もしもし情報局 > 野球 > 栃木県 > 小関竜也

小関竜也の情報 (おぜきたつや)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【5月19日】今日誕生日の芸能人・有名人

小関竜也の情報 (おぜきたつや) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、出身地]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

小関 竜也さんについて調べます

■名前・氏名
小関 竜也
(おぜき たつや)
■職業
野球選手
■小関竜也の誕生日・生年月日
1976年7月24日 (年齢47歳)
辰年(たつ)、獅子座(しし)
■出身地・都道府県
栃木出身

小関竜也と同じ年に生まれた芸能人(1976年生まれ)

小関竜也と同じ誕生日の人(7月24日)

小関竜也と同じ出身地の芸能人(栃木県生まれ)


TOPニュース

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕

嵐の松本潤が事務所を退所し独立を発表!本人メッセージもインスタに投稿

高橋一生飯豊まりえが結婚!「岸辺露伴は動かない」で共演

フジテレビの生田竜聖アナウンサーが再婚

元子役の若山耀人容疑者、殺人容疑で再逮捕

フィギュアスケートの宇野昌磨が引退会見!

落馬した吉田隼人騎手近況。藤井勘一郎元騎手がツーショット写真を公開

水原一平が歯の治療費930万円を…


小関竜也

もしもしロボ

小関 竜也(おぜき たつや)さんの誕生日は1976年7月24日です。栃木出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

選手としての特徴、登場曲についてなどについてまとめました。現在、テレビ、引退、ドラマに関する情報もありますね。今年の情報もありました。現在の年齢は47歳のようです。

小関 竜也(おぜき たつや、1976年7月24日 - )は、栃木県佐野市出身の元プロ野球選手(外野手)、コーチ、野球解説者。左投左打。2003年シーズン途中から2004年までの登録名は小関 竜弥(読み同じ)。2020年からは埼玉西武ライオンズのコーチを務める。

長女はアイドルグループ・カントリー・ガールズに所属していた小関舞。

実家は佐野市内にある佐野ラーメンの有名店「万里」。

国学院栃木高校では、エース投手兼主将兼四番打者を務めた。3年夏の県大会は3回戦で先発完投し、延長12回を14奪三振の力投も敗退。なお、同学年の控え投手は渡辺俊介(後に千葉ロッテマリーンズ)だった。

慶應義塾大学への推薦入試を受けて不合格となり、1994年度プロ野球ドラフト会議にて西武ライオンズから2位指名を受けて投手として入団。入団後に打者へ転向。

1996年、10月4日の対近鉄バファローズ25回戦の8回裏に笘篠誠治への代打として一軍初出場を果たすが、同年中の出場はこの1試合のみだった。

1997年も1試合の出場に留まる。

1998年には104試合に出場し、同年のパシフィック・リーグ(パ・リーグ)最優秀新人に選出された(パ・リーグで入団4年目の新人王は小関が初で、2021年時点では唯一)。高卒でプロ入りした野手の受賞は2021年現在までで、パ・リーグでは小関が最後。

1999年は123試合の出場で打率.268、1本塁打、34打点、16盗塁を記録し、初めて規定打席に到達をした。

2002年には自身最高の打率.314を記録。松井稼頭央との不動の一・二番コンビを形成し、リーグ最多の43犠打を記録。自身初のリーグ優勝を経験した。読売ジャイアンツ(巨人)との日本シリーズ第2戦(10月27日、東京ドーム)では、1回表二死満塁で巨人・桑田真澄が二塁へ牽制球をした際、三塁走者だった小関はその隙をついて本塁を狙ったが、返球が早くアウトとなった。このチャンスを逃した西武は巨人打線に打ち込まれ、西武打線は桑田に抑えられ、チームはストレートの4連敗で日本シリーズ優勝を逃した。

2003年は、打率3割は逃したが、5三塁打とリーグ最多の32犠打を記録した。

2004年は赤田将吾や佐藤友亮が台頭したこともあり、レギュラーとして出場できず、90試合の出場に終わった。ただしリーグ優勝を決めたプレーオフ第二ステージの第5戦では、10回表の先頭打者で決勝点の口火を切る二塁打を放った。

2005年は、選手会長に就任し飛躍が期待されたが、開幕スタメンは前年台頭した赤田将吾や佐藤友亮に奪われる。4月2日の試合中に佐藤が負傷し長期離脱(9月に復帰)となったが、自身はそのチャンスを生かせず47試合の出場に終わり、打率.198と低迷した。シーズン終了後に大幅減俸を提示された事もあり、メジャーリーグへの挑戦を申し出た結果、西武は小関を功労者であるとして自由契約とした。

2006年2月8日、守備および送球の良さを買われ、ミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約。メジャー昇格を目指していたが、4月13日に球団のマイナー選手の外国人枠が埋まっていることが判明。その後の交渉も不調で残留は困難と判明。2日後の4月15日、巨人の入団テストを受けて合格。

2006年に、「打者走者以外の塁空過で打者の本塁打が取り消される」というNPB史上初の珍事を演じている(→幻の本塁打一覧)。6月11日に行われたセ・パ交流戦の千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)の3回表、二死一塁でロッテ・渡辺俊介から李承燁が打球を右翼側外野スタンドに直接叩き込んだが、プレイ再開後にロッテ・今江敏晃が一塁走者だった小関の三塁空過をアピール。これが三塁塁審の西本欣司に受け入れられて小関はアウトになった。既に二死だったため、李の得点は認められず、従って本塁打も取り消された。李には単打が記録された。

この件に関して、後の2009年5月26日に放送された『斉藤一美 うるわしの夜』(文化放送)に出演した際に、本人は「踏んでないわけない。踏まないなら変な感触がある」「フジテレビにはベースを踏んだ映像が残っている」「(その時の審判を)今でも許せない。死ぬまで許せない」「今はインターネットがあるのでいつまでも残ってしまう」「清武英利代表が『小関は踏んだ』ということをアピールしてくれてうれしかった」と語っている。この年の巨人は故障者が続出し、小関も入団後は出場機会があったが、打率.258で本塁打0に終わり、救世主とはならなかった。

なお、小関は西武時代にも1999年6月25日の福岡ダイエーホークス戦でも三塁を空過してアウトになっている。

2007年は若手選手が台頭したこともあり、二軍でも出場機会が得られないまま戦力外通告を受ける。同年の12球団合同トライアウトで2本塁打を打ち、横浜ベイスターズへの入団が決定。石井琢朗は、正式な球団発表の前に小関からの「よろしくお願いします」という旨の電話があったことを自身のブログで明かしている。石井は小関と同郷であり、自主トレを一緒に行うなど親交がある。

2008年は開幕戦に先発出場し、開幕から4試合連続で複数安打(その内1試合は猛打賞)を記録するなど絶好調であったが、5月に入り失速。その後は主に左の代打として起用された。8月半ばに登録を抹消されるとその後の一軍出場はなかった。10月1日に戦力外通告を受ける。守備では無失策を記録し、持ち味は発揮していた。

2009年は2度目のメジャーリーグ挑戦を目指し、3月にコロラド・ロッキーズのトライアウトを受けるが不合格。4月14日に現役引退を発表。

引退後は野球評論家としてJ SPORTSで解説を務めた(ただし、解説者としての初仕事は「NACK5 SUNDAY LIONS」のゲスト解説)。

2011年から2016年は古巣巨人の二軍外野守備走塁コーチ。2017年からは二軍打撃コーチを務め、2018年をもって退団。

2019年からは西武OBとしてフジテレビTWOとテレ玉の野球解説者に復帰した。

2020年からは西武の一軍外野守備走塁コーチを担当。2022年からはファーム野手総合兼打撃コーチに異動。同年はファーム監督の西口文也が新型コロナ陽性になった関係で、7月14日から25日まで監督代行を務めた。2024年からはファーム野手総合コーチに役職が変更となった。肩書は総合コーチであるが、2023年より三軍の対外試合の際には、小関が監督扱いでベンチ入りしている。

この他にも、古巣埼玉西武ライオンズの社会貢献活動あるいは講演活動に協力し、埼玉県内の小・中学校で自身の経験を基にした講演等を行っている。

選手としての特徴

西武時代は走攻守揃った選手として3度のリーグ優勝を経験し、レギュラーの右翼手だった頃は、右翼手でありながら中堅手よりも多くの打球を処理していた。2013年5月25日に聖澤諒に破られるまでは、パ・リーグの外野手の連続無失策記録(658、プロ入り時から2000年9月6日のロッテ戦まで)を保持していた。

盗塁は二桁を越える年が多かったが、盗塁刺も多かった。特に2002年はリーグ最多である。

登場曲について

西武時代、西武ライオンズ球場がドーム化され西武ドームとなるのに合わせ、各選手が打席に入る際やイニング間の投球練習の間に流すテーマ曲を決めることになった。小関は『レッツゴー!ライオンズ』(TBS)内でファンからテーマ曲のアイディアを公募し、その結果テレビドラマ『太陽にほえろ!』で劇中曲として使われた『ジーパン刑事のテーマ』(青春のテーマ)を使用することを決めた。

ところがある時期から一部の西武ファンが、小関が打席に入る際、場内で流れる同曲のリズムに合わせて小関コールを入れるようになり、これが後にホームのみならずビジターゲームでも応援団がトランペットで演奏するようにまでなった。

小関は巨人移籍後も同曲をテーマ曲に選曲。ファン・応援団による小関コールも西武時代同様に行われた。しかし巨人に在籍した2年間は出場機会に恵まれず、特に2007年シーズンは出場が僅か5試合。東京ドームで同曲が流れたのは僅か2回だけであった。

12球団合同トライアウトを経て横浜へ移籍。ここでも小関は「自分のテーマ曲として定着しているし、あの曲で横浜を盛り上げたい」と、再び同曲をテーマ曲に選んだ。

2009年には西武・星秀和が、小関本人に直接許可をもらって使用していた。

2024/05/18 13:32更新

ozeki tatsuya



小関竜也と近い名前の人

小関 里恵(こせき りえ )
1983年2月13日 埼玉

小関 里恵(こせき りえ 1983年2月13日 - )は、日本の女性声優。埼玉県出身。 TOKYO FM系TOKYO-FMホリデイ・スペシャル内ラジオドラマ(2004年11月23日)    「パー…

小関 裕太郎(こせき ゆうたろう)
1983年4月7日 宮城

小関 裕太郎(こせき ゆうたろう、1983年4月7日 - )は、日本の声優、俳優。フリー。宮城県出身。血液型はA型。以前はプロダクション東京ドラマハウスに所属していた。 ※太字は主役・メインキャラ…

小関 一(こせき はじめ)
1932年5月7日 山形

小関 一(こせき はじめ、1932年5月7日 - 2013年11月18日)は、日本の声優、俳優。山形県出身。81プロデュースに所属していた。 東京声専音楽学校本科(現・昭和音楽大学)卒業、舞台芸術…

小関 智弘(おぜき ともひろ)
1933年2月1日 東京

小関 智弘(こせき ともひろ、1933年2月1日 - )は、日本の作家・ノンフィクション作家。 東京市大森区(現・東京都大田区)生まれ。東京都立大学附属高等学校卒。大田区周辺の町工場に旋盤工として勤…

小関 舞(おぜき まい)
2002年2月10日 東京

小関 舞(おぜき まい、2002年2月10日 - )は、日本の女優、歌手、元ジュニアモデル、元アイドルであり、ハロー!プロジェクトに所属するカントリー・ガールズの元メンバーである。ニックネームはおぜき…

小関 也朱篤(こせき やすひろ)
1992年3月14日 山形

小関 也朱篤(こせき やすひろ、1992年3月14日 - )は、日本の競泳選手。山形県鶴岡市出身。平泳ぎを専門としている。自衛隊体育学校所属。2016年リオデジャネイロオリンピック競泳日本代表メンバー…

小関 ゆかり(こせき ゆかり)
1980年5月11日 神奈川

5月11日生まれwiki情報なし(2024/05/18 00:07時点)

小関 裕太(こせき ゆうた)
1995年6月8日 東京

小関 裕太(こせき ゆうた、1995年〈平成7年〉6月8日 - )は、日本の俳優。東京都出身。アミューズ所属。 2003年、アミューズ(アミューズモデルス)所属、芸能界デビュー。CM『セキスイハイ…

小関 しおり(こせき しおり)
1972年6月30日 富山

小関 しおり(こせき しおり、1972年6月30日 - )は、富山県出身の女子ソフトボール選手(外野手)。シドニーオリンピック銀メダリスト。 星野女子高等学校卒業後、日立高崎に入団。 日本リーグ…

小関 翔太(こせき しょうた)
1991年9月6日 福岡

小関 翔太(こせき しょうた、1991年9月6日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(捕手)。 小学校2年時に「横代ライオンズクラブ」でソフトボールを始める。中学時代は硬式のボーイズリー…

小関 桃(こせき もも)
1982年7月31日 東京

小関 桃(こせき もも、1982年7月31日 - )は、日本の元女子プロボクサー。東京都三鷹市出身。青木ボクシングジム所属。左ボクサーファイター。第2代WBC女子世界アトム級王者。第3代WBA女子世界…

安いカラオケ店
2024年最新カラオケ曲ランキング
『ミュージックジェネレーション』がカラオケランキングを発表
カラオケ夏の曲ランキング(好きな夏うた)
カラオケ店でPayPayや楽天Payなどのキャッシュレス決済は使えるのか
注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
小関竜也
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

話題の芸能人・有名人

おまかせワード

10月  1993年  9月3日  6月30日  CHA-CHA  8月24日  1995年  1987年  男闘呼組  8月19日 

グループ

AKB48G 夢みるアドレセンス AeLL. PASSPO☆ SUPER☆GiRLS アイドリング 私立恵比寿中学 Rev.from DVL CheekyParade HKT48 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「小関竜也」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました