加藤正夫の情報(かとうまさお) 囲碁 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
加藤 正夫さんについて調べます
■名前・氏名 |
加藤正夫と関係のある人
宮沢吾朗: この頃の木谷道場は弟子の数が最も多く一番活気があり、石田芳夫(現二十四世本因坊)加藤正夫(現名誉王座)や趙治勲(現名誉名人)らがいた。 小林光一: 1991年 第15期棋聖戦で加藤正夫王座を4-3で破り防衛。 小林覚: 覚が内弟子になった1967年頃、内弟子にはすでに成人した石田芳夫(現・二十四世本因坊)や加藤正夫(現・名誉王座)、入段したばかりの小林光一(現・名誉棋聖・名誉名人・名誉碁聖)、趙治勲(現・名誉名人)らがいた。 剱木亨弘: 無類の囲碁好きとして知られ、同郷のプロ棋士加藤正夫の媒酌人を務めるなど熱心に後援した。 小林光一: 1993年 第17期棋聖戦で加藤正夫九段を4-3で破り防衛。 井山裕太: また、七大タイトル通算獲得数は32となり加藤正夫名誉王座を抜いて単独3位となった。 石田芳夫: 若手時代は同じ木谷門の加藤正夫、武宮正樹とともに「黄金トリオ」「木谷三羽烏」と呼ばれた。 趙治勲: 第52期本因坊戦で加藤正夫九段を4-0で破り防衛。 村上文祥: 1970年(先3目コミもらい)×加藤正夫 依田紀基: 最初に依田の捨て石の技術を高く評価したのは加藤正夫である。 山城宏: 1984年に王座戦で加藤正夫に挑戦するが0-3で敗退。 小林覚: 1995年最高棋士決定戦で森田道博七段・工藤紀夫九段・兄弟子の加藤正夫王座、決勝3番勝負で同じく兄弟子である小林光一名人に半目負けの後2連勝して優勝。 三村智保: 一次予選(現在の予選Cに相当)から勝ち上がってリーグ入りしたのは、加藤正夫(本因坊リーグ、1967年)とこの時の三村のみである。 藤沢秀行: 続いて1969年、不動産業のために代々木に事務所を開いたが、ここでも若手棋士が集まっての研究会が行われ、林海峰、曺薫鉉、四谷にあった木谷道場の石田芳夫、加藤正夫、武宮正樹、小林光一、趙治勲らが集まり、事務所を閉じる1978年まで続いた。 山田規三生: 早碁選手権戦 準優勝 1994年(決勝で加藤正夫に敗れる) 石田芳夫: 1976年以降の七大タイトル獲得数は2期に留まっており、大竹英雄、加藤正夫、武宮正樹、小林光一、趙治勲といった世代が近い同門のトップ棋士と比べると実績は大きく見劣りしている。 工藤紀夫: 加藤正夫らとともに棋院改革に当たった。 依田紀基: 1997年、第35期十段戦では加藤正夫に2勝3敗で敗れ失冠するが、第22期碁聖戦では結城聡に3勝1敗で勝利し防衛。 村上文祥: 1978年(先4目半コミもらい)×加藤正夫 大平修三: また、加藤正夫より前に「殺し屋」とあだ名された。 彦坂直人: 挑戦手合5番勝負で加藤正夫に3-2で勝利し、中部総本部では羽根泰正以来のタイトル獲得となった。 青木喜久代: 1999年には本因坊戦で女流棋士として初めて3次予選に進出するが、加藤正夫に敗れる。 藤沢秀行: 以後6連覇(対加藤正夫、石田芳夫、林海峰、大竹英雄)により名誉棋聖の称号を得る。 趙治勲: 第26期十段戦で加藤正夫九段を3-2で破り十段位を奪取。 趙治勲: 第42期王座戦で加藤正夫九段を3-2で破り王座位を奪取。 武宮正樹: 同じ木谷実門下の石田芳夫、加藤正夫と並んで「黄金トリオ」「木谷三羽烏」と呼ばれ、木谷一門黄金時代の一翼を担った。 高木祥一: 同年の本因坊リーグでもプレーオフ進出をかけた最終戦で大竹英雄に敗れ4勝3敗となり、リーグ残留プレーオフでも加藤正夫に敗れてリーグ陥落となる非運を味わう。 小林光一: 1988年 第12期棋聖戦で加藤正夫名人を4-1で破り防衛。第13期碁聖戦で加藤正夫九段を3-0で破りタイトル奪取。第13期名人戦で加藤正夫名人を4-1で破りタイトル奪取。 結城聡: 1993年に本因坊戦リーグ入り、翌年のリーグ戦では5勝2敗の同率プレーオフで加藤正夫に敗れる。 坂井秀至: 大学卒業後にプロ入りした棋士として、初のタイトル挑戦者にして初の七大タイトルの獲得者となった(大学卒業者であれば、プロ入り後に大学を卒業した淡路修三がタイトル挑戦者となっている)また、このタイトル獲得は関西棋院にとって、1981年に橋本昌二が加藤正夫を下しこれを得、翌年加藤に敗れ失冠以来29年ぶりの七大タイトル奪取となる。 |
加藤正夫の情報まとめ
加藤 正夫(かとう まさお)さんの誕生日は1947年3月15日です。福岡出身の囲碁棋士のようです。
経歴、主な戦績などについてまとめました。兄弟、現在、結婚に関する情報もありますね。去年の情報もありました。亡くなられているようです。
加藤正夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)加藤 正夫(かとう まさお、1947年3月15日 - 2004年12月30日)は、日本の囲碁棋士。号は「劔正」。名誉王座。 同じ木谷實門下の石田芳夫・武宮正樹とともに「木谷三羽烏」「黄金トリオ」と呼ばれ、名人2期、本因坊4期、王座11期など数々のタイトルを獲得。七大タイトル獲得数歴代4位。棋道賞最優秀棋士賞を7度受賞(歴代2位タイ記録)。 若い頃は力ずくで大石を仕留める豪腕から「殺し屋」のニックネームがあった(なお、加藤の前に大平修三が「殺し屋」とあだ名されていた)が、棋風とは裏腹に穏和で面倒見の良い人柄で人望が厚かった。2004年には日本棋院理事長に就任、日本棋院の改革に取り組むが、2004年暮れに脳梗塞に倒れ、死去した。享年57。門下に大森泰志、岡田伸一郎、鈴木伊佐男、梅沢由香里、小山栄美ら。 妻は書家の加藤石泉。妻の両親もそれぞれ書家である佐々木泰南・佐々木月花であり、佐々木泰南は木谷道場に書の指導に来ていた。 2005年2月8日、その功績により旭日小綬章追贈。 2023年には日本棋院の第20回囲碁殿堂入り 。 経歴1947年、福岡県朝倉郡朝倉町(現朝倉市)にて誕生。1952年、5歳の時に福岡市中央区六本松に転居。1階は店舗で、2階で碁会所を父がはじめる。 1956年、9歳のころに碁を覚える。この頃岡光雄(後にプロ)・上月武志(第1回学生本因坊)・廣畑富雄(九州学生選手権、後に九州大学教授)らの手ほどきを受け上達する。1959年、12歳で木谷實に入門。兄弟弟子たちと切磋琢磨し、徹底的に戦う棋風を身につける。 1964年、17歳で入段。同年、二段に昇段。 1967年、20歳7ヶ月(四段)で本因坊リーグ入り(当時最年少記録)。一次予選(現在の予選Cに相当)からの勝ち抜きでリーグ入りしたのは、この時の加藤と名人リーグでの三村智保のみ。また入段から3年5ヶ月でのリーグ入りは史上最短記録。この頃、すでに木谷道場の仲間からは「殺し屋加藤」と呼ばれていた。同1967年大手合二部優勝。 1969年、本因坊リーグを5勝2敗で勝ち抜いて林海峰本因坊への挑戦権を獲得。22歳での挑戦は当時最年少で、また五段での挑戦は初めてのことで注目を集めたが、挑戦手合に2-4で敗れる。また、1970年に行われた、翌25期の本因坊リーグ戦で「布石の高川」と呼ばれた高川秀格九段に対して、黒番の93手で高川の大石を取り、勝利した碁が有名となる。 また、五段から七段にかけて大手合28連勝の記録をつくる。この後、各種棋戦で挑戦者あるいはトーナメント決勝まで進むが、タイトル戦で8連敗。「挑戦王」「万年二位」「常敗将軍」と呼ばれるトンネルの時代が続く。また「藤沢秀行に続く、ポカの多い棋士」と呼ばれた。 1970年、1971年大手合一部優勝。 1976年 (29歳) 第1期碁聖戦で兄弟子大竹英雄を降して初タイトルを獲得。また、林海峰から十段位を奪取、以後4連覇。 1977年 (30歳) 武宮正樹を4-1で破って第32期本因坊位を奪取し加藤劔正を名乗る。以後3連覇。書家・佐々木泰南の四女・泉と結婚。 1978年、棋聖戦で藤沢秀行に挑戦するが3-4で惜敗。一方で第4期天元戦では決勝で藤沢秀行を破って優勝し、以後4連覇。 1979年、各タイトルを防衛するとともに王座と鶴聖のタイトルを手にし、本因坊・十段・天元を含めた五冠王に輝く。 1981年、趙治勲名人に挑戦。 1982年、橋本昌二から王座を奪取し、以後8連覇。 1983年、趙治勲から十段位を奪取。勝った3局は全て半目勝ちで、「殺し屋加藤」から「ヨセの加藤」へとモデルチェンジに成功したといわれた。 1986年、小林光一名人をから名人位を奪取。 1987年、40歳で名人、十段、王座、碁聖の四冠を達成。賞金ランキング1位。 1988年、小林光一棋聖に挑戦。 1990年、羽根泰正に敗れ王座を失う。これにより、1976年の十段位獲得以来続けてきた七大タイトル連続保持の記録が途絶える。しかしその後も1993年に藤沢秀行から王座を奪取、1995年に趙治勲本因坊に挑戦、1997年に依田紀基から十段位を奪取し趙治勲本因坊にも挑戦するなど活躍を続けた。 2002年には王銘琬を破って55歳3か月で23年ぶりに本因坊位に復位、史上最年長の本因坊となった。 2002年に日本棋院副理事長、2004年に理事長となり制度の改革などに取り組んだが、2004年12月30日に脳梗塞により死去。生涯通算記録は1254勝663敗2持碁1無勝負。 主な戦績色付きは現在在位。
1976年〜1990年まで14年6ヶ月にわたって七大タイトルを保持し、これは日本囲碁界最長記録。七大タイトルのうち、棋聖を除くすべてのタイトルを獲得した。 生涯戦績1254勝663敗2持碁1無勝負(勝数史上4位)。 2024/06/26 18:48更新
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katou masao
加藤正夫と同じ誕生日3月15日生まれ、同じ福岡出身の人
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