鈴木早智子の情報(すずきさちこ) 歌手、タレント 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
鈴木 早智子さんについて調べます
■名前・氏名 |
鈴木早智子と関係のある人
森若香織: 鈴木早智子 山内順仁: 1999.08.01 鈴木早智子 『trentaine』 ティアイエス 相田翔子: アイドルユニットとしては異例の長期にわたるWink時代の約8年間は、あらゆる意味で鈴木早智子との厚い友情と周囲の熱意に支えられたものであり、自らの芸能活動の原点となったWinkについて、本人は「夢のようで刺激的で濃厚で鮮烈」なものだったとし、今でもWinkやその楽曲を大事に思うファン、当時のスタッフ、そして「早智子とじゃなければ私には出来なかったこと」と語っている。 山谷亨: 鈴木早智子 NATURAL Respect my life(2008年 GPミュージアム) 演出 相田翔子: 1988年4月、高校卒業後に鈴木早智子とWinkを結成し、CX系ドラマ『熱っぽいの!』 主題歌「Sugar Baby Love」で歌手デビューする。1歳年上の鈴木早智子を「明るくて凄い優しい人だなって思って。 田原音彦: 私の夏が始まる(アルバム『Flyin' High』収録、鈴木早智子ソロ、編曲) 二階堂ゆかり: 香瑠鼓はその後、Wink(鈴木早智子・相田翔子)の振付も担当している。 近藤智子: 香瑠鼓はその後、Wink(鈴木早智子・相田翔子)の振付も担当している。 小林信吾: 鈴木早智子 野村誠一: 鈴木早智子『Voice』 相田翔子: 1987年9月、ワニブックス社の雑誌『UP TO BOY』の第9代ミスアップ・グランプリを受賞(第7代グランプリが後にWinkとしてデュオを組むことになる鈴木早智子)。 香瑠鼓: 1980年代後半から1990年代前半に活躍した、BaBe(近藤智子・二階堂ゆかり)、Wink(鈴木早智子・相田翔子)、Mi-Ke(宇徳敬子他)のほか、SMAP香取慎吾のもうひとつの顔とされている「慎吾ママ」の振付で人気を集める。 |
鈴木早智子の情報まとめ
鈴木 早智子(すずき さちこ)さんの誕生日は1969年2月22日です。東京出身の歌手、タレントのようです。
テレビ、兄弟、ドラマ、映画、解散、子役、趣味、事件、結婚、姉妹、家族、卒業、病気に関する情報もありますね。鈴木早智子の現在の年齢は55歳のようです。
鈴木早智子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)鈴木 早智子(すずき さちこ、1969年2月22日 - )は、日本の歌手、タレント、女優。1988年から1996年まで活動した、相田翔子とのアイドルデュオ・Winkのメンバー。本名同じ。別名、東 智子、Miyoko.A。愛称、さっちん。東京都出身。 1987年、雑誌『UP TO BOY』主催のミス・アップ・コンテストで第7代グランプリとなり、1988年、同じくミス・アップ第9代グランプリである相田翔子と、アイドルデュオ・Winkを結成。「愛が止まらない 〜Turn it into love〜」や「淋しい熱帯魚」などのヒット曲により、1989年にはスターダムに上りつめた。1996年、Winkは活動を停止。その後、Winkとしては、1998年、1999年、2008年、2018年と、デュオ結成から10年ごと(1999年を除く)に活動を一時再開しており、テレビ番組等で歌唱している。 Wink活動停止後は、歌手であることを本懐としつつも、主にタレントや女優として芸能活動を継続。 歌手としては、1998年にシングル「INNOCENT SKY〜悲しみも届かないあの空の向こうへ〜」を、また、2003年にアルバム『零〜re-generation〜』を発売している。 2009年に発売したDVD『September Shock』で「AV」出演などと報じられたり、2010年に週刊誌によって舞台俳優と不倫していたとされ、一旦、芸能活動の自粛をしたりするなど、スキャンダラスな動向を示した時期もあった。 2011年から2012年、および、2013年から2015年まで一時休業したが、芸能活動を再開している。 1969年2月22日23時8分、広告関係の仕事をする父 と、専業主婦の母 のもとに生まれる。出生地を愛知県名古屋市とする文献もあるが、鈴木の自著では、出生地は東京都目黒区で、幼稚園の年長組に上がる頃に埼玉県草加市へ転居、1989年初頭におけるWinkの「愛が止まらない」のヒット後に、東京で単身生活を始めたとする。3兄弟の長女(4歳下に弟、8歳下に妹)。小学2年生の時から歌手に憧れていた。 中学生の時にアニメソングのオーディションに合格するも辞退。 1984年、東京都内の高校へ進学して間もなく歌手を目指して休学し、同年内に一時的に都内港区の青山に所在する芸能事務所に所属。 1985年頃、高校を退学し、喫茶店や、建設会社の事務などのアルバイトの傍ら、都内港区の乃木坂にあった笠井幹男のボーカル・スクールで、レッスンを受けるようになる。 1986年7月、草加市の西隣である埼玉県川口市の土手において、数千人の聴衆を前にし、アマチュアバンドであるフォーエバーのボーカルとして、オリジナル曲「おじちゃんヨイショ」を歌唱。 同年8月17日に新宿アルタ内のスタジオアルタで本選が開催された 第1回「ロッテ CMアイドルはキミだ!」コンテストに、最終ノミネート者20名の1人として出場するも、グランプリの座を獲たのは橘理佐(のちの立花理佐)であった。 この年の11月2日、成城大学の学園祭において開催された、青年誌『UP TO BOY』(ワニブックス)の「ミス UP FESTIVAL in SEIJO UNIV.」に、東 智子の名を以ってエントリーし、ミス・アップ第7代グランプリを受賞。 1987年1月23日発売の『UP TO BOY』同年3月号のグラビアに、名を本名の鈴木早智子に改めて登場し、3月23日発売の5月号で、表紙と巻頭グラビアを飾る。この年、同誌の鈴木のグラビアを目にしたアップライトミュージック社長・森裕平が、芸能事務所に属していなかった鈴木を、設立したばかりの自社に所属させた。しかしながら、同社における鈴木の主な仕事は当初、電話番やスケジュール管理などの雑務であり、翌1988年1月に端役としてテレビドラマに出演するなどした以外、Winkを結成するまで目立った芸能活動は無かった。 1988年、ミス・アップ第9代グランプリである 相田翔子とWinkを結成し、4月27日のシングル「Sugar Baby Love」発売を以って歌手デビュー。Winkは、翌1989年には、年間62.95万枚を売り上げた「愛が止まらない」や、同じく54.873万枚を売り上げた「淋しい熱帯魚」などのヒット曲に恵まれ、この年の12月31日には、『第31回日本レコード大賞』での日本レコード大賞受賞 や『第40回NHK紅白歌合戦』への出場 を果たすなど、一躍スターダムに上りつめる。 Winkの各アルバムには、『At Heel Diamonds』(1988年12月1日発売)を除き鈴木のソロ曲が1曲または2曲収録されており、クール&ザ・ギャングのカバーや来生たかおの提供曲などを歌っているが、その他、鈴木単独としては、以下のような動向が見られた。 1990年12月22日公開の映画『きんぴら』に単独出演するが、この時期にはそれ以外のソロでの活動は行なっていない。 1991年11月25日発売のアルバム『Sapphire』以降、Winkの活動期間中には、Miyoko.A名義で3曲、鈴木早智子名義で2曲の作詞を手掛けた。 1992年3月25日、Wink時代唯一のソロ・アルバム『Mode』を発売。この年に特に集中的に、テレビドラマの脇役やバラエティ番組のゲストなどとして、単独でテレビ番組に出演している。 1993年10月20日より翌年9月7日までの1年間、『志村けんはいかがでしょう』(フジテレビ系)のコントにレギュラー出演。テレビドラマ以外ではWink時代唯一のテレビ番組単独レギュラー出演となった。 1994年11月、単身渡米し、およそ2週間、ニューヨークでダンスのレッスンやボイストレーニングを受ける。 1995年3月18日より26日まで公演された舞台『怪盗チェリーのレストラン』で、主演としてチェリー役を演じ、初めて舞台に出演。 この年、日本ボウリング場協会のCM「ボウリング マジック!!」に起用され、初のCM単独出演を果たしている。 1996年2月25日、Wink時代唯一のソロ・シングル「La Gioconda」を発売。 この年3月5日放送の『江戸の用心棒II』(日本テレビ系)において時代劇に初出演するが、2月下旬乃至3月初頭に京都の太秦でその撮影を終え、帰京した直後、所属事務所の社長より鈴木一人が社長室へ呼び出され、突如としてWinkの活動停止を宣告された。 同月31日を以ってWinkは活動を停止。鈴木は、2010年に上梓した自叙伝『負けじ魂』で、「今もって活動停止の理由や原因は分かりません。聞かされてもいないし、知らされてもいない。」と述べている。 その後の鈴木は、自らが専ら歌手であるという認識を保ち続けてゆくが、下記の通り、主にタレントや女優として芸能活動を継続することとなる。 Winkの活動停止後は、1996年は、Winkの所属していたP-ARTISTSが改名したものと鈴木がしているマンリープロモーション、1997年頃から尾木エージェンシー、次いで1998年頃からネバーランドに所属。なお、これら3事務所は、住所が同じであり、また尾木エージェンシーとネバーランドの電話番号が同じで、同一性がある。 Wink活動停止後にレコード会社であるポリスターとの契約が終了したため新曲が出せなくなり、暫くは、営業でWinkの楽曲を歌唱するというかたちでの歌手活動はあったものの、映画や舞台、テレビ番組への出演のほか、写真集の発売など、タレントや女優としての活動が芸能活動の中心となっていた。そのさなかである1998年、テレビ東京のリアリティ番組『ASAYAN』の企画「再起に賭ける芸能人オーディション」に、5月31日放送分より出演する。その企画内容は、外資系企業CMタイアップ曲の小室哲哉プロデュース権を賭けて、鈴木を含む「再起に賭ける芸能人」女性たちがニューヨークで共同生活をしながらレッスンを行なうというものであったが、鈴木は、周囲と同調せずに共同生活を拒否したり、他の企画参加者が易々とダンスレッスンをこなす中でレッスンを抜け出し、うまく踊れないこと等につき涙ながらに話したりするなどし、その後、レコード会社から打診を受けたという理由で無断帰国、この企画を離脱しつつも、 企画の前提であった外資系企業のCMタイアップが立ち消えとなった後に、新曲「INNOCENT SKY〜悲しみも届かないあの空の向こうへ〜」を披露する模様などが放送されている。鈴木自身は後に、この番組は、当初より台本があったのみならず、鈴木の与り知らないところで彼女を「悪役」として仕立てる編集がなされていたことなどを述べ、その不当性を述懐した。 同年10月28日、バンダイ・ミュージックエンタテインメントよりWink活動停止後初のソロ・シングル「INNOCENT SKY〜悲しみも届かないあの空の向こうへ〜」を発売。本作の表題曲は『64マリオスタジアム』(テレビ東京系)および『ワイン娘恋物語』(同前)両番組のエンディング・テーマ曲として用いられ、カップリング曲の「PEACE OF MY LIFE」は「バーコード対戦 バーディガン」(タムソフト)CMイメージソングに起用された。また、この年、第1回インターネット歌手ナビ音楽祭で「歌手ナビヒット賞」を受賞している。 この1998年という年はWink結成10周年にあたるが、12月29日放送の『祝!日本レコード大賞40周年記念スペシャル』(TBS系)において、相田翔子とともにWinkとして出演し、「淋しい熱帯魚」を歌唱した。また、翌1999年12月30日放送の『超える!テレビ』(TBS系)においてもWinkとして出演、「愛が止まらない」と「淋しい熱帯魚」を歌唱している。 2000年5月末、バンダイ・ミュージックエンタテインメントが解散したが、その後、ネバーランド在籍中においては、新譜を出すことはなかった。 同年6月、深夜1時過ぎに、首都高速4号線において乗用車を運転中、逆走してきた自動車と衝突、鈴木の乗用していた乗用車は大破し、彼女自身はむち打ち症で3週間ほど入院したが、後遺症は無く、その後もテレビタレントや舞台女優としての仕事を継続する。 当該時期においては、全体的に、タレントや女優としての活動が主な芸能活動となったが、本懐である歌手としては、1998年にシングルを発売できたものの、鈴木にとって不本意な結果となった『ASAYAN』の出演と、関連性が強いものになってしまった。 2002年、オレガに所属。 2003年12月10日、インディーズ・レーベルであるWhat's Up? Groupより、Wink活動停止後初のソロ・アルバム『零〜re-generation〜』を発売。これを記念し、翌2004年の2月28日と5月28日に、「零〜re-generation〜TOUR2004」と題して、やはりWink活動停止後初のライブツアーを行なっている。 2005年の初めにはアルバム作成の意向を示してはいたものの、その後、オレガ在籍中に新譜を出すことはなかった。一方、同年は、歌手として以外の芸能活動において、該事務所在籍期における、従来見られなかった動向が見られる。2月11日放送のテレビドラマ『特命係長 只野仁』(テレビ朝日系)ではベッドシーンを演じ、同番組が最高視聴率を更新するほどの注目を集めたが、3月30日にオレガ在籍期唯一の写真集『Voice』を発売し、セミヌードを披露して、「最近では、テレビ朝日系「特命係長 只野仁」でベッドシーンにも挑戦するなど、色気にますます磨きがかかっており」と評される動向を示した。9月22日にDVD『Voice』も発売。その他、9月10日公開の映画『逆鱗組七人衆』に出演した。同じく2005年から、パチンコ・パチスロに関わる、地方局のテレビ番組出演や営業も目につくようになる。 2006年からは舞台に立つようになり、この年の3月7日から17日まで公演された『眠れぬ夜の電波ハイジャック』や、翌2007年7月29日から9月1日まで公演された『ちぎれた雲はどこへ行く』に出演した。 なお、鈴木は、自身の母が癌で本格的に入院するようになって以降、仕事から看病へと軸足を移し、殊に、父・妹・弟らと共に、草加市の実家に泊りきりで自宅看護を始めた2007年3月 から、母が享年64で死去する7月23日 までのおよそ4ヶ月間は、所属事務所の手違いもあって降板できなかった舞台の稽古以外、仕事を入れなかったと述べている。鈴木の母がいつから本格的に入院したのかは判然としないものの、このように、病床の母に尽すべく、仕事をセーブしていた時期もあった。 2008年4月に、エグゼに移籍したとも言われる。 この年はWink結成20周年にあたるが、12月30日、『第50回日本レコード大賞』(TBS系)に相田翔子と2人でWinkとしてゲスト出演し、「淋しい熱帯魚」を歌唱した。 2009年3月31日、薬物服用により救急搬送されたと報じられ、自殺未遂かなどと憶測を呼んだが、同日中に会見を開き、日頃の睡眠不足によって安定剤を服用した旨など、その経緯を説明。 これより先、同年1月23日に、DVD『NATURAL 〜Respect my life〜』を発売し、セミヌード映像を披露したが、更に9月1日にはDVD『September Shock』を発売する。本作品は、その発売前に、メディアから「AV」あるいは「ソフトAV」などとセンセーショナルに報じられた。しかしながら、本DVDの発売元であるMUTEKIは、当該作品を「AV」であるとは明言しておらず、また鈴木自身は、この出演作品が「AV」ではない旨を述べている。それから間もなく、9月25日にはヌード写真集『one track memories』を、10月25日には同名のDVDも発売。 その後、この年には、精力剤である、宝仙堂の「凄十(すごじゅう)」の広告に起用され、「完全に清純派からセクシー路線に舵を切った」とも評された。 2010年2月20日公開の映画『宿命のジオード』に主役である三輪聖子役で出演したが、6月17日発売の『週刊文春』(文藝春秋)により、同映画やDVD『September Shock』で共演した舞台俳優と、4年にわたって不倫関係にあったと報じられる。この影響により、同月20日に自身のブログで当面の芸能活動自粛を発表。自粛中の7月から9月の間に初の自叙伝『負けじ魂』を執筆し、11月6日に出版して、翌日、TSUTAYA TOKYO 六本木店で行なった著書発売記念イベント で、不倫の否定と芸能活動復帰の発表を行なった。 復帰後は、2011年の前半まで若干のテレビ番組に出演。また、serial TV dramaが同年3月2日に発売する、Winkのカバー曲「愛が止まらない -Turn It Into Love-」(ソニー・ミュージックエンタテインメント)のミュージック・ビデオに出演し、2月12日には、同グループの渋谷クアトロにおけるライブにゲスト参加している。 その後、およそ一年の空白期間を経て、2012年半ば頃に地方での営業などのかたちで活動を再開。 2013年1月より、かねて親交のあった 永福真子が経営するセンス・プロダクションに所属。 この年、在京キー局のテレビ番組2本に出演するなどしたが、その後、芸能活動が暫く途絶する。 2016年5月15日、活動を再開するが、復帰後のおよそ1年間はイベントへの出演にとどまった。 2017年8月12日放送の『心霊呪殺 死返し編』(CSエンタメ〜テレ☆シネドラバラエティ)に出演、8年ぶりのテレビドラマ出演を果たす。 2018年頃から芸能事務所の所属動向が不明瞭になる。 同年6月13日から17日まで公演された舞台『あいたま』に、声のみではあるが春巻梅役で出演。 この年はWink結成30周年にあたるが、8月18日放送の『思い出のメロディー』(NHK総合)において十年ぶりにWinkを一時再開し、「淋しい熱帯魚」と「愛が止まらない」を歌唱。そして10月16日には、『Special To Me』と題したWinkのトーク&ミニライブ・イベントを、渋谷のマウントレーニアホールにおいて行なう。更に12月30日には、やはりWinkとして『第60回日本レコード大賞』(TBS系)に出演し、「淋しい熱帯魚」を歌唱した。 この時のWinkの一時再開は、前年から以下のような経過を経て実現している。2017年6月7日、相田翔子が自らのブログに、プライベートで鈴木とWink結成29周年を祝ったことを写真付きで記したが、同月29日には、テレビ番組『ノンストップ!』(フジテレビ系)で、Wink復活について鈴木と話し合っていることを語り、7月6日の『ORICON NEWS』の記事では、鈴木も同趣旨のことを述べた。8月21日になると、『サンケイスポーツ』によってWinkが2018年4月に再始動すると報じられたが、同日、これを目にした相田は、自身のブログにおいて驚く様子を記しつつも、特に否定はしていない。その報道から間もなく、9月5日に、鈴木が前所属事務所の社長に未払い給与金の支払いを求めているという件が『女性自身』により「泥沼金銭トラブル」と形容されて報じられる。この報酬未払いについては、鈴木がこの前所属事務所を提訴して2020年3月に勝訴することとなるが、『女性自身』の報道直後の時期には、事の真偽に拘わらず「金銭トラブル」が報じられること自体イメージダウンを招きかねず、この件がWinkの動きに影響を与えうるという見方も出され、2018年3月7日には、相田がWinkの再始動を一旦は完全に否定するに至っている。しかしながら、Winkのデビュー日である4月27日には、鈴木と相田が二人で出演するスペシャル・トークイベント『Special To Me』を、10月16日に開催することが告知された。それから3ヶ月ほど経った7月29日、都内のライブ・レストランであるCOTTON CLUBで行なわれた相田の30thアニバーサリーコンサート「This Is My Love V」に、シークレット企画として鈴木が登場し、相田とともに「淋しい熱帯魚」を披露。『思い出のメロディー』でのWinkの復活が報じられたのは、その6日後、8月4日のことであった。 同年においては鈴木単独での歌手としての活動も見られ、11月7日に上野恩賜公園野外ステージで行なわれた、レンベル・キャピタル主催の第1回震災復興支援チャリティーイベントに出演している。 2019年10月16日時点において、TOfficeが自社の公式サイトで鈴木を所属タレントとしている。その在籍開始の日時は判然としない。 2020年2月、TOfficeが自社の公式サイトより鈴木の記載を削除したが、これに代わり、縁劇人の公式サイトが鈴木の「MANAGEMENT」を公示するようになった。その移籍の日時は判然としない。 さっちん その他の愛称
さっちゃん 身長157cm。靴のサイズ23.0cm。血液型A型。 過去の身体サイズ 過去の視力 若年時の飽き性とその後 凝り性、こだわりのある気質 少女時代における目標達成のための極端さ 処世における不器用さ 様々な要因で悩みをストレートに伝えられないこと 覆りそうにない不本意な事態に対する不抵抗 不利な状況の回避に優先される信念の貫徹 饒舌 目立つことや華やかなものへの苦手意識 容姿に関する不満 相田翔子の発言における鈴木の人物像 香瑠鼓の発言における鈴木の人物像 森裕平・吉田豪・及川眠子の発言における鈴木の人物像 Wink時代の初期に、好きな花が何か言及する、あるいはされることがあったが、相田翔子の場合、桐、梅、スターチス など、変化があったのに対し、鈴木の場合は一貫して、かすみ草であった。1988年のWinkのデビューの際には、所属事務所から贈られた花束にこの花が束ねられていたことを喜んでおり、1990年においては、かすみ草を購入して自室をコーディネートしている旨を語っている。 鈴木はこの花についてこのように述べていた。 鈴木が2016年に、「歌は私の原点。やめることはありません。いまでもカラオケに行くと6、7時間は歌っちゃいます」と話している通り、カラオケは、鈴木の歌手としてのアイデンティティと密接に関わる、幼少期からの趣味である。 小学2年生の時(1976年~1977年)に、テレビでピンク・レディーのデビュー曲「ペッパー警部」(1976年)を見た時から歌手に憧れを抱くようになるが、小学6年生(1980年~1981年)頃には、お年玉をすべて歌にまつわるものに使うようになって、8トラックのカラオケセットを購入したといい、「そこから私の長いカラオケ人生が始まりましたね。」と鈴木は語る。 少女時代において、ピンク・レディーの次に好きになった歌手は松田聖子であったが、当時はポップスのカラオケが少なかったため、八代亜紀の「雨の慕情」(1980年)や、川中美幸の「ふたり酒」(1980年)、美空ひばりの「おまえに惚れた」(1980年)、五輪真弓の「恋人よ」(1980年)などを歌っていたという。Wink時代初期にも、テレビの音楽番組において、カラオケで演歌を歌っていることを述べ、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」(1977年)の歌唱を披露したこともあった。 なお、やはりWink時代の初期において、鈴木のカラオケ・カセットの所有数が350本、1,500曲分とされていたが、カラオケのレパートリー数が1,500曲ともされ、特に後者については、Winkの活動停止後にも暫く言及されることがあった。しかし、鈴木はのちに、そのレパートリー数に関しては、把握していなかったことを打ち明けている。 ピアノ ドライブ 読書 バレーボール、ゴルフ、テニス 料理 ボウリング、ビリボー バス釣り 鈴木は、Wink時代の最初期から風邪などでダウンすることがあり、1989年の初頭に、「デビューしてからホント急に体が弱くなっちゃって……」と語ったことがあるが、その後、1989年から翌1990年にかけての、Winkの最盛期で多忙を極めた時期には、以下のように病床に臥している。 まず、1989年5月29日に、咽頭炎で生放送番組の『歌のトップテン』(日本テレビ系)を欠場。 そのおよそ半年後、11月9日生放送の『音楽派Together』(TBS系)を急性胃炎により欠場。 翌12月にも腹痛でダウン。 『第31回日本レコード大賞』と『第40回NHK紅白歌合戦』を前日に乗り切った1990年の元日 には、ストレス性の急性胃腸炎で倒れ、入院することとなり、1月8日に『歌のトップテン』を欠場。また、その翌々日である10日に公演予定だった、静岡県の磐田市民文化会館における「Shining Star Concert」 が、同月22日に開催されることとなり、この公演が行なわれた日に生放送された『歌のトップテン』においては、コンサートを終えたWinkが同地から中継で出演している。 そして同年7月に急性肝炎で自宅療養を余儀なくされ、同月4日生放送の『夜のヒットスタジオSUPER』(フジテレビ系)や、15日放送の『スーパーJOCKEY』(日本テレビ系)、25日放送の『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ系)を欠場した。これに加え、同じ月の14日から開催されたコンサート・ツアー「Especially For You II」は、暫く相田翔子が一人で行なうことになり、鈴木は同月26日の川崎公演から出演している。なお、この時の病臥に関し、週刊誌において、倒れた10日後にスタッフと共に飲酒していたと報じられたことがあるが、後年、これについて吉田豪が鈴木へのインタビュー中に言及した際には、彼女は、飲酒をしないためそれはありえない旨を語っている。 その他、左側の腎臓が生まれつき弱く、腎結石で血尿になったこともあるという。 これらによって、Wink時代には、鈴木に「病弱」というイメージがつくこととなったが、彼女自身が語るところによれば、Wink結成前には病弱ということはなく、「精神的なものが左右した」ものであった。その後、ヒット曲が少なくなってきた頃からは、余裕を持って歌を歌えることにより、やっと仕事が楽しめるようになったという。 なお、相田翔子にも「病弱」イメージが付されたことがあり、週刊誌の記事で「病弱アイドル」と形容されたこともある。 病臥という点では、上記以外にも、1989年3月23日収録の『がんばれドラゴンズまつり』(名古屋・CBCテレビ)、および同日生放送の『ザ・ベストテン』(TBS系)を、「風邪」という名目で欠場しているが、これは、実際には、Winkが急激に売れたことによる、「殺人的なスケジュール」を伴った環境の激変に耐えかねて、失踪したものであった。この日の朝、「隣の部屋」の相田翔子に、「本当にごめんね」と書いた置手紙を残し、当時の茨城県鹿島郡大洋村(現・鉾田市)にあった自家所有の山小屋に隠れ、当日か翌日、失踪から戻ったという。この失踪は、メディアに報じられることもなく、隠し通されていた。 なお失踪当時は、同年3月3日から始まっていたWinkの地方キャンペーン期間中であり、この月の「殺人的なスケジュール」とは、具体的には以下のようなものであった。 ※ 注記が無いものは『ORICON WEEKLY』1989年3月6日号~同年4月3日号所載の「STAR SCHEDULE」による。 この頃のWinkは、「休みなんて、1カ月に1日あるかないか。6時間も寝れれば大満足という毎日。」と言われていたが、上記の通り、実際に休日が皆無の中で、アルバム『Especially For You』レコーディングの傍ら、地方キャンペーンで日本各地を巡りつつ、時には東京と地方を往復して、『ザ・ベストテン』や『歌のトップテン』、『ミュージックステーション』といった音楽番組等に出演するなどのスケジュールが組まれていた。Winkの人気が過熱していた時期における、地方キャンペーン中のこうした初めての「殺人的なスケジュール」を、当時の鈴木は耐えきることが出来なかった。 また、この年の8月2日にも、『パラダイスGoGo!!』生放送の直前に相田翔子と共に失踪し、伊香保温泉の旅館に泊まったことがある。 上掲したWinkのスケジュールの一覧表にある通り、彼女たちは、鈴木の失踪から4日後である1989年3月27日から、30日にかけての4日間、グアム滞在のスケジュールを持ち、実際に滞在していて、これが同年におけるWinkの唯一の同地滞在になっているが、鈴木はこの地で喫煙を覚えている。その約1ヶ月前である2月22日に喫煙が法的に許された20歳になっていたとはいえ、「アイドルにとって、煙草は男性スキャンダル以上にイメージを左右しかねない」 ものであった。しかしながら、グアムにおける、多忙からの解放感の中、「忙しさからの反発」によって煙草に手を伸ばしたという。 Wink時代には、喫煙を止めるよう所属事務所の社長から叱責されつつも、マネージャーや懇意にしているスタイリストらの協力を得つつ、隠れて喫煙を続けた旨を鈴木は語る。失踪事件直後に、彼女はこうしたかたちで「忙しさからの反発」に対する折り合いをつけ、以後、先述の通り度々病に臥すことや相田翔子と共に伊香保温泉まで逃げたことはあったものの、1996年の活動停止までWinkとしての活動を全うし、その後も芸能活動を継続してゆく。 なお、Wink時代に隠れて喫煙することに慣れてしまっていたため、人前で煙草を吸えるようになったのは30歳を過ぎてからである旨を鈴木は述べている。喫煙を隠さなくなった30代においては、鈴木の出演したテレビドラマの中に、彼女の喫煙シーンを含むものもある。 シングル名・アルバム名・収録曲名のほか、鈴木早智子およびそのペンネームMiyoko.Aの作詞記載を太字で表示。 ★Wink時代 La Gioconda(ポリスター、1996年2月25日)
眠り姫でいたくない (作詞: 及川眠子 作曲: 井上大輔 編曲: 木本靖夫) ラ・ジョコンダ(オリジナル・カラオケ) 眠り姫でいたくない(オリジナル・カラオケ) ★ネバーランド在籍期 INNOCENT SKY〜悲しみも届かないあの空の向こうへ〜(バンダイ・ミュージックエンタテインメント、1998年10月28日)
PEACE OF MY LIFE(作詞: 亜蘭知子 作曲: 迫茂樹)- 「バーコード対戦 バーディガン」(タムソフト)CMイメージソング INNOCENT SKY〜悲しみも届かないあの空の向こうへ〜 (INSTRUMENTAL) ★Wink時代 Mode(ポリスター、1992年3月25日)
1999年の退屈(作詞: 及川眠子 作曲: 赤城忠治 編曲: 十川知司) ハリウッドな恋にして(作詞: 及川眠子 作曲: 羽田一郎 編曲: 門倉聡) 最後の楽園(原作詞・曲: Crivellente / Farina / Bindella 編曲: 門倉聡 日本語詞: 及川眠子) Prima Vera「Play To Love」のカバー TRANSFER(作詞: 及川眠子 作曲: 工藤崇 編曲: 門倉聡) 不実な仔猫たち(原作詞・曲: Barry Goldberg / Sylvia St. James / ログザンヌ・シーマン 編曲: 門倉聡 日本語詞: 及川眠子) アメリカのソープオペラ『Santa Barbara(英語版)』の劇中歌「The Hotter The Night」のカバー ★オレガ在籍期 零〜re-generation〜(What's Up? Group、2003年12月10日)- Wink活動停止後初のソロアルバム
SOMEBODY TELL ME(作詞: Paris Texas / 鈴木早智子 作曲: Paris Texas) 止まった時計(作詞・作曲: 飛鳥涼) 薬師丸ひろ子の楽曲のカバー ノスタルジア(作詞・作曲: 竹内まりや) 竹内まりやの楽曲のカバー 変わらない想い(作詞: 鈴木早智子 作曲: Paris Texas) VOICE(作詞・作曲: Paris Texas) 竹田の子守唄(京都府民謡) 雨音はショパンの調べ(原作詞・曲: Gazebo / Pierluigi Giombini 訳詞: 松任谷由実) Gazebo「I Like Chopin」のカバー曲である小林麻美の楽曲のカバー 帰り着く場所に(作詞: 鈴木早智子 作曲: 松田りょう) MY SWEET ROAD(作詞・作曲: Paris Texas) 朝焼けのバルコニー(作詞: 竜真知子 作曲: 見岳章 編曲: 大谷和夫) Take Me To Heaven(原作詞・曲: M. Ingman / B. Glenmark 編曲: 船山基紀 日本語詞: 及川眠子) 優しく愛して…(原作詞・曲: Ben Findon / Mike Myers 編曲: 若草恵 日本語詞: 森雪之丞) Joanna(原作詞・曲: Charles Smith / James Taylor 編曲: 船山基紀 日本語詞: 及川眠子) あの夏のシーガル 〜Cherish〜(原作詞・曲: Ronald Bell / James Taylor / Kool & The Gang 編曲: 門倉聡 日本語詞: 及川眠子) 贅沢な孤独(作詞: 森本抄夜子 作曲: 中西圭三・小西貴雄 編曲: 船山基紀) 悪い夢~I Was Made For Loving~(原作詞・曲: Paul Stanley / Vini Poncia / Desmond Child 編曲: 門倉聡 日本語詞: 及川眠子) 一年前の恋人(作詞: 竜真知子 作曲: 来生たかお 編曲: 門倉聡) シエスタ(作詞: 芹沢類 作曲: 尾関昌也 編曲: 門倉聡) 聖なる夜に帰れない(作詞: 森本抄夜子 作曲: 広谷順子 編曲: 門倉聡) ほんの小さな勇気(作詞: Miyoko.A 作曲: 尾関昌也 編曲: 門倉聡) 未来まで待てない(原作詞・曲: James C. Brown / John A. Butler 編曲: 門倉聡 日本語詞: 及川眠子) Only One(作詞: 及川眠子 作曲: 門倉有希 編曲: 門倉聡) SAVE MY LOVE(作詞: 芹沢類 作曲: 鈴木祥子 編曲: 白井良明) I Wanna Leave You(作詞: Miyoko.A 作曲・編曲: 門倉聡) 誰も知らない(作詞: 芹沢類 作曲: Osny Melo 編曲: Ian Prince) あなたへの想い(作詞: 鈴木早智子 作曲: 来生たかお 編曲: 小林信吾) days(作詞: 鈴木早智子 作曲: 大平勉 編曲: Brett Raymond) 永遠に…(作詞: Miyoko.A 作曲: 尾関昌也 編曲: 門倉聡) 悲しみよりもしたたかに 〜MY TURN〜(作詞・作曲: Jan Anna August Leyers / Werner Pensaert 編曲: Teddy & Melvin 日本語詞: 及川眠子) 私の夏が始まる(作詞: 芹沢類 作曲: 尾関昌也 編曲: 田原音彦) ★Wink時代(鈴木のソロ曲) 夢ポスト(作詞: 岡田冨美子 作曲: 川口真) ミルキー・ウェイ ~銀河旅行~(作詞・作曲: 菅原春美) ★エグゼ在籍期 リインカネーション Lies(作詞: 鈴木早智子 / 天野朋美 作曲: 天野朋美 編曲: 平井光一) 鈴木が2000年以降に出演した在京キー局のテレビ番組の大部分については、外部リンク 「鈴木早智子のTV出演情報」(『ORICON NEWS』) で番組名・放送局・放送日・放送時間が確認できる。 ★Wink結成前 オレの妹急上昇 第9話 桜ぷっつん!?男で勝負(フジテレビ系、1988年1月18日(月))- 清水ハルコ 役 ★Wink時代(鈴木の単独出演のみ) Nettaiya - ホラー学園πR 全20話(テレビ朝日系、1988年10月25日 - 1989年3月28日 毎週(火)深夜)- ミスDJ 役 真夜中は別の顔 第1-8話(テレビ朝日系、1992年1月9日 - 2月27日 毎週(木))- 山口玲子 役 柴門ふみセレクション 第3回 結婚オペレーション10to7(テレビ朝日系、1992年10月26日(月))- 佐々木晶 役 江戸の用心棒II 第15話 縁談アリ地獄(日本テレビ系、1996年3月5日(火))- お由紀 役 ★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期 メロディ 全13話(TBS系、1997年1月5日 - 3月30日 毎週(日))- 吉川雅美 役 ★オレガ在籍期 ドラマ30 - 幼稚園ゲーム2 〜社宅篇〜 全45話(TBS系、2002年5月27日(月) - 7月26日(金) 毎週(月) - (金))- 西尾佐知子 役 ウルトラQ dark fantasy 第14話 李里依とリリー(テレビ東京系、2004年7月6日(火))- 御厨園子 役 愛の劇場 - 温泉へ行こう5 第19-20話(TBS系、2004年12月23日(木) - 24日(金))- 中邑 役 特命係長 只野仁 第16話 社長令嬢(テレビ朝日系、2005年2月11日(金))- 工藤絵理 役 恋する!?キャバ嬢 全12話(テレビ東京系、2006年1月8日 - 3月26日 毎週(日))- 叶樹里 役 地獄少女 第3話 嬰児の夢(日本テレビ系、2006年11月18日(土)深夜)- 鶴田笙子 役 4姉妹探偵団 第6話 温泉で復讐!? 混浴露天風呂の秘密…(テレビ朝日系、2008年2月22日(金))- 光子 役 ★エグゼ在籍期 パズル Piece7 呪いの暗号 聞くと必ず死ぬ落語(テレビ朝日系、2008年5月30日(金))- 池村亜希子 役 ザ・ライバル「少年サンデー・少年マガジン物語」(NHK総合、2009年5月5日(火))- ウェートレス 役 ★センス・プロダクション在籍期 心霊呪殺 死返し編 第1話(CSエンタメ〜テレ☆シネドラバラエティ、2017年8月12日(土))- 早乙女先生 役 ★Wink時代(鈴木の単独出演のみ) 志村けんはいかがでしょう(フジテレビ系、1993年10月20日 - 1994年9月7日・11月30日・12月21日<総集編>、1995年3月22日 毎週(水)) ★ネバーランド在籍期 ASAYAN(テレビ東京系、1998年5月31日 - 10月25日 毎週(日)) ★オレガ在籍期 〜明日も絶対〜パチるん? 埼玉版(テレビ埼玉、2006年4月8日 - 12月23日 毎週(土)) テレビのゲスト出演番組多数のため、外部リンク 「鈴木早智子のTV出演情報」(『ORICON NEWS』) で在京キー局でのテレビ出演の大部分が確認できる2000年以降については、「来歴」の節の記述を裏付けるもののほか、特筆すべきもののみを抄録。 ★Wink時代(鈴木の単独出演のみ) 笑っていいとも - テレフォンショッキング(フジテレビ系、1991年5月3日(金)、1992年10月20日(火)) ライオンのごきげんよう(フジテレビ系、1992年2月19日(水) - 20日(木)、8月11日(火) - 13日(木)、1995年10月6日(金)・9日(月)・11日(水)) おはよう朝日です(朝日放送、1992年4月2日(木)) 夢がMORI MORI(フジテレビ系、1992年5月2日(土)) クイズ年の差なんて(フジテレビ系、1992年6月11日(木)) クイズダービー(TBS系、1992年6月13日(土)) サイコの晩餐(フジテレビ系、1992年6月26日(金)) ワンダーゾーン(日本テレビ系、1992年6月29日(月)) 森脇・山田の抱腹Z(朝日放送、1992年7月4日(土)深夜) ジョーダンじゃない!? - 夕食ばんざい(フジテレビ系、1992年8月18日(火)) ダウトをさがせ!(TBS系、1992年12月3日(木)) 邦子と徹のあんたが主役(テレビ朝日系、1993年3月15日(月)) 志村けんのだいじょうぶだぁ(フジテレビ系、1993年6月28日(月)) 東北スペシャル(NHK総合〈東北地方〉、1994年11月19日(土)) 輝け緑の星地球(NHK BS2、1994年11月26日(土);NHK総合、1995年1月28日(土)) 春満開!オールスターあの超有名人がホントに出没する異国隠れ家レストランこーっそり大公開スペシャル!!(TBS系、1996年3月14日(木)) 超豪華!史上最強!ものまねバトル大賞V(日本テレビ系、1996年3月22日(金)) ★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期(2000年以降は省略) ザ・スターボウリング(テレビ東京系、1996年5月27日(月)) 日曜ビッグスペシャル - 夏休み直前!海の宿VS山の宿(テレビ東京系、1996年7月7日(日)) 未来に賭ける!海と若者たち・海は人類を救えるか(テレビ朝日系、1996年8月4日(日)) 料理バンザイ!(テレビ朝日系、1996年8月25日(日)) 夢航海(日本テレビ系、1996年10月7日(月)深夜、12月17日(火)深夜) 日曜ビッグスペシャル - オールスター家族そろって歌合戦2(テレビ東京系、1996年10月13日(日)) スーパースペシャル'96 - スターがスターに大告白 ずっとあなたが好きでした(日本テレビ系、1996年11月23日(土)) チャレンジ歌バトル(テレビ東京系、1997年2月8日 - 22日 毎週(土)) 超次元タイムボンバー(テレビ朝日系、1997年6月19日(木)) “超”豪華!史上最強ものまねバトル大賞(日本テレビ系、第11回・1998年1月1日(木)、第14回・9月30日(水)、第16回・1999年3月24日(水)、第22回・2001年3月29日(木)) 速報!歌の大辞テン!!(日本テレビ系、1998年1月7日、2001年1月31日・11月7日、2004年2月4日 各(水)) 火曜ゴールデンワイド - 春らんまん!絶景!満開 ニッポン全国 花ものがたり(テレビ東京系、1998年5月26日(火)) THE夜もヒッパレ(日本テレビ系、1998年10月17日、1999年2月6日、2000年6月10日 各(土)) 音楽的流行(テレビ東京系、1998年10月27日(火)) 音楽通信TOP30(テレビ東京系、1998年10月28日(水)) ミュージックジャンプ(NHK BS2、1998年11月1日(日);NHK BS3、1998年12月10日(木)、1999年1月6日(水)) 新・真夜中の王国(NHK BS2、1998年11月19日(木)深夜) はなまるマーケット(TBS系、1998年11月20日(金)) 日刊!ひっと(日本テレビ系、1998年12月16日(水)深夜) 祝!日本レコード大賞40周年記念スペシャル(TBS系、1998年12月29日(火) 相田翔子とともにWinkとして出演) クイズところ変われば!?(テレビ東京系、1999年2月26日(木)) 徹子の部屋(テレビ朝日系、1999年3月18日(木)) 笑顔がいちばん!(TBS系、1999年7月11日、2000年2月13日 各(日)) ウンナンのホントのトコロ(TBS系、1999年8月25日(水)) クルくるV(テレビ東京系、1999年10月3日(日)深夜) 超える!テレビ(TBS系、1999年12月30日(木) 相田翔子とともにWinkとして出演) ★オレガ在籍期(「来歴」の節の記述を裏付けるもののほか、特筆すべきもののみを抄録) 出没!アド街ック天国(テレビ東京系、2003年7月5日、2004年11月6日 各(土)) 新春もズバリ言うわよ! 細木数子の六星占術vs豪華有名人メッタ斬り!!2005年完全大予言スペシャル(TBS系、2005年1月3日(月)) なるトモ!(読売テレビ、2005年) メンタルヌード(日本テレビ系、2005年3月31日(木)深夜) ブルブルアンタッチャブル(朝日放送、2005年4月8日(金)) 田舎に泊まろう!(テレビ東京系、2005年5月1日(日)) TV☆Lab - 晩餐ドボン(BSフジ、2005年) 旅の香り 時の遊び(テレビ朝日系、2005年8月9日・23日 各(火)) ゴールデンスロット(テレビ埼玉、2005年9月3日(土)深夜) 芸能人パチンコバトル P・リーグ(テレビ愛知、2005年9月6日・20日 各(火)深夜) チャンネル☆ロック!(TBS系、2005年11月12日(土)) めざせ!競輪キング(テレビ神奈川、2005年11月12日(土)) スーパーフライデー - 上沼恵美子は見た!日常ワイド劇場4~他では言えない!!芸能人(秘)裏日常(TBS系、2005年11月25日(金)) スーパーフライデー - 超壮絶!鬼嫁VS鬼姑!全日本悪女グランプリ~この世に鬼は実在した(TBS系、2005年12月2日(金)) Sパラ(テレビ神奈川、2005年12月8日(木)深夜) スロットハンター(テレビ愛知、2005年12月30日(金)深夜) ズバリ言うわよ!(TBS系、2006年5月16日(火)) ロンドンハーツ(テレビ朝日系、2006年8月15日(火)) 銀玉王(関東版:テレビ神奈川・テレビ埼玉、2007年11月6日(火)深夜;サンテレビ、2007年11月8日(木)深夜) パチろー!!(奈良テレビ、2007年11月7日(水)) ジャンプ!○○中(フジテレビ系、2007年12月12日(水)) ロンQ!ハイランド(日本テレビ系、2008年3月23日(日)) ★エグゼ在籍期(「来歴」の節の記述を裏付けるもののほか、特筆すべきもののみを抄録) カルチャーSHOwQ〜21世紀テレビ検定〜(テレビ神奈川、2008年5月26日、7月7日、8月18日、2009年1月26日 各(月)) 銀玉王(サンテレビ、2008年8月7日(木)深夜) 第50回日本レコード大賞(TBS系、2008年12月30日(火) 相田翔子とともにWinkとして出演) ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!(日本テレビ系、2009年4月19日(日)) 快傑えみちゃんねる(関西テレビ、2009年5月29日(金)) キズナ食堂(TBS系、2009年6月6日(土)) おもいッきりDON!(日本テレビ系、2009年7月10日) 愛のお悩み解決!シアワセ結婚相談所(日本テレビ系、2010年1月26日(火)) ものまねグランプリ~究極のネタ祭り100連発!(日本テレビ系、2010年3月15日(月)) プロインタビュアー 吉田豪の元○○な人々(関西テレビ、2010年7月19日(月)深夜 - 23日(金)深夜、26日(月)深夜 - 8月1日(日)深夜) クイズ☆タレント名鑑(TBS系、2011年1月30日(日)、5月15日(日)) ★センス・プロダクション、TOffice、縁劇人在籍期 スター☆ドラフト会議(日本テレビ系、2013年2月5日(火)) カスペ! - 木村藤子のキセキ相談! 美女たちのターニングポイントSPII(フジテレビ系、2013年6月4日(火)) 思い出のメロディー(NHK総合、2018年8月18日(土) 相田翔子とともにWinkとして出演) 第60回日本レコード大賞(TBS系、2018年12月30日(日) 相田翔子とともにWinkとして出演) ★Wink時代(鈴木の単独出演のみ) 日本ボウリング場協会 ボウリング マジック!!(1995年) ★エグゼ在籍期 宝仙堂 凄十・男子応援キャンペーン(キャンペーン実施期間:2009年11月12日(木) - 2010年2月10日(水)) ★Wink時代(鈴木の単独出演のみ) きんぴら(東映、監督:一倉治雄、1990年12月22日(土)公開)- 松本千代 役 ★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期 勝手にしやがれ!成金計画(ケイエスエス、監督:黒沢清、1996年9月7日(土)公開)- 三奈子 役 ROMANTIC MANIA ロマンティック マニア(ケイエスエス、監督:サトウトシキ、1997年10月公開 初主演映画)- 林英子 役(主演) ★オレガ在籍期 逆鱗組七人衆(さざ波、監督:市川徹、2005年9月10日(土)公開)- 山田ハルコ 役 ★エグゼ在籍期 宿命のジオード(スリー・ジー・コミュニケーションズ、監督:六車俊治、2010年2月20日(土)公開)- 三輪聖子 役(主演) ★エグゼ在籍期 熱帯 濡れた監禁 女探偵 神楽明日香 (ATTACK ZONE、2009年5月7日(木))- 神楽明日香 役(主演) ★エグゼ在籍期 コイカツ 恋愛ノウハウトークライブvol.2(マシェリバラエティ マシェバラ、2010年11月5日(金)) ★Wink時代(鈴木の単独出演のみ) 怪盗チェリーのレストラン(1995年3月18日(土) - 26日(日) 於 銀座博品館劇場) - チェリー 役 ★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期 ピアニスト~クララ・シューマン物語~(1997年10月 - 12月 於 青山劇場 ほか) - アンナ 役 PINO〜ピノキオ〜(2000年 於 東京芸術劇場 ほか) Annie(2001年4月28日(土) - 9月2日(日) 於 青山劇場 ほか)- グレース 役 ★オレガ在籍期 眠れぬ夜の電波ハイジャック〜LAZY MIDNIGHT〜(2006年3月7日(火) - 12日(日) 於 シアターグリーン・エリア171) - 綾美冴子 役 ちぎれた雲はどこへ行く(2007年7月29日(日) - 9月1日(土) 於 新宿コマ劇場 ほか) ★エグゼ在籍期 THE WINDS OF GOD〜零のかなたへ〜(2008年8月31日(日) - 9月9日(火) 川越市市民会館・紀伊國屋サザンシアター公演のみスペシャルゲストとして)- 宮下千穂 役 ★センス・プロダクション、TOffice、縁劇人在籍期 あいたま(2018年6月13日(水)-17日(日) 於 恵比寿・エコー劇場)- 春巻梅 役(声のみ) ★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期 Merci(ぶんか社、撮影:武藤義、1997年1月)ISBN 4821121263 Trentaine(テイアイエス、撮影:山内順仁、1999年8月)ISBN 4886182062 ★オレガ在籍期 Voice(KKベストセラーズ、撮影:野村誠一、2005年3月30日)ISBN 4584170967 ★エグゼ在籍期 one track memories(ジーオーティー、撮影:福島裕二、2009年9月25日)ISBN 9784860845605 ★エグゼ在籍期 負けじ魂(光文社、2010年11月6日 鈴木早智子の自叙伝)ISBN 9784334976323 ★オレガ在籍期 Voice(ジェネオン・エンタテインメント、2005年9月22日) ★エグゼ在籍期 NATURAL 〜Respect my life〜(GPミュージアムソフト、2009年1月23日) September Shock(MUTEKI、2009年9月1日) one track memories(製造元:Aircontrol、レーベル:antenna、2009年10月25日) ^ 所属事務所欄に、語尾に「S」無しで「P-ARTIST」、同住所欄に「109港区北青山2-7-28NAビル3F」と記されている。なお同書の前年93年度版(1993年10月20日発行)p. 142の「Wink」の項では、所属事務所欄に「アップライトミュージック」、同住所欄に「106港区六本木6-5-17」と記されている。 ^ 鈴木は、自著の、1996年に所属事務所の社長からWinkの活動停止を宣告された際の記述において、事務所名を明示しないながら、「デビューのときからの社長は代わっており、社名も変更していました。しかし、ここが生まれ育った事務所であることは変わりません。」と記している。 ^ 2011年版以降、および2009年版など2010年版以前の一部では、「鈴木早智子」が立項されていない。 ^ 鈴木は自身の名付けについて、1990年に、「『早智子』という名前は、両親がとっても尊敬している先生につけてもらった。どういう意味があるのかは、わからない。」と独白したことがある。 ^ 1986年11月2日に開催された「ミスUP FESTIVAL in SEIJO UNIV.」にエントリーした際の名。『UP TO BOY』1987年5月号のグラビアに、「友だちに借りた名、東智子。」とある。この雑誌の各号にはいずれも名前の読み方は示されていないが、1987年1月号の記事では、「東」と「智」の間にスペースが空けられている。 ^ Winkの活動期間中における作詞用のペンネーム。Winkファンクラブ会報『Winkers Party』第25号(1993年8月)p.3のインタビューにおいて鈴木は、Winkのアルバム『Αφροδιτη』(アプロデーテ)所収の「I Wanna Leave You」の歌詞が自作のものであることを述べているが、前記アルバム付属のブックレットでは、同曲の作詞が「Miyoko.A」と記される。 ^ 同書における鈴木の出生地記載箇所には、典拠は示されていない。 ^ 「私が生まれ育った目黒の家」という書き方をしている。 ^ 同記事にWinkの仙台での活動の日付は記されていないが、Winkファンクラブ会報『Winkers Party』第2号(1989年1月20日)p.3や、『ORICON WEEKLY』1989年3月6日号p.17の「STAR SCHEDULE」により知ることが出来る。 ^ 鈴木が東京に転居した月は3月から4月の間。1989年3月3日におけるWinkの仙台での活動を取材した『明星』1989年5月号の記事に、彼女たち「2人は今度、引っ越しすることが決定。仕事がつまってきたので、東京近郊のサテライト・シティーから都心に越してくるのだ。」と記される。また、『週刊明星』1989年6月29日号の記事に、下記の引用では相田翔子の発言から始まって、以下のようにある。「「早智子はしっかりしてるから。私って、ほらトロいでしょ。それで社長さんに怒られたんです。『同じ日に部屋を用意してあげたのに、どうして翔子はまだ家から通ってるんだ』って。/それで悔しくて、その日、絶対マンション泊ってやろうと思って、何も持ってないのに意地で友達を誘って一晩泊ったんです」/4月の寒い夜だった。家具ひとつない板の間は冷えこんだ。たまらなくなって翔子は早智子の部屋に布団を借りに行った。」(「/」は原文での改行箇所)。 ^ 鈴木が東京に初めて単身で居住した際のマンションは渋谷区恵比寿に所在。なお、鈴木が公表している限りにおいては、その後、1994年以前に世田谷、1997年に港区芝浦へと、都内で居住マンションを移転している。 ^ 鈴木 2010, p.46には、このオーディションが「中学1年生のとき」と記されているが、吉田豪による2006年のインタビューでは、鈴木は「中学3年生のとき」と発言している。 ^ 鈴木 2010, p.48では、事務所名を明示せずに「東京の青山にある事務所」と述べられているが、『FLASH』1989年7月18日号の「人気爆走の2人組Wink! モデル時代の貴重写真」p.23では、中学生の時にスカウトされ、オスカープロモーションに1年半所属したのち、高校卒業直後に『UP TO BOY』のグラビアを飾ったという経歴が記されている。この記述のうち、オスカープロモーション在籍については、同事務所が青山に所在しているので、この点に限れば鈴木が著書で記したことと矛盾していないが、全体的な経歴は両者の記述の差異が大きい。前記『FLASH』記載のものが1989年における名目上の公式な経歴であったかは未確認。 ^ 「17歳のとき、喫茶店でアルバイトしていた」との記述がある。 ^ 『明星』1989年4月号の記事に、草加市内の、鈴木が「バイトしてた喫茶店ウェンディの店長さん」と共に写る、鈴木の写真が掲載されている。 ^ 2010年の吉田豪のインタビューでは、建設会社のアルバイトの件が、1987年の芸能事務所所属後における下積み時代の話の最中に現れるものの、インタビュー中の鈴木はその時期にこのアルバイトをしていたとは言っておらず、どの時期に行なっていたかも言及が無い。 ^ 鈴木 2010に、高校中退がいつだったかは記されていないが、1987年2月28日収録である「鈴木早智子インタビュー」 1987, pp.30-31では、インタビューの時点においても笠井のボーカル・スクールに通っていることを述べつつ、その「一年半位前から、ちょうど高校やめたときから習っているんですよね。」と、高校在学2年目の1985年後半頃に退学したように語っている。『FLASH』2008年11月4日号のインタビューでは、「高校1年生のとき「歌手になるので」と退学届を出したんです。」と述べているが、高校入学から間もなく休学している鈴木は、在学が2年目になれば留年することになるため、「高校1年生のとき」という発言は、1987年のインタビューの発言と矛盾はしていない。 ^ 『UP TO BOY』1987年5月号のグラビアでは「5千人」、『ライオンのごきげんよう』(フジテレビ系、1992年2月20日放送)における鈴木の発言では「3,000以上」。 ^ 「フォーエバー」と「おじちゃんヨイショ」の表記は、「デビュー20周年 Wink 鈴木早智子 史上初のベストアルバム完成!」(『FLASH』2008年11月4日号、袋とじ)p.36による。 ^ 鈴木 2010, p.52に「最終の12人」とあるが、「20人」の誤り。 ^ 受賞を1987年1月と誤認している言説がWinkの活動期間中には見られ、後に、鈴木自身が自著で、受賞を「'87年の1月」と、誤記してしまっている。 ^ 鈴木と相田翔子。 ^ Winkの音楽プロデューサー・水橋春夫は、アルバム『Sapphire』作成にあたって、「今回は二人にもちょっと作詞家、作曲家としてのチャレンジをさせようかなって思っているんです。」と述べたが、Wink時代においては、このアルバムにおいても、それ以後も、鈴木が作曲することは無かった。 ^ 「TV番組解説」(『ザテレビジョン 首都圏関東版』1993年第41号)p.86には、1993年10月20日放送開始の『志村けんはいかがでしょう』について、「志村けんを中心に、モト冬樹、石野陽子、鈴木早智子ら “志村ファミリー” によるスタジオ公開コント。第1回は田原俊彦、相田翔子がゲスト。」とある。 ^ 鈴木 2010, p.173に、この時のニューヨーク滞在が「’95年」と記されているが、誤り。 ^ この記事がWinkの活動停止発表の場であったことについては、鈴木 2010, p.155。 ^ 鈴木は、Wink活動停止に関する『負けじ魂』の記述と同趣旨のことを2006年には語るようになっているが、その活動停止の直後には以下のように述べていた。「Winkの中でもソロ活動をさせて頂いたんですけれども、ちょうどここ1年ぐらいそれが多くなってきたので、8年間を良い機会に“ケジメ”プラス“新たな出発”という事で思いきったんです。」。なお、「来歴」の節の本文で記している通り、ソロ活動が多くなったのは客観的には1992年以降であり、1995年に特に多くなったわけではない。 ^ 相田翔子は、Winkの活動停止について、2017年のムック本のインタビューにおいて以下のように述べている。「8年間、ずっとベスト10に入っていたんで、花のあるうちに解散しようということになったんです。ただ早智子とは本当に仲が良かったから「解散」という言葉は使いたくないね、と相談して「活動停止」ということにしました。」。テレビ番組でも同様のことを述べているが、活動停止の理由を不明とする鈴木の述懐と齟齬がある。 ^ 2010年における自身の自粛に関する記述中に、「これまでずっと歌手としてやってきた私」とある。 ^ この出典資料で鈴木は、Winkの活動停止直後の動向に関して、事務所名を明示せずに、「私は社名変更したそれまでの事務所。そして翔子は新会社に行くことになりました。」と記している。 ^ ここでの出典資料によれば住所は千代田区三番町7-13(三番町パークマンション)201。 ^ ここでの出典資料によれば電話番号は03-5210-4530。 ^ この一文は、本『Wikipedia』の「ネバーランド (芸能プロダクション)」の項が、確たる出典に基づいた信頼性のある記述になるまでの、当座の参考として記すものである。 ^ ポリスターとの契約終了は、正確にはいつだったのか判然としない。鈴木 2010, p.158に、Winkの活動停止後、「私は社名変更したそれまでの事務所、そして翔子は新会社に行くことになりました。/同時に、私の事務所はポリスターレコードとの契約がなくなってしまったのです。/レコード会社と契約していない、ということはCDが出せないということ。」(「/」は原文の改行箇所)とあるが、Winkの活動停止後に発行されたWinkファンクラブ会報『Winkers Party』第38号(1996年)p.7におけるインタビューで、鈴木は「来年からはレコード会社も変わるので」と述べており、少なくともWinkの活動停止によってポリスターとの契約が即座には終了していない。 ^ 『読売新聞縮刷版』のテレビ番組表から鈴木の出演コーナー関係記載箇所とその放送日とを摘記すると以下の通り。 ^ 1998年6月7日放送分。 ^ 1998年6月14日放送分。 ^ 1998年6月21日放送分。 ^ 1998年8月2日・9日放送分。 ^ 1998年8月30日放送分。 ^ 1998年10月25日放送分。 ^ 鈴木 2010, p.175における文言。 ^ ここでの出典資料では、2019年10月31日時点において、「INNOCENT SKY」のタイアップ欄に「TX系「64マリオ・スタジアム」エンディング・テーマ 他」と記されるが、同日時点における「"鈴木早智子" "INNOCENT SKY" "ワイン娘恋物語"」のGoogle検索結果では、同ページの前記記載部分が、「TX系「64マリオ・スタジアム」エンディング・テーマ ・TX系「ワイン娘恋物語」エンディング・テーマ」と表示される。 ^ 『読売新聞』1998年12月29日(火)朝刊第24面テレビ番組表(『読売新聞縮刷版』1998年12月号p.1380)に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1999年12月30日(木)朝刊第24面テレビ番組表(『読売新聞縮刷版』1999年12月号p.1544)に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 『orega.net』のアーカイブのうち、鈴木が現れる最初のもの。 ^ 『TVスター名鑑』の「鈴木早智子」の項における所属事務所記載箇所では、2004年版(2003年12月1日出版)までネバーランド、2005年版(2004年12月15日出版)からオレガとなっており、情報更新が遅れている。 ^ 記事の題名に「オールヌード」とあるが、記事本文に「バストトップや秘部のみを隠した」とある通り、実際にはセミヌード。 ^ 具体的には、2006年4月17日における三洋物産「CRスーパー海物語」発表会のゲスト や、2007年4月28日における香川県高松市のパチンコ・スロット店PACHINKO SLOT nikkoの「芸能人特別店長」 など。 ^ 鈴木 2010, pp.187-188に、母の腎臓癌が手術で完治した「’93年」の「6年後」(1999年頃)に癌が再発、甲状腺に移転し、その手術が成功した「3年後」(2002年頃)に癌がまたもや再発、骨に転移して、闘病生活が始まった旨を記しているが、その後、母が本格的に入院したのがいつだったのかは述べられていない。ただし、同書のp.194には、その死去の1年ほど前(2006年頃)には入院している記述がある。 ^ この出典資料は、その記述の情報ソースが不明であるため、記事内容の正誤にかかわらず、留保したかたちでしか依拠することができない。 ^ 例えば2009年3月31日放送の『総力報道!THE NEWS』(TBS系)では、「Wink 鈴木早智子さん 睡眠薬服用し搬送」というテロップとともに、29日に救急搬送された旨が報じられた。 ^ MUTEKIは、自社のこの公式サイトの記載では、「芸能人限定メーカー」を以って自己規定しているものの、「芸能人限定」の何の「メーカー」かは明言していない。 ^ MUTEKIは、『September Shock』について、「Wink・鈴木早智子が遂に衝撃のデビュー!!」とはしているが、何の「デビュー」か明記していない。当該DVDのパッケージに「MUTEKI Debut!」という記載はあるが、「AV」の「デビュー(Debut)」と書かれていない。 ^ 『宿命のジオード』。 ^ 鈴木はここで、『September Shock』は、「翌年公開される映画のプロジェクトの1つ」としてオファーされたもので、「きちんとしたストーリー仕立てになっており、「添い遂げられなかった男女の1夜」の話」であって、「「Winkの鈴木早智子がAV女優転向」と、言われてしまったこと」については、「普通に考えて私がAV転向と言うのは、/「『ありえない』」と思ってくれなかったのかな」/とも思うのです。」(「/」は原文の改行箇所)と述べている。 ^ DVD『September Shock』と、DVD・写真集『one track memories』の撮影は、2009年4月に、海外において同時に行なわれた。 ^ 鈴木が2000年以降に出演した在京キー局のテレビ番組の大部分については、この資料で番組名・放送局・放送日・放送時間が確認できる。ただし、2008年12月30日の『第50回日本レコード大賞』(TBS系)への出演 記載がない点から見て、完全なリストではない。 ^ serial TV dramaアルバム『パワースポット』(ソニー・ミュージックエンタテインメント、2011年8月17日)初回生産限定盤に収録。 ^ 2011年半ばから翌年半ばの約1年間の動向についての資料としては、2013年2月5日放送の『スター☆ドラフト会議』(日本テレビ系)における鈴木の発言がある。この番組において鈴木は、同番組放送直前のテレビ不出演期間中、「1年は、えーと、生きながらに死んでた感じですね」、「ストレスがすごい溜まっちゃって、ま、家に入院してる感じ」、「無理だと思ったんですね、あの、復帰が。復帰というか、自分のこの精神状態では、もう芸能界で仕事できないかなあとか」(そうなった理由について鈴木自身は発言していない)、「一時期声が全く出なくなっちゃったんですね」、「まあ、ちょっと、リハビリというか、頑張ってボックスに行って、こう、声をなるべく出すようにしたりしてたんですよ」などと自ら語っている。その一方で、同番組内の再現VTRなどにおける服部伴蔵門のナレーションでは、「2010年には共演した俳優との不倫疑惑が発覚、自ら芸能活動を自粛、表舞台から姿を消した」、「実家に戻り、芸能界とは無縁の生活」、「人との関わり合いを避け、家に閉じこもり」、「2年半ぶりのテレビ出演」とされたが、実際には、2011年5月15日放送の『クイズ☆タレント名鑑』(TBS系)以来およそ1年半ぶりのテレビ出演であり、かつテレビへの不出演は、当節の本文に記されている通り「自粛」を契機としたものではない。すなわち同番組では、鈴木自身の発言部分以外は、当該番組出演直前の時期における、そのテレビ不出演について事実が語られていない。なお、この番組における鈴木の出演コーナーの内容は、鈴木が「CD再デビューをかけて熱唱した」というもの。 ^ 鈴木のこの時期の具体的な活動は、2012年5月22日(火)新潟県新潟市江南区のパチンコ・パチスロ店ニューラッキー亀田店での営業 や、これを紹介した5月27日放送のラジオ・ミニ番組『NEW LUCKY INFORMATION』(エフエムラジオ新潟)の出演 のほか、ややのディナーショーのうち、11月11日(日)愛媛県松山市の道後温泉、12日(月)同県新居浜市、25日(日)中華料理店東天紅上野本店、および12月某日神戸メリケンパークオリエンタルホテルにおけるもののゲスト など。 ^ 「鈴木 早智子 プロフィール」(『エグゼ株式会社』)2013年1月2日時点のアーカイブ にある如く、同時点ではエグゼの公式サイトに同社の所属タレントとして掲載されている。 ^ このブログにおいて永福真子が、2016年5月15日の「CLEAR'S大集合ライブ」にゲスト出演した「鈴木早智子ですが、しばらく休養をいただいていたので 昨日(原文ママ)は数年ぶりに、人前に出るという事で大変緊張をしていましたが」と記しているが、前記文中の「昨日」は、「一昨日」の誤り。 ^ 具体的には、2016年5月15日(日)「お掃除ユニットCLEAR’SスペシャルLIVE~全国CLEAR’S集合!みんなで一緒に回れ~」ゲスト、6月5日(日)シアタープロレス花鳥風月40回記念東京タワー大会ゲスト、8月28日(日)「センス・プロ ランチパーティー企画・第一弾 ~鈴木早智子とゆかいな仲間たち~」、12月30日(金)「Mix Sense SPECIAL PartyNight ~センスプロ、年に1度の大忘年会スペシャル~」、2017年4月30日(日)「センス・プロ ランチパーティー企画・第二弾 ~鈴木早智子とゆかいな仲間たち~」、5月4日(木)第3回 「Tokyo Candoll」決勝戦審査員 など。 ^ 「鈴木早智子、9年ぶりドラマで教師役「意外とすんなり」」(『ORICON NEWS』2017年7月6日15:43)2017年7月6日時点のアーカイブ に、「9年ぶり」のドラマ出演とあるが、「8年ぶり」の誤り。 ^ 鈴木は、2017年12月30日販売開始のセンス・プロダクションのオリジナルカレンダーに写真が掲載されているが、その時期以降、同事務所のツイートやリツイートに現れなくなる。 ^ 収録日は2018年8月4日。 ^ 前文の出典として示したTOffice公式サイトでは鈴木の在籍開始と離籍の日時は公示しておらず、鈴木が同サイトの「タレント」のページに掲載されていた全期間において実際にこの芸能事務所に在籍していたかも不分明である。 ^ 出典資料における表記は、必ずしも平仮名の「さっちゃん」ではない。 ^ 1989年の『ORICON WEEKLY』各号に掲載される「STAR SCHEDULE」では、1月31日と2月1日の2日間においてレコーディングが認められる。 ^ 1990年7月14日から9月13日まで開催された「Especially For You II」。ただし鈴木は、急性肝炎により、7月26日の川崎公演から出演している。 ^ 『転校少女Y』(TBS系、1984年10月9日 - 12月25日放送)。 ^ 鈴木早智子『負けじ魂』。 ^ 「たいへん」と話の口火を切るのは、本来は鈴木の口癖であるが、1989年には相田翔子に伝播している。 ^ 鈴木は、1986年、17歳の時の、ミス・アップ・グランプリ受賞時には、自身の「チャームポイント」を「目」としている。 ^ 『読売新聞』1989年6月1日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1989年6月号p.32)および夕刊第16面(同前p.52)のテレビ番組表に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 1988年の『ORICON WEEKLY』各号に掲載される「WEEKLY SCHEDULE」では、「愛が止まらない」のレコーディングが終了した10月3日の翌々日である5日のほか、同月11日と18日の3ヶ日において振付のレッスンが認められる。 ^ 香瑠鼓は、自伝エッセイ『ふぅ~はっ!』(NHK出版、2001年8月25日)p.115でも、同趣旨のことを述べている。 ^ のちに『Twinkle Angels』でも、Winkの振付について、森裕平の発言と同趣旨の記述が以下のようになされた。「サッチンは覚えるのユックリだけど、一度覚えるとゼッタイに忘れないし、練習のときにもまちがえない。/翔子は、すぐ覚えるし返事はいいけど、すぐ忘れてしまう。だけど、振りのポイントはしっかり押さえている。」(「/」は原文の改行箇所)。 ^ 『BUBKA』2011年1月号、2010年11月30日発売。 ^ 鈴木は、鈴木 2010, p.33では、8トラックのカラオケセットを「親に買ってもらいました。」とするが、2003年9月26日放送の『celeb-life』(BSフジ)では、「やっとお年玉をかき集めて買っ」たと語る。 ^ 鈴木 2010, p.34には、少女時代の鈴木がカラオケで歌っていた曲として、本文に記している、彼女が8トラックのカラオケセットを購入した頃の1980年の楽曲4曲が列挙されているが、これらを歌っていたのが少女時代の特にいつ頃だったかは記述が無い。 ^ 鈴木は、『明星』1989年3月号付録『ヤンソン』では、カラオケ・カセット所有数を、1,500曲分ではなく「1500本」と述べている。 ^ 鈴木は、1989年1月12日放送の『ザ・ベストテン』(TBS系)においては、カラオケのレパートリーを「1,300曲ぐらい」と述べている。 ^ 番組放送予定と調理方法が『ESSE』1992年9月号p.239に掲載されている。 ^ 『読売新聞』1989年6月5日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1989年6月号p.226)および夕刊第20面(同前p.258)のテレビ番組表に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1989年11月9日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1989年11月号p.452)および夕刊第20面(同前p.480)のテレビ番組表に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 鈴木 2010, p.93には、この月に「腹痛で倒れました。」と記される。 ^ 『読売新聞』1990年1月8日(月)朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1990年1月号p.332)および夕刊第20面(同前p.362)のテレビ番組表に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1990年1月22日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1990年1月号p.1016)および夕刊第20面(同前p.1048)のテレビ番組表に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1990年7月4日(水)朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1990年7月号p.190)および夕刊第20面(同前p.210)のテレビ番組表に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1990年7月15日(日)朝刊第32面テレビ番組表(『読売新聞縮刷版』1990年7月号p.764)に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1990年7月25日(水)朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1990年7月号p.1260)および夕刊第16面(同前p.1276)のテレビ番組表に番組放送・出演予定記載あり。この文献に「ウィンク夢の競演、東京―大阪2元中継」とあるが、コンサート公演中の相田翔子が大阪から中継で出演した。この時の大阪公演は7月17日(火)・18日(水)の2日間。 ^ ただし鈴木は、1990年においては、「趣味・愛好 - その他」の小節における「料理」で先述した通り、その前年に胃を悪くしたのは外食が原因だと述べている。 ^ 同番組は1989年3月25日放送。同日の『中日新聞』朝刊第32面(『中日新聞縮刷版』1989年3月号p.1104)のテレビ番組表に、番組放送予定と「ウィンク」の記載あり。 ^ 鈴木 2010, p.92での文言。 ^ 1989年4月1日におけるWinkの名古屋での活動を取材したこの記事に、「ひとり暮らしが、もーすぐ実現」という相田翔子の発言が記載される。同記事にWinkの名古屋での活動の日付は記されていないが、Winkファンクラブ会報『Winkers Party』第2号(1989年1月20日)p.3や、『ORICON WEEKLY』1989年4月3日号p.17の「STAR SCHEDULE」により知ることが出来る。 ^ 鈴木 2010, p.95での文言。鈴木は後にこの「隣の部屋」を「マンションの隣の部屋」と述べたが、相田翔子が自室マンションに初めて入ったのが、鈴木の失踪事件後の4月である ことと矛盾している。 ^ 鈴木 2010, p.95での文言。『Smart Flash』のインタビューでは「ゴメンね」。 ^ Winkの仙台キャンペーンの動向が、「今日もドタバタ息つぎな~し!」(『明星』1989年5月号pp.58-59)でレポートされている。 ^ Winkのこの日一日の動向が、「WINKの3月で一番ハードだった一日」(『BOMB!』1989年5月号pp.119-121)でレポートされている。 ^ Winkの大阪キャンペーンの動向が、「The WINK・TIMES」(『DUNK』1989年5月号)pp.36-37でレポートされている。 ^ 『ザ・ベストテン』の欄に「沖縄&鶴太郎&?熱帯夜生中継」とある。 ^ DVDボックス『Wink Visual Collection~1988-1996 ヴィジュアル全集~』(ポリスター、2008年4月27日)付属のボーナスDVD「WINK MINI CONCERT'89-近鉄百貨店・阿倍野店-」は、このミニ・コンサートを収録したもの。 ^ 『Twinkle Angels』 1990, p.32に、「3月下旬、大阪での仕事を終えてその足でグアムへ直行」とあり、グアムへの実際の移動は26日。 ^ ただし、『負けじ魂』では、公表できる時がくれば相田翔子と二人で公表しようと約束し、この約束を守ることが相田翔子との友情の証であるとして、詳細を公表しなかった。その一方で、相田翔子は『負けじ魂』が発行される以前から、このことを公表していた。 ^ 3月23日に鈴木が一人で失踪した直後。 ^ イタリア語で「モナ・リザ」の意味。Winkファンクラブ会報『Winkers Party』第37号(1996年)p.6に「フランス語」とあるが、それは誤りで、同言語では「La Joconde(ラ・ジョコンド)」という。 ^ 『ザテレビジョン 宮城・福島版』1994年第47号p.96には、1994年11月19日に東北地方で放送の『東北スペシャル』(NHK総合)について、鈴木の顔写真を掲載しつつ、「「君の名は」や「長崎の鐘」などの名曲で知られる作曲家・古関裕而。福島県出身である彼にちなんで、福島市では毎年、古関裕而音楽祭が行なわれている。11/6福島市公会堂での音楽祭のもようを紹介する。ことしは3年に一度行なわれるコンテストの年。「古関裕而音楽賞」を競い、湯川れい子、小椋佳、羽田健太郎など有名作詞・作曲家が新曲を製作、Winkの鈴木早智子(写真)らが披露する。なお、このもようは、11/26[土]に「地域イベントアワー」(昼4・30 NHK衛星第2)で、90分の拡大版としても紹介される。」とある。「過去の福島市古関裕而記念音楽祭一覧」(『福島市公式ホームページ』)2018年9月13日時点のアーカイブ では「第2回福島市古関裕而音楽祭」開催を「平成4年11月8日(日曜日)」としているが、この年の11月8日は火曜日であり、『ザテレビジョン』の記述が正しい。 ^ 『Twinkle Angels』 1990, p.169に紹介記事あり。 ^ 『ザテレビジョン』1992年第1号の「年末年始ビッグスター50」および第2号より第8号の各「NEWすたーれぽーと」(いずれも各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。同誌首都圏関東版1992年第2号と第3号の「TV番組解説」および第9号「男を狂わすヒロイン乃絵の寝技の数々… 真夜中は別のテク!?」(各地方版共通)p.33に鈴木の役柄「玲子」を記述に含む記事あり。 ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第42号)p.49(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。同誌首都圏関東版「TV番組解説」p.86に鈴木の役柄「晶」を記述に含む解説あり。 ^ 「TV番組解説」(『ザテレビジョン 首都圏関東版』1996年第10号)p.84に鈴木の役柄「お由紀」を記述に含む解説あり。 ^ 『ザテレビジョン 首都圏関東版』1997年第1号の番組表に番組放送・出演予定記事あり。同誌1997年第2号p.13と第3号p.10(いずれも各地方版共通記事)に鈴木の役柄「吉川雅美」の紹介記事あり。 ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第7号)p.44(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。なお同資料には、1992年2月21日(金)に相田と二人でWinkとしての出演予定記載あり。 ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第32号)p.42(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 『ザテレビジョン 首都圏関東版』1995年第40号・第41号の番組表に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第18号)p.43(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第23号)p.41(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第24号)p.48(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第25号)p.43(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第26号)p.60(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第27号)p.41(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第47号)p.139(各地方版共通)に放番組送・出演予定記載あり。 ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1993年第11号)p.39(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1993年第26号)p.53(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 『ザテレビジョン 首都圏関東版』1996年第32号の番組表p.66に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1996年8月25日(日)朝刊第32面テレビ番組表(『読売新聞縮刷版』1996年8月号p.1120)番組表に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 『ザテレビジョン 首都圏関東版』1996年第51号の深夜番組表p.89に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 「TV番組解説」(『ザテレビジョン 首都圏関東版』1996年第42号)p.75に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 1997年2月15日放送分については『読売新聞』1997年2月15日(土)朝刊第36面テレビ番組表(『読売新聞縮刷版』1997年2月号p.726)に「元ウィンクも感動審査」というかたちで番組放送・出演予定記載あり。 ^ 「歌のスペシャル豊漁セレクション」(『ザテレビジョン』1998年第39号)p.13(各地方版共通)に番組出演中の鈴木の写真とともに番組放送・出演予定記載あり。 ^ 『ザテレビジョン 首都圏関東版』1999年第12号の番組表p.99に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1998年10月27日(火)朝刊第36面テレビ番組表(『読売新聞縮刷版』1998年10月号p.1454)に番組放送・出演予定記載あり。 ^ 「音楽」(『ザテレビジョン』1998年第50号)p.53(各地方版共通)に番組放送・出演・曲目予定記載あり。 ^ 『読売新聞』1999年8月25日(水)朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1999年8月号p.1160)および同日夕刊第20面(同前p.1180)のテレビ番組表に「元ウィンクだって恋がしたい・Eメール恋愛」として番組放送予定記載あり。 ^ 「鈴木 早智子 プロフィール」(『エグゼ株式会社』)2013年1月2日時点のアーカイブ で、鈴木の主なテレビ・バラエティ番組出演作品の一つとされる。 ^ 「profile」(『鈴木早智子公式HP』)2017年8月30日時点のアーカイブ で、鈴木の主なテレビ・バラエティ番組出演作品の一つとされる。 ^ 「鈴木早智子」(『TOffice - タレント』)2019年10月19日時点のアーカイブ 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