしむら しげお、1937年〈昭和12年〉5月31日 - 2015年〈平成27年〉5月)は、日本の雑誌編集者。東京都出身。『週刊少年ジャンプ』の第3代編集長、『フレッシュジャンプ』『スーパージャンプ』の初代編集長。 1937年、東京都港区の公務員の家庭に生まれる。麻布中学校・高等学校、早稲田大学第一文学部を卒業。新人文学賞の候補に名前が上がるほどの文学青年だったという。大学卒業時は『群像』の編集者を志望するが、講談社の入社試験に落ち、一年間の就職浪人(この時点で既婚)を経験する。1962年に24歳で集英社へ入社。幼年誌『日の丸』の編集部に配属になるが、配属後半年で廃刊になったため、『少年ブック』編集部へ異動。ちばてつや、横山光輝、松本零士などを担当した。 1968年、『少年ブック』時代の上司だった長野規らと共に『少年ジャンプ』の創刊に携わり、梅本さちお、荘司としお、川崎のぼる、本宮ひろ志などを担当した。1973年より『週刊少年ジャンプ』副編集長、1978年に第3代編集長となった。また、1974年からは集英社労働組合の委員長に就任していた(一期) 。 1982年、『フレッシュジャンプ』を創刊し、編集長を兼任する。1986年、『週刊少年ジャンプ』の編集長を後藤広喜に、『フレッシュジャンプ』の編集長を中野和雄にそれぞれ譲り、『スーパージャンプ』の創刊編集長に就任した。1989年より集英社の役員待遇となる。1994年に集英社を退社。退社後は編集者時代の回想を軸とした執筆活動を行っていた。以降の詳細は不明だが、複数の関係者によると2015年5月に死去したとされている。 人物『少年ジャンプ』創刊号からの編集者であり、のべ18年に渡ってジャンプの編集者を務めた。編集長に就任した1978年以降、『週刊少年ジャンプ』の発行部数を飛躍的に伸ばし、いわゆる「ジャンプシステム」を確立した。また、多数の有名漫画家、編集者を育成し、その実績をもとに集英社内の派閥争いでも剛腕を振るった。宮下あきらの「私立極道高校」で起きた不祥事(私立極道高校実在学校無断掲載事件)では率先して対策に当たり、抗議集会に参加したその場で、漫画の回収・中断を会社に報告せずに決めた。 その一方で、数多くの漫画家や編集者、役員や社長とも衝突したとされる。 編集者としてのスタンス本宮ひろ志を発掘したことで知られるが、一方で『男一匹ガキ大将』の連載続行を強行した人物とされる。本宮ひろ志の居候であった武論尊に原稿の書き方を指南し、漫画原作者デビューさせた。また低年齢層読者の獲得を狙い、『キン肉マン』を連載させるべく担当の中野和雄と大阪へ行き、ゆでたまごの2人である嶋田隆司と中井義則それぞれの親を説得し、漫画家デビューの足がかりを作った。 漫画家の好き嫌いが激しかったとされる。硬派でバイオレンスな漫画路線を好んだとされ、本宮ひろしやジョージ秋山を高く評価していた。そのため、編集長在任時代の主力作家は本宮の系譜にある作家が多かった(高橋よしひろ、金井たつお、車田正美、宮下あきらなど)。後にコアミックスを立ち上げた堀江信彦が西村の路線の実質的な後継者とされている。 一方で永井豪とその系譜にある美少女ラブコメ系作家への評価が極端に低く、西村のやり方に反旗を翻し美少女ラブコメ路線を推し進めた鳥嶋和彦や高橋俊昌とは敵対関係にあった。ただし西村本人曰く『イエスマンよりも諫言する人材を好んだ』とのことで、敵対関係を否定している。鳥嶋に関しても全てを否定しているわけではなく、長期連載でマンネリ化していた武論尊・平松伸二の『ドーベルマン刑事』の担当を引き継ぎラブコメ要素を加えて延命に成功した事例や、続く『リッキー台風』で平松本来の「少年漫画らしい陽性の資質」を引き出した手腕は評価している。 ギャグ漫画に対しても、『東大一直線』を連載していた小林よしのりと対立し、専属契約を打ち切った。後に小林が講演会でこの話をしたところ、『週刊文春』で報道され騒動となった。また、『ストップ!! ひばりくん!』を連載していた江口寿史に対しても、何度「隔週か、そうでなければ月刊連載にさせて欲しい」と訴えられても頑として認めず、本人が遅筆であるという非があったとはいえ、最終的には「うちでは面倒見きれないので、それなら余所でやってくれ」と突き放し、TVアニメ版の放送中で好評を得ている時期にもかかわらず連載を終了した。ただし『ストップ!! ひばりくん!』の担当編集者は西村を慕っていた堀江信彦で専属契約終了後の仕事も順調だったため、小林よしのりのケースとは異なりそれほど遺恨はなく、西村逝去後の講演会でも笑い話にしている。 小林との対立にも見られるように、ギャグ漫画は苦手でストーリー漫画に偏っていたが、読者年齢を下げるべくコンタロウやゆでたまごのデビューを推すなど、誌面のバランスには気を配っていた。またSF作品も好んでおり、前述の通り江口寿史の懇願を却下した挙句連載を打ち切った反面、同じく遅筆の寺沢武一に対しては「原稿をある程度描きためるため」という理由があったにしろ、休載を挟んだ『コブラ』の連載を認めている。 漫画作品への登場本宮ひろ志作品では『やぶれかぶれ』にちょい役で登場している。 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』や『すすめ!!パイレーツ』などのギャグ漫画でもちょい役で登場している。 このほか、コアミックスが編集を手掛けた『週刊コミックバンチ』で連載されていた『株式会社大山田出版仮編集部員山下たろーくん』『少年リーダム 〜友情・努力・勝利の詩〜』に、西村をモデルとした編集長のキャラクターが登場している。 2024/06/08 04:26更新
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nishimura shigeo
西村繁男と同じ誕生日5月31日生まれ、同じ東京出身の人
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