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Kenの情報 (けん)
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【6月16日】今日誕生日の芸能人・有名人

Kenの情報(けん) ミュージシャン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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もしもしロボ

kenさんについて調べます

■名前・氏名
ken
(読み:けん)
■職業
ミュージシャン
■kenの誕生日・生年月日
1968年11月28日 (年齢55歳)
申年(さる年)、射手座(いて座)
■出身地・都道府県
滋賀出身

(昭和43年)1968年生まれの人の年齢早見表

Kenと同じ1968年生まれの有名人・芸能人

Kenと同じ11月28日生まれの有名人・芸能人

Kenと同じ出身地滋賀県生まれの有名人・芸能人


Kenと関係のある人

ケニー=チェズニー: Cooper, Peter (2007年9月18日). “Kenny Chesney climbs the chart”.


ケニー=チェズニー: McClellan, Laura. “Kenny Chesney Reveals Album Title Change on ‘Good Morning America’”.


コンスタンティノス=ケンテリス: ^ ギリシア語ラテン翻字: Konstantinos Kenteris または Konstadinos Kederis


ブライアン=ハイランド: ^ Ken Foote’s Summer Songs: Two From Brian Hyland CBS June 15, 2017


石橋史匡: ^ Dodgers finalize Minor League coaching staffs Ken Gurnick MLB.com (2015年1月13日) 2015年1月26日閲覧


ケネソー=ランディス: ケネソー・マウンテン・ランディス(英語: Kenesaw Mountain Landis、1866年11月20日 - 1944年11月25日)は、アメリカ合衆国の裁判官。


ケンドリス=モラレス: ケンドリス・モラレス・ロドリゲス(Kendrys Morales Rodríguez, 1983年6月20日 - )は、キューバ共和国サンクティ・スピリトゥス州フォメント(英語版)出身の元プロ野球選手(一塁手)。


ケネニサ=ベケレ: ケネニサ・ベケレ(Kenenisa Bekele, 1982年6月13日 - )は、エチオピア出身の陸上選手。


ジョン=ケネス=ガルブレイス: ジョン・ケネス・ガルブレイス(John Kenneth Galbraith、1908年10月15日 - 2006年4月29日)は、カナダ出身の制度派経済学者である。


崎谷健次郎: 2月、公式ホームページ「moonlighting」を閉鎖し、新たに「KenjiroSakiya.com」を開設した。


イアン=ジーリング: McKenna Shoots for the Stars


スキーター=デイヴィス: 彼女の自叙伝『Bus Fare to Kentucky』(題名は1971年のデイヴィスのヒット曲にちなむ)は、1993年に発表された。


ナイジェル=ケネディ: ナイジェル・ケネディ(Nigel Kennedy、1956年12月28日 - )は、イングランドのヴァイオリニスト、ヴィオラ奏者。


イアン=マクレガン: Jones, Kenney (2019).


清水達也: REDRAVE (Tatsh&NAOKI feat.Kent Alexander)


ケニー=チェズニー: "American album certifications – Kenny Chesney – Welcome to the Fishbowl". Recording Industry Association of America.


横山健: Ken Yokoyama


加古隆: 一方で、フリー・ジャズ仲間のリズム・セクションでトリオ「TOK (トーク)」を結成(TakashiのT、Oliver Johnson(ドラム)のO、Kent Carter(ベース)のK、の頭文字がグループの名前)。


ドクター長谷川: club METROでのレギュラーを続ける中でBLACK MUSICを追求、そして当時「Scratch beat」なるイベント主催を中心に活躍中だったDJ Team、BEAT TRICKS (DJ SHARK, DJ SANCON, DJ SUWA) と1994年に出会い、意気投合、Reggae DJのMonky-KenとRapのMAD TIGER PONEらを含め、ALAMACCA CREW(アラマッカ クルー)を結成。


矢野謙次: 「Danger Zone」Kenny Loggins(2014年)


ケニー=クラーク: Special Kenny Clarke


ダン=ピーター=マッケンジー: McKenzie, D.; Parker, R. L. (1967). “The North Pacific: An Example of Tectonics on a Sphere”.


ローザ=パークス: Kenneth C. Davis, 『


ウィルソン=ピケット: (2017年、Kent Soul)


ケント=デザーモ: ケント・デザーモ(Kent Desormeaux 1970年2月27日 - )はアメリカルイジアナ州ヴァーミリオン郡出身の競馬騎手である。


幸野ゆりあ: 日本民話シリーズ『姉妹の葛藤』「Team Kenichi」(2022年1月) - まい 役


高島信二: 作詞:高島信二、作曲: 高島信二、編曲: Ken(Lionel)shiguma


ダン=ピーター=マッケンジー: McKenzie, D., Molnar, P. & Davies, D., 1970 Plate tectonics of the Red Sea and East Africa. Nature 226, 243–8.


グイド=ヴァンロッサム: ^ Google Mondrian: web-based code review and storage Niall Kennedy's Weblog、2006年11月30日


ロバート=テイト=マッケンジー: ロバート・テイト・マッケンジー(Robert Tait McKenzie RCA、姓は MacKenzieとも、1867年5月26日 - 1938年4月28日)は、カナダ生まれの、医師、大学教授、彫刻家である。


Kenの情報まとめ

もしもしロボ

ken(けん)さんの誕生日は1968年11月28日です。滋賀出身のミュージシャンのようです。

もしもしロボ

音楽性、ソロアーティストとしてなどについてまとめました。ドラマ、現在、映画、卒業、脱退、父親、家族、趣味に関する情報もありますね。Kenの現在の年齢は55歳のようです。

Kenのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

ken(ケン、本名:北村 健(きたむら けん)、1968年11月28日 - )は、日本のギタリスト、シンガーソングライター、音楽プロデューサー。

ロックバンド・L'Arc〜en〜Cielのギタリスト。元SONS OF ALL PUSSYSのボーカリスト・ギタリスト、元D'ARK〜EN〜CIEL、元P'UNK〜EN〜CIELのドラマー。

学生時代から様々なバンド活動を行っているが、本格的な活動は1992年にL'Arc〜en〜Cielへ加入した頃から始まる。kenの演奏したギターが入ったスタジオ音源が販売されたのは、同バンドがオムニバスアルバム『Gimmick』に提供した楽曲「VOICE」が初となる。L'Arc〜en〜Cielではメインコンポーザーの一人として、現在までにミリオンセラーを記録した「花葬」や「NEO UNIVERSE」の他、「眠りによせて」「Vivid Colors」「夏の憂鬱」「the Fourth Avenue Café」「虹」「winter fall」「浸食 〜lose control〜」「forbidden lover」「叙情詩」「MY HEART DRAWS A DREAM」「DAYBREAK'S BELL」「CHASE」「Wings Flap」などの楽曲を作曲している。なお、kenは、L'Arc〜en〜Cielにおいて一番多く作曲を担当しており、このバンドで手掛けた作曲数はアレンジ違いを除き、50曲を超えている。

2002年には、元L'Arc〜en〜Cielのドラマーであるsakuraからの誘いがあり、日本でファッションモデルとして活動していた友人のEinを加えた3人でスリーピースバンド、SONS OF ALL PUSSYSを結成している。このバンドでは当初、1980年代後半から1990年代にかけて隆盛だったオルタナティヴ・ロックに寄った楽曲を制作・発表していたが、徐々に様々なアプローチで楽曲制作を行うようになり、約5年間ほど不定期で活動が続けられた。ただ、2006年に出演したライヴイベントを最後に、現在まで活動が止まっている。

そして2006年からは、Ken名義でソロアーティストとしても活動を始めている。ソロ名義の活動においてKenは、基本的にボーカルを務めており、楽曲によってはギター、ピアノ、キーボード、プログラミングを担当している。さらにこのソロワークスでは、洋邦さまざまなアーティストの楽曲のカバーや、自身が好んで聴いてきた1970年代・80年代の頃のハードロックを彷彿とさせるギタープレイが光る楽曲を制作・発表している。なお、Kenは現在までに、アルバム2作品、シングル・単曲配信3作品、映像作品1作品を発表している。

他には、MUCCやBAROQUEなどのバンドの楽曲制作にプロデューサーとして参加したり、清春のアルバム制作にギタリストとして招聘されている。

マネジメントは、L'Arc〜en〜Cielと同様に、MAVERICKが担当。所属レーベルは、MAVERICK内に設けられた、DANGER CRUE RECORDS。

1968年11月28日に滋賀県米原市内の病院にて生まれる。血液型はAB型で、姉が1人いる。ちなみに自身が在籍するL'Arc〜en〜Cielでリーダー兼ベーシストを務めるtetsuyaは、同郷で幼馴染の関係にあたる。

バンドメンバーやファンからの愛称は「kenちゃん」。

幼い頃は姉と遊んだり、友人と外で遊ぶことが多かったという。また、この頃は家にあった映画音楽のレコードをよく聴いていたという。中学に入ったあたりからエイジアなどのバンドや、日本のニューミュージックを聴くようになっている。

そしてkenは中学生の頃から、姉が使わなくなったフォークギターを触るようになった。初めてギターを触った頃を振り返り、kenは「姉貴が買ってもらったものだったんだけど、全然弾けないから放ってあったギターが家にあった。で、なんとなく、別に何か弾きたいっていうわけじゃなかったんだけど、単純に触ってみたいっていう興味だけで、そのギターに触ってみたいと思って、触ってみたらなんか楽しくって…ずっとそのまま。もらっちゃった!みたいな感じ」「ただ、人の曲を弾こう思ってコード譜を見ても、すごく難しくて上手く弾けなかったんですよ。それで、開放弦を利用してEmをEm7にしてみたり、FをFMaj7にしてみたり、自己流で崩して弾いたときの、響きの美しさに魅了されて好きになりました」と述懐している。その後、kenはエレクトリック・ギターを手にし、音楽に傾倒していくこととなる。

さらにこの頃は、実家の向かいに住んでいる一つ上の先輩(愛称:コウちゃん)の家に、近所に住んでいた一つ下の幼馴染のtetsuyaと3人で放課後に集まり、ほぼ毎日レコードを聴いていたという。kenは1996年に発売されたインタビュー本で、この頃のエピソード振り返り「俺が先にコウちゃんちに帰ったら、後からそこへtetsuが帰ってくる。その頃ってレコードを買ったらまずそこで聴く!みたいな感じだった。新しいのを見つけたらテープに録って、こんなんあるよ!とか。いろいろ聴きながらウダウダしてたよなぁ、ずーっと」と述懐している。なお、この3人の集まりは、一つ上の先輩が高校を卒業するまで続けられたという。ちなみにkenは、中学校の文化祭で初めてステージに立っており、オジー・オズボーンのコピーをしている。ちなみに、kenはこのときヴォーカルを担当しており、「ミスター・クローリー」をア・カペラでコピーしたという。

高校に入学した後は卓球部に入るが、本格的な練習を強いられる部活だったようで、次第に行かなくなり帰宅部になったという。そしていろいろなバンドにギターで参加するようになり、この頃から自分で曲を書くようになった。kenはこの当時について「ギター弾きながらオリジナルを作ったりしてた」「でも友達はコピーが中心だったな。俺ね、コピーは苦手だったんですよ。それに、なぜか曲を作りたい!っていう気持ちが強かった。だからと言って、その先それでどうすんだろう?っていうのはなかった」と語っている。余談だが、kenは高校の頃にtetsuyaに誘われ、ギタリストの脱退したByston-Wellに参加したことがあった。ただ、大学進学のため、わずか1年ほどでByston-Wellを抜けている。なお、後年tetsuyaは、この当時のkenについて「kenちゃんは当時からいい曲を書いていた」と述懐している。

上記のように高校生の頃からバンド活動、作曲活動を行っていたが、プロミュージシャンになろうという強い思いもなく、高校3年生になったタイミングでは「とりあえず大学に進学しよう」を考えていたという。そしてkenは、名古屋工業大学工学部への進学を決めている。なお、kenの家系には"教師"の職に就いている者が多かったため、当初kenは「先生もいいかな」と思っていたという。しかし、教師ではなかった父親からの反対もあったため、工学部への進学を決めたという。後年kenは、教師を目指すことを父親に反対されたエピソードについて「先生家族だったせい、その裏返しだったのかもしんない」と語っている。

大学に進学したものの、ken曰く「明確に何になりたいっていうのはなかった」といい、大学へ行ったり行かなかったりを繰り返していたという。この頃を振り返り、kenは「1年行って、1年全く行かなくなってとか。で、また1年行ってとか。そういう感じだったな」「人生がどこ行くかっていうのが決まることなのに、それほど深く考えてなかった」と述べている。こうした生活の中でkenは、再び何の気なしにバンドを始めるようになり、音楽の道も漠然と考えるようになったという。kenは当時のバンド活動について「バンドをやりつつ、なんかちょっと違うなぁ…と思うと、学校に行ったりとか。そういういい加減な感じで毎日を過ごしてましたね」と述懐している。

そして大学で専攻を選ぶ頃になると、kenは学業に興味が移り始めていったという。kenは、学業に興味が移り始めたころの心境について「学校に行きだすと、学校の面白さが今度は出てきてね。専門の授業が面白くなってきて。"ああ、これはこれで面白いな"と思いつつ、だからバンドと大学での勉強が、並行して進んでいった」と述懐している。なお、kenが大学4年生のときに入った大学の研究室は、市之瀬敏勝が助教授を務めていた、コンクリートの耐震強度などを研究するゼミであった。市之瀬は、学生時代のkenについて「ピアスして前の方に座ってね、結構質問してくるんだよね。だいたい僕は授業のときには出席って全然取らない。だから人の名前って全然覚えないんだけど、北村君(=ken)の名前だけは覚えてたね。それで4年のときに(ゼミに)来てくれたから嬉しかった」と述懐している。一方、kenは市之瀬のゼミの印象について「なんか難しい話が、先生と話してると、なぞなぞみたいになってくる…なぞなぞって言うと変だけど、"勉強"じゃなくなってくるから。"勉強!勉強!"じゃなくして話せてたから、いいなぁって思ってた」と述べている。

こうして建築学を専攻し始めたkenだったが、ゼミに入って約2ヶ月ほど経った1992年のある日、tetsuyaから「L'Arc〜en〜Cielに加入してくれないか」という電話が来ることになる。当時のL'Arc〜en〜Cielは、初代ギタリストのhiroが脱退してしまった頃で、新たなギタリストを探していた最中であった。そして、L'Arc〜en〜Cielのボーカリストであるhydeがtetsuyaに「kenは、どう?」という提案をしたこともあり、kenに加入打診をする流れとなった。hydeは、kenにバンド加入の打診をした背景について「以前から、kenの存在は知ってたんだ。tetsuyaの幼なじみで一緒にバンドをやってた人ってね。L'Arc〜en〜Cielのライヴにも何回か来てて、挨拶程度しかしてなかったけど、kenがやってるバンドのデモテープを聴かせてもらったりしてて、すごくいい曲を書くし、すごくカッコいいギターを弾くなって思ってたから、すぐに思い浮かんで」と2012年に発表した自叙伝で述懐している。

tetsuyaがバンド加入の打診をしたときにkenは、学業と並行して就職活動も行っており、とあるゼネコンの一次面接に通った段階にあったという。そしてkenは、就職とバンド加入のどちらを選ぶか数日間考え、音楽の道に進むことを決断し、L'Arc〜en〜Cielへの加入を承諾する。こうしてkenは、L'Arc〜en〜Cielが当時活動場所としていた大阪に移ることになった。なお、kenはこのタイミングで大学に退学届を出しておらず、あえて休学としていた。そして1997年に当時のドラマー、sakuraが逮捕されたことによりバンドが活動休止した際に、再び大学に通い、翌年3月に卒業している。

そして、2006年には自身初のソロシングル「Speed」をリリースし、Ken名義でソロ活動を本格的に開始している。kenは、バンド活動と並行しながら現在までソロワークスを進めており、洋邦さまざまなアーティストの楽曲のカバーや、自身が好んで聴いてきた1970年代・80年代の頃のハードロックを彷彿とさせるギタープレイが光る楽曲を数多く制作している。なお、kenはソロ名義の活動ではボーカルを担当している。ちなみにkenは、ソロ1stシングルを発売した際のインタビューで「ゲイリー・ムーアのカバーをライヴでやってみたら楽しいんじゃないかな、なんて考えてた」「そもそも(ゲイリー・ムーアの)「エンプティ・ルーム」をライヴでやりたいから、レコーディングしたい。けどカバーだけだとおかしいかなと思って、タイトル曲を自分の曲にっていう順番」と語っており、カバーをやってみたいという思いから、ソロ名義の作品リリースがスタートしたことを示唆している。

さらに2008年からは、MUCCやBAROQUEといったバンドの音源制作の場でプロデューサーを担当するようになっている。また、2004年に旧友の清春が発表したソロアルバム『poetry』の収録曲「唯一遠くへ」、2021年にCharがアーティスト全体総指揮、楽曲提供、プロデュースを担当したチャリティーソング「We Love Music」の制作にギタリストとして参加している。そして2022年には、逹瑯(MUCC)に自身初の楽曲提供を行っている。なお、逹瑯に提供した楽曲「the love letter feat.DURAN」には、DURAN(ex.Made in Asia、ex.a flood of circle)が制作に参加している。

音楽活動以外では、かつて音楽雑誌『WHAT's IN?』で編集者やスタッフとの雑談を文字起こしした「放談我報」、音楽雑誌『音楽と人』で自身の日常を綴った「Ken牛乳」が連載されていた。なお、この2つの連載は、2010年に単行本『放談我報X』、2013年に単行本『Ken牛乳』としてそれぞれ刊行されている。また、雑誌『Weeklyぴあ』では2005年10月から約2年半にわたって「IRON MAIKEN」という対談企画が連載されていた。この企画は、L'Arc〜en〜Cielが在籍するレーベル、Ki/oon Recordsに当時所属していたアーティストを中心にゲストを招き、kenと"ヘヴィメタル"をテーマに対談するというもので、セイジ(ギターウルフ)や宇多丸(RHYMESTER)、PUFFY、チャットモンチー、DOES、DISCO TWINS、TAKE(FLOW)、GOT'S(FLOW)らとの対談が行われた。また、2007年1月には企画タイトルの元ネタとなったヘヴィメタル・バンド、アイアン・メイデンのギタリストであるエイドリアン・スミスとの特別対談が掲載されている。

(※) 太字はバンドもしくはユニット。正式メンバーとして参加していないバンドに関しては除外。

DOBERMAN

Byston-Well

THE CLARE

L'Arc〜en〜Ciel (1992年 - 現在

    D'ARK〜EN〜CIEL (1995年 - 1996年)

    P'UNK〜EN〜CIEL (2004年 - 2012年)

    SONS OF ALL PUSSYS (2002年 - 2006年)

    Ken (2006年 - 現在

    音楽性

    パート

    L'Arc〜en〜Cielでは、本職のギターだけでなく、楽曲によってはピアノやキーボード、プログラミング、マニピュレート、パーカッション、オートハープ、ヴィブラフォン、タンバリンをレコーディングで担当している。さらに、L'Arc〜en〜Cielのパートチェンジバンド、D'ARK〜EN〜CIELではKën D'Ark名義で、P'UNK〜EN〜CIELではKEN P'UNK名義でドラムを担当している。

    L'Arc〜en〜Cielのライヴでは「静かの海で」や「LOVE FLIES」でコーラスを担当しているが、スタジオ音源でコーラスを担当している楽曲は少ない。ただ、2002年にSONS OF ALL PUSSYSでボーカルを担当するようになって以降は、「Coming Closer」や「Pretty girl」など、自作した楽曲のレコーディングでコーラスを時折担当するようになっている。また、「winter fall」「Butterfly's Sleep」「finale」「ALONE EN LA VIDA」の弦編曲、「LOST HEAVEN」のキーボード編曲、「Pretty girl」の管編曲を担当しており、外部のアレンジャーと共同で作業を行っている。

    2006年から開始した、ソロ名義での活動では、メインボーカル・ギターを務めており、ほぼすべての楽曲の作詞・作曲・編曲・プロデュースを自らの手で行っている。また、曲によってはピアノ、キーボード、カリンバを担当している。

    楽曲制作

    kenが在籍するL'Arc〜en〜Cielは、"メンバー全員がソングライター"というバンドスタイルを採っている。kenはL'Arc〜en〜Cielの楽曲の作曲を一番多く手掛けており、作曲数はリアレンジ音源などを除き50曲を超えている。そのためkenは、メンバー全員が作曲を担当するかたちを採っているL'Arc〜en〜Cielというバンドにおいて、中心的なコンポーザーに位置付けられる。ちなみに、L'Arc〜en〜Cielのメンバーであるhydeは、kenが作る楽曲について「L'Arc〜en〜Cielの核」と表現したことがある。なお、結成初期のL'Arc〜en〜Cielでは、コード進行やオケを作った者が作曲者としてクレジットされることが慣例になっていたが、1996年に発表したシングル「風にきえないで」(作曲:tetsuya)からは作曲者がオケに加え歌メロも制作するようになっている。

    ちなみにken曰く、オリジナル曲を作り始めたのは高校生の頃だったという。kenは、高校生の頃を振り返り「ギター弾きながらオリジナルを作ったりしてた」「友達はコピーが中心だったな。俺ね、コピーは苦手だったんですよ。それに、なぜか曲を作りたい!っていう気持ちが強かった。だからと言って、その先それでどうすんだろう?っていうのはなかった」と述懐している。また、kenは高校の頃にtetsuyaに誘われ、ギタリストの脱退したByston-Wellに参加したことがあったが、このバンドではkenが作ったオリジナル楽曲も演奏していたいう。そして、kenが学生時代に趣味の一環で制作していた楽曲は、L'Arc〜en〜Cielの1stアルバム『DUNE』に、「Taste of love」「Be destined」としていくつか収録されることになった。なお、6thアルバム『ark』に収められた「Butterfly's Sleep」の制作では、kenがByston-Wellに在籍していた頃に作った楽曲のメロディの一部が採用されているという。

    L'Arc〜en〜Cielが活動初期の頃に発表した1stアルバム『DUNE』から3rdアルバム『heavenly』に収められた楽曲は、ken作曲の楽曲が半数以上を占めており、「Voice」や「As if in a dream」「風の行方」「Vivid Colors」「ガラス玉」など、kenが作る曲を中心にアルバムが制作されている。ただ、メジャーで発表したアルバム2作のセールスが振るわなかったことで、レコード会社のスタッフに「ラルクは売れない」と言われるようになったという。こういった声を耳にしたkenは、1996年に開始した『True』の制作で、マスへのアプローチを意識し、ポップなメロディをつけた楽曲の制作に取り組むことにしたという。後年kenは、2004年に受けた音楽雑誌のインタビューで、アルバム『True』を制作していた頃の心境について「(L'Arc〜en〜Cielが)売れねえって声が聞こえた時、自分が一番曲を書いていたんです。で、"曲が悪いんだろう"、"俺が悪いんだろう"、"そりゃ売れねえの作ってるよ、俺は"と思ってたわけです。そこから始まったのかもしれない」と述懐している。そしてkenは、このアルバムから「Lies and Truth」や「the Fourth Avenue Café」「Fare Well」といったストリングスやホーンを大々的に導入した音源も手掛けるようになった。また、kenはこの頃から、楽曲にキーボードの音色を多く採り入れるようになっている。ken曰く、かつてはギター、ベース、ドラムといったロックバンドの基本的なフォーマットでない、キーボードの音を大幅導入することに葛藤があったという。後年kenは、この時期から多様な楽器を取り入れていった背景について「キーボードを入れたら、煌びやかに、世に言う"まとまって聴こえる"みたいな、レンジもおさえられるしこういう作り方もあるなとは思っていたんですけど、これをやっていいのかどうか...結果やっちゃったんですけど(笑)。そこがL'Arc〜en〜Cielに関わる人間として脳みそを切り替えた一番のポイントかもしれないですね」と述懐している。

    その後sakuraがL'Arc〜en〜Cielから脱退することになり、活動休止期間を経て、新たなメンバーであるyukihiroと5thアルバム『HEART』を制作することになるが、その際kenは「こんな時期に(売上)枚数のこと言う人もいない」ということで、前作『True』で確立したL'Arc〜en〜Cielなりのポップ・ミュージックを基本としながらも、『True』とは違うアプローチで音源制作を行うようになった。また、このアルバムに収録された「Shout at the Devil」や「fate」に表れているように、徐々にオルタナティヴ・ロックやグランジに寄ったギターアプローチで制作を行うようになっていった。

    ちなみにkenは、L'Arc〜en〜Cielがヒットを飛ばしていた1999年頃に、アップテンポの明るい楽曲を制作できなくなっていたという。その理由について、kenは当時「周りから過剰に明るい曲を求められてるような空気を感じたとたんに、もう全然書けなくなって」と述べていた。ただ、L'Arc〜en〜Cielの活動が2001年から約3年ほど止まった間に心境の変化が生まれ、2004年に発表した9thアルバム『SMILE』以降は、時折明るいポップ・ミュージックを手掛けるようになっている。ちなみにken曰く、L'Arc〜en〜Cielの活動休止期間に、SONS OF ALL PUSSYSとして野外ロックフェスへ参加したり、観客としてフェスを観に行ったことが、明るい曲を書くひとつのきっかけになったという。kenは、2004年に受けたインタビューにおいて「(これまでは)明るい曲って受けつけなかったんですね。(中略)でも、(L'Arc〜en〜Cielの活動が止まった)3年の間に明るい曲が人を元気にしたり、カーステで鳴らしてイエーイっていうだけでも音楽の意味があるんじゃないかと思い始めて。そういう曲も書いてみたいなと思って書き始めた」「前だったら打ち込みっぽい曲を作ってみようとか、変拍子でビックリさせようとか、アルペジオとか使ってザ・キュアーみたいな雰囲気でバッキングトラックを作ったらどうかとかがあったんですけど...今はまた立ち返って、こういうふうなとか、ああいうふうなとか、ラウドロックとか、ハードロックとか、"何とかロック"じゃなく、シンプルなロックを上手く自分達が楽しめてやれればいいなと思った」と心境の変化を述べている。なお、9thアルバム『SMILE』の制作では、1960年代・70年代の頃のフォークとロックを意識したポップスとして「Feeling Fine」を作曲している。

    kenが作曲したL'Arc〜en〜Cielの代表的な楽曲として、バンド名の日本語訳でありバンドにとっての代表曲でもある「虹」や、ミリオンセラーを記録した「花葬」「NEO UNIVERSE」があげられる。さらにkenは、チャート首位を飾った「winter fall」や「MY HEART DRAWS A DREAM」「DAYBREAK'S BELL」も作曲している。

    また、kenは他に、ボサノヴァを思わせるアレンジに歪んだギターサウンドをのせた「眠りによせて」や、ピアノの弾き語りのような「瞳に映るもの」、レゲエをブレンドした「Wind of Gold」、変拍子を多用したオカルティックな印象のある「浸食 〜lose control〜」、マーチング・ビートのようなドラミングと壮大な上ものが印象的な「forbidden lover」、浮遊感の強いシンセサイザーのサウンドが印象的な映画音楽のような「the silver shining」、ギターリフが印象的なハードナンバー「THE NEPENTHES」、クラシカルなイントロからモダンな16ビートに展開する「叙情詩」、ラテンのリズムを採り入れたシンセ・ポップテイストの「Wings Flap」など、様々なジャンルの境界線を越えたボーダレスな楽曲を制作している。さらにkenは、トラディショナルな趣のあるサウンドが印象的な「Coming Closer」や、ゴシックやインダストリアルから派生したダーク・エレクトロのムードを纏った「EVERLASTING」も作曲している。なお、ken曰く、この2曲は「架空の異国民謡」を意識して作ったといい、2004年に発表した「Coming Closer」に関しては「一つの転機になった」と述べていたことがある。

    2002年から活動を開始したインディーズバンド、SONS OF ALL PUSSYS(略称:S.O.A.P.)では当初、1990年代のオルタナティヴ・ロックを意識した楽曲制作が行われていた。kenは1stミニアルバム『GRACE』を発表した当時に受けたインタビューで「(結成)当時口にしてたのはスマッシング・パンプキンズとかジェフ・バックリィだったけど、そういう空気感っていう程度」と語っており、同アルバムに収録された「A Song For You」や「PRIVATE RELIGION」は結成時のコンセプトで録音作業が行われていたという。また、L'Arc〜en〜Cielでの楽曲制作・ライヴ制作と異なる点として、同期モノの少ないサウンド作りが為されている。kenは、S.O.A.P.でのギターアプローチについて「自然にローコードが増えてきたり、同期モノがないから、ベースと歌との間を埋めていくような雰囲気のギターが増えてきてはいるね」と述べている。ちなみにS.O.A.P.では、L'Arc〜en〜Cielとして活動していた時期や活動休止期間にデモ制作が行われたものの、音源化されていなかった音源も発表されている。なお、2ndミニアルバム『gimme A guitar』に収録された楽曲「gimme A guitar」は結成前からデモがあり、シングル「Paradise」のカップリングとして収録された楽曲「Moving on」は発表の約10年以上前からデモ音源が存在していた。

    2006年から開始したソロ名義の活動において制作された楽曲は、kenが学生時代に好んでいたハードロックやヘヴィ・メタルの要素を随所から嗅ぎ取ることができる「Deeper」「S」「Blow」の他、「Repose in Sound Sleep」のようなピアノ・インストゥルメンタルを手掛けている。kenはアルバム『IN PHYSICAL』を発表した際に受けたインタビューで、ソロ名義で制作した楽曲について「「In Physical」とか「My Angel」のソロとかは、曲調はこうだけどこういう要素がほしいよなってとこで(ひらめいた瞬間に)パッと弾いちゃってるから、やっぱハードロックが好きなんだなっていうところが出てるなって(笑)、後になって思います」「ギターソロはアドリブで、これは弾きすぎてるとかそうじゃないとか、考えずに弾いたからかな?その分、不確定要素が強いというか。たとえば、「In Physical」は打ち込みでずーっと作ってきてて。そこにぐにゃぐにゃした有機的な要素を入れたいなと思ってギターをポンと入れて。だから、ハードロックな要素を入れようとしてるわけじゃなかったんですけど、慣れ親しんでるのがそこ(ハードロック)だから、ああいう感じになるっていうことですよね」と述べている。また、2010年にソロ名義で発表したミニアルバム『The Party』では、ライヴのバックバンドメンバーを務める白田一秀(PRESENCE、GRAND SLAM)と秦野猛行(L'Arc〜en〜Cielサポート)とのコライト体制で音源制作を行っている。コライトを取り入れた経緯・効果について、kenは「自分ひとりの瞬発力で作ってたとしても、その手前には自分の経験があって、そこから曲なりが出てくるじゃない?でも共作だと、ほかの人の経験なんて知らないし、人の感覚なんてわからないところから突然出てくる」と述べている。他には、映画で使用された楽曲のカバーや、ライヴイベント「MUCC Presents Trigger In The Box」で披露した50分に及ぶアンビエントセッションの音源を「Ambient before the Trigger (Live at Trigger In The Box 2019)」というタイトルで発表している。

    自身の曲作りのスタンスに関して、kenは「無理矢理、作ろうとするのではなくて、その時に自分が感じる空気をそのまま曲にするという作り方ですね。空気って、説明するのが難しいんですけど、それがあるかないかでまったく違うんですよ。そのなかに空気がなかったら、作る意味はないかなって、ちょっと思います」と語っている。 また、kenは、自身の思うポップ・ミュージック像について「特殊なものが整合性を持った時にポップになると思ってる」「凄く難しいことなんですけど、その時代を背負ってなきゃいけないくせに、その時代と一緒になったらダメなんですよね。と、思ってるんですよ。そこの隙間を見つけた時だと思う」と述べている。

    さらにken曰く、自身の楽曲制作には、飽き性な性格が影響しているという。kenは、2010年に受けた音楽雑誌のインタビューで「何回もその方法でやってくうちに、自分が飽きちゃうのも知ってるから。もう1回やろうよってなった時、自然にそうなればいいけど"あの方法があったじゃん"でやるのは、後なぞりな気がして嫌なんですよ」「あの時自然にやってたことが、方法論のひとつになっちゃうのが嫌なのかな。だから逆に、飽きるほどやったことないもんね。飽きるほどやったことないくせに、その手前で、飽きたら嫌だなって、ずっと言ってる」「"お、そういうことしたことないねえ"って思った時が、いちばんワクワクする」と述べている。このようにkenは、その時々の気分で音源制作の方向性や手法をガラリと変えることが多い。例えば、L'Arc〜en〜Cielとして「fate」「花葬」「forbidden lover」を制作していた頃は特定のテンポにこだわって作ってみたり、「NEO UNIVERSE」の制作ではメジャーのコードから始まる曲を意識的に作ってみたり、「Wings Flap」では普段使うソフトウェア・シンセサイザーを敢えて使わずデモを作っている。

    L'Arc〜en〜Cielの共同プロデューサーを務める岡野ハジメ(ex.PINK)は、作曲家・ギタリストとしてのkenの印象について「kenは楽曲制作する上で<構築モード>と<一期一会モード>の2つの人格がある」と評している。また、岡野は「曲の構造が彼の中に構築されてる場合は最初から凄く緻密」と語っている。ちなみにkenは、2010年に受けた音楽雑誌のインタビューの中で、自身の作曲姿勢について「気分のタイミングで動いた方が、脳みそにあるイメージを出しやすい人間なのかなと思う。だからアレンジとか進んでても、"思いついたからこれ!"とか、"いろいろ言ってたけどやっぱそれなし!"とか、そうやって作ってる方が、自分としてはスムーズで」「完璧という言葉に対して、もうどうでもよくなってる。俺の中の完璧と、人の言う完璧は違うのかもしれないなあ。繊細かつざっくりやりたいというか。行き当たりばったりみたいなやりかたは、そのざっくり感が欲しいんだと思う」と語っている。このようにkenは、楽曲を緻密に構築していくアプローチと、自分の感覚で試行錯誤していくアプローチを、その時の気分で使い分けながら楽曲制作を行っていることがうかがえる。

    なお、kenは、ほかのメンバーが作曲した音源のレコーディングにおいても、中心的なポジションで制作に携わることが多い。hydeは、コンポーザー・アレンジャーとしてのkenについて「自分達にはわからないレベルの音楽的な部分は、彼に一任しているので。(中略)彼が作ってくるデモの時点でかなり完成されてるんで。そういう意味で、彼の曲じゃない曲をやる時にも頼りになるっていう感じです。常に上にいる人って感じかな」「(バンドメンバーの)みんな、kenには一目置いてると思う。アレンジ面だったり、エンジニア的な音質の部分だったり、ダビングの構築であったり。もちろん、作曲家としても他に類を見ない存在で。自分と比べても、音楽的に優れてる」と述べている。また、tetsuyaは、kenについて「彼はギターに対してというよりも全体を見てるから。ギタリストだからそれをギターでやろうっていうタイプじゃなくて、全体を考えてる」と述べている。

    さらに岡野ハジメは、kenのアレンジワークについて「kenちゃんはアレンジができて、譜面の読み書きもできる人です。彼と仕事をしていて、凄く勉強になったのは…(中略)kenちゃんは内声に凄くこだわるんですよね。ギタリストだからでしょうけど、ミッドのところをどうするか、歌と他の楽器の音が当たっていないか、ストリングスの中でビオラの帯域をどうするか?といった、内声の動きにこだわるんです」と評している。また、ロックバンド、THE NOVEMBERSの小林祐介は、kenが作る楽曲の印象について「kenさんは作曲の理論だったり、ギターでいうボイシングやグルーヴの作り方、アンサンブルの組み方にいつもハッとさせられます」と述べている。

    ちなみにkenは、L'Arc〜en〜Cielでの作品づくりについて「<音は音でしかない>って僕が思ってるのは事実なんですけど、hydeの歌詞が乗ったとき、そこには何かがあるんですよね」「hydeがバンドの顔として言葉を綴ってまとめ上げていることによって、僕の音楽に対する節操のなさがバリエーションとして響いているんだろうし、さらにtetsuのプレイやyukihiroのプレイによっても、アルバムがちゃんと筋が通ったものになって行っているんだろうなと思う」と語っている。また、kenは音楽を作るという行為や、リスナーと音楽を共有する感覚について「何かの本を読んで、科学者や音楽とか芸術をする人は、結局は神の存在を感じさせる作業をしていると。で、音楽は放っといたとしても、科学の人なんていうのは、こまいこまい事実を繋ぎ止めてって、結局はすごい細かい現実的なことを突き付けるんだけど、それの結果、感覚としては"神はいるかも"みたいな、逆の感覚に至るみたいなのが――神って、宗教的な話じゃなくね、"おお、素晴らしいな、世界って"みたいな気分でいいと思うんですけど――音楽にもそういうことがあるのだと。"この部分はこうだ"と脳みそではわかってしまった上でも。そこで"わかったわかったわかったよ"じゃなくて"わかったわかった。それをこうしてこうして、こうしてやり遂げることによって、素晴らしき気分を聴いてくれる人と共有できたらな"っていう、何て言うんでしょうね。バンドをやっていくひとりとして、なんかちょっと"目標ができてうれしいな"みたいな気分ですね」と述べている。

    音楽ルーツ・音楽的嗜好

    1970年代・1980年代のハードロック、ヘヴィメタル、ニュー・ウェイヴを特に好きなジャンルとしてあげている。他には映画音楽やボサノヴァ、プログレッシブ・ロック、オルタナティヴ・ロック、オルタナティヴ・メタル、そして日本のニューミュージックなどを好んで聴いている。

    音楽に興味を持ち始めたのは、小学生の頃、家にあったニーノ・ロータ作曲の「ゴッドファーザー 愛のテーマ」などの映画音楽が収められたレコードを聴いたことがきっかけだったという。後年kenは、映画音楽のレコードを聴いていた当時の心境を振り返り、「なんかすごい切ない気分になるんすよね、ああいうの聴いてると。なんで小学生があんな切ない気持ちになってたのかわかんないですけど、切なかったですね」「悲しいのに気分がいいんですよね。あれは不思議な気分ですよね」と述べている。他に映画音楽では、ジョン・ウィリアムズやジョン・バリーなどが手掛けた曲を当時よく聴いていたという。また、映画を通じて、そのアーティストの楽曲を聴き始めることも多かったようで、自身が2021年に音楽ストリーミングサービスで公開したプレイリストには、ボブ・ディランやマイルス・デイヴィス、ハリー・ニルソン、ビル・コンティ、B・J・トーマスなどが制作した映画音楽・主題歌を多く組み入れている。ちなみにkenはソロ名義で、映画『いそしぎ』に使われた楽曲「シャドウ・オブ・ユア・スマイル」、映画『奇跡の海』に使われた楽曲「イン・ア・ブロークン・ドリーム」のカバー音源を発表したことがある。また、kenはソロ名義で開催したライヴツアー「Ken TOUR 2010 “Hey! Join The Party!”」で、映画『バグダッド・カフェ』に使われた楽曲「コーリング・ユー」をカバーしたこともある。

    ちなみに幼少期の頃は、自身の父からの影響で映画音楽やニニ・ロッソを、姉からの影響で松山千春をよく聴いていたという。なお、kenは2009年に、松山千春の楽曲「白い花」のカバー音源をソロ名義で発表している。

    中学生になった頃には、日本のニューミュージックを聴くようになったが、友人の影響から徐々にハードロック、ヘヴィメタルに傾倒していったという。kenは1996年に受けたインタビューで、HR/HMを聴くようになった経緯について「昔からいたんだけど、そのコも徐々にそうなってきたのかな?そのコとよく遊んでたから、そのコの家に学校帰り寄ったりしてレコードを聴かせてもらった。"コレいいんだよ"とか、聴かされたのがハードロックで、ものすごい音で、"なんじゃぁぁぁっ!"みたいな衝撃で、すげぇと思った」と述懐している。この当時のハードロックあるいはヘヴィメタルでは、ゲイリー・ムーアやジョン・サイクス、マイケル・シェンカー、イングヴェイ・マルムスティーン、レッド・ツェッペリン、スコーピオンズやアイアン・メイデン、アルカトラス、アクセプト、オーヴァーキル、クリーター、デフ・レパード、スレイヤー、パンテラなどを聴いていたという。なお、kenは2008年に発行された単行本『IRON MAIKEN』の中で、「無人島に持っていくメタルのアルバム3枚」という質問に対し、ジューダス・プリースト、ヴァンデンバーグ、ブラック・サバスの作品をあげている。余談だが、kenはこの当時、友人の家に集まって音楽を聴いていたというが、そこには後にL'Arc~en~Cielのベーシストとなるtetsuyaもいたという。こういった背景があり、kenはソロ名義で開催したライヴにtetsuyaをゲストとして招待した際、当時2人が聴いていたトゥイステッド・シスターの楽曲「ウィー・アー・ノット・ゴナ・テイク・イット」をtetsuyaとセッションしている。また、中学生になってからは、ハードロックやヘヴィメタルの他に、エイジアやピンク・フロイド、キング・クリムゾンといったプログレッシブ・ロックもよく聴いていたという。

    なお、上記のように中学生時代からHR/HMに夢中になったが、1980年代後半から流行したLAメタルにはあまり傾倒しなかったという。kenは2006年に受けた音楽雑誌のインタビューで「LAメタルとかも聴くには聴いたけど、そこまでハマらなかった。まわりにはジョージ・リンチが好きな人とか、多かったけど」と語っている。ちなみに、1990年代・2000年代以降に隆盛を迎えたメタルバンドでは、アリス・イン・チェインズ、ネヴァーモア、メシュガー、コーン、ラムシュタイン、システム・オブ・ア・ダウン、テキサス・ヒッピー・コアリションなどを聴いているようで、これらアーティストの楽曲を自身のプレイリストに入れ、音楽ストリーミングサービス上にアップしている。

    HR/HMをよく聴くようになったkenだったが、暗さを求めて徐々にニュー・ウェイヴやポストパンクへ興味が移っていくことになる。この頃の心境の変化について、後年kenは「元々ハード・ロックの中でも、(ギター)ソロがキレイだとか、ガッツがあるっていう部分のほかに、暗いところが好きだったりして。けど、そういう部分がハード・ロックじゃ足りない面もあるんだよねって話をしたら、ザ・キュアーを勧められて」と述べている。前記のジャンルとされるアーティストでは、ザ・キュアーやデペッシュ・モード、U2、ザ・スミスのジョニー・マーが在籍していた頃のザ・ザなどを好んで聴いていた。特にザ・キュアーのサウンドメイキングは、L'Arc〜en〜Cielの活動最初期の楽曲制作において、ひとつのイメージになっていたという。kenは、2004年に受けたインタビューで「アルペジオとか使ってザ・キュアーみたいな雰囲気でバッキングトラックを作ったらどうかとかがあった」と述懐している。ちなみにkenは、数多くの好きなギタリストの中でもジョニー・マーの名前を頻繁にあげているが、ザ・ザに在籍していた頃が特に好みだったと語っている。後年kenは、ジョニー・マーのギタープレイについて「バッキングのパターンとか、シンプルだけど印象に残るし、アルペジオとかメロディーとか、すごくカッコ良かったんで、ザ・ザ時代のジョニー・マーが好きなんだよね」と述べている。また、他のアーティストでは、ロイ・ブキャナンやジミ・ヘンドリックス、イギー・ポップ、サンタナ、ママス&パパス、イーグルス、ラモーンズ、バッド・ブレインズ、デヴィッド・シルヴィアン、ジャパン、アンビシャス・ラバーズ、ジョン・ゾーンが手掛ける楽曲も好きで聴いていたという。さらに、カーティス・メイフィールドやリー・リトナー、パット・メセニー・グループ、ビル・フリゼールといったソウルやジャズ・フュージョンも好んで聴いていたという。

    ちなみにkenは、自身の音楽観が変わるきっかけになったアーティストとして、ボブ・マーリーやポリスといった、レゲエもしくはレゲエの要素を含んだ楽曲を手掛けるミュージシャンの名前をあげたことがある。kenは2004年に受けたインタビューで、前記のアーティストに惹かれた理由について「そのリズム感を感じさせるためのメロディとか、そのリズム感を感じさせるためのヨレ方を取り入れると、演奏するほうも聴いている方もハッピーになれると感じた」と述べている。また、1997年に訪れたイギリス・ロンドンで観たライヴの中で、印象に残ったアーティストとしてザ・フーやニック・ケイヴの名前を出していたこともある。

    他にもkenは様々なジャンルの音楽を聴いており、ジェフ・バックリィ、ストーン・テンプル・パイロッツ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、スマッシング・パンプキンズ、プラシーボ、コールドプレイ、ヤー・ヤー・ヤーズといったオルタナティヴ・ロックや、アビー・リンカーン、カーペンターズ、ビースティ・ボーイズ、フィッシュボーン、スタイル・カウンシル、フェアーグラウンド・アトラクション、トレイシー・チャップマン、スウィング・アウト・シスター、ドクター・ドレー、ブレナン・ハート、エスタス・トンネ、スカーロードなどが手掛ける楽曲を好んで聴いているという。また、クラシック音楽やボサノヴァも好きで時折聴いているという。

    余談だが、kenは2000年代後半以降、自身が主催もしくは出演したライヴイベントなどで、頻繁にカバーを披露している。kenはこれまでに、アントニオ・カルロス・ジョビン作曲の「デサフィナード」や、エヴァリー・ブラザースの楽曲「クライング・イン・ザ・レイン」、ジョン・サイクス&フィル・ライノットの楽曲「プリーズ・ドント・リーヴ・ミー」、ユーリズミックスの楽曲「ヒア・カムズ・ザ・レイン・アゲイン」、ブラーの楽曲「ソング2」、フォール・アウト・ボーイの楽曲「サンクス・フォー・ザ・メモリーズ」、コールドプレイの楽曲「ヴィヴァ・ラ・ヴィダ」、レディー・ガガの楽曲「バッド・ロマンス」を披露したことがある。他には、44MAGNUMの楽曲「STREET ROCK'N ROLLER」や、GRANDSLAMの楽曲「INTO THE NIGHT」といった日本のハードロックバンドのカバーも行っている。

    ちなみにkenは2007年に受けたインタビューで、自身が好む音楽について「上手く言えないんですけど、パッと浸れるもの ――自分がパッと聴いて浸れたり、見えてる景色が違って見えたり、目を瞑ったら違うところに行けたりっていう、音楽ってそういうものだと思ってて。だからアブストラクトな音楽でもポップとされている音楽でも、それさえあればいいなと思ってるんですよね」と述べている。

    L'Arc〜en〜Cielのライヴ開演前に流されたken選曲のオープニングBGMのプレイリスト一覧

    ソロアーティストとして

    kenは、2006年8月にKen名義でシングル「Speed」をリリースし、ソロアーティストとしての活動を開始した。Kenは当初、2002年に結成したSONS OF ALL PUSSYSを、2006年から再始動することも検討していたが、結果的にソロ名義で作品をリリースすることにしている。Kenは、2006年にSONS OF ALL PUSSYSの活動を再始動しなかった理由について、「2005年末のSONS OF ALL PUSSYSのリハのとき、なんかもっと歌詞を伝えるようになりたいなぁ、なんてことを思いつつ。で、それは"とにかくYeah!"って言ってるっていうものとはちょっと違うじゃないですか、歌詞を伝えることと。そんな気分になってるんだよねって話はメンバーに伝えて。その後、しばらくそのままの状態だったのかな。で、年が明けてからも、SONS OF ALL PUSSYSっぽい曲がなかなかできないねぇ…みたいな感じで。そうこうしてる間も、メンバーそれぞれがチョコチョコ忙しくしてたっていうのもあって、なんとなくSONS OF ALL PUSSYSは離陸せずに今に至るって感じかな」「L'Arc〜en〜Cielのライヴで秦野(猛行)さんがずっとキーボードを弾いてくれてるでしょ。で、ライヴツアー「AWAKE TOUR 2005」のときの秦野さんのインプロビゼーションとかも、本当に素晴らしいなと思いながらライヴをやってたから、一緒になんかできたらいいなと思った」と述べている。

    また、Ken曰く、ソロ活動を始めるきっかけのひとつには、「ゲイリー・ムーアのカバーをやってみたい」という思いがあったという。Kenは2006年に受けた音楽雑誌のインタビューで「実はそれ(=ゲイリー・ムーアをカバーしてみたいこと)は前から思ってたんだよ。SONS OF ALL PUSSYSでも"ゲイリー・ムーアの「エンプティ・ルーム」を演りたい"って、何回か言ってたけど、たぶん冗談だと思われたんだろうと思う(笑)」「そもそも「エンプティ・ルーム」をライヴでやりたいから、レコーディングしたい。けどカバーだけだとおかしいかなと思って、タイトル曲を自分の曲にっていう順番だから」と語っている。このように、他アーティストのカバーをやってみたいという思いがソロ活動開始の背景にあったことから、これまでに4曲のカバーが音源として発表されている。さらにソロ名義で開催したライヴにおいても、頻繁に他アーティストの楽曲のカバーを披露している。

    このソロプロジェクトでKenは、ボーカルを務めており、楽曲によってはギター、ピアノ、キーボード、プログラミングをレコーディングで担当することもある。また、2010年に発表したミニアルバム『The Party』では、ツアーサポートを務める秦野猛行と白田一秀(PRESENCE、GRAND SLAM)とコライトで楽曲制作を行っている。Kenはミニアルバム発売時に受けたインタビューで、コライトに取り組んだ経緯・効果について「自分ひとりの瞬発力で作ってたとしても、その手前には自分の経験があって、そこから曲なりが出てくるじゃない?でも共作だと、ほかの人の経験なんて知らないし、人の感覚なんてわからないところから突然出てくる」「お任せというか。音さえ良ければ何の抵抗もないんだよね。どんな曲調でも」と語っている。

    ちなみに、Kenのソロワークスのアルバムレコーディングでは、ベーシストのTAKASHI(BUG、ex.DIE IN CRIES)がほぼ固定で参加しているが、ドラマーに関しては様々なミュージシャンが招聘されている。なお、これまでに、宮脇“JOE”知史(44MAGNUM, ex.ZIGGY, RIDER CHIPS, MADBEAVERS)や村石雅行(FAZJAZ.jp、ex.KENSO)、永井利光、長谷川浩二(Cube-ray)、湊雅史(ex.DEAD END)、真矢(LUNA SEA)といったドラマーがレコーディングに参加している。そして現在に至るまでバンド活動と並行しながら、作品リリースとライヴ活動を続けている。なお、現在までにソロ名義で、アルバム2作品、シングル・単曲配信3作品を発表している。

    また、Kenは2016年・2017年に、自身が主宰するライヴイベント「PARTY ZOO」を開催している。このイベントには、自ら声をかけて集めた後輩バンドたちが多く参加している。また、近年はMUCCやBAROQUEといったバンドのアレンジ作業や楽曲プロデュースも行っており、活動の場を広げている。

    C.H.Lion Rag baby

    Kenがソロ名義で発表したライオンをモチーフにしたマスコットキャラクターで、通称はラグベベ。

    ラグベベは、Ken名義で主催したライヴに登場したり、新譜リリースに関する告知をTwitter(現:X)やブログで行ったり、Kenの活動のサポート役として活動している。また、近年は様々なゆるキャライベントに参加しており、2013年に参加した「ゆるキャラグランプリ2013」(通称・ゆる-1)では、企業枠において335体のキャラクターがエントリーする中、10位に入賞されている。

2024/06/11 04:57更新

ken


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