金子光晴の情報(かねこみつはる) 詩人 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
金子 光晴さんについて調べます
■名前・氏名 |
金子光晴と関係のある人
村野四郎: 『金子光晴詩集』編 旺文社文庫、1974 小林清親: 光線画を継承した井上安治、ポンチ絵や戦争画を描いた田口米作、詩人の金子光晴、30年間に渡って師事した土屋光逸、珍品収集家の三田平凡寺らがいる。 横光利一: 大正末期から昭和初期のこの頃、芥川龍之介をはじめ、吉行エイスケ、村松梢風、金子光晴などが上海を訪れている。 林髞: また、木々の慶應義塾大学医学部入学後の1922年(大正11年)1月には福士が編集委員、福士門人でもあった金子光晴が編集発行人を務める詩誌『楽園』が創刊され、同年3月刊行の第2号で木々は林家の先祖「林久策」のペンネームで訳詩・散文を発表している。 高田渡: ぐゎらん堂には、青林堂の初代社長、長井勝一や、詩人の金子光晴も店を訪れている。 舟崎克彦: 影響を受けた文学者として、谷崎潤一郎、金子光晴、西東三鬼の3人を挙げている。 鈴村和成: 『金子光晴デュオの旅』(野村喜和夫共著、未來社) 2013 泉本のり子: LOVE 第9回「金子光晴のラブレター Part1」(1991年、CX) 林髞: 金子光晴やサトウ・ハチローらとも親交を持ち、同人誌への投稿やドイツ詩の紹介を行う。 安藤元雄: 日仏会館の文化講座で「泥まみれの詩人—金子光晴」と題して講演。 村野四郎: 『近代詩入門講座 第1巻 (詩の歴史)』金子光晴,北川冬彦,伊藤信吉共編 新興出版社 1951 司修: 1976年 - 『金子光晴全集』の装丁で第7回講談社出版文化賞ブックデザイン賞を受賞 鈴村和成: 『ゆるゆる人生のみつけかた 金子光晴の名言から』(野村喜和夫共著、言視舎) 2014 友部正人: 田村隆一、金子光晴からの影響を受けたという。実在の人物をモチーフにした楽曲も多く、フォークシンガーでは、田中研二のことを歌った「田中さんとぼく」や豊田勇造のことを歌った「遠来」、高田渡のことを歌った「朝の電話」、その他に詩人である金子光晴のことを歌った「絵はがき」、伝説的漫画雑誌「ガロ」の創始者長井勝一のことを歌った「長井さん」などがある。 岡田達也: 『蜜柑とユウウツ ー茨木のり子異聞ー』(2015年、グループる・ばる)- 宮本浩二 / 谷川俊太郎 / 金子光晴 役 平野威馬雄: 金子光晴により「早熟の天才少年」と賞賛された。金子光晴やサトウハチローや林髞(木々高太郎)、吉田一穂たちと共に詩の同人誌『楽園』を発行する。 松村彦次郎: 第四回 金子光晴/詩(IL,若葉のうた)(1993.6.21-27)15編の詩。 鈴村和成: 『金子光晴、ランボーと会う マレー・ジャワ紀行』(弘文堂) 2003 鈴村和成: 2007年から2010年には野村喜和夫とともに、文芸誌「すばる」に「金子光晴デュオの旅」を不定期連載した。 江森陽弘: 『金子光晴のラブレター』ペップ出版、1981年7月20日。 藤田嗣治: また、同じようにパリに来ていた川島理一郎や、島崎藤村、薩摩治郎八、金子光晴、岡田謙三ら日本人とも出会っている。 高田渡: ごく初期の頃は詩作もしたが、次第に山之口貘、金子光晴、草野心平、石原吉郎らの現代詩をアメリカの曲にのせる手法を採るようになった。 中野孝次: 『近代日本詩人選 20 金子光晴』(筑摩書房) 1983 清岡卓行: イマジネールな都市としての両大戦間のパリを舞台に、藤田嗣治、金子光晴、ロベール・デスノス、岡鹿之助、九鬼周造らの登場する、多中心的かつ壮大な織り物と言うべきこの小説は、堀江敏幸をして「溜息が出るほど美しい」と言わしめた序章をはじめ、随所に鏤められたシュルレアリスムの詩の新訳もひとつの読みどころであり、詩と散文と批評の緊密な綜合が完成の域に達している。 小倉清三郎: 会員には文化人も多く、坪内逍遥、芥川竜之介、大杉栄、金子光晴、平塚雷鳥、伊藤野枝などがいた。 清岡卓行: 編・解説に『金子光晴詩集』(岩波文庫、1991年) 嶋岡晨: 『金子光晴論』五月書房 1973 ギョーム=アポリネール: 浅野晃は、アポリネールは「『アルコール』を出すに及んでまったく独自の詩人となった」とし、さらに金子光晴の言葉を引用して、「フランスの詩はアポリネールでまったく違ってしまった」と評している。 |
金子光晴の情報まとめ
金子 光晴(かねこ みつはる)さんの誕生日は1895年12月25日です。愛知出身の詩人のようです。
卒業、兄弟、結婚、離婚、病気、父親、映画に関する情報もありますね。去年の情報もありました。1975年に亡くなられているようです。
金子光晴のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)金子 光晴(かねこ みつはる、1895年(明治28年)12月25日 - 1975年(昭和50年)6月30日)は、日本の詩人。本名は金子安和(かねこ やすかず・後に保和を名乗る)。弟に詩人で小説家の大鹿卓がいる。妻も詩人の森三千代、息子に翻訳家の森乾。 愛知県海東郡越治村(現津島市)生まれ。暁星中学校卒業。早稲田大学高等予科文科、東京美術学校日本画科、慶應義塾大学文学部予科に学ぶも、いずれも中退。 渡欧して西洋の詩を研究し、詩集『こがね虫』(1923年)を刊行。その後世界を放浪して無国籍者の視野を獲得。反権力、反戦の詩を多く残した。作品に『鮫』(1937年)、『落下傘』(1948年)など。
著作
~中略~
子どもよ。まことにうれしいじゃないか。
たがいにこの戦争に生まれあわせたことは。
十九の子どもも
五十の父親も
おなじおしきせをきて
おなじ軍歌をうたって。
また櫻本富雄が戦争賛美詩とした『湾』『洪水』は戦争協力詩であるとの主張に対し、金子光晴の会『こがね蟲 金子光晴研究第4号』では、
光晴の詩法と意図を読み取らずに、レッテルを貼った詩の実像を歪める行為であると、各詩の改編や指摘箇所、発表当時の雑誌の状況(同じ雑誌のある詩は反戦的内容で、片方は戦争賛美詩という指摘の矛盾など)を例に出し各詩を詳細に分析し、櫻本の意見に反論している。
これとは別に光晴自身のエッセイ(『反骨』か『じぶんというもの』収録)の中で、『天邪鬼のうさばらし』として、今(エッセイ筆記当時)の反戦運動の中には、熱に浮かされた戦争時と共通するものを感じなくもないと書いている。
晩年はTV出演や対談を多くしており、その一部が『金子光晴下駄ばき対談』、回想に堀木正路『金子光晴とすごした時間』(各・現代書館)
戦後は、山川浩『京都守護職始末 旧会津藩老臣の手記』(平凡社東洋文庫全2巻)を訳し、『日本人の悲劇』(新書判、レグルス文庫・第三文明社)、『絶望の精神史 体験した「明治百年」の悲惨と残酷』(初版は光文社カッパ・ブックス)を著し、明治維新以降の近代化路線へ批判を行っている。
没後刊行の新編著作
『風流尸解記』(講談社文芸文庫、1990年) 『金子光晴詩集』(清岡卓行編、岩波文庫、1991年) 『女たちへのいたみうた 金子光晴詩集』(集英社文庫、1992年) 『詩人 金子光晴自伝』(講談社文芸文庫、1994年) 『金子光晴抄 詩と散文に見る詩人像』(河邨文一郎編、冨山房百科文庫、1995年)、新書判 『絶望の精神史』(講談社文芸文庫、1996年) 『人間の悲劇』(講談社文芸文庫、1997年) 『女たちへのエレジー』(講談社文芸文庫、1998年) 『人よ、寛かなれ』(中公文庫、2003年) 『どくろ杯』(中公文庫、改版2004年) 『マレー蘭印紀行』(中公文庫、改版2004年) 『這えば立て』(中公文庫、2004年) 『ねむれ巴里』(中公文庫、改版2005年) 『流浪』 金子光晴エッセイ・コレクション 全3巻
『西ひがし』(中公文庫、改版2007年) 『世界見世物づくし』(中公文庫、2008年) 森三千代/森乾と共著 『詩集「三人」』(講談社、2008年/講談社文芸文庫、2019年) 『金子光晴 ちくま日本文学 038』(筑摩書房、2009年)、文庫判 『自由について 金子光晴老境随想』(中公文庫、2016年) 『じぶんというもの 金子光晴老境随想』(中公文庫、2016年) 『マレーの感傷 金子光晴初期紀行拾遺』(中公文庫、2017年) 森三千代と共著 『相棒』(中公文庫、2021年) 『詩人/人間の悲劇 金子光晴自伝的作品集』(ちくま文庫、2023年) 『金子光晴 新装版現代詩読本3』(思潮社、1985年) 『アジア無銭旅行』(ランティエ叢書18:角川春樹事務所、1998年) 『金子光晴 21世紀の日本人へ』(晶文社、1999年) 『金子光晴・草稿詩集IL(イル)〈自筆ノート〉復刻』(金子光晴の会、2010年) 『老薔薇園』(烏有書林、2015年) 桜井滋人聞き書き『金花黒薔薇艸紙』(集英社、1975年/小学館文庫、2002年) 森乾『父・金子光晴伝 夜の果てへの旅』(書肆山田、2002年) 柏倉康夫『今宵はなんという夢見る夜 金子光晴と森三千代』(左右社、2018年) 『金子光晴を旅する』(中公文庫、2021年)、本人の回想と、作品論集 アルチュール・ランボー『ランボオ詩集』角川文庫、1951年、改版1969年
ルイ・アラゴン『アラゴン詩集』クロード・ロワ編著、創元社(世界現代詩叢書、第1)1951年 ボードレエール『全訳 悪の華』宝文館、1952年 ポール・ヴェルレーヌ『フランドル遊記』平凡社、1994年 「蛾」 紙本墨絵 色紙 「燻蠟(人力車の図)」 紙本墨絵 色紙 「花(仮題)」 紙本水彩 色紙 『金子光晴自選詩画集』五月書房、1974年 『大腐爛頌』詩画集 中林忠良版画/金子光晴詩 ギャルリー・ワタリ、1975年 『金子光晴 画帖』、河邨文一郎編、三樹書房、1981年 『金子光晴旅の形象:アジア・ヨーロッパ放浪の画集』、今橋映子編、平凡社、1997年 『金子光晴 新潮日本文学アルバム45』新潮社、1994年 『金子光晴 散歩帖』 峠彩三写真と文、アワ・プランニング、2002年 『金子光晴の旅 かへらないことが最善だよ。』 横山良一写真、平凡社コロナ・ブックス、2011年 『まばゆい残像 そこに金子光晴がいた』 小林紀晴写真、わたしの旅ブックス、2019年 高田渡
ひがしのひとし
友部正人
茨木のり子『貘さんがゆく』童話社〈詩人の評伝シリーズ〉、1999年4月8日。ISBN 4887470053。 ^ 茨木 1999, pp. 42–46. ^ 『「面白半分」快人列伝』 (平凡社新書、佐藤嘉尚著) ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)96頁 ^ 飯島耕一 (1991). “バルザック、ドーミエ、金子光晴”. 金子光晴研究 こがね蟲 第5号. アナキズム ラブレター (1981年の映画) - 金子光晴と34歳年下の女性の、30年にも及んだ愛人生活を題材にした江森陽弘のノンフィクション作品『金子光晴のラブレター』が原作の日活ロマンポルノ映画。 日本の詩人たちの森 金子光晴集 - ウェイバックマシン(2001年12月30日アーカイブ分) 金子光晴 - NHK人物録 FAST ISNI VIAF WorldCat ノルウェー フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ 日本 オーストラリア 韓国 オランダ ポーランド CiNii Books CiNii Research Trove(オーストラリア)
IdRef 人物の画像提供依頼 金子光晴 20世紀日本の詩人 読売文学賞受賞者 暁星中学校・高等学校出身の人物 早稲田大学出身の人物 東京芸術大学出身の人物 慶應義塾大学出身の人物 愛知県出身の人物 1895年生 1975年没 2024/11/10 03:51更新
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kaneko mitsuharu
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