2月 - 女性のための政治スクールを設立。事務局長に就任した。
6月 - 党組織委員長・衆院選選対本部長に就任。
7月4日 - 衆院選に前年の参院選で初当選した細川護熙と小池百合子が立候補し失職。
7月16日 - 前年の参院選比例区5位の松崎哲久は日本新党から除名されていたため、6位の小島慶三と7位の円が参議院議員に繰り上げ当選した。
1994年12月9日 - 日本新党解党、新進党結成に参画(12月10日)。
1997年12月22日 - 新進党離党記者会見。フロム・ファイブ(細川護熙ら)結成に参画。
1998年 - フロム・ファイブ解散、民政党を経て民主党結成(4月27日)に参画。第18回参議院議員通常選挙に民主党公認で比例区から出馬し、再選。
1999年 - 児童買春児童ポルノ禁止法成立に尽力。盗聴法対策委員会事務局長、法務委員会野党筆頭理事として盗聴法成立阻止に尽力。8月11日史上初の本会議での3時間のフィリバスター挙行。10月、議院運営委員会理事、図書運営小委員会委員長就任。
2000年 - 国会対策委員会委員長代理就任。
2001年 - 1月予算委員会理事就任、参議院政策審議会長就任。
2002年10月 - ネクストキャビネット財務大臣就任。12月、民主党副代表に就任。
2003年 - 都知事選での樋口恵子擁立に尽力する。しかし樋口は石原慎太郎に敗れ、落選。民主党副代表に就任。
2004年5月 - 女性初の参議院財政金融委員会委員長に就任。第20回参議院議員通常選挙で3選。9月、ネクストキャビネット国家公安委員会委員長・沖縄及び北方対策担当大臣・防災担当大臣等に就任、中越地震募金開始。
2005年 - 党参議院議員団副会長に就任。8月、被災者生活再建支援法提出。
2006年 - 党副代表再任、党東京都総支部連合会会長、参議院厚生労働委員会筆頭理事、女性のための政治スクール校長に就任。
2007年 - 都知事選での浅野史郎擁立に尽力する。しかし浅野も石原慎太郎に敗れ、落選。
2008年 - 参議院国家基本政策委員会幹事、財政金融委員会筆頭理事に就任。
2009年 - 参議院財政金融委員会委員長に再任。
2010年 - 第22回参議院議員通常選挙に4選を目指し、比例区から出馬したが落選。
2012年 - 第46回衆議院議員総選挙に東京8区から出馬するが自由民主党の石原伸晃に惨敗、比例復活も出来なかった。
2013年 - 第23回参議院議員通常選挙に比例区から出馬するも、個人得票は同党候補20人中15位に終わり落選。
2014年 - 第47回衆議院議員総選挙に東京8区から出馬するが自由民主党の石原伸晃に再び敗れ、落選。
2015年 - 民主党から引退勧告、次期選挙の公認を外され離党。
2016年 - 政治団体「国民怒りの声」に入党。第24回参議院議員通常選挙に比例区から出馬するも落選。
2017年 - 第48回衆議院議員総選挙に東京8区から無所属で出馬。結果は得票率4.7%で得票数が11,997票の6人中5位で落選。法定得票 に達せず、かつ供託金も没収 となった。
2019年 - 5月に国民民主党に入党。第25回参議院議員通常選挙に国民民主党公認で比例区より出馬するも、落選。
2020年12月 - 第49回衆議院議員総選挙に東京17区から国民民主党公認で出馬することが内定する。
2021年10月 - 東京17区から出馬も自由民主党前職の平沢勝栄に惨敗で4候補中4位で(供託金は返還)、国民民主党が比例東京ブロックで議席を獲得しなかったため比例においても落選。
2021年12月 - 次期衆院選に再び東京17区から国民民主党公認で出馬することが内定する。
主張・活動
2003年、超党派の「母と子支援議員連盟」事務局長(会長:丹羽雄哉衆議院議員)として「母子家庭の母の就業の支援に関する特別措置法」を成立させた。
2006年4月26日に東京・永田町の参議院議員会館で行われた「共謀罪に反対する超党派国会議員と市民の緊急院内集会」で呼びかけ人を務めた。
2007年1月31日、柳澤伯夫厚生労働相が女性を「子どもを産む機械」と発言した問題で、柳澤の罷免を求める集会の呼びかけ人を務めた。
2007年11月7日、産科医・助産師の養成数を増やすと共に、助産所の嘱託医・連携医療機関を政府および地方公共団体が確保することなどを求める「身近な地域での安心して産める場所の確保に関する請願」の紹介議員となる。本請願は参議院厚生労働委員会および本会議における審査の結果、採決された(内閣送付)。
2008年5月12日、ガソリン税など道路関係諸税を今後10年間道路財源に充てることなどを規定する道路整備費の財源等の特例に関する法律の一部を改正する法律案に対し、参議院財政金融委員会において反対討論を行う。
2008年5月30日、ハンセン病問題の解決を図るため、請願の紹介議員となる。本請願の提唱団体は、全国ハンセン病療養所入所者協議会。本請願は本会議においてにおける採決の結果、採択(内閣送付)された。
政策
1999年8月11日の参議院本会議において、犯罪捜査のための通信傍受に関する法律の反対演説を2時間8分行った。当時の国会における演説時間としては戦後最長であった。国内における反対演説の最長記録は、1929年の帝国議会(衆議院)における武富濟の5時間30分。戦後の最長記録は、2004年6月4日の参議院本会議における森裕子(民主党)の3時間1分。
選択的夫婦別姓制度をはじめとする民法改正の推進に取り組んでいる。円は国会に選択的夫婦別姓制度の議員立法を初めて提出した議員である。
女子差別撤廃条約選択議定書批准に賛成。