長谷川町子の情報(はせがわまちこ) 漫画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
長谷川 町子さんについて調べます
■名前・氏名 |
長谷川町子と関係のある人
石川達三: 婦人参政権不要論を唱えたこともあり、長谷川町子の『いじわるばあさん』でネタとして取り上げられた。 東山明美: 月曜ドラマランド / 長谷川町子のいじわる看護婦スペシャル4(1983、CX) 緋田康人: 長谷川町子物語〜サザエさんが生まれた日〜(2013年11月29日、フジテレビ) 松本美樹: アニメ『サザエさん』は、原作者の長谷川町子から「美樹さんのサザエさんを作って」と一任され、自身も「サザエさんは私小説だ」と公言していた。 花上晃: 長谷川町子のいじわる看護婦スペシャル4 年の瀬の診察室は恋のうわさでピンク色!(1983年12月26日) 三波豊和: 「長谷川町子の意地悪クッキー」(1983年) 岩城英二: 長谷川町子 矢内原忠雄: 矢内原と親交があった長谷川町子は、矢内原が長谷川の妹の結婚式と妹の夫の葬式の司式を務め、「(矢内原は)厳格なお顔の割に、可愛い物がお好き」であり、矢内原が晩年に入院した際には長谷川がクマの玩具を見舞品として贈ったと『サザエさんうちあけ話』の第29章で触れている。 石井均: 月曜ドラマランド / 長谷川町子のいじわる看護婦3(1983年、CX) 北沢楽天: 『はね子』は日本で最初の少女を主人公とした連載漫画であり、長谷川町子の『仲よし手帖』などの、最初期の少女漫画に影響を与えている。 イッセー尾形: BSフジサタデースペシャル『長谷川町子没後30年スペシャル「彩り」と「ことば」―時を超えて―』(2022年11月26日) - インタビュー出演 石ノ森章太郎: なお、テレビ原作者(アニメ・実写)としてのクレジットは放映期間のべ六十数年分に及び、野村胡堂、長谷川町子らを凌駕して国内最高で、2020年現在も更新し続けている。 青葉久美: 月曜ドラマランド『長谷川町子の意地悪クッキー いたずらワンワンとワンパク3つ子が大混線』(フジテレビ)- 1983年5月 工藤美代子: 『サザエさんと長谷川町子』幻冬舎新書、2020 佐藤詩音: 長谷川町子物語〜サザエさんが生まれた日〜(2013年11月29日、フジテレビ) - 美術館に並ぶ男の子 役 中原理恵: サザエさんVS意地悪ばあさんVSいじわる看護婦(1984年3月2日 フジテレビ開局25周年記念 長谷川町子スペシャル)主演 芦川よしみ: 「長谷川町子のいじわる看護婦(2)(3)」(1983年) 真鍋博: この時の受賞は長谷川町子『サザエさん』であり、比較して「難解」と評された。 井上一雄: その中でも野球漫画『バット君』が代表作として知られ、同誌に連載を持つ6人の児童漫画家(原一司、長谷川町子、倉金章介、古沢日出夫、沢井一三郎、芳賀まさお)とともに「七福人」と称されるに至るが、『バット君』未完のまま34歳で急逝した。 大島里美: 長谷川町子物語〜サザエさんが生まれた日〜(2013年、フジテレビ)脚本 けらえいこ: 書評家の山村修は長谷川町子の『サザエさん』と比較し、「世が世なら立派な国民マンガである」と評した。 小林裕美子: 小学校低学年の頃から長谷川町子にあこがれ、漫画家を志望しはじめた。 城山昇: 脚本執筆の際は、長谷川町子による原作の4コマ漫画の品格を落とさず世界観を表現することを意識しているという。 ピョコタン: 尊敬する漫画家として、長谷川町子ややなせたかしを挙げている。 団時朗: 長谷川町子のいじわる看護婦3 倉金章介: また、二年後に同門になった長谷川町子とは、いつも漫画についての議論や批評をし合い、「ぼくたち(杉浦も含む)で新しい漫画を創りましょう」、「楽しい漫画を描きましょうね」と言っていたという。 山口森広: 明治座『舞台 サザエさん』作・演出:田村孝裕 原作:長谷川町子 佐藤繁子: いじわる看護婦シリーズ 1・6・7(1982・1984、フジ、原作:長谷川町子) 和久井映見: わが家の歴史(2010年4月9 - 11日、フジテレビ) - 長谷川町子 役 片岡義男: しかし1970年、奥成達が編集長を務めた雑誌『東京25時』9・10月合併号に、サザエさんのパロディ漫画『サザエさま』を掲載(木崎しょう平作画)すると、原作者である長谷川町子の作品を管理する姉妹社から訴えられ、罰金50万円の支払いと謝罪広告の掲載がなされた。 |
長谷川町子の情報まとめ
長谷川 町子(はせがわ まちこ)さんの誕生日は1920年1月30日です。福岡出身の漫画家のようです。
姉妹、現在、卒業、家族、退社、結婚、母親、事件、ドラマ、テレビ、解散、病気、趣味、映画に関する情報もありますね。去年の情報もありました。1992年に亡くなられているようです。
長谷川町子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)長谷川 町子(はせがわ まちこ、1920年(大正9年)1月30日 - 1992年(平成4年)5月27日)は、日本の女性漫画家。日本初の女性プロ漫画家。代表作に『サザエさん』・『いじわるばあさん』・『エプロンおばさん』など。 佐賀県小城郡東多久村(現・多久市)で父・勇吉と母・貞子との間の3人姉妹の次女として生まれる。実際は姉との間に夭折した2番目の姉がおり、戸籍上は4姉妹の三女になる。当時、多久で操業していた三菱炭坑の技師であった勇吉が独立、ワイヤーロープの事業開業に伴い福岡県福岡市春吉(現在の同市中央区)に転居春吉尋常小学校に小学1年生から通った。 小学生時代は成績が良く男子生徒と交代で学級長を務めていたが「悪ガキ」だったと妹の洋子に語っている。小学校時代は卒業までクラス替えがなく、担任の教員も替わらず、家族のような組だった。授業中にはよく教員の似顔絵を描いており、それを見つけた教員の松本善一にチョークを投げつけられ、罰として廊下に立たされた。そうした松本の癖などを漫画にして、級友に授業中回して遊んでいた。掃除時間になると掃除を怠けて男子とチャンバラごっこをして遊んだ。女子が男子に泣かされた時にはその男子を屋上に連れ出して仕返しをした。得意科目は図画と作文。男子生徒と交替で級長(学級委員長)を務めたが、自習時間の監督を任されると、自習を怠けている生徒の頭を定規で叩いて教室を歩き回った。それが原因でよく喧嘩になった。小学校卒業式の朝、男子生徒と喧嘩した挙げ句、校庭の物置に閉じ込めそのまま式に出たあと家に帰ってしまう。卒業式終了後にその男子生徒に気づいた学校の用務員により助けられた。なお、その男子生徒とは成年後の同窓会で和解している。 小学校卒業後は旧制福岡県立福岡高等女学校(現在の福岡県立福岡中央高等学校)に2年生の1933年(昭和8年)まで在籍。同年3月父・勇吉が肺炎から膿胸を併発し、5年間の闘病生活の末亡くなる。町子の父への思い入れは深く「ハンサムで、素敵な紳士」だったと語っている。一方で「短気な性格を娘達が受け継いだ」と振り返る。父の死から一年後の1934年(昭和9年)、娘たちを東京で教育を受けさせたい、という母の貞子の意向で14歳の時に一家揃って上京。私立山脇高等女学校の3年生に編入。同校は「お嬢様学校」のため、方言やお行儀の違いを周囲から奇異の目で見られ、腕白な性格から内向的な性格になった。娘の変化に貞子は心痛めていたという。 当時漫画『のらくろ』が一世を風靡しており、「(原作者の)田河水泡の弟子になりたい」という町子の独り言に姉と母は奔走、山脇高女在学中に田河水泡に師事する。その後、田河の引き立てにより『少女倶楽部』1935年10月号に掲載された見開き2ページの『狸の面』で漫画家デビューする。「天才少女」と題したグラビアも同時に掲載された。田河夫妻に子供がなかったことから、内弟子として田河家で生活するが、ホームシックになり11カ月で出戻る。 1939年に初連載作品となった『ヒィフゥみよチャン』で漫画家としての地位を確立。1940年からは、3人の女学生を描いた『仲よし手帖』という人気連載を持っていた(1942年まで少女倶楽部に連載、戦後は少女にて1949年から1951年まで連載)。 1944年に入り、空襲からの疎開と徴用回避のため、長野県佐久郡に赴き児童の絵の教師を務める話が一旦まとまった。その後、知人の勧めにより3月に長谷川一家は福岡市百道(現在の同市早良区)に疎開、西日本新聞社に絵画部の校閲係として勤務。昼に出勤、4時に退社という軽作業であり、残りの時間は畑仕事をしていたという。 転居後は、終戦直後の1945年9月に西日本新聞社発行の雑誌に読み切り6コマ漫画『さあ!がんばらう』を掲載するまで漫画作品を発表していない。徴用回避の必要がなくなった終戦の翌日、西日本新聞社を退職した。 1946年(昭和21年)4月22日、西日本新聞の僚紙としてフクニチ新聞社から創刊された「夕刊フクニチ」で連載漫画の依頼が舞い込み引き受けた。自宅の近所である百道海岸付近を妹と散歩をして海辺の風景を眺めているときに登場人物に海にちなんだ名前をつけて『サザエさん』の家族構成や名前を思いついた。磯野家の日常を描いた『サザエさん』は、彼女のファッションも話題となり、人気を博した。当初、本人は「アルバイト感覚で引き受けた」と語っている。 有名出版社から町子と姉・毬子への仕事のオファーがあったため、『サザエさん』は8月22日にサザエの結婚で一旦打ち切りとし、同年の暮れに一家そろって上京する。当時東京都への転入は戦後事情のため制限されていたが、新聞記者という名目で許された。上京直前、母親の貞子が家を売った資金で「サザエさんを出版なさい」と毬子と町子に命じる。 1946年12月に家族4人で出版社「姉妹社」を設立。翌年の1947年1月1日、『サザエさん』第1巻を出版する(定価12円)。1947年1月3日、夕刊フクニチへの連載を再開している。連載を再開する際、打ち切り直前に登場させたマスオの顔を作者本人が忘れていて、西日本新聞社東京支局まで行き確認している。さらに地方紙にも掲載されるようになる。 第1巻は初版2万部を日本出版配給(日配)に持ち込むと全て引き取ってくれたため、毬子は重版をかけさらに2万部を刷った。しかしB5判の横綴じという第1巻の形状が書店に並べにくいと不評で、長谷川家は返品に占拠される事態となった。しかし、母の貞子が「次はB6判で出せば良い」と励まし、知り合いの出版関係者から借り入れた資金で『サザエさん』第2巻を出版。これが1か月に17万部も売れるベストセラーになる。B5判の第1巻も書店からの注文がくるようになり、返品は全て引き取られた。以降、『サザエさん』の第1巻はB6判に改訂されて再出版され、姉妹社で全68巻が刊行された。 1948年11月21日より『サザエさん』の連載先を新夕刊に移すと、磯野家も東京を舞台として描くようになる。 1949年、朝日新聞社が創刊した夕刊朝日新聞に『サザエさん』の連載の場を移し、週刊朝日に連載していた『似たもの一家』を打ち切る。1951年から『ブロンディ』の後を承けて朝日新聞の朝刊を飾り、新聞4コマ漫画の第一人者となる。この頃になるとファンレターも来るようになったという。同漫画は後に何度か中断期間を挟みつつ1974年(昭和49年)まで連載された。 胃痛や風邪による休載はしばしばあったが、1960年には漫画家廃業を宣言し、一年近く断筆した。漫画考案に苦悶する町子を見かねていた家族は廃業に賛成する。朝日新聞社に毬子を通じて連載終了を申し出るが、広岡知男編集局長は休載扱いとした。約半年後に町子の心境が変わった後に朝日新聞社から打診があり、連載を再開している。 「ヒューマニズムに飽きていた」町子は、1966年からブラックユーモア路線の『いじわるばあさん』の連載を開始する。善良なキャラクターの作品と違い、『いじわるばあさん』は自分の地のままでいいから気楽に描けるという。主人公のおばあさんは、町子自身の性格をモデルにしたとの説もある。 1967年、47歳の時に胃潰瘍になり、胃の5分の4を摘出した。実際は胃潰瘍でなく胃癌であったが、妹・洋子の夫が癌で夭折していることを知っていた町子は「癌になったら自殺する」と周囲に述べていたため、家族は胃潰瘍で貫き通した。胃癌だった事実は町子に生涯知らされることはなかった。これを機に家族は漫画執筆をやめさせようとするが、主治医の中山恒明に説諭され、渋々執筆協力を再開する。 1970年(昭和45年)に知的財産権に関する先駆的行動として、作者に無断でキャラクターを使用していた立川バスを提訴し、勝訴(サザエさんバス事件)。 同年11月19日、東京都世田谷区桜新町一丁目にあった自宅が放火される。 1974年2月22日付で『サザエさん』を3年間の休載とするが、その後再開される事は無かった。 1978年、『サザエさんうちあけ話』を朝日新聞日曜版に連載。翌1979年には単行本として姉妹社から出版されるとともに、これを原作とし、姉毬子を主役としてNHKの朝の連続ドラマ『マー姉ちゃん』が放送された。姉を熊谷真美、町子を田中裕子が演じて、田中が注目されるきっかけとなった。 1982年(昭和57年)11月、紫綬褒章受章。このときのインタビューで新作発表の質問に対し「もう漫画は描かない」と答えている。それでもエッセイ風の漫画をときおり発表することもあり1987年(昭和62年)3月22日の朝日新聞に掲載された『サザエさん旅あるき』が最後の作品となった。 1983年(昭和58年)の春の園遊会に招待され、その席で昭和天皇と会話している。 1985年(昭和60年)東京都世田谷区桜新町に「長谷川美術館」を建て、初代館長を務めた。本館は町子の没後、現名称である「長谷川町子美術館」に変更された。 1990年(平成2年)4月、勲四等宝冠章を受章。1991年(平成3年)には日本漫画家協会賞文部大臣賞を受賞。 1992年(平成4年)5月27日、死去。享年73(満72歳没)。当時の報道では「自宅の高窓を閉めようとして机から落ち全身を打撲、打撲の痛みで体調を崩し、通院治療を受けていた。徐々にろれつが回らなくなり、食欲がなくなるなど衰弱した末、死去の前日にはほとんど食事をとらず、翌朝までに息を引き取っていた」という。『長谷川町子思い出記念館』の年表によれば死因は冠動脈硬化症による心不全。また、長谷川洋子の自伝『サザエさんの東京物語』によれば死の一週間前に脳血腫の診断を受けており、往診医に大病院での入院手術を指示されるも「町子自身が治療を拒否したので、本人の意志を尊重した」と毬子がマスメディア上で述べている。遺言により葬儀は肉親のみの密葬で済ませ、訃報は1か月間公表されなかった。告別式は行われず、弔問・供花なども毬子は固辞した。火葬も遺体を棺桶に入れず、毛布に包み、霊柩車でなく、乗用車で運んだ。 訃報は1カ月後の6月末に朝日新聞社とフジテレビの両社から公表された。フジテレビでは、公表後もっとも早い放送である火曜日の『サザエさん』再放送のラストでブルーバックのテロップで哀悼の意を表し、かつ故人の遺志で今後も放送を続ける旨を伝えた。同年7月28日、漫画を通じ戦後の日本社会に潤いと安らぎを与えたとして国民栄誉賞が授与された。他に第8回(1962年・昭和37年度)文藝春秋漫画賞、第20回(1991年・平成3年度)日本漫画家協会賞を受賞。 1993年5月、町子の死と毬子の高齢などの理由により姉妹社は解散となり、それまでの単行本は全て絶版となった。 急な仕事で同窓会に出席できなくなったエピソードを『サザエさん』の本人登場回で描かれている。小学校時代の同級生から、みんな私が腕白だった頃の話ばかり、と苦笑いしていたというくだりがある。 旧友たちが集団上京してきたエピソードが遺作『サザエさん旅あるき』に描かれている。 RKB毎日放送が『サザエさんふるさとへ帰る』という番組を企画した際、町子本人は出演拒否した。同級生に「あなたたち私のかわりに出てよ。何を言ってもいいから」と説得、小学校時代の同級生たちがその番組に出演した。 町子は生前、評論家・樋口恵子の著書『愛しきは老い』を愛読し、彼女と電話や手紙でやり取りしていた。また樋口も全68巻ある『サザエさん』の原作本を「生涯最高の書」と評している。 アニメ『ちびまる子ちゃん』が1990年1月に『サザエさん』の直前の時間枠での放送が開始した後、原作者・さくらももこと対面の話が企画された。町子は非常に楽しみにしていたが、本人の死により叶わなかった。 当初は聖公会のクリスチャン。父の病気を機に家族で入信した。母のような熱心な信徒ではなかった町子が、日曜日に里帰りする口実として「礼拝したい」と言い出したところ、田河水泡夫妻に付き添われて隣のメソジスト教会に通う羽目となった。のちに、付き添った夫妻の方が熱心なクリスチャンになった。 戦後は母の影響から妹や母とともに無教会主義の集会に参加するようになり、集会で講義をしていた矢内原忠雄と母が交友関係を持つようになった。矢内原から海外探訪の誘いがあった時には畏敬のあまり反射的に断ってしまい、啓発の機会を逸したことを後に悔やんだ。矢内原没後の1970年の対談では自らの宗派を「無教会派」と答えている。 上京後の住まいは世田谷区用賀2丁目にあった(現在もそこに長谷川家がある)。毬子の夫が戦死した後、1961年に洋子が夫を亡くしたことをきっかけに、洋子家族が暮らす離れを母屋まで移動して連結した。それ以降は町子・母・毬子・洋子・洋子の娘2人(隆子と彩子〈さいこ〉)・家政婦という計7人の女性が一つ屋根で生活した。 東京の男性と結婚したいと考えていた時期、好みをいくつか挙げており、容姿にはこだわらなかったが、生涯独身だった。洋子が2008年に出版した回想録『サザエさんの東京物語』によれば、何度かお見合いをしており、一度は婚約までいったが後日破棄した。その理由について、夫や子供の世話で一生を送るなんて我慢できない、と妹に述べている。一時期は子供が欲しかったが、姪ができて母性本能が満たされたという。 町子はアシスタントなしで1人で作品を書き続けた。上京後は毎日自宅2階の書斎で『サザエさん』の原稿を4案ほど執筆した後、その中から一番気に入ったものを1つを選んだ。夕方4時にやってくる朝日新聞のバイク便に、選んだ原稿を渡すという日々を送った。 長谷川町子美術館の学芸員によると「長谷川は漫画のアイディアを日常の中から得ていました。彼女は家の中での家族とのやり取りや、時々外出した時に目にするもの全てがアイディアのヒントとなっていました。長谷川は日常の中のちょっとした笑いに対する鋭い観察眼と、それを漫画に昇華する表現力を持ち合わせていたのです」と評している。 動物好きで、『サザエさん』などの作品には多くの動物が登場し、町子自身も実際に犬や猫を多く飼っていた。このため時には、動物園で展示されているキツネが観光客に目を潰された話を聞き激怒して園を飛び出したり、炎天下で飼い犬に水をやっていない飼い主を電話で怒鳴りつけるなど、動物虐待が比較的見過ごされていた時代において人一倍敏感な一面もあった。 仕事柄ほとんど自宅で過ごし、家で過ごすことが好きだったが、海外旅行に行くことも趣味の1つだった。海外旅行が自由化された1964年から海外に訪れるようになり、生涯で20ヶ国以上を旅した。毬子が飛行機嫌いだったため、洋子が同行した。 美術品に造詣が深く美術品や陶芸のコレクターとしても知られ、自ら陶芸製作にも勤しんだ。趣味で収集した各種美術品コレクションを活かすために私財を投じて「長谷川町子美術館」(東京都世田谷区桜新町)を開館。姉妹社の解散後、「財団法人長谷川町子美術館」として作品の著作権管理を行なっている。当初は「長谷川美術館」だったが町子の没後、現名称に変更された。 酒に強い方ではなかったが酒好きだった。特に好きな日本酒は盃3杯まで、果実酒も少々たしなむ程度飲んでいた。1971年には肝臓を害して1年3か月休載したが、その後は日本酒、ワイン、ウイスキー、ブランデーなどを挙げて「盃1杯だけ」と述べている。 仕事の依頼や作品の管理は姉の毬子があたり、パーティには出席せず、連載を持っていた朝日新聞社や毎日新聞社にもほとんど顔を出さなかった。 日本漫画家協会賞の受賞パーティに出席した時は、どよめきが起こったと参加した漫画家・加藤芳郎が後年証言している。 同業者などからは「孤高の漫画家」と称されていた。 戦時中、出征する兵士に頼まれて「虎は千里を駆けて帰る」という諺から、日の丸の旗に虎をよく描いていた。 戦時中、西日本新聞従業員として博多湾の見える丘で記事のためのスケッチをしていたところ、憲兵にスパイ容疑で逮捕される事件があった。町子がスケッチした方向に軍用基地(雁ノ巣飛行場)があり、スパイと疑われたためである。関係者の奔走により釈放された。 1945年には買い出し中に米軍艦載機の機銃掃射から逃れたり、6月の福岡大空襲で焼夷弾が長谷川家に着弾し消防員に叩き消してもらうなどの戦争体験をしている。 サザエさんの連載を持っていた1963年(昭和38年)12月に姉と些細なケンカをして家出をした事がある。ひとまず厚生年金会館の宿泊施設に身を寄せるが、実は独り暮らしをした事もなく途方に暮れていたところ、翌日に朝刊で力道山の急死を知り、その影響かもう一度自分の人生を思い直し帰宅する。本人は、その出来事が自分の人生のターニングポイントだったと述懐している。 町子本人関連の映像化された作品は現在過去問わずDVDなどでソフト化されたことはなく、名画座で映画上映されることも稀であった。しかし町子の生誕100周年や、アニメ『サザエさん』の放送開始50周年を記念して、動画サイトなどで一部の作品の配信が解禁された。 1993年(平成5年)3月には墓から遺骨が盗まれる事件が発生したが後に戻っている。犯人は不明のままで、未解決事件となっている。なお、遺骨の一部は生前に住職と親交のあった法住寺(天台宗、京都市東山区)に分骨されている。 2016年(平成28年)、生家に近い西南学院大学の創立100周年記念事業で、附属図書館前に長谷川町子とサザエさんの銅像が建てられた。 2020年(令和2年)には生誕100周年を記念して『サザエさん』を始めとした多数の著作が復刊された。 長谷川は以下の漫画作品以外にも、趣味で製作した絵画や焼き物、陶器や粘土細工による人形等の作品も幾つか遺している。 姉妹社の廃業後は、朝日新聞社(2008年(平成20年)に出版部門を朝日新聞出版に分社)で、長谷川町子全集(全33巻 + 別巻1)が刊行した。また、戦中に小学館の学習雑誌などに掲載された短編作品は『長谷川町子の漫畫大會』が、2016年(平成28年)に小学館で書籍化された。 狸の面(デビュー作 2頁「少女倶楽部」1935年10月号) かき(8コマ「少女倶楽部」1935年11月号) オマハリ(6コマ「少女倶楽部」1935年12月号) 少倶の発売日(6コマ「少女倶楽部」1936年1月号) へのへのもへ字(8コマ「少女倶楽部」1936年2月号) 我あやまてり (4コマ 「少女倶楽部」1936年臨時増刊 小説と漫画面白号) これでおあひこ (8コマ「少年倶楽部」1937年新年増刊 おもしろ無敵号) 歸らぬ斥候 (6コマ「少年倶楽部」1937年11月号) ターチャントヘイタイサン(4頁「漫画と教育講談」講談社の漫画絵本63 1938年) トン子博士の動物病院(2頁「少女倶楽部」臨時増刊号 1939年) ヱイ子さんのお留守番日記(4頁 絵と文「少女倶楽部」秋の増刊 1939年) はらつゞみ合戦(4コマ「少女倶楽部」秋の増刊 1939年) ヒィフゥみよチャン(「國民新聞」紙上で1939年3月13日から同年7月10日まで100回に渡り連載) - 連載 エウチエンノ一日(4頁「男子幼稚園」1939年9月号) トクシフ ヨイコマングヮ オルスヰブタイ(4頁「幼年知識」1939年9月号) 漫畫お月見大會 おりられない(2頁「小學五年生」1939年10月号) 仲ヨシ部隊(8頁「セウガク二年生」1939年10月号) コネズミマメキチ(「女子幼稚園」1939年10月号) 珍案新記録、落葉焼き、菊のケンガイ(1頁「小學五年生」1939年11月号) トンチ運び(「小學四年生」1939年11月号) 漫畫突撃隊 よくきくお薬(「小學六年生」1939年12月号) 漫畫忘年大會 風のいたづら(「小學五年生」1939年12月号) 子供精神總動員かぞへうた(「小學五年生」1939年12月号) 面白スケッチせ(「小學四年生」1939年12月号) 漫畫の慰問袋 よくばりぞん(1頁「せうがく三年生」1939年12月号) ヘイタイサン ヰモン大會(5頁「小學館文庫ノ八」1939年12月号) 仲よし手帖(「少女倶楽部」連載 1940年 - 1942年、「少女」連載 1949年 - 1951年) - 連載 オ正月アハハ學校 アワテトンチキサン(綴込み「セウガク二年生」1940年1月号) 新年ニコニコ大會 かんちがひ(1頁「小學六年生」1940年1月号) 漫畫のお年玉 お正月行進曲(1頁「小學五年生」1940年1月号) お正月アハハ學校 アワテ トンキチサン(2頁「セウガク二年生」1940年1月号) 日本一千一夜物語 タニシトタヌキ(「男子幼稚園」1940年1月号、作/田川英子) 漫畫突撃隊 かんちがひ(「小學六年生」1940年2月号) 初午漫畫祭 オママゴト(2頁「小學五年生」1940年2月号) 靖國の子(「せうがく三年生」1940年2月号、作/矢野海彦) ウサチャン日記(「幼稚園」1940年2月号) 漫畫突撃隊 私の新發明(「小學六年生」1940年3月号) 進級祝漫畫集 ネズミノトンチ(「小學五年生」1940年3月号) とんち(1頁「小學四年生」1940年3月号) 漫畫學藝大會 シッパイザダンクヮイ(2頁「せうがく三年生」1940年3月号) 新日本千一夜物語(三)トラ ト ラッパ(「男子幼稚園」1940年3月号、作/田川英子) シャセイ(1頁「幼年知識」1940年3月号) 漫畫突撃隊 いさぎよい(1頁「小學六年生」1940年4月号) 新學年お祝會 おやおやさうか(1頁「小學五年生」1940年4月号) 生活漫畫 ほがらかおぢいさん(6頁「小學四年生」1940年4月号) 春の漫畫大會(扉)(1頁「せうがく三年生」1940年4月号) 春の漫畫大會 春ちゃんの日記(8頁「せうがく三年生」1940年4月号) ブーコサンノオヤツ(2頁「幼稚園」1940年4月号) 四月ノ暦(「幼年知識」1940年4月号) 漫畫突撃隊 チマキのごちそう(1頁「小學六年生」1940年5月号) 漫畫教室 トンチ小僧さん(2頁「小學五年生」1940年5月号) 撒水車と清正(「小學四年生」1940年5月号) ちゑだめし漫畫 仲よくしませう(「せうがく三年生」1940年5月号) サルカニカッセン(「女子幼稚園」1940年5月号) 漫畫突撃隊(扉)(1頁「小學六年生」1940年6月号) 五年生漫畫 上をみれば(1頁「小學五年生」1940年6月号) 四年生漫畫大會 ニワトリドケイ(2頁「小學四年生」1940年6月号) 漫畫の慰問袋 いたいたづくし(2頁「せうがく三年生」1940年6月号) オワラヒタイワ 先生 ガ サビシガル カラ(「セウガク二年生」1940年6月号、作/芝佳吉) イソップ サルノマネシタラクダ(「セウガク一年生」1940年6月号) サルカニカッセン(「女子幼稚園」1940年6月号) 漫畫突撃隊 びっくりネエちゃん(1頁「小學六年生」1940年7月号) 漫畫夏まつり なにが出る(「小學五年生」1940年7月号) 四年生漫畫大會(扉)(1頁「小學四年生」1940年7月号) 漫畫の夏祭 ブーちゃんと海水浴(2頁「せうがく三年生」1940年7月号) 新イソップ童話 ツラレタ タコ(1頁「セウガク一年生」1940年7月号、作/田川栄子) デンシャゴッコ(1頁「幼年知識」1940年7月号) 漫畫突撃隊 おさがり帽子(1頁「小學六年生」1940年8月号) 夏休み漫畫日記 西瓜の寫生(2頁「小學五年生」1940年8月号) 雷の國見學(2頁「小學四年生」1940年8月号) 特輯 仲よし日記(16頁「せうがく三年生」1940年8月号) ナツヤスミ オモシロブクロ(扉)(「セウガク二年生」1940年8月号) ニギヤカ ナ カイスヰヨクヂャウ(「セウガク二年生」1940年8月号) 夏休ミオモシロ大會(扉)(1頁「セウガク一年生」1940年8月号) フシギナハコ(2頁「幼年知識」1940年8月号) 漫畫突撃隊 夏がへり(「小學六年生」1940年9月号) 漫畫展覧會 おとくい(「小學五年生」1940年9月号) オモシロクラブ(「セウガク一年生」1940年9月号) ワナゲゴッコ(「幼年知識」1940年9月号) 漫畫突撃隊 子供のマラソン(「小學六年生」1940年10月号) 秋の漫畫大會 フウセンガキ(「小學五年生」1940年10月号) オモシロクラブ(「セウガク二年生」1940年10月号) 東亞名作物語 オマンジュウノハナシ(「男子幼稚園」1940年10月号、作/田川栄子) ゴメンナサイ(「幼稚園」1940年10月号) ドウブツ ノ トホリョカウ(2頁「幼年知識」1940年10月号) オダイコンヌカウ(「男子幼稚園」1940年11月号) ヤサシイオトウト(2頁「幼稚園」1940年11月号、作/田川英子) ナカヨシコヨシ(2頁「幼年知識」1940年11月号、作/南陽子) メンタルテスト ヨイ子ハドレ(1頁「コクミン二年生」1940年12月号) オテツダヒ(2頁「幼稚園」1940年12月号、作/南陽子) お日さまはくすりです(「コクミン二年生」1941年1月号、文/筒井敏雄) メンタルテスト センチノヘイタイサンへ(「コクミン二年生」1941年1月号) クマチャンノテガラ(2頁「幼稚園」1941年1月号、案/田川英子) 翼賛一家大和さん(「アサヒグラフ」連載 1941年2月5日号 - 同年5月14日号) - 連載 こどもは風の子(1頁「コクミン二年生」1941年2月号、文/二反長半) メンタルテスト(1頁「コクミン二年生」1941年2月号) ゴチソウ(「幼稚園」1941年2月号) メンタルテスト(「コクミン二年生」1941年3月号) ニコニコ エウチエン(「幼稚園」1941年3月号) ヨイコチャン(「幼稚園」1941年3月号) トケイ(「コクミン二年生」1941年4月号、文/池松良雄) メンタルテスト(「コクミン二年生」1941年4月号) オママゴト(2頁「幼稚園」1941年4月号) 少年少女西洋名作選 カンタベリー物語(2頁「國民五年生」1941年5月号、訳/村岡花子) 五月四日は を たいせつにする日(「コクミン二年生」1941年5月号) メンタルテスト(1頁「コクミン二年生」1941年5月号) チエダメシ(1頁「コクミン一年生」1941年5月号) おべんたうのじかん(「コクミン二年生」1941年6月号、文/二反長半) メンタルテスト(「コクミン二年生」1941年6月号) ガマンクラベ(「コクミン一年生」1941年6月号、文/松村武雄) チエダメシ(1頁「コクミン一年生」1941年6月号) ボクラノカアサン(2頁「幼稚園」1941年6月号) クニチャンと礼法(「愛國夫人」連載 1941年7月 - ) - 連載 少年少女西洋名作選 ヘンゼルとグレーテル(2頁「國民五年生」1941年7月号、訳/村岡花子) 甲チャン丙チャン(「こくみん三年生」1941年7月号) はやねはやおき(「コクミン二年生」1941年7月号、文/二反長半) メンタルテスト(「コクミン二年生」1941年7月号) ワラシベチャウジャ(「コクミン一年生」1941年7月号) 正ちゃんの夏(「コクミン二年生」1941年8月号、文/二反長半) メンタルテスト(「コクミン二年生」1941年8月号) クラゲトクジラノオハナシ(4頁「コクミン一年生」1941年8月号、作/室生犀星) タケチャンノ一ニチ(3頁「幼稚園」1941年8月号) 少年少女西洋名作選 愛の學校(「國民五年生」1941年9月号、訳/村岡花子) 甲チャン丙チャン(5頁「こくみん三年生」1941年9月号) かんぷまさつ(1頁「コクミン二年生」1941年9月号、文/二反長半) メンタルテスト(1頁「コクミン二年生」1941年9月号) 炭焼く前(「國民五年生」1941年10月号、文/武田亜公) 秋のこども(「コクミン二年生」1941年10月号、文/二反長半) メンタルテスト(「コクミン二年生」1941年10月号) タケガリ(2頁「幼稚園」1941年10月号) 少年少女西洋名作選 人形を作る父と子(1頁「國民五年生」1941年11月号、訳/村岡花子) ジロウ物語(「こくみん三年生」1941年11月号) あつぎをせずに(「コクミン二年生」1941年11月号、文/二反長半) メンタルテスト(1頁「コクミン二年生」1941年11月号) はたらく大豆(1頁「こくみん三年生」1941年12月号、文/芝佳吉) ジラウ物語(「コクミン二年生」1941年12月号) 雪のふるころ(1頁「コクミン二年生」1941年12月号、文/二反長半) ヨイコノポンタ(2頁「幼稚園」1941年12月号) お正月さん(3頁「こくみん三年生」1942年1月号) お正月おもしろ頁(2頁「コクミン二年生」1942年1月号) メンタルテスト(1頁「良い子の友」1942年2月号) 松ヤニガハナシタオ話(2頁「良い子の友」1942年3月号、文/柚木卯馬) コリスノタビ(2頁「ツヨイコヨイコ」1942年5月号) ワラヒバナシ(1頁「良い子の友」1942年6月号) チエダメシ(「良い子の友」1942年7月号) ダングヮン、セツマイ、サカナヤノコ(「良い子の友」1942年8月号) オモシロイオハナシ(1頁「良い子の友」1942年9月号) ワラヒバナシ(1頁「良い子の友」1942年11月号) チヱダメシ(1頁 絵と文「良い子の友」1942年10月号) ワラヒバナシ(2頁「良い子の友」1942年12月号) ワラヒバナシ(「良い子の友」1943年1月号) ワラヒバナシ(「良い子の友」1943年2月号) ここからやらう(2頁「少國民の友」1943年3月号) ナカヨシオフロ(2頁 コドモヱバナシ 第6巻第7号 1943年) ここからやらう(2頁「少國民の友」1943年3月号) きたへませう(2頁「少國民の友」1943年4月号) さあ!がんばらう(6コマ 西日本新聞社発行の雑誌 1945年9月) サザエさん(「夕刊フクニチ」→「新夕刊」→「朝日新聞」連載 1946年4月22日 - 1974年2月21日) - 連載 ヨウちゃん(「こどもマンガクラブ」連載 1948年10月 - 1949年?) - 連載 となりのぼっちゃん(7コマ 婦人世界3月号 1949年) にいさんのアルバイト(7コマ 少年3月号 1949年) びょうきみまい(7コマ 少年クラブ6月号 1949年) こだぬきまめすけ(小学一年生 4・5月号 1949年)- 連載
よりぬきサザエさん サザエさんの柔道入門(4頁「少女クラブ」1953年夏休み増刊号) サザエさん(「少女クラブ」連載 1955年1月号-12月号) - 連載 似たもの一家(「週刊朝日」連載 1949年4月10日号 - 12月15日号) - 連載 こまった弟(1頁「別冊少年朝日」1949年7月15日号) あわてた驛夫(3コマ「少年おもしろ文庫」1950年創刊号) 新やじきた道中記(「週刊朝日」連載 1951年11月4日号 - 1952年12月28日号) - 連載 たこあげ(4コマ「小学生朝日」1951年1月21日号) 町子かぶき迷作集(「週刊朝日」連載 1952年 - 1956年) - 連載 森の石松(1頁「人間喜劇」創刊号 1952年) わたしはバスの車掌さん(4頁 少女クラブ新年特大号 1953年) わかめちゃんとかつおくん(「たのしい一年生」連載 1956年9月 - 1961年2月) - 連載 水(6コマ 「週刊明星」創刊号奉仕版 1958年7月27日号) わかめちゃん(「たのしい幼稚園」連載 1962年 - 1963年) - 連載 エプロンおばさん(「サンデー毎日」連載 1957年1月6日号 - 1965年7月25日号) - 連載 いじわるばあさん(「サンデー毎日」連載 1966年1月2日号 - 1971年7月18日号) - 連載 まんが幸福論(文藝春秋臨時増刊・漫画讀本「陽春特別号」1967年2月) さっちゃん のんき夫婦 銭形平次捕物帳 いじわる看護婦 いじわるクッキー サザエさんうちあけ話(「朝日新聞」日曜版 連載 1978年4月 - 11月) - 連載 サザエさん旅あるき(「朝日新聞」連載 1987年4月 - 10月) - 連載 学校劇「ふしぎなお芋」久米元一・作(7頁 少女倶楽部 1939年10月号) カラストネガヒゴト(絵と文 4頁 漫画の部隊 鶴書房 1941年1月15日発行) お八重ちゃん 日吉早苗・文(少女倶楽部 1943年4月号) サルトカメ 宮下正美・文(4頁 コドモヱバナシ 第6巻第2号 1943年) コグマトコダヌキ 南條龍彦・文(3頁 コドモヱバナシ 第6巻第12号 1943年) 雑誌表紙イラスト(「少年朝日」1949年8月15日号、1949年9月15日号) ぶたのせんせい(絵本 姉妹社 1951年) わかめちゃんとおまわりさん(サザエさんえほん1 姉妹社) サザエさんとどうぶつえん(サザエさんえほん2 姉妹社) サザエさんとのりもの(サザエさんえほん3 姉妹社) わかめちゃんとりす (サザエさんえほん4 姉妹社) タラちゃんとおやつ(サザエさんえほん5 姉妹社) どうぶつむらのきしゃ(サザエさんえほん6 姉妹社) のってみたいな!!(サザエさんえほん7 姉妹社) へんね おかしいな(サザエさんえほん8 姉妹社) おまつり(サザエさんえほん9 姉妹社) サザエさん サザエさんうちあけ話 いじわるばあさん 「サザエさん 七転八起の巻」(1948年) - 1948年から1950年にかけて、マキノ映画及び大映により全3作製作される。 「サザエさん」(1956年) - 1956年から1961年にかけて、東宝及び宝塚映像に全10作製作される。 「新やじきた道中」(1952年) - 大映製作 町子かぶき迷作集 - 1956年から1957年にかけて、本作を原作としたドラマが日本テレビで放送された。 サザエさん - 江利チエミ(舞台・映画)のテレビシリーズと星野知子、浅野温子、観月ありさ主演でスペシャルドラマ化(フジテレビ) エプロンおばさん - 冨士眞奈美主演。意地悪ばあさんの後継作品。約4か月で打ち切りになった。 いじわる看護婦 - 中原理恵が主に主演。末期には三原じゅん子も主演を務めた。 意地悪お手伝いさん - 高見知佳主演。 マー姉ちゃん - NHK連続テレビ小説。『サザエさんうちあけ話』より(熊谷真実主演)。 フジテレビ開局25周年記念 長谷川町子スペシャル「サザエさんVS意地悪ばあさんVSいじわる看護婦」 フジテレビ開局55周年特別番組 アニメ「サザエさん」放送45周年記念「長谷川町子物語〜サザエさんが生まれた日〜」 - 尾野真千子主演。 長谷川町子もしくは、長谷川町子をモデルとしたキャラクターを演じた人物 田中裕子 - テレビドラマ「マー姉ちゃん」(役名は磯野マチ子) 竹下景子 - テレビドラマ「サザエさん旅あるき」(役名は長谷部町子) 和久井映見 - テレビドラマ「わが家の歴史」 不明 : アニメ「サザエさん」 観月ありさ - テレビドラマ「サザエさん」 戸田恵子 - アニメ「サザエさん」 尾野真千子(幼少期:奥森皐月) - テレビドラマ「長谷川町子物語〜サザエさんが生まれた日〜」 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』p.29、『サザエさんの東京物語』p.58では絵画部とある。『長谷川町子思い出記念館』p.319の年表では編集局絵画課。 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』p.112 では「広岡社長」とあるが、1960年当時は取締役編集局長。 ^ 買出しの話で1コマだけ出ている(34頁2コマ目)。『サザエさんの東京物語』pp.167-170によると町子と洋子一家で母を海外旅行させた話も、『サザエさん旅あるき』pp.51-57では町子が1人で付き添っている形で描かれている。 ^ 『サザエさんの東京物語』p.209では「姉妹社に勤めていて、姉達の秘書のような仕事をしている人」。 ^ 東京家政大学名誉教授。著書に『サザエさんからいじわるばあさんへ』がある。 ^ しかし、そのまま2人は会うことなく町子が亡くなり、樋口は後年「ご面会が叶わなかったのが残念でなりません」と語っている。 ^ 妹の結婚式の司式を矢内原にしてもらい、その数年後、矢内原は死の半年前にも病を押して長谷川の義弟の葬式の司式を引き受けた。 ^ 「サザエさんうちあけ話」では、飼い犬に関するエピソードで30章中2章を使っている。また、町子が当時飼っていた犬と一緒に写っている写真も残されている。 ^ 1967年には胃潰瘍(実際は胃癌)手術を受けた際、麻酔から覚めるのが珍しいほど遅いため、「酒に弱い体質ではないか」と主治医の中山恒明に尋ねられている ^ 加えて加藤は、「参加者のほとんどはパーティ嫌いの町子さんの出席を予想していなかったが、当日彼女が現れた途端会場にパーッと花が開いたような雰囲気に包まれた」とも語っている。 ^ ただし例外で、「読売テレビ50年社史」付属のDVDに、いじわるばあさんの一部のシーンが収録されている。 ^ 週刊現代2022年1月29日・2月5日号「昭和の怪物」研究・長谷川町子「サザエさんは隣にいる」p173-180 ^ 橋本野乃子 (2021-6-25). 昭和を描いた国民的漫画家長谷川町子. 株式会社平凡社. p. 20. ISBN 9784582922899 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.5 ^ 『サザエさんの東京物語』 pp.16-17 ^ “『ふるさと歴史シリーズ サザエさん物語』”. 西日本シティ銀行 (1993年3月). 2022年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月29日閲覧。 ^ 『サザエさん旅あるき』pp.196-203 ^ 『サザエさんの東京物語』 p.17 ^ 「父の死」(工藤 2020, kindle版位置No.41/3081) ^ 『サザエさんの東京物語』p.12 ^ 『長谷川町子』ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉15頁 ^ 『サザエさんの東京物語』 p.22 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 pp.7-8 ^ 『サザエさんの東京物語』 pp.38-39 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.11 ^ 『サザエさんの東京物語』 p.39 ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.12 ^ 『サザエさんの東京物語』 p.40 ^ 『長谷川町子思い出記念館』pp.319-320 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 pp.28-29 ^ 北日本新聞 2018年11月22日付26面・ぶんぶんジュニア内『長谷川町子さんの戦後初作品見つかる』より。 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.36 ^ “サザエさん通り”. 福岡市. 2020年7月11日閲覧。 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.42 ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.319 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 pp.43-45 ^ 「札束を投げる」(工藤 2020, kindle版位置No.1452/3081) ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.290 ^ 「姉妹社」(工藤 2020, kindle版位置No.1547/3081) ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.320 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.46 ^ 「姉妹社」(工藤 2020, kindle版位置No.1548/3081) ^ 「返品の山」(工藤 2020, kindle版位置No.1557/3081) ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 pp.47-50 ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.291 ^ “「サザエさん」初版が“返品の山”だった意外な理由”. AERA dot. (2017年8月20日). 2022年5月25日閲覧。 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.51 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.53 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.55 ^ 『サザエさんの東京物語』 p.70 ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.292 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』p.111 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 pp.112-114 ^ 『サザエさんの東京物語』 p.15 ^ 『サザエさんの東京物語』 pp.140-142 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』pp.96-97 ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.325 ^ “長谷川町子さん死去 「サザエさん」生みの親 5月27日に自宅で”. 朝日新聞・東京朝刊. (1992年7月1日) ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.326 ^ 『サザエさんの東京物語』p.210 ^ 『サザエさんの東京物語』 p.211 ^ 『サザエさんと長谷川町子』p.268「長寿の長谷川家」 ^ 「母の兄」(工藤 2020, kindle版位置No.592/3081) ^ 「キリスト教入信」(工藤 2020, kindle版位置No.534/3081) ^ 『サザエさんの東京物語』 pp.108-111 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.68 ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.29 ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.289 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.128 ^ 「厖大な所得額」(工藤 2020, kindle版位置No.1965/3081) ^ 長谷川町子『長谷川町子 私の人生 漫画、家族、好きなこと』朝日新聞出版、2023年1月30日、62頁。ISBN 9784022518828。 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 pp.23-24 ^ 「返品の山」(工藤 2020, kindle版位置No.1560/3081) ^ 「「サザエさん」絶版の噂」(工藤 2020, kindle版位置No.2925/3081) ^ 「町子亡き後」(工藤 2020, kindle版位置No.2976/3081) ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 pp.64-65 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 pp.12-13 ^ 『サザエさんの東京物語』p82、『長谷川町子思い出記念館』内のインタビュー記事「サザエさんと私」(p271)より ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.125 ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.215(『週刊朝日』の『イイザワ対談遠近問答』最終回で飯沢匡に対して) ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.115 ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.22 ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.293 ^ 『サザエさん旅あるき』pp.49-50 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.60 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』p.80 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.93 ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.86 ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.288(1966年(昭和41年)『サンデー毎日』12月11日号より) ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.309(1978年(昭和53年)『週刊朝日』5月3日号より) ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.82 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.31 ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.33-34 ^ 「サザエさんうちあけ話・サザエさん旅あるき」p289 ^ ● 法住寺(ほうじゅうじ)後白河法皇の身代わりになった不動と四十七士の寺東山district ^ 『アサヒグラフ別冊 長谷川町子絵画館 サザエさんの作者が残した[未発表]美術作品』朝日新聞社、2000年(平成12年)7月25日、ISBN 978-4-02-272138-9。 ^ 長谷川町子『長谷川町子 思い出記念館』朝日新聞社、2001年8月1日、318頁。ISBN 9784022613448。 長谷川町子『サザエさんうちあけ話』(初出は姉妹社。2001年に朝日新聞社『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』で再刊)。 長谷川町子『長谷川町子思い出記念館』 朝日新聞社 1998年、朝日文庫 2001年。 長谷川町子『サザエさん旅あるき』 朝日新聞出版 2001年。 長谷川洋子『サザエさんの東京物語』 朝日出版社 2008年、文春文庫 2015年 - 妹による長谷川家の回想。 高松千代子『ふるさと歴史シリーズ サザエさん物語』 西日本シティ銀行 1993年 - 小学生時代の級友の証言を収録。 樋口恵子『サザエさんからいじわるばあさんへ 女・子どもの生活史』 朝日新聞出版 2016年 - 小学生時代の級友や西日本新聞社勤務時代の上司の証言を収録。 NHKサービスセンター『NHKウイークリーステラ』1992年3月20日号 - BSスペシャルの解説を収録。 『長谷川町子 「サザエさん」とともに歩んだ人生』筑摩書房「ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉」2014年 長谷川たか子『ワカメちゃんがパリに住み続ける理由』ベストセラーズ、2016年 - 姪から見た伯母・町子の思い出。 工藤美代子『サザエさんと長谷川町子』幻冬舎新書、2020年。ASIN B086187CQH。 (Kindle版) 『長谷川町子 昭和を描いた国民的漫画家』平凡社「別冊太陽 日本のこころ」2021年。長谷川町子美術館監修 朝日新聞 - 4コマ漫画を連載(朝刊連載、1951年 - 1974年) 西日本新聞社 - 戦時中、学芸部に所属していた。 田河水泡 - 師匠にあたる。 岩切重雄 - 伯父、政治家、鹿児島市長。 第15回NHK紅白歌合戦 - 審査委員。 九代目 市川海老蔵 - 長谷川町子が婦人公論にて取材をする。 (日本語)
歴史が眠る多磨霊園 長谷川町子 (日本語) サザエさんの作者、謎めく素顔 「動く町子初めて見た」(朝日新聞デジタル2020年(令和2年)1月25日記事) (日本語) 「サザエさん」に会える 長谷川町子記念館、11日開館(朝日新聞デジタル2020年(令和2年)7月9日記事) (日本語) 「動く長谷川町子」の姿に、人々が驚愕…『サザエさん』を生み出した、孤高の天才漫画家の生涯 (「週刊現代」2022年1月29・2月5日号より) 表 話 編 歴 漫画 アニメ 第1作 第2作 第3作 第1作 第2作 第3作 第4作 第5作 第6作 第7作 第8作 第9作 第10作 人物一覧 うちあけ話 旅あるき 似たもの一家 わかめちゃんとかつおくん VS意地悪ばあさんVSいじわる看護婦 マー姉ちゃん わんぱくデニス(映画版) 長谷川町子物語 もしもツアーズ クイズ!それマジ!?ニッポン フルタチさん 日曜THEリアル! 池上彰スペシャル 逃走中 サザエさん効果 サザエさん症候群 長谷川町子美術館 サザエさん銅像 姉妹社 東京サザエさん学会 東芝 サザエさんバス事件 ジョッキーベイビーズ 東宝(東宝チャンピオンまつり) 宝塚映画 フジテレビ FNS27時間テレビ TBS 朝日新聞(全集) フクニチ新聞 エイケン 宣弘社 タケダアワー(武田薬品工業) CX日曜18時台アニメ CX火曜19時台アニメ 新春ドラマスペシャル 2019年世界柔道選手権大会 TBS金曜21:00ドラマ カテゴリ 長谷川町子 長谷川毬子 長谷川洋子 小林一三 青柳信雄 岩城英二 笠原良三 原六朗 神津善行 雪室俊一 城山昇 久保田榮一 加藤みどり 表 話 編 歴 1977年(昭和52年):王貞治 1978年(昭和53年):古賀政男 1984年(昭和59年):長谷川一夫 1984年(昭和59年):植村直己 1984年(昭和59年):山下泰裕 1987年(昭和62年):衣笠祥雄 1989年(平成元年):美空ひばり 1989年(平成元年):千代の富士貢 1992年(平成4年):藤山一郎 1992年(平成4年):長谷川町子 1993年(平成5年):服部良一 1996年(平成8年):渥美清 1998年(平成10年):吉田正 1998年(平成10年):黒澤明 2000年(平成12年):高橋尚子 2009年(平成21年):遠藤実 2009年(平成21年):森光子 2009年(平成21年):森繁久彌 2012年(平成24年):吉田沙保里 2013年(平成25年):大鵬幸喜 2013年(平成25年):長嶋茂雄 2013年(平成25年):松井秀喜 2016年(平成28年):伊調馨 2018年(平成30年):羽生善治 2018年(平成30年):井山裕太 2018年(平成30年):羽生結弦 2023年(令和5年):国枝慎吾 2011年(平成23年):ワールドカップ日本女子代表 表 話 編 歴 春日由三 吉本明光 中山晋平 春日由三 吉川義雄 春日由三 吉川義雄 川村専一 狩野近雄 河上英一 笹本恭彦 明瀬裕 池田太郎 牧定忠 春日由三 吉川義雄 渋沢秀雄 横山隆一 西崎緑 貝谷八百子 田付辰子 メイ牛山 春日由三 吉川義雄 岩田専太郎 勅使河原蒼風 千代の山雅信 小山いと子 吉村公三郎 市川翠穂 マヤ片岡 春日由三 吉川義雄 三國連太郎 小西得郎 栃錦清隆 青木茂高 河上牧子 水木洋子 坂西志保 田村佐紀子 吾妻徳穂 吉川義雄 田中角栄 菊田一夫 若乃花勝治 金田正一 奥むめお 森田たま 細川ちか子 近藤百合子 吉川義雄 横山泰三 水原茂 稲垣浩 朝汐太郎 沢田美喜 杉村春子 戸川エマ 赤堀全子 吉川義雄 木下惠介 大宅壮一 杉浦幸雄 若羽黒朋明 長谷川春子 大濱英子 榊淑子 谷桃子 吉川義雄 秋山登 唐島基智三 柏戸剛 松本幸四郎 中村汀女 田中絹代 秋山ちえ子 江上トミ 長沢泰治 土門拳 高田元三郎 仲代達矢 大鵬幸喜 和田夏十 勅使河原霞 村山リウ 森光子 長沢泰治 工藤昭四郎 東郷青児 森英恵 大山康晴 山内一弘 佐田の山晋松 藤間紫 岡田茉莉子 十返千鶴子 浪花千栄子 長沢泰治 細川隆元 丹羽文雄 實川延若 中西太 栃ノ海晃嘉 飯田蝶子 貞閑晴 新珠三千代 花柳壽輔 佐久間良子 長沢泰治 大林清 北葉山英俊 林与一 古賀忠道 春風亭柳橋 岩下志麻 司葉子 長谷川町子 林美智子 吉屋信子 坂本朝一 円地文子 安達曈子 入江美樹 藤村志保 小絲源太郎 松下幸之助 ファイティング原田 緒形拳 坂本朝一 樫山文枝 五代利矢子 浜美枝 山崎豊子 大佛次郎 尾上菊之助 加藤芳郎 鶴ヶ嶺昭男 中山卯郎 福島慎太郎 木村秀政 西本幸雄 石坂浩二 福原美和 栗原小巻 塩月弥栄子 平岩弓枝 中山卯郎 江夏豊 王馬熙純 榊原仟 鈴木俊一 曽野綾子 高田敏子 藤田弓子 三船敏郎 中山卯郎 浅丘ルリ子 市川海老蔵 今井通子 大谷直子 菅野義丸 佐藤愛子 鶴岡一人 平幹二朗 中道定雄 坂東玉三郎 樋口久子 小林弘 三田佳子 志村喬 武原はん 玉の海正洋 中山律子 仲代達矢 小野田勇 浪花家辰造 大場政夫 宇田川竜男 堀内寿子 大山英子 村山加代子 中山きよ子 樫山文枝 山口果林 高橋信雄 山下迪子 館弘子 石田芳夫 中山紀子 井沢つま 森戸辰男 溝尾正志 花本方美 為久優子 成田知子 桑田たつ子 村上巳里 山下誠 小川善三郎 河野久枝 桑原永子 田川由紀子 佐藤太圭子 山田三智穂 大谷豊二 高橋優子 貴ノ花利彰 赤塚洋文 平内義幸 富岡雅寛 平賀輝子 中川時子 加藤稔 池内淳子 中原誠 森英恵 小林桂樹 中村汀女 井上ひさし 中野貴代 神田好武 真木洋子 輪島大士 高橋洋子 生沼スミエ 棟方志功 村上元三 京マチ子 サトウサンペイ 高田ユリ 尾上菊五郎 寺島純子 北の湖敏満 根本良夫 橋本明治 杉村春子 尾上松緑 栗原小巻 堀江謙一 檀ふみ 魁傑將晃 新垣留美子 根本良夫 尾上梅幸 高橋展子 吉永小百合 加藤剛 三林京子 大竹しのぶ 古葉竹識 三重ノ海五郎 池田彌三郎 浅丘ルリ子 中村梅之助 小野清子 村上隆 堤加蓉子 カロリーナ・ピレス・ド・リオ 若三杉壽人 川上哲治 川口幹夫 市川染五郎 上田利治 旭國斗雄 水島新司 川橋幸子 橋田壽賀子 新井春美 竹下景子 川口幹夫 北の湖敏満 岩下志麻 植村直己 八千草薫 安奈淳 森和人 森下洋子 山本浩二 加藤好雄 若山富三郎 ミヤコ蝶々 菅原文太 大原麗子 松本零士 重兼芳子 古葉竹識 多岐川裕美 加藤好雄 松本幸四郎 陳舜臣 佐久間良子 木田勇 向田邦子 島田陽子 鈴木喜久子 角田好雄 渡辺一雄 石毛宏典 古手川祐子 緒形拳 花井幸子 倉本昌弘 森光子 坂田栄男 高橋洋子 秋竜山 澤地久枝 香川宏 生沼スミエ 玉の海梅吉 森英恵 山藤章二 池上季実子 広岡達朗 村松友視 真野響子 滝田栄 橋田壽賀子 前橋汀子 市川猿之助 香川宏 三船敏郎 松本幸四郎 大原麗子 田淵幸一 樋口久子 松坂慶子 田中裕子 隆の里俊英 谷川浩司 林真理子 胡桃沢耕史 宮尾登美子 山口小夜子 役所広司 菊池綜一 江上由美 釜本邦茂 名取裕子 風間杜夫 石井幹子 連城三紀彦 里中満智子 衣笠祥雄 松坂慶子 市川海老蔵 遠藤利男 三田佳子 中村吉右衛門 高野悦子 小池一夫 武原はん ジェームス三木 山口洋子 吉田義男 大地真央 北尾光司 中野正之 森光子 清原和博 森下洋子 雁屋哲 黒柳朝 加藤芳郎 山崎洋子 渡辺謙 加納みゆき 千代の富士貢 吉岡利夫 若尾文子 中井貴一 森瑤子 江藤俊哉 俵万智 逢坂剛 森口祐子 近藤真一 若村麻由美 北勝海信芳 今西陽一郎 三田佳子 片岡孝夫 伊藤京子 森祇晶 浅野温子 安野光雅 伊勢桃代 新井満 山口智子 千代の富士貢 沖清司 千代の富士貢 いしだあゆみ ねじめ正一 小林浩美 中村勘九郎 村崎芙蓉子 西田敏行 石岡瑛子 斎藤雅樹 渡辺梓 沖清司 山本陽子 中村鴈治郎 諏訪内晶子 野田秀樹 コシノジュンコ 渡辺久信 森口祐子 松岡修造 沢口靖子 真田広之 小林由紀子 増井光子 山崎豊子 秋山幸二 芦原すなお 荻野アンナ 若花田勝 貴花田光司 緒形直人 鷲尾いさ子 田中好子 内林達夫 有森裕子 曙太郎 古賀稔彦 富司純子 中田久美 野茂英雄 村上弘明 伊藤みどり 森光子 高橋克彦 松尾武 三田佳子 米長邦雄 市川團十郎 細川直美 筒井道隆 つみきみほ 松原敏春 平瀬真由美 宮尾登美子 川淵三郎 内館牧子 田村亮子 植木等 野村克也 中丸三千繪 古田敦也 ミヤコ蝶々 曙太郎 古橋廣之進 大林素子 松尾武 イチロー 赤井英和 奥野史子 岩下志麻 羽生善治 南井克巳 賀来千香子 川本ゆかり 市川崑 森光子 上田洋一 古田敦也 田村亮子 天海祐希 竹中直人 原辰徳 水谷八重子 中村紘子 ジョージ川口 柳家小さん 大石芳野 上田洋一 有森裕子 川口能活 江角マキコ 仰木彬 清水市代 中村橋之助 森英恵 桂米朝 大石静 周防正行 大橋晴夫 井原正巳 吉永小百合 片岡仁左衛門 伊藤みどり 佐々木主浩 佐藤夕美子 本木雅弘 篠田節子 谷川浩司 吉行あぐり 大橋晴夫 清水宏保 藤原紀香 琴錦功宗 中村玉緒 松平健 俵万智 ジェームス三木 服部道子 熊川哲也 浅利純子 伊東律子 出島武春 松嶋菜々子 内館牧子 野村萬斎 田村亮子 津川雅彦 草笛光子 阿久悠 福嶋晃子 乙武洋匡 伊東律子 田村亮子 長嶋茂雄 高橋尚子 渡辺謙 池内淳子 佐々木主浩 岡本綾 井上康生 木村佳乃 内藤國雄 出田幸彦 栃東大裕 川原亜矢子 室伏広治 竹田恆和 松岡佑子 唐沢寿明 平良とみ 天海祐希 藤田宜永 森下洋子 出田幸彦 朝青龍明徳 米倉涼子 市川新之助 阿川佐和子 宮本恒靖 仲間由紀恵 高橋由伸 恩田美栄 岩合光昭 岸惠子 中村季恵 浅野ゆう子 五木寛之 優香 三谷幸喜 村山由佳 末續慎吾 村主章枝 武田真治 有馬稲子 星野仙一 中村季恵 野口みずき 野村忠宏 橋田壽賀子 中村勘九郎 荒川静香 滝沢秀明 高島礼子 和田一浩 森光子 日野原重明 琴欧州勝紀 薬師丸ひろ子 野口聡一 長澤まさみ 山田洋次 森光子 上川隆也 眞鍋かをり 林家正蔵 栗原はるみ 渡辺謙 阿木燿子 リリー・フランキー 藤山直美 内野聖陽 横峯さくら 田口壮 吉田都 鎌田實 瀬戸内寂聴 宮﨑あおい 上田桃子 岡島秀樹 青木功 中村勘三郎 新垣結衣 茂木健一郎 坂東眞理子 陣内智則 藤原紀香 本木雅弘 吉田沙保里 太田雄貴 高橋尚子 松本幸四郎 松坂慶子 姜尚中 堀北真希 妻夫木聡 上野由岐子 白鵬翔 草刈民代 阿部寛 深田恭子 原辰徳 勝間和代 城田優 杉山愛 西田敏行 森光子 野口聡一 湊かなえ 岩崎夏海 寺島しのぶ 髙橋大輔 上野樹里 伊勢谷友介 仲間由紀恵 北大路欣也 武良布枝 大竹しのぶ 田中将大 コシノジュンコ 三谷幸喜 鈴木京香 佐々木則夫 鈴木明子 松山ケンイチ 松井冬子 琴奨菊和弘 綾瀬はるか 尾木直樹 澤穂希 中村勘九郎 樹木希林 桂文枝 吉田沙保里 入江陵介 菅野よう子 日馬富士公平 田中将大 滝川クリステル 宮藤官九郎 宮本信子 杉良太郎 風吹ジュン 岡田准一 杏 片岡愛之助 阿川佐和子 中園ミホ 尾上松也 蜷川実花 山中伸弥 井上真央 阿部寛 仲間由紀恵 タモリ 黒柳徹子 羽生結弦 堺雅人 長澤まさみ 大泉洋 土屋太鳳 三宅宏実 上橋菜穂子 所ジョージ 有村架純 又吉直樹 高畑充希 辻沙絵 草刈正雄 新垣結衣 大谷翔平 萩野公介 伊調馨 秋本治 春風亭昇太 村田沙耶香 村田諒太 村上茉愛 加藤一二三 吉岡里帆 高橋一生 宮本信子 鈴木亮平 林真理子 阿部サダヲ 安藤サクラ 池江璃花子 小平奈緒 佐藤健 出川哲朗 永野芽郁 中村勘九郎 夏井いつき 野村萬斎 長谷部誠 井上尚弥 上沼恵美子 サンドウィッチマン 渋野日向子 瀬戸大也 田中圭 戸田恵梨香 中西麻耶 長谷川博己 広瀬すず 吉野彰 黒柳徹子 サンドウィッチマン 杉咲花 染谷将太 チコちゃん 宮崎美子 宮本亞門 室伏広治 吉沢亮 石川佳純 清原果耶 小池栄子 坂口健太郎 谷真海 三谷幸喜 芦田愛菜 黒柳徹子 西村宏堂 羽生結弦 坂東彌十郎 福原遥 松本潤 村上宗隆 森保一 吉田都 北口榛花 国枝慎吾 堺雅人 俵万智 寺島しのぶ 寺田宜弘 バカリズム 吉高由里子 FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ アメリカ ラトビア 日本 オーストラリア CiNii Books CiNii Research Trove(オーストラリア)
IdRef 長谷川町子 日本の漫画家 新聞連載の漫画家 西日本新聞社の人物 朝日新聞社の人物 20世紀日本の女性著作家 博物館・美術館の創設者 博物館の館長 紫綬褒章受章者 勲四等宝冠章受章者 国民栄誉賞受賞者 NHK紅白歌合戦審査員 日本のプロテスタントの信者 無教会 山脇学園中学校・高等学校出身の人物 佐賀県出身の人物 福岡市出身の人物 1920年生 1992年没 多磨霊園に埋葬されている人物 2024/11/18 19:39更新
|
hasegawa machiko
長谷川町子と同じ誕生日1月30日生まれ、同じ福岡出身の人
TOPニュース
長谷川町子と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「長谷川町子」を素材として二次利用しています。