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魔裟斗の情報 (まさと)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

魔裟斗の情報(まさと) 格闘家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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魔裟斗さんについて調べます

■名前・氏名
魔裟斗
(読み:まさと)
■職業
格闘家
■魔裟斗の誕生日・生年月日
1979年3月10日 (年齢45歳)
未年(ひつじ年)、魚座(うお座)
■出身地・都道府県
千葉出身

(昭和54年)1979年生まれの人の年齢早見表

魔裟斗と同じ1979年生まれの有名人・芸能人

魔裟斗と同じ3月10日生まれの有名人・芸能人

魔裟斗と同じ出身地千葉県生まれの有名人・芸能人


魔裟斗と関係のある人

アンディ=サワー: 6月30日の準々決勝ではヴァージル・カラコダに1Rにダウンをもらうも逆転KO勝ち、準決勝では魔裟斗に判定勝ち、決勝は前年と同じ組み合わせとなりブアカーオ・ポー.プラムックと対決。


清水厚: 「武勇伝 」(出演:魔裟斗


川尻達也: 2009年7月13日、K-1 WORLD MAX 2009 FINAL8でK-1ルールで魔裟斗と対戦し、2Rタオル投入によるTKO負け。


ルスラン=カラエフ: 魔裟斗から「ミドル級より速い」と評価されるスピードと異名通りの超高速の連打、バックハンドブロー、バックキック、バックスピンキックを得意とする。


アンディ=サワー: 2009年11月12日、大晦日での引退を表明している魔裟斗との試合が、谷川貞治K-1イベントプロデューサーより発表された。当初、魔裟斗は「今年のチャンピオンと引退試合をしたい」と語っており、世界王者のジョルジオ・ペトロシアンに魔裟斗は「大晦日空いてるかな?」「大晦日、日本で待ってるよ。


小比類巻貴之: 決勝の対戦相手はかつて自身がKOした経験を持ち、その後人気・実力共に破竹の勢いに乗っていた魔裟斗であったが、判定負けを喫した。


ルスラン=カラエフ: また、この試合について解説を担当していた魔裟斗は「2人共ミドル級よりスピードが速かった」と評価していた。


ドゥエイン=ラドウィック: 2002年5月11日、K-1 WORLD MAX 2002 〜世界一決定戦〜の1回戦で魔裟斗と対戦し、0-3の判定負け。


アンディ=サワー: 10月3日の準々決勝ではドラゴに再び右クロスカウンターでKO勝ち、準決勝ではアルバート・クラウスに判定勝ち、決勝は魔裟斗のタオル投入によるTKO勝ち、2度目の優勝を果たした。


水島康貴: 年末の格闘技のイベントPRIDE、DYNAMITEを始め、格闘家魔裟斗、格闘家吉田秀彦引退試合のオープニング曲、美空ひばり追悼コンサートアレンジ、早乙女太一舞台音楽など大きなイベントでの迫力、スケール感のある音楽を担当。


村田諒太: 村田が18歳の頃から魔裟斗がパンチのみのボクシングスパーリングをする際にスパーリング・パートナーとして招聘され拳を交えている。スパーリングでは村田に分があったものの、初めてスパーリングをした時は、当時ボクシングがK-1に人気を奪われていたことから「蹴りが無いパンチだけのスパーリングでは絶対に負けたくない」という意気込みに反して、既にK-1世界王者に輝いていた魔裟斗に劣勢を強いられた。ゴング格闘技で両者が対談した際に魔裟斗は「村田くんの素質の良さは当時から感じていた」と語っている。


レミギウス=モリカビュチス: 2006年4月5日、K-1 WORLD MAX 2006 世界一決定トーナメント開幕戦のトーナメント1回戦で魔裟斗と対戦し、2RTKO負け。


村田諒太: 憧れのアスリートとして魔裟斗と室伏広治をあげている。


小比類巻貴之: 6月30日、K-1 WORLD MAX 2006 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜の準々決勝では魔裟斗と3度目の対戦。


ブアカーオ=ポープラムック: 2004年7月7日、K-1 WORLD MAX 2004に初出場、ジョン・ウェイン・パー、小比類巻貴之を下し、決勝戦では前年優勝者魔裟斗を延長判定で下し、初出場にして優勝を果たした。


武田幸三: 1回戦で小次郎、準決勝で安廣一哉に勝利するも、決勝で魔裟斗に判定負けし、準優勝に終わった。


矢沢心: 2007年2月11日、かねてより交際が報じられていた魔裟斗と6年間の交際、5年間の同棲を経て入籍。


安廣一哉: 一回戦第1試合勝者だった魔裟斗の左足首負傷によるドクターストップにより準決勝でアンディ・サワーと対戦し3-0の判定負けを喫した。


矢沢心: 『夫婦で歩んだ不妊治療 あきらめなかった4年間』(日経BP 2018年2月8日)魔裟斗と共同制作 ISBN 978-4-82225-774-3


佐藤嘉洋: 2008年10月1日、K-1 WORLD MAX 2008 FINALのトーナメント準決勝で、以前から対戦を熱望していた魔裟斗と対戦。


矢野武: 魔裟斗革命(アートポート)


林正明: 後に、世間で話題となる心理テスト・R&B・法律相談・魔裟斗などの流行を先取りし、1年間にわたり記録的な聴取率を残した。


矢沢心: 夫はK-1選手の魔裟斗


ブアカーオ=ポープラムック: 2007年10月3日、K-1 WORLD MAX 2007〜決勝戦〜で魔裟斗と対戦。


矢沢心: 10代後半の頃、友人の運転する車がK-1選手の魔裟斗の家の裏で故障して走行不能に陥ってしまったため、友人が知り合いの魔裟斗に連絡をすると駆け付けてくれた。この出来事がきっかけで魔裟斗と連絡を取り合ったり一緒に出かけるようになり、その後付き合ってから1年くらい経った頃に同棲を開始した。


アルバート=クラウス: 2003年7月5日、K-1 WORLD MAX 2003のトーナメント準々決勝ではアンディ・サワーにダメージによる棄権でTKO勝ち、準決勝ではドゥエイン・ラドウィックに左フックでKO勝ち、決勝では魔裟斗に左フックでKO負けし、準優勝に終わった。


青木真也: この試合は解説を行った須藤元気には「バチが当たった」、魔裟斗には「逃げてちゃ勝てないですよ」と酷評された。


五味隆典: 試合前には「いい勝ち方をしてリング上で言いたいことがある」と発言していたが、試合後のリング上で「大晦日に魔裟斗選手と…無理だよ。やめる!」と大晦日での引退を公表している魔裟斗との対戦を考えていたものの、納得した勝ち方ができなかったことで尻すぼみの発言となった。


佐藤嘉洋: しかし、ライバル視する魔裟斗がK-1 WORLD MAXを背負い体を張って戦う姿勢を見て、「これまでは勝てばいいと思ってやってきたが、KOも大事だなと思うようになってきた。


アルバート=クラウス: 2002年5月11日、K-1 WORLD MAX 2002のトーナメント準々決勝ではシェイン・チャップマンに判定勝ち、準決勝では魔裟斗に判定勝ち、決勝ではガオラン・カウイチットを右フックでKO勝ち、K-1 WORLD MAX初代王者となった。


魔裟斗の情報まとめ

もしもしロボ

魔裟斗(まさと)さんの誕生日は1979年3月10日です。千葉出身の格闘家のようです。

もしもしロボ

結婚、引退、現在、テレビ、ドラマ、家族、映画に関する情報もありますね。去年の情報もありました。魔裟斗の現在の年齢は45歳のようです。

魔裟斗のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

魔裟斗(まさと、1979年3月10日 - )は、日本の元キックボクサー、タレント、俳優、スポーツ解説者。千葉県柏市出身。K-1 WORLD MAX 2003・2008世界王者。ISKA世界ウェルター級王者。

本名・旧リングネームは小林 雅人(こばやし まさと)。妻は女優・タレントの矢沢心。株式会社MASA・CHAEL所属。

所属ジムはシルバーウルフ。

2007年2月11日、女優・タレントの矢沢心と6年間の交際、5年間の同棲を経て入籍。翌2008年4月20日、都内のホテルで結婚披露宴を行った。

2012年6月22日、4年間の不妊治療を経て、第1子女児が誕生。

2014年9月27日、第2子女児が誕生。

2019年1月8日、第3子男児の誕生を報告。

千葉県柏市にて4700グラムで誕生した。小学校2年生の時に両親の都合で千葉県柏市から沖縄県へ引っ越す。小学校6年生の時に再び両親の都合により埼玉県朝霞市へ転居。小学6年次・中学校・高校時代を朝霞市で過ごす。埼玉栄高校へ進学するも中退。高校中退後は10種類余りの職を転々とした。

1994年、15歳でボクシングの名門ヨネクラボクシングジムへ入門。しかしプロテストをドタキャンし、そのままジムを去る。その後、キックボクシングへ転向、17歳で藤ジムへ入門した。

1997年3月23日、全日本キックボクシング連盟でのプロデビュー戦で竹原太と対戦し、1RKO勝ち。

1997年5月30日、小比類巻貴之と対戦し、膝蹴りの連打により3RKO負け。初黒星を喫した。共にデビュー2戦目同士で3回戦の前座扱いであったが、メイン、セミの試合のキャンセルが相次ぎ、繰上げでその日の興行のメインイベントになった。この試合を、『格闘技通信』(ベースボール・マガジン社)は急遽見開き2ページ、オールカラーで掲載した。魔裟斗は敗北したが、魔裟斗の入場シーンを1ページ丸々の一枚写真を使用するという異例の扱いであった。

2000年1月21日、全日本キックボクシング連盟主催『LEGEND-I』のダブルメインイベント(セミファイナル)でモハメッド・オワリ(ベルギー)と対戦予定であったが、魔裟斗が試合出場を拒否し「試合放棄」とされた。3月14日付けで藤ジムと全日本キックボクシング連盟に退会届を提出し、同連盟ウェルター級王座も返上、「シルバーウルフ」所属となった。その後しばらくは、総合格闘技団体・パンクラスの東京道場や新日本キックボクシング協会の伊原道場を間借りして練習を行う。魔裟斗は「自分のジムもなくて、いつ試合ができるかも分からないこの時期が一番つらかった」と語っている。

2000年7月26日、初の自主興行『Wolf Revolution』を開催し、メインイベントでクレイトン・コリヤーに1RKO勝ち。

2000年11月1日、K-1 WORLD MAXの前身に当たる興行『K-1 J・MAX』で、ムラッド・サリ(フランス)とISKAオリエンタル世界ウェルター級タイトルマッチを行い、2Rに左フックでKO勝ち。王座奪取成功。試合後、リング上でマイクを握った魔裟斗は「これからは僕の時代です」と宣言した。この試合は大きなターニングポイントになったと後に語っている。

2000年12月5日、タイで行われた『タイ国王生誕記念大会』でスリヤー・ソー・プルンチットと対戦し、判定負け。小比類巻貴之戦以来、3年6か月ぶりの敗戦となった。

2001年1月12日、Wolf Revolution 〜Second Wave〜にて1年前に対戦予定だったモハメッド・オワリを一方的に打ちのめして3RTKO勝ち。試合後、「俺が逃げたわけじゃないってことが証明できた」とコメントした。

2001年3月30日、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟主催『ODYSSEY-1』で伊藤隆の引退試合(エキシビションマッチ)の相手を務めた。

2002年2月11日、K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメントに出場。1回戦、準決勝共にKO勝ちで決勝に進出し、小比類巻貴之と対戦。判定勝ち。

2002年5月11日、K-1 WORLD MAX 2002 世界一決定戦の準決勝でアルバート・クラウス(オランダ)と対戦。2Rにクラウスの右ストレートでダウンを奪われ判定負け。

2002年10月11日、K-1 WORLD MAX 2002 世界王者対抗戦でアルバート・クラウスと対戦。引き分け。

2003年3月1日、K-1 WORLD MAX 2003 日本代表決定トーナメントに出場。トーナメント2連覇。

2003年7月5日、K-1 WORLD MAX 2003 世界一決定トーナメントの1回戦でマイク・ザンビディス(ギリシャ)と対戦。1R、わずかな隙を見せたザンビディスに跳び膝蹴りを見舞いダウンを奪うも、その後ザンビディスの反撃によりポイントを奪い返され、2-1の判定で辛勝。決勝戦で前年度王者アルバート・クラウスを2R、左フックでKOし、優勝を果たした。

2003年12月15日、『WOLF REVOLUTION meets LUZ』で宇野薫とエキシビションマッチを行った。1Rはキックボクシングルールであったが、2Rは総合格闘技ルールとなり、オープンフィンガーグローブでの戦いを披露した。

2004年7月7日、K-1 WORLD MAX 2004 世界一決定トーナメントでジャダンバ・ナラントンガラグ(モンゴル)、アルバート・クラウスをそれぞれ判定で下し、決勝戦でブアカーオ・ポー.プラムック(タイ)と対戦。連戦によるダメージが蓄積し、なおかつ片目が塞がった状態での戦いを強いられた。ブアカーオの攻撃に為す術もなく3Rにはフラフラの状態で戦っていたのにもかかわらず、3R終了時点判定1-0で延長R突入となり、延長Rで判定負け、準優勝となった。この判定は問題となり、大会終了後の7月9日に「3R終了時点の判定はミスジャッジングであり、不適格かつ不可解」であったとして、角田信朗を始めとした審判員の処分を発表した。また、3R終了時点でブアカーオが3-0の判定勝ちであったことを正式に認証することになったが、公式記録上の変更は行わなかった。

2004年12月31日、K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!で山本"KID"徳郁とK-1ルールで対戦。1R、山本にダウンを奪われた直後、ローキックが山本の金的を直撃し試合が中断する。山本自身「手足が震えた」というほどの致命的なダメージであった。そして5分の休憩の後、精彩を欠いた山本から2Rにダウンを奪い返し、判定勝ちを収めた。

2005年7月20日、K-1 WORLD MAX 2005 世界一決定トーナメント決勝戦の準々決勝でマイク・ザンビディスと対戦。ダウンを奪い判定勝ちしたが、自身の蹴りで左足腓骨を骨折し準決勝を棄権。

2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!で復帰。元プロボクサー大東旭と対戦し、2RTKO勝ち。

2006年6月30日、K-1 WORLD MAX 2006 世界一決定トーナメント決勝戦の準々決勝で小比類巻貴之と通算3度目の対戦。3Rにボディブローを効かせ、直後の左ストレートでダウンを奪い判定勝ち。準決勝でアンディ・サワー(オランダ)に3R終了間際にダウンを喫し判定で敗れ3位に終わる。

2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!において対戦予定だった元WBA世界スーパーフェザー級王者・チェ・ヨンス(韓国)が練習中に負傷したことにより、試合10日前に対戦相手がボクシング元日本ミドル級王者・鈴木悟に変更。結果は2RKO勝ち。

2007年10月3日、K-1 WORLD MAX 2007 世界一決定トーナメント決勝戦では、自ら指名した前年度王者ブアカーオ・ポー.プラムックと準々決勝で対戦。1Rに右ストレートでダウンを奪い、判定勝ち。準決勝ではアルトゥール・キシェンコ(ウクライナ)に2Rにカウンターの左フックでKO勝ち。決勝ではアンディ・サワーと対戦したが、2試合を戦ったダメージの蓄積に加え、サワーの猛攻で足が限界に達し、2R終了時に立ち上がることが出来ず、セコンドがタオルを投入しTKO負け。準優勝に終わった。

2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!で前年に対戦予定であったチェ・ヨンスと改めて対戦。3年続けて元プロボクサーとの対戦となった。1Rにダッキングに合わせたハイキックでダウンを奪うと、その後もパンチやローキックで攻め立てて3Rタオル投入によるTKO勝ち。

2008年10月1日、K-1 WORLD MAX 2008 FINALのトーナメント準決勝で、かねてから魔裟斗との対戦を熱望していた佐藤嘉洋と対戦。3Rに左フックでダウンを奪われるも判定勝ち。当時は「優勢選手に必ず10ポイントを付ける」というルールがあったにもかかわらず、優勢と判断された佐藤嘉洋に9ポイントしか付かなかったため、物議を醸した。続くアルトゥール・キシェンコとの決勝戦でも同様の判定が起こり、延長Rに判定勝ち。2度目のK-1 WORLD MAX世界王者となった。優勝直後にはリング上で「15年間やってきて、1つのことを頑張るといいことがあるって思ったね。皆も色々とあるだろうけど、途中で投げずに続ければ、結果はどうであれ、充実できると思う。はっきり言って俺は99%の努力と1%の才能でここまで来たけど、“継続は力なり”じゃないけど、ずっと続けたことが、このチャンピオンベルトにつながったと思います」とコメントした。

2009年3月22日、東京マラソン2009に出場し、3時間51分41秒で完走した。

2009年4月1日、記者会見を開き、2009年末を以って引退する旨を表明。「大晦日のDynamite!!で今年のトーナメント優勝者と戦いたい」「アンディ・サワーとは2度戦ってまだ勝っていないから、是非ともサワーに優勝してもらって挑戦したい。最後に俺がサワーに勝って終わるのは俺の運命」と発言した。

2009年4月21日、引退発表後の「初戦」として出場したK-1 WORLD MAX 2009 FINAL16で、かねてから魔裟斗が目を掛けていたHIROYAとエキシビションマッチを行った。

2009年7月13日、K-1 WORLD MAXでのラストマッチとなったK-1 WORLD MAX 2009 FINAL8にて、ファン投票で推薦された総合格闘家・川尻達也と対戦。試合決定直後から、川尻の打撃トレーナーも加わり激しい舌戦を繰り広げた。1Rに右ストレートでダウンを奪い、2Rにパンチのラッシュで追い込んだところで川尻陣営からタオルが投入されTKO勝ちを収めた。

2009年10月26日、K-1 WORLD MAX 2009 FINALにてジョルジオ・ペトロシアンが圧倒的な強さで優勝。その直後に魔裟斗はリング上でペトロシアンに対して「大晦日空いてるかな?」「大晦日、日本で待ってるよ。」と挑戦を表明した。しかし、その翌日、ペトロシアンが準決勝山本優弥戦の時点で既に右手の指を骨折していたことが発覚したため、対戦の正式決定には至らなかった。

2009年11月7日、「SILVERWOLF presents FINAL REVOLUTION 〜大宮司進 FINAL〜」で、所属ジムの同僚である大宮司進とエキシビションマッチ(K-1ルール・3分2R)で対戦した。

2009年11月12日、世界王者ジョルジオ・ペトロシアンの右手の指の骨折が完治しないため、準優勝者であり過去2戦2敗のアンディ・サワーとの大晦日での引退試合が決定した。

2009年12月31日、さいたまスーパーアリーナにて行われたDynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜でアンディ・サワーとK-1特別ルール(3分5R延長1R、サワーが希望するシュートボクシングのロングスパッツ着用可)で自身の引退試合を行った。4Rにカウンターの右フックでダウンを奪うもサワーも盛り返し、最終5Rまでもつれ込んだが3-0の判定勝ちを収め、現役を引退した。

2012年5月16日、K-1のエグゼクティブプロデューサーに就任したが、同年12月31日、「主催者側と運営方針などについて考え方の違い」を理由に辞任した。

2014年11月3日にスタートした『K-1 WORLD GP JAPAN』でゲスト解説を務め、現在も継続出演している。

現役復帰

2015年12月31日、東日本大震災チャリティーイベント『NIPPONFIGHT』にて現役復帰試合を行った。相手は2004年の大晦日にK-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!で対戦した山本"KID"徳郁で、結果は判定勝ち。

2016年12月31日、『NIPPONFIGHT』にて一年振りに登場。元PRIDEライト級王者五味隆典とK-1特別ルール(3分5R KOのみの決着。判定決着が無いので、5R終了時点で引き分け)で対戦。5R終了まで行われ、ドローとなった。

第19代全日本キックボクシング連盟ウェルター級王座(0度防衛)

ISKAオリエンタル世界ウェルター級王座(0度防衛)

K-1 WORLD MAX 2002 日本代表決定トーナメント 優勝

K-1 WORLD MAX 2003 日本代表決定トーナメント 優勝

K-1 WORLD MAX 2003 世界一決定トーナメント 優勝

K-1 WORLD MAX 2004 世界一決定トーナメント 準優勝

K-1 WORLD MAX 2007 世界一決定トーナメント 準優勝

K-1 WORLD MAX 2008 世界一決定トーナメント 優勝

アクアピースゴールデンハート賞(2003年) ※アクアピースネットワーク主催

第1回Men's Beauty アワード『Beautyミドル部門』(2019年)

第12回イクメン オブ ザ イヤー2022 スポーツレジェンド部門(2022年)

K-1 WORLD GPシリーズ(2007年 - 2010年、フジテレビ系) - ゲスト解説

K-1 WORLD GP JAPAN(2014年〜、Abema TV、GAORA SPORTS) - 同上

S☆1(2010年4月3日 - 2012年3月25日、TBS系) - メインキャスター兼S☆1ファミリー(コメンテーター)会員No.1

大改造!!劇的ビフォーアフター(2017年10月1日 - 、朝日放送・テレビ朝日系列)- 解体業者兼配管工兼鉄筋工兼渚の弟子

美BODYサロン(2020年5月 - 2021年3月、BSフジ) - MC

解体キングダム(2023年4月5日 - 、NHK総合)

はるちゃん6(2002年、東海テレビ) - 牧周作 役

ドラマ特別企画『生きたい〜家族の命リレー・生体肝移植〜』(2005年1月22日、朝日放送制作・テレビ朝日系列) - 大久保啓太 役

陽炎の辻〜居眠り磐音 江戸双紙〜 第3シリーズ(2009年、NHK) - 雑賀衆:辰見喰助 役

月曜ゴールデン『緑川警部シリーズ』(2009年 - 、毎日放送制作・TBS系列) - 坪井今日介 役

JNN50周年記念 歴史大河スペクタクル 唐招提寺1200年の謎 天平を駆けぬけた男と女たち(2009年11月3日、TBS系列) - 道鏡 役

左目探偵EYE 第3話(2010年2月6日、日本テレビ系列) - 荒井健吾 役

IRIS-アイリス-(2010年4月21日 - 、TBS系列) - ビック 役(T.O.P) 吹き替え

クロヒョウ 龍が如く新章(2010年10月 - 12月、毎日放送・TBS系列) - 星野凌雅 役

水曜ミステリー9『密会の宿8』(2011年12月14日、テレビ東京系列) - 三上秋彦 役

クロヒョウ2 龍が如く 阿修羅編(2012年4月 - 6月、毎日放送・TBS系列) - 星野凌雅 役

プラチナエイジ(2015年5月11日 - 5月29日、東海テレビ) - 大里健二 役

格闘代理戦争 4thシーズン(2019年4月6日、AbemaTV)

DEAD OR ALIVE 2 逃亡者(2000年、大映・東映ビデオ製作) - HOO役

武勇伝(2003年、アートポート) - 矢島龍平役(主演)

IZO(2004年、IZOパートナーズ) - 浪人役

忍者 原題:終極忍者(2004年、アートポート)

軍鶏 -Shamo-(2008年、アートポート) - 菅原直人役

映画ネメシス 黄金螺旋の謎(2023年3月31日公開予定、ワーナー・ブラザース映画) - ジッポ男 役

笑顔のミナモト(2015年、ニッポン放送) - 矢沢と夫婦でMC。

コシノジュンコMASACA(2021年9月26日、10月3日・TBSラジオ) - ゲスト

ケンタッキーフライドチキン 特盛セット

MEN'S TBC 男がエステ・あの人も編(2004年)

FIELDS パチスロ「鬼武者3」

DUBジュエリー

サイバーエージェントFX(現:ワイジェイFX株式会社)(2008年)

ノバルティスファーマ ボルタレンAC(2009年 - )

MASATO-Silver Wolf 写真集 緒方秀美撮影(アスキー 2002年1月1日)ISBN 978-4-75614-015-9

まるごと魔裟斗―2000-2003編(Nippon sports mook)(日本スポーツ出版社 2003年2月1日)ISBN 978-4-93094-367-5

魔裟斗 人生1回(中島耕治著、エンターブレイン 2005年2月1日)ISBN 978-4-75772-224-8

魔裟斗1997-2009 永久保存版―GONG KAKUTOGI Books (ゴング格闘技編集部 イースト・プレス 2009年12月1日)ISBN 978-4-78160-320-9

青春(幻冬舎 2010年3月5日)ISBN 978-4-34401-790-0

夫婦で歩んだ不妊治療 あきらめなかった4年間(矢沢心・魔裟斗著 日経BP 2018年2月8日)ISBN 978-4-82225-774-3

^ 魔裟斗&矢沢心が結婚披露宴「まだ他人事見たい」 スポーツナビ 2008年4月20日

^ “矢沢心が第1子出産 魔裟斗がパパに!”. ORICON NEWS (oricon ME). (2012年6月23日). https://www.oricon.co.jp/news/2013404/full/ 2018年9月3日閲覧。 

^ “[タレント 矢沢心さん]不妊治療(4)会いたくて授かった娘”. yomiDr. / ヨミドクター (読売新聞). (2013年10月3日). https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20131003-OYTEW54190/ 2018年9月3日閲覧。 

^ “矢沢心、第2子出産をブログで発表「娘も私も健康で元気」”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2014年10月1日). https://www.sanspo.com/article/20141001-LUO5E6IWENOTFOTMM6OVUTJCKQ/ 2018年9月3日閲覧。 

^ “魔裟斗、矢沢心夫妻に第3子の長男が誕生「初の男の子、これからが楽しみ」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2019年1月8日). https://hochi.news/articles/20190108-OHT1T50103.html 2019年1月8日閲覧。 

^ 著者・魔裟斗『青春』2010年、6頁。

^ [ウルレボ] 12.15 六本木:大宮司、豪快KO勝ち。魔裟斗は宇野とエキシ BoutReview 2003年12月15日

^ [K-1 MAX] 魔裟斗×ブアカーオのミスジャッジに角田Pが処分 BoutReview 2004年7月10日

^ 魔裟斗vs佐藤嘉洋のジャッジについて角田信朗氏が説明 kamipro.com 2008年10月2日

^ 魔裟斗がマラソン完走「今年はやりたいことがある」 K-1公式サイト 2009年3月22日

^ 【K-1MAX】魔裟斗、引退発表の記者会見全文(1)ラストマッチは大晦日に3分5Rで! 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年4月1日

^ 【K-1MAX】佐藤、長島が敗退!魔裟斗なき世界トーナメントは日本人が大苦戦 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年4月21日

^ 【K-1MAX】魔裟斗、最後の相手が遂に決定!初出場のペトロシアンが世界王者に 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年10月26日

^ 【K-1MAX】魔裟斗の引退試合に暗雲、ペトロシアンに骨折の疑い 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年10月27日

^ 大宮司、引退エキシビションの相手は盟友・魔裟斗 BoutReview 2009年11月9日

^ 【Dynamite!!】12・31魔裟斗、対戦カード決定会見(1)「サワーをKOして『僕の時代が終わった』と宣言する」 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年11月12日

^ スポーツナビ 格闘技|ニュース|魔裟斗EP就任、K-1復活へ「オレしかいない」と発言した

^ 「考え方の違い」K-1魔裟斗EPが辞任

^ アクアピースゴールデンハート賞 NPO法人/アクアピースネットワーク 2016年元日閲覧

^ “『イクメンオブザイヤー 2022』EXILE・松本利夫、大久保嘉人ら5人が受賞”. ORICON NEWS. (2022年10月19日). https://www.oricon.co.jp/news/2253666/full/ 2022年12月20日閲覧。 

^ “NHK『解体キングダム』レギュラー化 伊野尾慧&千賀健永らが“解体現場”と職人技に密着”. ORICON NEWS. oricon ME (2023年3月20日). 2023年4月6日閲覧。

^ “広瀬すず×櫻井翔『映画 ネメシス』に佐藤浩市が“最悪の敵”役で出演 伏線ありの第1弾予告も”. Real Sound映画 (blueprint). (2022年11月18日). https://realsound.jp/movie/2022/11/post-1185583.html 2022年11月18日閲覧。 

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2002 アルバート・クラウス / 2003 魔裟斗 / 2004 ブアカーオ・ポー.プラムック / 2005 アンディ・サワー / 2006 ブアカーオ・ポー.プラムック / 2007 アンディ・サワー / 2008 魔裟斗 / 2009 ジョルジオ・ペトロシアン / 2010 ジョルジオ・ペトロシアン

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2024/11/12 07:41更新

masato


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伊能 繁次郎(いのう しげじろう)
1901年3月10日生まれの有名人 千葉出身

伊能 繁次郎(いのう しげじろう 1901年3月10日 - 1981年6月12日)は、日本の運輸官僚・政治家。運輸事務次官に任じられたのち国政に転身し、参議院議員となり、防衛庁長官などを歴任した。 …

安藤 満(あんどう みつる)
1949年3月10日生まれの有名人 千葉出身

安藤 満(あんどう みつる、1949年3月10日 - 2004年3月27日)は、日本のプロ雀士(九段)。日本プロ麻雀連盟所属。千葉県出身。 国内屈指の実力派プロであり、『むこうぶち』など麻雀漫画の原…

飯口 美穂(いいぐち みほ)
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いいぐち みほ(旧芸名 飯口 美穂、1965年3月10日 - )は、千葉県出身の女優である。身長160cm、70kg、特技は殺陣、日本舞踊、三味線。プロダクション・タンク所属 富豪刑事 はぐれ刑事純…

鈴木 大地(すずき だいち)
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鈴木 大地(すずき だいち、1967年3月10日 - )は、日本の体育学者、元水泳選手、元国家公務員。学位は体育学修士(順天堂大学大学院・1993年)、博士(医学)(順天堂大学大学院・2007年)。順…

児玉 絹世_(タレント)(こだま きぬよ)
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うすね 正俊(うすね まさとし)
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佐野 晶哉(さの まさや)
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鈴木 正雄_(角海老)(すずき まさお)
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鈴木 正雄(すずき まさお、1932年9月18日 - )は、日本の実業家。ソープランド32軒や宝石店やボクシングジム、不動産会社、バスタオル洗濯会社などを擁する角海老グループの創業者・経営者で「ソープ…

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石井 正則(いしい まさのり)
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田中 雅彦(たなか まさひこ、1966年12月10日 - )は、オーストリアのバドミントン選手。身長170 cm。右利き。神奈川県横浜市神奈川区出身。横浜市立松本中学校、神奈川県立鶴見高等学校、京都外…

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岡野 雅行(おかの まさゆき、1933年(昭和8年)2月14日 - )は、日本の工業技術者、経営者。金属加工会社・岡野工業株式会社の代表取締役(社長・ただし2018年に2年後を目途に廃業すると表明して…

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岡野 雅行(おかの まさゆき、1972年7月25日 - )は、神奈川県横浜市港北区出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。元日本代表。現在はガイナーレ鳥取の代表…


佐々木 正洋_(1974年生)(ささき まさひろ)
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佐々木 正洋(ささき まさひろ、1954年7月17日 - )とは、日本のフリーアナウンサー、タレント。元テレビ朝日アナウンサー。所属事務所は株式会社ICH。 福岡県北九州市八幡東区出身。福岡県立小倉…

伊藤 雅俊_(1947年生の実業家)(いとう まさとし)
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伊藤 雅俊_(1924年生の実業家)(いとう まさとし)
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